わっしよい、わっしょい

わっしよい、わっしょい

データ書庫としてのインターネットとの付き



 現在のインターネットは、データの宝庫として、なんらかの調べものをするとき、検索を掛ければ、ほとんどのデータを入手出来るようになっている。。。ように錯覚されているのではないだろうか。
 なぜか、それはインターネットの情報は辞書編纂者のような中立な立場で発信された情報よりも、なんらかの発信者の意図を持って発信された情報が多いということである。百科事典のような公平性を持ったデータとして捉えてはいけないということである。それは、発信者の都合の良いこと、フィルターの掛かった情報であり、完全性を要求してはいけないということである。
 このような情報を入手する場合、その情報がどのような立場で書かれた情報であるかを受け手が判断、見極める必要が有る。
 インターネットの普及により、他の情報媒体として紙媒体としての分厚い百科事典は不要になっている。これはさらに加速すると考える。インターネットが有ればほとんどの調べものについて用が足りるとなれば、他の手段で調べものをする事自体無くなってしまうし、他の媒体での情報ソースの存在価値も減少する。これは、利用者としてみると結構危険なことだと想われる。(ここではアカデミックな組織の存在を除き、一般大衆の行動を前提としている)
 また、インターネットのデータ量は確かに膨大である。検索サイトでキーワードを入れ検索すると、何万件もの検索結果が出てくる。インターネットのデータ検索で一番困るのが、検索結果が体系化されて出てこないことであり、キーワードマッチングで無作為に検索結果を吐き出すことである。(いずれ改善はされるのだろうが)従ってユーザは、上位の検索結果から見ていくことになる、誰も数万件のデータを全てチェックするなんてことはしないので、自分が必要とするデータの自分に一番都合が良いデータを見つけた時点で他の検索結果を見ることを辞めてしまう。これも体系化されずピンポイントで拾ってくるサーチエンジンを利用したデータ検索での限界がある。
 インターネットのデータを本当に使える人類のデータベースとし、公平性と信頼性を向上させるためにも、分類・体系化し、類型と関連性も含め提供してくれる検索エンジンの出現に期待したいものである。
(相当なデータ処理が必要だろうから、かなり先のことになりそうな気もするが、こういうこと考えるのは面白いですね)




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