非常に適当な本と映画のページ

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2009.08.12
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カテゴリ: 邦書

 第1回「島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞作。
 著者松本寛大のデビュー作でもある。
 この賞は推理小説界の鬼才島田荘司が唯一の選考人となっているのが特徴。受賞作はそのまま出版されたのではなく、島田荘司の指導により大幅に手直しされた、とのこと。


解説

真相は次の通り。
 遺体をリリブリッジ宅で焼却処分していたのはサリー。
 しかし、殺したのはサリーの母親イルマだった。
 イルマは、実はクロフォードの弟ジェニングスの娘エドナだった。が、60年前、列車事故に巻き込まれた。その事故では、クロフォードの幼い娘アディソンが死亡し、クロフォードの妻マリオンが失明していた。クロフォードは、娘が死んだと知ったら妻はショックを受けるだろうと考え、生きていた弟の娘を自分の娘とした。そして、死んだのは弟の娘であるように装った。まだ赤ん坊だったので、すり替えは可能だった。すり替えの事実を隠す為、クロフォードは別の場所にいて列車事故に巻き込まれなかった弟を殺害してもいた。クロフォードと弟は元々不仲だったのでできた行為だった。
 エドナ・クロフォードとして生まれながらもアディソン・クロフォードとして育てられ、後にイルマ・リアリーとなったイルマは、ふとしたことで殺人を犯すことになり、娘にその遺体(クロフォードの息子だった)を始末させたのだった。

 ……正直、自分で入力していて訳が分からなくなっている。
 というか、上記がどこまで正しいのかも分からない。
 絶対全てを把握していないだろう。
 把握していないところで、正直痛くも痒くもないが。

 本作は、新人作家のデビュー作、とのことだが……。
 その割には既視感がある。
 そう。島田荘司の新作を読んだような既視感。本作で取り上げられている相貌失認という病も、やけに奇病を小説に盛り込みたがる島田荘司そのもの。
 仮に相貌失認がなかったとしても、作中に双子が登場し、お決まりのすり替えがあるので(双子同士のすり替えだけではないが)、それだけで既視感を抱いてしまう。
 新人作家のデビュー作であるにも拘わらず、フレッシュさがあまり感じられない。

 一番の問題点は、本作で取り扱われている事件そのもの。
 本来なら、「コーディ君、君は不審人物が遺体焼却を目撃したんだね? その不審人物とは誰だね?」「知人のサリーさんです」「そうか。じゃ、彼女から事情を聞こう」で済んでいた事件。
 にも拘らず、非常に稀な、大抵の人には何のことだか分からない疾病を持ち出して「これは物凄い怪事件ですよ、読者の皆さん!」と著者だけが勝手に騒いでいる。
 こちらとしては、「そんな病本当にあるのかね。この小説の為に作り出した架空の疾病では?」という疑いが最後まで晴れず、のめり込めなかった。

 登場人物がどれも特に印象に残らないのも問題。
 主人公は結局誰だったのか。
 バロット刑事は、最初は頻繁に登場するが、トーマが登場するのと同時に脇役に甘んじてしまう。
 では、謎解きに挑むトーマが主人公なのか、というとこれもちょっと疑問。
 あまりにも普通なのだ。
 いわゆる新本格推理にありがちな変人奇人が主人公だと、読んでいる内に主人公の言動が鼻について本を閉じたくなる。一般感覚を持ち合わせた普通の人間を主人公にできなかったのかと願うようになってしまう。
 小説の主人公が凡人であってはならない、という法則はない。主人公がごく普通の人間であっても、不都合はないのである。
 が、本作のトーマほど平凡で、特徴がないと、登場人物というより単なる記号になってしまい、全く感情移入できない。
 先程のバロット刑事も、人物像がまるで掴めず、結局は記号の域を超えていない。
 目撃者のコーディも、精神疾患を抱えているということ意外はこれといった特徴がない。
 登場人物が全て記号なのである。
 記号でも、識別できる程度の少人数なら結構だが、この小説、やたらと登場人物が多い(舞台が現在、17世紀、1960年代と飛ぶから)。途中で区別が付かなくなる。登場人物のリストが提供されているのがせめての救い。
 こういうこともあり、登場人物らに関心が高まることはなかった。
 せめて主要な登場人物に親近感を沸かせる特徴を持たせることはできなかったのか。
 親近感でなくてもいい。共感。いや、共感ほどでなくても、理解。もしくは納得。
 それくらいできるキャラクターにできなかったのか。
 好印象を与えられるキャラを創造するのが難しいのは理解できるが(アメリカの小説にありがちな仕事でもプライベートでも難問を抱え込んだ高血圧症まっしぐらの人物だと馬鹿馬鹿しくて共感が沸かない)。

 ストーリーのテンポもあまりよくない。
 コーディが検査を受けては「この子は人の顔を識別できない」という診断が下される場面が何度も描かれていて、その間にバロット刑事の捜査の模様が描かれているのだが……。
 単純な事実を解明するのにやけに時間がかかっている感じ。
 そもそも、なぜバロットが早い段階で次のように考えなかったのかが理解できない:

「死体を焼却していた不審人物は、コーディに気付いた。なぜ不審人物はコーディを捕まえ、殺すとかしなかったのだろう? 体力的に劣っていたから? 大の大人が11歳の少年より体力的に劣っているとは思えない。もしかしたら不審人物はコーディを知っていたのではないか。そしてコーディが相貌失認という疾患を抱えていることも。そう。顔を見られても警察に証言できないことを知っていた。だから捕まえて殺す必要がなかったのだ。コーディの疾患について理解している人は少ない。親か、知人のサリーくらい。だから犯人はそれらに絞られる」

 ……こう考えられたら、コーディの目撃証言に頼ることなくサリーを追求していただろう。
 150ページで充分事足りる事件捜査の描写に370ページもかけているので、非常に間延び感がある
 やけに間延びしていて、核心になかなか向かわないので、これでどうまとめるのかな、と思っていたら、最後になってドタバタと様々な「真相」が暴かれ、事件は解決。めでたしめでたし。
 間延びしたストーリー編に、ドタバタした解決編。
 ギャップがあり過ぎて、読んでいる方は完全に置いてきぼり。
 その意味でもストーリーのテンポの悪さが際立っていた。

「ある廃墟で殺人事件が発生。その場に偶然にも居合わせた少年がいた。少年は犯人の顔を目撃していた。しかし、ある精神的な疾患で、人の顔を記憶できなかった。犯人を再び目の当りにしたとしても、証言できないのである。警察は真相をいかにして究明するのか?!」
 ……という発想で生まれた今回の小説。
 一見すると、着目点が良かったものの調理の仕方がまずかっただけの感があるが、よくよく考えてみると着目点がそもそも良かったのかも疑問に思う。
 どう調理すれば面白く仕上がっていただろうか。
「目撃者の病状について知らなかった犯人は、目撃者を始末する為少年を追う。逃げる少年。少年の運命は? 犯人は一体何者なのか?」
 ……というサスペンスタッチの展開にしてしまったら、そこらに転がっているアクション物になってしまい、新鮮味がない。少年を相貌失認にする必要性もない。
 結局、どう調理しようと無駄だったと思われる。

 本作は、上述したように、「島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞作。
 一般的な新人賞は複数の選考員がいて、協議の結果受賞作が決まる。
 協議すると、どうしても選考員の間で遠慮したり、妥協したりしてしまう。一人の選考員が「これはこれは!」と思う応募作に出会ったとしても、他の選考員の反応が鈍かったら、その応募作は落とされ、日の目を見ない。
 この新人賞はそうした事態を回避する為、選考員は島田荘司一人とした。
 これにより、選考員が「これはこれは!」と思ったものは直ちに受賞作になれる。
 ようするに、受賞作は妥協の産物として決まるのではなく、選考員の意思がストレートに反映されるのだ。
 それはそれで喜ばしいことなのだが……。
 今回においては、選考員の意思(というか思想)がストレートに反映され過ぎた感じ。
 小説界に新風を巻き起こす新人を世に出したというより、自身も小説家である選考員島田荘司の小説作法や創作論を新たな形で表現しただけのようなのだ。
 島田荘司が「実は松本寛大というのは私の新たな筆名なんですよ! どうです、皆さん! 驚きましたか? ハハハハハ!」と後々発表する大どんでん返しが待っていたとしても、不思議ではない。
 そうなったらまさに「真実は小説より奇なり」であるが。


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Last updated  2009.08.12 22:42:47
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