不幸は幸せの前兆~希望の灯火~


家庭内暴力・家の破産・親の失業・離散・夜逃げ・・・・・そして極めつけとばかりに、原因不明の難病に罹病しました。
次から次へと不幸が襲い掛かってきました。


「俺がいったい何をやったというんだ!」・・・・被害者意識にさいなまれ、次第に生きる気力を失っていきました。
そのたびごとに、希望の灯が私を思いとどまらせました。
希望の灯・・・・幼いころわずかにあった暖かさに包まれた経験でした。


それは、小学生のときのクリスマスのことでした。

家はとても貧しくて、欲しいものなど買ってもらえるはずもなく、「今年のクリスマスは何がもらえるかな」という周りの友達たちの話を聴くと、いつも劣等感にさいなまれていました。

ある日、堪えられなくなって両親に聞きました。
「ねー、なんでうちにはサンタさん来ないの?」

両親は言いました。
「サンタさんはね、いろいろな家を周っているんだよ。 きっと今年は来てくれると信じよう。」

クリスマス当日、枕元には手編みの手袋がありました。
母を見ると、ものすごく疲れた表情をしていました。
あとで聴いた話ですが、いつも遅くまで仕事をしていたはずなのに、そのうえ、手袋まで編んでくれていたのです。

そして、父も疲れていました。
夜な夜な編み物をする母を支えて、一緒に手伝っていたようなのです。

当時から両親は険悪でした。
しかし、我が子に贈り物をしたいという一心が、ほんのわずかばかりの接点をつくったのでした。
手袋は決して綺麗ではありませんでした。
でもほかの何よりも暖かかった・・・・・。
私が見たはじめての「希望の灯」だったかもしれません。


それからいままでの間、人生を投げ出したくなることが何度もありました。
しかし、そのたびごとに、希望の灯が私を止めたのです。
あのときに見た希望の灯は、いつも私を支えてくれていました。
不幸と思える数々の出来事が起こっても、希望だけは捨てませんでした。

そして、希望を捨てず自分と周りを信じた結果、数々の出逢いが起こり、その出逢いによって災厄を断ち切れたのでした。


どんな辛いときでも、どんな苦しいときでも、絶望ですべてを投げ出したくなっても、自分の生きる意志とあきらめず取り組む意思、そして希望さえあれば、きっと乗り越えられる・・・・そう思います。


人は、希望がないと生きることは難しいと思います。
しかし、希望があれば、たとえどんな災難や困難な状況でも、私たちは生きることができるとも思います。

どんなに自分が苦しくても、探すことをあきらめさえしなければ、そこには希望という一筋の光が必ず在るはずです。
希望を探す意志だけは決して失ってはいけないと思います。


そして、災厄を自分ひとりで乗り越える必要はないのです。
自分を信じている人は、たとえどのような状況でも輝いています。
そのような人には、きっといろいろな人が支えてくれたり力を貸してくれます。
その力を借りてもいいのです。


人は支えあうことができるから、人間は素晴らしい存在なのだと思います。
人と人が支えあう姿は、とても素敵です。
人の支えあう姿の輝きはすべての闇を払うものだと思います。


闇に包まれているときは、光を見る前兆です。
痛みや苦しみという闇を感じられるということは、感じる心があるということです。
痛みを感じることができるのならば、幸せを感じることもできるのです。
感じる心こそが、人間の持つ美しさと幸せの源だと思います。


闇が深ければ深いほど、光は輝いて感じられるものです。
深い闇を観る力があるということは、より輝く光を観る力もあるということだと思います。
あとは、見方を少し変えるだけなのでしょう。


自分を信じて、周りを信じて、いろいろな人に出逢い、希望を持ち続けてあきらめさえしなければ、人の輝きが闇を払い、光に包まれると思います。


光を見たとき、自分がたくさんの存在に支えられていることをあらためて知り、自分自身と周りのすべての存在に心から感謝できるときがくると思います。

感謝の体験は、周りの存在に対しての謙虚を同時に生みます。
「希望」「感謝」「謙虚」・・・・それらの宝物を見つけたとき、私たちの人生には感動があふれていることでしょう。


そして、感動の素晴らしさを知ったとき、自分は祝福されていることに気づき、幸せを感じるのだと思います。


人は、みな幸せで喜ばれる存在なのですから。

ご一読いただき、ありがとうございました。



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