犬も歩けば某(ボウ)に当たる

Word for nature by /




私は自然が好きだ。

山や川、海や空といった大自然が大好きである。

しかし、ふと考えると自然とはなにかと疑問に思える。

自然:おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。
   山・川・海やそこに生きる万物。
   天地間の森羅万象。
   人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。
   人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。

これはさる国語辞典からの引用だが、
よく見れば自然と人間を対比させていたのだ。
つまり、人間は自然ではないのだ。

いや、もともとは自然の一部だったのだろう。
ただ、脳が進歩し二足歩行を可能にし、二本の腕をもった。
ただそれだけで、人間は人間を自然とは違う生き物と存在させた。
人間の体と他の生物との体に大きな差はない。
特に哺乳類に限定すれば体の各部の機能は大小あるにしろ
その組織などには大差はなく、ある動物の臓器では
人間に移植手術を施した例もある。

けれども、人間の一般常識的において自然は人間と相反するものなのだ。

哲学者、ルソーは「自然に還れ」と、
人間本来の自由・幸福を奪った社会という悪を脱して、自然の無垢な状態に還れという言葉を人々に投げかけたという。
人間はいつから自然ではなくなったのだろうか、
道具を持ち、言葉をもち、文字をもち、文明をもった。

しかし、自然界においても、言葉をもつものはたくさんいる。
犬や猫なども自分の意志を口やジェスチャーで人間に伝えてくるし
イルカについはすでに常識てきなものだ。
道具は猿などを見れば自分の考えをもって道具を使っている。

人間の特筆すべきはやはり二本の腕からなされる、
器用な道具の使いかたと一度に大多数に伝えられ記録に残る文字であろう。
それらにより、人間は独自の文明をつくり、過去の事例を生かして
道具などを発展させてきた。

つまり文字をもったことにより自然とは離れた存在として自らを固定させてしまった。

しかし、仮に私は通常、神という存在を信じてはいないが、
もしこの世に神という人間を創造した存在があるならば
神から見れば人間も自然の一部ではないだろうか、

自然の中にいるいくつもの種類の生物は
その生物の生存や快適な生活のために進化してきた。
首や鼻を長くしたもの、他の生物を殺す武器をもったもの、
角をもったものもいる。
それらと比較して人間は道具を持たない限りそれらの自然と比較して無力である。
つまり、人間の進化は脳の進化によってつくりだされた道具や文字というものであり、
それも自然の進化のひとつではないだろうか。

村が町となり市となりそれすらも自然の現象ではないか。
ただ、人が多い、人間社会(集団社会)における力である経済力をもつために
より人が密集した場所において、より大きな力を得ようとするだけで、
単なる自然現象である。

大きなビルも繁華街も人間が独自に作った自然とできる。
蟻が地中に大きな巣をもつのと同様に、、

そう考えると自然と人間を対比させているのは人間であり、
それは人間のおごりなのかもしれない。
人間が自然を壊すことのできる武器をもち、
自然界のどの生物よりも強い道具をもったためにでてきた
単なるおごりではないだろうか。

自然という言葉、
地球に存在している自然の中で
唯一、人間は自然の形態に逆らおうとしている生物ではないだろうか。
人間が自然を壊したということは、
人間らが彼らの母体である自然という体の中で破壊行為を行っているということだろう。

自然からすれば人間は癌細胞だ。

そんな言葉に皮肉をおぼえれるのはこのためなのだろうか。


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