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パスポートが切れてることに気づかないなんて、パスポートを持って以来、一度もなかったのに毎日、外国で働いているような(笑)状況で、でもずっと外にでて行かなくて、ぷらっとリフレッシュ、2泊3日 台湾1人旅行なんて、夢を一瞬みかけたら、パスポートがきれていてでは、10年パスポートに初めてトライ、ということで写真は気合を……… (笑)と、撮りに行ったら、うわ、オバサン(笑) 昔からよく、写真写りがいいねー、と言われていたのに ← あれ?実物は?(笑) 何枚か撮った中から選ぶ時も、哀しいくらい会社のID用のときも、すげー変な顔(笑) その昔、学生の頃、いろんなところでいろんな写真を撮ったり、撮られたり。子どもを持って、被写体はめっきり、子どもばかり子どもも大きくなり、携帯で、写メを撮る時も被写体は自分でなくなりつつあると、あらためて、どんな顔でうつればいいの?と(笑) かなり、ブサイクな証明写真ああ、10年間、これ使うのか よそゆきの顔を忘れつつある、アラフォーなすぎじろうです。 みっちり充電期間をいただいて、パスポート申請用の写真を撮りに行き、15分ほど待ち時間、暇つぶしに入った本屋さん 語学の勉強の本をみたり、ぷらぷらと歩いていると、ふっと目に入ったタイトル 何をそんなに心配しているのかね? よくある自己啓発本かなー、ビジネスハウツーもの?と、ぱらぱらと中をみたら車を運転していてぶつけた相手から心配されて…と、どこかで聞いたことのあるようなシチュエーション(笑) パラパラと、拾い読みしていて、ああ、コーチングの本か、と、きっといつもならそのまま棚に戻したかもしれない。 でも、なんとなく、気になって、ゆっくり読みたい気がして、購入 アメリカの人気の高い講演家の翻訳本で、後ろをみると、2009年2月3日 第一版 (笑)未来の本??!! (笑) いろんなエッセンスが凝縮されていて、アメリカ版夢をかなえるゾウの翻訳? みたいな視点で読んでみていましたが。 一番、すごく響いたのが、引用されていた、マハトマガンジーの『誰もが自分の時計が正しい時刻を示していると思う』という、言葉。 ワタシ、自分の時計ばかり見てその時計に照らし合わせた時間しか見てこなかったんだろうなーってつくづくと反省。 他にも、たくさんのはっとさせられる言葉や生き方について考え直すことができて、とてもすっきり 調子がいいときならまったく見向きもしないタイトルだったかもしれないし、出だしに思い当たるようなシチュエーションが入ってなかったら立ち読みもしなかったかもしれない。パスポートが切れてなかったら、証明写真にがっくしきていなかったら(笑)その本屋さんに入らなかったかもしれないとことん打ちのめされていなかったら、予定外の時期に有給をとろうなんて思わなかったかもしれない 偶然が偶然を読んで、新刊ほやほやの本を手にとって充電が完了して仕事に戻ったら、いろんな人の温かい気遣いでずいぶんと仕事がしやすい環境になってきていました。ありがたいことです今年の12分の1が過ぎたけど、ようやくエンジンがかかってきた感じです
2009年01月31日
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アイツムギとあったらしい。相方が朝から携帯を見ながら、知ってる?と聞いてきたいや、聞いたことない。なんかのドラマの曲?そうでもないみたい。動画をみて、歌詞といい声といい、いいなー朝から、そんな会話ができる心の余裕のある有給も、残すところ明日1日となりました(笑) 太郎が喜んでいます(笑)マミーは会社に毎日行ってて、らしいです普段いない人間が、家にいて、退屈しないけど、でも…自由がなくなる!と、迷惑気味の太郎ちゃんでした 太郎が生まれた頃のフィリピンの話の続きを心の余裕があるうちに書いておきましょう 先日、自宅出産の話を書いたが、産婆さんは当時住んでいた家のかかりつけ産婆さんのような人で、そこに住んでいる子どもたちは、彼女にみんなとりあげられている。産婆さんはスラムのようなところに住んでいたので、電話がない陣痛かな?と、遠いところで痛みを感じだしたところでその家の子どもが産婆さんちまで15分くらい一緒に歩いて案内してくれた ← このとき初めて家に行った産婆さんが、ああ、今夜か明日くらいね、という。コレを買っておいて、とリストを渡されるとそこには医療用のゴム手袋とかガーゼとか書いてあった。さすがに自分で買いに行くのは怖かったので当時のダンナに行かせる。リストの中にあるcastor oil ってのを飲め!と言われるが、え?何それ??あわてて辞書をひくと、ひまし油… ひまし油?なんのため?どうして? 記憶のどこかで、小学生くらいの時に読んだ赤毛のアンかなにかの外国の物語で寝る前にひまし油を飲まされるのがすごく嫌いで…という、一節が浮かぶええいー、なるようになれ!オイルと書いてあるだけあってべたーとして飲みにくいし、不味い。吐きそうになりながら、飲みきる しばらくして、何のためか分かった… 下剤、だ 陣痛が間隔が近づいてきて痛みと痛みの合間にトイレに座る結構、これがキツイ陣痛が痛いんだか、ひまし油の下剤が苦しいんだか(笑) そんなことを繰りかえしているうちに間隔が狭まってきて産婆さんを再び呼びに行ってくれて出産となるが、太郎ちゃん、予定日きっちりに出てきて50センチの3.7キロかなり丸々の状態に育っていましてなかなか出てこない頭がひっかかって、ワタシのいきみが足りない!とかなり産婆さんをてこずらせる。タガログ語でキリスト教の主の祈りが書かれたイエスキリストの絵つきのハンカチをワタシのお腹にのせて祈りながら、介助してくれたらしい↑もう、この時点で、もう何がなんだかワタシはわかってませんから(笑) 生まれたぞーと、当時のフィリピン人のダンナの兄弟から親戚、その家の住人がかわりばんこにやってくる普通、日本じゃ、新生児は無菌状態にされるぞ!と思いつつもう、勝手にしてくれ、とオリの中の見世物状態(笑) 無事、産まれてきて産婆さんに、明日からトイレに行く時はね…と、説明されてもよく分からない。隣の部屋の4人産んでるオバちゃんがああ、ワタシが説明しとくから、なんて会話もされている 何のことかと思いきや、翌朝、隣のおばちゃんにやかんを持たされる(笑)玄関の脇の木の葉っぱを煎じて冷やしたものをトイレのたんびに、紙ではなくてそれで洗い流せ、ということだ ああ、手動ウォッシュレット(笑) このとき、この家に産後の人がワタシを含めて4人くらいになり、あっというまに手の届く範囲の葉っぱがなくなり(笑)そのうち二階からわざわざ葉っぱをベランダから取りにいったものだ この話を会社のフィリピン人の子にしても大笑いされるイマドキ、よっぽどの田舎にいかないとそんなことしないわよーって(笑) なんで、ワタシ、こんな経験してるんだろう
2009年01月23日
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当たらぬも八卦、という言い回しがあるがまさしくこの八卦を占う易を、ずっとみてもらっている友人がいる 彼は、大道芸人をしながら世界中を文字通り渡り歩いているが大阪にくると、連絡が来て、易をみてもらう1年に1回くらいのペースだが、かれこれ16年!ものつきあいがある。 いわゆる竹の棒のようなもの50本を使ってみるのだが、まあ、世間話等をしながら毎回するので2時間くらいかけて、いつもするで、今回はいいことは言われないだろうと思って行ったが、案の定、気が塞がっている、と出たでと、言われそのまんまだわ、と。畑に穴があってそこから出ることもできずに、芽を出すことも出来ずにもがいている種のよう。助けもあるが、穴からだしてくれるほどの助けにはならず。でも、穴から出たとしても血の海があるか、4頭の馬に引き裂かれて引っ張られるかだから、まずは穴の中でじっと、目の前のことをこなしていくしかない、と言われ、 納得 その昔、アジアからの就学生の寮と学童保育の指導員をしながらそこの子ども劇団の手伝いをして小中学生相手に、アジアと日本の関係やゴミ問題を扱った劇をほぼボランティアで作り上げたりしていた。目指している主義主張と、現実のスタッフの中の人間関係の煩雑さにうんざりして、学生時代に旅行に行った国の中で一番過ごしやすかったフィリピンに行こうと決めてからも、迷ったりしていたとき、彼の易では、南方に行くもよし。行って帰ってくるもよし。と、でたなけなしの貯金を持ってフィリピンに行ったことが、結果的にはそれからの人生でものすごくプラスになった子どもを連れて帰ってきて社会人で勉強しなおしたとき、砦を築け、とでた。その門の上には鳳凰がとぶ、とでた。今の会社に就職した頃、もっと勉強するべき、とでた。が、勉強を続けることより、仕事をすることを選んだ 占いをものすごく信じているわけでもないが、一つの目安として、通過儀礼のごとく、習慣化している部分もある前回の記事の、言い伝えじゃないが、自分の気になること、良いと思うことを選ぶ部分が多々ある そして、それらは、ワタシが背中を押して欲しい言葉たちだったんだと、今回すごく納得した。 今回なんて、ちっとも良い事を言われるわけじゃない(笑)なにか希望の光になるようなことを言ってくれるわけでもない(笑)でも、ストンと今の自分の状況を、認めざるをえない、そんな気分にしてくれることが大事だったんだな、と。 今日の午後は、愛しのゆーこ姫とおしゃべり三昧2人で愚痴ったり、語ったりすること数時間(笑)帰り際に、一緒に過ごせて楽しかったわと、ピンポイントにキュンとする言葉を彼女はいつもくれるんだなー。もう、それだけで充電値がもう、満タンみたいな(笑)完全に恋する男子みたいな、感じ?! 上司の言葉に、カクンと、やる気を失い、仕事を続けていく自信もなくしかけましたが、せめて短期間でも旅行に出かけてと思った矢先にパスポート切れてて(笑)非日常でリフレッシュすることはできなかったけれど、昔の友人から、出来事から、そして身近な友人から、家族からワタシに必要なことばが、いっぱい降ってきてちょっと体温が上がった感じ 休むことを快諾してくれた後輩方に ありがとう話を聞いてくれた人、いっぱいことばをくれたあなたにありがとう来週から、また働けそうだ
2009年01月22日
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1週間、有給をとり、いろんなお友だちとあったり、ちょっと普段しないことをいっぱいしてリフレッシュしようと思ってます そして、そんな心のゆとりを持つことができたおかげで、太郎が生まれたころの生活をイロイロ思い出してみたり、改めて考えてみたりできましただから、調子にのって、昨日の続きで(笑) フィリピンでの出産 について書いてあるのを読んで、うんうん、と納得。もともと、フィリピンは民間医療はまだまだ根強いし、言い伝えとか、おまじない的なことは好まれる風潮がある。妊娠してた時に、上司の奥さんがパリ土産とネックレスをくれたときに早速つけてみたら、フィリピン人の部下が飛んできてダメよ!お腹のなかで赤ちゃんにへその緒が絡みついたらどうするの!と、怒られた当時、ジャズバーのマネージャーをしていたワタシ(笑)社員と一緒にまかない料理を食べていたら、ナスを妊娠中に食べたら、痣のある子が生まれるわよ!と、怒られた だいたい、田舎の出身の子ほど、そういった言い伝え?を親身に教えてくれる。一緒にご飯を食べて、先にテーブルを離れる時は皿を回せ、だったかな?(笑)そうでないと、テーブルに残された人が嫁にいきおくれる、とか(笑)食事中に、フォークを落としたら男性の素敵な人に会うチャンスがやってくる、とか(笑)言い伝えなんだか、思いつきなんだか(笑)話し合わすのもだんだん面倒になって(笑)あ、ワタシ日本人だからいいのよって、流すことにしたが で、昨日書いた豪邸に住んでたときそこは3階建ての、それはそれは広いおうちで。半地下の部屋と、1階に、6部屋くらいあって一体何人住んでいたんだろう(笑)一部屋に1家族、たぶん平均6-7人老若男女、ものすごい数が住んでいた2階には大家さん一家、6人が住んでいて、20畳くらいのリビングには、シンデレラびっくりのシャンデリアがあった。3階は、当初は近くの大学の韓国人留学生が5人くらいで住んでいたが、のちに空いて、3階にウチが住むことになったが、部屋以上に広いベランダ(笑) ←屋上に住んでる、に近いで、一番上の屋根は、モスク調近所の人とかに、説明する時も、あの屋根の…といえばすぐにわかってもらえるくらい特徴ある家だったそのときの写真がないかなーと探したが、意外とないもんです生まれたてだから、太郎の接近写真ばっか(笑)一枚、こんな写真があったけど、アルバムに貼られているネガもない写真どんな生活か、なんか想像つきます?(笑)
2009年01月19日
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いや、どちらかというと、楽かそうでないか?損か得か?悩めば悩むほど、 だいたい10中、8か9かろくな結果にならないこと、そんなことを年がら年中、凝りもしないで繰り返しているすぎじろうですいい加減、成長したいもんですが。 毎日、仕事上、人の身分証明書の有効期限を確認し続けていますが、自分のパスポートがぎり大丈夫と思っていて、もう一度よく見直したら、昨年11月で切れていましたまた、戸籍謄本からとりなおさなきゃえーっと、たつやくん、業務連絡です。今週は国内旅行しか行けません(笑) 太郎ちゃん、めでたく14歳になりましたチョコレートチーズケーキをリクエストされまして、最初、家にあったレシピだと、クリームチーズ500gサワークリーム400gクーベルチョコ500g……… どんだけーって言いたくなるくらいのカロリーとプライスがかかりそうだったのでクックパッドでありました。板チョコだし、お手軽で、おいしかったです 太郎ちゃんが生まれたとき、フィリピンに住んでいました 当時住んでいた家はてっぺんがモスクのようなタマネギの形をした屋根がついている豪邸の中の、一室 (笑) 最近はフィリピンでも間貸しは少なくなってるようですが、当時、1500ペソ。日本円で1万円が2300ペソ前後だったかなーだから6500円くらい?12畳くらいの部屋で、台所、トイレすべて共同。 当時のダンナ(フィリピン人)の実家の近くの方が何かと便利だろうということで出産の間際に引っ越してきた家で、出産することにフィリピンでは基本的に産前産後の有給なんて1ヶ月しか保障されない産まれる直前まで働いて、一ヶ月を後にとるのが普通ワタシは予定日が1月16日だったからクリスマスまで働いて、辞めたで、年が明けてから引越しをして予定日きっかりに陣痛がきて、産むことに。 最近、日本でも妊娠中の検診を定期的に受けない人が増えてきていると聞くが、フィリピンでは患者の懐次第 もっと言うなら、病院にかかっても支払う料金も、患者の顔を見て決められる 個人の医院もそうだが、大きな病院の先生だとまずは紹介者がないと、診てもらえない。決まった診察時間があるわけではないので、予約をとって、先生の言うその時間に行く。で、言われるがままの診察料つまり、同じことをして、みてもらっても患者の顔見て、料金が変わる。 いろんな友人が紹介してくれるところに行ってみたが、日本人というだけで、ものすごく高いお金を取られたりした…フィリピン人の友人や、華僑の友人の紹介状をもっていってもその紹介してくれた友人と同じ料金にはならないフィリピン人のダンナが一緒にいても、彼が交渉しても、いったん言われた料金が安くなることがない分、市場での値段交渉よりタチが悪いかも予定日直前で引越しした家の大家さんがうちの産婆さんに頼んだら?というのでそのまま、その家の子どもをとりあげた産婆さんに頼むことに当時、病院で産んだら、10,000ペソ以上といわれたが、ちょっぴりボラれても、2,000ペソで済みましたでも、産まれて2日後には痙攣おこして病院にそのまま入院20,000ペソほど支払う羽目に(笑) お金をケチったわけではないが、 まったく、何をやってるんだか 痙攣を起こしたとき、義姉が車で近くの病院に連れて行ってくれたが、救急室についても、まずは入院のための預金を…と言われ、あわていたためお金をそんなに持ってきてなかったから銀行に行くからその間に診てもらって…と、頼んでもお金を先に預けてもらわないと…と、診てくれないようやくお金をおろしてきて、支払って、そのレシートをもって救急室へそれから酸素吸入… 処置にようやくたどりつけた。 フィリピンには日本のような保険制度もないから全額実費だしそれでも、それを支払うだけの経済力があったからなんとかなったわけで よく、ここまで育ってくれたもんだわー 毎年、フィリピンネタを完全に記憶から忘れてしまう前に書いておこうと思うのに、何から書こうかとまよっているうちに、1年が過ぎていく(笑)10年くらいブログ書き続けたら、全部書けるかなー(笑)そのころ、太郎はいくつだ? ワタシのトコにきてくれて、太郎ありがとうね
2009年01月18日
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10日の、世界一受けたい授業のスペシャルで動くオノヨーコさんを久しぶりに見てああ、こんな年のとり方をしたい、と思ったすぎじろうです 彼女の豊かな胸の谷間に目がクギ付け(笑) いえいえ、自由な発想。あの、ジョンレノンのイマジンの歌詞が彼女が書いた詩に、ジョンがメロディーをつけたとは知りませんでしたイマジン この曲をきくと、今の会社に入った時の今でも尊敬するワタシのフィリピン人上司の送別会で彼が歌った時を思い出す それまで、この曲は聴いたことがあっても歌詞を吟味したことはなくてカラオケで流れる歌詞を見てそんな深い曲だったのかと… 暮れに大殺界もあけきらないうちに、ちょっとした辛らつな発言を放ったことがあちこちにはねかえって、自分に矢が戻ってきたら、放った時以上の威力を持って還ってきてちょっと討ち死にしそうなくらい凹むというか、情けないというか、怒りというか、哀しみというか…もう、すべて投げ出したいくらいに仕事が嫌にもなりました で、グルグル考えて… 出した答えは、初心に戻って、無心で働いてみよう。それでも、イヤなら、どこかで区切りをつけたらいいや、と。 自分を変えなきゃ。人を変えなきゃ。組織を変えなきゃ。もっと、良くしたい。良くしなきゃ。良くするためには、変えなきゃ。 自分で自分をがんじがらめにして、しんどくなって、変わらない人をみて、なんで変わらないんだろう、とイライラしていた気がする。 ほんとうは、まだ内側でくすぶってる部分もあるけどさ (笑) でも、天国がこの世にないのと同じで地獄もなくて、上には空があるだけ。 平和な世の中ってのはみんなが同じで、同じ方向向いて、平和にいましょうね、って思うことではなくていろんな人が色んなかたちで存在していろいろな幸せや平和の求め方があるかもしれないけど、 それぞれのこだわりを越えたところで共存することなんだな、なんて思ってみたりして。 そう思えたら、すこしラクになった そうしたら、ずっと見えなかった自分の進もうとして、どこに向かいたいのか、どこに向かえばいいのか、迷子になってた気分も、晴れてきた。 ちょっと自由になった自分を、イマジンしてみた ちょっと、いい感じかも (笑)ああ、ワタシって単純
2009年01月12日
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時代はめぐるよ~と、中島みゆきさんは歌っていましたが、今日はしんみりと時代を感じてしまいました。 地方によって、今日だったり明日だったりもするでしょうが、成人式ですねうちの、可愛い姪っ子も成人式を迎えます 彼女が生まれたとき、ワタシは19歳で、山梨の6帖台所付き、共同風呂にトイレ、洗濯機、電話は共同ピンク電話の下宿でした義兄がうれしそうに電話が夕方かかってきて、今、うまれたよ!元気だから!と、うれしそうに報告してくれた彼はその日、ありとあらゆる自分の知人に電話してそのうれしさを報告したようだった。昭和の最後の暮れのことだった。新年早々、姉の家に遊びに行き、生まれたての姪っ子に、姉が、ほらー叔母さんが来たよ、って言うから、そんなこと植えつけないでよワタシは叔母さんってよばさせないわよ!ってことで(笑)現在にいたるまで、名前で呼ばせている 今年の成人式を迎える世代は、学年に昭和生まれと平成生まれが入り混じっている世代だ。 新幹線の中で、時代の変わり目を迎えたワタシはああ、この姪っ子が大人になるころにはどんな世の中なんだろう、自分は何をしているだろう、と想像もつかなかった その後、姉一家は大阪から北海道へ。ワタシは山梨から大阪へ、そしてフィリピンへ。 フィリピンからちょうど帰ってきていたとき、義兄と電話で話して、冬に北海道に行くのはつらいから、次はいい季節の時に帰ってきて会いに行くよ、と言った。そして、その春、彼は突然死した。 姉は、姪っ子と生まれたての長男をつれて、義兄の両親のもと、長野に移った。姪っ子は小学校にあがる直前だった。 中学、高校と、反抗期で、姉と姪っ子はずいぶんとやりあっていた。ワタシは、同じくなにかとはねっかえりの姪っ子の味方をするから、あんたと○○(姪っ子)は、同じ遺伝子がはたらいてるんだろうねーとあきれられたりもした。姪っ子は、すぎじろうさんだけが理解者!と滅多にあえないにもかかわらず、よくなついた。 あれから、20年かー。成人式、おめでとうそして、姉にも、成人を1人送り出して、おめでとう、とメールで伝えた親バカで、と送られてきたメールの写メをのせる、オババカ?!(笑)
2009年01月11日
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と、言いますが、今年ほど、出かけなかった年末年始。太郎ちゃんが、今年は稼げなかった… (笑) そっちの計算、の計じゃないけどね 子どものとき、友だちのお年玉の金額を聞いて驚いたことたびたび。小学生で、当時一万円叔母さんから貰った。とか聞いた後にいくら貰った?ってきかれると言葉をごまかした覚えがある…うちは結構金額的には地味な一家で(笑)もらっても、欲しいものを事前申告しておかないと強制貯金 うちの父方の祖母は100歳手前で大往生した長生きのおばあちゃんでお正月に親戚一同集まると、乳児から大学生まで一律2千円うちの親に言わせると、80歳越えた人から見たらね、1歳の子も20歳の子も、同じなのよ(笑)基準がそこだから、全体的にこじんまり 母方の祖母はいつも図書券そして、子供のころ、母が、図書券でマンガとか雑誌って買えないのよと、いった言葉をずっと信じていたワタシ(笑)高校生の時に同級生が図書券でマンガを買うのをみてえー??!! 図書券でマンガは買えないでしょう?って言ったら、大爆笑された まんまと、策略にはまっていた(笑) だからか?うちの母も姉も、図書券でお年玉とか入学祝いとかをくれる。あ、今は図書カードか(笑) おかげかな?太郎も図書カードで自分の買いたい本をどれを優先して買うか?図書館で借りる本、自分で買いたい本を吟味するようになった小学校高学年くらいの時に、なんとなくで選んで買ったマンガを後悔して、限りある金額の図書カードをいかに有効に使うか?を、最近特に考えるようになった。 中学生だけど、お小遣いを渡していないので、お年玉や、相方側のおばあちゃんがくれるお小遣いを友だちとカラオケに行くとき、とかプリクラに行くとき用と貯めているウォークマン用に音楽をダウンロードするためにプリペイド式のダウンロード専用のカードを2ヶ月に一度くらい購入してその範囲内で曲を購入するようにさせている。 現金はあまりもたせたくないが、お金には限度がある。何を優先して、我慢するか。それを学ばせておく必要もあると考えて、うちではそんな風にしている 不景気の風が吹き荒れているこの時代のあとに、太郎がもう少し大人になったころ、どんな社会になっているか、想像つかないけれど、欲しいもののためにがんばる。欲しいけど、我慢する。そんな基本的考え方を、今のうちに身につけておいて欲しいなーなーんて、おもってます。
2009年01月08日
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年賀状もまだ書いてなくて(笑)大掃除にいたっては3日にしようと、割り切ったワタシ 正月らしいことは朝昼兼用の、雑煮のみ ああ、あけましておめでとうございます 今年も、ぼちぼちで更新しますので、よろしくお願いいたします 31日は、相方の同級生の経営するお店に集まって飲んでカウントダウン下戸の相方のおかげでいやー飲んだ、飲んだ 昼過ぎに起きてきて唯一の正月らしき、雑煮 忘れず送ってくれる旧友たちからの年賀状オムツをしていた頃の太郎をみている旧友からの成長したねー、の言葉とともにまた、友人たちの子どもたちの成長にも目を見張りああ、確実に年月が過ぎていくのをまた確信した次第です… 去年秋口からはまっているのがダンボールコンポスト(笑)写メを載せようかと思いつつ、外側はただのダンボール箱(笑)中身は土と生ゴミ(笑)正月早々お見せするような写真ではないのでやめておきますが、これが楽しくて参考資料(笑)大人気!!家庭の生ごみで有機肥料ができちゃう!スコップ・温度計・手袋・説明書付ですぐできる!消費税・送料当社負担!簡単!!ダンボールコンポスト(温度計・スコップ・手袋付) 毎日せっせと、わずかながらもでてくる生ゴミと米ぬかと鶏糞を混ぜて、可愛がっております朝からかき混ぜると、土が発酵して温かいため湯気がふわっとおきる。ちゃんと発酵していないと、土が乾燥して冷たくなるいくら生ゴミをいれても、ちゃんと発酵していると1週間ほどで土にかえっていくようで、土のかさが増えることはなくて、その愛らしさはまるでペットのよう?!(笑) いつか晴耕雨読の生活をしたいと願いながら、あと10年はサラリーマン生活余儀なし、とも半分あきらめ、また半分はその先どのように生きていくかを準備する時期と開き直りもし、まさしく自身の土を耕すための時期と思うこととした ただの生ゴミが、土と交じり微生物により堆肥と化してまた他の土と交じり、種を育てて、植物を作り出す 太郎を連れて母子家庭状態でフィリピンから日本に帰ってきてちょうど12年 あっという間だったような、ながかったような、12年間 同じ土で、同じものを育て続けると土も植物も弱るように、同じところで同じことを繰り返していると見えるものも見えなくなってくる気がするいきなり違うことに方向転換するにはあまりにも両手にあれこれ持ちすぎているワタシ。じっくり微生物によって発酵させるようにいま一度、自分のできることを洗い出し次に進めるための、自身の土を耕す時期とこの先3年をみることにした そんなワタシの日々ですが、このブログとも長くお付き合いしていただければうれしいです 今年もよろしくお願いいたします
2009年01月01日
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