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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 亜細亜
アフリカの中位に「ルワンダ共和国」という国がある。

1994年のある3ヶ月間で50~80万もの人が大虐殺され、世界を震撼させた
この事件は、当時民族紛争として捉えられ、単なる後進国のいつもながらの古い
争いとして報道され、死者の多さと恐怖感のみを植えつけたものであった。

そのときの報道は「ツチ族とフツ族の対立による内戦で多数の死者が出た」

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1993年8月4日、フツ族主導のルワンダ政府とツチ族反政府ルワンダ愛国戦線は
和平協定を行う、協定を守るためには様々な支援を必要としていた。

このとき国連は国連平和維持部隊(PKO)ダレール司令長官にロクな情報も
武器や装備も与えず、ルワンダに送り込む。

ルワンダには、もうひとつの第3の勢力、フツ族の過激派民兵が存在し
彼らは、和平協定に反対して活発な動きを見せていた。

ツチ族がフツ族の財産を奪いに来るというラジオメッセージを流し扇動され
膨れ上がる過激派。

「邪悪なツチの奴らは、微笑んで、子供たちをさらっていく、それに比べ
 我々フツ族はなんと心がキレイなんだろう。」(メッセージ内容)

では、なぜこのようなフツとツチが争うようになったのだろうか?

時代は植民地時代にさかのぼる、ある神話をここで広めるのだが、その内容は、
ツチ族は北のエチオピアからやって来た黒いアーリア人であり、ヨーロッパ人に
近い高貴な民族であるのに対し、 フツ族は下等な野蛮人とみなされた。

ルワンダは1962年に独立する、それまでは第一次大戦ドイツ、その後ベルギーの
統治下にあり、その間に、この神話が広まり強化されていく。

ベルギーは、頭の大きさや身体のサイズで無理やり民族を区別しルワンダ国民に
民族の名を記した身分証明書を持たせ、民族でルワンダを分別し国民に違いを認識させた。
高貴とされたツチ族は権力を握り、フツ族は卑下される対象となり、ここで統治が完了。

しかし、このツチ族とフツ族の立場は独立をめぐって逆転。
ツチ族の支配者たちはベルギーと距離を置いて権力を維持しようとしたのに対し、
ベルギーはフツ族支援にまわり、 1959年、フツ族によるツチ族の
大量虐殺(約2万人)が行われ、ツチ族は周辺諸国に流出していった。

また、ルワンダ国大統領を取り巻く北部のフツ族エリートたちが利権を独占しており、
もう一方にたくさんの貧しいフツ族農民が存在していた。

お決まりなのだが、政府は農民がが貧しい原因をツチ族のせいにし、
彼らの不満がツチ族に向かうようにし、民族差別を利用して統治を行う。

さらに、アフリカにおけるフランス語圏を守ろうとするフランスが
このフツ族政権を支援しているという背景もあった。

実際、今のルワンダも「ボンジュール」で挨拶だ。


ルワンダ愛国戦線司令官ポール・カガメとハビャリマナ大統領の間で和平調印されるが
事態は沈静化の様子を見せず、1994年1月11日以降、さらに状況は悪化。

この頃、フツ族過激派に軍事訓練を行っていた情報提供者からPKO部隊は
ツチ族虐殺の計画が進んでいるとの情報がもたらされた、武器庫の位置を掴んだ
ダレール司令長官は踏み込み、この計画を押さえ込もうと決める。

このことをニューヨーク国連本部に打診したところ、本部からの指導は「武器庫への
踏み込みは認めない」、臆病風に吹かれた国連本部はなるべくタッチしないことを望んだのだ。

3、4月とさらに状況は悪化の一途、1994年4月6日、大統領の乗った飛行機が
ロケット砲で撃墜され、首都キガリは暴動が悪化、政府は崩壊し実権者が誰か
わからない状況に陥り、大混乱となる。

またこの頃、ラジオで駐留している白人を数人殺せば、彼らは撤退するという
メッセージが流れ、実際10人のベルギー人が死んでいる。
ルワンダ国防省テオネスト・バゴゾラとの会議が必要と感じたダレールは
会うが、「ベルギー兵の撤退を求める」とだけコメントをもらうにすぎなかった。

通常、植民地化した国の人間を被植民地にPKO部隊として送り込むことは
しないのだが、このとき、国連軍で錬度の高い部隊はベルギーくらいしかなく、
仕方なかったと国連は説明している。

1994年4月10日、西欧諸国は事態悪化を受け、ルワンダから自国民だけを
脱出させるべくイタリア、ベルギー、フランスは輸送飛行機と2500名の兵士を
送り込んだ、もちろんこのときは全員完全武装、しかし内戦自体を止める気持ちは
無かった、あの装備で治安維持に努めていれば、おそらく3日もあれば収束できたであろう。


教会で起きた大虐殺、これは、ルワンダ軍がツチ族の身分証明書を持つものを
教会に連れて行きフツ族過激派に引き渡す、女性子供関係なく無差別虐殺が教会内で
公然と行われたのだ、この事件の起きたルワンダ最大の教会(カトリック派)は
民主主義は数の論理で成り立つとし、フツ族がすべてを支配して当然と考え
この殺人行為を見過ごしたのだ。


1994年4月21日、ニューヨーク国連本部において決議案488PKO部隊の
人員を300人に減らす決議案が採択される、しかし、司令長官をはじめとする
一部の兵士はこの命令に従うことはできないとし、ルワンダに残ることを選択する。

1994年5月19日、キガリ国連司令部が攻撃される、医療機器も大した装備も無い
国連部隊は、ただ司令部で身を縮めることしかできなかった。

この頃、外では、ナタやオノ、銃などで、いたるところで虐殺が行われていた
道には死体の山、犬がむさぼる様子まで見られた。

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この後、大統領に就任した元ルワンダ愛国戦線(反政府軍)司令官ポール・カガメは
2004年の虐殺10年式典で列強の責任を問い、演説をおこなっているが
彼自身、10年前和平交渉に対する海外協力への妨害を行い、虐殺を結果的に
手助けしているのではないか。

少しさかのぼって、1998年3月25日に米国大統領クリントン(当時)は
ルワンダに訪れ、以下のような演説をしている。

「大量虐殺の犠牲者と苦しみに耐えた方々に国家の代表として敬意を表します。
 家族を亡くした方々は奇妙に思うかもしれませんが、世界には私のように毎日
 事務所に閉じこもり、あなたがたが体験した想像を絶する恐怖を
 実感できなかった者もいるのです。                          」

この演説で、彼はこの事態を私が知ってさえいれば、米国は手を差し伸べたと
言いたいのだが、アメリカ合衆国大統領が目と鼻の先のニューヨーク国連本部に
入ってきている状況を知らないはずはない、知ってて無視したのだ。

所詮、自分の国の直接間接的な益にならないことには首を突っ込まない。
それはスーダン内戦に介入した石油利権確約後のアメリカ政府の動きからも
よくわかることである。


この当時、ユーゴ内戦には欧州は積極的な動きをみせていた、お隣の紛争は飛び火する
恐れがある、ただそれだけの理由、国連とはそういうものなのだ、
絵に描いた餅でしかないのだ、またこの問題でわかるのは、アフリカ諸国には
まったく統治能力が無いということ、集団的治安問題として他のアフリカ諸国が
介入しない、そんな国々が国連常任理事国に入れてくれと前回、
日本ドイツブラジルインドのG4案に反対し、対案書を恥ずかしげも無く出してくる。

ある小屋にはたっくさんの無数の頭蓋骨が置かれている、虐殺の犠牲者の頭蓋骨
小さいものは子供のものか、銃弾の痕、拷問されたであろう砕けた骨・・・

生き残ったルワンダ国民の人たちの、ある言葉

「私たちは西洋諸国には期待しない・・・期待しないことに決めた。
 なぜって? 期待すれば裏切られるでしょ、初めから期待していなければ
 裏切られることはないのだから、そっちのほうがあきらめがつくよ。   」



今でもそうだが、報道規制もあり、このような虐殺の写真やフィルムはメディアで
流されることは自粛されている。
私は、人間の屍を見ることは大切だと思える、悲劇の現実を眼に焼き付けておくことは
勇気もいることであるし、気分を鬱にさせるものではあるが・・・

補)積極的に見せろということではない、あくまで考える必要も
  あるのではと私は言いたいだけだ。

戦中を駆け抜けた方々が、なぜもう戦争は嫌だとおっしゃるのか、それはたくさんの
屍を目の前で見、さわり、成仏させてきたからだ。

実体験者の反戦と机上の運動家の反戦は、聞くだけで重みが違うことを追記しておきたい。


*世界で起きた虐殺の背景、そこには理由があり、結果から学ぶことが
  たくさんあります。 次回、機会があれば、また取り上げようと思います。


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 だいぶ前にブラックホークダウンという映画を紹介しました。この背景は
 ソマリア紛争でした、見た方は多いのではないでしょうか。クリック多謝。



~~~~~~~~~~~~ 追 記 ~~~~~~~~~~~~

   最近、JR東海のコマーシャルがお気に入りだったりします。

   東大寺の二月堂お水取りの紹介と1300年前と重ね合わせたナレーション。

   四天王像広目天や金剛力士像が火に照らされ美しい、奈良に行きたくなりました。

   ぶらっと行こうと思います、暖かいといいなあ、奈良は盆地だから暖かいですよね?

ジェノサイドの丘(上) ジェノサイドの丘(下) 平和のつくり方

「知ることは財産です」



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最終更新日  2006年02月05日 00時59分56秒
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