イラク問題3


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ジャーナリストの使命ということ、死を賭けるということ、 04月16日(金)


「人質」となっていた3人は解放されましたが、まだまだ安心できません。

イラクで取材にあたっていた安田純平さんと渡辺修孝さんの2人についてはまだ救出のメドがついていません。この2人に対しても、早急に救出の手だてをうたなければなりません。

戦場や紛争地を取材するジャーナリストたちは、絶えず生命の危険と隣り合わせにいます。
すぐに思いつくだけでも、インドシナ戦争を取材中、地雷で死んだロバート・キャパ、カンボジアで狙撃されて死んだ澤田教一、アンコールワットへ向かう途中殺された一ノ瀬泰造、etc……。
もちろん、そのほかにも数え切れないほどのジャーナリストが非業の死を遂げています。ことにイラク戦争に入ってその数は急増しています。

バグダッドで、アルジャジーラとアブダビテレビのバグダッド支局が米軍の爆撃を受け、アルジャジーラの記者が亡くなりました。
アルジャジーラはアフガニスタンでも米軍の攻撃を受けています。事故を避けるため、支局の場所を米国国防総省に届けていたにもかかわらず狙われました。また、ジャーナリストたちの滞在するパレスチナ・ホテルへの米軍戦車の砲撃では、ロイター通信のカメラマン2人が命を落としました。このほかにも米軍の「誤爆」によって、幾たびか報道機関が攻撃され死傷者がでています。

今回救出された3人や行方不明の2人について、「危険を知って勝手に入ったのだから自己責任を負うべきだ」という意見があります。
日本政府も「イラク国内での取材」の自粛と「自己責任」を強く求めています。また、世論のなかにもそれに同調する論調が少なくありません。
なかには「金儲けのために戦場に行っている」、「物見遊山の取材」などとの論評をしている新聞やマスコミコメンテーターがあります。
救出に掛かった費用を負担させろなどという、感情丸出しの意見さえありました。

「命が大事、危険を避けるべきだ」という考え方や、事件による関係機関への迷惑などへの苛立ちも、心情的には理解できます。
しかし、あえていうと、感情で考えることが許される一般人ならともかく、マスコミまでがこれらの論調に陥るのは非常に危険だと断言できます。内部からのイラク報道の重要度は先の「文春」問題の比ではありません。

今度の「人質事件」を受けて、政府はサマワの記者たちに退避勧告を出して、相当数がイラク国外に出るようです。危険地帯を認定するのであれば、本来は自衛隊の駐留もならないということになります。

ジャーナリストが現場から離れたら、イラク国内の様子はアメリカ軍のスポークスマンや又聞きなどの、間接的な取材に頼るしかならなくなります。喧嘩の原因を一方方向から聴いて書くようなものです。

その昔、日本軍によって行われたという中国での殺戮。スターリン時代のソ連では数百万人が粛清されたといいます。カンボジア、北朝鮮体制下、アフリカの内戦などでも大殺戮が行われたといわれていますが、すでに歴史のかなたの出来事としてしか記録できなくなっています。
報道されにくいできない、紛争や戦争では、信じられないほどの大殺戮がたびたび繰り返されて、それらがあったことさえ断片的にしか判らなくなってゆきます。

これら、国家や権力による暴力や殺戮の暴走を防ぐのに、もっとも有効なものは、ジャーナリストたちによる真実の告発なのです。そのために幾多の尊い殉職もあったことでしょう。
蚊帳の外にいて、いわゆる大本営の発表だけを書いているマスコミは、ジャーナリストとして死んだも同然といって過言でないでしょう。

駐留軍が本当に「復興支援」や「人道的援助」を行っているのか、「イラクの平和」に寄与しているのか、イラク国民が立ち直っているのか、それらを自分の眼で検証し、正しく伝えるのがジャーナリストたちの使命なのです。

こんど拉致されたまま行方がわからない安田純平さんは、信濃毎日新聞を昨年1月に退社し、フリーの立場でイラク戦争を取材していました。
今回は3月にイラク入りし、米軍とイスラム教シーア派民兵との衝突現場などを取材して、昨年4月から、現地の状況や、人質となった高遠菜穂子さんが世話をしていたストリートチルドレンたちの様子なども寄稿しています。

昨年3回ほど、伊那でも安田さんの報告会や講演会を行い、僕もその折りにお会いしました。
あえて新聞社を辞めてイラク入りした理由を、組織人としては取材行動に制約があること。自分が取材したい現場を自由に選択できないことなどをあげ、イラクの生の実情を正確に日本に伝えたいという強い使命感に燃えていたようです。
そのため、取材のための渡航費を自らの貯金を切り崩したり、講演会などのカンパで捻出するなど、いのちを賭けてひと儲けをする場所などという野心は一かけらも感じませんでした。むしろジャーナリストとしてストイックなまでの使命感を受けました。
某大新聞がこれらを「取材による金儲け」などと論評したのは驚きです。即刻ジャーナリストとしての看板を降ろすべきです。

余談ですが、イラク戦争の当事者でもあるアメリカのパウエル長官の昨日の発言に注目しました。

危険を知りながら、良い目的のためにイラクに入る市民がいることを、日本人は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない。

パウエル長官の発言と、「自己責任」の追求を口にしだした、小泉・川口外相等日本政府との発言の落差に、暗澹たる思いを抱かざるを得ません。

と、指摘したい問題点は山積していますが、今は安田純平さんと渡辺修孝さんの2人の救出に全力を尽くすべきです。


イラクがジャーナリストの眼が届かない場所になり、攻撃側にとって、イラク国内の盗賊たちにとって、何でもありのホロコースト状態になったら、サダム・フセインの行ったどころの悲劇ではありません。
自らも困難な状態にあっても、高遠さんら三人を救うために奔走したイラクの人々や身代わりを名乗り出た少年たち、子どもたちを抱きすくめているしかない母親たち、この世界で同時代のいのちを共有している彼らを、見捨てることがあっていいのでしょうか。

同様にイラクの人々の目線から、戦争の真実を伝えようとしている、日本人ジャーナリスト二人の命も、見捨てるようなことがあっては断じてならないのです。

三人解放! 残る二人も早く! (3) 04月15日(木)

速報

高遠さんら三人が
解放されました。


のこる二人の安否が心配ですが、解放は時間の問題だとの観測が一時流れましたが…。


ここであえて、水を差すような発言をしますが、今回は日本人が解放されたというだけで、戦争そのものが良い方向に向いたということではないのです。
とかく日本では、邦人の行方だけに気が行きますが、拉致されている民間人はまだ大勢いるのです。彼らにも心配で眠られない夜を過ごしている家族や恋人がいることでしょう。

そして、「ナホコのかわりに僕が人質になりたい」と申し出たこころやさしいイラクの子どもたち、三人の救出に奔走したイラクの人々から、危機が去ったわけではないのです。

心臓の悪い人以外は、ぜひこの記事の下にある写真も見てください。戦争は、日本人が解放されても刻々と進んでいます。

アメリカの兵士も、望んでイラクで狼藉を働いているわけではなく、命令によって人殺しの代行をしているだけです。そして、若い、彼らの命もつぎつぎに失われています。

日本政府は、もうこんな馬鹿なことはやめましょうと、ブッシュ大統領に言うよい機会です。
自衛隊も一旦引き上げて、軍服を脱いで本当の支援にでかけることができるように、世界が力をあわせるべきです。

あえてきれい事をいいます。

これ以上、悲劇を積むのはやめましょう。
せめてイラクの子どもたちの善意に応えてあけるべきです。
それこそ、本当の人道的復興支援です。


「イラク戦争写真集」

「人道のためという」戦争の現実をみることができます。
※幼児には見せないでください。心臓の悪い人はご遠慮ください。


先日、こんどの「人質事件」が報じられてすぐに日記で、これは始まりでしかないと書いたが、残念なことに的中してしまった。
イラク戦争突入以前から予測した、悪い予想がすべてすべて現実のものになってしまうことに空恐ろしさを感じる。
書きながらも、戦争がアメリカの言うように、あるいは軍事アナリストたちの解説していたように、短期に終結して民政移管が実現すれば、それはそれでやっぱりプロの慧眼と称えてあげればいいのかなとも思っていたが、結局しろうとの考えた方向に限りなく近づいてしまった。
もう、アメリカやその同盟軍が軍事力で平定するなどということは不可能だ。もし、そうしようとすればイラク市民をホロコーストなみに虐殺せねばならなくなるだろう。

こんど「人質」になったのはフリーのジャーナリストだ。
このイラク戦争の実態が伝わってくるのは、彼らジャーナリストの果敢な取材があってこそなのだが、仮にジャーナリストの命に手をかけるようなことになり、イラク内部での出来事をだれも伝えないことになったら、それこそネオコン連中の思うつぼになる。
ホローコーストが起こっても、その事実が見えなければ気兼ねなくできる冷酷さをもっている人々だから…。

責められて責められて恍惚がくる (4) 04月14日(水)


新聞の記事かコラムか忘れたが、米国のバイオテクノロジー会社が、食品から苦みを無くす物質を開発して特許を取ったということが書いてあった。
これを使うとコーヒーから苦みを無くし、砂糖が不要だということだそうだが、苦くないコーヒーなんてクリープの入らないコーヒーより味けないような気がする。
お茶に砂糖を入れて飲む外国人がいるそうだが、そこまでして飲むこともないのに、と思うのだが…。
山菜もいまが盛りで、蕗の薹やコゴミなどあのホロ苦さがあるからこそ“旬の味”だなー、と感じられる。もし苦みを取ってしまったら、ただの草になってしまうんではないだろうか。
「苦い」とか「渋い」とかいうのは、落ち着いていて趣味のよいことに使われることが多い。「苦み走ったいい男」「渋い調度品」など…。これは古くから日本人独自の美学から生まれてきた洗練された伝統のような気がするが、外国でもあるのかな。
最近は日本人の若者も欧米化されて、スタイルが良くなった。
スポーツ選手などばかりでなく、西欧人に見劣りがしないスタイルの人がずいぶん増えて、僕などは肩身が狭い。
まあ、顔でカバーするしかないかと思うのだが……(↑o↑)ハハハ 。
ただ、それとともに食生活や日常生活からも「苦み」「渋み」がずいぶん薄れてきている。
また、抗菌グッズなどの日常化や、ハエ一匹いない生活など、ちょっと刺激を押さえすぎているのではないかという気がしてならない。
よく、発展途上国の子どもたちが、ハエが真っ黒にたかった食べ物を平気で食べている映像などを観ることもあるが、彼らの親はもちろん平気で見ている。
僕の子どもたちも幼児期には部屋を這い回って、うっかりするとスリッパを囓っていたようなこともある。それで腹痛を起こした様子もないので、病害虫への抗体は、あるていど生活習慣のなかでできるのではないだろうか。いま、汚れたスリッパを囓ったら間違いなく下痢だろう。
回虫が居なくなってアトピーが増えたというが、そのへんにも因果関係の鍵がありそうだ。

話が変わるが、政権や権力批判も一種の「苦み」「渋み」「辛み」に相当するものだと思う。
当人たちにとっては苦々しい苦言も、大きな目でみれば大切な要素だとわかるはずだ。批判に耐える政策や方針を立てなければならないのだから、それによって政治的にも洗練されてくる。
しかし、批判勢力をとことん押さえつけるタイプの権力者はそこにあぐらをかくから発展性がない。余計に民衆からのつきあげを食うことになり、時間の長短はあってもほぼ間違いなく哀れな末路をたどるものだ。
ほどほどの批判勢力が機能してこそ、健全な民主国家が成り立つ。
ところが一旦権力を握ると、自分たちの都合の良いほうに形を変えたがるもので、日本の選挙制度などもずいぶん乱暴が通るように変えられてきている。社会の仕組みも、戦後徐々に体制側に都合の良い仕組みに組み替えられてきた結果、気がついたら日本の衰退が始まっていたということだろう。
小泉内閣も、衰退に歯止めをかけるべくアドバルーンだけは上げるのだが、いまのところ弱者へのしわよせでつじつまあわせをしているとしか思えない。こんどの「人質問題」でも、はじめから切り捨ててかかっているようだ。
そしてもっと癖の悪いことに、虎の威を借りる狐のように権力の側からしかものを見ようとしない人たちが、少なからずいるということだ。
こんどの「イラク人質事件」でも、被害者の家族に対してのいわれなき批判や、なかには人間性を疑うような行為を平気でしている人たちが出てきている。
これなどは傷口を見つけて這い寄るウジのたぐいといってもいいだろう。
弱者に対するイジメを平気でできる人間は、人生のどこかで手痛いしっぺ返しを食うときがいつかくるものだ。

こんどの事件も、日本国民も、ともに「渋み」「苦み」を経験して意気のわかる大人としての国家に成長するきっかけになって欲しいものだ。
きちんと「渋み」「苦み」を評価できる大人が増えてほしいな。

「人質」武装グループへの手紙 (7) 04月13日(火)


あらためて埴輪神登場

イラクでの人質事件は、その後の動きがみえないまま膠着状態に入っているようにも見えますが、舞台裏ではさまざまな動きがあるようです。
3人の救出に政府はアメリカにも協力要請をしたということですが、先に日記に書いたように、現段階では政府やアメリカが動かないことが3人の安全にとってむしろ重要なことであろうと感じています。
情報によると、高遠菜穂子さんを尊敬し慕うイラクの人々のグループが、救出のため拉致した武装グループに手紙による接触を図っているようです。
友人から届いたメールに、武装グループへ呼びかける手紙の内容が入っていましたから紹介します。なお、原文はアラビア語ですが、ここでは日本語に翻訳してあります。


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 以下は、高遠菜穂子さんの友人である細井明美さんの、イラクの
友人が、アルジャジーラ、アルアラビアを通して、高遠さんたちを
拘束しているレジスタンスに向けて届くよう送った手紙です。
 また、ファルージャ、ラマディ近辺に10,000枚配られたそうです
(原文はアラビア語)。呼びかけ人は、高遠さんと一緒にストリー
トチルドレンのために働いていたイラク人だそうです。(池田真里)
===============================


神の名において

サラヤ・アル・ムジャヒディーンの兄弟たちへ

 神が、わたしたちの国のためのよき計らいを祝福してくださいます
ように。神が、わたしたちの祈りをお聞きとどけくださって、この国
から悲しみが取り除かれますように。

 この手紙が、あなたがたのもとに届きますように。神は、この手紙
が真実のものであると知っておられます。この手紙があなたがたのも
とに届き、あなたがたが読むことは、神の思し召しでもあります。あ
なたがたの捕らわれ人となっている日本の女性、菜穂子さんについて、
神はあなたがたの知らないことを知ってほしいと望んでおられるから
です。わたしたちは、アルジャジーラの放送で、彼女が捕らえられて
いる3人のうちの一人であることを知りました。

 わたしたちは、菜穂子さんとほかの二人の日本人を、あなたがたが
大切に遇してくださっていると信じています。わたしたちの信ずる神
がそれを命じておられるからです。それは、わたしたちが偉大な先師
たちから学んできたことでもあります。

 この手紙は、あなたがたの行いまた企図を裁こうとして書かれたも
のではありません。そしてまた、わたしたちは、日本の軍隊(それが
正規の軍隊であろうと、日本政府がいうように復興支援の防衛軍であ
ろうと)の入国を支持するからこの手紙を書いているのでもありませ
ん。

 この手紙と添えられた写真は、ただひとつの願いから書かれたもの
です。菜穂子さんは、(もしあなたがたが人質を必要としているとし
て)、けっして人質とされてはならない人だということを知ってほし
いのです。

 この日本女性は、一個の人間として自ら強く望んで2003年5月
からバグダッドに来ています。その日から、イラクのホームレスのこ
どもたちの手に食物を、衣服を、医薬品を届け、長い間働いて貯めた
お金をそのためにすっかり使いきってしまうのです。この前、日本に
帰ったとき、菜穂子さんは、1カ月半ほど働いてお金を貯めて戻り、
イラクのホームレスのこどもたちのために使おうと計画しました。だ
が、活動はとても困難で、日本のお母さんといって菜穂子さんの帰り
を待つこどもたちのために必要な品々を買うお金を十分貯めることが
できませんでした。あなたがたが、菜穂子さんを捕らえたちょうどそ
の日、バグダッドでは、多くの人々が彼女を待っていたのです。

 サラヤ・アル・ムジャヒディーンの兄弟たち、わたしたち自身とイ
ラクの孤児たちのために、3人の日本人の人質たちを解放してほしい
という願いを聞きいれてください。中でも、菜穂子さんは、自分はひ
と切れのパンで満足し、わたしたちのこどものためにはたっぷりとパ
ンを求めてくるような人です。彼女は、イラク国民への深い思いやり
をいかに示すか、日本人にとってのよいお手本となっています。

 神が望まれ、あなたがたが3人の日本人を解放するなら、あなたがた
は、日本人に対し、あなたがたとわたしたちがともに望むことをなす、
善きチャンスを与えることになります。日本の人々は、いつもわたした
ちに味方しわたしたちの主張を支持していました。信仰と国を同じくす
るわたしたちの兄弟たちの多くがただ見ていただけのときにも。

なすべきは神のために。
アル・サラム・アライクム

ストリートチルドレン・イラク人活動家グループ
2004年4月9日


あたり前のことですが、イラクにもさまざまな人々がいます。
あくまで平和的に民政移管を望む人々、アラブ人としての誇りと尊厳のために占領軍と戦い抜くという人々、混乱に乗じて盗賊同然に振る舞っている奴ら、それらのはざまで戦禍に逃げまどう人々、etc……。

そのなかで、戦争のために孤児となり、その日の食べものもままならない子どもたちを救うため活動しているイラク人グループがいます。そのなかに入り、中心的な一人として活動してしていた日本人が高遠菜穂子さんです。

日本では、“好き勝手に行ったのだから死のうとどうなろうと勝手”という論調もあります。
その人々には、彼女らの支援なしには生きてゆけない孤児たちをおいて、日本に引き揚げることはできない、とする高遠さんの意志は理解できないでしょう。しかしそれは、大勢の孤児たちの命がどうなろうとかまわないというに等しいのです。

この「人質事件」には、日本のなかにさまざまな意見があります。発言の自由は民主主義国家として当然保証されるべきものですから、さまざまな議論を交わして民主主義を成熟させてゆくことは好ましいことです。

しかし、「自作自演だ」を思わせる手のこんだネタまで仕込んで、人々の思考や発言を混乱させる、愉快犯のような輩は、人間としての尊厳を放棄したに等しい、自らをゴミと同レベルに貶めたものと言って過言でないでしょう。

この日本に、大人としての民主主義国家が根付いてくれるのを希みたいものです。
高遠さん等のように崇高な使命感に燃える人のいのちを大切に願う人が増えて欲しいとねがってやみません。

付記
それにしても、こういうことができる人を品性卑しき者というのでしょう。
人質事件、高遠菜穂子さんの自宅に嫌がらせ電話相次ぐ

このように、日本人救出に向けイラクの人々も動きはじめています。
「ナホコの代わりに僕を人質に」高遠さん世話した子語る

もちろん、日本でもこころある人々ができる手を尽くしています。
倉本聰さんが家族に励ましの手紙 人質事件で



突然に窓から入る薔薇も死も (4) 04月12日(月)

銀河集会などと、楽しくあそんでいた間に世界はグルグルと廻っています。
イラク武装勢力による「人質」作戦は、無差別的に拡大されてきたようです。軍事的に圧倒的な力の差があると、レジスタンス闘争も、いきおいソフトターゲットへと拡大飛散してゆくのが常です。

・アラブ首長国連邦(UAE)の衛星放送アルアラビアは10日、「日本人を含む外国人30人を拘束している」と主張するイラク人武装組織のビデオテープを放映した。米軍の激しい掃討作戦が続くファルージャについて、「封鎖を解かねば人質の首は切られる」と警告した。
・バグダッド西部の国際空港に近いアブグレイブ地区で、イタリア人4人、米国人2人を拘束したと反米武装勢力が9日、ロイター通信に明らかにした。民間人か兵士かは不明。
・AFP通信は8日、スペイン人と米国人のグループが、イスラム教シーア派強硬派のムクタダ・サドル師が指揮する民兵組織「マフディ軍団」の人質になっている、との情報を伝えた。駐留米軍は否定している。さらに英国の民間人と、イスラエル系アラブ人誘拐の情報もある。

そのほかにも、中国人を拘束したというニュースも一時流れましたが、どうなったのでしょう。

紛争当事者でない第三者を人質にして、政治的であれ経済的であれ要求をつきつけるという手法は卑劣であり、許されざる行いであるのは当然です。この戦争に直接であれ間接的であれ荷担している人については別として、無関係な人々はただちに解放すべきです。
そういった意味では、イラクの宗教指導者らでつくる「イスラム宗教者委員会」が出した人質解放を呼びかける文章はタイミング的にも妥当な呼びかけとなりました。あとは犯人側が、早く応えて欲しいとねがうのみです。
このなかで「占領軍の協力者」について、アブドルジャバル師は「米国がイラク入国を正当化した者」を指すと説明しています。解放の対象となる人質は「占領軍の非協力者」に限定するという「線引き」をしたことを明らかにしました。
このなかで自衛隊は米軍協力者と認定されていますが、これはいきさつから、彼らにとっては当然の見方でしょう。
イラク国民によるレジスタンス闘争となった観の今では、占領軍に対する人質作戦、テロ的手法は、均等する武力をもたないものにとって、効果的な手段としてますます拡大してゆくことでしょう。

それはともかくとして、3人の日本人はもちろん、非戦闘員拘束者の開放を一刻もはやく願うものです。

人質作戦が卑劣な手法であることは当然ですが、アメリカ軍の無差別的な攻撃はもっと卑劣で残忍です。相手から届かない場所にいて、無条件に殺したり、恐怖と苦痛をあたえているわけですから、卑怯という意味でも別格です。
米軍の戦闘機や武装ヘリの攻撃によって、文字通り「生きたまま焼き殺す」「手足をもいで地獄の苦しみを味あわせる」を戦闘員、非戦闘員問わず、女、子どもにも与えているわけです。

無差別に人々を殺しながら「(アメリカ流)民主主義」を与えるという自己中の最たるアメリカの行為が、ますます「テロ」といわれるレジスタンスを拡大しているという事実こそ、アメリカが今すぐにも自覚しなくてはなりません。
現在のアメリカの手法は、世界をパレスチナ化しようとしているのか、とさえ思えてしまいます。
こんなアメリカの不条理に目をむけず、いまだイラクで行われていることは国際貢献だ人道支援だと、きれいごとを唱え、アメリカ軍のための側面的支援だといわない小泉政権の欺瞞性にもしっかり眼を向けなければなりません。

世論調査などによると、政権の支持率や自衛隊撤退問題に対する国民の反応は、ほぼ半々で拮抗しているようですね。人間としてどうあるべきか、という視線でイラクで起きているできごとを見つめつづけてほしいものです。

どのような場合にも共通するように、俯瞰してものを判断することと、ミクロ的に対処することとは相反する場合がよくあります。
こんどの人質問題でこの楽天内でも、人質の命という問題と、犯人たちとの交渉に応じることが妥当か否かというような原則論でぶつかっています。ものごとに、一方的にどの方向が正しいと決められることはむしろ少なく、たいがいどのような手法にもプラスマイナスの面をもっているものです。
より良い方向に、検証やときに妥協を繰り返しながらまとめてゆくしかありません。楽天内での、さまざまな意見も、良い方向をみつける糸口になって欲しいものと希っております。

少し気になるのは国会内ならともかく、匿名性をむねとするこんなバーチャルな世界でさえ、相手の意見を罵倒したり、封殺するような掲示板での書き込みがあることです。
主張の違う相手に対して、わずかな言質をとらえて罵倒する、かさにかかってののしるなどという行為は、書き手の貧相な人格を表しているだけで、いわば便所の落書きのようなものですが、それでもサイトの友人たちの眼にさらすことになります。

言論とは、投げつけるものではなくて、交わすことにこそ意義があり、例え自分と反する意見であっても、発言の立場を尊重しあってこそ、最低限の「民主主義」です。
この最低限の民主主義さえ否定する相手に、同等の礼儀を交わす必要はないでしょう、無視すればいいのです。

「人質事件」自分に置き換えて (8) 04月10日(土)




これまでも書いたように、イラクで武装勢力に日本人三人が拉致された事件は日本というソフトターゲットを狙った攻撃の始まりだという認識が必要だろう。
この時期に3人がイラク入りすることは無謀であり、その責任は自分にあるのだから(死んでも)やむを得ないという論調が少なくない。
仮に3人が僕の子どもか兄弟であれば、やはり命がけで引き留めただろう。
しかし、自分が当事者であったらどうなのか。たとえば高遠さんは戦火で親を失ったり傷ついた子供たちを助けるための医療救援活動をつづけてきた人だ。自衛隊が行か(け)ない場所で、イラクの子供たちのための献身は、高い信頼と感謝の気持ちを受けてきたという。
医薬品の不足するイラクでは、危険をおかしてもヨルダンのアンマンまで買い出しにいかなければならず、いままでも西村陽子さんなど日本人スタッフが行なってきた。この街道はアリババ街道と呼ばれ危険を指摘されていたが、いままで民間の日本人が襲われることはなかった。少なくとも自衛隊が派遣されるまでは…。
自衛隊派遣により、日本のアメリカ追従の姿勢がはっきりして、彼らをとりまく情勢が一変してしまったことにたぶん気づいてはいたのだろう。しかし、政府が決めたからといって一枚一枚紙を重ねるように続けてきた人道的活動を放り投げて帰国できるのであろうか。政府がどうようなきめ細かい活動を肩代わりしてくれるのであろうか。
また、劣化ウランの被害の様子を確認したいとした今井君の若者らしい正義感を単なる暴走と嗤うことができるであろうか、現地で起きている真実を伝えたいとして向かった郡山さんのジャーナリスト魂を、ばかばかしいムダごと切り捨てることができるだろうか。
もし僕が彼らと同じ状況や任務にあったとしたら、立ち止まることができたかどうか、正直なところ確信がもてない。

日本人にも、この三人の評価においては、180度さまざまな意見があるように、3人の活動を知らないイラク現地人も評価する人もある一方、自衛隊やアメリカのエージェントなどと同列に扱われる危険性は当然あるわけだ。どこの国にも、善意や理屈の通らない跳ねっ返りはいる、だから傍観していればいいと言えるのであろうか…。

この事件は、これからイラク以外の地域や、あるいは日本国内でも、日本人の活動形態を問わずターゲットにされる可能性は増してきていると思う。
この事件の解決の行方が、今後も同様な事件を拡散するか、終息に向かわせるのかの大きなポイントになると思う。

僕は、救出方法が無様だと、かりにどんな嘲笑を受けようと、命を優先する日本国であれば胸を張って尊敬し支持するであろう。



三人を無事に返せ! (自衛隊が撤退できる理由は) (6) 04月09日(金)

昨夜から「3邦人イラクで人質、自衛隊撤退を要求」というニュースで揺れている。
この事件については秀さんの日記で詳しく説明・解説されているので読んで欲しい。
この事件を「まさか本当に起こるとは…防衛庁、官邸に激震走る」という受け止めもあるが、なにをかいわんやだ。
自衛隊の派遣を決めた段階で、それまで非政府組織や民間ボランティアなどが積み重ねてきた実績や、イラク国民との良い関係を一掃することになり、あらためて、しばらく忘れていた日本国という強面の顔を前面に出して、対イラク関係を築かざるを得なくなったはずだ。
しかも、その決定がどのようにとりつくろうと、まず日米関係ありの決定であったことが明らかである以上、その反動がアキレスケンに向かってくることは、十分予測できた。

こんど拘束された三人は、それぞれの目的は違うが、国から派遣された人たちとは関係のない人たちだ。だから危険だ、安心だとはいいきれない。外国人によるイラク統治に抵抗する彼らにとっては、民間であるなしではなく、日本人という標的物にしか見えていなはずであろう。ましてや、アメリカにもっとも従順な国としての―。
ここまでの筋書きは、少しまともな論理立てができる人であれば、必然的に考えがおよぶところだ。だとしたら、事前にイラク人道支援や報道にたずさわる民間人の安全にとって何が必要かを考えて動いていくのが、国としてやるべきことではなかったろうか。

あえて言うと、これまで起きて欲しくないことの予測を書いてきて、残念ながら予測通りすすんできた。こんどの事件も偶然起きたものではなく、悪化するイラク情勢のなかで起きるべくして起こった出来事の、しかも始まりに過ぎないということである。
おこるだろう不幸の形は変わるかもしれないが、アメリカの強硬姿勢がつづき、日本のアメリカ追従がつづくかぎり、さまざまに形を変えて事件が起きてくるだろう。

もうひとつ留意しておかなければならないことは、こんどは日本人が絡み大事件として報じられているが、イラクではここ数日間に1日100人規模が戦闘に巻き込まれて亡くなっている。数え切れない事件が頻発している。
日本人絡みの事件がなかったことのほうが不思議なのである。ここまでは、過去民間のボランティアなどが積み重ねてきた、イラク国民への信頼醸成に支えられてきたといってもいい。
それが「自衛隊派遣」によって崩れた今、他の外国人同様日本人が巻き込まれる機会はいやでも増えてくるだろう。

日本のマスメディアが、日本人の身に何か起こったときに報ずるのは当然としても、日本人だけ安全であれば後は無関心とするような報道のあり方もいただけない。この三人の人質問題同様、イラクにはさまざまな非人道的な事件が起きている。
イラクに住んでいるというだけで、無差別的にミサイルを打ち込まれて命を落としたり、重い苦しみを抱え込んでいる人たちが数万といるのである。

この三人の人質問題の解決には、政府の大きな決断がないかぎり良い結果を得るには大きな困難が予測される。そして、もうひとつ心せねばならないことは、これが無事に片づいたとしてもすぐ後に、いくらでも起こるべき事態が控えているということだ。

政府にとって、自衛隊の派遣も何とか国民をいいくるめすすめてきた。いまさら撤退はしにくい決断であろう。「ここで引いたら各国の笑いものになる」という考え方もあろう。
しかし、イタリア軍に守って貰いながらサマワで「比較的安全だ」とのたまわった政治家や、サマワでの実質防衛を他国軍にゆだねなければ活動できない自衛隊のあり方こそ笑いものである。

いまはとりあえずは、三人の安全の確保に最大のエネルギーをつぎ込むべきである。
三人の生命を保護することが、いま何にも優先して政府がやらなければならないことである。
しかし、犯行グループとの交渉は政府筋よりこれまで民間で現地と通じてきた方々をとおしたほうが無難かも知れない。そのために最大限の支援をして、なんとしても無事に取り戻して欲しい。

そしてそのあと、列をつくって待っている事態をどのようにしたら防ぐことができるか。これは、政府の大きな決断を要する案件である。福田官房長官は「撤退する理由がない」と言ったが、国民の声に耳を傾ければ理由などいくらでもみつかる。















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