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クロアチアからスロベニアの首都リュブリャナに到着したのは、もうすっかり暗くなっていました。12月14日は、そろそろクリスマス市が出揃い始めているころ・・・可愛いグッズがあるはず♪ ロマンチックなヨーロッパの街GO! 『スロベニア旅日記』・・・リュブリャナ 竜(ズマイ)は スロベニアの首都「リュブリャナ」のシンボル 暗いけど・・・素敵な町並みをご紹介しましょう おっとブレてますが・・・スロベニア美女にすれ違います♪ ヨーロッパの伝統の重みを感じる石造りの街並み♪ ライトアップのお上品さが☆おもむき☆ 聖ニコライ大聖堂にも入りました ずっしり重みを感じる装飾でした 暗いからこその大迫力・・・東ヨーロッパ「リュブリャナ」の歴史ぽち 【リュブリャナの歴史】大震災に2回も遭遇したり・・・街が鉄条網で囲まれた時代もあった それでもクリスマスは、人々の希望の灯火 クリスマス市 見るだけでも・・・楽しい♪ こども向けの木のおもちゃ絵本手編みの帽子や手袋1軒つづ個性的 大人はやっぱしホットワイン おばちゃまたちがワイワイ きらりちゃ~ん! 一緒に飲もうよ! すごい~勢いですね・・・おばちゃまパワー きらりは、まったり夜景を堪能 夜だから・・・こそ 余計に美しかったかもですね リュブリャナのクリスマスマーケット満喫しました 今夜のお宿は、帰国の都合で空港近くでオーストリアのクラーゲンフルト 素敵なデザイナーズほてる・・・・リンドナー・シーパーク・ホテル★★★★☆ むっちゃ~おされで・・・豪華なレストランでディナー 椅子が高すぎて登るのに苦労 スロベニア人も足が長いらしい? 明日の朝のお弁当を1つ持ってお部屋へ 短い足にポチっとよろしこ→
2011.04.12
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プリトヴィツェ国立公園で雪景色を堪能し・・・雪がたくさん積もった冬のヨーロッパが、改めて好きになりました♪パウダースノゥの体験も初めてだったし・・・後は、美味しい物を食べることができたら・・・大満足です♪ 『クロアチア旅日記』・・・雪がごちそう♪ プリトヴィツェ国立公園の現地ガイドさん とっても仲良くなって・・・アドレスもらって♪ 「きらりのハンドメイドなのよ~」と言ってはめていた モコモコ毛糸の指輪をプレゼントしたら・・・ 思った以上に喜んでくれて バスに乗って発車しそうになっているバスに追いかけ乗り込んで来て 公園の「熊さんのマグネット」を お土産にってプレゼントしてくれました。 いつまでも手を振る可愛い現地ガイドさん きょうもプリトヴィツェをブラッキー君と案内しているんだろうな? お昼のランチは、雪景色のレストラン 天日干ししたドラウト(ます)練馬大根の調味ソース♪デザート・プディング♪白ワイン すごいボリームだったけど・・・美味しく完食 クロアチア 『国境』 スロベニア 国境警備のおじさんに・・・ 運転士さんがワインの差し入れを渡すと・・・ ノーチェツク で入国です 袖の下→ワイロは、ベテランドライバーならでは・・・ クロアチアからスロベニアまでは、3時間 どうもノロノロ運転だなぁ~と前を見ると 雪かき作業のトラックがっ スロベニア 首都 リュブリアナ到着は、 もう暗くなっていました。 もうすぐクリスマスのリュブリアナは、 クリスマス ムード ぎんぎん さて、そんな感じの街へポチっとよろしこ→
2011.04.12
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『スロベニア共和国』首都リュブリャナの基礎知識を辞書ウィキュペディアさまで調べてみました。 リュブリャナ 英語 Ljubljana ドイツ語 Laibach イタリア語 Lubiana ラテン語 Emona スロベニア共和国の首都 11の特別市の1つにもなっている 東欧有数の世界都市 スロベニア国土の中央で アルプス山脈と地中海の中間に位置し サヴァ川へとつながるリュブリャニツァ川の河口にある 北緯46度3分、東経14度30分 日本の地図でも第一次世界大戦以前の古い地図では スロベニア語読みのリュブリャナではなく ドイツ語読みのライバッハで表示しているものもある 海抜298m 気温変化は1月の3.4 度~7月の21.9 度の間である 平均年間雨量は1350mm 国土の中央に位置し ザグレブから140km ヴェネツィアから250km ウイーンから350km、 ブダペストからは400kmである。 クラス地方とジュリアン・アルプスの間に位置し リュブリャニツァ川の作り出す峡谷部にある 標高はおよそ300m 【歴史】 竜(ズマイ)は リュブリャナのシンボル 紀元15年にローマ帝国の街エモナ(Emona)が設立された。エモナは、 約500年間発展したが フン族に破壊された。 6世紀ごろに スラブ民族のスロベニア人がスロベニアに定着して、 1144年に リュブリャナ城が初めて言及される。 そして現在使われている地名で記述されたのは、 1144年(ドイツ語:Laibach)と 1146年(Luwigana)が最初だった。 1335年に リュブリャナは、ハプスブルク家の支配下に入った。 1461年には司教管区になり、 中世にはスロベニア文化の中心地として発展した。 ハプスブルク家の支配はナポレオン戦争時に一時的に中断した。 1809年から1813年の間、 リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。 1821年にリュブリャナはライバッハ会議の主催となった。 オーストリアの支配下中は、リュブリャナはカルニオラ地方の首都だった。 第一次世界大戦後の1918年のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊で、 リュブリャナは セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の一部となり スロベニア地方の中心都市となった。 1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、 現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占める ドラヴァ州(Drava Banovina)の州都となった。 第二次世界大戦の1941年4月にリュブリャナはイタリアに占領された。 リュブリャナ中心市街の外部で起こったスロベニア人の抵抗運動が強かったため 1942年2月23日にイタリア軍は32kmの有刺鉄線で リュブリャナ中心市街を完全に囲ってしまった。 それはヨーロッパで最も大きい戦時下キャンプであり、 リュブリャナ中心市街へ入るには、 イタリア軍の厳重なチェックポイントを通らなければならなかった。 第二次世界大戦後、 リュブリャナは ユーゴスラビア連邦人民共和国のスロベニア人民共和国の首都になった。 そして1955年に ヨシップ・ブロズ・チトーは、 第二次世界大戦時の抵抗運動の功績を称えて リュブリャナ市に英雄都市称号を与えた。 それはユーゴスラビアで最初の英雄都市称号だった。 1980年5月4日、チトーはリュブリャナの病院で亡くなった。 1991年にユーゴスラビア軍との十日間戦争でスロベニアが独立を勝ち取り リュブリャナはスロベニアの首都になった。 【建築】 リュブリャナはたびたび地震で荒廃した。 1511年の大地震後、 リュブリャナ市街はルネッサンス様式で再建された。 そして 1895年の壊滅的な大地震後は 新古典主義と脱退(アール・ヌーヴォー)様式で再建された。 このように リュブリャナの建築物は様々な様式の混合である。 リュブリャナ市街の象徴の1つである リュブリャナ城は現在も再建中である。 また、 旧市街と新市街を結びつける三本橋は ヨジェ・プレチニックが設計した。 そして彼は新市街の建物のいくつかも設計した。 リュブリャナ大聖堂 リュブリャナ中心地:三本橋(トロモストウイエ)とフランシスコ教会 丘にリュブリャナ城がある そんな歴史があるリュブリャナに入りますポチっとよろしこ→
2011.04.12
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クロアチアのザダルの歴史は、紀元前9世紀に始まります。その後、紀元前1世紀ころからローマ人がやって来て自分好みの大きな建物を次々と造っていったのですが・・・私が、何より感動したのは、意外な物であります♪~♪ 『クロアチア旅日記』・・・ピッカピカの道 ザダル旧市内の道は・・・ ピッカピカに光っています 道が、ピッカピカ? そりゃ~ぁぁ雨が降った後でしょ? なんて・・・またぁ 今日の東京地方みたいにカラっカラ天気でも 濡れているみたいなんです! この石の正体は・・・・ 「大理石」です。 それが、ザダル旧市内の道 横丁まで・・・・ほとんど大理石の道 それが、 2000年以上に渡り・・・・ 人々が歩く事に寄って ピッカピッカツルンツルンになり 磨り減って・・・丸くなっています なんと 長~~い歴史が作り上げた 素晴らしい道 だからザダル市民はお散歩が好きなのでしょうか? そして、道にはカフェが 大昔からあったそうで 道を見ながらお茶を楽しむ事が 大昔から オシャレな ヨーロッパ人のこだわり だったのであります。 ザダルは、大理石の道だなんて、 むっちゃ~贅沢じゃん! そうそう~クロアチアは、大理石の産地で この辺り・・・ダルマチア地方の古い街は 大理石の道が時折あるんですが・・・ ザダルのピッカピッカ状態は、お見事であります。 ここの大理石は、近くの島から運んだ物だと聞きましたが あっちゃ~ その島の名前が、思い出せませ~ん! 何でもすぐに忘れてしまう今日このごろ・・・・ おっと~思い出した事が ローマ時代の広場にあった唯一残っている柱の名前 『恥の柱』・・・はじのはしら 日常に置いて、小さな罪を犯した罪人を このローマ時代の柱に 縄で くくり付けて 道行く市民が、それを見て笑ったそうであります。 なんて~事を思い出して、そんな光景も 人の噂も お茶を飲む時の楽しみだったのでしょうか? 思い出したらポチっとなう。→
2011.01.20
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生まれて初めて車で国境を越えたのは、10年以上の前の事だった。オーストリアからバスでチェコへ入国する時だった。バスに国境警備のお兄さんが乗り込んできて入国スタンプを押してくれた!EU連合になる前は、そんな車の入国スタンプも多かったけど、今では、懐かしい話。 『スロベニア・クロアチア旅日記』・・・国境越 EU圏内 スロベニアから、 クロアチアへの国境越えは、 冬至も近いヨーロッパの日没は 4時20分ころだから 国境に到着した頃には、 もう~真っ暗 コンダクター「スロベニア国境ですから、 パスポートを出しておいて下さいね あと、写真撮影は、禁止ですから~」 車で国境を越える・・・・ドキドキ 昨日のオーストリアから スロベニアへの入国は、 EU圏内だったので、国境は通過しただけだったから 今度こそ 車スタンプが押してもらえそう・・・ウキウキ だけど・・・ドキドキ だって国境警備のお兄さんたちは、武装しているから 不思議な動きをしたら・・・ズド~ン! なんて事が、絶対に無いという保障は、ありません! 高速道路の 料金所みたいな ゲートに着くと 私たちのイケ面ドライバー「ドーマンさん」慣れた感じで降り 手続きをするBOXに顔を入れて話をしている 私たちは、固まったまま見守る・・・ドキドキ それが、意外にも それ程の時間を要さないで話は、終わり ドライバー「ドーマンさん」は、バスに戻ってきた 内緒でOKサインを出すと、やっとニッコリ どうも ここは、何もしないで・・・ (無罪放免) 通れるらしい? スロベニア国境をバスが出ると・・・ほ~ ここは、スロベニアでも クロアチアでもない 真中 コンダクター「良かったですね~日本人だって言ったらOKだったみたいです。 これが、何処とかの国の団体だったら 中国とか 韓国とか・・・ だったら、散々 止められ 調べられ 延々と待たされるんですよ! と、特定の国の名前を言っては、いけないから 言えませんがっ」 えええ・・・・・・・・全然、言ってますよ! 中国とか、韓国って! まだ、中国や韓国からの 観光客が ほとんど無いから とても調べられるそうであります。 とりあえず・・・・スロべニア出国は、完了。 クロアチアの国境ゲートに到着 またしても、バスの中の空気は、凍りつく ドキドキ 今度こそ・・・スタンプ欲しいよ! 今度は、紺色の征服を着た国境警備隊のお兄さんが バスにポン!と 乗り込んできた・・・・・ドキドキ 怒った顔は、していない よ~く見ると 右手にスタンプを持っている もしかして? バスに乗った まんま 入国スタンプを押してくれるのかな? (ラッキー) 国境警備隊のお兄さんのご機嫌をそこねたら大変 おとなしく・・・ 前の席の椅子の背もたれにパスポートをのせ 自分の写真を見せるのでなく スタンプを押すページを開いて待つ 国境警備隊お兄さんは、 正しく「めくらバン」をポンポン押して 真中の黒い縦の車マークがあるスタンプ さっさとバスから降りた もう暗くなって寒いから面倒くさかったのだろうか? これは、ラッキーです 国境警備隊の検問は、気分次第で変わるそうであります。 夏のシーズンだと2時間待ちは、普通だそうであります。 みんな内心ラッキーと思いながら 国境が見えなくなってから 大拍手でありました。 スタンプラリー好きポンとなう。→
2011.01.09
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そうそうツアーで旅すると変わった人間に遭遇する事が多々あるのであります。その変わった人間って言うのは「ひとり旅」に多いのであります。おや~ぁ確か?きらちゃんも今回は、ひとり参加旅だったよね・・・・ドキッ私じゃなくて 『スロベニア旅日記』・・・変人の話 話は、また前後してしまいますが・・・ どうしても話しておきたい 心残りが、ありました。 ポストイナ鍾乳洞は、撮影禁止だったのですが・・・ 添乗員の作戦で、 フラッシュ無しなら、撮影OKが出て 私たちは、鍾乳洞の中で堂々と記念写真 おっと~きらりも記念に 誰か 写してくれないかなぁ~ ああ~ 目の前に 背中を向いてるけど・・・ デッカイ兄さんが 立ってるぞ! この兄さんでも 良いや~ 背中を向いている デッカイ兄さんの 肩をトントン 「すみませ~ん!写真撮って頂けますか?」 と、むっちゃ~ギャルっぽく言ったのに 背中を向いた デッカイ兄さんは、 きらりの方を向かないで・・・ あっちを 向いたまんま 「ここは、撮影禁止ですから」 って言う! ええ・・・・・・・・っ! こいつアホちゃうか? たった今、 英語ガイドが、 「ノーフラッシュならOK」 って、言ったじゃないの? それに、あっちを向いたままで デッカイ背中を見せたままで断るとは、 レディーに向かって失礼センバンだ! 叫びたくなる心を抑え・・・ こいつ~絶対に許さんぞ! と思う相手に向かって結局は、 むっちゃ~親切にしてしまう きらり。 であります・・・・これは、不思議な性格 (とりあえず・・・危ない兄さんって事で、近寄らないで過ごす) このデッカイ背中の兄さんは、 旅の間もスッゴイ迷惑な存在となるのであります。 (それは、ありえない非常識な存在) しかし、きらりは、いつも皆さんに 「○○さんは、良い人だよ!」 と、弁解して歩くのであります・・・ 話した事も無いのに あの「ブレッド湖」で大声で怒った おばちゃまなどは、 最後まで、イジメのターゲットとして大声で怒り なかなか面白い旅を演出してくれました。 背中のデッカイ兄さんときらりは、 旅の最終日まで、会話する事が無く それは、背中のデッカイ兄さんが 帰国時にミュンヘンの空港で 「昔、そっくりな女に酷いめにあったから」 と、 きらりに、そっくりな女? そっくりって・・・・ 私じゃ~無いじゃん! どうして、あんな態度に出るんだ! そう叫びたい気持ちを抑え終始笑顔のきらり 内心は・・・ いったい きらりに似た女に何を?されたんだ! 問い正したいが・・・聞いたって 全然、好みじゃ~無いし・・・ しかし、背中のデッカイ兄さんは、独身 ええ・・・・・独身かぁ~ そうだろうなぁ~ 若く見えるが、42歳位らしい? もう世界中 行く所が、無くなって しばらく旅行していなかったと言う 今回は、98回目の海外旅行なんだとさぁ 超~変わった人間って多いよね・・・旅好きには 特に ひとり旅には、 私も例外とは、言えないのが残念だけど 自由なきらりにポチっとなう。→
2011.01.08
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おいおい『スロベニア旅日記』すでに18回も書いてしまったのに今頃になってスロベニアの基本的な情報を書くなんてオカシイけど。首都リュブリャナには、この旅の最後の方で訪問しますから、ザッと調べてみたんですが↓長いので読まないで下さい スロベニア共和国の首都リュブリャナのクリスマス写真 スロベニア「スロベニア共和国」すろべにあきょうわこく 中欧の共和制国家 首都 リュブリャナ ユーゴスラビアから独立した国 場所= 西~イタリア 南と東~クロアチア 北東~ハンガリー 北~オーストリアと接し 南西~アドリア海 スロベニアは、イタリアやオーストリアに隣接しており 冷戦中にあっては、西側諸国に近いという地理的条件にあり スロベニア人の気質は、勤勉で秩序的 文化的には、ドイツ語圏の影響を強く受け こうした条件のために ユーゴスラビア連邦時代は 最も経済的に豊かな先進地域 ユーゴスラビア連邦から独立した後 初期の経済的混乱からすぐに立ち直る スロベニアとスロバキア・・・間違えそうに似てるけど!? スロベニアの語源は・・・スラヴ(SLAV)であるという説があって これは・・・スロバキアと同じであって 言語は同じ「スラヴ語」を話すと言う意味もある 【中世の歴史】 6世紀ごろ 「南スラヴ人」定着 7世紀 初の南スラヴ系の「カランタン人」による国家であるカランタニア公国が成立 カランタニアは、その後「バイエルン人」 ついでフランク王国の支配下に その後 フランクの遺領 14世紀以降 東フランク王国(後の神聖ローマ帝国に編入)神聖ローマ帝国領 チェコともども西方文化やカトリック教会の影響を強く受け 他の南スラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロベニアにもたらす 15世紀 ハプスブルク家の所領・・・以降オーストリア大公領 1867年 オーストリア・ハンガリー帝国が成立(オーストリア帝国領) 19世紀はじめ ナポレオンのフランス帝国による支配(フランス統治下) リュブリャナ フランス第一帝政イリュリア州の首都 イリュリア州が設置され、スロベニア語が州の公用語 1809年~1813年 リュブリャナ(フランス第一帝政イリュリア州の首都) ○これは、スロベニア語が公的地位を得た初めてのことであり文語としてのスロベニア語の発展は勢いづいたナポレオンが去り オーストリア領へ戻る【近代の歴史】 1918年 第一次世界大戦が終了し オーストリア・ハンガリー帝国が解体 セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加 セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わる この際 スロベニアの一部地域では オーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため オーストリアに帰属するか? スロベニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するか? 住民投票で決めた地域が存在するこの王国は、1929年にユーゴスラビア王国に改称した1941年 ユーゴスラビアに枢軸国が侵入 スロベニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた 西に接するイタリアはスロベニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため ムッソリーニ指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され 北東の一部の地域はハンガリーの占領下となり スロベニア人の住む地域は3つの勢力によって分断された 占領に反対した右派の抵抗者たちは ロンドンに逃れたユーゴスラビア王国の亡命政府を支持したが 後に枢軸勢力の影響下となった共産主義者たちは、ヨシップ・ブロズ・ティトーのパルチザンに加わり、ドイツ軍などと戦った パルチザンは スロベニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した 大戦前はイタリア領とされていたイストリア半島 (イストラ半島)は ユーゴスラビア領となり スロベニアは コペル周辺で海岸線を手に入れることとなった スロベニア人が多く住むオーストリアのケルンテン州の一部も求めたが、この要求は認められなかった【社会主義時代】 1945年 社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰 ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる ユーゴスラビアでは、政治・経済の分権化が進められた 社会主義のユーゴスラビアは ソビエト連邦の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとっていた 政治の分権化と自主管理社会主義 政治においては、連邦から共和国そして自治体へと権限が移管され経済でも末端の職場に大きな権限が与えられていた その地域性を生かした独自の経済政策を採ることが可能であったユーゴスラビアがソビエト連邦と距離をおき西側諸国との友好関係を維持していたこともスロベニアには有利に働いた 中央の意向に縛られることなく西側諸国に隣接する先進的工業地帯というスロベニアの利点を最大限に発揮 スロベニア経済は大きく発展 1980年代になると 他のユーゴスラビア内の諸地域に大きく差をつける 【政治】 ユーゴスラビアでは比較的言論の自由が認められ 地方分権政策によってスロベニアをはじめ各共和国は大きな裁量を手にしていたスロベニアでは更なる独自の権限を求める声、連邦からの独立を求める声は次第に高まっていった1980年代にユーゴスラビアが経済苦境に陥る スロベニアでは、その原因が連邦にあると考えた 連邦は通貨発行など一部の経済政策のみを握っていたが 経済改革を進めるために過度に分権化した経済政策の集権化を求めていた 経済先進地域であるスロベニアが連邦に支払う負担金が コソボやマケドニアなどの貧しい地域のために使われているという不満から スロベニア共和国は連邦政府の経済改革を妨害し 連邦に対して支払う負担金を一方的に削減し 連邦に対する反発をあらわにしていった セルビアでは ユーゴスラビア連邦におけるセルビア人の支配力拡大を狙うセルビア民族主義者のスロボダン・ミロシェヴィッチが台頭し ミロシェヴィッチは モンテネグロ、ヴォイヴォディナ、コソボの政府を乗っ取って支配力を強め スロベニアに対しても圧力を強めていた スロベニアは連邦からの離脱を決意 連邦からの離脱権を明記した新しい共和国憲法を制定する 議会での決定と住民投票を経て 1991年6月 ユーゴスラビアとの連邦解消と『スロベニアの独立』を宣言 【独立後】 短期的、小規模な十日間戦争を経て スロベニアは完全独立を果たした 1992年5月 連邦構成国だった隣国クロアチア 同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟 同時期に連邦を離脱したクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナでは激しい内戦が続いた中 スロベニアでは、ユーゴスラビアという市場を失ったこともあり 1991年~92年にかけて経済不振が続いたものの その後はヨーロッパ志向を強め、経済は回復に向かった 政治面においてはユーゴスラビア離脱前から民主的な制度の整備が強力に進められてきたこともあり 他のどの旧ユーゴスラビア諸国よりも早く民主的体制が整えられていった 2004年3月 NATO加盟 2004年5月1日 欧州連合 EU に加盟 2008年(2004年に新規加盟した国々の中で初めて)欧州連合の議長国を務める 同年2月にコソボが独立を宣言したことによる一連の危機の対応にあたる 議長国として欧州連合の中で指導力を発揮 【独立後の政治】 ユーゴスラビア末期の壊滅的な経済苦境 台頭するセルビア民族主義への反発 スロベニアは、ユーゴスラビアからの独立を志向するようになった 1989年9月 ユーゴスラビア連邦から合法的に離脱する権利を記したスロベニア共和国憲法の改正案が共和国議会を通過する 1990年4月 第二次世界大戦後初の自由選挙を実施 共産党政権は過半数の票を集めることができず野党連合のデモスが勝利した 首相には 第三党のスロベニアキリスト教民主党のロイゼ・ペテルレ党首が選ばれている 同時に、共産党の改革派だったミラン・クーチャンが大統領となった 1991年6月に独立を発表 スロベニア国内に基地を置いていたユーゴスラビア連邦軍と戦闘状態に入るが7月 停戦に成功 同年10月には連邦側が独立を認めた 12月23日 現在の憲法が有効となり 複数政党制と大統領制が確立する 1992年12月 独立後、第1回となる大統領選挙を実施ミラン・クーチャンが選ばれた 同氏は1997年11月にも再選 2000年10月の総選挙では 自由民主主義党が第1党となったため 連立政権が発足した2002年12月の大統領選挙 ヤネス・ドルノウシェク首相が当選 2007年12月 リュブリャナ大学法学部副学部長のダニロ・テュルクが大統領に就任【政治制度】 国家元首の大統領は任期5年で、国民の直接選挙によって選出される行政府の長である首相は 議会の下院が総選挙後に選出し 大統領によって任命 立法府は両院制 下院(国民議会)定数90 うち40議席を小選挙区で、残る50議席を比例代表で選出する 小選挙区比例代表併用制任期は4年 上院(国民評議会)は定数40各種団体による間接選挙で選出される 任期は5年 上院の立法権限は下院よりも弱く 諮問機関としての性格が強いが 国民投票を行うか否かの決断を下す権限を有する 有力な政党は スロベニア自由民主党 スロベニア人民党 スロベニア社会民主党 スロベニアキリスト教民主党 【政治問題】 スロベニアはユーゴスラビア時代から経済的な先進地域であり ユーゴスラビア紛争が収束する中でセルビア人、クロアチア人労働者を受け入れてきた しかし、EUではEU内の労働者の移動、就労は自由化されるが 一方でEU外の労働者の受け入れは厳しく制限される 2004年のEU加盟に前後してセルビア人労働者を制限する方向に転換しており大きな政治焦点になっている 【観光】 ポストイナ鍾乳洞のコンサートホール 竜 ズマイ はリュブリャナのシンボル首都リュブリャナ アルプス山脈 トリグラウ山2864m ブレッド ボーヒニなど アドリア海コペル ピランカルスト地方の洞窟 シュコツィアン洞窟群ポストイナ 温泉 【世界遺産】 シュコツィアン洞窟群 1986年登録 以上ウィキペディア参照スロベニアそうだったのか納得してポチっとなう。→
2011.01.07
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ポストイナ鍾乳洞を歩きながら探検していて、きしめん・パスタ・そうめん・デザートにソフトクリーム?見るもの全てが美味しそうに見えてしまう!?どうも今回の旅もラブロマンスには、程遠いきらりでありますが、若~いまかろんちゃんご夫婦とお友達に♪ 『スロベニア旅日記』不思議な生物に遭遇 帽子が、白と黒・・・かぶって、かぶってるよ 白い帽子のきらり 黒い帽子のまかろんちゃん まかろんちゃんの強い希望で顔に目線を入れてます。 まかろん夫妻とお友達に スロベニアのポストイナ鍾乳洞には、 地上では・・・・ 見る事が出来ない生物が居るそうであります。 探検をしながらも 不思議な生物を探しながら歩く 色々な鍾乳石を見ながら探す 100m以上の高さ 坂を下り・・・ロシア兵が作った橋からも カーテン・ゾーン(きしめんブラブラ) ピンク・ゾーン スパゲティー・ホール(素麺か~ぁ) 巨大ソフトクリーム ラブロマンス(ロミオとジュリエット) キョロ キョロ~して探したけど・・・ 不思議な生物に出会う事が無い 最後に到着したのは・・・ 鍾乳洞の 一番深い層 大きな水槽がある どうも不思議な生物は、 ここに捕獲してあるらしい? それもそのはず・・・不思議な生物は、 観光客の歩くコースには、居ないのだそうで もっと、もっと深い深い・・・ 本物の探検隊にしか捜索でない深い場所 そこに住んでいるからだった! なぁ~んだ・・・キョロキョロと 水の中を覗いた1時間半の きらりの努力は、何だったのさぁ~ と、英語ガイドに詰め寄るも はぁ~???? でも・・・・見たいぃ~ぃ 大きな 大きな水槽にその生物が・・・ いち早く見たい・・・ しかし、今度こそ「撮影禁止」 絶対 絶対の「撮影禁止」であります。 なんでぇ~良いじゃん! フラッシュ焚かないからぁ~ それでも絶対の「撮影禁止」 地底 深く深く全く光の届かない世界で生まれ育った不思議な生物は、目が退化してしまい僅かな光を浴びただけで死んでしまうのだそうで・・・・仕方ないかぁ だから、優しくガラスなんぞ~叩いて 「こっち~向いて!?」なんて行為も禁止 そぉ~っと 寄って行き 「何処何処?あああ~見えない!何処何処?」 結構~皆さん声が でっかい! 「あああ~この白い~小さな蛇じゃ~なくて魚?」 体長10センチ~20センチくらいの・・・ ああ~目が無いよね・・・ でも、こんな暗い所で何を食べているんだろうね? 不思議だよね~ 撮影禁止・・・・・・・でも見たい写したい知らせたい お土産屋さんの看板にあった写真 正しくこれです。白い不思議な生物 不思議な生物を見て何となく納得した所で 激走トロッコ列車に乗って帰ります。 またしても凄いスピードで大喜びのきらり。 同じ駅かと思ったけど・・・今度は、違う駅 出口に到着 駅の下には、大きな川がゴーゴー流れている トロッコ列車で行った鍾乳洞は、 この大きな川の下の下にあるのだと言う えええ・・・・・・・どうなってるの? セメントみたいな濁った川から ポタリ ポタリと落ちてきた 石灰分が多い水は、この川からしみ出た水? そうか~そう言う仕組みだったのか~ とてつもなく雄大な大自然の装置にビックリ 素晴らしいです・・・凄いなぁ♪歩きながら 出口のクリスマスイルミネーションをくぐり・・・ スロベニアからクロアチアへとポチっと移動なう。→
2011.01.04
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スロベニアのポストイナ鍾乳洞には、ピンクや白や灰色の鍾乳石があります。中に含まれる成分に寄って色が異なるそうであます。閑散期なので、私たちが通る時だけ照明をつけて英語ガイドさんは、楽しげな解説をしてくれます。 『スロベニア旅日記』・・・美味しそうな鍾乳洞 ポストイナ鍾乳洞は、歩いて1時間半の探検 英語ガイドが「ピンク・ゾーン」だとの説明 確かにピンク色っぽい ピンクや 白や 灰色のゾーンもある! これは、含まれる成分に寄って色が決まるそうです。 天井を見ると真っ白な 英語ガイド「スパゲティー・ホール」との説明 天井から 真っ白な スパゲティーがっ! いっぱい いっぱい ぶらさがっていますね 照明が暗いから灰色っぽいですが・・・・純白 スパゲティー? 私たちは日本人だから 真っ白だもん! 素麺に見えちゃいますが・・・・ 今度は巨大なソフトクリームが これは、ポストイナ鍾乳洞のイメージマーク 美味しそうな ソフトクリームですよね 大きなソフトクリームを食べたつもりで どんどん坂を登り 上から 下から 英語ガイド「ラブ・ロマンス=ロミオとジュリエット」との説明 上から垂れ下がった鍾乳石 その雫を受けて もっこり盛り上がった鍾乳石が、合体する瞬間 愛の成就だと言っているのでしょうね! 欧州の人たちの美意識と日本人の美意識は、 微妙にずれている事を確認する探検であります。 食いしん坊の探検隊にポチっとなう。→
2011.01.03
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ポストイナ鍾乳洞の絶叫マシーンに乗って到着した鍾乳洞探検の入口からは、厳しい「撮影禁止」の立て札があり、ああ・・・残念と、思ったらベテランガイドの作戦で奇跡が起きたのであります。ですから奇跡の写真をご紹介できるのであります・・・ 『スロベニア旅日記』・・・奇跡の写真 考えられないスピードで走るトロッコ列車絶叫マシーン 到着したのは・・・ここからは、絶対に 絶対に撮影禁止です! だから ゴメンナサイ~ と言う場所に到着 ポストイナ鍾乳洞は、まだまだ日本人が来る事が少ない・・・・だから 現地スラブ語ガイド フランス語・スペイン語・ドイツ語・英語のガイドしかありません! だから とりあえず、英語ガイドのグループに参加 ガイディングマシ-ンで、ポイントを通訳してくれる ベテランのコンダクター広重さん 英語ガイド・チームは、私たち38名に 12人位の英語圏の人々 英語ガイドの説明が楽しげにあり・・・ きらり。理解度は・・・微妙で 写真撮影は絶対に禁止くらいは理解 ベテランガイド広重さん 「撮影禁止」知っているはずなのに・・・ 「写真撮影をしても良いですか?」と聞く 英語ガイド「駄目ですよ!絶対に・・・」 英語ガイド 少し間をおき考え 「ああ・・・そうですね~ 遥々 遠い ジャパーンから この寒い中やってきて 今日は、人が少ないし フラッシュを炊かなければ・・・ 絶対にノーフラッシュを守ってくれるなら・・・ 今回に限り、撮影してもOK」との 大負け!大サービス!大・大・閑散期サービスの許可がっ! 奇跡であります! 写真 未公開の場所で・・・ これって凄い事です 英語ガイドの後をぞろぞろ50人ほどが歩く 説明ポイントには、マイクが設置してあり 英語ガイドが、冗談まじりで説明をする。 鍾乳洞は、下からモリモリモリ・・・と盛り上がっているみたい? だけど・・・これは、石灰分が多い地質の天井から ポタリ ポタリ 雨水と共に落ちてきて なんと・・・・その速度は 1cmが積もるのに・・・100年間もかかる 100年かけて1cm なんと このモッコリは・・・何百億年もかかるんだ!? 写真で見ると分かりにくいが・・・広い空間で 高さ100m以上もある モッコリもある そして、上から垂れ下がる鍾乳石と その水滴が落ちてモッコリする鍾乳石が 出会いつながる寸前を「ロミオとジュリエット」 と説明している・・・なぁ~るほど! ETじゃなくって ロミオとジュリエットか? 坂があり、その下には、深い谷が 鍾乳洞は、とても深く 50人の英語ガイドグループは、ぞろぞろ下り 戦争時代にロシア兵に作られた「ロシア人の橋」を渡り 更に下層部分の探検へと進む 自前の防水ベンチコートを着ていて 気が付かなかったのだけど・・・ お気に入りの白い毛皮の帽子が、かなり濡れている 下層部分は、特に湿気が多く 水滴も小雨と変わらない程だ! コートのフードをかぶり・・・歩く これ程の水滴で坂道を下っても滑りにくいのは 滑らない様な、コンクリートで道を作り 排水溝が、あちこちにあり 水溜りが出来ない様にしているから だそうだ! さて、下層部分に到達すると 「きしめん」が、天井から・・・ぶらさがっていますね 英語ガイド「カーテン」と説明していますね! そっか~プリーツになったカーテンね~ 確かに見方に寄っては、見えるかな!? 探検隊さらに奥までポチっとなう。→
2011.01.02
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スロベニアには、発見されているだけで、とっても大きな鍾乳洞2つもある。それは、地面に石灰岩が多い地質だからだと思う。発掘されている鍾乳洞は、まだまだ先まであると思われ、その全体を掌握するのは難しく・・・・世界一になる可能性だってありそう 『スロベニア旅日記』・・・鍾乳洞へ ブレッドから、ポストイナまでは観光バスで約2時間 ポストイナ鍾乳洞・・・・・・・・到着 ここは、美しい湖? いえ~ 違います! 雨が、続いて・・・水浸し ベテランガイドも・・・これには、ビックリ 「ここは、湖じゃ~無くて・・・駐車場ですよ!」 ええ・・・・なんと広い駐車場がっ! 湖と化している・・・・・・・・ 湖になっていない場所にバスを停車 これは、凄い探検なのであります。 入口 鍾乳洞は、あの青いイルミネーションの先にあり クリスマス前にポストイナ鍾乳洞に来る人は・・・珍しい 普通は、暑さを凌ぐ涼しい探検として人気があるからだ! お土産店も営業しているのは、1店くらいしかない そして、いきなりの雨ではなく「あられ」 パラパラ ・・・・パラパラ 鍾乳洞に入る前にトイレに行って下さぁ~い! って?トイレに行くのにあられが痛くて パラパラ ・・・・パラパラ 痛いよ~ぁぁぁぁ~ん! ポストイナ鍾乳洞のなかには、 不思議な生物がいるらしい? それを見つけるのも楽しみ♪ 夏ならば、大行列で 休むことなく出る探検の列車だけど・・・ 今日は、たったの2回の運行で 私たちは、2度目の午後3時に予約だ! そろそろ・・・です。ワクワクです。 クリスマス・イルミネーションは、出口 入口は、地味な右 1年中 鍾乳洞内の気温が8度だって書いてある・・・ 8度かぁ~私たちにとって8度って? 涼しいんだか? 寒いんだか微妙・・・ いよいよ インディージョーンズみたいな列車の線路 列車椅子だけだから・・・絶叫マシーン アトラクションみたいな列車にワクワク 体の大きなおじさまと2ショットで乗り♪ きゃ~っ! 何たる絶叫マシーンなんだぁ~ 早い、早い、 鍾乳洞を爆走~ きゃ~っ! カメラで、写してみたけど・・・ ごぉぉぉぉ・・・・ なんじゃ~周囲が ぶっ飛んでます! 真っ暗闇に ありえないスピード じつは・・・・きらり。絶叫マシーン好き わくわくは 10分位で、鍾乳洞に到着 でもその途中だけでも・・・凄い鍾乳洞 なんだけど・・・あれじゃなくて? これから1時間半も 鍾乳洞探検が始まるなんて どんだけ、凄いの? ブログ村の探検入口はこちらポチっとなう。→
2010.12.31
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欧州最大級のポストイナ鍾乳洞へ行きました!残念な事に【世界遺産】になっていない!なぜなのだろう?鍾乳洞と言うのは、地中深い所にあるのですから、これが世界一だと認定することは不可能だそうでありまして・・・・ 鍾乳洞(しょうにゅうどう)って何だ? 石灰洞(せっかいどう)とも呼ばれ 洞窟内に生じた鍾乳石などの洞窟生成物(二次生成物) 石灰岩が地表水、地下水などによって侵食(溶食)されてでできた洞窟 洞窟を胚胎する地質的な母岩の種類 ふつう・・・石灰岩地帯に存在する。 世界の著名鍾乳洞は? シュコツィアン洞窟群【世界遺産】:スロベニア ポストイナ鍾乳洞:スロベニア アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群【世界遺産】:ハンガリーとスロバキア カールズバッド洞窟群国立公園【世界遺産】:アメリカ合衆国 マンモス・ケーブ国立公園【世界遺産】:アメリカ合衆国 アルタミラ洞窟【世界遺産】:スペイン スロベニア・・・・・・有名な「鍾乳洞」2個もある・・すごいです! でも『ポストイナ鍾乳洞』は、世界遺産じゃ~無いなんて! そうなんだ・・・まだまだか? 今回訪問したスロベニアを始め旧ユーゴスラビアは「石灰岩」だらけで どこへ行っても白い石灰岩だらけ・・・ ですから、地中の深く 誰も到達していないむっちゃ~深くは、 みんな鍾乳洞になっているのでは? と、思うのであります。 これは、きらりの推測でありますが・・・ こんな石灰岩だらけの国は、見たことが無いからであります。 さて、そんな世界にもまれな 広大な 地中空間 「鍾乳洞」とは? 私は、今からインディージョーンズとなって 高速で もぐるのであります。 ワクワク・・・・ ええ・・・どうして高速なの? こちらも高速でポチっとなう。→
2010.12.30
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憧れていたブレッド湖と聖マリア教会そして岸壁の上に建つブレッド城を見て来ました。曇り時々パラパラ降るお天気だったのが、残念でしたが、ブレッド湖畔にて「七面鳥」とスロベニア名産の赤ワインをいただく事ができました・・・ 『スロベニア旅日記』・・・湖畔のレストラン 先週降った雪が積もるブレッド湖畔 ここが・・レストラン お団子入りのスープ 新鮮なサラダ ターキーフェレット そしてスロベニアの赤ワイン・・・1.4ユーロ 何よりは、スロベニアのイケ面ウェイター(隠し撮) 旅友との楽しい会話 何と幸せな一時なのでしょうか? クリスマス前の「七面鳥」にポチっとなう。→
2010.12.30
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スロベニア北部にある「ブレッド城」は、断崖絶壁の上に11世紀の最初ころ、お城が建てられたそうであります。一気に登った展望台から冬の絶景に感動して、そのまま暖かそうな「MUZEI」へ入る。美術館?と言うよりこれは、歴史博物館ですね♪ 『スロベニア旅日記』・・・MUZEI ブレッド城の2階部分 クリスマス装飾の博物館入口 外は、マイナスの世界だけど・・・ここは、暖かい MUZEI 美術館と言うより 歴史博物館 古代からの歴史的な展示物 民族衣装も多く・・・MUZEIは 新しさを感じる レプリカが多い気もしますね~ その中で 中世展示コーナー入口 興味深い・・・鎧 兜 槍 大きな金属製のお風呂 寝ながら入る湯船があったんだ~ スロベニアの人は、進んでいた! ベルサイユ宮殿にだって無かった 大きな寝る湯船 そしてこれは、トイレ 坐るタイプの 木の 洋式便座 ビックリしたのは・・・ 小窓が ええ・・・もしかして? 男性は、 ここで立って用を足しながら ブレッド湖の「聖マリア教会」を見たのかしら? それって気持ち良いのかな? どれどれ。。。やっぱし見える きらりは、どうも理解できないけど・・・ 城主様は・・・きっとこれが最高の楽しみ♪ だったに違いない・・・ ブレッド城の岸壁から飛び降り命を絶とうと来た人が、この絶景を見たら、そんな気持ちが失せ「生きよう!」と思うのだそうで、未だこの断崖絶壁の上からの自殺者は、無いと言う! ブレッド城から・・・もう一度冬景色を見て下山 次回は、暖かい季節にイケ面と二人テラスでランチ希望 ブログ村ランキングポチっとなう。→
2010.12.29
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スロベニアを代表する観光地「ブレッド」は、イタリアのアルプスを越えた所にある。アルプスの氷河が溶けた青い湖にケーキみたいなお城?ブレッド湖を見下ろす絶景は「絵のように美しい」と言われるのですが・・・果たして、冬のブレッド湖は、どうなのでしょうか? 『スロベニア旅日記』・・・ブレッド城 ブレッド城は、ブレッド湖を半周した所 お城の下に到着すると ユーロの旗 スロベニアの旗 ブレッド市の旗 ブレッド城 ブレッド湖とブレッド城の絵が入っているカワイイ旗 ドイツのクリームケーキ「Cremeschnitte」 そのモデルは、このお城だそうで・・・ 断崖絶壁を利用して建てられたお城 高さは・・・100mだったか? 130mだったか? 湖の横にポコンと聳えている さて駐車場から私たちは、登りました。 はぁ~はぁ~ヒィ~ヒィ~一気に駆け登り コンダクターより早く到着 コンダクターがチケットを買っている コンダクターの ガイディング・レシーバーのマイクから きらりの「はぁ~はぁ~はぁ~」と言う声が 38人全員の受信機から聞こえたみたいで コンダクター 「あ~今の息切れは、僕のじゃ~無いですよ! 星野きらりさんのですからったくぅ~若いのに」 皆さん大爆笑 星野きらりは、ここで名を知れれる事となる あああ目立たないようにしていたのにぃ チケットを買い門から入場 いきなり写真撮影され 満々の笑みにピースサイン(だけど買わない) ブレッド城は、最初に11世紀に建造され 何度も城主が変わり その度に大きくなり 16世紀の大きな地震によって再建された ロマネスク様式 と ゴシック様式のMIXで 中世のお城らしき特徴が多い 中世のコスティウムに包まれたお方がっ ここは、ワイナリー スロベニアはワイン生産でも有名で リーズナブルで美味しい・・・ 帰りに寄ろう~と思っていたのに 帰りには、急いで駆け下り・・・ おっと~忘れちゃいました! とんがり屋根は、 リトアニア辺りの中世のお城で出会った気が・・・ 2階部分に到着 展望台です。 絶景です~さっき行ったブレッド島の 「聖マリア教会」が、ブレッド湖に浮かんでいます。 これが、憧れの絶景です。 夏になると パラソルを開き 絶景堪能 屋外レストランになるのだと言う 真っ青な氷河湖に緑鮮やかなブレッド湖ではありません! 黄葉も終わり、先週降った根雪が残る 冬の始まりのブレッド湖 おお・・・残念なり しかし、こんな写真は、めったに無いと・・・ ベテラン・コンダクターも自分のカメラを取り出し 研修会の資料にしますよ! ああ~僕も 景色をバックに写して下さいね・・・ どうもコンダクターの先生みたいな方らしく ブレッド湖に冬に行った証拠写真は・・・ 凄いお宝映像らしい? では私もお宝写真にポチっとなう。→
2010.12.28
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今回の旅は、年齢層が幅広くて、とても楽しい旅でした。どんなに年齢が離れていても、私たち38人のグループは、同じ飛行機に乗り、同じバスに乗り、同じ釜の飯を9日間も食べる「旅友」であります。何より海外旅行が趣味だと言う共通点が、あるのですから気が合うに違いない!呉越同舟 『スロベニア旅日記』・・・旅友の話 話は、前後してしまうけど・・・ 「pletana」ボートに乗る時の話です。 「pletana」ボートは、とても不安定で 私たちのグループ38名は、 半分ずつ2つに別れ舟に乗った。 笹舟みたいにゆらゆら揺れる だから、ひとりづつ揺れないように乗る 若いご夫婦が居て もしかしてハネムーンかな? と思い・・・きらりは、 「どうぞ~一番前の席にお2人で坐ったら))」 「もしかして新婚さんかしら?」みんなでガヤガヤ これが、 まかろんちゃんご夫婦との初めの会話だった気がする まかろんちゃんは、 「私たち、いつもそう思われてしまうんです~これでも結構~古いんです!」 ご主人も・・・ 「妻は、若いけど僕は、結構いってるんですよ!」 とか?そんな感じの会話だった気がする それでも他の熟年カップルと比べてしまうと・・・ ご主人も 同じように若いと思う 何より 初々しさがあるし・・・ そんな、まかろんちゃんご夫妻を 一番前の特等席に坐らせたつもりが・・・ 雨が ぽつぽつ まかろんちゃんは、 「あら~この席って雨がダイレクトに落ちてきて最悪だわ」 皆さん、大笑いガヤガヤ・ワイワイ ここで、クラブツーリズムのイヤホン イヤホンガイドを耳に付ける様に言われる (ガイドの説明が50mくらい先まで聞こえる優れたマシーン) 「あらぁ~耳に付かないわ~」 「私も、これ苦手なのよね~」 「痛いよ~」ワイワイ・ガヤガヤ まかろんちゃん 「耳太郎」って名前のイヤホンガイドの会社もありましたよ! きらり。 え~「耳太郎」面白い! ワイワイ・ガヤガヤ・・・・ 観光初日のスタートで 「pletana」ボートに乗り みんな有頂天 そこに、ドスの効いたおばちゃまの声がっ! 「~っ!皆~ガイドさんの話を聞こうよ!聞こえないよ!」 きゃ~ぁ! 怖いおばちゃまが居る・・・・・・・っ! ドキドキ 全員は、この静まりかえった この閑散期の湖と同じように・・・し~ん! あれは~鶴の一声か? 無言で舟に乗って、ブレッド島へと上陸したのであります。 さて~辛口のおばちゃまとの旅は・・・・ これも内緒のお話ポチっとなう。→
2010.12.27
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「ブレッド湖」神秘的な美しい湖の訳は、氷河が溶けた水で出来た深さ57mもある氷河湖であるからであります。ローマ時代に発見されハプスブルク家に支配された時もあった。温暖な気候の為に昔から欧州の貴族が好んで訪れたそうです。冬なのでブレッド湖は、私たちで貸切です!ただし、クリスマスだけは、ブレッド湖の中央のブレッド島にある「聖マリア教会」でミサがある為に賑わうと言う。さてその聖マリア教会には、イケ面の「pletana」と言う小舟で渡るのであります。 『スロベニア旅日記』・・・聖マリア教会 「pletana」ボートが、ブレッド島に到着 船頭さんは、2本のオールで笹舟みたいな舟をひとりで漕ぐ 船頭さんハプスブルク家系のイケ面が マダ~ムと手を添える 見上げると・・・100段の階段が関所 「聖マリア教会」結婚式をする場合 花婿は、花嫁を お嫁さん抱っこして・・・この階段を 一気に登らないといけない そして花嫁は、その間 一言も口を聞いては、いけない! そうであります。 この階段 確かに 結婚式前の関所であります! 新郎は、ジムで鍛え 新婦は、ダイエットとおしゃべり禁止 これは、昔から お互いに 結婚する条件であり、大事な儀式であるのでしょう! さて きらり。お嫁さん抱っこをしてくれる マッチョな トトロみたいな新郎も居ないので 慎重に登る・・・おばさまたちを追い越し 自力で 一気に 駆け登る はぁ~ はぁ~ はぁ~ おおお・・・・・良い景色 澄んだ空気に朝もや もやもや~ 「聖マリア教会」が目の前に さ~急いで 中に入りましょう・・・・・ 外から見ると地味な教会ですが・・・ 内部は、素晴らしい祭壇 後ろの部分には 壁画 キリストが貼り付けになるまで・・・ 紋章・・・・・ 十字架・・・キリスト降下 さて いそいそと 来たのは・・・ 教会の鐘を鳴らすことが、目的 何故にそんなに鳴らしたいのか? って? それは 「この教会の鐘を鳴らすと何でも願いが叶う」 と、言うのです・・・・ ええ・・・・・・・っ! 鳴らそう・・・ 1番最初にツアコンの広重さんが ロープを思い切り引いて見本を カラ~ン コロ~ン 思ったより 重々しく 深い音 続いて大病を克服して この旅に参加した老夫婦 カラ~ン コロ~ン 3番目は、きらり。 秘密の秘密のお願い事を叶える為にトライ カラ~ン コロ~ン そして 若~い ご夫婦も カラ~ン コロ~ン 若くても 音は、渋~く 深~く カラ~ン コロ~ン お願い事は、38名の参加者全員があるみたい カラ~ン コロ~ン カラ~ン コロ~ン カラ~ン コロ~ン カラ~ン コロ~ン 街の人は、久しぶりの観光客に驚いた事だろう! 「聖マリア教会」のお隣には、ショップが 絵葉書購入 奥には、クリスマスの飾りがいっぱい 可愛かった 見ていたのは、私が最後 チャンス ノートに 「2010年12月9日ふろむJAPANほしのきらり。」 書き込み・・・おっと~急いで階段を駆け下る。 来たら確認よろしく ランキングも確認ポチっとなう。→
2010.12.26
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さていよいよ「スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロ9日間149800円の旅」最初の観光地スロベニアのブレッド湖に出かけます。湖畔から歩いて5分のホテルに宿泊したので、朝からいきなりの観光です。 『スロベニア旅日記』・・・絵のように美しいブレッド湖 旧ユーゴスラビア スロベニアの北部 ブレッド湖は、朝から霧が立ち込めていた 神秘的な美しい湖の訳は 氷河が 溶けた水が 溜まった 深さ57mもある 氷河湖であるから ローマ時代に発見され 持ち主は、何度も変わり ハプスブルク家に支配された時もあった 温暖な気候の為に 昔から 欧州の貴族が好んで訪れたそうです。 旧ユーゴスラビア時代は 悪名高いチトー大統領が愛し別荘もあった ブレッド湖は、不気味な程に静かだった・・・ 今では 夏は、欧州から観光客が押し寄せ キャンプ テニス 水泳 釣り ハイキング 登山 ゴルフ乗馬と貴族的なリゾート地の雰囲気もある 冬なのでブレッド湖は、 誰も居ない 私たちだけの 貸切 ただしクリスマスだけは、 ブレッド湖の中央のブレッド島にある 「聖マリア教会」でミサがある為に賑わうと言う さてその「聖マリア教会」には、 プレントゥナボート「pletana」と言う 小舟で渡るのであります。 小舟・・・それも2本のオールで漕ぐ 「手漕ぎボート」 ブレッド湖では、 手漕ぎボートしか許されていないと言う! なんと言う 中世の雰囲気なんでしょうか? そして、舟を漕ぐのは、 ハプスブルク家系の貴公子・・・・・・・超イケ面 なんとメルヘンなのでしょうか? 幸せを絵に描いたとは、こう言う事を・・・・ しかし 絵にように美しい湖は・・・ もやもやどこまでもやもや霧の中に隠れ ぽつんと見える小舟は私たちのグループの半分 時折ポツポツ雨も 大人好みの・・・冬の芸術的な世界? いや~今朝 見た 白黒テレビと同じか? カラーにしてっランキングポチっとなう。→
2010.12.25
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メリークリスマスとは、言っても何処へ出掛かるでもなくお仕事だったきらり。世の中には、そんなクリスマスイヴだった人も多いとおもうのですが・・・今回の旅は、最初のお宿で雪が積もったホワイトクリスマスをひとりで満喫♪ 『スロベニア旅日記』朝からクリスマス 1泊目クロアチアのホテル朝食バイキング 早くも独りでメリクリメインは、ケーキ クロアチア・ブレッド湖「きりむ」 HOTEL KRIM 到着したのは、10時頃だったので夜 きりむホテル 絵のように美しいと言われるブレッド湖は、坂を下った所 50年の歴史があるホテルだけど お部屋は、こじんまり清潔で気持ちが良い 旧ユーゴスラビアのホテルは、 まだまだ設備が充分では無いとの事で覚悟! そうです・・・入浴剤は無理です シャワーで我慢 シャワーは、しゃ~しゃ~出るけど 掛ける所がブロックンだから・・・変な角度で飛んで苦心惨憺 でもドライヤーが付いて居たのは、大助かり だって部屋が・・・・寒いっ! おっと、暖房の操作は? どこを探しても・・・無い どこだ~暖房調節は? 色んな所をめくっても・・・・無いぞ そっか、全体で管理しているみたい? 外は-10度以下の世界 この程度なら大丈夫凍死しないだけましか! お部屋の窓からは、教会の鐘の音が~~)) にわとりのクリスマスイルミネーション 素的です! ブレッド湖の辺りでは、 先週金曜日に80cmの雪が積もったそうで 大きな もみの木が自然に生えていて イルミネーションより そっちが凄い 良いクリスマスですそれも静かな 窓から メルヘンな おとぎの国のクリスマス うっとり 朝起きてTVを見たら・・・ モノクロ ええ・・・・・・・っ! 白黒テレビだぁ~ すっごいです! 白黒 白黒・・・・何処を見ても もしかして スロベニアは、カラーテレビ無いの? いや~ロビーには、大きな薄型テレビでサッカーやってたよ! メリクリうっとりポチっとなう。→
2010.12.25
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スロベニアと日本の時差は、8時間。12月8日午前6:30起床。成田発13:25ドイツ、ミュンヘン着17:35(ここで時差8時間)オーストリア、クラーゲンフルト着20:10オーストリアからスロベニアまでは、1時間半のバス旅。21時半は、夜の9時半だけど・・・日本では、朝の5時半であって、なんと過酷な24時間の旅でありました。 『スロベニア旅日記』24時間の過酷な旅 オーストリアのクラーゲンフルトから 今回の旅の全てを担当するドライバーは・・・ ドーマンさん 静かな貴公子・・・・・イケ面 身長197cm ご自宅のお山では、ぶどうを栽培しワインを醸造 ドーマンさんの慎重かつスピーディーな運転で オーストリアから スロベニアへ さぁ~この高速道路の料金所みたいな所が国境です。 (国境にて写真無し) オーストリアの大きなゲートを出て 「元・非武装地帯?」 ・・・・オーストリアにもスロベニアにも属さない場所・・・草ボウボウ スロベニアのゲート(明らかに地味) ええ・・・・・・・・国境なのに パスポート出さないの? って事は・・・・スタンプは無しなんだぁ~ がっかり! だって今回の旅は、「スタンプ・ラリー」みたいなもの どうして国境を簡単に通過したのかと言うと・・・ スロベニアは、 旧社会主義国としては 1番最初4年前 2007年1月1日 欧州連合 ユーロに加盟 通貨も、 スロバニア = トラーから ユーロに変わっている。 社会主義国との厳しい国境であったゲートは、 今は夜だから真っ暗で・・・不気味な感じもしました。 旧ユーゴスラビア時代からツアコンだった広重さん 社会主義国との国境の厳しかった事を語る。 しかし、これから9日間 その厳しい国境を何度も越え・・・ドキドキ 私たちは、その厳しい現実を味わうのであります。 その国境を越えるには、技とコネクションがっ さて「地獄の沙汰も○○次第」って? ランキング優しくポチっとなう。→
2010.12.24
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成田空港から、ドイツのミュンヘンまでは「フランス姉さん」の隣で過ごした12時間でした。下船してから「じゃ~ぁ良い旅をね~」「良いクリスマスをね~」と言って別れたのに、ミュンヘンで乗り換え待ちの時に、フランス姉さんが公衆電話で電話している♪搭乗口で坐っていると「あ~あそのに無料のコーヒーがあるよ!」と、教えてくれたり、やっぱしフランス姉さんは親切♪これで飛行機に乗るから・・・最後に姉さんとハグをして一期一会となった。 『スロベニア旅日記』・・・フランス兄さんと♪ ミュンヘン→オーストリア・クラーゲンフルト LH2352 座席は・・・・・・・・8A またまた窓際です。 今度こそ オーストリアの貴公子がお隣? ハプスブルク家の御曹司は・・・・・・ ドキドキドキドキ ああああ・・・・・・・・・狭い小さな飛行機に 大きな 大きな 2人連れがドスコイ 体を縮めながら(小さい飛行機なので直立出来ない) どんどん こちらの方へ どこに坐るんだろう このデッカイ2人 こんなに大きな人が 2人で坐れるの? 2人は、フランス語 ああ・・・またフランス人 えええ・・・・・・・もしや? 大きな「フランス兄さん」は、 すでに坐っているきらりの顔を見て にっこり (僕の席は、ここなんだ~)と目で合図 えええ・・・・・・・っ むっちゃ~ むっちゃ~ デッカイんですけど~ (推定 身長2m 体重180K以上) きらりの方まで 座席を、お腹がっ はみだして ええええ・・・・・・・・・ 凄いんだけどぉ~ そっかぁ~ だから お友達同士 お隣に坐れないんだ! これだけ大きな人は、普通 ビジネスに行くのだろうけど・・・ 60人位しか乗れない 小さな飛行機だから ビジネスも無い だから。ちびジャパニーズの隣に坐らせるんだろう? 嘆いているきらり・・・・じつは あんこ型の(豊ノ島)好き ウッシッシィ トトロだぁ~ トロロだぁ~ 19:05 ドイツ ミュンヘン発車 フランス兄さんは、いよいよシートベルトに手が えええ・・・・・ シートベルトが、とどくの? ・・・興味津々・・・ どうするんだろう? じろ~り 「フランス兄さん」自分のお腹が邪魔して シートベルトが見えません! それでも いつもの事みたいで 手探りで・・・ きらり方のシートベルトを とってあげて どうぞ 「あなたは、相撲レスラーですか?」 と聞くとニッコリうなずきながら シートベルトを足の付け根辺りから差し込んで 装着完了! そうか~足に近い所で 止めるんだぁ~ 「良かったね~届いたね!」 しかし眠い (日本時間:午前4時) きらりはトトロのお腹で眠りたい なんて思っているとZZZZZzzz 「フランス兄さん」のお腹でなく 自分の座席で きちんと獏睡 約1時間 軽食が出たのに・・・ 起こしてもくれないトトロ兄さん・・・いやフランス兄さん でもフランスの豊ノ島だから・・・許そう 乗船した時のチョコをパクリと口に押し込み ゲン直しENJOY! LH2352 クラーゲンフルト着 21:00 棚の荷物をサッと下ろしてくれる「フランス兄さん」にこにこ きらり「メウシ~」 立ち上がると やっぱし彼は、本物のトトロだった! 癒しのトトロにポチっとなう。→
2010.12.23
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今回の目的地の説明は、難しいです。ユーゴスラビアやサラエボオリンピックを知っているだけで、あららお年は?と聞かれてしまいます。旅友になった「おじいちゃま」に聞くと、チトー大統領が居た所だよ!と説明されて、ああああ~チャウセスクは、知っているけどチトーは、何とわなしに誰だっけ? 『スロベニア旅日記』・・・機内ミステリー こんなお話をしたら・・・駄目かな? 誰にも言わないで下さいね! やっぱし・・・・やめとこうかな? これは、ミステリー ルフトハンザ・ドイツ空港に乗って 「トイレは、地下1階でございます。」 と、案内があった。 えええ・・・地下にトイレがっ! 珍しいじゃん! イソイソ音入れ拝見に! ドアには使用中のマーク 使用中 使用中 使用中 使用中 ああみんな音入れ拝見隊か? 待っているのは、私だけ し~ん! 満室の割りに静かだな・・・ あああ・・・・1つ空いてる なぁんだ~空いてるじゃん! きらりノックもせずに ガラァ~っと ドアを開けたら・・・ 中には・・・ お帽子をかぶった 小さな小さな 可愛い おばあちゃまが (便座に) チョコンと坐っていた 無表情で目だけきらりを見ている あああああ・・・・・・・・・・・・ ごめんなさい~っ 秒殺で閉めたけど・・・ 確か居たよね こっちを見たよね! どうして居たの? 今、見たのは、アリエッティー? そうそうアリエッティーに違いない ならいいけど・・・もし そのおばあちゃまが、同じグループだったら? きゃ~っ! ありえないです・・・・ アリエッティーおばあちゃま 私はおトイレを覗いていません・・・・ 見たのは、貴女の帽子と印象的な目線だけです! しかし、そんな出来事は全部すっかり 忘れ・・・・・・楽しい旅♪ あああ・・・・・・・・ あのアリエッティおばあちゃまが そうだ~今頃 気づいたんです! ゴメンナサイ~ アリエッティおばあちゃま 貴女は、知っていたの? ゴメンナサイね。 これは、秘密の極秘のお話です。 このお話 誰にもつぶやかないでポチっとなう。→
2010.12.22
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クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロ9日間の旅は、始まりました。きらりは、団体旅行に「ひとり参加」気ままな「なんと楽しい♪大好きなひとり旅」が始まりました。ウキウキ絶好調であります。LH=715便に乗り込んでみると・・・ 『スロベニア旅日記』・・・フランス姉さんと♪ LH=715 座席は・・・・・・・・・40A AとBカップルで坐る機種 中央4席 窓際2席 きらり 40番目の左窓 12時間も ひとり旅だから お隣が心配 オーストリアの貴公子だったら・・・ ハップスブルグ家の貴公子がエコノミーなんか!? なんて想像がっ 歩いて行くと・・・ 40B 外国人のレィディー ニコヤカに私を見ると 席をすっと立ち私を奥の40Aへと導く LH=ルフトハンザドイツ航空だから ドイツ人レディーかな? でも神経質な顔立ちは、フランス人ぽいけど・・・ 後々、話していると彼女は、 フランス人で、 家は、南フランスにあると言う ドイツのミュンヘンから南ミフランスへ乗り継ぐそうで お隣席の人の戸籍調査をしたくないけど・・・ 話は、ちょいと そんな事しかないので・・・ おっと~ きらりは、フランス語がペラペラなの? なんて はず無いでしょぅがぁ~ 「義理の母が急に亡くなりお葬式に行った」 そうで 義理の母と言う事は・・・・ 夫は日本人だと(推理) 「10年以上も日本に住んでいて・・・今はフランス住まい」 「今は、1年に1回、日本に出かける」そうで ほほう~今は、日本人の夫と南フランス住まい?(推理) その夫の母が急死して来日 しかし、帰国するのは・・・彼女ひとり おっとっと~(離婚して南フランスに帰ったの?) なんか~これ以上 戸籍調査をしては、いけない気が・・・ 話を変えて、 「もう年末ですね~南フランスに帰ったらクリスマスツリーを飾るのですか?」 と聞くと・・・・ 「子どもがいるからね~飾るよ!」 ほほう~子どもがっ! またもや戸籍調査となった~ だめだめ・・・ ここで子どもが何人とか、ご主人は一緒に暮らして居るか?とか 聞かない事が・・・きらり旅のオキテ フランス姉さんは、とても親切な人 私が、ウトウトしかけると・・・ 2席後ろが、キッチンだった為に ドイツ男性CAと女性CAが大声で話しているのを気にかけて そこまで行って「少し静かにできません?!」 (フランス人は、ドイツ人に厳しいのか・・・ヒットラーの恨み?) と 言いに行ってくれたり。 カウンターから「鮭おにぎり」を 私の分まで持ってきてテーブルに置いてくれていたり・・・ なんて言う優しさだ~ぁ フランス姉さんは、さすが日本人と結婚してるだけあって 気遣い抜群であります 12月8日は日本にも今年最高の寒気団がやって来ると言うので 成田空港から飛び立ってから 1時間半くらい揺れつづけ 1回目の機内サービスと昼の機内食は、午後3:30 日本食メニューきらり「ビーフ」を選択 フランス姉さんは、「チキン」を お箸で きらりは、フォークとナイフで食べた 不思議なふたり旅になって キッチンコーナーで二人で休憩していると CAさんが、 「お二人は、お友達同士ですか?」 と、聞かれた きらり「はい!機内でお友達になりました」 フランス姉さんも、きらりと肩を組んでニコニコ 姉さん葬式帰りとは、思えない楽しい旅なんだけど・・・ 2回目の機内食は、 パスタに ドイツ男性CAさん「コニャックでもお作りいたしましょうか?」 と、聞き取りにくい 日本語で 言われたのだけど きらりは、ドイツ語だと思い???? フランス姉さんが、 男性CAさんの日本語を日本語に通訳してくれた! 最近 練習中の日本語なのだろうけど・・・ (丁寧な日本語であり、コニャックだけ発音がドイツ風) ペンネうまし!黒オリーブに赤ワインうまし! ルフトハンザのトイレは、地下1階で 階段を降り 個室が7つくらいある そこにもカウンターがあり 飲み物や軽食が置いてあってナカナカ快適 フランス姉さんは、デジカメの写真を確認してる しかし、写真を覗くと・・・ その写真の話で長くなるのは、嫌なので(無視) ちらりと、見えたのは・・・ 日本の田舎での(東北かな?)お宅の写真が見えた そんな姉さんの暇つぶしより・・・映画見なきゃ~ぁ 1、ディカプリオのサスペンス映画「インセプション」 2、アメリカ映画「巡り会えたら」・・・どっちも面白かった ミュンヘン到着 フランス姉さんは、南フランスの子どもと おお~発音抜群フランス語だぁ~ いよいよミュンヘンで下船・・・姉さんは、先に降り 飛行機の外で、きらりを待っていてくれた! フランス姉さん「じゃ~ぁ良い旅をね」 きらり「良いクリスマスをね」 旅日記飛ばしてますランキングポチっとなう。→
2010.12.22
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ここは読まないで、12月8日(水)午前2時半頃まで眠れず(いつもの事だけど、小学生の遠足状態)朝6:25家族に起こされ「ええ~っ寝坊した!」朝ごはんは、昨夜セブンでおにぎり2個買っておいたので食べずに、お風呂も念のため夜に入って髪も洗っていたので、寝ぼけた顔に「何よりメイク」だけさらっと、トランク転がしバス停まで行くと6:59発のバスが来ました。予定通りですね~総武線三鷹駅7:33発乗車・通勤時間帯なので座席は、折りたたんであって私は、隅でトランクの上に坐る。新宿駅から山手線外回りにて日暮里へ日暮里から京成本線特急8:30乗車う~以前より成田空港に行く人が激減!お金持ちは、京成新特急と成田EXPと「羽田発」に行ってしまったからだろう!普通運賃1000円のケチケチコースは、貸切状態です。そうそうガラガラだし向かいに坐っているおばちゃんは、寝ているし、おにぎり2個を車内で食べる。おおお~東京スカイツリーと真っ白にお化粧した富士山が同時に見える~素晴らしい旅が始まる気がする・・・ 『スロベニア旅日記』・・・第1回 2010年12月8日(水)午前9:48 成田第1空港 今年はクリスマスツリーじゃなく 「メリークリスマス」とガラスのサンタがお出迎え 成田空港 集合 10:55 成田空港発 LH715 13:25 LH=ANAのマイレージが付いているか確認 両替 1ユーロー 111,28円 (円高なので5万円両替) 時間が早すぎじゃん! 9日間の過酷な旅 ツナマヨ鮭 計2個食べたばかりだけど 景気づけに日本料理 お寿司1300円を奮発 おっと・・・集合時間だぁ~ 「クロアチア・スロベニア・ボスニア・モンテネグロ4カ国周遊9日間」 サイト 旅行社=クラブツーリズム 参加者=38名 ひとり参加=10名 高齢者が・・・いつもより少ない いや~若いって言うか 見た目も実年齢も若い 男子と女子が多いです 14回も国境を越え 7つも【世界遺産】を巡る・・・ これは、この旅が いかに過酷であるか・・・であります。 コンダクターは、来年に定年を控えた超ベテラン「広重」さん(仮名) 4年前から一般に旅行されるようになった場所でありますが、 「ユーゴスラビア1984サラエボオリンピック時代」 以前から案内されている超ベテランのコンダクター しかし、38名もの大人数は、初めてだと言う それは、最安値149800円だからでしょうか とりあえず、世界中を旅して・・・残りはココだけ なんて言う変わった方の集まりです。 (はっきり言って変人が多かった) ぼちぼち搭乗口進む それにしても早すぎ・・・ぶらぶら ランコムで黒いケースの旅行用ポーチ あら~これ便利じゃん! 「お客様~これは、最後の1品でございます!」 ええ~っ!その言葉に弱いきらり。 早くも・・・・・・6200円の消費 こりゃ~日ごろのケチケチ生活のストレスが溜まり・・・ヤバァイ 危険なお財布にポチっとなう。→
2010.12.21
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今頃ヨーロッパに出かける事が多いほしのきらり。でありますから「クリスマスマーケット」には何度も遭遇しております。ご存知の方も多いでしょうが、日本のクリスマスイルミネーションは、豪華絢爛でありますが、ヨーロッパは、比べてしまうと「しみじみ」っていう感じであります。そのしみじみした街のイルミネーションも撮影してまいりました。特に幻想的だったクリスマスイルミネーションの1枚こんな感じ スロベニア「リュブリアーナ」クリスマス市にて なんかぁ~走りながら写したとは思えないしみじみ感・・・ 今回の旅行は、お買い物をしないつもりで・・・・ 小さなトランクで出かけてしまったのが・・・・ 大変な買い物三昧に・・・・反省(全然反省してないけど) あきれた女にポチっとなう。→
2010.12.19
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