うさの『笑顔な毎日』になれるかな

うさの『笑顔な毎日』になれるかな

☆ いざ入院! お産までの出来事 

【待ちに待ったお印】

 出産予定日の1日前の深夜、いつに無く寝苦しく夜中の2時半に目が覚めてしまいました。
なんだか、違和感を感じすぐにトイレに向かいました。
そして目にしたものが、ずっと待っていたお印だったのです。
見た瞬間、すごい  『やっと来た~!』  という感動と喜びと同時にすごく緊張したのを覚えています。
いよいよ陣痛が始まるんだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
本当はすぐにでもみんなに知らせたい気持ちを抑え、寝室に戻りました。
緊張で寝れるはずも無く、色々なことが頭を巡りました。
横で寝ているパパに早く知らせたいけど・・・これから始まるであろう長い陣痛のことを考えると、
今は起こさないでゆっくり寝かせておいてあげたいと思いました。
だって陣痛がもし長引くと、パパも寝不足になるだろうし。
そんなことを考えていると、少しずつお腹に鈍い痛みを感じ始めました。
『これが陣痛なのかなぁ・・!?さっきお印あったし、陣痛が始まってもおかしくないもんね・・。』
なんて自分に言い聞かせながら、時間を計り始めました。
この時点では確か30分間隔くらいでした。
時間が経つにつれ、明らかに間隔が短くなっていくのが分かりました。
そうなると落ち着いて横になってなんかいられません。
4時半くらいにリビングに移動し、メモを片手に陣痛の間隔を記録しました。
そうこうしていると、父が起きてきました。既に私が起きていることに驚いたようでしたが、
父には『ちょっとお腹痛くて寝れないんだ。』 ということしか言いませんでした。
少しずつ少しずつ短くなっていく陣痛の間隔に正直すごく怖くて不安でした。
5時半にトイレに起きた母が私に気づき声を掛けてきました。
『さっきお印あって、お腹も痛くて陣痛っぽい感じなんだ。でもまだ先やろう。』
って感じの会話を交わしました。6時になり再び寝室に上がりました。
この時点で20~15分間隔位だったように思います。
私の気持ちとしては、どうせ朝方に病院に連絡を入れても病棟で先生が来るのを待たされるだけだろうし、病棟は朝が一番忙しい時だって分かっているので、それなら外来診察の時間まで待とう(待てるだろう)と思っていました。
6時半になりパパが起きていきました。でもすぐに寝室に戻ってきました。
母からお印があったことを聞き、様子を見に来てくれたのです。
パパからの問いに『うん。大丈夫やで。』なんて、普通に答えてみたものの本当は不安でいっぱいでした。
その後みんながいる1階に降りましたが、陣痛間隔はやはり15分くらい。
痛みも少しずつ強くなっている感じで、陣痛が来ると痛くて動けなくなるほどでした。
パパが仕事に行く7時10分には既に10分間隔に・・。
『なにかあったらすぐ連絡して・・。』 といいながらパパは仕事に向かいました。
パパが出かけてから、病院にいく準備を始めました。
今日は偶然にも母が休みだったので、一緒に病院に行くことが出来るので少し安心でした。
準備をしている間も、陣痛に襲われ立っているのもやっとな程。
病院に向かう前に、外来に連絡を入れました。8時半からの診療時間には早かったのですが、幸い8時前にも関わらずいつもの助産師さんが対応してくれました。
車で病院に向かう途中に、パパにメール。そして兄や義母さん、友達にも陣痛が来て病院に行くことをメールしました。
この時点では10分間隔を切り、6~7分間隔になっていました。
外来に付くとすぐに先生に内診していただきました。
陣痛間隔は3~4分程。先生や助産師さんにも 『よくここまで我慢したね。偉い。』 とほめていただきましたが、内診では子宮口はまだ1センチほどしか開いていませんでした。
しかし、すぐに入院が決まり車椅子で病棟に移動しました。



【入院】

 車椅子で、病人のように個室に入院しました。
個室といっても、普段は2人部屋として使えるであろう部屋に、一つだけベットを置いた普通の部屋です。
分娩までの時間を過ごす部屋らしく、CDラジカセと陣痛の痛みを逃がすために使うのか!?木馬の形をした椅子が置いてあったりしました。
今回は初産と言うこともあり、私自身が満足がいくお産をするというよりは
安全に無事赤ちゃんを産む環境を作るということを優先したので、緊急時にも
対応できるように総合病院を選びました。そのため、施設が古いとか・・ご飯が美味しくないとかは仕方がないかなぁと諦めていました。
個人病院のような綺麗さもLDRもありませんでしたが、この時はただ無事赤ちゃんと対面できることだけを願っていました。
入院後、助産師さんが分娩監視装置や血圧計などをあわただしくつけてくれました。
久しぶりに見る、赤ちゃんの心拍数。元気でした。
でも何故か入院後陣痛の間隔があいて行ったのです。
それほど痛みの感じなくなり、長い一日になるだろうと覚悟までしました。
10時40分頃、やっとパパが駆けつけて来てくれました。
やっぱり顔を見たら、一瞬で安心しちゃいました。
パパはいつにも増して、ハイテンション。 ビデオを撮りながら、一人しゃべるしゃべる・・。
でも後から分かったのですが、パパは緊張すると緊張を解こうと逆によくおしゃべりをして気を紛らわせるらしいのです。
我が子誕生を、私よりもドキドキしながら待ってたのでしょうね!
パパが来てからも、陣痛間隔はあいたままで10分間隔程でした。
母やパパとも会話する余裕もあり、部屋にあった木馬に乗って気を紛らわせたりも出来ていました。
昼食が来て、あまり食欲はありませんでしたが体力をつけないと・・ということで少し口にしました。
しかしこの頃から陣痛が強くなり始め、食事中も何度も陣痛に襲われ中断しながら食事をしました。
半分も食べないうちに、痛みでダウンしました。
そしてここから長い戦いが始まりました。
1時半くらいから本格的に陣痛が再開したのが分かりました。午前中に比べ明らかに痛みと間隔が短いのが分かりました。
陣痛のたびにパパが時間を計ってくれ記録してくれました。
正直痛みではっきりした記憶はありませんが、2分程続く陣痛が、5分も経たないうちに続けて襲ってくるようになりました。
ただパパにしがみついて、痛みに耐えるしかありません。
パパも、私に腕をつかまれて痛いはずなのに何も言わず一緒に痛みに耐えてくれているようでした。
そして、苦しむ私を見る顔がすごく辛そうで、何も出来ないということが何よりつらそうでした。
あまりの痛さに、『なんで私だけこんな思いするの!』 なんて事を言いそうになりました。 いや、もしかしたら記憶に無いだけで無意識に言ったかもしれません。
でも、一応必死に理性は保とうとしていました。
だって一応は新婚ですから、パパにみっともない姿を見られたくなかったし・・。
陣痛の間、痛みに耐えるのも辛かったですが、何より辛かったことは息みたい気持ちを我慢することでした。
時間が経つにつれ、陣痛のたびにいきみたくなって来るのです。
でも、子宮口が全開大していないうちにいきむと、おしもが切れて大変なことになると
聞かされていたので、いきみたい、気張りたい気持ちを我慢し耐えることがつらかったぁ。
陣痛に耐えている間も、助産師さんや医師が様子を見に来てくれました。
内診を受けるも、『子宮口はまだ6~7センチ』 なんて言葉に、こんなに痛いのにまだそれだけしか開いてないの~!?なんて思い落胆しました。
3時半くらいの内診では、出血がみられ 『いよいよ、もうすぐよ』  なんて言われましたが、またそこからが長い。
4時頃、もういきみを我慢することが出来ず思わず  『もう駄目~!出る!』  なんて叫んだのですが、傍にいた母に 『そんなまだ出んわ。』
 なんて冷静に答えられてしまいました。
しかし、私の姿に回りもピークだと思ったのか、ナースコールを押してもらいました。
掛けつけた助産師さんも今までの進行状態と今の私の様子から分娩室に移動することを判断してくれました。
『やっと、いきめる』 そう思うと嬉しかった。 でも分娩室までの移動でも車椅子に座るのがやっとな状態。
こんなにも体力を既に使っていたのかと、驚きながらも支えられてやっと移動できました。
移動の廊下でも陣痛に襲われ、恥ずかしさなんて忘れて  『痛~~い!!』  と叫んでいました。


【ご対面】

 分娩室に入ると、何故か落ち着きを取り戻しました。
少し冷静になって、助産師さんたちの指示を聞いていました。
まず、血管確保のために点滴をされました。そして両足にはそれぞれ緑の布を巻かれました。
羊水や血液が飛ぶからかなぁ!?なんて一人で冷静に思ったりしました。
そして、下半身が見えないように腰の辺りに緑の布を覆うものだと思っていたのですが(TVを見てると大概そうだし・・)、
そういったものは無く、下半身丸見え状態でした。
この状態には立会いのために分娩室に入ってきたパパがかなりなショックを受けたようです。
私自身は、正直早く産んで楽になるなら何でもいいって感じで、早く産ませて~って感じでした。
陣痛の波に合わせ、助産師さんが 『はい、気張って!』 なんて声を掛けてくれました。
必死でした。とりあえず力いっぱい気張りました。
多分すごい形相していたでしょうね・・笑
3~4回気張ったところで、 『はい。赤ちゃん出てくるよ~。』 って聞こえ、次の瞬間痛みと同時に  『おぎゃ~』 って言う産声が聞こえました。
待ちに待った瞬間でした。


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