カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2007.07.24
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カテゴリ: ヒラカワの日常
昨夜から
腹の調子が悪い。
胃の辺りの膨満感が消えない。
飲み過ぎ、食い過ぎというわけでもないのに。
漱石は、慢性胃病だったから、
結論の出ない不倫関係をあのように掘り下げたのか、
それともそのようなテーマに固執し続けたから
胃病に苦しむことになったのか。

病人の思考は病的になるというのは言い易いが

漱石の作品は、はたして健康だろうか、病的だろうか。
健全で健康な文学というものがあってもよいが、
そんなものを誰が読みたいだろう。
だいいち、いつも心身ともに健康であると思っている人間は
小説など書きたいと思わないだろう。

梅雨空から一転、今日は気持ちのよい青空が広がっている。
気温はかなり高いが、乾いた風が吹いていて気持ちがよい。
これで、体調がよければ
俺はそのまま糸の切れた凧になって
どこか温泉の沸くところへ飛んでいくところだが、
今朝は腹を抑えて

体調の悪いときは、仕事がいいのである。

選挙が近い。
相変わらず戦後レジームからの脱却なんていう言葉が
一人歩きしている。
ほとんど、意味不明である。

言った方が分かりやすい。
対するに、福祉国家の実現、平等な経済分配、政治的多元主義ということに
なるのだろうか。
市場原理主義に、対応する言葉は何なのかと思う。
社会民主主義ではない。(こっちは社会体制だからね)
勝敗があまりに苛烈にならないように、市場をある程度制限する。
やはりケインズ主義ということになるだろう。
修正資本主義といってもいい。

一長一短。
どちらの政策も
その政策が生まれてくる文脈の中で見る限りは正しそうに見える。
これは、憲法論議にも共通することだが、
両論があって、どちらも正しそうに見えるということは
どちらも正しくはないということであると思った方がよい。
いや、もっと精密に言うなら、正しいか正しくないかというような
問題ではないということである。
多くの場合、ほとんどの経済問題、政治問題を
それが正しいか正しくないかというような問いの立て方をしているが
本当は、ただ単にどちらが有効であるかどうかといった効果の予測に過ぎない。
そして、効果の測定とは
どれだけの時間的なスパンで測定するのか、どれだけの地理的な広がりで考えるのか、
ということを抜きにしてはほとんど意味をなさない。

現実的な問題は、
ただ、現実的に考えることの中でしか解決しない。
あたりまえだけど。






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最終更新日  2007.07.24 14:39:26
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