JEDIMANの瞑想室

JEDIMANの瞑想室

第2章 血みどろの会戦 <1>




「アメリカの事変、知ってるよな?」
「もちろん!テレビもその事で持ちきりさ」
「俺、こんなにニュース番組見るの初めてだぜ?」
「俺も俺も!」
「てか、リアルすごくね?」
「ああ、映画みてぇ!」
「でもさ、日本大丈夫なのかな?」
「大丈夫じゃねーの?俺達、自衛隊がいるんだし」
大丈夫なはずがないだろう。
川口正博はイージス艦<せつな>の甲板を歩きながらそうつぶやいた。
全く。
最近の若い自衛隊員の話を聞いていると腹がたってくる。
川口は威厳ある顔をしかめ、歩みを止めると柵に寄りかかった。
深い色をした海が目の前に広がっている。
雲1つない青空と、太陽光をきらびやかに反射した海が水平線で混じりあう。
<せつな>は日本の領海の東端を巡回していた。
この戦いが起きてからというもの、自衛隊の動きは活発になっていた。
川口は柵から身を離して甲板を歩きながら、鋭い視線をあちこちに向けた。
自衛隊員らがせっせと砲磨きにせいを出し、甲板をデッキブラシで掃除している。
よし。
サボっている者はいないな。
「ッ!」
川口はなにか急に空気がピリッとしたのを感じた。
この感覚は………
「艦長!」
自衛隊員の1人が駆け寄ってきた。
「哨戒機がここから東に50キロの地点で戦闘を確認しました!アメリカ軍と名乗っていますが、真偽はわかりません!」
「アメリカ軍?アメリカがなぜ日本に?」
「さあ………」
「で、アメリカ軍と戦っている勢力は?」
「データにない艦船らしいです。防衛省は警戒態勢を敷けと」
自衛隊員の言葉に、川口は水平線を眺めながら頷いた。
やはり、さっきのピリッとした空気は、砲を放った衝撃だったか。



「頼む!援軍を出してくれ!」
ブライドンは通信機を持ったまま叫んだ。
通訳者がブライドンの英語を日本語に通訳するのが聞こえた。
だみ声が答える。
通訳者がブライドンに言った。
『安田防衛大臣は、憲法第9条の平和主義や防衛権の関係により、自衛隊を動かす事はできないとおっしゃられています』
「そんな悠長な事を言っている場合じゃないんだ!アメリカと日本は同盟国だろう!?同盟相手に援軍を出さない同盟国があるか!」
『…………とにかく、援軍は出せないそうです』
「ふざけんな!軍隊がありながらそれを動かさないだと!?」
『お言葉ですが、自衛隊は軍隊では―――』

ブツッ

ブライドンは無理やり電話を切った。
これ以上腐った根性の奴と話していてもいらいらするだけだ。
爆発音が響き、<サラマンダー>が揺れた。
「<テンペスト>、撃沈!」
「<シンフォニア>、左翼から敵の足止めに入ります!」
オペレーターが次々に叫んだ。
「どうだ、ブライドン、日本は援軍を送ると言ったか?」
オゼルが指令席に座りながら言った。
「いえ」
ブライドンは首を横に振った。
オゼルが舌打ちした。
「なんだと?全く、日本め!このような時に援軍も出さぬとは!かの国がそんなに腐っているとはな!」
この時ばかりは、ブライドンもオゼルに大賛成だった。
アローを乗せた<サラマンダー>は、太平洋艦隊の分遣隊の支援を受け、同盟国でアメリカ軍基地もある日本を目指していた。
しかし、フィアの艦隊が逃がさんとばかりに追いすがり、ついに日本近海で戦闘に突入したのだ。
「<イノセンス>、中破!航行システムに重大な損傷を確認!脱出を開始するそうです!」
「くそっ!<サラマンダー>は戦闘を中止!日本本土に向けて退避する!援護せよ!」
オゼルは叫ぶと、操舵手に命令を怒鳴り散らした。
<サラマンダー>の舳先が波を切り裂き、日本へと向けて航行を再開する。
しかし、フィアの戦艦も後を追ってきた。
激しい砲撃がかすめ、艦を揺らす。
「うわああああああああ!」
「ひるむな!」
その時、ブライドンは水平線になにか見た気がした。
「…………?」
ブライドンは目を凝らした。
そして、水平線に小さく浮かんでいる艦を見つけた。
「日本軍だ!」
水平線に浮かんでいるのはイージス艦だった。
<サラマンダー>の進行方向にいる。
「全速前進!」
ブライドンは叫んだ。
みるみるうちにイージス艦が迫ってくる。
しかし、背後からフィアの戦艦も迫っていた………



「こちら<せつな>!防衛省に連絡!フィアと戦闘中の艦隊がこちらに向かっています!アメリカ軍であると確認しました!信号会話でコンタクトをとったとこら、援軍を求めています!」
川口は<せつな>のブリッジで叫んだ。
通信機の向こうで相談するような声がした。
川口はさらに声を張り上げた。
「安田防衛大臣!攻撃の許可を!」
『攻撃は認められない』
電話の向こうの声は冷たく告げた。
『我々は先制攻撃はしない』
「しかし!」
『<せつな>は監視を続けよ』
電話が切れた。
「くっ…………」
川口はゆっくりと耳から受話器を離し、ブリッジの向こうで繰り広げられている海戦に見入った。
ほとんど一方的にアメリカ軍がやられている。
アメリカ軍の旗艦である戦艦から、繰り返し繰り返し救援要請が出されていた。
川口は自衛官である。
防衛大臣からの命令には逆らえなかった。
しかし、防衛大臣より強い物があった。
憲法である。
「………戦況を監視せよとの指令が入った」
川口は口を開いた。
「戦場に接近せよ」
「は?」
思わず操舵手が振り返った。
ただでさえ戦場に近づいているのに、さらに接近せよと言うのだ。
戦況の監視なら、普通は後退するはずだ。
「どうした、聞こえんのか?」
「い、いえ!前進します」
操舵手は慌て正面を向いた。
<せつな>がゆっくりと前進を開始する。
「臨戦態勢」
川口は宣言した。
部下が驚いた顔をする。
「しかし艦長、交戦許可は下りていません!」
「すぐ近くで戦闘が起きている。万が一の事態に備えるだけだ」
<せつな>はさらに戦闘に接近した。
「…………艦長、これ以上の接近は―――」
部下が口を開いた瞬間、<せつな>に衝撃が走った。
「セクション1102が被弾しました!」
部下が言わんこっちゃないといった感じで叫ぶ。
川口はゆっくりと頷いた。
「ここは日本の領海だな?」
「へ?ええ」
レーダー士官が慌て頷く。
川口は頷き、通信機を手に取った。
「こちら<せつな>。日本国領海にて一方的攻撃を受けた。防衛権の発動を願う」
通信機の向こうが騒がしくなった。
「……………………」
川口は辛抱強く待った。
しばらくして、再び防衛省から<せつな>に入電した。
『防衛権が発動された。発砲を許可する』
「防衛権発動!」
川口は威厳を持って怒鳴った。
「戦闘態勢!」
ブリッジは一気に騒がしくなった。
「主砲、スタンバイ!」
「対艦砲壱、スタンバイ!」
「対艦砲弐、スタンバイ!」
オペレーターが次々に叫ぶ。
「目標、二時方向!」
川口は毒々しい配色で、トゲがたくさん突き出しているフィアの戦艦の1隻を指さした。
「放てーーーーっ!」
<せつな>の砲塔が火を噴いた。



沈黙を保っていたイージス艦が、突如として砲撃を開始した。
砲弾がフィアの戦艦に次々に命中する。
明らかに敵は混乱した。
「よし!いいぞ!」
<サラマンダー>の甲板から銃で応戦していたローグが拳を握った。
日本軍のイージス艦がうまいタイミングで攻撃を開始したため、敵は陣形を崩し、混乱に陥っている。
<アビス>と<エターニア>が一斉砲火を敵に浴びせ、大破させるのが見えた。
敵が退却していく。
<デスティニー>が猛追するのが見えた。
敵はしばらくは追ってこないだろう。
<サラマンダー>の周りに、素早く戦艦が集結した。
「ふぅ………。危なかったぜ」
スコットが額の汗を拭った。
「このまま日本に逃げるのか?」
シュナイダーが訊いた。
「ああ、たぶんな」
クロウが答えた。
「それより、妙にネイオがハイテンションなのが気になるんだが」
『へ?』
皆、一斉にネイオを見た。
確かにネイオは妙に楽しそうだ。
心なしか、笑顔も見える。
「ど、どうしたんだ、ネイオ…………」
スコットがやや引きぎみに訊いた。
「日本だぜ?日本」
ネイオがうきうきと言った。
リッドが首を捻った。
「日本がどうかしたか?」
「日本と言えば!」
ネイオは声を張り上げた。
「まさにネトゲの天国!電子機器の極楽!そして2次元美少女のユートピア!俺、一度でいいから秋葉原へ行きたかったんだ!あ~、ついに萌へ萌へ天国に…………」
「…………おい、スコット、悪いんだが、こいつ海に投げ落としていいか?」
「どうぞおかまいなく」
クロウとスコットはため息をついた。
「ネイオ、そういやネトゲマニアだった………」



「首相、おはようございます」
日本国首相、森内寛は、挨拶に手を上げて応えながら、首相官邸に入った。
「首相、既にアロー副大統領がお待ちです」
秘書が森内の後ろを歩きながら囁いた。
「安田君は来とるか?」
森内は頷き、秘書に訊いた。
「はい。待機されています」
「よし」
森内はせかせかと小走りで会談室に向かった。
ここ数日の間に、たくさんの出来事が目まぐるしく起こっていた。
日本の防衛権の発動。
アロー副大統領の突然の訪日。
そして、アロー副大統領の唱えるフィアの恐怖。
「全く、てんこもりだな」
森内はいらだたしげにつぶやいた。
会談室の入り口が見えた。
大使や安田が書類を持ち、扉の前で待っている。
「やあ、待たせて悪かったな」
森内は秘書から書類を受けとると、額の汗を拭き、ゆっくりとドアノブに近づいた。
やれやれ。
また苦手な外交か。
森内は通訳のイヤホンを耳に付け扉を開いた。
部屋には、既にアローと数人の者達がいた。
※ここからは通訳による会話
「やあ、アロー副大統領。ようこそ日本へ」
森内は親密そうに笑いかけながら片手をさしだした。
アローも笑いながら握り返す。
「突然に訪問してしまい、誠に恐縮です」
「いやいや、気にする事はない」
2人は椅子にかけた。
周りの者達も座る。
「さて、さっそく本題に入らせていただきます」
アローはそう言うと、微笑みを消した。
「現在、我が国は危機的状況にあります。東海岸はニューヨークまで全ての都市や州が陥落し、中央部もフィアが掌握しています。ロサンゼルスとサンフランシスコは完膚無きまでに叩かれ、フィアはさらに西海岸を北上する構えです」
「それはもちろんこちらも把握している」
森内は答えた。
「だが、Uウイルスやフィアに関する資料は少ない。我々はフィアがなんなのかもよくわかっておらんのだ」
「では、ご説明致しましょう」
アローはそう言うと、側に座る男に言った。
「教授」
男は頷くと、森内に礼儀正しく言った。
「はじめまして、モリウチ首相。私はアーサー・ホーク。ハーバード大学教授です。こちらはリアナ・ブルックベル」
隣の少女がペコリと頭を下げた。
「さて、フィアに関して簡単に説明しましょう」
アーサーはそう言うと、写真を取り出した。



横浜沖―――


アメリカから来た<サラマンダー>や太平洋艦隊の分遣隊、そして<せつな>は横浜沖に停泊していた。
空は冬の曇り。
太陽が弱々しい光を、雲を通して地上に投げかけていた。
ビッドは<サラマンダー>の甲板でタバコを吸いながら、大海原を眺めていた。
風が強い。
海は荒れていた。
<サラマンダー>が上下に揺れ、波が艦に何度もぶつかる。
ビッドはタバコの煙を吐き出した。
煙が一気に風に散らされる。
「よぉ、ビッド」
誰かがビッドに背後から声をかけた。
シュナイダーだ。
「よ。どうしたんだよ、こんなとこで1人寂しく………」
「いやー」
ビッドは頭をかいた。
「少し風にあたりたくて。んにしても……」
ビッドは再び煙を吐き出した。
「大丈夫かな、副大統領は」
「大丈夫だろ」
シュナイダーは柵に寄りかかり、海原を眺めた。
「あの方はしっかりしてる。問題は、日本が救援要請に応じるかどうかさ」
「へ?」
ビッドはシュナイダーの言葉の意味がわからず、思わずすっとんきょうな声をあげた。
「日本軍は正式には自衛隊と言って、軍とは少し違うんだ」
「へえ」
ビッドはそう言うとタバコを口にくわえた。
シュナイダーは海風を胸一杯に吸い込み、吐き出すと、話を続けた。
「日本の自衛隊は完全に防衛にしか使えない。他国での戦闘は禁じられているんだ。つまり、攻撃も不可」
「はぁ?なにそれ?ちょー不便じゃん」
突然、別の声が割り込んだ。
シュナイダーが振り向くと、ローラナが出入口から甲板に出てきていた。
側にはカトリーナの姿もある。
彼女達は、ここしばらくの間に友人になっていた。
「そ。不便だ」
シュナイダーは答えると腕を組んだ。
「だから、例え日本の協力を得られたとしても、フィアが攻撃をしかけて来るまで何もできないというわけですね……」
カトリーナが言った。
「よっぽど、オーストラリアや中国と組んだ方がいいよなぁ」
また突然、別の声が割り込んだ。
同時に、カトリーナの悲鳴が響く。
「よ。カトリーナちゃん、相変わらずいいお尻☆」
カトリーナの背後に立っているマージョラムがにやにやしながら言った。
「マージ!あんた!」
ローラナがいつの間にかメリケンサックを装備し、マージョラムに殴りかかった。
しかし、マージョラムは華麗に飛びのき、その一撃をかわした。
「へっへっへ、そんな大振りな攻撃が俺に当たるとでも―――」
「へ、変態っ!」
次の瞬間、マージョラムの股間に、カトリーナの蹴りが命中した。
マージョラムは凄まじい威力の蹴りが、股にめり込むのを感じた。
意識が一気に遠くなる。
マージョラムは意味にならない声をあげると、その場にばたりと倒れた。
もちろん、両手は潰された股間に当てて。
情けない事このうえない。
カトリーナが肩で息をしながら、必死に落ちつこうとしている。
「………痛そ……」
シュナイダーはポツリとつぶやいた。



「………なるほど。Uウイルスは人をグールにし、フィアはそのグールやUウイルス・クリーチャーを操るのだな」
森内は顎を撫でた。
未だに信じられないが、アメリカはそのフィア達にコテンパンにされたのだ。
「しかし、我々にどうしろと?」
安田防衛大臣が口を開いた。
「既にアメリカの3分の2は陥落し、北アフリカは制圧されているのでしょう?」
「ええ。奴らはイタリアから人類を駆逐し、地中海を渡ってフランスなどにも上陸をしかけております。既に地中海の制海権は敵が掌握し、マルセイユやジブラルタルはフィアの一大拠点と化しているのですから」
「ふむ………。しかし、我が国の自衛隊は動かせませんぞ」
森内はアローに言った。
「自衛隊はあくまでも防衛のためにあるのであり、攻撃してはいけないのです」
「もちろん、軍事であなたがたに頼っているわけではありません」
アローはわずかに侮蔑を込めて言った。
平和ボケで戦いを経験していない脆弱な軍隊など、圧倒的な戦力を持つフィアに対しては足止めにもならない。
「では、どうしろと?」
森内はいぶかしげに眉をひそめた。
「我々アメリカは、日本を同盟国として信用しています」
アローは口を開いた。
「そして、我々は共にフィアに対して戦わなければならない。それも、人類の力を結集してです。アメリカ軍は東アジア地域の戦力を総動員し、太平洋やアジアに進出してくるであろうフィアに対して反撃をしかけます。しかし、我々だけでは弱小。ですから、あなたがたにオーストラリアや中国など、強国に対してフィアとの戦いに参加するよう説得していただきたい!」
「うむ………」
森内は眉をひそめた。
また無理難題を。
「しかしですな、アロー副大統領。日本はアジアにおいて強固なリーダーシップを持っているとはいえません。現に、中国は我々に対して反発をますます強めています。韓国とは日韓友好共栄条約の締結以来、良好な関係ですが、それでもそんな協力を取り付けるまでには………」
「モリウチ首相!フィアはこうしている間にもアジア侵攻の準備をしているのかもしれないのです!」
アローはデスクをドンと叩いた。
「第二の太平洋戦争が始まるのですぞ!フィアは容赦などしません!停戦交渉も降伏もできないのです!あるのはどちらかの全滅!私はみすみす奴らに地球を明け渡す気は毛頭ありません!断固として戦うのです!」
「国連が―――」
安田が口を開いた。
「国連はもはや機能していない!」
アローはいらだたしげに怒鳴った。
「国連本部のあるニューヨークは完全にフィアの支配下です!平和を主張する『ねじ曲げられた銃』の像は、奴ら自身の手で粉砕されました。この戦いに終止符を打つには、フィアと徹底的に戦う必要があるのです!」
「落ちついてください、アロー副大統領」
安田がやれやれといった調子で言った。
「どうあがこうと、憲法には逆らえ―――」
「各国に協力を要請してみよう」
森内が思いつめたように言った。
安田がギョッとした顔をする。
「首相!」
「安田君、君も覚えているはずだ。東京の、いや、日本の中枢で起きた忌まわしき事件」
森内の言葉に、安田は黙り込んだ。
「『東京都心リッカー襲撃事件』、ですな」
「その通りだ。リッカーは多数の民間人や自衛隊員を殺害し、最終的には国会議事堂まで消滅するはめになった。アーサー博士によれば、あのリッカーを造り出すのに使われたウイルスは、Uウイルスとほぼ同格の物らしいではないか。あの悪夢を再発させてはならん」
そこで、森内はわずかに笑った。
「まあ、あのリッカーのおかげで、ロリコン中年男に誘拐されていた少女を保護する事ができたがな」
「では、モリウチ首相………」
アローの言葉に、森内は神妙に頷いた。
「状況がこれほどまでに切迫しているなら、一か八か、試してみよう」
森内の決心は固いようだった。
「安田君、中国、韓国、オーストラリア、それに他の東アジア諸国に会議を打診してくれ」
「………知りませんよ、どうなっても」
安田の言葉に、森内は青い顔で頷いた。



冷たい独房。
フィアの独自の金属でつくられた壁が、ひんやりとした冷気を彼の身体に押しつける。
フィアの気味悪い言語がぼそぼそと聞こえた。
クレイジーは目を閉じていた。
彼の身体にはいくつもの痛々しい傷が走り、髪は血にもつれている。
クレイジーは目を閉じたまま、寒さに身震いした。
そのとたんに、激痛が身体を電流のように駆け抜ける。
「ぐ………っ!」
クレイジーは歯を食い縛った。
口内の傷から血が湧き出し、鉄の味を舌に感じる。
「ちく……しょ…………」
クレイジーは独房に横たわったまま、憎しみを込めてつぶやいた。
血が口端からタラリとたれる。
彼はフィアに残酷な扱いを受けていた。
食事は少なく、味も最高にひどかった。
腐りかかった生肉を、そのまま出されるのだ。
奴らは人間が何を食べるのか理解していないらしい。
おそらく、グール達が死体から貪っていた人肉を無理やり取りあげ、彼に与えているのだ。
「やってらんねえぜ……。トカゲ野郎……」
クレイジーは痛々しくつぶやくと、なんとか這いつくばった。
腹の傷から、血滴がポタポタと落ちる。
悲惨な食事に内臓が悲鳴をあげる。
クレイジーはもどした。
嘔吐物が床にぶちまけられ、グロテスクな物体が転がる。
「覚えてろ……。いつか八つ裂きに……」
クレイジーはそう言いながらふらふらと立ち上がった。
服はズタズタにされ、筋骨たくましかった肉体は血染めのクズ肉と化している。
「―――ガハッ!」
吐血した。
とっさに手皿を作り、血を受けとめる。
クレイジーは呆然と自らの手の椀になみなみとある血を見つめた。
鮮やかな血が、クレイジーの痩けてどす黒くなった顔をぼんやりと映す。
「…………」
クレイジーはその血を無言で飲んだ。
栄養を失うわけにはいかない。
拷問で受けた傷が痛む。
ここはどこだろう。
クレイジーはぼんやりと考えた。
答えが出るはずなど無かったが、つぶやかずにはいられなかった。
しかし、驚いた事に返事があった。
「わかんない」
クレイジーはゆっくりと振り向いた。
そこには、あどけない少年がいた。
まだ6、7歳だろうか。
豪奢な服を着て、髪はしっかりと整えられ、ひ弱そうで傷ひとつない白い肌の少年が、そこにいた。
妙に現実感がない。
少年がふわふわしてみえる。
「………お前、いつからそこにいた」
クレイジーは痛む頭を押さえながらつぶやいた。
こんな狭い独房で、気づかないわけが無い。
少年はひょこりと首をかしげた。
「そういえば、僕はどっから来たんだろうね?僕の名前はロランだよ。ロラン・ラシュフル」
クレイジーはしばらく呆然とした後、これまでに無い絶望の笑みを見せた。
「そうか。ロランか」
クレイジーはどっかりと座り込んだ。
「久しぶりに聞いた名だな」
「え?おじさん、僕の事知ってるの?」
少年が笑顔で側に寄ってきた。
「ああ、知ってるさ。ようく、な」
クレイジーはそう言った後、少年を睨んだ。
凄まじい睨みだった。
ヤクザですらチビるかもしれない。
「失せろ」
クレイジーの言葉を聞いても、少年は笑顔を崩さなかった。
ニコニコと笑みを湛えている。
だが、急遽としてその笑みが崩れ、一気にぐちゃぐちゃになったかと思うと、そこには汚れの付着したボサボサの髪に、擦りきれた服、ガリガリの不健康な肉体、異様にギラギラと光る目を持った15歳ほどの少年が仁王立ちしていた。
「俺の事、知ってんだろ?」
少年は彼の側であぐらをかいているクレイジーに言った。
「ああ」
クレイジーは答えた。
「俺はなんだ?」
クレイジーは少年を見上げた。
「聞きたいか?」
それを聞いた少年が笑った。
魔女のように笑った。
ガラスが割れるように。
この世の終わりかと思われるほどの笑い声。
突然、とまった。
少年が醜く歪み、一瞬後には筋骨たくましく、泥だらけで、銃を持った男がいた。
男の瞳からは涙が溢れ、土埃に染まった顔に線を作っている。
「俺は誰だ?」
男は泣きながらクレイジーに訊いた。
クレイジーはゆっくりと答えた。
「俺だ」



サイレンが響き渡った。
『た、隊長!』
監視カメラから送られる映像を見ていたフィアが叫んだ。
近くの計器が大きく跳ね、サイレンがさらに激しくなる。
『なんだ!?なにが起きた!?』
隊長が狼狽して叫ぶ。
『囚人の精神が異常に乱れています!危険です!』
隊長はディスプレイを見た。
独房に座り込んだ囚人の男、クレイジーが、しきりに何かをつぶやいている。
『何が起きているんだ!?』
『実験対象が発狂したようです!』
『くそっ!とりあえず気絶させろ!』
隊長は怒鳴った。
計器が異常な数値を記録していく。
しばらく後、独房に数匹のフィアが乱入し、手にしたブラスターで囚人を殴り倒すのがディスプレイに映った。
囚人がドサリと倒れる。
とたんに、サイレンがやんだ。
『ふぅ、災難だったな……』
隊長がそう言った時、彼の脳髄にある精神体がコンタクトしてきた。

―――我が子よ―――

『!』
隊長は慌て直立した。
『<マザー>、もうしわけありません。あの囚人は発狂しました。使い物には―――』

―――彼は使えます。すぐに私のもとに連れてきなさい―――

『なっ!<マザー>!?しかし、実験体の精神状態は非常に不安定で―――』

―――彼の精神は強靭です。それを感じます―――

『………わかりました』
隊長はそう訊いた。



「あーあ、暇だな」
松崎隼人は、<せつな>内の自分のベッドに横たわった。
彼は自衛隊員だ。
<せつな>の兵員である。
先日、<せつな>は生まれて初めて戦闘を経験した。
それも、アメリカ軍と協力してのフィアの撃退だ。
「…………なあ、長嶋」
隼人は上のベッドの長嶋博人に話しかけた。
「んあ?」
同じく自衛隊員の長嶋がベッドのへりから身を乗り出し、下の隼人を見る。
「あの戦艦、なんだと思う?」
隼人は戦闘の時に見た毒々しい戦艦を思い出していた。
「ああ、あの悪役丸出しのキモい戦艦?」
長嶋は興味無さげに答えた。
「テレビで言ってるじゃん。フィアって」
「いや、フィアってのはわかってる」
隼人は首を振った。
「その<フィア>がなにもんかってことさ」
「さあ、わかんね」
そう言うと長嶋は、眠りについてしまった。
いびきが聞こえてくる。
「………ったく」
隼人は無頓着な長嶋にあきれ、ベッドから這い出ると、兵員室を出た。
灰色で色気のない通路を歩き、甲板に出る。
夜の潮風が吹き抜けた。
アメリカ軍の戦艦が近くに静かに浮いている。
遠くには横浜のきらびやかな光が見えた。
「ふう………」
隼人はため息をつき、柵に寄りかかった。
夜風が心地いい。
「いい風だな」
突然、声をかけられた。
隼人が振り向くと、そこには<せつな>の艦長、川口がいた。
気難しい顔をゆるめ、夜風を感じている。
「か、艦長!」
隼人は慌てて直立し、ビシッと敬礼した。
「固くならなくていい」
川口はそう言うと、柵に手をついた。
「……海はいいな」
川口は目の前に広がる黒洞々たる海原を眺めた。
「その大きさに自分を包んでもらえる気がするんだ」
しばらくの沈黙。
川口はゆっくりと口を開いた。
「フィア」
「は?」
隼人は思わず気の抜けた返事をしてしまった。
「フィアだ。南アメリカから大挙して人類に戦争を挑んだ新生物。人類を凌駕する未知のテクノロジーと無数のゾンビを駆使してアメリカを敗北の一途に追いやった連中だ。君は連中をどう考える?」
「どうって………」
隼人は首をかしげた。
「さあ………わかりません」
「そうか………」
川口はそう言うと黙り込んだ。
波が船体をうつ音が聞こえた。



クレイジーはブラスターに殴られ、昏倒した。
豪華な服を着た少年、ぼろ布を纏ったガリガリの青年、泥と血にまみれ、銃を握った男が、クレイジーの視界からフッと消えた。

―――幻覚だったのだ。

クレイジーはぼんやりとした意識の中、誰かに持ち上げられ、ズルズルと引きずられていくのを感じていた。
フィアの言語が頭にこだまする。
フィア達に引きずられながら、クレイジーは必死に周りの状況を確認しようとしていた。
ここは灰色で統一された通路だ。
全く味気がない。
その時、クレイジーは近くに窓のような物があるのを見つけた。
丸い穴に透明な金属がはめこまれ、太陽の柔らかな光が一条、通路に射し込んでいる。

あれだ!

クレイジーはおもいっきり暴れだした。
彼の身体を掴んでいたフィア達が驚き、思わず手を放す。
クレイジーはその隙に飛び起きると、窓に駆け寄り、割ろうとした。
拳で何度も殴りつける。
しかし、透明な金属、トランス・パリスチールはびくともしなかった。
「ちぃ……」
クレイジーは唇を噛んだ。
やはり、この程度では破壊できないか。
その時、クレイジーは外の景色を見て息を呑んだ。
そこは見たこともないくらい巨大なフィアの基地だった。
何千万というフィアがずらりと整列し、すぐ近くの港に停泊している毒々しい戦艦に乗り込んでいく。
何機かのゴリアトも見えた。
数えきれない程のグールが、フィアに邪険に突き飛ばされながら檻に詰められ、たくさんの輸送艦に積み込まれていく。
沖にも大量の戦艦が浮かんでいた。
おびただしい対空砲が基地のあちこちにあり、ヴェノムが絶えず警戒している。
クレイジーがいるのは、とても巨大なタワーのようだった。
人工ではない。
明らかにフィアの物だ。
タワーは巨大で毒々しく、凄まじい威厳があった。
クレイジーは気づいた。
この基地のところどころに、半壊した人間の建物があった。
この基地は人間都市を破壊して、その上につくられたのだ。
クレイジーは遠くに看板を見つけた。
「…………?」
クレイジーはなんとか看板の文字を読み取ろうと目を細めた。
次の瞬間、クレイジーの頭にブラスターが振りおろされた。
視界に火花が散る。
クレイジーは床にくずおれた。
フィアが怒っているような声をあげ、クレイジーの襟首を掴み、再び歩き出す。
しかし、クレイジーは看板に書かれていた字を読み取っていた。
血と泥に汚れた看板には、どこまでも陽気な文字でこう書かれていた。

ようこそ!サンフランシスコへ―――




「あ、秋葉原へ行けない!?」
ネイオが叫び、固まった。
「当たり前だろ」
リッドがため息をつく。
「旅行じゃないんだ」
「で、でも、だったらなんで日本に!」
「副大統領を避難させるためだ。バカか」
クロウはつぶやき、眉間を押さえた。
ヲタクがアメリカにもいたとは…………。
それも特殊部隊員。
リアナやローラナがあきれたようにネイオを見ている。
「ま、ネイオは重度のネトゲ中毒だから………」
スコットが部屋の隅でヤンキー座りをしながらケラケラと笑った。
「ネトゲをしないと壊れるんだ」
「え?でも、南アメリカでは一度もネトゲなんてしなかったでしょ?」
ローグが首をかしげた。
「ああ。数年間もできなかった」
スコットは頷いた。
「だから、あいつ壊れてただろ?」
「…………いえ、けっこーまともでしたけど」
「いーや。壊れてた」
スコットはローグの解答を否定した。
「まず、寝言で『〇〇た~ん』という言葉が多くなった。次に、夢遊病になった。最後に、よく鬱になってた」
「………………」
「ま、壊れてるのは確かだな」
ドミニクが隅っこでうずくまっているネイオをちらりと見て言った。
「鬱病はマット1人で十分だってのに………」
「ひどいや!」
マットが涙目になって叫ぶ。
スコットがやれやれと言うように頭をかいた。
「で、なんにしてもネイオにはパソコンが必要なわけで。あと美少女。誰か持ってる?」
持ってるはずがない。
特に後者。
「あら、美少女ならここにいるじゃない」
ローラナが急に色っぽく言った。
「ねぇん、ドミニク♪」
「は、はい!」
ローラナに片思いのドミニクが、顔を真っ赤にして頷く。
「どーこが美少女だよ。少女かどうかも怪しいぜ。まさに微少女だな」
リッドが憎まれ口を言った瞬間、彼の腹部にはローラナの飛び蹴りがクリティカルヒットしていた。
「ザコは黙ってなさい♪」
ローラナは床で苦しみもがくリッドに言うと、ネイオにしなだれかかった。
「ね・い・お☆元気だして?」
ネイオはローラナをジッと見て、口を開いた。
「あ、俺、2次元オンリーなんで」

ピシッ

空気が凍った。
「リアルは汚い。キモい。信用できない。クソゲーみたいなもんだ」
ネイオの言葉に、彼の周りにいた者達が、ズザザザザッと引いていく。
「あっちゃー。ネイオのキャラ、崩壊したね」
スコットがつぶやいた。



―――2018年、10月27日、午後2時、東京

「お集まりの皆さん。本日はご多忙の中をご参集いただき、感謝の言葉もありません」
日本国首相、森内は、居並ぶ各国の首脳に言った。
この会議室には、西太平洋に面する東アジアやオセアニアのトップがいた。
「今日こうして会議の場を持てる事を―――」
「グダグダした前口上はいい!さっさと本題に入ってくれ!」
中国首相、王 陳民がいらだたしげに怒鳴った。
中国は今、日照りによる飢餓問題の真っ最中なのだ。
できれば国務を手放したくなかったに違いない。
森内は平静を保つと、指を組んだ。
「さて、今日の議題はフィアに関してです」
森内が言うと、隣に座っていたアローが口を開いた。
「私はアメリカ副大統領、アロー・スクリブナーです。皆さん、ご存知とは思いますが、我が母国アメリカの国土の大半はフィアに制圧されました。アメリカ軍は反撃作戦のためにデトロイトとシカゴに兵力を集中させています。しかし、フィアはさらなる北進の構えを見せ、太平洋にも進出してきています。ハワイは既に陥落しました。我々はアジア方面の戦力を沖縄に結集させ、フィアに対する反撃準備を進めています。しかし、我らだけでは微力。それでぜひ貴君らと連合を結成したいしだいです」
会議室は沈黙に包まれた。
「………フィアはアメリカ戦線だけでなく、ヨーロッパ戦線や南アフリカ戦線も抱えているのだろう?いかに優れたテクノロジーを有していようと………」
陳民が疑わしげに言った。
「奴らを甘く見てはいけません」
アローはかぶりを振って言った。
「アメリカは奴らと戦って大敗北を喫しました」
世界一の大国が、無惨に負けた。
その意味を汲み取った陳民は、口をつぐんだ。
「………連合、いい考えでしょうな」
オーストラリアのジェイド・アーシタが口を開いた。
「反フィア連合ですな。組んでも損ということはない………」
インドネシアの代表も賛成する。
「ならば、しっかりとした条約をつくりましょう」
韓国大統領、パク・ヨンハの言葉に、ジェイド・アーシタはすぐに頷いた。
「では、このような物は。対フィア西太平洋連合防衛線の参加国は、『フィアに対する救援要請を受けた場合、速やかに援軍を派遣する事』、『共同司令本部を設置し、合力しての対フィア作戦を行う事』、といったところですかね」
「そうですな。細かい事は後で決めるとして、盟主は?」
ベトナムの代表が言う。
「私はジェイド・アーシタ殿か王 陳民殿に任せるべきだと思うが……」
ニュージーランドの代表が発言する。
「私は辞退する」
ジェイド・アーシタが返した。
「では、陳民殿……」
王 陳民は頷いた。
「その大任、受けよう」
「では、この条約の参加国は……」
「オーストラリアは参加しよう」
と、ジェイド・アーシタ。
「もちろん、大韓民国もだ」
パク・ヨンハが名乗りをあげた。
各国やアメリカが続く。
「では、日本も……」
森内がそう言った時、陳民は手の平を突きだし、言葉を制止した。
「申し訳ないが、日本の参加は控えていただきたい」
「なっ……!?」
森内は驚き、目を白黒させた。
「昨年の『イージス艦中国領不法侵入』事件等、日本を信用する要素が欠落していると思われますので」
「あの事件については説明したではないか!あれは覚醒剤を使用した艦長が、錯乱して勝手にやった事であって、政府は全く―――」
会議は紛糾し始めた。



クレイジーの意識は、ようやく覚醒した。
頭がガンガンする。
「う………」
「気がついたか?」
突然、声が降ってわいた。
クレイジーはようやく、近くで青年があぐらをかいているのに気づいた。
「ずーっと昏睡してたぜ?あんた」
青年がボサボサの髪をかきむしりながら言う。
「こ…ここは?」
クレイジーは身体を起こすと、辺りを見回した。
そこは円形の広いホールだった。
円形ホールの中心を、とても太い柱が貫いている。
「神の間さ」
青年はなんでもなさそうに言うと立ち上がり、クレイジーを助け起こした。
「俺はレイ・ジェーバック。あんたは?」
「………クレイジーだ」
「クレイジー<イカれた野郎>?ちゃんとした名前があるだろ?」
「名前は捨てた」
クレイジーはそう言うと、床に触れてみた。
フィアの金属、フィア・メタルだ。
凄まじく頑丈な金属。
その金属製の床に、赤いものがこびりついていた。
「血痕………」
クレイジーはつぶやいた。
「神の間、とか言ったな」
クレイジーの言葉に、レイが頷く。
「どういう意味だ?」
「知らねえのか?」
レイは驚いたように言った。
「ああ」
クレイジーはそっけなく返事をした。
「…………正直、言いたかないけど―――」
レイはため息をついた。
「神が地を這う愚かな虫けらに天罰をくだす場所さ」
次の瞬間、ホールの中心を縦に貫いていた棒状の柱が、上下に開き始めた。
開いた場所から、まばゆい光が洪水のごとく溢れ出してくる。
「神が降臨したよ………」
レイがあきらめたように言った。



2018年、11月1日―――

「敵の針路がわかりました!」
オペレーターが叫んだ。
「九十九里浜です!」
「やはり、来たか」
川口はつぶやくと、手を振りかざした。
「防衛省に連絡!敵の上陸地点は九十九里浜と断定!敵艦隊が接近中だ!」
<せつな>は九十九里浜の沖で待機していた。
アメリカ軍の太平洋艦隊分遣隊や<サラマンダー>の姿もある。
対フィア西太平洋連合防衛線を旨とした東京条約は、韓国が弁明したものの、日本を除く形で締結されていた。
つまり、中国やオーストラリアの援軍は望めないだろう。
フィアはハワイを占領し、千葉の九十九里浜に向けて進撃していた。
「日本の地は、わずかとて踏ません!」
騒がしいブリッジで、川口は1人つぶやいた。



巨大な柱が完全に床と天井に引っ込んだ。
柱の中は空洞だったらしく、柱があった場所には巨大な発光体が浮かんでいた。
白光を脈打つように激しく放っている。
「なんだ?こりゃ……」
クレイジーは呆けたようにつぶやいた。

―――ようこそ、神聖なるこの場所へ―――

突然、クレイジーの頭に声が響いた。
思念体が彼の精神に侵入してくるのを感じる。
レイも同様のようだ。
「お、お前はいったいなんなんだ!?」
クレイジーの声に、発光体がさざめくように光の波を放った。

―――私は<マザー>。あなたがたがUウイルス・クリーチャーと呼ぶ存在の祖であり主たる存在―――

「祖であり主!?」

―――あなたがたの地、我が子らの繁栄のため、もらいうけます―――

「なっ!?」
クレイジーは雑音が混ざり始めた頭を押さえた。
「地球を……奪う気なのか!?」

―――人類は滅亡の時を迎えました。抗う事は……不可です―――

次の瞬間、<マザー>から光の触手が一気に伸び、クレイジーとレイの頭脳に突き刺さった。
痛みは無かった。
だが、圧倒的な思念体が彼らの脳に侵入してきた。



11月5日―――

九十九里浜沖には、15隻ものイージス艦が展開していた。
他にも小型のフリゲート艦などがある。
浜には多数のトーチカが設置され、迫撃砲が塹壕に身を潜めている。
しかし、九十九里浜は日本一長い浜なのだ。
この程度で防ぎきれるわけがない。
「な?そう思うだろ?」
ビッドは隣に座っているドミニクに言った。
<サラマンダー>や太平洋艦隊分遣隊も、九十九里で防衛任務についていた。
先ほどからひっきりなしにヘリが空を飛び、F12型戦闘機の編隊が轟音をあげて飛んでいる。
「まったく、世界はどうなっちまうのかねぇ………」
ビッドがつぶやくのと同時に、シュナイダーがおもむろに立ち上がった。
「どした?」
リッドの問いに、シュナイダーは静かに水平線を静かに指し示した。
「見えるか?」
「なにが?」
「………フィアだ」
リッドの問いに、ローグが驚愕したかのようにつぶやいた。
リッドもようやく気がつき、息をのんだ。
水平線に黒い物体が何百もあった。
それは、毒々しく、トゲの突き出たフィアの戦艦、通称<デストロイヤー>達だった。



圧倒的な思念体は、クレイジーの脳内を蹂躙し始めた。
頭が割れそうになる。
クレイジーは頭を押さえ、床で悶えた。
<マザー>が彼の脳で暴れ回る。
レイも同様に苦悶していた。
「や……め………ろ……」
クレイジーは必死に言葉を絞り出した。
「俺の記憶に……入るな……」
しかし、<マザー>はクレイジーの額に突き刺さった光の触手を通じて、クレイジーの脳内を残酷に侵食した。
「やめろぉぉぉ!」
次の瞬間、クレイジーはどこかの豪奢な屋敷の中にいた。
「見させるな……」
クレイジーは力無くつぶやいた。
暖炉では火が赤々と燃え、壁の鹿の剥製の毛が赤くなっている。
豪華なソファーの上に、小さな男の子がちょこんと座っていた。
髪はきちんととかれ、白い肌は傷痕1つとしてない。
この屋敷の子息という事は容易に予測できた。
クレイジーは部屋の隅にいた。
少年は大きく、分厚い本を読んでいる。
全くクレイジーには気づいていない。
だが、それは当然だった。
ここは、クレイジーの記憶の中だった。
クレイジーの身体は半分透けている。
―――幽霊のように。
突然、部屋の扉が開いた。
入ってきたのはメイドだった。
「ロラン様」
メイドは本を読みふける少年に話しかけた。
少年が驚いたように振り返る。
「ああ、マリーか。なに?」
「もう寝るお時間ですよ」
マリーは優しくロランと呼ばれた少年に微笑みかけた。
「えー、まだ本読みたいよ~」
「いけません。はい、寝ますよ」
マリーがそう言った瞬間だった。
爆発音が起き、怒号と悲鳴、さらには銃声まで聞こえてきた。
「な、なに!?」
マリーが困惑したように叫ぶ。
争いの音はますます激しくなる。
銃声。
つんざくような悲鳴。
誰かが倒れる音。
「ラシュフル!出てこい!」
誰かのダミ声が聞こえた。
マシンガンの銃声が響き、メイドの悲鳴が聞こえてくる。
突然、バタンと音をたてて扉が開いた。
入ってきたのは中年の男だった。
服装からして執事だろう。
痛そうに肩を押さえている。
黒い服を血が染めていた。
マリーが悲鳴をあげた。
「ロラン様………」
執事はそう言うとその場にくずおれた。
「旦那様に恨みのある、なんらかの武装集団が……。早くお逃げを……」
執事はそう言うと、部屋の隅のクレイジーを指さした。
クレイジーは一瞬ドキッとしたが、すぐに執事が指したのが、部屋の隅にある壁に擬装された隠し扉であることに気がついた。
「父さんが命を狙われて!?」
ロランは混乱したように叫んだが、すぐ近くで聞こえた銃声に身をすくめた。
「旦那様はとても有力な資産家なため、恨みを買う事も多かったのでしょう………」
執事が力無くつぶやく。
「さ、ロラン様、早く!」
マリーが執事の様子を看ながら言った。
ロランは呆然と頷くと、身を翻らせ、部屋の隅のクレイジーの身体をすり抜けると、小さな脱出口に滑り込んだ。
次の瞬間、クレイジーの目の前でマリーと執事が射殺された。

―――権力争い、怨恨、八つ当たり……。人とはこのような汚い物を生み出す生物―――

<マザー>の声が響いた。
クレイジーは歯を食い縛った。
封印した辛き過去。
それが、目の前に突きつけられている。
一瞬後、クレイジーはスラムにいた。
瓦礫や汚物が辺り一面に広がり、血色もガラも悪い連中が疲れきった様子で座り込んでいる。
クレイジーはため息をつくと、その中を歩き始めた。
誰も彼に気づかない。
クレイジーの身体を人がすり抜けていく。
ここは、まだクレイジーの記憶の中だった。
あてもなくよろよろと歩いていたクレイジーの目に、小さな焚き火と、その側に座る青年が映った。
青年はボサボサの髪にぼろぼろの服、そして血色の悪い肌と刺すような視線を有していた。
彼は火であぶったカエルを串刺しにすると、ガツガツと食し始めた。
青年の顔には、武装集団に繁栄した生活や家族を奪われた少年、ロランの面影があった。
「おーい、ロラン!」
突然、青年に声がかけられた。
声の主は、悪どそうな少年だった。
「ドレイトン川でライブだ。観光客で賑わってやがる」
ロランは目を嬉しそうにギラつかせた。
「そりゃあいい!カモどもから財布をスリまくりだ!」
クレイジーは顔をそむけた。
この時代は、自分は腐っていた。

―――盗まなければ餓うる世………。お前はこの世界を守りたいのか?―――

<マザー>だ。
クレイジーは勘づいた。
なぜか知らないが、<マザー>は彼の辛い過去を直面させ、彼を屈伏させようとしている。
負けるか。
クレイジーは気丈に返した。
「人間としてのプライドが、あんたらに地球を渡すなと叫んでいてね」

―――………………。―――

<マザー>は黙り込んだ。
再び、場面が変わった。
砂漠の街。
中東だろうか。
美しい中東の女性が、複数の男に壁ぎわに追いつめられ、震えていた。
男達は崩れた軍服もどきを着て、口元に下卑た笑みを浮かべている。
「傭兵ってもんは大変でねぇ」
リーダーらしい男がニヤニヤしながら言った。
「金を得るため、常に戦いっぱなしだ。だけど、たまにゃあいい事もある。こーんな可愛い嬢ちゃんに出会うとはよ」
仲間達が爆笑した。
女性は壁に背中を押しつけ震えている。
「なあ、嬢ちゃん、ちょっと遊ぼうぜ?」
リーダーがゴツい手をのばした。
とたんに響く鋭い音。
女性がリーダーの頬を平手で打っていた。
「……………こんのやろ!」
リーダーは怒りに目を閃かせると、女性の服を掴み、か細い体を地面に叩きつけた。
「やっちまえ!」
男達がそれっとばかりに群がる。
女性の悲鳴が響いた。
「やめろ!」
突然、声が響いた。
そこには、傭兵の格好をした若い男がいた。
「なんだ?ロラン、お前もやるか?」
「こんな事間違ってる!」
ロランはずかずかと彼らに歩み寄ると、仲間を押しのけ、服の崩れた女性を無理やり引っ張り出した。
「罪も無い人にこんな―――」
次の瞬間、ロランは顔面を思い切りリーダーに殴られ、吹っ飛ばされていた。
女性が悲鳴をあげる。
「偽善者ぶるんじゃねえ、ロラン」
リーダーはほこりだらけの地面に倒れたロランに冷たく言い放った。
「強者に従え。それがここの掟だ」
そして、リーダーはロランに唾を吐いた。
「掟に従えないようじゃ、お前はもう仲間じゃねえ。土下座して詫びるなら許してやってもいいが、そうじゃない限り、薄汚れた虫ケラみたいに下層を這いずり回ってろ」
ロランは、キレた。
「掟は、強者に従え、だな?」
彼は拳銃を抜いた。
次の瞬間、クレイジーの視界は暗転した。

―――他人を理解しない、大事にしない世―――

<マザー>だ。

―――お前は、そんな世界にうんざりしていたのではないか?―――

クレイジーは笑った。
「腐った人間は、腐った世に生きるのが一番なんだよ。それに―――」
クレイジーはうっすらと皮肉な笑みを浮かべ、続けた。
「腐ってない人間は、腐った人間を救う救世主になる。人間もまだ捨てたもんじゃないさ」


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