宇宙は本の箱

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百年に一度の大不況?


何枚かある紙面を読んでいて思った。
補修工事が多い。マザーセンターの屋根の修理の延期、出版、指導など、本来の職務に専念はいいとして、あまりにあまりに多すぎる。
一体、なぜ、そんなに建物を必要としてしまったのか、お話出来るものならば、ちょっと師にお聞きしてみたいような気になった。
残された者の中には、それを維持することが使命のように生きる者もあるだろう。
私は安寿さんの草庵を思った。そしてヨゴダのたった数人しかいなかった学校を思った。
それがおそらく生涯最良の時というものだ。

ラジニーシの元に行った人がまだ八島遥雲を先生と呼んでいて、教祖と一緒に道を造っていたというあの、最も真理に近い所で魂を寄せ合っていた日々、額から流れる汗が玉のように輝いたであろうあの充実の日々。

『この大不況下で』資金が枯渇していることは読まずとも納得されるが、大不況下で一番苦しいのは下々の者達だ。

夕刊には安野光雅が百年に一度の大不況に疑問符を投げかけていた。戦後人が溢れ活気があったのは闇市だけで、人々は貧しい身なりで食べるために芋を植えた、街には旅行案内が溢れ、テレビではグルメ番組がいつも放映され、皆、着飾って街を歩いている。戦後の苦しさを知っている者に、これのどこが大不況なのかと。
ただ当時、希望はあったと。

それこそが問題だ!

希望は自分が見つけ出すものではあろうが、社会全体として、そこが問題だ。戦後焼け跡闇市派からすればなんでもないような世の中だが、だが、誰だとていつの時代だとて、今もうそこにある環境下で人は生きているのであり、そこにはもう今の時代の一般的社会生活を営むうえでのなんらかの基準というものが設定されてあるのであり、世の大多数の者が『目覚めた人』にはなれない以上、社会全体としての方向性はもっとも大切な話のひとつだ。エネルギー変換の話でもある。

安野光雅は書いていた。
自分の周りでは焼け跡を逞しく生き抜いて来た年齢の者が、芋を植え、野菜を植えていると。

一体いつから定年退職したら趣味に生きるだとか、好きな所へ旅行するだとか、年がいって動けなくなったらよい介護を受けられるようにするだとか、そんなことを流布しだしたのか。それは生活の中の一部であって、大部分ではない。定年退職したら孫の面倒を見て息子夫婦を助けてやり、山に入って柴刈りをしてやり、一家が食べられる程度の米と野菜を作る。老人を介護してやる施設を充実させることが重要のことではなく、同じ創る施設なら、身寄りのない、まだ動ける老人を共同生活させるなどして、一生自分の足で歩き、一生自分の頭を働かせることの出来る策を講じ、なんらかの形で存在を有意義なものにする、そんな施設を真っ先に建設すべきだったのである。

人間らしさを排除し、ただただマニュアル人間を作り出せば良いような、技術の進歩が安もんをええもんに見せかける技術で、多売せねばやっていけない世で、大量消費出来さえすればいいという考えなら、それは奴隷化していても何も思わぬ人間を生み出し、退化する人間達を生み出し、ではないのか。

逆転の発想で生きてきた時代はもう終焉を迎えてもよさそうなもので、それが百年に一度の大不況の真の意味ではないのかな?





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