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2016年01月18日
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今朝、夫が出勤する際、玄関の外は荒れ狂っていた。
その空を目にして、今日が休みであることを、どれほど喜んだことか。

トクした気分だった。

大変なのは、出勤途中だけのことであって、会社に入れば、九時間、外の天気など関係なしに時間は過ぎてゆく。

だが、こうして家に籠っていられることを、ありがたく思えた。

近頃は、出勤途中の乗車中に、ノートにシコシコ、シャーペンで書いています。
読み直すときに、赤を入れたり、青で書き足したり、いろいろしています。

その書きなぐった文字をWordに書き写します。けっこう時間がとられるので、普段はなかなか出来ません。

今日、休みの日、非常にその作業が捗っています。


偏印の月であり、
偏印の日だからです。
それは、私にとって、
「書きなさい」
という意味の日です。

ああ、だから、エミちゃんと親しくなったのだな。エミちゃんは偏印の女性だからね。

彼女が、
「お母さんが大好き」と、言うとき、私は気分がよくなります。こちらの方に、その思いが乗り移ってくるように感じられるからです。

ああ、母のこと、一つとっても、かくことはありあまるほどです。

お母さん、昔、私によく言っていたよね。
「お兄ちゃんは言うことをきかないから本当はあまり可愛くない。


 お兄ちゃんが、結婚する前、私よく、お兄ちゃんのアパートに掃除に行って、お小遣い貰ったりしていたでしょ。その時、お母さんが、何回も私にこう言っていた、っていう話をしたの。

 お兄ちゃんが、
「それは違う」
「ほんとは違うんだよ」って譲らないの。


お兄ちゃんは、そう思っているかもしれないけれど、本当は違うの。
一番は私らしいよ。だって、何回も、何回も聞いたもん私。」

 「それがサ、だから、ちがうんだって」

 言い合いになって、結局、お兄ちゃんは、私が言っていることを理解できなくて、さらさら認めようとしなかったの。

 母が、にやにやしている。

 「ごめーん。ほんとうのことを言うと、お兄さんが一番なんだよおー。ごめんねー。わかってねえー。

 女の人はみんな、そうだと思う。初めての子供だからねえ。

生み終わったあと、ああ、私は○○さんの子供を生んであげたんだぞー。
なんとも、いえない達成感があってねえ。初めての子供というのは特別なんだよぉー。

ほら、○○ちゃんの時は、二回目だからね。 
もう経験があるから、生むときは、だいたい、こんなもんだなあって、わかっているからね。」

その話を聞いたのは、父の葬儀と納骨が終わって、翌朝、仙台に帰るという夜更け頃のことだった。
いったん二人は寝たあと、もっと話したくなって、私が起きだして、ベッドの母の枕元に寄り添って小声で話しをし出した時のこと。

私は感慨ぶかげに受け止めていた。
別段、ショックとか、さびしいとか、何とも思わない。ああ、そういうものかもしれないなあ。なるほどね。そうなのね。なーんだ、そうだったのかって。

母は私を信頼して、本当のことを、おしえてくれようとしているのだなあ。
今そう思いながら書いている。

本当のことを言ったからと言って、この子供は気を悪くなどしない。そう、わかっていたと思う。

この年になって、
母から、
「お兄ちゃんより、○○ちゃんが可愛い。○○ちゃんが一番。」
と言われても困るし、かえって気持ちわるい。

私は、母の言葉に満足した。
ああ、女の人はそういうものなのだ。
時々、そうでないという場合もあるだろうが、おおむね、そういうものなのだと、母は言いたかったのだ。

そして、先も長くないだろうから、本音を伝えておきたかったのだと思う。

母は年をとってから、何でも正直に話したがるところがあるようだ。
きっとそのために、言葉で損することが多々あるのではないかと心配する。

今回、私が、それを受けとめられるほど、成長していることを、見て取ったのだと思われる。

ああ、お母さんは、それほど、勘のいい人だってこと、わからないで、きました。

傷つきやすく、悲観しやすい。
人の本心が読み取れてしまうのだろうから、なおさら卑屈になりやすいのではないかと案ずる。
妙なプライドが邪魔して、それが、かえって厄介だったのだろう。

今の私には夫がある。
夫ひとりの中に、
父があり、
母があり、
兄がある。

もう、親の甘い言葉は要らない。
愛が自立したのです。
もう、こんなところにまで来たのです。

翌朝、兄が私を車で見送りがてら、途中、公園を散歩した。
そのとき、夕べのこの話を、兄に話して聞かせた。

「そんなふうに、わざわざ言わなくてもいいのにね」

おまえ、そんなこと言われて可哀そうだったね。なんだってまた、たまにしか会えない、娘の気持ちを下げるような、余計なことを言うのだろうね、まったくさ。というふうでした。

母の言葉は、それが全てではないということを私は知っています。それは断片的なひとかけらの言葉だということを知っています。

一番目が生まれた感激を母は抑揚をつけて、楽しそうに話して聞かせる。それは、もう何遍も。

また、二番目が生まれたとき、それが初めての女の子で、赤い肌の赤ちゃんだったから、きっと色白の可愛い女の子になるぞと、母が大好きなフランス人形を見つめるように、夢を見たのだろうと思われる。その話も何遍も聞かされて育ってきた。

その喜びようが、もう、うれしくて、うれしくて、と生き生きした調子で話す母親の十八番の物語である。それもまた、事実であっただろう。

そういう母が、この地に生存しているという事実。
私は、今、母を意識して毎日を生きていこうとしています。

■二〇一六年一月十八日(己亥)暴風雨





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Last updated  2016年01月18日 22時05分36秒
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