根っこの今

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#1(1) 私と国際協力と農 

nekko

99年春


国際協力に携わりたいと願い始めて数年がたつ。
父親の仕事の関係で、小学生の時に3年間アラブ首長国連邦ドバイに滞在。
帰国後沙漠と何らかの形で関わっていたいと、東京農業大学国際農業開発学科をに進み、農業援助や農村開発などの地球規模で取り組んでいかなくてはならない多くの課題について学んだ。


はじめの頃、国際協力というのは、自分が現地に赴き何かすること、変わるべきは現地の方々だと思っていた。そんな中、アジア・中近東の国々を旅する機会があり、様々なことを考えるきっかけとなった。何よりも、自分自身の生き方を省みずにはいられなかった。


生活の豊かさや貧しさというよりも、日本(私)の心の現状を想った。物質的に満たされている日本。先進国と呼ばれ、“DEVELOPED(発展)”したと言われているけれど、いったい発展するとはどんな事なのだろう?自分が見、出会い、感じた事は、その国のほんの一部に過ぎないけれど、彼らのたくましさや彼らの人間らしさを思うとき、国際協力とは何なのかという事をもう一度考えさせられた。


私の持っていた偽善的な「助けてあげたい」的国際協力観から、互いに影響を与えながら、共に歩み、心のあり方をも見つめなおせるような、国際協力(共存)を目指していきたいと願うようになっていった。


同時に、南北問題の原因・構造を知り、自分たちに何ができるのかを考える、開発教育という取り組みがあることを知った。自分と南北問題を別々に考えるのではなく、そのただ中に自分は存在しているのだという事を忘れないようにしたいと思うようになった。


昨年度一年間、山梨県立の農業高校で期間採用教師として働く事を許され、果樹の授業を担当した。今までの受身の姿勢から、何かを伝える側に立ち、戸惑いの一年だった。


「ださい・汚い・きつい」と農業をいやがる高校生。農作業をしながら、「俺たちは労働者だあ!」「金くれ~」と冗談まじりに言う彼ら。
「今時なんで、さくまっち(その頃のニックネーム)は農業なんかやるの?」と不思議がられたり。先生として何か教える事はできなかったけれど、畑で共に体を動かして農作業をし、収穫をし、たわいもない話しをし、笑い、悲しみ、怒り、恋相談をした。時に誤解されたり、生徒を先入観で見ている自分に気づいたり、自分の弱さを知る良い機会でもあった。


農作業をしているとどうしてこんなに自然な気持ちになれるのかと思う。今まで海外に行って何かすることばかり考えていた自分だったけれど、この一年間を通して、日本で農業教育のような事をしたいと思うようになった。


私たちは、それぞれ「自分」という世界を持っているのだと思う。国際協力というのは、日常生活の中で、それぞれの世界を持つ一人ひとりが、お互いの国境を越えて交わり助け合っていく事ではないか、人間関係を築く事ではないか。そんな事を感じている。


人や生き物や自然との関係を通して、自分自身と向き合い、他人と向き合い、そして神様と向き合う事。国際協力というのは、自分にとって、身近な事から見つめなおしていく過程であるように思う。



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