今が生死

今が生死

2025.11.10
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カテゴリ: 悲しかったこと
彼岸花の葉の時期、秋のお彼岸の頃真っ赤な花を咲かせた彼岸花は10日ぐらいで花は無くなり、その後に緑の細くて肉厚の葉が伸びてきた。この葉はこれから寒くなって氷が張ったり雪が降ってじっと耐えて冬を越し、寒さで周りの草花は全て枯れているのに唯一この彼岸花の緑だけが畑の縁で輝き、4月頃他の花たちが芽を出し花を咲かせる頃に緑のバトンを渡して自らは静かに消えていく。枯れた花茎が数本緑の葉の中心部に写っている。

10月末に東北旅行に行ってきたが、松島に行った際、その近くに伊達政宗歴史館があったので入って観た。そこにはみちのくの偉人たちの蝋人形も展示してあり、あまりに実物そっくりに作られていて最初はドキッとした。青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島の東北6県の偉人が展示してあった。県別にコーナーがもうけられており、青森では太宰治以下6人、秋田は小林多喜二以下7人、岩手は石川啄木以下10人、山形は斎藤茂吉以下5人、宮城は高橋是清以下11人、福島は野口英世以下6人が実物大で展示されていた。小説家や実業家、政治家、研究者などその県が生んだ偉人が当時の姿そのままに実物そっくりに作られており、見ごたえがあった。

伊達政宗については生まれた少年の頃から、戦国武将、老年期迄実物そっくりの実像で展示してあり、迫力があった。我が山梨には武田信玄記念館があるが比較にならないと思った。正宗の幼名は梵天丸で5歳の時疱瘡に罹り、右眼を失明してしまった。その風貌故に母の義姫に疎まれて辛い少年時代を過ごした。義姫はその後生まれた弟の小次郎を溺愛して梵天丸を避けていたので孤独で内気で劣等感の塊のような少年になってしまったが教育係になった名僧虎哉禅師によって人間は外見ではなく心だという教えに自分を取り戻し、自信を持つようになって強い武将に育ち欧州一の200万石の大国を作り上げた。しかし豊臣秀吉の治下にあった芦名氏を滅ぼしたことで秀吉の怒りを買い、小田原攻めに参戦するように命じられ、政宗の立場も命も危ういような時に、母親の義姫は隠居して保春院になっていたが可愛い弟の小次郎に家督を継がせたくて正宗の毒殺を図る事件が起きた。母親を切ることは出来ないので泣く泣く弟の小次郎を切ったが悲しい事件だった。
母親はどの子も同じように可愛いと思い、同じように愛情をかけて育てるというが、政宗の母親は違っていた。見た目の悪い政宗より、見た目の良い小次郎をかわいがり、家督も小次郎に継がせたいと思っていたが父輝宗は政宗の能力や人間性をみていて義姫の反対を押し切って政宗に家督を継がせたが、母親は嫌いな政宗でなく小次郎に継がせたいとずっと思っていたようだ。可愛い小次郎が切られた後の母親がどうなったかはよくわからないが、母親は必ずしも子供を全て平等に愛しているのではないのだなと思った。





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Last updated  2025.11.10 22:29:09
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