社会・エッセー・コラム。独り言


回転ドアと顧客志向 (4) 04月04日(日)

今日は、久しぶりに所要で、○口駅近辺に出掛けた。
そこで、驚かされた。
何とあの×井が、閉店になっていたのである!
それこそ駅前の超一等地にあり、駅と繋がっていて、
立地てきには、イイ所だ。

実際、以前はかなり流行っていた。
特にバブル全盛の時は、DCブランド華やかりし頃で、
高い洋服がバンバン売れて、しかも当時では画期的な(当時赤いカードと言って宣伝を沢山打ち、普及させたことは確か)ビジネスモデルと言えた割賦販
売で
売上げを、グングン伸ばしていた。
僕の様な金無し君にとって、否、仲間内では、
ある種ステータスとなっていたお店、×井。
それが、まさかの閉店!?
信じられなかった…。

駅前の大型店がシャッター閉まってると、
さすがに駅周辺が全体に暗く感じる。
しばらく、車で市街地を走ると、シャッターの閉まってる
商店街、スーパーなどが、あちこちにあった。
正に総だおれ状態なのである。
この状況を見るに、やはり景気回復の実感は感じられない。

×井を見て、感じたことは、
単に景気だけの問題だったのか?って、ことです。

確かに、バブル時代は、そのやり方で成功していたのだと思うが、その後の経営戦略は果たしてどうだったのであろうか?
時代の変化に対応した戦略に即時対応していただろうか?
成功体験に縛られて、ビジネスモデルの再構築、
マーケティング戦略の見直しなど図ったのだろうか?

バブル当時、店員の接客態度は、と言うと、
ハッキリ言って、客によって対応が違ってみえた。
つまり、ある種、客によって
態度が明らかに違っていた。
そこには、当時勝ち組と呼ばれていた
奢りや優越感が見られた。
ある時期大手行が、1億円以下の客はゴミとか、ドブさらいと言って憚らない時があったが、
そういった風潮でもあった。
そこには、顧客の視点など皆無だった。

そういえば、同時期やはり全盛だった○○百貨店も、
ウオークマン社員登場等、かなり驕りが見られたな。
僕は学生時代バイトをしていて、ラケット売場にいた。
そこで、自分のテニスの経験を活かして、お客様が
ラケットについて質問してきたら、それに対して、
その人に合ったラッケトを奨める事で
売上げを伸ばしていた。
所が、そんなある日、そこの社員から
「もっと、この○○のラケットを売れよ!
人気の無いラケットを客に奨めて、買わせろよ!
それで均等に売上げを上げろよ!
在庫になっちゃうじゃないか!」と、叱られてしまった。

当時の僕はよ言えば、多分に漏れずあまり勉強しないバカ大学生だったから、ろくに反論も出来なかったのを思い出す。
(僕が勉強に目覚めたのは、病気になって、目が見えなくなり、その後、奇跡的に手術が成功して、本が読める喜びを知ってからである。大学に受かることだけを目標にしていた僕は、仮面浪人してまで入りたかった大学に入学後、テニスにのめり込みロクに勉強しなかった。

卒業したは、イイものの、経済学なんてチンプンカンプン。
就職しても、自分の仕事だけしか関心が無かった。
それが、病気をきっかけにして、
目の見えるありがたさを知り、
テニスも出来なくなったことが、逆に功を奏して、
色々な勉強が楽しくなっていった。)

そんなだから、この社員の叱責に
疑問すら抱かなかったのだ。
そうか~。これが大人の考えなのか~ナ~ンテね(笑)

実際、ここでは店内にラケットの人気ランキングなるものを、店内に貼りだしていたが、いかさまだったし(爆)

以上、昔を思い出しながら、改めて顧客志向について
考えたのが、例の○ビルの回転ドアのことだ。

ニュースを良く見ると、同じメーカーで、同じ型でありながら、ある所では、全く事故が起きなかったと言うのである。
それでは、何が違っていたのか?
そうです。
回転スピードです!
センサーの問題もあるが、
それは絆創膏貼っただけの対処療法から派生している。

○ビルは、回転スピードを最大スピードに
設定していた。
何故か?
思うに、それはやはり、効率を上げる為でしょう。
予想以上の来店客数に対し、対応がその場しのぎとなり、
沢山のお客をさばか(?)ねばならなかったのではないか?
いかに効率をあげるかに
血眼になっていたのかもしれません。
顧客のことを緻密に考えるこを、
あまりしなかったのでは無いだろうか?

商業施設の比率が高いのだから、
小さい子供やお年寄りが来店することは、
容易に考えられたハズである。
それをすることによる、リスク、対象となる顧客層は
どういった人達なのか?など、
おざなりになっていたのでは?
更に事故が起こっても、尚、なんの対策も取っていなかったのも、大事故では無いから、イメージの失墜、
回転ドアの設備代なども無かったとは言えないと思う。
経済優先利益至上主義が働いていたのではなかろうか?

僕は、あれだけ盛況の極みにある六本木ヒルズ、
そこにはやはり、驕りがあった様に思えた。
○ビルの社長がテレビに出て、
得意げになって話していたシーンを思い出す。
中屋書店さんの日記サイトで、
http://plaza.rakuten.co.jp/nakayashoten/bbs/?act=thanks
”これからの企業は、「利潤動機」から「役割動機」へ転換すべきだとか、20世紀型の組織はある種の奴隷制度であり、これからは「個」を中心とした社会にシフトすべきである”と言うことが紹介されていました。

正に、得てして、企業と言うものは、第一義に
利益追求の為にあると言って、
憚らず、それを言い訳にして、それが絶対的なものである
ことを根拠に主張を展開しがちですが、と言う
驕りの成功パラダイムに陥っていたのでは
ないか?って思えました。

471-U7さんの日記で、http://plaza.rakuten.co.jp/scenery308/2002
「顧客の視点」とは何かが紹介してありました。

・我々は、「顧客指向」と言いながら、いつも、
自分達の視点・都合でものを考え、
顧客やマーケットを見ている。

・知らず知らずに、所属の組織に規範に縛られ、顧客ではなく、自分の上司や同僚の方を見ている。

・「顧客の視点」に立って業務を考え、理解するには、
相当の訓練が必要。

・「自分達の視点」で業務を捉えている限り、業績につながる改革のシナリオは出てこない。

誰も言わないけれど、「ここはこういうものだ」と
考えている。
気づいているのに行動できない。

とあります。

浅○○産にしても、○印食品の様に、
この「顧客の視点」が欠落していたことで、
業績の向上どころか、企業の存続まで失ってしまうと言う
教訓を活かせなかった。
やはり、昨日のよぴりんさんの言う商売の原点を、
身体が大きくなればなるほど、忘れがちになることを
肝に銘じて忘れてはならいなっと、思ったのでした。


普段から意識していないと中々その心境になれないと僕は思います。
それにその医師の言い方とか、タイミングとか、
そういうのもあるのでしょうね?
これは、考え方は人それぞれなので、
押し付ける様なことはあってはならないと思います。
僕は家族と普段から、そういう話をしてるし、
献体と言うことも話が出ます。
でも、医大も、もう少しその重大さを真摯に
捉えてほしい。
結構、軽々に話す研修医は多いからです。
遺体にも尊厳を持って接してほしいと思いました

昨日(18日)は復職(職場復帰)の面接があった! 2004年03月19日

昨日(18日)は復職(職場復帰)の面接があった!
失業も覚悟して僕は面接に臨んだ。

所が!予想と違い、とても温かさを感じた。
僕は知らなかったが、会社は今、とてもキツイ職場となってしまい、僕の体ではいつまた倒れてしまうか心配だと言う。

実際、移植する前の2年前でさえも、
かなりキツイ労働環境だったのは事実。
しかし、この2年で、環境は
更に厳しい経済状況にあることも周知の事実。
他者に比べれば、リストラと言う形は聞いた事は無いが、
当然一人当たりの労働量、生産性は格段に増えている。
一人二役三役もこなさねばならず、それに比例して、
労働時間も増えていく。
所が僕は、また入院にでもなったら、会社の規定で
自動的に退職となってしまうと言う状況にある。
だから会社もそれが心配だから、別会社、子会社への出向を
勧められた。正直、失業するかもしれないと覚悟を決めていたので、とてもありがたかった。

そして喜ぶべきは、その会社と言うのが、
”ノーマライゼーション”と言う
理念を持った会社だったのだ。

その為、障害についての理解が深い。
仕事も色々な配慮があるし、
透析についても深く理解を示して戴けた。
それが僕には嬉しかった。
僕は今、本当に就職活動当時、
この会社を選んで良かったって、
つくづく思っている。

当時バブルに沸き、誰もがより給与の高い所、
理系の人さえ、高給を求めて、
銀行、生保、証券等金融に行くことが、
ステータスで、それ以外は
負け組みの様な言い方をされた。
3高がもてはやされ、僕が選んだ会社を、
みんなは大学まで出て、そんなトコ行くのか?
とまで言われた。同情された?

でも、僕は、自分にとても合っている会社だと思ったし、
やりたい仕事がそこにはあった。
僕は昔から、ブランドとか全然興味無かったから、
別に気にしなかったけど。

それでも最初はそうは思わなかった。
ある時を境に。
今でも忘れられないのが、某銀行へOB訪問へ行った時、
「君は正直すぎるな。この世界は、嘘でも平気で
つけるくらいで無いとダメだね」と言われてしまった!!
生保等でも同じ様に言われた。
僕は、それで金融に行くのを止めた。
一編でゲンナリしてしまったからだ。
僕には合っていないと悟った。

本当にそれでイイのか?って、
当時僕は思ったが、案の定だ。
資産価値、担保を異常に上回る貸付至上主義。
イケイケどんどんで不良債権の山。
相続税対策などと言っては借金させて、
変額保険にいれて、訴訟問題が相次いだ。

証券業界も客を煽り、手数料稼ぎに奔走した。
生保も尋常でない予定利率で加入者を募り、
今、逆ザヤで苦しんでいる。
当時は金融業界が倒産するなんて、夢にも思わなかったが、
特に97年は凄かった!今でも信じられない。
あの長○までが、つぶれるなんて!
(結局、金融ビッグバンは、アメリカに都合の良い
グローバルスタンダードであって、結局、
ハゲタカファンドに美味しいトコどりされてしまった。
自己資本比率なるものまで取り入れ、
貸し渋りや貸し剥がしを生み、倒産、失業者増大、
自殺3万人と言う事態まで間接的に生み出している。
未だに大手銀行も危機説が飛びかう。

こうしてみると、やはり、
誠実さや顧客志向では無い傲慢なやり方は、
経済上も市場にも、しっぺ返しを喰らう。

結局、その時の花形産業であっても、
先がどうなるかは分からない。
歴史がそう教えてくれるのに、相変わらず
人気企業ランキングは未だに健在だ。
就職より就社のまま。
今の時代、安定と言う言葉は不確実の時代だと気付かない。
企業50年説、30年説、色々言われているのに。

今はもっとそのスピードは速まっていると言うのに。
だから、いつどんな事があっても、自分の市場価値を高める努力をしたり、起業について勉強する必要があるのに、
相変わらず社内価値に躍起になっている。

当時の僕の友人も、当時は僕の給料をバカにしたが、
リストラや、倒産、病気になったら即ポイ捨て。
とても非常な対応に泣かされてしまった奴はとても多い。
僕は面接時、それは思い切り予想出来た。
お金は勿論大事な一要素だが、
お金だけを選択尺度にしなくて本当に良かったと思う。

バブル入社組は、いまやリストラの標的。
自分の実力を見極めないで、
高いレベルの所に容易に入れたことでが、
ステータスが高いが故、余計に標的になってしまっている。
まるで、アリとキリギリスの様だ。

銀行は、公的資金を入れてもらっても、
相変わらず高給を貰い続けているのは、
さすがに図太いのかもしれない。
(り○○銀行は、相当下がったが、それでもかなり多い)
年金に巨額の穴を空けておきながら、自分達の為に
流用しながら、何一つ責任を取らないで退職金を沢山もらい、天下りしてまた巨額の退職金をもらう者も
世の中にはいるが。
年金の4重取りをしても平気な者もいるが。

やはり最終的に企業は人なり。人財こそ資産なのだ。
従業員満足の無い所には、顧客満足は生まれないのだと、
今日の会社の対応を見てつくづく思った。
当時バカにされても、今はどう?

人生は、本当に何が幸せで何が不幸せか分からない。
だから、今起こってることを悲観してはいけないし、
慢心していてもいけない。
いつでも今、自分は幸せなんだと思い続け、
成功していると思っても常に謙虚で、
常に感謝の心を忘れないこと。
それを、これからも僕は続けていこうと
改めて思った。
そんなことを感じた1日だった。
独り言終わり。


判断基準の大切さ - マラソン選考について (2) 03月15日(月)

ホント、高橋尚子(さん)と言う
人間性の素晴らしさを再認識させられた。

最初から最後まで、決して笑顔を絶やすことは無かった。
心の中では、さぞかし辛かったのではないか!?
本当は人目を顧みず、
大声で泣きたかったのではないだろうか?

ただ一度、
監督をアテネへ連れて行ってあげられなかったことが
残念と言った時、彼女の心の中が
一瞬垣間見えた様な気がした。
それに対しての小出監督の温かい言葉。

先日エースをねらえについて書いたが、
正に強固な信頼で繋がった強い絆を感じざるを得なかった。

Qちゃんの笑顔に涙をみせてはならないと、
涙もろい僕も耐えてきたけど、
この時は、やはり涙が出てしまった…。

今回の選考会で、つくづく判断や決断を下す際の
”判断基準”の大切さを痛感したことは無い。
一見すると
勝負の世界は厳しい。
数字に基づく適切な選考と見える。
数値に基づく公平かつ客観的な選考と映る。

でも、待って欲しい!

たとえば、今年の選考基準は数値に基づく選考を行なうと
事前に公表されていただろうか?
と、言う事だ。
つまり選考は、毎回判断基準が変わるのが
恒例だった言うことが長年続いていたからだ。

ある時は。タイムや順位、またある時は、実績等、
総合的に判断されて決定が下っていたのだ!

僕が思うに、過去そういった選考が行なわれた事が
ある以上、当然、小出監督の脳裏にも
この事が昨日の大会を欠場すると言う
”判断・決断”に大きく影響したハズだ。

前回の金メダリストで、
2連覇と言う偉業がかかっていたこと。
世界最高タイムを出した事がある点。
東京国際での高橋の出場を嫌って、有力選手たちが
こぞって出場しなかたことなど、
どれをとっても十分な実績と言えるのだ。

だから、あえて、今回の出場を見送り、
オリンピックへ照準をあわせていたのだと思う。
もし、今回、数字で選考されるとわかっていたなら。。。。
小出監督の恨み節が出るのも本当に無理のないことだ。

何故陸連は、毎回揉めてるにも係わらず、
判断基準を明確に提示しなかったのだろうか?
次回から、選考基準が数字(タイム、順位)で決める事に
絶対統一してほしいと思うが、(それでも大会によって、気温、風など違うので客観性自体も疑問だが)
それにしても、高橋さんがスッキリとした形で、
納得出来なかったことが、そして、オリンピックでの勇姿が
見れないことが、本当に残念でならない。
選ばれた方々も、本当に本当によく頑張ったと思うし、
オリンピックで、全力を尽くしてがんばって下さい!!



(プライドについては明日書こう。)

■常識とは?(経沢) 04月08日(木)

■経沢香保子さんの日記

たまにいろんなことがわからなくなる。

なにか、直感的に常識的に考えておかしいなと思ったとき、

これが、自分のエゴでそう思うのか、
自分のキャパが狭くてそう思うのか。

まず悩みます。

最近、とみに、常識って人によって違うと思うシーンが多い。
(すっかり、おばさんくさい発言です)

辞書で「常識」を調べてみると、
(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。
(2)「共通感覚」に同じ。

でも、「共通感覚」ってなんだろう?
最近あまりにも違っているような気がしてわかわなくなることもある。

いままで、何かを直感的におかしいなと思うとき、
同時に、もしかしたらそういう解釈もあるのかなとか、
自分の心が狭いのでそう思うなら、恥ずべきだとか、
うまく説明できないまま、飲み込むことが比較的多いほうだって思う。

世間一般の常識というのが、
すごく大きく解釈される現在、
このまま流してると、会社の基準が取れなくなるなと思うときもある。

たとえば、会社に勤めていたとき、
何かで部下に注意したときに
「ムッ」とした顔をされたことがあった。

私の中では直感的に、この反応は、おかしい、と思っても、
「言い方が悪かったのかな」とか、
「相手をきづつけたのかな」とか、すごく思い悩んだことがあった。


でも、たとえば、私は、
いつも仕事ではカジュアルな格好です。
不潔な格好はしないように思っているけれども、
もしかしたら、これも、常識はずれと不快に感じる人も多いかもしれない。

そんなことを思っていたときに、
ぐるぐる考えてわかったのは、

いま、私の立場では、
一人の人間としては、何でも受け入れることが大切なので、自分のそういう受け入れは広く置いておきたい。

いろんな考え方が世の中にはある。

でも、経営者の立場で考えたときには、
自分の会社にとって、いいことか、わるいことか、
利益につながるのか、不利益につながるのか、
と、明確な基準をもって、感情を害して
私自身が、きっちりと判断していかなくてはいけないんだと思う。

もちろん、違う角度から見れば正しいのかもしれないことも逆の判断をしなくてはいけないこともあると思う。
必ずしもすべてが相容れないこともある。
そして、どれが正しいかなんて誰もわからないし。

だから、できるだけ、
事前に自分たちにとっての基準を明確にしておくことが大切なんだと思う。

たまに、そういうことが、
あ、あ、やだなぁ~と思うこともあるけど、
まあ、全部を取れないこともあるから、
欲張りすぎては、仕方がない。

明確な目標と判断基準をこれからも持ちたい。
そして、迷わずに即断できるくらいの意思の強さとともに。

メルカマ大王さんの日記


よく、こういう人を見かける。

そのノウハウはもう知ってるよ。もっと奇抜で聞いたことのないノウハウはないの?

とセミナーでおっしゃる方がいますが・・・。

さて、こういう人はセミナーに何を求めているのでしょう?

方法なんて多く知ってても何の役にも立ちません。学んだことを自分流にアレンジしていくことが大切なのです。

情報を入力する→行動してその情報を主力化する。

日本で昔からある言葉で文武両道です。

学んだことを行動で表現する。
*ある方がこの言葉を間違った解釈で取り上げていましたが、この
 場合は、学んだことを日常生活において実行する。という意味で
 す。学ぶことと行動することを同時にする訳ではありません。笑

学んだことを実行される方は本当に学んだことを理解している証拠です。しかし、

学んでも行動に落とし込めない人は学んだことを理解していないことを理解する必要性があります。

脳で理解したつもりになっただけで、本当はわかっていないのです。

理解していないから脳から行動する指令が出ないのです。

まぁ、世の中、別に結果を追い求めている人ばかりではないのでセミナーで気晴らしも良いかと思います。

ただ、結果を出したい方は本当の意味での理解を得るために、行動に落とし込みましょうね。

落とし込みが難しい場合は、講師の方々に聞けば良いのです。
意外と質問されるのを講師の方は待ってますよ。

遠慮しても損をするだけです。

常日頃から質問を用意して置き、解決できるように考える習慣を
身につけていきましょう。

さすれば、セミナーも結構役に立ちますよ。










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