セイシェル旅行記 その10


乗合バス いく先は極楽島・・・

キャッチ!インザヘブン

バスステーション マヘ島と路線図



 民家が数軒ある道沿いには大抵バス亭があり、そこに人が立っていて、バスは留まる。
一体どこにひとが住んでいるのかと訝るような深い山中の道沿いでも、それを数回繰り返した。
先客は誰一人降りることはなく、全員がヴィクトリアの終点バスターミナルをめざすようだ。
皆、物静かに座っている。
セイシェルのひとびとはとても穏やかな感じがする。
これまでクレオール・トラベルの社員のとしか交わりがなかったが、バスに揺られながらそう感じていた。
バスの昇降客で、知り合いがいても軽く握手するか挨拶を交わす程度で大声でお喋りする光景に出会わない。
セイシェルではまだまだめずらしいであろう私たち東洋人に関心を払うこともなく、従ってこちらも構えることなく自然体で過ごせる。
すごく心地よい。
これまでの外国の旅行先で乗った路線バスでは、このような経験をしたことがない気がする。
アフリカの国々では特にそうだった。
いつも、誰かに見られているような感覚があった。
ここ、マヘ島ではそんな気兼ねとは無縁の世界だ。
爽快な気分だ。
バスの窓は開いたままで、風が絹肌のように触れ、爽やかで気持ちよい。
ドアまで開いたままなのは愛嬌というより少々スリルもある(笑)。
山間部を登りつめてきたバスは峠にさしかかる。
高度を下げてきた。
瞬間的に真っ青な海と濃い緑の島々が目に飛び込んできた。
美しさに心奪われる海洋公園のセント・アン島、サーフ島、モヤネ島などである。
セイシェル空港へ向け低飛行をはじめた上空で窓から対面した、あのエメラルドグリーンの世界だ。
外洋のコバルトブルーの海と、リーフ内のエメラルドグリーンの海が際立ち、とても美しい。
セイシェル空港へ向かう上空からも、同じ峠からホテルで向かうバスでも、いつもセント・アンの島々は海に映え、明るく揺らめいている。
車窓からの美しい青さとバスにおとなしく乗っているセシルワ。
そのとき啓示的に閃いた言葉があった。
すぐメモ帳をリュックから取り出し書き綴った。
―人生とは美しい乗り合いバスだ―
海洋公園の手前は河口があり、瀟洒な家が並ぶリゾートと港がある。
エデン・アイランドという人工島に港や別荘を整備している。
外国人富裕層がクルーザーで乗り付け別荘に滞在する、というプロジェクトだ。
セイシェルの最重要産業である観光業は、ほとんどが外国資本の注入により整備され、観光収入により国が成り立っていると言われている。
ホテルを建設するにも、国土の賃借料や自然保護協力費などを払いつつ、また水道や電力などのインフラ整備はホテル側がしなければならない仕組みになっているらしい。
セイシェルは、その美しい自然を最大限保護しつつ、国家収入源として充てているのだ。
「なぁなぁ?昨日、空港からの送迎バス、あそこでまずお客さん降ろさんかった?で、ほんであっちの右手側の方が街じゃ、ヴィクトリアなんじゃな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「なんで返事してくれんの?」
急に素っ頓狂な声をあげる。
「そーだろ、そーだろ?そーやろーて考えよったとこなんよ」
「なんな?その間。あんた、朝のテレビ小説「ちりとてちん」そのまんまみたいなおもしろさやな(笑)」
坂道にへばりつくように立ち並ぶ家々の間を抜け、坂道を降りきると大通りにでる。
大きな通りでも車の往来は少なく、信号機や横断歩道も全く見かけない。
たまに走っている車は、アフリカ諸国でよく見かけるオンボロ車ではない。
真新しい日本製だ。
しかし、車の所有者が少ないからか、どの車もかなり無理をした数の人間が乗車している。
ほどなくしてバスはヴィクトリア・バスステーションに滑り込んだ。
11時25分、メリディアン・ホテル前からちょうど30分の小旅行だ。
乗客全員が降りた。
もちろん、ここが終点だ。
しばらく、帰りのバス経路の番号を確認するためバスの路線図の看板を眺めていた。
乗客者が散ると、周辺は人っ子ひとりいなくなった。
今日は日曜日ということもあるし、ちょうどお昼時でもある。
島のバス路線は、ヴィクトリアから海岸線を北上して、マヘ島でホテルが一番ひしめく合うヴォー・バロン(BEAU VALLON)などのノースポイント行き、最高級リゾートのバンヤン・ツリーがあるサウスポイント行きながあるが、起点はすべてここだ。
ハニーは、ステーションの看板と、キャサリンにもらった路線図のコピーを見比べていた。
「帰りも11号ね。帰りは・・・・・13時50分のバスに乗れるかな?」
「小さい町じゃけん、それくらいで十分じゃわ。日曜じゃし、観光名所もないし」
時計の針はもうすぐ正午だ。
バス・ステーションは町の中心部から少しだけそれてあり、辺りは建物もさしてなく、日差しがもろに当たる。
ヴィクトリアの街は、南国独特のまばゆい光に包まれていた。
―光の屈折度がここだけ違う―と謳ったのは写真家の三好和義氏である。
セイシェルのバード島を撮った「RAKUEN楽園(小学館)三好和義 1985年刊」」が鮮明だ。
そして、あの写真どおり強烈な空の色だった。
氏は、地球上でセイシェルほど光の強い場所はないと綴っている。
「――バードアイランドほど空の青いところはない。ちょうど太陽が真上にくると、水平線あたりは暗いぐらいに青くなる。撮影にフィルターなんか必要なしだ。まるで宇宙から地球を見ているといった感じなんだ――」
「――モルディブの太陽は眩しい。気をつけないと肌が焼きついてしまう。シャッターもとても速く切れる。ボートの上からでも片手で撮れる。ハワイのよりずっと強い。セイシェルの光はこれより約1段ぐらい強い――」
この書によって、私ははじめて「セイシェル」という「楽園」を知った。
そして、憧れが芽生えた瞬間である。
私がセイシェルという島国を知ったのは、いわずと知れた松田聖子の「セイシェルの夕陽」である。
写真集の刊行1985年といえば、1983年の「セイシェルの夕陽」と時期が近いではないか。
氏もひょっとしたら、「セイシェルの夕陽」に引き寄せられて?と今になって思えてきた。
これよりまだ古い1976年、フュージョン・ギタリストである高中正義が「SEYSELLES(セイシェル)」というアルバムを発表している。
そのアルバムには彼の代表作ともいわれている「憧れのセイシェル諸島」が収録されている。
ジャケットは鳥が舞う写真で、「バードアイランド特急」なんて曲もある。
日本でセイシェルを垣間見える情報はこれらくらいだ。
その、憧れのセイシェルにいる。
街を歩きながら、それが今、この瞬間瞬間が実現しているこをかみ締めて歓んでいる。
これまでいろんな外国に行ったが、セイシェルにいるということほどとても不思議な感覚はない。
きっと、セイシェルには空にもひとにも魔法がかかるのだ。
ヴィクトリア バスステーションあたり

美人過ぎる美人 ハニーのひとり旅

教会から商店街へ ただし日曜日・・・

街は南洋の湿った空気に包まれているはずなのだが、ときおり乾いた感じの風が肌に届く。
自信満々な「歩くちりちとてちん」は地図を見ながら先を歩く。
「植物園へ行くんでしょ?こっちのほうが近そうじゃない?」
「お~~めずらしい(笑)」
先ほどホテルで私は彼女がキャサリンとやりとり(いや、漫才?)している間、「リゾートの波際で背を向けた読書男」に対抗するようにガイドブックの地図を眺め続けて、すでにヴィクトリアの中心部はだいたいを諳んじていた。
なに、首都といってもとても小さな町である。
迷ったところでたかが知れている。
今日一日、彼女に着いて行けばいいだけ。
「セイシェルへ来るまでのことを考えれば、こんなに楽チンな旅はないわ」
私は彼女に聞こえよがしに投げかけたが、彼女から返事はなかった。
後を黙って従った。
「楽チンな旅」が誤りだったと気づくのは、街を歩きだして間もなくだった。
何故か彼女はバスターミナルからまっすぐ伸びる6月5日大通り(5th June Avenue)を行かず、いきなりバスターミナルからすぐ右折して、パーム通り(Palm st.)を進んだ。
「え?いきなり?(笑)」
アヴェニューは大通り、ストリートは通り、この違いくらいは知っているのかな?
「なんでわざわざ、大通りでなく回り込んだ狭いほうの道えらぶん?」
聞こえている風はなく、町並みと地図を見比べつつ、どしどし歩いて行く。
不安が横切るが気のせいだろう。
いや、気のせいではないだろう(笑)。
白い大聖堂を過ぎると、今度はいきなり細い道へ左折した。
「おいおい・・・・・(苦笑)」
アルバート通り(Albert st.)である。
100メートル足らずでマーケット通り(Market st.)に交差した。
この界隈に、カラフルなペンキで塗られた2階建ての建物の回廊式マーケットがあるはずだ。
一階は島特産の香辛料や紅茶、魚など食料品がおもに、2階は洋服や置物、アクセサリー、そして土産物などが並ぶ。
建物に四方囲まれた広場でも果物や野菜などの青空市場があり活況そうだ。
マヘ島住民の胃袋にして、ヴィクトリアの観光地の目玉でもある、
その「サー・セルワン・クラーク市場(Sir Selwyn Clark Market)」があるはずだが、キャサリンの忠告どおり日曜は閉まっていた。
キャサリン曰くは、今日、私たちが行く予定だったラ・ディーグ島へ行くツアーがないし、仕方なく充てたビィクトリアの市場は閉まっているし、つくづくついてない日だ。
エミレーツ航空のドバイからマヘ島へのフライトは土曜日と水曜日だ。
土曜日をフライトを選択したのが大本の誤りの旅だったのかもしれない・・・・・・・。
閉まっている市場は見る価値が何もくあっけなく通過する。
小さな土産物店が連ねる「クラフトセンター(craft center)」も、セイシェルで一番大きな国営スーパーマーケットも閉まっている。
―旅先でお土産物を買う―
この旅のなかにおける常道、私の最も得意とする分野だけに非常に残念である。
セイシェルでは、ついぞ、ビビビ♪とくるものに出会う場所すら提供されていなかった。
―――フクロウに出遭ったコウノトリの町で―due(第2)―――
さて、城崎の土産物屋でふと目に留まったフクロウさんです――――。
店の軒をくぐり、ふらり入ったとたん、フクロウと眼が合いましたの・・・・・。
ビビビ~~♪と感じるものがあったのです。
運命を信じますか?
アタシは出遭いはいつも運命だと信じて疑いませんの。ですから、一期一会の刹那を人の百倍【楽しむ】性質なんです・・・・・。
手に触れてみる。
お手玉のような小豆が入ったような感触。和風な衣で包まれたツガイのフクロウさんです。
フクロウが申すには・・・。
「貴方に出会えてよかった・・・」
アタシ自身へのすばらしい旅の想い出に、いつもセンスのよい自分へのご褒美・・・・・。
お家の仲間たち?を回想せずにはいられませんの、センスがキラリ♪と光る数々の――――。
〇スペイン、マドリッドの蚤の市にて♪
ガラクタ市の名称ふさわしい、ガラクタの中から発見!したスカーフ。店主申します。
「お兄さん、眼がタケェ~や・・これはカルメンが使ってたスカーフだぜ」
ああ、ペルシア様式のような文様といい、色使いといい・・・・ビビビ!
今では家の「内!風呂敷」になってます。
〇トルコ、緑の町ブルサにて♪
イズミックスタイルの陶器探してましたの。
とある土産物屋・・ビビビ!ときましたの。
「おう!友よ!わかる人にしかこれは譲れないのだよ。ん?10マントルキッシュリラなら考えてもいいよ」悩んだすえに、店を出たり入ったりする末に交渉して8マンリラに値下げに成功!これは家宝にする!成田で受け取ったトルコブルーの美しい皿はマップタツに・・・。
〇タンザニア、ダルエルサラーム空港前で♪
ハニーにとっておきのお土産、まだ買っていなく後髪引かれる思いで、もうすぐ旅立つ。
フラフラお散歩、路上のネックレスにビビビ!
妖しく黒光りする、これはまさしくタンザニアでしか採れないタンザナイトではないか!
「これは原石のままだから安いよ、1マンタンザニアシリング!」即、飛びつき購入!
お宝のネックレス!なぜか妻の首にかけられたことはない・・・。
〇チュニジアのカラウィン・モスクにて♪
チュニジアンブルーのモスクにブーカの調べが流れ、どうしてもあの、アルマジロの楽器が欲しい。モスクの前でたむろする青年に問えば、
アタシを手招きし迷路の道行き店に連れてってもらう。よく吟味するまでもなく、店頭の楽器にビビビ!交渉重ねてわずか千百円ばかし・・・・・・ラッキー!ホテルに帰り旅情に浸りつつ弦をポロリ♪「・・・・・・・・・・」琴線はビニールですぐ切れた。よく見れば、アルマジロの剥製ではなく、カメの甲羅・・・・・。
〇楽園タヒチは、フィラエ島のビーチにて♪
プライベートビーチなのに、なぜか地元の少年青年たむろする。アタシと彼女の前で、ズボンから取り出したフランス語の新聞に包まれていたものを見にすれば・・おおお!!黒真珠ではないか。欲しいが手に届かぬ。
が、手下の?少年申す値段は市場の半値以下。
加工もなく金属のたぐいもないからかしらん?
とにかく欲しい。即購入。
帰国して、彼女のために宝石店にてペンダントにしてよと依頼。「この石コロでホントウにいいんですか?」と店主真顔・・・・・・。
〇モロッコのアトラス山脈にて♪
今旅中、どうしても手にいれたかったアンモナイトの化石、ついに見つけた、たくさんあるぞいな、峠の茶屋にて。こわそうなおじさんに手をつかまれビビビながらもお高い値段!山を飛び降りる気概で購入!オイもニッポン男児たい!
旅行から帰り、たまたま寄った紀の○屋書店。
「砂漠フェアー開催中」・・・目にしたのはアンモナイトの数々とその値札・・・・・。
〇ドイツ、シュピンスゲール、可愛い町にて♪
まだ、買ってなかった当時中学生の妹に。
そろそろ色気づく頃だと、キルティングのかわいいポーチ型バックにビビビ!う~~ん、どうしようか迷ったあげくに勘を信じて買いました。「これくださいな」一度も妹の肩にかけられることなく、数年たって家から出てきた、当時3歳のワンワンの首にかけてお出かけ、重宝しました、一度だけ・・・・・・。
――――走馬灯のように駆け巡る、いかした土産物たち。
〇「ゼンブデセンエン」バチカン市国での葉書売り、封筒のなかは厚紙と5枚の古びた写真。
〇エジプトはギザにてラクダ使いに連れていかれた香水売り屋で、「クリスタル」という名のただのガラスに入った「クレオパトラ」という名の、ただの市販の香水原液・・・・・・。
〇タイのバンコクで買った素敵な素敵なお香入れは、母の実家のトイレにある。
〇インドはムンバイで買った銅製のお盆。
とっておきの来客に紅茶をだすのに添えて、カップを置くと、盆の絵剥げ落ちて・・・。
〇アテネ、シンタグマ広場で前金で買って彼女の名前を彫ってもらったカメオ。夕刻取りに行ったら金庫ではなくレジからポンと出された。
その他幾多のとっておきの、エクセトラ♪
いつも旅先でのアタシと相思相愛の仲間たち。
いまでもアタシの物置部屋で愛想ふりまいている。もうすぐお家に帰れるよ、幸せを運び、古代ローマでは学問の女神のフクロウさん・・・・・。
城之崎の旅行から帰宅して――――
「はい、これはわんわん、これねずみ、これくまくん、・・・・・これお愛想でママ・・・・・で!これはパパ自身へのがんばった、ご苦労さんお土産。どぉ?かわいいでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・みなさん聞いてます?」
                    (2002年11月6日 「まるくんの旅は青空」より)
ヴィクトリア中心にあるシンボル 時計塔

セイシェル唯一の信号機

ヴィィトリアのオフィス街

日曜日のセイシェルの首都ヴィクトリアでは土産物屋探しどころではなかった。
通りという通りに誰もみかけない。
人気のない通り。
路上には古新聞が風に煽られ舞い飛んでいる。
荒野の決闘に向かうガンマンの気分だ。
マーケット通りの交差点から200メートルほど先にヴィクトリアの象徴「時計塔(Clock Tower)」が見えてきた。
イギリス殖民地であった1903年、イギリスのビッグ・ベンを模倣して造られた時計台は道の交差点の真ん中に立ち、殖民地時代の面影を今に残す。
思っていたより小さい。
しかも、この時計塔がヴィクトリアの街の心臓部であるのだが、あいかわらず町に活気がない。
どこまでもどこまでも田舎町のうららかな日曜日だ。
時計塔を写真に収め、街中を歩く。
通りの歩道には街路樹がある。
大きな火炎樹には赤い花が咲き、道端にはブーゲンビリアやハイビスカスが咲きほころんでいる。
街路樹の向こうは、セイシェル測量課やインフォメーションセンターが入居する高いビル、そして全面マジック・ミラー張りのど派手なビルが目立つ。
ここが、ヴィクトリアのメインストリートだ。
首都とはいえ簡素な建物がほとんどのヴィクトリアにあって、全面マジック・ミラーというモダンさでやけに目立つこの建物は、セイシェル人民進歩党(SPPF)という政党の本部である。
セイシェルは、1976年にイギリスから独立して国家が成立したしばらくの間、マルクス主義を標榜しないゆるやかな社会主義国家であり、憲法の規定でこの人民進歩党が唯一の政党であった。
しかし、1993年に憲法改正により民主共和国体制に移行した。
まだまだ浅いが、セイシェルの歴史を駆け足でたどってみよう。
1609年、イギリスの探検隊がマヘ島に上陸。
1742年、国家としてはフランスがはじめて探検隊を送り込む。
1756年にフランスが領有権を主張。
ルイ14世治世の財務長官モロー・ド・セシェル子爵の名をとって「セシェル」と名づけられ、最大の島をマへ総督の名をとりマヘ島と名づけた。
しかし、1794年にはイギリス海軍の領有になり、1814年にはイギリス本国も島国モーリシャスの一部として領有を主張した。
以来、フランスとイギリスが支配権を巡り対立していたが、1815年にパリ条約により、フランスがイギリスに領有権を譲渡した。
1872年、セイシェル独自の行政審議会、立法審議会ができる。
20世紀初頭にはモーリシャスから分離。
1952年に独立派のフランス・アルベール・ルネとイギリス領派のジェイムス・ミッシェルによる政党が組織される。
1965年、アメリカに貸与していたデロッシュ島、アルダブラ諸島、ファーカー諸島がイギリスに戻る。
1976年、制憲会議が行われ、同年6月28日にイギリスから独立し、独立憲法も発布される。
初代大統領にジャイムス・マンカム、初代首相がアルベール・ルネ首相である。
マヘ島にアメリカの人工衛星追跡ステーションが設置される。
1977年、マンカム大統領がイギリス連邦会議出席のためロンドンを訪れていた際、ルネが無血クーデターで実権を握り、同年6月に憲法を改定し、社会主義国家をめざした。
実はこのクーデター、裏ではソ連やリビアの支援があったと言われている。
以後、SPPFの一党独裁政権が続くが、90年代、旧ソ連、中国など社会主義国家が破綻しはじめ、これまで3選のルネ大統領は1991年に複数政党制を導入した。
2004年、ルネ大統領が引退。
現在、セイシェルは共和制をとる立憲国家である。
現行憲法は1993年に発布されたもので、セイシェルは社会主義から多元性民主国家へと舵をとった。
現在、国家元首である大統領は国民の直接選挙により選出され、任期は5年。
行政府の長として強大な権力を行使することが、憲法で認められている。
内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命する。
議会は一院制の国民議会で、定数は34、うち25議席が直接選挙枠で、議員任期は5年。
主要政党はさきほどのビルが本部のセイシェル人民進歩戦線(現与党)とセイシェル国民党。
2006年7月29日、30日両日、大統領選挙の投票があり、現職のミッシェル大統領(人民進歩戦線)が約54%を得票、45%の野党国民党のラムカウン候補を破り再選された。
1977年の革命によるSPPFの一党独裁の間、セイシェルは社会主義国であったが、土地の所有や商店、ビジネスの私的な経営が認められていた。
言論もほとんど自由であった。
また、義務教育の9年間と医療はすべて無料となっており、どこの途上国にも見られる「物乞い」は一人もみられない。
どおりで乗り合いバスで見かけたひとびとの表情は柔和で明るいはずだ。
ベルリン崩壊前の冷戦時代の旧ソ連や東欧のような極度な貧富の差も見受けられない。
もちろん、白人など富裕層の高等教育などへの不満はあったようだが、総じて世界でも社会主義がうまく機能していた経緯をもつ数少ない国であり、多元性民主主義、またエコ・ツーイズムに進化した現在でも小国ながらすごくうまく機能している国に感じられた。
セイシェルは独立以来、非同盟主義を貫いている。
こうしてブラブラ街を歩いて、物乞いはもちろん、土産物売り子からすら声をかけられず、わずかな滞在ではあったが、その国のひとに染まったかのように自由に振舞えたのはセイシェルくらいである。 
時計台がある交差点は、ヴィクトリアで一番大きな幹線道路、独立大通り(independence Avenyue)が交差する。
この大通りを右折して北へ向かうと、プララン島行きのフェリー乗り場(New Port)があるはずだ。
明日の早朝、その港から高速艇でプララン島をめざすのである。
で、私の船頭さんは、この交差点からまたまたおかしな進路をとった。
時計台があるアルバート通り(Albert st.)を直進し、交差点から真っ直ぐフランシス・ラチェル通り(Flances Rachel st.)を行けば容易に植物園に着くのに、またまた何故か左折してしまい、独立大通り(independence Avenyue)へ進路変更した。
「真っ直ぐ行けよ、真っ直ぐ!まるで、季節はずれの台風やな(爆笑)」
なんで、そんなに迷走するのかが謎だ。
そのかわりと言ってはなんだが、独立大通りと6月5日大通り(5th June Avenue)が交差するロータリーにて、セイシェルで唯一ある信号機を見ることができた。
信号機なんてめずらしくもなんともないが、この島ではめずらしい。
交差点から今度は独立大通りから6月5日大通りを行く。
なにゆえ、ジグザク進路なのか。
「・・・・・・・・・・・・」
さすがに困ったものだ。
「ねぇねぇ、ハニーちゃま?直線を引いたらの話しやけど植物園に近づいとるけど、歩きよる道の進路だと確実に遠回りしているようなんですけど(笑)、さっきからずっと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あれ?聞こえんの?」
街の風景をビデオやカメラに収めながら歩いていたのでしだいに距離が開いていて声が届かない。
車はほとんど行き交わないが、ときおり、見かける車はほとんどピカピカの日本車だ。
相変わらず彼女は地図を睨めっこしながら先を行く。






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