イラク問題2


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日本 04月10日(土)

テーマ「ニュース(2431)」
今回のイラク人質事件で、多くの論調は「テロリストの要望に従うな、危険を承知でいった人質にこそ責任がある」ということである。

 日本は変わったな。

いくらなんでも、死に直面している人質に「君達の自己責任だ。」という言葉をかけるほど人でなしではない。
 ただ、日本政府は誘拐犯の要求どうり自衛隊を撤兵することはないだろう。
 残念ながら、誘拐犯の情報がまったくない状態なので、判断のしようがないが、まず時間稼ぎが必要だ。
 民主党の若手議員の言うとおり、テロリストの要求ということではなく、特措法により自衛隊を撤兵するということがいいのではないか。
 自衛隊は戦闘地域に行かないという前提が崩れてしまった今、イラク派兵の元になった特措法により、撤兵をするという選択も考えられる。

 新聞やテレビをみて識者が、「あんな危険なところに行くからこんな目にあうんですよ」 というのを聞くと腹が立つ。確かにそうかもしれないが、彼らのイラク人のためにつくしたいという命がけの気持ちに、そんな言葉を掛けないで欲しい。僕は、立派な日本人の行動を支持し尊敬する。
 だから、死に直面している彼らに希望を持たせる言葉以外使わないで欲しい。彼らを責める言葉を、口に出さないで欲しい。 


本気らいふさん
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連鎖に巻き込まれていく覚悟はある?なんてのに「ある!」って答えてしまいそうな、現実感の希薄な現実 (4) 04月09日(金)

 恐れていた事態が起きた。3人の人質、3日間の猶予。

 事件は現実に起きているが、妙に現実感が無い。人質とられて、自衛隊を撤退させるのかどうか……、予測の範囲内の出来事であるハズだが、心のどこかで「まさか、そんな事が……」と思っていた自分が居る事に気付く。

 「助かってほしい」と個人的な心情では願いつつ。社会でしか生きられない生物としての部分では、「助からないだろう」と冷ややかに見つめている。

 今更熱くなって、「だから自衛隊派遣はダメだったんだ!」と叫ぶのは簡単だが、今、そう叫ぶ事が出来るというその事実こそが、自衛隊派遣を止められなかった理由でもあるんだから、無意味な議論。

 もしも自衛隊派遣をしなかったら、それはそれで、抱える問題はあっただろう。

 派遣する方向を選ばざるを得なかったその理由は、「派遣」一つを槍玉に挙げても見えては来ない。何をどのように、どこに依存して、それ故にどんな弱みを握られているのかを考えなければ、何も見えない。

 日本人である私は、

 日本で育った私にとっては、

 頭で分かっていても心では分からない事がある。

 こんなに憎しみを連鎖させ、叶わない敵を相手に本当に死ぬまでドンパチやるという感覚がわからない。

 どちらかが滅びるまでやらにゃならんのかい?

 日本という国は、親兄弟を絨毯爆撃で殺しまくった国の進駐軍相手に、
「ギブミーチョコレート」
と愛想を振りまいて生き残った。

 玉音放送を聞いた途端に、あっさりと武器を捨て、それまで「一億玉砕!」なんて言って、「本土決戦!」なんて言っておいて、「ギブミーチョコレート」だ。

 その無節操さの御蔭で、驚異的な復興を果たし、私は幸せに生きている。

 もしもあの時、今のイラクのように武装集団が蜂起して、様々なゲリラ戦を展開し、アメリカ人を人質にとって見せしめに焼き殺したりって事を延々と続けていたら、今みたいに生きては居ないだろう。

 無節操で恥知らずと、後ろ指を指されるのも分かってて、しかし、その恥知らずな先祖に感謝せずにはいられない部分もある。私怨や、今この時の憎しみだけに衝き動かされて、報復の応酬をやってくれなくて良かった。

 その意味では、この無節操さを、少しは手本にしてもらいたいと、紛争地域の方々には言いたい面もある。

 「民族の誇り」を無くしては生きている意味が無い。でも、「誇り」だけでは生きられないのだから。

 「誇り」や「積年の恨み」に対して人の命を何百人でも使う事の出来る人々の気持ちは、正直、日本人の私には分からない。日本人の常識ってやつを、理性の力でとっぱらってみれば、頭で分かるし、感情もシミュレート出来るけど、腹の底には落ちない。

 正直、そんなものに、真直ぐ即席に命をかけるなんて、神経が分からない。負けて勝つとか、そういうのは無いのか?って思う。

 そんな具合だから、人質の件は私の想像を超えた心情の人々によって動かされるだろう。

 だから、やっぱり助かる見込みはものすごく低いと思う。

 では、自衛隊を撤退させれば良いかとなると、そうも行かない。

 ここで撤退させれば、今後日本と組む国は無くなる。いつ尻尾を巻いて逃げ出すか分からない奴とは組めないだろう?

 派遣してしまった以上、このような事態は計算に入ってて当然だ。こんな事件に巻き込まれるのが嫌なら、派遣をしなければ良かったのだ。だが、もう私たちには、「派遣しない」という選択肢は無い。

 「派遣した」という今の状況が、未来のすべてを規定している。「派遣した」なら、撤退は出来なくなる。撤退出来ないということは、それによる犠牲者が出る選択肢を選んだという事だ。

 もちろん、「派遣しない」事によって発生する犠牲もあるわけで、「派遣する」と「派遣しない」を比べた時に、「派遣する」事で覚悟せにゃならん犠牲を私たちは選んだって事なんだ、と言った方がわかりやすいかな?

 まだ、それでも「3人の人質」に実感が湧かない私は、理性では国内でテロが起きる可能性を視野に入れて、どんな準備が必要かなんて事を考えたりしているが、「国内テロ」に実感が湧かないうちに、多分やられてしまうんだろう。

 さて、そうやって無視出来ないほど犠牲者が出て来た時に、今度はどうするんだろうか?と不安になる。

 太平洋戦争の敗戦(終戦じゃないのよ、敗れたから敗戦よ)を迎えて、たくましくも哀しく「ギプミーチョコレート」だった日本は、憎しみの連鎖、報復の応酬の道を避けて、今の幸せを手に入れた。

 今度はどうなるのか、不安なのだ。

 憎しみの連鎖に巻き込まれて行きやしないかと、不安になる。

 そんなもんに巻き込まれたくない。「誇り」を失うようなマネもしたくない。なら「誇り」を示す方向はどっちだ?それ間違ってなかったか?でも、現実的にアメリカにしっぽ振るしかない部分あって、で、それって結局は飯が食えなかったら何でもやるようになってしまうっていう、生き物として当然の弱さなんだし、だから、アメリカにしっぽ振らなくても食えるようにしておくって力が大事なんだけど、そういうの真面目に取り組んでなくて、目先の利権を追いかけて、どうせダメさ、何やったって無駄さって、諦めて、そういう世の中全体に身を任せて、その中で生きていれば、自分が死ぬまでは何も起こらないだろうと、淡い期待を抱きながら生きて来たのが、今じゃこのままで済みますようにって祈るぐらいの危機感は持ち合わせているのかな?ぐらいの話じゃないか。

 憎しみの連鎖に巻き込まれてしまう覚悟はあるのかなあ?それともこの状況で「撤退しま~す!」ってスーダラ節を決め込む覚悟はあるのかなぁ?

 どちらにしても、覚悟は居る。だってそれでその先が色々決まっちゃって、後ろ振り向いてウダウダ言ってる場合じゃなくなってしまうんだから。

 国政に民意が反映されるのはなかなか時間がかかる。それに、民意というのがそもそもあやふやで、信用ならないものだって事を、あんまり認めてくれない民主主義って奴は、お前が決めたんでしょって都合良く、誰かの勝手を通してくれたりする。でも、それは「民意」を表明しない、その力を行使しない民にあるというのも一面の真実だ。

 で、私としては、まずはとりあえず自分の身一つを救う事を考え、自分の好きな奴らの事を考える。国がああだから、世間がこうだからってので振り回されっぱなしだと、国だの世間だのに、自分と自分の大好きな人々の命を預ける事になってしまう。

 自分で決める、他には預けない。連鎖なんかに巻き込まれない。自分の足で立ち、自分の意志で歩く。それが今ほど求められている時は無い。

 実感が湧かない。その事が今、恐ろしい。大げさに騒いで実感しているかのように見せようとする風潮が恐ろしい。そういうものに、何か得体の知れない恐ろしさを感じている。それが今のところの私の実感だ。



秀0430さんの日記
http://plaza.rakuten.co.jp/ksyuumei/diary/2004-04-10

人質問題(続き) 04月10日(土)

イラクでの日本人人質事件は、たいへん大きな事件なので楽天の日記で取り上げた人も多かったようだ。日記で取り上げるほどこの問題に対して注目している人は、かなりはっきりとした意見を持っているようだ。それは大きく分けて二つあるように見える。

 1 自衛隊の即時撤退を求める声

 2 自衛隊を撤退すべきではないという声

この中間に位置する人の声はあまり聞かれないようだ。即時撤退を求める声は、人質の人命こそが他に優先する事柄であり、犯人グループとの交渉手段がない以上、出来ることとしては撤退意外にはないのではないかという思いから、すぐにでも撤退することを求めるという気持ちが強いのではないだろうか。撤退意外に手段がないということが、この声の基本にあるのではないだろうか。

撤退すべきでないという声は、この事件をきっかけにして撤退するとなると、「テロに屈した」という風に見られることを問題にしているように見える。テレビ出演していた中東専門家の高橋教授は、テロに屈したように見られると、今後テロにねらわれる危険も増すという危惧も語っていた。テロによって効果があると思われたら、テロリストはやはりねらってくるだろうと思う。

これは、どちらか一方がむちゃくちゃな論理を持っているのなら、世論は正当な方へ流れると思うのだが、どちらにも一理あるという論理だった場合は、世論は大きく割れる可能性が予想される。果たしてどちらの方へ世論が振れるのだろうか。

僕は、自衛隊のイラク派遣に対して反対していたので、基本的には自衛隊は撤退すべきだと思っている。それは、今回の事件があったからというのではなく、元々がアメリカの占領政策に協力するためにイラクに行ったと思っているので、そのような形で行くべきではないと考えているので撤退すべきだと思っているのだ。占領政策に加担したからこそ、今回のような事件も起こったのであって、そう言う意味でも撤退すべきだと思っている。

しかし、現状認識としては、小泉政権が撤退を決定することはあり得ないだろうと思っている。これは、撤退することが正しいと主張しているのではなく、小泉政権の立場やこれまでの流れを考えていくと、撤退しないということが論理的な帰結となると思うからだ。もし撤退するとしたら、それはよほどのことが起きたときになるだろう。小泉政権としては、今回の事件を「よほどのこと」とはとらえていないと思う。

むしろ撤退することは、アメリカの期待を裏切ることであり、小泉政権の終わりを意味すると考えているのではないだろうか。今後撤退する可能性はあるが、2,3日で決断することはできないのではないかと思う。だから、現実的には、自衛隊は撤退しないという前提で3人の人質解放の道を探ることになるのではないだろうか。小泉政権にとっては、撤退してもしなくても厳しい事態であることは変わりないが、撤退する方がより厳しいという判断があると思う。

撤退する可能性の一つは、イラク特措法によるものだろう。もはやイラクの地は誰が見ても戦闘地帯であることが明らかになりつつある。サマワの地だけが戦闘地域からはずれると言うことがあるだろうか。この事態がもう少し続くようであれば、イラク特措法によって撤退が決まるかもしれない。これは正当な理由がつけられる撤退だから、小泉政権でも決断せざるを得ないだろう。

もう一つの可能性は、世論の高まりによって撤退せざるを得なくなる場合だ。日本の民主主義にとっては、こちらの方向へ行くことを僕は望んでいる。世論が高まっても小泉政権そのものは、その世論を無視することも出来る。小泉さんは、かつて「世論も間違えるときがある」と語っていたから、世論が間違っていると判断したらそれを無視することも出来るだろう。

しかし、与党自民党議員は世論を無視しきれなくなると思う。自民党議員にとっては、小泉政権よりも、自分の選挙の票の方が大事だろう。世論が、そういう議員の選挙の行方を心配する気持ちに働きかけるほど高まれば、小泉政権は与党の中の支持基盤を失い崩壊する可能性がある。自衛隊撤退の世論によって小泉政権が崩壊すれば、これは新たな政権は、自衛隊撤退をせざるを得ないだろう。このような形になれば、民主主義によって自衛隊撤退を勝ち得たという形になり、我々にとってはもっとも望ましい形になると思う。ただ、これは2,3日で行えることではないのが、今の事態には有効でない方向だ。

自衛隊を派遣したかった勢力にとっては、今回の事件はある意味ではチャンスだととらえたかもしれない。人質を救出するために行動を起こすことは、自衛権の発動と考えることが出来るからだ。武力行使に大義名分をつけることが出来る。しかし、これは大変危険な選択なので、このチャンスを生かそうと考えることがなかったのだろう。

ここで日本が、たとえ日本人を救うためだとは言え、武力行使に踏み切れば、それはイラクの人々に対して敵であるということを宣言するようなことになるからだと思う。イラクの人々を敵に回すと言うことは、それはイスラム教と敵対すると言うことにもつながる。これは、日常的なテロの危険を呼び込むことになるだろう。今よりももっとたいへんな事態に直面する。

人質救出のために、アメリカの武力を当てにするのはもっと危険だ。特殊部隊の協力などを考える意見を耳にしたが、アメリカの軍事力によって救出作戦をしたら、日本はアメリカの側にいるということを宣言するようなものになる。過激派ではない、親日感情を持っていたイラク人も、そうすれば親日感情を捨てるかもしれない。アメリカは、すべての協力を惜しまないと言っているが、アメリカに協力してもらうことによって、人質はもっと危険になるのではないかと僕は感じる。

今のところ、日本に出来ることはほとんどないだろうと思うと、やはり僕は、テロリストと呼ばれている側の人々が、政治的に正しい判断をしてくれることを祈るだけだ。政治的な判断から言えば、人質の命を奪うべきではない。そういうメッセージが彼らに届けばと思う。

「<イラク邦人人質>イラク市民も極めて高い関心」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040410-00000134-mai-int

という記事を見ると、このような誘拐という行為までするやり方には、イラクでも賛否両論が渦巻いているようだ。すべてのイラク人が、この過激派と同じではないし、また普通のイラク人の中にも、心情的にこの犯人たちに共感する人々もいるということを日本人は受け止めなければならないと思う。日本の世論は果たしてどちらに向かうだろうか。

今の段階でしっかりと自分の主張を持っている人はまだ少数派だろう。大部分は迷っていると思う。しかし、この迷っているサイレント・マジョリティが世論の動向を決める。偏見にとらわれずに事実を深く考えて欲しいと思う。我々は、イラクの普通の人々と共感する気持ちを持ち続けたいものだと思う。拘束された3人の日本人は、犠牲にされてはならないのは当然のことだが、同じように生命の危険にさらされているイラクの普通の人々にも、我々日本人は思いを馳せなければならないと思う。それらの人々と共感する道こそが、庶民としての感情に正直な道であり、それによって世論が形成されて欲しいと思う。

この問題は、これからも世論は二つに割れるだろうが、両極端の主張を持つ人間が、感情的あるいは偏見から自分の主張を強弁しようとすれば、これはむちゃくちゃな論理が生まれる可能性がある。たとえば、この3人は危険を承知で言ったのだから、殺されても文句は言えないだろうというようなむちゃくちゃな議論がある。

これがなぜむちゃくちゃかと言えば、この考えを別のケースに当てはめて考えてみるとそのむちゃくちゃさが際だってくる。論理というのは適用範囲が広いから論理になるのである。他のケースでも正しく考えることが出来る論理であれば、それは正当な論理だ。しかし、他のケースで正しく考えることが出来なければ、その論理には疑問符を付けざるを得ない。

たとえば、ギャングのような組織を考えて、武力によって人々を支配してる無法者がいた場合を考えてみよう。その無法者の犯罪を止めるために、命の危険を冒してでも乗り込んでいく人間に対して、そこが危険なことは分かっているのだから、殺されても文句は言えないと主張できるだろうか。

この論理を許してしまえば、力のある人間が支配するのは当たり前だという論理を許すことになる。これは民主主義の否定だろう。民主主義を肯定するなら、理不尽な犯罪、正当性のないものは許してはいけないのだと思う。たとえ危険を承知でイラクに行った日本人であっても、実際に危険な状態になれば、その救出に全力を尽くすのが国家としての義務だろう。そのような国家であればこそ、民主的に支持も受けるのだと思う。国家の都合で、助ける人間と助けない人間を区別するようであれば、それこそそのような国家権力は、民主主義の力で倒さなければならないのだと思う。

幸いにして日本はまだ民主国家としての姿勢を失っていない。小泉政権は、その立場上自衛隊の撤退を決断することは出来ないだろうが、全力を尽くして救出に努力すべきだと思う。僕は、犯人の側の政治的判断への期待と、世論の高まりへの期待を持ちながら、この事態を注目していきたいと思う。影響力のある人に、正しい筋道をわかりやすく示してもらいたいと思う。


かめおかゆみこさんの日記より
http://plaza.rakuten.co.jp/kaishinjuku/diary/2004-04-09

いま、自分に何ができるのか。(評論家としてではなく…) 04月09日(金)

テーマ「お気楽・元気になる秘訣(267)」
★今日のフォーカスチェンジ♪

いま、自分に何ができるのか。(評論家としてではなく…)


イラクで、民間の日本人3名が拘束、という
ショッキングなニュースが流れました。


今回のことに限らず、私たちは、何か事が起きると、
すぐに、ああでもないこうでもないと分析したがります。

恥ずかしながら、私もそうです。

上記のニュースを聞いた瞬間にも、
こんなことは、日本が自衛隊を派遣したときから、
当然、予測されたことだ…などと思ってしまいました。


でも、このかん、この私は何をやってきたのか。
そう思ったとき、背筋に戦慄が走りました。

そんなふうに、起きてくることにたいして、
ただ、傍観者、評論家でいただけではないのか。


たしかに、私なりに、メッセージは発信してきました。

2003年12月10日の日記
それは愛から発しているか。(愛なら、何をするだろうか)
2003年12月23日の日記
戦後世代の終焉-私たちは何をすべきか。


けれども、こんなことは、結局、
状況を変える、何の役にも立っていないのです。

自分の微力さはわかっているつもりですが、
現実をつきつけられると、正直言って落ちこみます。


それでも、もう一度、思い直してみました。

「いま、自分に何ができるのか」

問われているのは、まさにこのことなのだと。


私たちは、いかなるときも、評論家でいてはいけない。
傍観者でいてはいけないのです。

なぜなら、世界の外がわで起きていることは、
かたちを変えて、
必ず、自分の内がわにも起きていることだから!

対岸の火事として、「イラク」があるのではなく、
いま、「イラク」は、まさに、この胸のなかにあるのです。


誰かの存在をゆるせなかったり、権力をもとめたり、
力づくで相手を思いのままにしようとしたり、
誰かを一方的に悪者にしていたり…、

誰でもが、わずかでも、そんな思いを持っているでしょう。


だとしたら、私たちは、常に「関係者」なのです。

直接、戦場に立っていなくても、
こころの位相として、そこに加担しているのです。

傍観や評論をしている立場ではないのです。


どうか、世界で起きていることを、
自分の身に置き換え、考えてみてください。

「いま、自分に何ができるのか」


そのこたえは、無数にあると思います。
大切なのは、自分の意志で選択することです。

私も、考えます。そして、行動してみます。


●念のため

この日記を読んでいるかたのなかに、
職業としての「評論家」のかたがいらっしゃったら、
ごめんなさい。

「評論」そのものを否定しているのでないことは、
おことわりし、お詫びしておきます。

”すぐに、ああでもないこうでもないと
分析したがります。
どうか、世界で起きていることを、
自分の身に置き換え、考えてみてください。”

僕も同感です。
あまりに他人事の様に、ある意味人間味を欠いた
冷静を通り越して
冷酷に分析している例が多いと思いました。
捉われた方、そのご家族の方達の気持に自分を
置き換えてみた時、僕は正論を淡々と述べることに
抵抗を覚えました。
そして生命を第一と考えた時から、主張を展開する形で日記を書き続けました。
ネットと言う秘匿性が、今まで隠されていた人間の
酷い部分が顔を擡げてしまうと言う事を今回のことで知り、深く考えさせられました。
3人の方が、無事でいられることを願っています。





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