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TBS「THE世界遺産」の放送を見ていたら「ビクトリアの滝」でした!丁度1年前の事なのに!もう~すっごい昔に思えて来ました。1年で一番水量が多い6月にヴィクトリアの滝に訪れびしょ濡れになりました。 TBS「THE世界遺産」のHPは、こちらですポチ! ヴィクトリアの滝」は、 イグアス、ナイアガラと並ぶ世界三大瀑布 この地に暮らしてきた人々は 「モシ・オア・トゥニャ(轟音とどろく水煙)」と呼ぶ 大河ザンベジの水は、 幅1700メートルの水のカーテンとなり、 滝つぼへ落下 激しい水しぶきは、 乾燥した地に雨のように降り注ぎ、森や野生動物を育んでいる。 「滝の化石」と呼ばれる不思議な景観は 1億8000年前の火山活動で誕生した玄武岩台地を、 長い年月をかけて滝の水流が削り取った跡。 現在の滝は、8番目の滝といわれている。 滝の下流のジグザグに流れる峡谷がこれ 上空から見ると凄かった・・・ 地球の歴史を感じますよね! 実は、新たに 9番目の 滝が この辺りから 出来始めていると言うが・・・・9個目の滝を人類は、見れるのだろうか? そんな話を聞けた今日の放送でした!何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→滝ありがとう
2009.06.14
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楽しかったボツワナとジンバブエともお別れです。13:50発・南アフリカ=ヨヘネスブルグへは、1時間40分の飛行機の旅です。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・最終回 ジンバブエ ビクトリアフォールズ空港 13:50発 BA-6282 ネパールで見た大きな赤いハカリがある! トランクの計測は、やはりアバウトです。 荷造りは、ガムテープでトランクをグルグル巻きにします。 手書きのボーディングパスは、珍しいですね。 いよいよ アフリカの北朝鮮ジンバブエともお別れです。 何より 無事に南アフリカに荷物が着くことを祈るばかり・・・ ジンバブエ ビクトリアフォールズ空港 13:56発 飛行時間 1時間40分 機内食 サンドイッチにはPERONIビール 世界最大の塩湖 マカディカディパンが見える 南アフリカ ヨハネスブルグ空港着 15:30 『南アフリカ旅日記』・・・第4回 南アフリカと言えば ダイヤモンド 厳しい(ドキドキ)セキュリティのダイヤモンド店へ ツアーの宿命だけど・・・あんまり良いダイヤモンドとは思えなかった。 私たち目が肥えてますから・・・勿論 買いませんよ! 夕食は、中華レストラン LOTUS 蓮園 一番始の昆布炒めが一番美味しかった 次々と出てくる中華料理 中華レストランは世界共通で出てくるのが早いっ! メインだらけのディナーって・・とっても贅沢でした何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→ごちそうありがと
2008.09.05
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【世界遺産】ビクトリアフォールズの見物は、ずぶ濡れで・・・何が何だか分からない程の興奮と感動・・・・燃え尽きたと言う印象だった! アフリカ『ジンバブエ旅日記』第25回・・・ビクトリアフォールズ編 今回の現地ガイドさんは、 180cm以上で 100kgもある大きな方 ビクトリアフォールズ見物が始まってすぐに きらり。の大きなレインコートを見て笑う 「このレインコートは、大きいですね!僕のサイズだ!」 確かに 現地ガイドさんが、右手に持っているコートは、 着てみると 全く 前のボタンが とどいていないっ 「このレインコートは、私のサイズよね」 むむ~っ! 私の 上海自転車カッパを狙ってるな? 本当は、捨てるつもりで持ってきた物 きらり。「あ~ホントにガイドさんのサイズよね!帰りにプレゼントするわ」 現地ガイドさん むっちゃ~嬉しくって ず~っと ビクトリア滝の観光に付き添ってくれたのでした。 プレゼントして嬉しそうにコートを着ています! 顔が、大きすぎて フードがパツンパツンですが・・・ 今でも 着てくれてるかしら? バスに乗る前に 入口では、要らなくなったビニールコートを ミネラルウォーター1本で買い取ってくれます。 ビニールコートのレンタル店があります。 傘は、全然駄目ですから、必ず上下スーツで行かれる事をお勧めします。 登山用が最適みたい 靴もずぶ濡れになにますので、滑らないクロックスお勧めです。 カメラは、防水カメラ 水中カメラ もしくはシャワーキャップかけて お掃除の女の子達 滝の公園は、とっても綺麗にお掃除されています。 彼女達が、私たちについて周りながら、お掃除していました。 一緒にハンモックに乗ったり楽しかった♪ そうそう~観光客は、ほとんど私たちだけで貸切状態だったんです。 公園内の治安は、良好。 【世界遺産】ビクトリアフォールズ・・・・アンコール編 滝 滝を見るのはこちら側を歩く。。。。。。。。 1)デビルズ・キャタラクト Devil’s Cataract 2)メイン・フォールズ Nain Falls 3)ホースシュー・フォールズ Horseshoe Falls 4)レインボー・キャタラクト Rainbow Cataract 5)アームチェア・フォールズ Armchair Falls 6)イースタン・キャタラクト Eastem Cataract ビクトリア編 おしまい何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→お掃除ありがとう
2008.08.27
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アフリカのジンバブエ【世界遺産】ビクトリアフォールズの滝には、6つの名前がついている。いよいよ雨カッパとクロックスと日本手ぬぐいが活躍し始めた探検であります。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』第24回・・・ビクトリアフォールズ編 最高のビューポイントへ 素晴らしい! デビルズ・キャタラクト メイン・フォールズ ホースシュー・フォールズ Devil’s Cataract Nain Falls Horseshoe Falls 滝は、次第に高く水しぶきをあげ霧となって滝にベールをかぶせてしまう 3)ホースシュー・フォールズ Horseshoe Falls 4)レインボー・キャタラクト Rainbow Cataract 時折 集中豪雨並みの大粒になり・・・ 滝は、ほとんど見えていない ただ 滝がありそうな方角にカメラを向けシャッターをきる! ビクトリアさん そんなに自己主張しないで! 4)レインボー・キャタラクト後ろには、大きな大きな虹が・・・ あれ~もしかすると・・・その上にも薄く虹が・・・ 5)アームチェア・フォールズ Armchair Falls も~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ とうとう何も 見えましぇ~ん バケツを ひっくり返した様な雨 いえいえ これは、滝のしぶき 岩は、ツルン ツルンで 滑りやすい そんな 豪雨 いえ 豪滝に負けては駄目です! その先に も~それ以上行けば命が~~~~~~~~っ! ここがデンジャーポイントです きゃ~っ! きゃ~~怖い~~~っドキドキ 足を滑らせたら命が~~~っ! でも見たいのぉぉ~~ ずぶ濡れになりながらカメラだけ突き出して1枚だけパチリっ 滝が右に急カーブして激しく むっちゃ~激しく流れてゆきます 6)イースタン・キャタラクト Eastem Cataract 2本の虹にまた嬉しさが倍増 滝は、深い渓谷を造りながら橋をくぐる 橋の中央には「バンジージャンプ」がある! 高さ111mの世界屈指の大ジャンプだそうですが ここを飛ぶには、パスポートが要ります! どうして? この橋は、ジンバブエとザンビアの国境だったのです。何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→刺激をありがとう
2008.08.26
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アフリカのジンバブエ【世界遺産】モシ・オア・トゥンヤ=ビクトリアフォールズは、横幅が1700mその流れ出る瞬間を歩きながら目の前で見る事が出来るのであります。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』第23回・・・ビクトリアフォールズ編 ビクトリアフォールズは、6つの部分からなる 1)デビルズ・キャタラクト Devil’s Cataract 2)メイン・フォールズ Nain Falls 3)ホースシュー・フォールズ Horseshoe Falls 4)レインボー・キャタラクト Rainbow Cataract 5)アームチェア・フォールズ Armchair Falls 6)イースタン・キャタラクト Eastem Cataract ジャングルを抜けると・・・・・ カッパ姿 2)メイン・フォールズ Nain Falls が見えて来た! うぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ きゃ~~~~~~~~~~~~~~っ!素晴らしいです! 滝壺は やはり見えない! 素敵な人を前にすると しゃべれない様に 絶景を前にすると 言葉が出ない! 横に水平に流れる滝は圧巻ですゴゴゴゴ~~~~っ 2)メイン・フォールズ Nain Falls 高さ93mでした何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→絶景ありがとう
2008.08.25
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【世界遺産】ビクトリアフォールズは、アフリカ南部のザンビアとジンバブエの国境を接しながら流れ落ちる壮大な世界三大瀑布のひとつであります。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第22回 ビクトリアフォールズ編 ビクトリアフォールズの入口に到着 WELCOME TO MOSI-OA-TUNYA VICTORIA FALLS ZIMBABWE ユネスコの世界遺産であるモニュメント 現地語では、 モシ・オア・トゥンヤ MOSI-OA-TUNYA 「雷鳴の轟く水煙」 の意味であります。 この滝は、 古くから現地の人は、知っていたらしい? 1855年 英国人探検家 デビッド・リビングストンにより発見されました。 発見したリビングストン像は、 滝を発見した場所に立っていた! きらりは 水浸しになるから・・・って 上海の自転車カッパを着て 裸足に クロックスを履き デジカメは、 シャワーキャップに入れ髪留めで結んだのに それ程 水しぶきが無い!? まだまだ 滝の凄さを軽んじている きらり 晴天で、リビングストーン氏も気持ちがよさげ ここで、リビングストーン氏は、滝を見つけたのね! その先には、いきなり【世界遺産】ビクトリアフォールズがあった! 滝の水はここから 1年で、一番 滝の 水量が多い この時期 滝は 左から流れ 飛び出す もの凄い轟きとともに・・・ 飛んで そのほとんどが 空中へと舞い上がる 「雷鳴の轟く水煙」 の意味は、この事か! うぁ~~~ うぁ~~~ これが、ビクトリア滝 一番先のビューポイント デビルズ・キャタラクト(Devil’s Cataract) 滝壺は、どこかな? 下は、深くて全く見えないっ! 最も深い滝壺は 108mもあり ビクトリア滝の 幅 1700m 6つに分け 横に長~い 滝が並ぶ ビューポイントは、14箇所もある。 私たちは、その切り立った滝の正面に沿って1700mを歩いて見物する。 デビルズ・キャタラクト(Devil’s Cataract) 一番先に見える滝を もう1箇所のビューポイントに降りて見上げると 水煙が立ち昇る 正直言って 肉眼では ほとんど 見えてない!!! 霧が雨となって ポツポツ降って来た! カッパが活躍し始めた 現地ガイド デュミさんが上から見て笑ってます 彼は まだ カッパを着ていない 普通は、ガイドさんは、ここまで案内に付いて来てくれないそうですが・・・ ビューポイントへ降りたり 登ったりはキツイ 次のビューポイントへ 今度は、真正面からの デビルズ・キャタラクト(Devil’s Cataract) もの凄い 轟音と供に なぜか 笑ってしまうほどの大迫力です 滝は、1.7km横に長いと言う・・・・これからが楽しみ♪ワクワク何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→迫力をありがとう
2008.08.24
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ビクトリアフォールズを発見した「デイヴィッド・リヴィングストンの生涯」後編 愛する妻の命を奪ったアフリカだったのに・・・何故また戻るのか? デイヴィッド・リヴィングストンの生涯・・・アフリカに死す 長い話の後半ですから読まないで下さい フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 第三次アフリカ探検 -- アフリカでの死 西側を流れる支流が白ナイルリヴィングストンはボンベイを経由し、 1866年1月16日にザンジバル(現タンザニア)へ到着した。 3月22日にはルブーマ川の河口に到着、4月4日に内陸部へ入っていった。 当初は各地から集められたポーターは36人いたが、 脱落者が続出し、最終的には4、5人しか残らないほどの過酷な旅程だった。 マラウィ湖を経由し、タンガニーカ湖の南側を目指して北北東へ進み続けたが、 行く先々で奴隷商人の妨害に遭う。 かれらに買収されたポーターはリヴィングストンは暗殺されたという虚偽の報告を行い、 リヴィングストンの医療道具一式が入っている鞄を盗んでしまったと言われている。 1867年には苦難の果てにタンガニーカ湖にたどり着き、Moero湖を発見し、 翌年1月18日にはさらにバングウェル湖(en:Lake Bangweulu)を発見したが、 飢餓と体調の悪化に苦しみ、一旦タンガニーカ湖畔の村、ウジジへと戻ることとなった。 1869年7月から1871年の10月にかけては、静養を行いながら、 ウジジ近辺の探索を行うことに費やされ、宣教や説教を頻繁に行った。 1871年3月29日には、 ルアラバ川(en:Lualaba)の岸辺で、1,500人もの奴隷が虐殺される場に偶然立ち会った。 これはリヴィングストンが実際に目撃した中では最悪の事態であり、 奴隷解放のために立ち上がろうとしたものの、その力は残っておらず、 ウジジで静養を余儀なくされていた。 この間、イギリス国内では消息を絶ち、 死亡説まで流れているリヴィングストンを探索する動きも出ていたが、 過酷な旅に加えて現地での妨害もあり、失敗続きであった。 1869年10月、 ニューヨーク・ヘラルドの経営者であるジェームズ・ゴードン・ベネット・ジュニアは、 ヨーロッパ滞在中に、特派員の1人であるヘンリー・スタンリーに電報を送り呼び寄せた。 スタンリーはリヴィングストン捜索の依頼に承諾し、 莫大な資金提供と、発見が成功した際の報奨金を約束された。スタンリーはただちに出発したが、 他の取材のためパレスチナ、エジプト、インドなどを訪れていたため、 インド ウジジにたどり着いたのは1871年11月10日であった。 スタンリーはウジジ近辺でリヴィングストンの従者と遭遇し、 従者に導かれて本人と対面した。 骸骨のようにやせ衰えた姿を見てスタンリーが発した 「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか」 "Dr. Livingstone, I presume?" のセリフは、 のちにイギリスで思いがけず人と対面した時の挨拶として使われるようになるほど、 劇的なエピソードとして伝えられた。 2人はタンガニーカの北端までの探検を行うなど、4ヶ月をともに過ごした。 スタンリーはリヴィングストンに帰国を強く勧めたが、リヴィングストンはナイルの水源を突き止めるため、 さらに探検を続けることを望んだ。 スタンリーは1872年3月15日、イギリスへ向けて旅立ち、 5ヵ月後にリヴィングストンの許に57人の従者と十分な物資を送った。 8月15日にリヴィングストン一行はバングウェル湖へ向け出発し、 翌年4月29日にはバングウェル湖南側の村、チタンポへたどり着いた。 しかし、日記に探検の記録を書き付ける余力もないまま、 5月1日、マラリアの複合症により息を引き取った。 彼の従者たちは深く悲しみにくれながらも、彼の残した日記、資料、携行品などを防水の箱に入れ、 彼の亡骸に簡単な防腐処理を施してザンジバルへと運んだ。 亡骸はザンジバルで埋葬されそうになるが、 故郷のあるイギリスへ返すべきだと従者が主張したため、 海を越えてイギリスへと運ばれた。 1874年4月18日、 無事イギリスへ到着した亡骸は左腕の傷跡により確認されたのち、 ウエストミンスター寺院へ葬られる。 リヴィングストンの残した資料と日記は、 彼の友人により "Last Journals of David Livingstone in Central Africa" (『デイヴィッド・リヴィングストンの中央アフリカでの最後の日記』) として編纂され出版された。 リヴィングストンのアフリカ大陸での移動は 数万マイルに及ぶと推測されており、 その生涯で南北では赤道近辺からケープタウンまで、 東西ではインド洋から南大西洋までを旅したことになる。 彼が果たせなかったナイルの水源の探求は、 意思を継いだスタンリーによって、 ルウェンゾリ山地にある水源が発見されたことにより、 19世紀の論争にはほぼ決着が付いた。 アフリカ史における功績 ザンビアの都市Livingstoneにある記念碑リヴィングストンのアフリカ史、 およびヨーロッパ列強のアフリカ観における影響は甚大である。 第一に挙げられるのが、 リヴィングストンの第一次アフリカ探検以前は、 アフリカは「暗黒大陸」(Dark Continent)という名が示すとおり、 一部を除きほとんど知られておらず、 古代ローマ期アレクサンドリアの地理学者プトレマイオスから得た知識からほとんど進展がなかった。 しかし、リヴィングストンは 探検中に天体観測による測量術を身に付け、 ほぼ正確に地図を作ることができた。 その地理上の発見はイギリスに手紙で伝えられることにより、 ヨーロッパ各地でアフリカの地図が作成されることとなり、交易のルートがそこから生まれた。 しかし、リヴィングストンの開拓した交易ルートを最も利用したのは、 象牙商人などではなく、奴隷商人たちであった。 中央アフリカへのルートが開拓されたことで、 その地域の奴隷狩りがは頻繁に行われるようになった。 そのため、インド洋を中心とした奴隷貿易はむしろ活発化してしまい、 ザンジバルの奴隷市場は中央アフリカ最大と呼ばれるまで成長した。 著書や手紙で再三ポルトガル領やスルタンによって行われている奴隷市場の廃絶を繰り返し訴えていたため、 危機感を抱いた奴隷商人に探検中に何度も妨害され、時には暗殺されかかった。 彼の運動は1871年、国民からの庶民院への要望提出により実を結び、 数ヵ月後、ザンジバルの奴隷市場は閉鎖された。 アフリカ大陸での奴隷貿易はそれからも各地で細々と続けられ、 のちにヨーロッパ列強がアフリカ政治へ介入する口実となり、 列強はアフリカ分割へと突き進むこととなる(en:African slave trade参照)。 列強のアフリカ進出においてリヴィングストンよりも直接的な影響を与えたのがスタンリーである。 彼は優秀な探検家である一方、ベルギー国王レオポルド2世の委託を受け、 アフリカ各地の集落の族長などに貢ぎ物を与え、コンゴ自由国の建国などで多大な役割を果たした。 探検家でありながら結果的にヨーロッパの植民地支配のために尽力することとなったスタンリーに対し、 リヴィングストンは、自身ではあくまでも自分の第1の目的は宣教であり、 探検はその拠点を探索するための手段であると著書の中で述べている。 彼の功績により、ヨーロッパからの宣教師の流入は格段に増え、 彼の著書に触発され、宣教師を志す若者も増えたと言われている。 ザンビアには彼を称えた都市リヴィングストンがあり、 今も彼の記念碑と彼の資料を集めた博物館が建っている。 長い長い「リビングストンの生涯」を読んでいただいてありがとうございました。ビクトリア滝を見るにあたり、こんな知識を持っていたならば・・・感動もひとしおであります。何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→探究心ありがとう
2008.08.23
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ビクトリアフォールズを発見した「デイヴィッド・リヴィングストンの生涯」前編 19世紀当時アフリカは暗黒大陸と言われ、そのアフリカを縦断する事は、 20世紀の月着陸に匹敵する快挙でありました。 デイヴィッド・リヴィングストンの生涯 ご迷惑ですので、長いので読まないで写真だけ見て下さい デイヴィッド・リヴィングストン フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より David Livingstone デイヴィッド・リヴィングストン (David Livingstone、1813年3月19日-1873年5月1日)は、 ヴィクトリア朝期のスコットランドの宣教師であり、 ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていた アフリカ大陸を横断した探検家である。 また、現地の状況を詳細に報告し、 アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもある。 略歴 誕生 -- 第一次アフリカ探検 リヴィングストンは、 1813年、スコットランドのラナークシャー地方、ブランタイア (en:Blantyre, South Lanarkshire)で生まれた。 生家は貧しく、10歳の頃から近所の紡績工場で働くことを余儀なくされるが、 聖書、ラテン語等の学問への意欲は旺盛であった。 彼は日中の工場での仕事中に本を読む工夫をしつつ、 仕事が終わってからは夜間学校で熱心に勉強をした。 この時期に中国、朝鮮、日本で宣教を行ったオランダの宣教師、 Karl Friedrich August Gutzlaffに深く感銘を受け、 宣教師になり、 中国で医療を施しながら布教することを志すようになった。 1836年、グラスゴー大学に入学、 長期休暇の度にブランタイルへ戻って工場で働きながら、 医学と神学を学ぶ。 1838年にはロンドン宣教師協会へ入会し、宣教師としての研修を受ける。 1840年から始まった阿片戦争により、彼の中国行きは頓挫してしまうが、 同じくスコットランド人でアフリカ大陸に渡った宣教師ロバート・モファットと知り合い、話を聞きアフリカでの宣教に魅了される。 宣教拠点をアフリカへ変更したリヴィングストンは、南アフリカ支部の宣教師として派遣されることとなった。 1840年12月8日、 蒸気船で当時イギリス領であった南アフリカへ出発、 ケープタウンの港 ケープタウンへ到着後移動し、ボチュアナランド(現ボツワナ)のクルマンに居を構える。 ロンドンの監督官からの指示を待つ間、 布教の拠点となる地方を探し、アフリカ内陸部を北上し方々を探検、 クルマンから北東方向へ200マイルの地点にある、Mabotsaを第一の拠点に設定する。 その直後、夜間に野生のライオンに襲われたリヴィングストンは左腕に重傷を負い、死後その傷は彼を識別する身体的な証拠となった。 1844年、クルマンにてモファットと合流したリヴィングストンは、同行していたモファットの長女メアリーと結婚する。 リヴィングストンはモファットの反対を押し切り、メアリーとともにMabotsaへに移動した。 1846年まで2人はMabotsaに滞在し布教と医療を続けるが、現地の民族の反発もあり、 その後もしばしばより多くの現地人を布教できる場所を探すため、内陸部へ移動した。 その過程で、カラハリ砂漠を北上した一行は、 1849年8月1日に、ヨーロッパ人で初めてヌガミ湖に到達する。 その後も探検を続け、1851年6月にはマコロロ王国を経由してザンベジ川まで到達したが、 子供の一人が熱病で倒れたことから、これ以上家族とともに探検を続けるのは危険だと判断し、 1852年4月に家族をケープタウンからイングランドへ送り返した。 ビクトリア滝にあるリヴィングストン像 その後、 リヴィングストンは再度、衛生度の高い内陸の高地に布教拠点を作ることを目指し、 マコロロを再訪。 ザンベジ川へ辿り着くものの適切な土地が見つからず、西へ向かった。 これには、当時すでにヨーロッパでは禁止され非合法となっているものの、 アフリカではスルタンたちによって公然と続けられていた奴隷貿易による搾取を廃絶するために、 中央アフリカの交易ルートを探索する意図もあった。 1854年4月にコンゴ川を通過した一行は、 5月31日に、南大西洋沿いの都市ルアンダに到着。 熱病と飢餓と赤痢に苦しみ、半死半生の状態であったリヴィングストンは、 休息も兼ねてルアンダから王立地理協会に探検の報告を詳細に記述した手紙を送り、 この手紙がもとで1855年にはメダルを授与されることとなった。 この旅の途中、再三奴隷商人達から非常に親切な助けを得たため、リビングストン本人は苦悩している。 1854年9月に一行はルアンダを出発し、 ザンベジ川沿いへ元来たルートを辿った。 1855年11月17日、その途上で、ヨーロッパ人として初めてモシ・オ・トゥニャ(Mosi-oa-Tunya)滝を目にし、 その壮大な瀑布に感銘を受けたリヴィングストンは、 当時のイギリス女王ヴィクトリアにちなみ、 ヴィクトリア滝と名づけた(世界中にビクトリア××が存在)さらに西へ進み続けた一行は、 ポルトガル植民地のテテを経て、 1856年3月2日、インド洋沿いに位置するモザンビークの都市キリマネに到達、 2年6ヶ月かけて、ヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸の横断に成功した。 イギリスへの帰還 -- 第二次アフリカ探検 1856年12月9日、 探検の資金が尽きたリヴィングストンは、支援者を探すために16年ぶりにイギリスへの帰還を果たした。 探検家としていくつもの重要な発見を果たした功績からスコットランドの英雄としてもてなされ、 1857年、アフリカでの体験を如実に記した "Missionary Travels and Reserches in South Africa" (『南アフリカにおける宣教師の旅と探検』)を著し、 本はベストセラーとなる。 一方、ロンドン宣教師協会からは、一箇所に居住せず方々を探検していたことを理由に除名される。 翌1858年には、女王の勅命によるキリマネ駐在大使、ならびにザンベジ探検隊の隊長に任命され、 同年3月10日、リヴィングストンは妻と息子を連れ、再びアフリカ大陸へと旅立った。 ケープタウンにて一行は妻の両親と再会するが、妻の体調がすぐれないため、 ザンベジ川 リヴィングストンたちはザンベジ川河口へ向かい、残りのものは静養もかねてクルマンへ向かった。 リヴィングストン一行は5月14日に河口へ到達し、 蒸気船で川を上り、9月8日にテテに到着、 シレ川、マラウィ湖(en:Lake Malawi、ヨーロッパ人初の到達)周辺を探検した。 1860年にはマコロロ王国を再訪し、 翌年にはイングランドより派遣された宣教師の団体であるUniversities Missionの布教のために Rovuma川周辺を探索し、拠点設立に力を貸した。 その間、妻はクルマンでの静養の後に一旦イギリスへ戻り、 1862年に夫と合流したが、3ヵ月後の4月27日、Shupangaにてマラリアのために命を落としてしまう。 リヴィングストンは悲嘆に暮れながらも、何度もRovuma川上流への探索を試みた。 1863年には、政府からの帰還命令を受け、 翌7月23日にイギリスへ帰還を果たす。 重要な地理上の発見を果たしたにも関わらず、当時はこの探検は失敗に終わったと考える向きがあり、 その後、次の探検の資金調達に苦労することとなった。 1年間の休息の間、 探検の報告を各所で行いながら、 1865年に、彼は2冊目の著書 "The Zambesi and Its Tributaries" (『ザンベジ川と支流』)を著す。 この本は発売当日に、当時としては異例の4,800部が発行されているほど注目度が高かった。 描かれたアラブの商人とポルトガルの商人との間で行われている奴隷貿易、 および現地人への虐待や虐殺の実態は、当時の知識人たちを驚愕させ、 奴隷商人たちへの怒りを再度引き起こすこととなったのである。 リヴィングストンが3回目のアフリカ探検に出るきっかけとなったのは、 王立地理協会からのナイル川の水源を探求する依頼だった。 ナイル川は白ナイル川と青ナイル川に分かれており、青ナイル川はすでに水源の探求が完了していたが、 白ナイル川に関しては1860年代に入ってからも、ジョン・スピークとリチャード・バートンの間で、 その水源がヴィクトリア湖か否かの論争が繰り広げられていた(この論争は、 1989年のアメリカ映画『愛と野望のナイル』として映画化もされている)。 スピークは水源は自身の発見したヴィクトリア湖であると1855年の探検をもとに主張したが、 リヴィングストンは、ヴィクトリア湖より少し南方にヴィクトリア湖に流れ込む水源があると推測し、 1865年8月14日、再びイギリスを旅立った。 何故に・・・・・彼はアフリカに行くのか? 後編へ何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→本をありがとう
2008.08.23
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ジンバブエ2泊目の朝は、爽やかだった!今日は、世界三大瀑布のひとつであり【世界遺産】自然遺産=ビクトリアフォールズに行くのだ♪waku^-^waku♪ アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第21回 ビクトリア滝に行くには、晴天でも完璧な雨具がいる・・・ 何故って? それは、行ってみると わかるらしい? マイクロバスが出発 ホテルから、ビクトリア滝は 5~10分位 しかし 突然 バスは止まった! 大きな 大きな木の前で・・・・ バオバブの木だ! それも 樹齢1000年以上 記念撮影 青いカッパ姿のおじ様が バオバブの木の前に居るので大きさがわかるでしょうか? 星の王子さまの中に出てくるバオバブの親分筋か? ここには、確かに精霊が・・・住んで居るかも? 雨具を着て、 タオルを首にかけ1枚 バスに戻り ビクトリア滝へ向かう 運転手のサニーさんが、突然歌いだした ♪大きな バオバブの木の下で~ ♪あなたとわたし仲良く遊びましょ♪ ♪大きな バオバブの木の下でぇ~♪ (())お上手です・・・運転手さんの替え歌が、 運転手のサニーさんは、行く先々で日本の童謡を歌う♪ 行く先々で 飛び出す童謡に おじさまも おばさまも 全員で 子どもの頃にかえって 歌いだす~♪~ そのレパートリーは、7曲位あっただろうか? 以前、日本人のコンダクターに習ったそうだが、 ジンバブエの人たちの絶対音感は、素晴らしいと思った。 何より 私たちは、この歌によって一体感を強めたのでありました!何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→精霊ありがとう
2008.08.22
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ジンバブエでは、変わったお食事を食べましたが、激安ツアーでありながら、ワニくんまで食べてしまうなんて贅沢なのでしょうか?本当の贅沢は、これから・・・ アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第20回 ビクトリアフォールズの落ちた先にあるレストラン お食事をしている間に辺りは、真っ暗になる・・・・ 都会だと、照明が邪魔して見えない星空が ここでは、星が、余す所なく輝いて見える! 初めて 南半球に来て どうしても見たかったのは 南十字星 レストランの カウンターで「南十字星は、どこに見えますか?」 と聞くと ジンバブエの人は南十字星なんぞ 全く興味がないらしく!? 「サザンクロス?なんのこっちゃ????」 と言う 反応だ! 「なんで 南十字星を 知らないんだろうか?」 日本人だけなのか? 南十字星を見たいと騒ぐのは・・・・ そんな大騒ぎをしていると レストランの 英国系・美女が「私、知ってるわ~」写真右 全員が満天の星空を見上げ 彼女の指差す方角に目を向ける え~~~どこ? あ~~~ 大っきいっ 確かに + 十字だけど・・・ 少しゆがんでるのね! 左端は、少し光りが弱い感じかな? あれですよね~ 多分 あれですよね~ 皆さん 納得 その時です!!!! 左の空から 弧を描くように 右の空へ 大きな大きな流れ星が 全員で うぁ~~~~っ! 今 見た? 見た!!! 凄いわ! 私たちって 凄すぎじゃない? 今日は、何でも願い事が叶うしも~うっとりと眺める満天の星空には、大きな大きな「天の川」が かかっていましたとさ。何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→南十字星ありがと
2008.08.21
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ジンバブエから日帰りでボツワナまで行きジンバブエのホテルの近くで象さんのナイトサファリまで体験し長い長い1日の締めくくりは、楽しみにしていた野外スペシャルディナーです☆ アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第19回 野外スペシャルディナーの会場は 滝はコッチ方向から ビクトリア滝が落ちて流れてくる場所にあります。 バーカウンターから外を見る なんと・・・素晴らしい絶景なのだろうか!? またまた 私は、はるばるここまで着た事を 良かったなぁ~と思うのであります。 【世界自然遺産】ビクトリア・フォールズから流れ出る 豊かな水量は 怒涛のごとく流れ 深い 深い 岸壁にぶち当たり下って流れる ここから 眺めながらのスペシャルディナーです。 今夜は、貸切(本当は、イケ面と貸切が良いけど) ああ~~~っ 向こう岸に バンジージャンプがっ! あれれ~ 飛びたいんだけど・・・・・ 独りで騒いでいると・・・ コンダクターが、少し困った表情を・・・・ ここは、大人の女としては、 おさえて・・・おさえて・・・ きらり 「もう 今日は、暗くなって閉店みたいですね~」 わがままと思われたく無いから(我慢我慢) スペシャル ディナー テーブルセッティング 赤いナフキンにビーズが可愛い お料理はまずワニのラザニア ワニの肉だと知らずに食べ・・・ 後でワニだと聞かされたけど・・・どんな味だか?記憶に無い! ラビオリに 牛肉が大和煮みたいで美味しかった! ワインは、5ドル 少し贅沢を! デザートに コーヒー それぞれ、 コックさんが、好きなだけもりつけてくれる! しあわせ~~~~っ しあわせは、まだまだ=つづく=のであります何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→ワニ料理ありがと
2008.08.20
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ボツワナ共和国「チョベ国立公園」日帰りの旅から、宿泊先のジンバブエに帰って来ました。珍事がおきたのは、レストランに向かう途中の事です。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第18回 これは、ブログに掲載して良いのか? 18歳未満の方はです。 ジンバブエのホテルから レストランに向かう林の中での出来事です。 もう~ 夕方で 薄暗くなっていたんですね・・・ 動物園でも保護区でも無い 近所の森での出来事です 象さんが居たんです 「あら~象さんが こんな所にも 普通に住んでいるのね」 そんな姿を見ながら通り過ぎようとした時・・・ あらら・・・・ ♂象が立ち上がって見えますか? ♀象の背中に乗ったんです まさか? そんな瞬間を・・・・ 見てしまいました! あれ~~~~っ 皆さんの前で堂々と ダイナミックな象さんの・・・ 恋の季節なのですね とっても恥ずかしいナイトサファリのお話でした何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→AVありがとう
2008.08.19
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この日6月2日は、ジンバブエ共和国から、ボツワナ共和国へ自然の中で暮らす動物達を見るため日帰りのバス旅です。日帰りでも・・・・・パスポートが必要なんですぅ☆ アフリカ「ジンバブエ旅日記」・・・第17回 ボツワナ共和国には、自然のままに保護区で動物が生活している。 チョベ国立公園 今回の旅 一番の楽しみ♪ しかし 関所がある。 ジンバブエから ボツワナへの かなり やぶぁ~い 国境を 越えるのだ! 勿論・・・・・撮影禁止 バスは、民家など無い道をどこまでも走る しかし 不思議 ジンバブエと言う国 人間は、住んでいないのか? 民家と言う物が見当たらない・・・ イボイノシシ キリン インパラ ほろほろ鳥は 道路に飛び出して 私たちを大歓迎してくれる・・・・ 国立公園に到着しなくても 楽しい動物 ウォッチング バスの中は大騒ぎだ! 約1時間 ジンバブエと ボツワナの国境に 到着 ドキドキ 金網で区切られた「国境」 バスを降り 小さな家(事務所)に並ぶ パスポートを広げて ジンバブエ=ビザの部分を開いておく 小さな家の中は、 カウンターがあり 郵便局みたいな感じ 柵の下から パスポートを出す ドキドキ 係りのお兄さん ハンコウをバン! はい、お次の方~目で合図 この国境には、 もう一軒 長めの家がある トイレだ! 国境にあるトイレ それも 北朝鮮みたいな国の 国境のトイレ しかし 何が起こるか 分からない所 何が起こるか 分からないから こそ トイレに行かねば・・・・ こんな時グループ旅行は良い 数人でトイレに入る事に しかし、相当にキタナイぞ! 何故か? 入るとすぐにシャワールームがある 国境の ここで 誰が シャワーを 浴びるのか? 旅人か? 長距離トラックのドライバーだろうか? それにしてもキタナイ トイレも一応入ってみるが・・・・ こんな怖い所で あまり出ましェ~ん トイレもドキドキ 出て来ても 何故か? 皆さん 一塊になって立って じ~っと 笑顔は 無い(緊張状態) 若い女性の兵隊さんが 化粧ポーチを持つが如き感じで 機関銃をかかえて 立ち話 おお~~っ! ガッツリとした 機関銃ですよ! まじまじ 見ました! ロシア製か? 北朝鮮製? 凄いっ 全員が アフリカの北朝鮮?「ジンバブエ共和国」出国手続き完了 整然と並び金網にある扉を通りぬけ 2グループに別れ バスに乗る 今度は、ボツワナ共和国の入国手続きに向かう それには、とっても不思議な「儀式」が伴う トラックも乗用車も、消毒液の上を通らなくてはいけない! 人間も同じ様に 消毒液が付いた小さな「ゾウキン」の上を足踏み ピチャピチャしながら 通らなくてはいけない。 なんだろね~ 意味無いじゃん!! 何故なのか? ず~っと 前から そんな 決まりがある。 ボツワナの人が 言うには・・・・ 「ジンバブエの泥をボツワナに持って来るな!」 と 言う 訳が わからない理由 ジンバブエを 脱出したからか? 何故か? 雰囲気が違う・・・・空気が軽い!??ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→ほろほろ鳥ありがとう
2008.08.01
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アフリカ1泊目の夜は、2日の長旅で、私の旅の歴史の中での1泊目としては、蚊帳に絡まれながらも・・・良く眠れたので、2008年6月2日(月)気持ちの良い朝!まだねむぅ~ アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第16回 レインボーホテルの屋上は、 夜の星座観測が 素晴らしいそうだが・・・ そんな余裕もなく 眠ってしまった きらり。 グループの皆さんは、 南半球の満天の星空を楽しんだらしい? まぁ~2泊なので 今夜に楽しみを とっておくことにした。 朝の6:30に屋上に登って来たら・・・ 皆さん 勢ぞろいで 朝日の方角を眺めていた おっとぉ~間に合いました! アフリカの夜明けに 朝食は、7時から 待ちきれない おばさま方は 待ちきれず・・・レストランへ 6月2日 ジンバブエは 冬 待ちかねた 日の出は 7時少し過ぎ だった。 【世界遺産】ビクトリア・フォールズ 水しぶきは高くあがっていた アフリカの太陽も負けてはいない ・・・クローズアップで 真赤だ! 2名のおじさまと供に この朝日を 感激し喜んだ! こんな遠くまで来て良かった レストランに下りて朝のコーヒーを頂く ほぅ・・・・こんなひとときに 幸せを感じる 朝は、ビッフェ・スタイル 世界のイケ面=オムレツ・ボーイ・シリーズ マニアとしては、やや不満足だった ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→オムレツありがとう
2008.07.30
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アフリカのジンバブエ「レインボーホテル」の名物は、夜の【アフリカンBBQ】と音楽♪です。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第15回 アフリカンBBQは、レインボーホテルの庭で夜おこなわれる プールサイドには、お料理が並べられ これは昼間 白い帽子をかぶったコックさんが こちらを見て 満面の笑顔サービス お席は、奥にあるらしい・・・ 囲ってある入口 ワクワク にこやかに お出迎えされ 囲いの中へ入ると 「まず、手を洗って下さい」 と、言われる・・・ マラカスで 出来たヒシャクを 持った女性 笑顔 私たちは、ワクワクしながら両手を出し 手に 水を かけてもらう この辺りのお食事は、素手 右手のみで食べるそうで そんな習慣に 私も従う事にした。 BBQの席は、森の中の雰囲気 森の中で暮らしている 雰囲気かな? 手彫りの木製 ゆったりした 椅子に めいめいに 切り株の 小さなテーブル 森 と 土 アフリカに暮らすこんな雰囲気は、なかなかの グゥ~ 「プールサイドに お料理を取りに 行って下さい」 ワクワク・・・・バイキング スタイルだ! 沢山のデザートが 並んでいる ニコヤカなコックさんがお肉を焼いている 何の肉なのかしらね? 聞いてみると 左は ビーフで お隣は インパラ インパラって・・・私の大好きな 可愛い鹿ちゃん? え~っ! インパラちゃんを、焼いてるぅ ビーフと言うけど・・・バッファロゥの様だ!? 隣に盛り付けてあるお料理を見て 思わず 後ずさり・・・ 嘘でしょ? ありえない物がお皿に・・・ 私の世の中で一番嫌いな生き物が・・・・ それも 日本では ありえないBIGサイズです・・・ それは、世界で一番嫌いな生物 でっかい 青虫くん こんがりと焼かれています ありえないです・・・・青虫ですよ 幼い頃から・・・苦手な 生物だった 青虫くん コックさんは、私の様子を見て 大笑い 「これは、美味しいよ!」 と言う 現地では、大ごちそう? 食糧危機の ジンバブエでは、大ごちそう 重要な蛋白源なのだろう コックさんは、ためらう きらり。を見て 青虫くんを 1匹つまみ 宙を見て・・・ 口へ パクリッ! きらり 「 え~~っ! 嘘? 嘘でしょ? 食ったぁ~ 」 しかし、私のお皿の中央には 自ら 青虫くんの黒焼きが座っていた。。。。 ありえないです・・・私は、お笑い芸人かっ? だちょうクラブの 上島竜平さんを 思い出していた! もうひとり・・・勇気ある女性 お隣に座った高齢のおばちゃまも青虫くんを何匹かお皿に連れていた この辺りの習慣に合わせて手で食べないとね! おばちゃま 右手で青虫くんをつまみ パクリ! 「あら~っ・・・案外と 美味しいわよ!」 アフリカの あちこちを 独り旅している 高齢のおばちゃま 流石です 私も右手を使い お食事してみることにした。 ジンバブエの コップも ビールも 冷え 冷え アフリカの ダンスが 始まりました。 アカペラの歌に踊り 元祖ゴスペラーズ 最高です 勿論 チップも忘れずに1ドル 曲に酔いしれ・・・ 何の牛か?わからないお肉と インパラくんを食べ んん~美味しい 素材そのまんまの味を満喫 さっきから お皿の真中に居る 青虫くん 私を見てる!?? どうしても 勇気が固まらない・・・・ よしゃぁ~ 青虫くんを手にとってみるが・・・ 口に入らない うぅぅぅぅ~~ 何で こんなに 辛いんだろう??? ジンバブエでは、ごちそうなのに 何で 私は うっぅぅぅ~ お隣のおばちゃまが「美味しいわ!」 の言葉を信じ 少し かじる あれれぇ~ 案外と い け る か も ? うっぅぅ~ でも2口目が・・・ でもジンバブエでは、大ごちそう 食べないと失礼だ! そうそう 嫌いな給食が いつまでも 食べられない気持ち お笑い芸人 だちょうクラブの 上島さんの気持ち わかるわ・・・ そして勇気をもって完食したのであります。 楽しい踊りに歌 踊り子さんが CDの販売にやってきた おばちゃまは、どこに行っても買ってあげるそうです。 アフリカの達人は、心が大きい 私も一緒にCDを買いました。 良いです・・・CD森の中でそのまんま吹き込んだ感じが、日本では無い貴重な音です。 楽しい ひとときに感謝 素朴で明るいジンバブエの人たちに感謝 勇気あるおばちゃまに感謝 ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→青虫くんありがとう
2008.07.27
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【世界遺産】世界三大瀑布ビクトリア・フォールズ上流のクルーズを楽しんだ後は、お宿のレインボーホテルに戻った・・・・お部屋には、天井から蚊帳が下ろされていた♪ アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第14回 うぁ~素敵です・・・お姫様みたいじゃ~ないの? そんな感動も・・・つかの間 夕方早く置き過ぎた「まくら銭」1ドルが、消えている! シャワールームのタオルも全て新しい物に変えてある・・・ サービス良いのか? どうなのか?ビミョウ・・・ 宿泊途中に他人に出入りされるのって・・・少し気持ち悪い。 まぁ~一瞬でも私が♪1ドルで、お姫様気分♪になれた事は 安かったと言って良いかも?ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→帰って来たよ
2008.07.26
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アフリカ南部ジンバブエの大きな大きなザンベジ川に日没を船から鑑賞するプログラム「サンセット・クルーズ」いよいよ待ちわびた瞬間が・・・・なんと雄大なのでしょうか。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第13回 思ったより・・・ゆったり流れるアフリカ第5位の大河ザンベジ川 【世界遺産】ビクトリア・フォールズに注ぐ寸前の大河の上での日没です 刻々と太陽は、大河の果てに沈んでゆきます なんと ゆったり時間が過ぎてゆくのでしょうか・・・ 地球は、なんと なんと 素敵な惑星なのでしょうか? 時間が 止まってしまったような時・・・ 音も 無い 静かな日没 どこからか 美しい歌声が聞こえてきた・・・ 舟のキャプテンのアカペラ ♪生歌♪ 古くから歌い継がれた歌 ♪ショショローザ♪ あぁぁぁぁぁ なんと ローマンチックなんでしょう・・・ アフリカの夕日は、でっかいです! 南半球の夕日を見るのは、これが初めて・・・ とっても とっても素敵です あぁぁぁぁ~ 来て良かったぁ~ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→素敵な歌を♪ありがとう
2008.07.04
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ジンバブエのザンベジ川クルーズ=私の前に座ったDさんご夫婦は、 毎月のようにディズニーランドに行くと言う。お隣に座った北海道の日本料理屋さん経営のMさんと、一人旅きらり。4人で1つのテーブルを囲んだ。 アフリカ「ジンバブエ旅日記」・・・第11回 ジンバブエの大統領選挙が終わりましたね・・・ またまた同じ大統領が再選されたニュースが入って来ました。 とにかく 良し 悪しは それぞれで 私たちとは、少し違った事情を持つ 「ジンバブエ共和国」であります。 ジャングル・クルーズに出かけた私たち 飲み物は、全て飲み放題! こうなると、勢いが違う・・・・ 男性たちは 3本づつビールを持ってくる。 私も1本飲んで すぐさまワインに アフリカ南部のワインは、結構良い オードブルも出てきた! 美味しいか? と言えば・・・普通以下かな? 「食中毒になったら店がつぶれるから これは、食べるのやめときます」 と北海道で日本料理店を経営してるMさん ジンバブエでは・・・ 上等と思われるオードブルだ! 次は、何かが出てくると思っていたら・・・ あんだけで終わりだった それでも 色々 お酒を飲んで大騒ぎ・・・ 添乗員さんも真っ赤な顔をしてご陽気だ! なかなか楽しい旅になってきました ジンバブエと言うかなり変わったお国は、 現在 200パーセントのインフレと 食糧難に苦しんでいる 貴重な食材を残してしまった私たち・・・ 船に乗り組んでいた人たちが、 こっそり・・・食べ残しを食べていました。 ジンバブエ=貧しい国です。 労働をしても給料が出なかったりで・・・ 問題が多い国 今度こそ 大統領選挙に寄って良くなるかと思っていましたが・・・・ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→ありがとうさん
2008.06.30
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アフリカ大陸第4位の長さ「ザンベジ川」2750km水源は、アンゴラ奥地でザンビア西部を横断、ジンバブエとザンビアの国境線を形成し、モザンビーク海峡 へ最後には、インド洋へと注がれる。 アフリカ「ジンバブエ旅日記」・・・第10回 【世界遺産】ビクトリア・フォールズは、その中流に位置する。 夕方 4:30~6:30 日没を観賞するプログラム サンセット・クルーズ 4時半からだと まだ日も高く 舟から 動物達が見れそう・・・・ 6月は、乾期でありますが ザンベジ川の水量が多く 動物たちは 群れを成して 水辺に集まる季節 動物ウォッチングには、最適であります・・・ しかし 観光客は、少ない ウキウキしながら 舟に乗り込んだ 私たち20人のグループだけで船は貸切 いい年をした少年少女20名の心は 大興奮! 「ディズニーランドのジャングル・クルーズみたいだわ!」 「え~っ!? これが本物のジャングルクルーズじゃないの!!」 「あ~ そっかぁ~ これは、本物だったっけ!」 何故か? ディズニーランドに居る気分になる・・・ 不思議だ! 仮想と現実が反対になってるぅぅぅ~ 「もうすぐ カバさんとワニさんの作り物がでるんじゃない?」 そんな 大騒ぎをしていると・・・ 本当にワニさん出現! しっぽ頭 小さめだけど・・・これだけでも 大騒ぎ!!! カバさんが、浮かんでは沈む姿を見て いい年をした少年少女は・・・おおはしゃぎ! 私の前に座ったDさんご夫婦は、 ↓ 今回 唯一のご夫婦参加 毎月のようにディズニーランドに行くと言う(特に奥さま) お隣に座った北海道の日本料理屋さん経営のMさんと 4人で1つのテーブルを囲んだ! ベストシーズンなのに、観光客が少ない時期の為 ドリンクの飲み放題・・・・・ 楽しさ200倍じゃ~ないの!!!ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→飲み放題ありがと
2008.06.27
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ビクトリアの滝に注ぐ水源は、アフリカ大陸第4位の長さを誇るザンベジ川であります。ザンベジ川の日没を観賞しようと舟に乗って出発しました。 アフリカ 『ジンバブエ旅日記』・・・第9回 アフリカ大陸で一番長い川は、 1) ナイル川 2) ザイール川 3) ニジェール川 4) ザンベジ川 アフリカ大陸第4位の長さ ザンベジ川 2750km 水源は、アンゴラ奥地 ↓ ザンビア西部を横断 ↓ ジンバブエとザンビアの国境線を形成し ↓ モザンビーク海峡 ↓ 最後には、インド洋へと注がれる 【世界遺産】ビクトリア・フォールズは、その中流に位置する。 世界三大瀑布のひとつ 世界三大瀑布とは? 南米=イグアスの滝 北米=ナイアガラの滝 アフリカ=ビクトリアの滝 夕方 4:30~6:30 日没を観賞するプログラム 『サンセット・クルーズ』 水辺の動物達に出会えるはず・・・・・?? ホテルからマイクロバスで5分程で船着場に到着です。ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→どうも~ありがとう☆
2008.06.26
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ジンバブエの怪しい「セブン・イレブン」で2Lのミネラルウォーターを買い、重たそうに抱えホテルに戻ったきらり。危機を乗り越えたと安心したと思ったが・・・本当の大恥の苦難はここからだった。 アフリカ 「ジンバブエ旅日記」・・・第8回 ホテルの門を入ると 見覚えがある せこいマイクロバスが留まっている 確か? あれは、私たちグループのマイクロバスだ! も~スタンバってるのか・・・ 「ザンベジ川 サンセット・クルーズ 4:30 ~ 6:30」 【世界遺産】ビクトリア・フォールズに注ぐザンベジ川の夕焼けを見るクルーズ とっても 楽しみに♪しているプログラムだ! 私のホテルに戻ったのは、4:08 まだまだ サンセット・クルージングには 22分もあると思ってた しかし 私たちのマイクロバスから 長~~く 首を出しているのは 添乗員 えっ? 何事? どうしたの? あわ あわ あわ・・・・・ もしや? 添乗員 「星野さま~」 きらり 「あら???」 添乗員 「集合時間は、4:00でございます」 え~っ? きらり 「よよよ4時ですか?」 あわてて すぐに バスに乗ろうとした しかし アフリカ ジンバブエの冬は、夜になると気温5度の噂 舟の上だともっと下がる? きらり「急いで部屋まで行って上着持って来ますから申し訳ありません」 集合時間 ぴったしでも遅刻扱いなのに・・・ 8分も遅れたのに 更にお待たせするなんて・・・ あわてながらロビーのライオンを飛び超え 庭のプール・バーを横切り 庭師の見ている前で 芝生をバンバン駆け下りる 部屋は、一番下の 17号室 あわてながらも鍵がスッと開く 上着だ 上着・・・ ついでに トイレ10秒完了! 急いで戻らねば・・ ダッシュ ダッシュ で駆け登る ぜ~ぜ~息を切らし走って来て 大きな声で 頭を45度倒し 「御免なさい! 遅れました~ 申し訳ありません!」 力 いっぱい 謝る ひたすら言い訳せずに謝る・・・ いいのよ いいのよ 大丈夫だから・・・ 皆さん 優しい 若輩者きらり。 慌てふためいた様子とひたすら謝る姿勢に 旅のベテラン20名は、優しかった。 さすが ジンバブエに旅しょうとする方たち・・・ 心が、大きく豊かです。ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→皆さまありがとう
2008.06.24
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どこの国に行っても物売りに対して「無視」が基本ですが・・・ どうして無視できなかったんだろう? ジンバブエの青少年は、少し感じが違っていた どこが違うか?その時は分からなかったが・・・ 何かに毒されていない目だったのかもしれない? 彼等の目は、美しかった 英語で話かけてきた 青少年 数名 私との会話を 楽しんでいるようなところもあった。 アフリカ 「ジンバブエ旅日記」・・・第7回 帰り道 彼等は もれなく わたしの 周りを 囲んで歩いた 彼等は、段々と フレンドリーさを アピールする。 私のサングラスが 「僕のと似ているね!」とか言って 嬉しそうな青年 クロックスの靴を履いていたら 「この靴と“カバの置物”を交換してくれない?」 なんて言う じゃ~私は、何を履いて帰るんじゃい? 何で? クロックスを知ってるんだろうか・・・ アフリカ人にサングラスだし 彼等は、地元ではオシャレな軍団なのかも知れない またしても少年が50000000ジンバブエ・ドル紙幣を 私の目の前にちらつかせ 「このお金を持ってると いっぱい いっぱい買い物ができるんだ!」 と言う 今度は、5ドルにディスカウントしてるし・・・ その時は、そんな珍しい紙幣だとは知らなかったから 「も~いらないからっ!」 と、断りつづけた 観光客は、この0がいっぱいいっぱい付いた お札をお土産にしたりするみたいで 結構 買う人が多いのだと思う このお札 正確には? 国外に持ち出しはできないはず?なので気をつけて欲しい 随分 お散歩に時間を費やした ホテルの入口に到着すると 門に向かって小走り・・・門番さんの後ろに逃げ込む 門番さんが少年等をにらむと 彼等は、すごすごと後ずさり 残念そうに帰って行った あ~怖かった 門番さんありがとう・・・ 後で考えると気の毒だったかなぁ~ でも ひとりだけ買うってのもね~ お土産だって10ドルもして高かったし 10ドルって1000円でしょ? 高すぎだし・・・ お菓子でも持ってたら良かったけどね・・・それも危ない時あるし 大きな ミネラルウォーター(2L)を抱えてホテル敷地内に入ると あれ? なんか変? 変なム~ドが漂う・・・ 最大の失敗です。 ああああ・・・私、やってしまったですブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→ありがとうさん
2008.06.22
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アフリカ=ジンバブエのビクトリアフォールズ近く「レインボーホテル」に到着して、少し自由な時間が持てた。1日半も寝ていないけど・・・いけてるギャルが、部屋で寝てるなんてもったいないじゃないの? アフリカ 「ジンバブエ旅日記」・・・第6回 ホテルの敷地は、案外広く お部屋は、1階で 17号室 ベットには、蚊帳がある・・・アフリカ情緒か? こんなローカルなホテルが大好きだ 門番さんも優しい人だった。 さ~ぁ お出かけだ! この行為がいかに危険な行為だったか? 今回の最大の失敗だった ホテルの門を出ると 左は、どこまでも続く長い下り坂 右は、家が何件か見える 迷わず右へGO! のんびりと歩く女性が3名ほど のどかで 幸せそうな笑顔だ ジンバブエ・・・良い所みたいです その内 私の姿を見つけた少年数名が どんどん どんどん きらりを目がけて 笑顔で寄って来た 観光客らしき外人は、わたしひとり だ~れも いない 木彫りの「カバ」を持って 私にセールスして来た! カバ・・・いらないからぁ~ 木彫りの「キリン」を持ってきた青年 石の「カバ」を持ってきた青年 最後に5千万ジンバブエ・ドルを持ってきた少年が 50000000ジンバブエ・ドル 「このお金を持ってると 何でも いっぱい いっぱい買えるよ!」 「10ドルで買ってよ!」と言う 5千万ドルが 10ドル? なんじゃそれ? その時 わたしは、 この国が、1000パーセントのインフレである事や この国のお金の価値がほとんど無い事を 知らなかったから なんで お金を売るのか? 理解が出来なかったのだ。 色々な国で しつこくセールスを受けるが 「無視」 「知らん顔」・・・それが、一番の方法なんだけど・・・ ごちゃ ごちゃ 数人の青少年が ついて来た きらり 「スーパーどこにあるか教えて?」 と聞くと 青少年軍団 「あ~ スーパーか、おいらが連れてってやるよ!」 きらり「いゃ~連れてってくれなくていいから~場所だけで良いのに」←日本語 途中1件の 怪しい居酒屋があるだけの道 それでも 彼等は、楽しそうに セブンイレブンへと案内した。 7ー11 セブンイレブンの赤い文字がかなり怪しい 「ココだよ!ココ」 楽しそうに指を指す きらり 「ありがと じゃ~ バイバイね!」 青少年軍団 「いや~おいらたち ここで 待ってるから・・・」 きらり 「いいからさぁ~もぅ帰って」 ←日本語 セブンイレブン=ジンバブエ支店に入ると 弁当無し ハンバーガー無し 品物が・・・無い! 閑散・・・・ 正面に冷蔵庫がある所は、万国共通なのか? きらりが、欲しいのは、ミネラルウォーターのみ あった あった! でかいぞ 相当 でかいが・・・ 値段はどこにも表示されていない!? 2L ジンバブエ産か~ たかが「水」 アフリカの田舎だもん高くても知れてるし・・・ 飲んだり 歯磨きしたりするし この位のボトルが良いかも? レジに行く 気だるいお姉さんが レジの横に 何がムカついたんだか 機嫌が悪い顔 大きなボトルをカウンターにのせ きらり 「ランドで おいくらですか?」 ランドとは、南アフリカのお金 20ランドを出すと 手をカモンして・・もっと出せとのサイン 20ランド=320円だし 日本だってそんなにはしない もう20ランド出すと(合計40ランド=640円) レジの 気だるい お姉さんが・・・ 初めて 渋い笑顔を見せる きらり 「え~水が40ランドって高く無いかい?」←日本語 と、少し怒ってみせる・・・ 店内にいた現地人の視線 約5名 なんか~怖いかも? う~やっぱ~ 640円で 有り金 パスポートまで 取られたら・・・嫌だし 悪くすれば 女の操どころか? 命さえも危ない雰囲気 あ~ も~ さっさと逃げよう! しかし セブンイレブン ジンバブエ支店の外には、 あの しつっこい 若者が待ち構えているし でも 帰らねば・・・ ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→ありがとう危ないかも・
2008.06.20
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アフリカ南部 ジンバブエ共和国 ビクトリア・フォールズ空港から、バスに乗って今夜のホテル「レインボーホテル」RAINBOU HOTEL ☆☆☆に向かいます。 アフリカ 『ジンバブエ旅日記』・・・第5回 ホテルへ向かう・・・20分くらいだったか? 道は、整備されていて 気持ちの良いドライブ ジンバブエは、少し違う国であります。 交差点で車が衝突しています・・・ ドキドキ こんなに車が少ないにも関わらず 交通事故が多いのは、不思議? そんな様子は、一切撮影禁止 撮影禁止区間は、しばらく続きます。 緊迫ドキドキ ジンバブエは、少し違う国であります。 (北朝鮮の様なお国です) メイサイ柄の洋服は、トラブルを避けるためにも着ない事 との注意があったが・・・・納得 しかし 大自然は、素晴らしいジンバブエの宝 森の遠くにキリンが首を出したり おサルが道を横切ったり 鹿が、こっちを覗いていたり 最初は、現地ガイドのデマミさんが 教えてくれても え~っ! どこ どこ? 視力2.0 のきらり。 でも見つける事ができない!? 噂ですが・・・ オスマン・サンコンさんは、8.0 とか言うけど ? おそるべき視力であります。 視力が悪い方は、双眼鏡が必要です。 しかし 2日ほど 大草原をドライブしていると 自然に視力は、高まり 2.0の視力が、2.5位にUPして来ると感じた! これもアフリカのパワーの恩恵なのでしょう 楽しい動物ウォッチングをしているうちにホテルに到着 ホテルには、門番さんがいて 遮断機をあげてくれる クリーム色の素敵なホテル すぐに庭園に案内され ウエルカムドリンクをいただく 楽団が演奏を始める♪ ザ・アフリカ 演奏と歌と踊りに私たちは、大感激 女の子の踊りは、激しい きらりも太鼓に加わりセッションを楽しむ♪ 世界各国で太鼓を買ってしまうきらり。 ここぞと ばかり セッションを楽しむ♪ 黄色いヒョウタンの後ろには ムビラがあった。 本物のムビラの演奏を聞くのは、初めてだ! 大きなヒョウタンで、音を共鳴させている 感動です! 超感激です~ 皆さんチップをカゴにバンバン入れます。 最後に きらりは、和紙の折鶴を2羽のせました! 女の子のダンサーが、うれしそうに見ていました ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→ムビラありがとう☆
2008.06.14
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大阪時代のアミーゴ夫婦に、赤ちゃん誕生!エビちゃんと、ヒーロー君 ・・・ 家族の人たちは、大喜びだそうです・・・ 早速、大阪にお祝いに駆けつけよう!! 元気で健康な赤ちゃんを出産した大阪のアミーゴ=エビちゃんですが・・・世界には、生まれながらにして、苦しい結末を背負って産まれてくる赤ちゃんがいます。 アフリカ 「ジンバブエ旅日記」・・・第4回 アフリカと言えば、今 一番 深刻な問題が エイズ 日本でも患者が、秘かに増えてきたものの 人口の 0.02 パーセント ジンバブエ 15歳~49歳のうち 21.5パーセントがエイズに感染している。 実に4人に1人が、エイズ感染者 妊婦は、29.5パーセント それだけのエイズベビーが、誕生している事に驚く 2010年までに この国の平均寿命は、40歳以下になると推測される。 いまここで、会った人たちの4人にひとりが・・・ 3人に1人の子どもが 感染症にかかり命を亡くす そう思うと 心が痛む エイズに対しての恐怖や多少の知識は、あると思うが 一番の原因は、貧困です。 娘が産まれると身売りされ、体を売るしかない国 そして仕方無しにエイズになり 赤ちゃんを産む 悲しい現実が、 同じ地球上にある事を私たちのほとんどが知らない 食べ物が不足し 電力までが不足した 貧しい国に 私たちは、何が? できるのでしょうか? お菓子を食べながら、線を引いて植民地を造った国々が、 資源を搾取し続けた日本を含めた先進国が、 彼等の貧困の原因であります。貧困の元である先進国は、もっと反省して アフリカの人たちを救う事を急がねばなりません! 日本の平均寿命は、 2007年度調 男子 79.00 歳 ・・・世界第2位 女子 85.81 歳・・・・世界第1位 ジンバブエの平均寿命 2010年予測 40歳以下になると言う 日本人の半分も生きられないのです。そう言えば・・・・老人を見かける事が無かったなぁ~ お年よりが、いっぱい居る国って、平和で豊かな国なんですね。 お年寄りは、「お国の宝」そう思うと日本人は、世界一 幸せなんだろうか??それも疑問???ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→赤ちゃんありがとう☆HIVは、現在先進国では、進行をくい止める事が可能となりつつあり、撲滅に向かって研究が急がれております。1日も早く、この辛い病が、世界からなくなる事を願うばかりであります。
2008.06.13
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ジンバブエ共和国は、日本人から見ると気の毒な国であります。しかし人間の幸せと言うものは、他国の人が決める事では無いと思う。 インドに行ってみて、あんなに汚い水を飲んで死にそうな人がゴロゴロ居て可哀想だと思うが、当の本人達は幸せに満ちていると言う・・・ アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第3回 アフリカ大陸は、1884年~1885年 100日間に渡って 旧西側諸国が 「アフリカ分割会議」にてお菓子を食べながら相談し 地図を広げて 「どう分けようか?」 と国境を線引きで決めた53カ国の集まりです。 ヨーロッパ諸国に比べて、国境が直線で分かれていて 角々しているのは、その為なのです。 今回の旅は、アフリカの一番南に位置するジンバブエ・ボツワナ・南アフリカの旅日記です。 飛行時間の合計19時間40分 自宅からの所要時間30時間 やっとの思いで到着したのは、ジンバブエ共和国 ジンバブエ共和国とは如何なる国なのでしょうか? ジンバブエとは? 旧・ローデシア ジンバブエとは? 他の国と違う国 どんな風に違うのでしょうか? 分かりやすく言えば 北朝鮮みたいな国 食べ物が不足し 電力も不足している しかし 時間がゆっくり流れています。 道路に車が少なく 鉄道も見ないし バスも見ない 自転車に乗っている人が居ない 勿論バイクなど見かけるはずも無い これ等は、ゼイタク品だからです。 人々は、どうやって移動するのでしょうか? ひたすら 歩く ひたすら のんびり歩いている しかし その顔は 明るく 悲惨さは感じない! 彼等は、幸せに満ちた顔をしている・・・・ 「ジンバブエ」とは? 『石の家』と言う意味 グレート・ジンバブエ遺跡 など大きな遺跡がありますが 現在、付近の治安が悪化している為に立ち寄る事が出来ませんでした。 国土は、39万平方km 日本より少し大きい 人口は、 1257万人 日本の10分の1 ジンバブエの大統領は、ず~っと同じ人であります。 ムガベ大統領 1980年就任 白人支配から、政権を奪回したお方 強引な農地改革により 国力が低下し インフレ率は、1000パーセント以上とか? 2008年5月には、250000000ジンバブエ・ドルが発行されたので有名になった。2億5千万札ですよ! お買い物に行く時は、おおきなトートバックみたいなお財布が必要! 要するに このお国のお金の価値は、果てし無く頼りないもの・・・ 5千万ジンバブエドル札 50000000 かぁ~【世界で価値の無いお金ベスト5】 北朝鮮 イラク ソマリア ナイジェリア ジンバブエ お買い物=札束が山ほど必要な国・・・ジンバブエ私たちは、ジンバブエ・ドルを持つほど体力が無いので、 だいたいは、米ドルで支払いをしました。 ホテルの従業員には、給料が支払われていないらしい? 全ての収入は、米ドルのチップ 食事は、私たちが食べ残したお皿の物を食べていました。 も~胸がいっぱいです。 申し訳なくて・・・ 御免なさい・・・ 「吉兆」じゃないけど・・・ 食べ残しを食べる?こんな国ってあるんですね。 それでも みんなフレンドリーで、澄んだ目をしています。 意外なことに犯罪は、少ないそうであります。 ジンバブエは、思ったより平和な国だったのであります。 ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→札束ありがとう☆
2008.06.12
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南アフリカから空路「ジンバブエ共和国」に入りました。ジンバブエは、色々な問題を抱えた国でありますが、そこに住んで居る人々の目が美しい事に驚く。日本から30時間あまりかけて到着したその世界とは・・・・ アフリカ 「ジンバブエ旅日記」・・・第2回 ビクトリア・フォールズが目の前にある空港 どうも・・・評判は最悪で 荷物が無事に戻るかが 心配でありますが・・・・ 入国時にビザを申告せねばなりません! 料金は、ひとり30米ドル(約3240円) ささっと書類に書き込んで受付に・・・ あ~2番目だ! これが ジンバブエのビザです。 うあ~っ! 嬉しいっ! ビザ1枚 増えた! 心配していた荷物も 飛行機から 直に 見える所に 運んでくる ターンテーブルなどあるはずもなく おじさんが ひとりで 手作業だ! 一安心して・・・空港玄関前に出ると いきなりアフリカと出会う 手拍子と激しいアカペラの音楽が♪ 長旅で ぼんやり 寝ぼけた体を 起こしてくれる ジンバブエ = 最もアフリカらしいアフリカ 若者の歌と踊りに私たちは、アフリカに来たんだ! と実感した。 彼等の前には、チップを入れるカゴが置いてある。 しかし、チップを要求したりはしない・・・ 私たちは、写真をパチパチ 旅慣れた仲間は、踊りだす人や 槍を持ってポーズする人も居た。 今回のグループ なかなか 肌があいそう・・・ きらり。少し負けてます きらり。終始 カメラマン役に 勿論 チップ1ドルも忘れずに これも フェアートレード精神の一種になると良いが・・・ ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→踊りありがとう☆
2008.06.11
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南アフリカ=ヨハネスブルグの空港での待ち時間は、4時間25分 いくら広い空港だからってヒマ過ぎる。搭乗場所に早めに行ってみる。 アフリカ『ジンバブエ旅日記』・・・第1回 家を出発する時に時計が突然壊れて急遽持ち出したのがこの時計 だけど・・・どうしても時間があわせられない!? 香港でー1時間 南アフリカでー6時間 私の時計は未だに7時間も進んだまんまだ! 暇すぎるので、東洋の男子2名が座っている前に立ち 左のイケ面に 「時計をあわせて、もらえますか?」と聞くと 少しビックリした顔をしてたけど・・・快く時計を手にしてくれた。 「韓国の方ですか?」と聞くと・・・中国人だそうで どうも、機械に強そうに見える男子だったけど・・・・ 随分と時間がかかってた。 中国製かな? と言うと・・・爆笑していた。 どうも~図々しい変な女が申し訳ない・・・「しえ~しぇ~」 どこへ行くんですか?などど色気の無い話で・・・・コンゴだったか? それ以上 話が弾まぬまんま 彼等は、先発の機上の人となる 南アフリカ共和国 ヨハナスブルグ空港発 2008年6月1日11:25 ジンバブエ共和国 ビクトリアフォールズ空港行き BA-6285便 エコノミー最前列 右窓際GETし 座ったきらり。 その理由は・・・・世界3大瀑布【世界遺産】ビクトリアフォールズを飛行機から見るため南アフリカは、日本と反対で秋から冬に向かうところ ビクトリアフォールズの水量が一番多く大迫力が味わえると言う乾季で、地面は、住んで居る人たちと同じ褐色だった。 早朝は、5度 昼間は、16度くらいかしら? 機内食は、ラザニア 白ワイン 最高~美味しかった☆☆☆ 飛行時間 1時間45分 そろそろ ビクトリアの滝が見えても良い頃 川の溝が深くなってきた・・・・ 飛行機は、大きく旋廻して あの 現地語の MOSI-OA-TUNYA (モシ・オア・トゥンヤ) 「雷鳴のとどろく水煙」 が見えた! カメラがヘボくて ちっちゃくしか見えません! あ~ も~ ちっちゃすぎ ビクトリア・フォールズ 本当は、こんな姿 これは「絵葉書」だけど・・・・これでもごく一部なんです。 横幅=1700m 高さ108m 地上からだと3km先からでも 高く登る水煙が見えるそうで 私たちは、明後日この滝の凄さを再確認する事となる・・・・ ちっちゃ過ぎてたけど・・・・ビクトリアフォールズの大きさが確認できました。ブログ・ランキングに参加してますクリックお願いですぅ→滝をありがとう
2008.06.10
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