JE2LUZ・熊野

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2021/12/08
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カテゴリ: 熊野について
熊野市のの中心は「木本町」でした。
 旧制の市町村分けでは「木本町」だけが「町」でした。
 旧熊野市では飛鳥町・荒坂村・新鹿村・大泊村・有井村・五郷村・神川村・金山村・などの村ばかりでした。
 そして、新熊野市になったときも、合併したのは「紀和町」でしたが、もとは村が合併したものでした。
 その木本も山を除けば平野が少なく小さな町でした。
 それでも、狭い街並みなので「町」らしい風情でした。
 江戸時代でも紀州藩の「奥熊野代官所」が置かれていたくらいですからね。
 今より狭い区画でしたが、親父町・一丁目・二丁目・三丁目・関船町・布袋町・新出町と本町はきれいな街並みでした。
 その後に道が作られ、新田・寺町・傘屋町・横町・井筒町などが広がっていったようです。
 それでも南北に700m、東西に500mほどの面積でした。
 私の子供のころには「立派な町」でした。
 近所には「新宮市」がありましたが、子供のころに新宮に出かけるなんてほとんどありませんでした。
 そして、今の木本町では人口も1727名ほどですが、ピークでは6000名ほどいたのではないでしょうか、
 「町の中心は動いてゆく」と言われますが、途中からは「捨てられて行く」に近いようです。
 この様子では「集落統合」も木本でも行わなくてはならないでしょうね。
 空き地がどんどん増えても固定資産税の評価はいまだに下がりきらないし・・・
 それより、住民の固定資産への評価が下がっていませんからねえ…
 買い物をする店も殆どなくなっている不便な町なのですが…
 おまけに間口が狭くて建て替えも聞かない土地が多いですし…
 たとえ10年たっても20年たっても様子は変わらないと思います。
 土地税制が変わって、不要な土地が自治体や国に戻るようにならないと…
 無理を言っているのではなく、根本から考えないとだめなんですけどねえ…
 本町筋はそれなりに商店街としての形が整っていたのです。
 とはいえ、この本町通にはいろいろ入れ替わりながらとは言え私が子供のころには60軒ほどの店屋さんが並んでいたのです。


 商店のほかにはこうした町家が並んでいました。
 本町筋はお金持ちの家が多かったようです。
 家の中の構造はどこも同じようなものでした。
 それが隙間なく並んでいたのですから、立派な町だったわけです。
 要害山から眺めた景色は今もほとんど変わりがないです。
 隙間が増えただけです、
 そして、この通りが「熊野古道・浜通り」だったのです。


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最終更新日  2021/12/08 01:23:46 AM
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