JEWEL

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桜、舞う 1



RSA音楽学校の正門前で行われた入学試験の合格発表では、家族や友人と抱き合いながら喜ぶ者、肩を落として落胆する者が居た。
シエル=ファントムハイヴは後者だった。
双子の兄・ジェイドと共に受験したRSA音楽学校入学への切符を手渡されたのは、一人だけだった。
「シエル、ごめんね。」
「謝らないで。お互いにベストを尽くしたんだ、悔いはないよ。」
「うん・・」
帰宅するまで、シエルは兄を気遣ってそう言ったが、自室に入り、寝台の天蓋を閉めて枕に顔を埋めた後、堪えていた涙を一気に流した。
「坊ちゃん、ガトーショコラをお持ち致しました。」
 コンコン、と少し遠慮がちなノックの音が廊下から聞こえて来た。
「要らない。」
「失礼致します。」
そう言いながらシエルの部屋に入って来たのは、シエルの家庭教師・セバスチャン=ミカエリスだった。
彼はガトーショコラと紅茶が載ったワゴンを運び、部屋の中に入ると、その主は寝台の中に居た。
「要らないって言っているだろう?」
「“こんな時”こそ、甘い物は必要でしょう?」
「・・わかった。」
少し不貞腐れた顔をしたシエルは、セバスチャンからガトーショコラが載った皿を受け取ると、それを一口食べた。
「悪くない。」
「そうですか。」
セバスチャンは、シエルがRSAに落ちた事を知っていたが、彼を慰める事はしなかった。
「食べ終わりましたら、ベルを鳴らして下さい。」
セバスチャンはそう言うと、シエルの部屋から出て行った。
「セバスチャン、シエルはどうだった?」
「ガトーショコラを、美味しく召し上がられていましたよ。」
「そう。」
ジェイドはセバスチャンを見た。
「何か?」
「今日があの子にとってどんな日だったか、知っているんでしょう?」
「さぁ、何の事やら・・」
「お前、弟が“あそこ”へ行く事を知っているんだろう?」
ジェイドの碧い眼光が、射るようにセバスチャンを見た。
「心配しないで下さい、坊っちゃんは、このわたしがお守り致します。」
「フン、どうだか・・」
ジェイドはボソリと呟くと、セバスチャンに背を向けてパーティーが行われている階下の大広間へと戻った。
「ジェイド、シエルはどうしたの?」
「部屋で休んでいたよ。」
「そう・・」
シエルとジェイドの母・レイチェルは、そう言うと顔を曇らせた。
「パーティーなんて、開かなければ良かったのかしら・・」
「レイチェル、そんな顔をするな。」
「でも・・」
レイチェルと父・ヴィンセントがそんな話をしていると、ジェイドは笑顔を浮かべて二人にこう言った。
「ちょっと、シエルの様子を見て来るよ。」
ジェイドは大広間から再び二階のシエルの部屋へと向かった。
「シエル、入っても良い?」
「うん・・」
シエルは泣いていたのか、碧と紫の瞳が少し赤くなっていた。
「シエル、大丈夫?」
「うん・・」
「RSAに落ちたのは残念だったけれど、シエルはNRCで頑張って、一緒の舞台に立とう。」
「兄さま・・僕、出来るかなぁ・・」
「大丈夫、お前なら出来るよ。」
ジェイドはそう言って、シエルを抱き締めた。
「約束だよ。」
「うん・・」
ジェイドとシエルは、互いの小指を絡めて、約束を交わした。
『いつか、同じ舞台に立とうね。』
その約束を果たす為、シエルはNRC音楽学校の入学式に臨んだ。
「皆さん、この度はご入学おめでとうございます。有意義な4年間を過ごして下さいね。」
入学式を終えたシエルが教室に入ろうとした時、彼は誰かに背後から抱き締められた。
「あ~、駒鳥ちゃんだぁ!」
浅葱色の髪を揺らしながらそう言って笑った少年は、金とオリーブ色の瞳でシエルを見た。
「ね~ジェイド、こいつがアンコウ先生の恋人なの?」
「いけませんよ、フロイド、新入生を怖がらせてしまっては。」
(同じ顔が、二人・・)
同じ顔をした二人の少年に絡まれ、シエルがパニックになっていると、そこへセバスチャンがやって来た。
「ファントムハイヴ君、ここに居たのですね、捜しましたよ。」
「セバ・・」
シエルは叫ぼうとしたが、その前にセバスチャンに口を塞がれてしまった。
(お前、何でここに居るんだ!?)
「さぁ、HRが始まりますよ、行きましょうか?」
セバスチャンはそう言うと、有無を言わさずシエルを教室へと連れて行った。
「ジェイド、何だか面白い事になりそうだね。」
「ええ、そうですね、フロイド。」
「ステイ、ステイ、もっと軽やかに跳べ、駄犬共!」
シエルがNRCに入学して、一ヶ月が過ぎた。
バレエのクルーウェル教授は常に完璧を求め、些細なミスがあると生徒に向かって鞭を振るう、今の時代にはスパルタ指導をする男だった。
「そこ、身体をもっと伸ばせ!」
シエルは地獄のバレエレッスンを終え、苦しそうに喘ぎながらタオルで額の汗を拭っていた。
「駒鳥ちゃぁん、イシダイ先生のレッスンでもうバテちゃった?」
急に視界が暗くなったかと思うと、シエルは金とオリーヴのオッドアイの持ち主―フロイドと目が合ってしまった。
「こんなんでバテるとかマジウケる~!」
フロイドは何故か、シエルと自分と同学年のリドル=ローズハートに良く絡んで来る。
「ロブスター先生の授業受けたらぁ、駒鳥ちゃん死ぬんじゃね?」
「ロブスター先生?」
「体育のバルガス先生。いつも赤いジャージ着てるからぁ、ロブスター先生。」
「フロイド、一体新入生と何を話しているんですか?」
シエルとフロイドの前に現れたのは、銀髪で眼鏡をかけた生徒だった。
「アズール、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもありませんよ。もう休憩時間は終わっていますよ!」
「じゃぁねぇ~、駒鳥ちゃぁん。」
フロイドはそう言ってシエルに手を振り、レッスン室から出て行った。
「新入生の皆、入学おめでとう!」
フロイドが言っていた“ロブスター先生”こと、バルガス教授は、やたらテンションが高くて筋肉が赤いジャージの上からでもわかる男だった。
「皆、揃ったな!まずは、体幹トレーニングから始めよう!」
体育の授業は、筋肉トレーニングだけだった。
(本当に僕は、こんな所でやっていけるのか?)
昼休み、食堂に入ったシエルは、そう思いながら虚ろな目をして紅茶を飲んでいた。
「いけませんよ坊ちゃん、食事はちゃんと摂らないと。」
そう言って滑り込むようにシエルの隣に座ったセバスチャンは、徐に籘製のバスケットの中からローストビーフのサンドイッチを取り出した。
「お前、どうして・・」
「奥様から、坊っちゃんを支えてやってくれと頼まれまして・・」
「嘘吐け、バレエレッスンの時、お前笑いを堪えながらピアノの伴奏をしていただろう?」
「おや、気づいてしまいましたか。坊ちゃんが余りにも必死過ぎて、つい・・」
「ふざけるな・・」
シエルはデザートのガトーショコラを一口頬張った後、そう言って溜息を吐いた。
「随分とお疲れのようですね?」
「朝から地獄のバレエレッスンに筋トレ・・もう疲れて死にそうだ。それに、二年のリーチ兄弟には何かと絡まれるし・・」
「あぁ、あの有名俳優をご両親に持つ、双子のご兄弟ですか。きっと、お二人共坊ちゃんと仲良くなりたいのでしょう。」
「それは違うと思うぞ・・」
セバスチャンとシエルがそんな話をしていると、一人の青年が二人の前に現れた。
「美しい、ムッシュー・愉快犯が言っていた通りの可憐さだね、まさにボーテ!」
「あの、失礼ですがあなたは・・」
「自己紹介が遅れたね、わたしはルーク=ハント、美を愛する狩人さ!」
(何だろう、この感じ・・)
青年が去った後、シエルは彼に対して妙な既視感を抱いた。
午後の授業は、日舞だった。
「さぁ、皆さん始めますよ。」
「アンコウ先生、何で三味線弾いているの?面白ぇじゃん!」
「私語は慎みなさい。」
「何だ、つまんねぇの。」
「すいません、遅れました!」
シエルがそう言って息を切らしながら練習場に入ると、セバスチャンが無言で彼の前に立った。
「な、なんだ?」
「浴衣、左前になっていますよ。さ、あちらで着替えましょう。」
セバスチャンはそう言うと、衝立の中へシエルを連れて行った。
「やはり、わたしが居ないと坊ちゃんは何も出来ないのですね。」
「うるさい・・」
数分後、セバスチャンの三味線の伴奏に合わせて、シエル達は『祇園小唄』を舞っていた。
「あの子、筋が良いわね。今年の新入生?」
「ベタチャン先輩、こんにちはぁ~」
「ヴィル先輩、こんにちは。」
ジェイドとフロイドの前に現れたのは、トップモデル兼俳優の、ヴィル=シェーンハイトだった。
「ルークから話は聞いていたけれど、あの子の美しさは並大抵のものじゃないわ。」
ヴィルはそう言うと、シエルの右目につけられた眼帯の存在に気づいた。
「はい、皆さんお疲れ様でした。」
「お疲れ様でした!」
日舞の授業が終わった後、シエルが練習場を後にしようとした時、彼は一人の青年から声を掛けられた。
「あなた、その右目はどうしたの?」
「あの・・」
「俺も気になっていたんだよねぇ、それ。」
いつの間にかシエルの背後に回り込んでいたフロイドは、そう言うとシエルの右目の眼帯を外した。
するとその下には、美しい朝焼けを思わせるかのような紫の瞳が現れた。
「ふ~ん、駒鳥ちゃん、俺達と一緒じゃん。」
「気持ち悪くないのか?」
「何で?綺麗なものは気持ち悪くないよ。」
フロイドの反応に、シエルは驚愕の表情を浮かべた。
何故なら、今までシエルにそんな事を言う人間は一人も居なかったからだ―両親と双子の兄を除いては。
「自分と違うものを忌み嫌う人間は愚かよ。そんな人間が発する雑音なんて、無視すればいいのよ。」
「そうそう。」
「先輩方・・」
「自己紹介が遅れたわね、あたしはヴィル=シェーンハイト。何か困った事があれば、この番号にいつでも連絡して来て。」
「はい・・」
「あんたには才能があるわ。自分を信じなさい。」
その日の夜、シエルは寮の部屋にある寝室で眠ろうとしたが、目が冴えて中々眠れなかった。
(散歩でもするか・・)
シエルは夜着の上からコートを羽織ると、寮から外へと出た。
近くのコンビニエンスストアで何か買おうと思ったシエルが店に入ろうとした時、彼は一人の青年とぶつかった。
「ハァ~、この時間帯は陽キャラに絡まれずに気軽に買い物出来て楽っすわぁ・・」
ぶつぶつと早口で独り言を呟いていたその青年は、シエルの存在に気づき、慌てて彼を助け起こした。
「ご、ごめんね、大丈夫!?」
「いえ、こちらこそ見ていませんでした。」
「そう、ならいいけど・・」
「イデアさん、やっと見つけましたよ!」
「ひぃぃ!」
イデアの元へ息を切らしながらやって来たのは、リーチ兄弟と一緒に居た銀髪の少年・アズール=アーシェングロットだった。
「さぁ、僕のバレエの練習に付き合って貰いますよ!」
「ひぇっ、もしかして拙者にあの陽キャラの群れに入れと!?無理無理、無理でござる!あっ、拙者これからイベントの準備が・・」
「この期に及んで僕から逃げるおつもりですか?逃がしませんよっ!」
アズールはそう言うと、自分から逃げようとするイデアの腕を掴んだ。
「アズール氏、痛いから離して・・ねぇ離して・・凄い力だ!」
 なす術なくアズールに引き摺られてゆくイデアの姿をシエルは呆然と見つめていた。
「おや、あなたも居たんですか。」
「え、あの・・」
「どうぞ、お気になさらず。」
アズールはそう言ってシエルに背を向けると、イデアを引き摺ってコンビニから去っていった。
(何だったんだ、あれは・・)
シエルがそう思いながらコンビニに入ると、レジには銀髪の店員の姿があった。
彼はシエルと目が合うと、シエルに抱きついた。
「ひっ、ひっ、久し振りだねぇ~、伯爵。」
「な、何ですかあなた!?」
「おやおや、小生の事を忘れてしまったのかい?悲しいねぇ~」
突然見知らぬ男に抱きつかれ、シエルは身を捩って暴れた。
「坊ちゃんから離れなさい!」
「おやおや、とんだ邪魔が入ったね。」
男はそう言って笑うと、店の奥へと消えていった。
「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
「あぁ。セバスチャン、お前どうしてここへ?」
「今日発売の新商品のアイスを買いに来たのですよ。」
セバスチャンはそう言うと、店内に貼られてあるポスターを指した。
そこには、『新商品!はちわれアイス』という、可愛らしい猫のイラストが描かれていた。
「そ、そうか・・」
セバスチャンは、上機嫌な様子で『はちわれアイス』が入ったビニール袋を上下に振りながら歩いていた。
「そんなに喜ぶことはないだろう?」
「実は、この近くのコンビニを何軒かハシゴしていましたが、何処も売り切れでして・・漸く見つけたので、つい・・」
そう言ったセバスチャンの顔は、少しだらしなかった。
「では坊っちゃん、お休みなさい。」
「あぁ、お休み。」
シエルが寮内にある自室へと戻ると、机の上には一枚のメッセージカードが置かれていた。
そこには、“いつも見ています、あなたのファンより”と書かれていた。
気味が悪いので、そのメッセージカードはゴミ袋に捨てた。
早くコンビニでの不快な出来事を忘れたくて、シエルはベッドに横になりたくて寝た。
翌朝、シエルが朝食を取りに食堂へと向かうと、リーチ兄弟が彼の元にやって来た。
「おはよ~、駒鳥ちゃん。」
「お、おはようございます・・」
「ねぇ、知ってる?来週の公演に、1年も出られる事になったんだって。」
「え?」
NRCは4年制だが、週末に大講堂で行われる“お披露目公演”には、3・4年生、所謂“本科生”が出演でき、1・2年生の“専科生”は主に“本科生”のサポートに回るのが、この学校の“伝統”だった。
しかし、学園長が、“全ての生徒は平等であるべきだ”という言葉により、今年から1・2年も公演に出演できる機会が与えられた。
「そうなんですか・・」
「だからさぁ~、駒鳥ちゃんも受けて見たら、オーディション。」
「考えてみます。」
シエルはそう言って朝食を取った後、食堂から出て教室へと向かった。
すると、教室の中にある掲示板に、来月の公演ポスターが貼られていた。
そのポスターには、『主人公役、オーディション中!』と書かれてあった。
(“チャンスは逃がしてはいけない”か・・お父様が良く言っていたな。)
「おや坊ちゃん、そんな所で何をしているのです?」
「オーディションを受けるから、その練習だ。」
「あぁ、来月の公演は、確か『恋しぶき 花しぐれ』ですね。主人公は華族の令嬢で、自分よりも12も年上の男と駆け落ちするお話ですね。坊ちゃんに、人の色恋がわかるのでしょうか?」
「セバスチャン、何だその顔は?」
「いいえ・・」
「お前、何かを企んでいるのか?」
「坊ちゃんには、嘘を吐けませんね。あなたは、人生経験が足りないので、この役を演じるのは・・」
「馬、馬鹿にするな!」
シエルは顔を怒りで赤く染めると、レッスン室から出て行った。
(さてと、これからどうしましょう・・)
オーディションに応募したシエルが自分の順番を控室で待っていると、そこへ一人の少年がやって来た。
鮮やかな真紅の髪に薄いスレートグレーの瞳をした彼は、キッとシエルを睨むと、オーディション用の台本に目を通した。
(感じが悪いな・・)
シエルがそんな事を思っていると、漸く自分の順番が来たので、大講堂へと入った。
日々の練習の成果を出し切り、シエルは満足した気分で大講堂から出て行った。
「あ~、駒鳥ちゃん!オーディション、どうだったの?」
「自分でベストを尽くせたかな・・と思っています。」
「そう。」
「結果、楽しみだね~」
オーディションから一週間後、シエルは見事主役を勝ち取った。
「おめでとうございます、坊っちゃん。これから忙しくなるので、今夜は坊ちゃんの為にご馳走を作りますね。」
「そうか、楽しみにしている。」
セバスチャンは寮の食堂に入ると、スーツのジャケットを脱いでエプロンをつけると、夕食の支度に取り掛かった。
(あ~、今日も疲れた・・)
バレエレッスンでクルーウェルから徹底的にしごかれたシエルは、そう思いながら食堂に入ると、オーディションの時に会った少年が何やらリーチ兄弟と揉めていた。
「どうして、僕が主役じゃないんだ!」
「え~、だって金魚ちゃんは・・」
「ウギィ~!」
(今夜は騒がしいな。)
シエルがそう思いながらトレイを持って注文した料理が来るのを待っていると、何故か笑顔を浮かべたセバスチャンに迎えられた。
「お前、ここで何してる?」
「何って、仕事ですよ。はい、どうぞ。坊ちゃんが注文した、チーズインハンバーグと海老フライです。」
「そ、そうか・・」
(少し調子が狂うな・・)
シエルがそんな事を思いながらチーズインハンバーグを一口食べていると、そこへリーチ兄弟と揉めていた少年がやって来た。
「君が、シエル=ファントムハイヴ君かい?」
何故か、嫌な予感がした。


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