カナダ西海岸にあるコルテス島から

カナダ西海岸にあるコルテス島から

寺子屋(こうのとりを待って)に出会うまで


30半ばで同じ年の夫に出会い、生まれて初めて結婚する前からこの人の子供が欲しいと思った。こんな思いは初めてだった。だがこうのとりは都合のいいようにはやって来ないのも知ることになる。

私は結婚に関して興味があまりなく過ごしてきた。20代30代前半は先ずは自分の興味そしてキャリアを構築する方を優先させていた。結婚に興味がなかったとゆうのは正しい表現じゃないかもしれない、結婚したいと思った人が現れた時がその時なのだと、そしてその時は早かれ遅かれ来るだろうと信じていてそれまで出会わなかっただけ。ドイツに暮らし始め語学学校で出会った始めての彼とは婚約もしたが5年で何かが違う、このままでは将来お互い不幸になるだろうと別れた。その数年後彼は10歳以上若い女性と結婚して今では幸せなパパとなっている。その後は恋愛の為の恋愛をして来た。そしてその誰ともそれ以上深い愛情が生まれることがなかった。辛い恋愛もしたけれど。

それに反して仕事は(しがらみが大変だったりし、救いを求めて仏教だ体の調整だと走ることになるのだが)とても遣り甲斐のある自分の特性を生かせたものだった、だから管理系人間関係は辛いんだけど仕事自体は大好きで、続けていくことこそ考え辞めるなんて気持ちは一切なかった。その頃結婚をアプローチしてくれた人から仕事を辞めて自分の仕事を手伝って欲しいと言われた時には、何言ってんの?この人、私の事全然分かってくれてないと、がっかり。少しはその人と深く付き合ってみようと思った自分の思いがまったく相手と協和していなかったことが情けなかった。

33を過ぎた位から、出会いがないとなんかいくらこの仕事が好きでも、この道で大御所になるのもちょっと淋しいなあなんて思ったりもしたのも事実だ。そして気功のS氏が思ったことは書いたり行動して初めて伝達されると言っていたのでそうか、念じているだけではダメなのかと私はその年お正月早々結婚宣言をしだしたのだった。会う人会う人に私は結婚したいのですと。まあ、それが効いたかどうかは分からないが、それを伝えた覚えのない(外国人の友達には言ってなかったから)仏人の友人がなれそめでも書いたように夫を紹介してくれたのはその年の夏だった。言霊の力強し。

紆余曲折があり今夫婦として暮らし5年が過ぎたがこうのとりはどこで道草食っているのだろう?まあ、夫がこちらに移民して0からスタートし基盤ができるまではちょっと待ってということもあったし、待ったからと言って基盤を作るのはそう簡単でないこともわかったので、こうのとりを待ち始めたのはここ2年ほどになる。

そして寺子屋との出会いとなる。ああ、長いイントロになっちゃってすいません。疲れちゃったので次のページにしましょうか。続く。



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