proud じゃぱねせ

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「マルコムX」という名前



本名 マルコムX、エル=ハジ・マリク・エル=シャバーズ

彼の本名をマルコム・リトルと書いてある書物は多い。
当時書かれた書物にしてみればしょうがないのかもしれない。
名字が「X」というのは確かに異様だ。
本名といえば戸籍上の名前を載せるべきなのだろう。
特に白人社会はそれ(Xと名乗る事)を認めたくなかったという背景もある。

なぜ彼の名字は「X]になったのか?
「X」には、ex-「前の」と、unknown「未知の」(数学で使われるXに近い意味)という二つの意味がある。
以前持っていたはずの、今となっては知ることのできない自分の「本当の名字」、
それが「X」なのである。

「ルーツ」という、古いアメリカ黒人についてのドラマシリーズのなかで、
「クンタ・キンテ」というアフリカから奴隷として拉致されてきた少年が、
自分の持ち主「トビー」という名前をつけられて、
自分には「クンタ・キンテ」という名前があると言い張ったために、
木に鎖で綱がれ、気絶するまで鞭で打たれ、気絶すれば水を掛けられ、気がつけばまた鞭で打たれ、、
を繰り返されるうちに、精神的、肉体的に「絶望」し、
最後には「私の名前はトビーです」と言ってまた気絶するという屈辱的なシーンがある。

これに見られるように、アフリカから裸同然で、奴隷船に荷物のように重ねて詰め込まれ、
この国に拉致されてきただけでなく、
名前、家族、言語、宗教、尊厳などすべてを奪われた彼らの先祖には、
自分の本当の名前を名乗るなどという選択の余地は無かった。

奴隷制が廃止された時に先祖の名前を記憶していた(言伝えて覚えていた)のは、
とても幸運な、ほんの一握りの人たちだけだった。
彼らは引き続き当時使っていた名字を名乗ることになる。
それは、言ってみれば、制度としては廃止されても、
社会的、精神的は何も変らないことの象徴のようなものだったのだろう。

だから彼は捨てたのだ、「リトル」という自分の先祖を所有していた奴隷主の名前を。
それと同時に、1950年代になっても、何も変らず、社会的、精神的に白人(社会)の奴隷でいる事も、、

そんな事は取るに足りない事だ、たかが名字だろう、という人もいるだろう。
その名字になってからの家族の歴史、引き継いでいかなければならない伝統というものがある。という人も、、。
それを秤にかけても、っというよりも彼にとってはそれこそ取るに足りない事だったのだろう。
自分の人間としての尊厳を守る事に比べれば。

彼は言う、「怠惰を求めた事はない。私は強く感じる事があれば何事についても何らかの行動は起こしてきた。」
(「マルコムX自伝」より)
それがマルコムがマルコムである所以なのだろうと私は思う。

今年は2004年だ。今アメリカ合衆国に住む、奴隷を先祖に持つアメリカ黒人の多くは、
今もなお奴隷主の名前をそのまま使っている。
奴隷主の名字をいまだに自分の名字として名乗ることが良いか悪いかは個人の判断の問題であるにしても、
この事から、あの歴史上他に例を見ない数の民族移動(本人たちの意志に反する)、奴隷制度が、
ずっと昔の、すでに片付いてしまった歴史でないことを物語っている。

関連書籍 に続く


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