Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「更級(さらしな)日記」を研鑽-2



「この猫と向かい合っていると」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



猫の鳴き声を夢の中で聞いたようで、はっと目をさました。
その後はこの猫を北面にも出さず、大切にお世話した。



私がただ一人いる所にこの猫と向かい合っていると、侍従の大納言の
姫君で大納言殿にお知らせしないといけませんねと言葉をかける。



猫が私の顔をじっと見つめながら、なごやかに鳴くのも、気のせいか
ちょっと見たところ、並大抵の猫ではない感じで、私の話を聞き
以前から知っているような顔に見えて、しみじみ愛しいことだと思う。



世の中に長恨歌という漢詩を物語に書いて持っている所があると聞いて
とても読みたく思うけれど、頼むこともできなかったのだが
しかるべきつてを尋ねて、七月七日歌を書き綴りお願いした。


「猫には猫なりの事情があるのだろう」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



私たち姉妹にぴったりまとわりついて、可愛がり愛でているうちに
姉が病気にかかったことがあって、家の中が看病でなんとなく
ざわついているので、この猫を北面に追いやって呼ばないでいた。



猫はうるさく鳴きさわぐけれど、猫には猫なりの事情があるのだろうと
思っていたところ、病気の姉が起きだして、猫は何処へ行ったのと言う。



姉が猫を、こっちに連れて来てというので、何故なのと尋ねてみると
夢にこの猫が私のそばに来て、侍従の大納言の姫君が猫になったので
然るべき前世からの縁があって、あなたの妹さんがしきりに私のことを
あわれに思い出して下さるので、ほんのしばらくここに住んでいました。



このごろは召使部屋に追いやられて、たいそう侘しいことですと言って
ひどく泣く様子は、高貴に美しい人と見えて、はっと目をさましたところ
この猫の声であったのが、とても哀れなことだと思うと話していた。


「猫を隠して飼っていたところ」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



花の咲き散る時節は、乳母が亡くなった時期だと思うと心がふさぐ。
同じ時期に亡くなられた侍従の大納言の姫君の手習いの跡を見つつ
何となく心が沈んでいたので、夜ふけまで物語を読んで起きていた。



どこから来たかも分からないが、猫がとてものんびりと鳴いたのを
はっと気づいて見れば、たいそうかわいい猫がそこにいた。



どこから来た猫だろうと見ると、姉である人が、静かにしていて
人に聞かせてはだめよと言い、たいそうかわいらしい猫だこと
私たちで飼いましょうと言うので、かたわらに猫を寝かせて撫ぜた。



尋ねてくる人があれば困ると、この猫を隠して飼っていたところ
召使のもとには全く立ち寄らず、じっと私たち姉妹の前にばかり座り
食べ物も汚いものや美味しくないものは顔をそむけて食べなかった。


「馴れ親しんだわが家の桜」

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夢の中では皇太后宮さまの御子の一品(いっぽん)の宮の御用として
六角堂に遣水(やりみず)を作りましたという人の言葉を聞いて
どういうことと尋ねるとアマテラスオオミカミをご信仰なさいという。
一品の宮は三条天皇第三皇女の事で十歳で春宮に入内する。



そんな夢を見ながら、人には語られず、何とも思わないで過ぎてしまった。
私ではどうする事も出来ないが、春が来るたびに、一品の宮の庭を眺める。



春が来る前はいつ桜が咲くかしらと待ちわびるし、桜が散ってしまっては
散ったと嘆く春の間は、私はまるで自分の家のように宮さまの
お屋敷の桜をながめてときを過ごす事が多くなる。



三月の末頃、土忌みに人の家に移ったところ、桜のさかりで趣深く今まで
散らないで残っている桜もあるものだと思い、わが家に帰ってきた次の日
馴れ親しんだわが家の桜を春が暮れて散る頃に、一目見る事ができた。
土忌みは陰陽道で、土公神(どくじん)の方角を犯して工事を避ける事。


「夢にまで見ることになった」

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五月の初めごろ、軒端に近い所まで花立花が、白く散っているのを
眺めていると、時節にあわず降る雪かと見間違うところだった。
花橘の香りがなければ、雪が降り積もっているように見えた。



足柄という山の麓に、暗がり渡っていた木のように、わが家の庭は
木がうっそうと茂っているところなので、十月ごろの紅葉は四方の
山辺よりも一段と趣深く、煌びやかに張り巡らしたようである。



外から訪ねてきたお客さんが、先ほど歩いて来た道に、紅葉が趣深く
色付いている所がありましたというのに対し、なにげなく、私の宿の
秋の暮れの景色はいつまで見ていても飽きないし負けないと思った。



物語のことを、昼は一日中思い続け、夜も目の覚めている限りは
こればかり心にかけていた所、夢にまで現れ見ることになった。


「ハラハラドキドキしながら読んだ」

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光の源氏の夕顔や宇治の大将薫の君の恋人
浮舟の女君みたいになるでしょうと思っていた心のうちも
今思うとほんとに、たわいもない、あきれ果てたものだった。



夕顔は源氏物語の夕顔巻に登場し恋人の頭中将に愛された後
源氏の君のもとに召されるが、六条御息所の生霊に取り殺される。

宇治の大将は源氏物語の宇治十帖の主人公である薫が
源氏の君の妻の女三の宮と柏木との間にできた不倫の子。



浮舟は源氏物語宇治十帖のヒロインで八の宮と侍従中納言の間に
生まれ常陸で成長した後、薫の恋人となるが、匂宮との三角関係に
悩んだあげく宇治川に身を投げるが助けられて出家する。



主人公光源氏の源氏物語をハラハラドキドキしながら読んだが
大人になり振り返ってみると、あきれ果てた物語だと思った。


「年頃ともなれば容貌も素敵になり」

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どんな物語が良いか、実用向きのものは、つまらないと思いますよという。
読みたいという物語を、差し上げましょうと言って、木箱に入れて頂いた。
源氏の物語や伊勢物語、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどの物語も
一緒に一つの袋に入れてもらって帰る時の心地良さと言ったらなかった。



飛ばし飛ばし、ちらちらと見ては、今まで思い通りに読むことができず
もどかしく思っていた源氏の物語を、一の巻からはじめて
人に邪魔もされず、間切りの几帳のうちに臥して引き出しつつ
見る心地は何とも言えない、后の位もこれに比べたら、何だろうか。



昼は一日中、夜は目がさめているかぎり、灯を近くにともして
物語を見るよりほかのことをしないでいると、自然と、暗誦して
覚えていた言葉が浮かんでくるのを、素晴らしいことと思っていた。



夢にたいそう清らかな僧で、黄色い地の袈裟を着た僧が来て法華経の五の巻を
すぐに習えと夢見たけれど、人にも言わず法華経なんて習おうとは
思いもかけず、ただ物語のことで心は一杯で、私は今は器量が悪いけれど
年頃ともなれば、容貌も素敵になり、髪もたいそう長くなるでしょうと思う。


「源氏物語の紫の上の続きを見たいと思う」

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思い悩みふさぎこんでばかりいると、私の心を慰めようとして
母が心配して、物語など求めて見せてくださったところ、
母の思惑通りに、私の心は自然と慰められていった。



源氏物語の紫の上に関係した部分を見て、続きを読みたく思うけれど
人に相談もできなく、誰れもいまだに都馴れしていない頃だから
いくら続きが見たくとも、物語など見つけてくれようもなかった。



とてももどかしく、読みたいと思う気持ちは募るばかりで
この源氏の物語を一の巻から全部見せてくださいと心の内で祈る。
親が京都の太秦の広隆寺に参籠(さんろう)した時も、源氏物語の事を
申し上げて、寺を出るとすぐに源氏物語を最後まで見たいと思う。



いくら心に思っても物語を見ることはできないで、とても残念に思って
嘆いていたところ、田舎から上京した叔母である人が住んでいる所を
一緒に訪ねて行ったったところ、とても可愛らしく、ご成人なさりましたなと
しみじみ感心し、珍しがって、帰り際に何をさしあげましょうかと聞かれる。


「とめどなく涙があふれて止まらない」

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上京してきた時、これをお手本にしなさいといってこの姫君の御筆跡を
下さったが、「さ夜ふけて寝覚めざりせば」(拾遺集、巻二 夏)



さ夜ふけて ねざめざりせば ほととぎす 人づてにこそ 聞くべかりけり

夜がふけてからふと目覚めなかったらば、ほととぎすの鳴き声を人が
聞いた話として耳にするところでしたなどと書いて



鳥辺山谷に煙の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ(拾遺集、巻二十)
鳥辺山谷に煙が燃え立ったならば、それははかなく見えた私を
火葬しているのだと知って下さいと、まるで御自分の運命を表すかのような
不吉な歌が、どんな言葉で表せばよいか分からないほどに書かれていた。



素晴らしく美しく書かれているのを見て、一層の涙を誘われてしまう。
上京した当時、これを手本にしなさいといって、姫君の手書きの本を
下さったのだが、なんとも趣深く、美しい字でお書きになったのを見て
とめどなく涙があふれて止まらなかった。


「姫君もお亡くなりになったそう」

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梅の花が咲いたその春、世の中は疫病の流行で大変な事になっていた
上総の松里の渡で月の光が美しく照っていたのを一緒に見た乳母も
三月一日に亡くなったが、どうしようもなく思い嘆いてしまった。



辛くて塞ぎ込み何もする気もなく物語を読みたいとも思わなくなった。
とても悲しく泣いてばかりいて、外を眺めていると、夕日がとても
華やかに差しているところに、桜の花がもう枝には残ったものはなく
地面に敷き詰められたような桜の花も風で乱れ舞っている。



散る花も、また来年の春は美しい姿を見せてくれるというのに
あのまま別れた乳母とはもう二度と会うことができなく、ひどく恋しい。



また聞けば、侍従の大納言藤原行成さまの姫君もお亡くなりに
なったそうで、姫とご結婚なさっていた中将殿のお嘆きになる様子は
自分が悲しい折りなのでとても身にしみてお気の毒だなと思って聞いた。


「霜枯れていた梅も春は忘れないものなのに」

「Dog photography and Essay」では、
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継母が言っていた梅が咲くころ来るという事で、早く梅よ咲いておくれと
思いながらも、その梅を見ながら、本当に来てくれるだろうかと、
待ち続けていた所、梅の花も咲いてしまったのに、音沙汰もない。



継母とは、高階成行(たかしなのしげゆき)の娘で孝標と共に上総に下り
幼い孝標の娘(作者)に教育をほどこしたが、上京後離婚する。
だが離婚後も作者とは交流があり、作者の文学的素養を培った。



音沙汰がないので、思いあぐねて花を折って歌を書き送った。

頼めしを なほや待つべき 霜枯れし 梅をも春は わすれざりけり

あなたが頼みにしなさいと言ったのを、なおあてにして、待っている
べきなのでしょうか。霜枯れていた梅も春は忘れないものなのにと。



歌を書き送ったところ、私を頼りにして待っていてくださいなどと
とてもしみじみと優しい言葉など書いて下さり送って下さった。
梅のたち枝が薫る時とは、約束もしていなかったのに
突然、思いのほかの人が訪れるといいますから。


「この花が咲く頃に訪ねてきます」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



菅原一家が帰り着いた京都三条の家は庭木の手入れもされず都の内とも
思えぬほど草木が生い茂っていたと伝えられている。
三条の宮さまから頂いたものだといって特別に立派な草紙を何冊か
硯の箱の蓋に入れてよこしてくれたので、嬉しく大感激だった。



夜も昼もこの物語を見る事から始まって、もっと他の物語が読みたいと
思ったが、上京早々の都の片隅で、物語を求めても誰も見せてくれる
人などないし、また誰も私が求めている事さえ知らないと思っていた。



継母であった人は、宮仕えしていた時父が上総へ下ったので、思い通りに
ならない事が多く、次第に夫婦仲が悪くなり、父と別れ、五才になる
子供を連れて、貴方が優しくして下さった心のほどは忘れません
など言って、とても大きな梅の木を置いていかれた。



梅の木を軒先の端近くに置いたその木を見て、継母はこの花が咲く頃には
訪ねてきますと言い置いて出て行ったのを、心のうちに恋しく懐かしく
会いたいと思いつつ、忍び音に泣いてばかりいて、その年も暮れた。


「わが家は広々として荒れた所」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



多くの国々を通り過ぎて来たが、駿河の「清見が関」と
「逢坂の関」だけは他に比べようもなく素晴らしいと感じた。
たいそう暗くなってから三条の宮の西にある、わが家に到着した。



わが家は広々として荒れた所で、過ぎてきた山々にも劣らず
とても恐ろしげな深山で、木がうっそうと茂っているようで
京の都のわが家とも思えないような所の様子だった。



まだ落ち着かず、たいそう取り込んでいる中ではあるが、ずっと
物語を読みたいと思い続けて来たので、物語を求めて見せてと
蜻蛉日記の作者である右大将道綱母の異母妹母にせがんだ。



一条天皇第一皇女修子内親王の三条の宮さまのところに、親族が
衛門の命婦という女房名で出仕しているので、その人を尋ねていき
手紙を送ると、その人は私たちが帰ってきたのを珍しがり喜んでくれた。


「勢多橋を制するものは天下を制す」

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みつさかの山のふもとを出発して、近江国への東山道の犬上や神崎
野洲や栗太などという所々を、なんとなく通り過ぎた。



遥かに琵琶湖の水面を見渡して、なで島、竹生島などいう所が見えるのは
たいへん趣深く、勢多の橋は所々崩れていて、渡るのが大変だった。
古くから交通の要衝で、勢多橋を制するものは天下を制すと言われた。



粟津にとどまって、師走の二日、京に入る。
暗くなってから行き着こうと、申の時(午後四時)ごろ出発して行くと
逢坂の関近くなって、山腹に仮づくりの、きりかけという囲いをしたものの
上から見える丈六の仏は、いまだ粗造りで、顔だけ出ているのが見やられた。



きりかけは、柱を立て、横に板をずつずらして打ち付け、囲いにしたもの。
丈六の仏とは、立像の高さが1丈6尺(約4.8メートル)ある仏像のこと。
人里離れてこんな場所にありながら、場所の事など少しも気に掛ける様子も
ないのが、いかにもありがたい仏さまだなぁと、遠くにながめて過ぎた。


「時雨やあられが降りみだれて」

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尾張の国、鳴海の浦を過ぎて行ったころ、夕潮がどんどん満ちてきて
今晩泊まるにも、むこうの宿場まで越えてから引き返して
泊まるにもどっちつかずの位置に来てしまった。



汐が満ちてくれば、ここを通り過ぎることもできなくなると、精一杯
走って必死に通り過ぎ、美濃の国との境に、墨俣という渡を渡って
野上という所に着いたが、そこに遊女たちが出てきて驚く。
岐阜県不破郡垂井と関ヶ原の中間に遊女が多いことで知られていた。



遊女たちは、一晩中歌うにつけても、足柄山で出会った遊女たちのことが
思い出されて、しみじみとなつかしく、どこまでも愛おしく思われた。
雪が降りあれまどうので、なんの情緒もなく、不破の関を通った。
不破の関 逢坂の関、鈴鹿の関とともに古代山関の一つ。



あつみの山など越えて、近江の国で息長(おきなが)といふ人の家に
泊まって、四五日過ごした。みつさかの山のふもとに、夜も昼も時雨や
あられが降りみだれて、日の光もささないので、大変うっとうしい。
あつみの山やみつさかの山を調べてみたが詳細は分からなかった。


「行けば心身ともに平らかである」

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末の松山の歌にあるように波が松の木を超えてしまうように見えて
とても趣深く感じた。それより上手は、細くとがった猪鼻という坂で
何とも言葉では表せないわびしい坂を上れば
美川の国の高師の浜というところだ。



八橋は名が残るだけで、橋の跡もなく、何の見どころもない。
二むらの山の中(愛知県岡崎付近)に泊まっている夜
大きな柿の木の下に庵を作ったところ、一晩中、庵の上に
柿の落ちかかるのを、人々が拾ったりしている。



宮路の山(愛知県宝飯郡)といふ所を超える時は、十月の末であるのに
まだ紅葉は散らず盛りであった。嵐はここには吹いてはこないのだなぁ。
宮路山ではまだ紅葉が散らないで残っているのだから。



三河と尾張の国境であるしかすがの渡り(愛知県豊川)は、古歌にあるように
行くべきか、行かざるべきか思いわずらわれそうで、面白い。

行けばあり 行かねば苦し しかすがの わたりに来てぞ 思ひわづらふ

行けば心身ともに平らかである 行かねば苦しい そうは言っても
しかすがの渡りに来て 行こうかどうしようかと思いわずらうのだ


「さまざまな色の玉のように見え」

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たいそう病が発生したと言う沼尻という所も無事に過ぎて、遠江にかかる。
駿河と遠江の境の難所であるさやの中山などを越えたのも気づかなかった。



旅の疲れからか、とても苦しかったので、天中川(今の天竜川)という
川のほとりに仮小屋を造設し、そこで何日か過ごしているうちに
ようやく疲れも取れ、病が治ってきた。



冬が深くなり、川風が激しく吹き上げつつ、寒さも堪えがたく感じられた。
天竜川を渡って浜名の橋に着いた。浜名の橋は父が任国へ下向した時は
樹皮のついたままの丸木をかけて渡ったのだが、今回は流されたのか
その橋の跡さえ見えないので舟に乗って渡った。



入江に渡してある橋で、外海は、とても荒く波は高く、入江の殺風景な
あちあちの洲に、ただ松原だけが茂っている中から、浪が寄せては返す。
さまざまな色の玉のように見えて、本当に末の松山の歌にあるように
波が松の木を超えてしまうように見えて、たいそう趣深く感じた。

末の松山はどんな大きな波でも越せない事から、永遠を表す表現に用い
2人の間に心変わりがなく永遠に愛し続ける時などに使われる。


「この紙の傍らに書いてあった人」

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この駿河の国の守に紙に書かれていたその人が就任したのですが
三月のうちにその人は亡くなって、また成り代わった新しい国司も
この紙の傍らに書いてあった人だったのです。



このようなことがあったのですが、来年の司召などは、今年この富士の山に
たくさんの神々が集まって決めていらっしゃるのだと存じ上げます。
とても珍しいことですと語り、皆さん信じてるのかと思った。



除目(じもく)とは、大臣以外の人事を発表する行事のことで
前任者を除き新任者を任じるので除目と言い春の県召(あがためし)
地方官の任命と秋の司召(つかさめし)中央官の任命がある。
この両者を総称して司召という。



田子の浦 蒲原と由井あたりの駿河湾に面したところと言われる。
現在の富士宮市に同じ田子の浦という地名があるが、違う場所と考えられる。
奈良時代の歌人で山辺赤人という人が詠んだ歌で百人一首で有名。

田子の浦にこぎ出でて見ればしろたへの富士の高嶺に雪はふりつつ


「紙に書かれたことと一つも違わず」

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富士川というのは、富士の山から流れている水である。
八ケ岳に発する釜無川と甲武信岳(こぶしだけ)に発する笛吹川が
やがて合流して富士山の西を南下して蒲原西方で駿河湾にそぞく。



その国の人が出て来て語るには、一年ほど前、よそに出かけたところ
たいへん暑かったので、この川のほとりに休みつつ見ていると
川上の方から黄色い物が流れてきて、物にひっかかって
留まっているのを見れば、書き損じの紙でした。



取り上げて見れば、黄色い紙に、朱筆で濃くはっきりと書かれており
不思議に思って見れば、来年国司が変わる予定の国々を、除目のように
すべて書いてあり、ここ駿河の国も来年国司が変わるということで新たしい
国司の名が書いてあり、その横に添えてもう一人の名が書いてありました。



私はどうしてもう一人の名が書いてあるのかと、この紙をとり上げて
干して、しまっておいたところ、次の年の司召(つかさめし)の折りに
この紙に書かれたことと一つも違わず、この駿河の国の守に、紙に
書かれていたまさにその人が就任したのです。


「米を細かく砕いた粉を流したよう」

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富士の山はこの駿河の国にある。私が生まれた上総の国からは
西の方角に見える山で、その山の様子は、なかなか世に見られない
紺青の色を塗ったように、並々ならぬ様子で、世間並でない山の姿である。



富士の山には、雪が消える間もなくつもっているので、色の濃い衣に
白い衵(あこめ)を着ているように見え、山の頂が少し平な所から
煙が立ち上っている。夕暮は火が燃え立つのも見える。
衵(あこめ)は、束帯・直衣姿の時、単衣と下襲の間に着る短い衣服。



清見が関は、片方は海であるところに、関所の番小屋などが多くあって
海まで杭を打って柵をわたしてあり、富士の煙と潮煙が互いに
よびあっているのであろうか、清見が関の波も高くなると思われる。
静岡県清水市興津清見寺あたりにあった関所。天武天皇の時設置された。



趣深いことこの上無い田子の浦は、波が高いので舟で漕ぎめぐる。
大井川という渡し場がある。水が世間の並の様子とは違い
米を細かく砕いた粉を濃く流したように見えて
白い波が立つ水は勢いよく流れていた。


「どこまでも清らかで冷たかった」

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遊女たちは見かけもこぎれいで、声まで比類なく見事に歌うのに
そんな遊女が、このような恐ろしげな山中に出発していくのを
人々は名残惜しく不安に思って皆泣くのを、幼心に、遊女たちと
別れることも、この宿を出発することさえも、名残惜しく思った。



まだ暗いうちから足柄山を越える。麓も鬱蒼としていたが、ましてや
これから山中に入っていくので、その恐ろしいことは大変なものだろう。
登っていくにつれて、雲を足の下に踏むような心持ちだった。



山の中腹に、木の下がわずかな空き地になっているところに、双葉葵が
ただ三筋だけ生えているのを、人里離れてこのような山中によくも
生えているものよと、人々はしみじみ感じ入る。
双葉葵は山葵に似ている。徳川家の葵の御紋も双葉葵を模したもの。



水はその山に三筋だけ流れている。かろうじて足柄山を越えて次の関所
横走の関のある山にその日は泊まった。ここからは、駿河になる。
横走の関の傍らに、岩壺という所があり、言いようもなく大きな石の四角く
穴のあいた中から出てくる水が、どこまでも清らかで冷たかった。


「難波辺りの遊女に比べたら物の数では無い」

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遊女が三人といえども、五十ばかりのが一人、二十歳ばかりと十四五のが
一人ずつで人々が庵の前に唐笠を差させて、遊女たちをそこに招き入れた。



男たちが火をともして見れば、昔、こはたとかいう者の孫だと言う。
こはたとは、昔、名の知れた遊女のことか、髪はたいそう長く額髪が美しく
両頬に垂れかかって、色白でこぎれいで、いやこれは相当なものだ。



しかるべき家に下仕えなどしても通用しそうだなど、人々が趣深く
思っているところ、声はまったく似るものないものの見事で
空に澄み渡って見事に思うほどの歌を歌う。



人々は旅の疲れも癒されように、たいそうしみじみして、遊女たちに
親しみをおぼえて近くに引き寄せ、人々がはやし立てて、西国の遊女は
ここまで見事なのはいないなど言うのを聞いて遊女は、難波あたりの遊女に
比べたら、私など物の数では無いと今様歌を見事に歌うのだった。

今様歌は平安時代中期から鎌倉時代にかけて流行した歌謡のこと。


「鬱蒼と木々が生い茂り恐げだ」

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夏は大和撫子が濃くうすく錦を敷いたように咲いている所であるが
今は秋の終わりだから撫子は見えないがと言っていると、それでも
所々にこほれ落ちたように残っていて、趣深くあちこちで咲いている。



もろこしが原(大磯一帯の海岸)で大和撫子が咲いているのも面白いものと
人々はしみじみ面白がる。河原撫子。夏から秋にかけて咲く。
日本女性を可憐で繊細だが芯は強いことをたとえて大和撫子という。



足柄山という山は、四五日前からおそろしげに暗がりわたっていた。
足柄山とは、相模と駿河の間に南北に走る連峰で当時は箱根はまだ使われず
足柄山を越えて行き来しており、金太郎の昔話で有名な所でもある。



ようやく入り立つ麓のあたりさえ、空模様は、はかばかしくない。
言いようもなく鬱蒼(うっそう)と木々が生い茂り、とても恐ろしげだ。
麓に宿を取ったところ、月も無い暗い夜で、闇に惑うような晩に遊女が三人
どこからともなく現れた。遊女とは旅人の宿を訪れ歌や舞で慰める女の事。


「寄せては返す波の景色も趣深い」

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姫宮にその国をお預けする宣旨が下り、男はこの家を内裏のように造って
姫宮を住まわせ申し上げたのを、姫宮たちが亡くなって後、寺にしたのを
竹芝寺というのだそうだ。その姫宮がお生みになった子供たちは、そのまま
武蔵という姓を得て、それより後、火たき屋には女を置くようになったと語った



野山の蘆や荻の中をかき分け武蔵と相模の中にある、あすだ川という
在五中将在原業平が、いざこと問はむと詠んだという川がある。
中将の家集には、すみだ川とある。舟で渡れば、相模の国になった。



あすだ川とは、次の在五中将のから隅田川のことだが、隅田川が
あすだ川と呼ばれた例は無いようであり、そして隅田川は下野と武蔵の境で
武蔵と相模の境ではなく、作者の記憶違いだと伝えられている。



西富という所の山は、絵を見事に描いた屏風をたて並べたようであり
片方は海、浜の様子も、寄せては返す波の景色も、たいへん趣深い。
もろこしが原という所も、浜の砂がとても白いのを二三日かけて通っていく。


「こんな事になったのも巡り合わせ」

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武蔵の国の衛士の男を捜したが、みつからなかった。
故郷の武蔵国へ行ったのだろうと、朝廷より使(つかい)が武蔵国へ下って
追いかけたところ、瀬田の橋の橋板がはずされていて、渡ることができない。



三か月かかって使は武蔵国に行きついて、この男を尋ねていくと
この皇女、朝廷の使を召し出して、私がこんな事になったのも
巡り合わせだと思うと言い、この男の家がどうしても見たくなって
連れていけと言ったので男は私を連れてきたのだろうなどと言う。



とてもここは、住み心地がよい場所に思え、この男を罪し、鞭打つなら
私はどうしたらいいのか分からない。これも前世からの、この国に子孫を
残すべき因縁があったのだろうなどと、早く都に帰って朝廷に、このよしを
奏上せよと仰せられたので、どうすることもできなかった。



ふたたび都へ上って、帝(みかど)に、事の仔細を申し上げたところ
その男を罪しても仕方ない。今はこの姫宮をとり返し都へお連れする事は
できないだろうと言い、その竹芝の男に、生きている限り、武蔵の国を預け
租税・労役も免除し、無条件に、姫宮にその国をお預けする宣旨が下った。


「七日七夜かけて武蔵の国に行き着いた」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



男はかしこまって縁側の欄干のそばに参った所、さっき言ったことを
今一度、われに言ってきかせよと仰せられたので、酒壺のことを
もう一度申した所、われを連れて行って、その瓢を見せてくれた。



こういうのは仔細あってのことじゃと仰せられたので、勿体なく
恐ろしいとは思ったけれど、前世からの因縁であろうかと
男は姫宮を背負って武蔵国へ下っていく。



追っ手が来るのは当然なので、その夜、瀬田橋のたもとに
この姫宮を置き申し上げて、瀬田橋を柱と柱の間ほどくらい橋板を
はずして、それを飛び越えて、姫宮を背負い申し上げて
七日七夜かけて、どうにか武蔵の国に行き着いたのだった。



帝と后は、皇女がいなくなられたとご心配になり、お探しになったところ
武蔵の国の衛士の男が、たいそういい香りのする物を首にかけて
飛ぶように逃げていきましたと申し出があった。


「とても心惹かれ見てみたく」

「Dog photography and Essay」では、
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はるかに、「ははそう」などという所の、建物の跡の礎が残っていた。
どういう所かと聞くと、これ昔、竹芝という土地だったようだ。
この国に、ある人があったのを、火たき屋の火をたく衛士として
国司が朝廷に献上したところ、御前の庭を掃き掃除しながら



どうしてこんな苦しい目に遭うのだろう。故郷の国に、ここに七つ
そこに三つとこしらえて置いてある酒壺の上に、瓢箪をたてに割った
柄杓をさし渡して、その瓢箪が南風が吹けば北になびき、北風吹けば
南になびき、西風吹けば東になびき、東風吹けば西になびいた。



あの、のんびりした様子を見ることもかなわないで、こうして宮中の警護に
駆り出されているのだからなあと、独り言をつぶやいているのを聞き
その時、帝の御むすめが、たいそう可愛がられていたものですと言う。



ただ一人御簾の端に立出でなさって、柱によりかかって御覧になったところ
この男が、このように独り言を言っているのを、たいそう興味深くどんな瓢が
どんなふうになびくのかしらと、とても心惹かれ見てみたく思われたので
御簾を押し上げて、そこにいる男、こっちへ寄れとお召しになった。


「子供心にもしみじみ悲しく見えた」

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離れた後も乳母(めのと)のことが脳裏に浮かんできて悲しいので
月を見ていても楽しい気分にはなれず、ふさぎこんで寝てしまった。

京に上る者は留まりなどして、行き別れることは、行く者も留まる者も
皆涙を流し別れを惜しんでいるようで、子供心にもしみじみ悲しく見えた。



今は武蔵の国となった所だが、別段情緒のある所とも思えなかった。
浜も砂が白いわけでもなく、泥土のようである。

早朝、舟に車をかつぎ載せて太井川を渡って、対岸で車を建てた所で
送りに来てくれた人々は、これより皆帰って行った。



紫草(むらさき)の産地として歌にも詠まれた武蔵野も、ススキに似た
蘆(あし)や荻(オギ)ばかりが高く生えていて、武士が馬に乗って
弓を持っているその弓の先が見えないほどに、高く生え茂っている。
その蘆や荻の中を分けてゆくと、竹芝寺(現港区)というのがあった。



はるかに ははそうなどいふ所の らうのあとのいしずえなどあり  
「ははそう」について調べてみたが、執筆から約200年後の平安末期から
鎌倉初期にも不明な語であったことだけ分かり、このことから書写ミスか
固有名詞それも関東方言であったことが考えられる。


「仏教に救いを見出した所で幕を閉じる」

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地上から1メートル程の高さに浮いている蓮華の台座に座っている御仏は
御丈1.8メートルばかりで、金色に光り輝いておられ、片方の御手は
広げたようにされて、もう片方の御手は印を結んでいらっしゃる。



他の人は拝見することができず、私一人だけが拝見できるのだったが
尊くありがたいとは思うものの体が硬直し恐ろしくて身がすくむように
感じたが、簾のそば近くに寄って拝見することもできないでいた。



御仏は、今回はこのまま帰り、後に再び迎えに来ようとおっしゃったが
その御仏の声は私にだけ聞こえて、他の人は聞くことができないと
言う所までの夢を見て、はっと目がさめてみると、もうすでに朝であった。
この夢ばかりは、後世を願う心頼みだと理解していた。



菅原孝標娘は、今まで何とも、いとはかなくあさましと書き綴り、ようやく
現実が見えてきたのか、光源氏のような素敵な殿方は現れず、平凡な夫と結婚。
子どもの独立後、夫に先立たれ、菅原孝標娘は孤独な最期を迎えようとした矢先
仏教に救いを見出したところでこの40年にも及ぶ物語は幕を閉じた。



菅原孝標娘は晩年、平安時代の夢と転生の物語「浜松中納言物語」を書き
三島由紀夫の最後の小説「豊饒の海(ほうじょうのうみ)」の原案となった。
今日で「更級(さらしな)日記」は完となり、明日より「枕草子」を予定。


「心頼みとすることが一つだけあった」

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夢の中で鏡に映った悲しげな姿だけがその通りに実現したようだ。
その事を思うにつけ、何とも痛切に悲しいことであると思った。



ただこのように、何一つ望みの叶うことなしに生涯を
過ごしてしまった私のこととて、よい報いを受けるための
善根を積むようなこともせず、ぼんやりと日を送っている。



このようにいつ死を迎えても惜しくないような日々を送っているが
それでもやはり命は、つらい思いのあまり消え果てることもなく
生き長らえてゆくもののようだが、来世も極楽浄土の願いは叶わないに
違いないと、不安であったが、心頼みとすることが一つだけあった。



それは夢の中で、私の住んでいる家の軒先の庭に、阿弥陀仏が
お立ちになっておられ、はっきりとはお見えにならず、霧が一重隔てて
ぼんやりと透けてお見えになる御姿を、霧の切れ目から強いて拝見する。


「恩顧にあずかるような身」

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わけてとふ 心のほどの 見ゆるかな 木陰をぐらき 夏のしげりを

生い茂った夏草を踏み分けながら
あなたは私をわざわざ訪ねてきてくださいました。
そして今また、あなたは冬のさなかに、私に文をくださいます。
夏に訪ねてくださった時と同じ志が、そこに見えて嬉しいです。



昔から、たわいもない物語や歌ばかりに夢中になっていないで
夜昼心がけて仏道に励んでいたならば、きっとこんな夢のように
はかない運命にはあわないですんだかも知れない。



以前初瀬にお参りした時、稲荷の神からくださった、霊験のある杉だよと
言って投げ出してくださった夢を見たのだったが、あの時初瀬から
退出した足で稲荷神社にお参りしていたならば、こんなにも
不幸な身とならずにすんだのかも知れない。



長年にわたり、天照大神をお祈り申し上げよという夢を見たのは
高貴な人の御乳母を勤めて、宮中などに住み、帝や皇后の御恩顧に
あずかるような身となる前兆だとばかり、夢占いの人も判断した。


「ことさらに貴女のことを思う」

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こんなおぼつかない私にも、いつも天照大神(あまてらすおおみかみ)を
お祈り申し上げなさいという人があらわれた。

どこにいらっしゃる神だろう、あるいは仏だろうか、などと思い
そうはいっても、だんだん分別がついてきて、人に質問してみた。



天照大神は神様で、伊勢にいらっしゃいますと言う。
紀伊の国に、紀伊の国造(こくぞう)があがめ奉っているのは
この天照大神の神様で、また宮中の内侍所で守護神として
崇められている神様でいらっしゃいますという。



伊勢の国まで出かけるなど、考えることもできない。
そんな遠いところまでどうして参詣できよう。とてもできない。
空の太陽を拝んでいればいいかしらなどと、浮ついたことを考えていた。



親族である人が、尼になって修学院へこもった時、私は冬ごろその人に、

涙さへ ふりはへつつぞ 思ひやる 嵐吹くらむ 冬の山里

涙までこぼれるほど、ことさらに貴女のことを思っています。
冬の山里では嵐が吹き荒れているでしょうね。


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