共同通信より配信された書評:「大学改革という病」山口裕之
本書は、現在声高に叫ばれる大学改革なるものの病理を剔抉し、本来のあるべき姿を模索するための格好の見取り図を提示している。 大学は、その草創期以来、教育の理念と国家や企業からの要請との間で揺れ動いてきた。今日多くの企業は大学に、教育機能よりも選抜機能を期待している。企業は採用の際に、何をどのように学んできたのかを問わずに、どこの大学を卒業したのかを優先的に配慮している。
教育の理念の中には、国家形態や企業経営に対する批判も含まれる。それゆえ、教育理念と国家的な要請とはしばしば背馳する。 教育理念とは、よき市民を育成することであって、その時代の国家や産業ニーズに迎合することではない。
教育の本質は、それを学ぶ前のみならず、学んでいる最中も、自分が何を学んでいるのかよく知らないというところにある。自分が何を学んだのかを知るのはずっと後になってということもある。これが、学びによる知的成長の意味であり、自分で考えることのできる人間を育成することが教育の本義である。
本書は、 大学の歴史をその起源まで遡り、近代国家の形成にともなって大学の役割が変質してきたことを示し、当今もてはやされているアメリカ型の株式会社化した大学や、産業界が要請する機能主義的な実学志向に疑問を投げかけている。大学の現場もまた、サービスと消費者という受益者負担のモデルや成果主義から脱皮できないでいる。
著者は「教育とは、消費者が欲するものを提供するサービスではなく、何を欲するべきかを考える力を与えるための営みである」「それゆえ教育が消費者獲得競争に走ってはならない」と主張し、歪んだ予算配分を是正するための方策や、その財政基盤にまで思考のリーチを伸ばしている。
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