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2011年07月07日
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タイトル「牛蒡(ごぼう)」(2010年文章講座で書いたもの。課題「他人を描く」)
『詩の朗読講座に参加して心に残ったことは、一枚の紙に作者の人生の年譜を作成してから、臨んでみてはどうかという講師の提案。その作品が生まれた年、その時代背景はどうであったのか。生活環境は、家族関係はどうだったのか。それらを理解した上で、はじめて作品を読むことができるのではないかというものだった。

参加者の最高年齢の女性が82歳。テーブル越しの距離は1メートル半から2メートル。・・・あれ?82歳なのに皺(しわ)がなさそうだ・・・。私は40年前にスケッチした70半ばの祖母の似顔絵を思い出していた。植物の葉脈を克明にスケッチするように、一本一本の皺を忠実に描いた記憶。それが、祖母を傷つけたのではないかと、大人になってから気づいたのだ。その頃の70代の女性は、おそらく皆、今の70代よりも老けていただろうと思う。

父は三男で、地元から離れ、遠方で仕事を持ったため、私と祖母との縁は薄かった。小学高学年あたりに、祖母のところに行った際に、絵を描いたというのが唯一の思い出である。祖母との接触はわずかだった。大人になって、所帯をもってから、戸籍謄本を取り寄せて、一枚の紙に図式化してみたことがあった。そこには、その人の生涯を物語る、年表の素材となる要点ウィークポイントが記されていた。出生。結婚。出産。死亡。その年月日と時間。誰が、いつ、届けに来たかなど。


そこで、気づいたことがある。昭和26年(1951年)、祖母53歳の年、家庭から3人の死者がでたこと。最初1月に77歳の姑を見送る。次に12月12日午前2時、夫が56歳で他界。その次は、なんと、その翌日午前5時、長女24歳が結核で逝く。病人を3人かかえつつ、子育てをしていたということなのか。ああ、その一枚の紙はおばあちゃん、あなたの人生という詩です。どんなに重苦しい坂だったか。最も辛い時期だったに違いない。経済的にはどうだったろう。実家からの援助はあっただろうか。その年、末の男の子がまだ7歳だった。生涯9人の子供を生んだ。

私が絵を描いた祖母70代半ばの頃というのは、小さな旅館を経営している二女のもとに落ち着いていた。長男家族、二男家族と上手くいかなかったからだと聞く。嫁姑の対立で、孫にあたる子供らは、母親に味方し祖母を敬遠したという。物事はっきりした気性ゆえ、言葉が辛口だったようだ。世話になっている二女に対してもズゲズゲとした物言いをし、悪いものは悪いと遠慮はなかった。

そこでの暮らしはどうだったろう。小さな旅館は住居も兼ねていた。台所は仕事場であったため、祖母が気楽に入りこめなかったのではないかと想像する。お祖母ちゃん、いま台所で、牛蒡(ごぼう)の味噌漬けを仕込みながら、あなたのことを考えています。あなたは牛蒡のような人だ。皮そぎなど手をつける迄がめんどう。が、いったん体に入ると善き滋養となり排毒もしてくれる。二十三回忌、あなたの魂が安らかでありますように。あなたにもっとも関心をもつ遠方の孫娘より。』





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Last updated  2011年07月07日 14時18分47秒
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