@るくLOVE

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Apr 8, 2012
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カテゴリ: いろんなはなし
TBSの3夜連続ドラマ、「ブラックボード」終わりましたね!

もともとこういう○夜連続とかって大好物なんですが、
もう20年くらい、まともに見れた事ありませんでした。
だって毎日ってなかなか、、、ね。
しかも1回が2時間とかそれ以上とか長い物だしねぇ。
最初を見忘れちゃうともうあきらめちゃったりとか。

ま、今回は第1夜が我らが翔君ということもあって、しっかり録画したし
(実はこれはオンタイムで見ていなくて、録画もまだ途中だったり。。)

重なるしで興味津々、と、自分にとってはどの回も楽しみにしていました。

そう、ブラックボード=黒板、
ある中学校の黒板が見た?3つの世代の学校の、教師と生徒の、物語。
こういうのも珍しいですよね。
1夜目なんて戦時中~戦後の話だし。
3日間、少しずつ登場人物が重なってリレーっぽくなってるのもすごくよかった!

うちの息子2人は第1夜がよかった!と言っていました。

私は途中までしか見ていないけれど、あの頃は、戦争、という苦しさ、最大の困難があったけれど、
生徒はまっすぐだし、教師も威厳があって、親というもののありかたもしっかりしていた感じがありますよね。
翔君先生は、戦争から戻ってきて戦後の生活にいろいろ葛藤があるんでしょうが、、
(その辺からまだ見ていない)

戦争で変わってしまったとしても、、戦争、というか、敗戦で変わってしまったのかなぁ。。
我が家の場合もそうでしたが、ショックな事が起きたときって、まだその前の元気が残っていて
しばらくはそれで生きていける。
大変だけど、打ちのめされたようだけど、それまでの元気の貯金がまだまだ残っている。
でも、それからしばらく経って、まったく元気を貯める事が出来ないまま使い続けてきて、

そんなもんじゃないかなぁ、と思うのです。
だから、まだ見てないのでドラマでどう描かれているのか楽しみですが、
敗戦直後の日本は、まだ本格的には荒廃してないんじゃないのかな~と想像します。
まあ、それまでに数年戦争の時代があったわけで、その期間はそれこそ元気を貯める事ができないから
敗戦をきっかけにど~んときていてもおかしくないけど。。
でも、やっぱり敗戦後に生まれた人達、私たちの時代からの日本人の精神のよりどころのなさって
その前の人達とはやはり違うんじゃないかなぁ、と思います。
それが、2夜目の荒れた学校につながって行くんじゃないかな。
自信を持った強い父、という姿が崩れてしまった後、そのような父親モデルがないままに親になった世代は
高度成長時代で働く=儲かる=幸せみたいな価値観が当たり前のようになった中で家庭を顧みなかった世代。
そのしわよせで、子供達が荒れたんだと思う。
本当の幸せってお金じゃないよね、って言えても、じゃあなに?って言ったら答えがでてこない。
実際に毎日の生活でしている事はお金を求めることばかり中心で。
そんな中、学歴社会ができあがり、受験戦争、サラリーマン教師、校則。。。
子供達に閉塞感とプレッシャーを与えるものが積み重なった時、
ばーんとそれを壊すエネルギーが生まれたのかも。
それが、あの頃の、荒れた学校たちだったのかもしれませんねぇ。
今にして思えば。
清貧、みたいな考えはもうあの頃なかったように思う。
バブルに至まではお金=正義みたいなところもあって、貧乏=悪でしかなかった気がする。

そういう意味では、バブルがはじけた事も良かったのでしょうね。
あのまま行っていたら怖かったかも。

でも、3夜を見ると、今の学校はもっと悲惨で。。。
私たちの時代から今に至るまで、教師の不祥事って珍しくないくらいいろいろあって、
精神を病んでしまう先生も多くて、世間的にも「先生」に対する尊敬や期待って
ある程度なくなってしまったところがあると思うので、
現代の先生は、やりにくいだろうなぁ、と思う。
みんながみんな我慢をしなくなってきているので、
親も生徒も我慢が足りないし、そんな中先生だけ我慢するのも辛いよね。。
ストレスたまりそう☆

実際に私が母として接する先生方は、
ほんと個人差も多いけど、3分の1はすごくいい先生、
3分の1はいい人、3分の1はがっかり。
そんな感じかなぁ。
でも、3分の2は「いい」わけで、これはかなりの高確率だと思います。
がっかり、の中には、先生として、というのもあり、
人として、というのもあり。

いい先生にあたると、子供は本当に変わります。

うちの子で言うと、お兄ちゃんは先生運悪し。
娘は+-で普通かな。
末っ子は先生運がいいです。

これって多分偶然ではなくて、
お兄ちゃんはもともとはあまり問題ないタイプだったので
いろんな先生に当たった結果、あまり良くなかったなぁ、と。
良い先生もいらっしゃったんだけど、数でいうとがっかり先生率のほうが高くなっちゃった。
娘は、不登校になってから熱い先生をあててもらうようになり、
今ではその先生方が大好き。
問題のなかった小学校~中学校初期時代はあまり先生と接触なし。
末っ子は、ちょろちょろしててわりとわかりやすく問題ありそうなタイプなので
(小2の時に父親が倒れて家庭としても問題ある家庭と分類されてるんだと思う)
力のある先生があてられているイメージ。

娘とブラックボード3夜目を見ながら、こんなこと話しました。
「もし、10個の鉢を育てていて、同じだけ水をやっているのに、
 そのうちの2つだけ、どうしても水が足りないようだったらどうする?
 その2つにはもっとたっぷり水をやる?
 それとも10個全部に同じだけしかやらない?」

娘は2つにはたっぷり水をやる、と言いました。

私もそうすると思います。
同じ様に育つ様にしてやるのが同じ様に愛情を与えることなんじゃないのか。
そのためには、与える水には差があっていいんじゃないか?

でも、これが鉢=子供でそれぞれに親がいて、水を配る先生を見張っているとなると、
同じ分量の水を与える事が平等ってなっちゃうこともあるのかなぁ、と思うんですよね。

ちょっと前の、かけっこで早い子と遅い子がいるのがかわいそうだから、
みんなで手をつないでゴール、っていうのも、そんな発想なのかな、と。

それぞれの個性やニーズをつぶして均してしまう事は、平等ではなく暴力だと、私は思う。
そんな機械的なこと(っていうか、今の機械は優秀だからちゃんとそれぞれにあった対応ができるかもだけど)
ではなく、それぞれを見て、それぞれにあった対応をしてあげなくては意味がないのに。
でも、そう、手をかける時間に差はあっていいけど、見る時間、気持ち、そのあたりには差は欲しくない。
建前だけでもいいから。同じじゃないと困る。
人間だから、まったく同じだけ好きになるっていうのは実際は難しいでしょうけど、
だからといって、正々堂々とヒイキされたりしたらそれはそれで嫌ですよね☆
なので、せめて建前は。

私は3人の子供を育てながら、試行錯誤、いろいろ葛藤して、
今はそんな風に思っています。
手のかかる子には手をかける。
手のかからない子には、手をかけない。
でも、心は全員に。
必要な時にはまっすぐにその子に向かう。
不思議なもので、「好き」は同じじゃない。
でも、分量では測れない、それぞれの好きは、
色も形も匂いも違う。
けれど、どれかが大きくてどれかが小さいんじゃない、
ただ、それぞれに違うだけ、どれもとっても大事。
今はそんな心境です。

でも、3人でも大変なのに、30人以上相手にする先生は本当に大変。
子供が、人間が好きじゃないとやっていられないですね。
熱い心とか統率力とかまで期待するとなんだか申し訳ないけれど、
せめて子供が好きな人に先生になってほしいな、と
3夜見て思いました。

久々に、重たいけれど面白い、
いいドラマでした。





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最終更新日  Apr 8, 2012 10:00:12 AM
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