JEWEL

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暁の皇女 第1話

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

「カイト様、どちらにいらっしゃいますか~!」
「カイト様~!」
その日、海斗は遠乗りをしていた。
「カイト、こんな所に居たのか。」
「ジェフリー・・」
海斗が王宮へと戻ろうとした時、森の脇道から白馬に跨った彼女の恋人・ジェフリーがやって来た。
「結婚式を放り出した花嫁なんて、聞いた事なんてないぞ。」
「俺は、あなた以外の人と結婚したくないの。」
「そうか。」
この日、海斗は親が決めた男と結婚する事になっていたが、海斗はそれを拒否した。
ジェフリーとは、海斗が幼少の頃に知り合い、結婚の約束をした仲だった。
しかし、二人の結婚を海斗の両親は許さなかった。
何故なら、ジェフリーの母親が魔女だからだ。
「もう、王宮に戻った方が良い。」
「ねぇ、今度はいつ会える?」
「それはわからないな。最近、仕事が忙しいから。」
「そう・・」
ジェフリーは、私掠船乗り―所謂海賊をしていた。
「そんなに悲しそうな顔をするな。すぐに帰って来るから。」
「うん・・」
ジェフリーと王宮の近くで別れると、海斗は王宮の隠し通路から自室に入ると、そこには海斗の母・エリーゼの姿があった。
「また、あの男と会っていたの?」
「お母様・・」
「暫く、部屋で大人しくしていなさい、いいわね?」
「はい・・」
エリーゼは海斗の部屋から出ると、ある場所へと向かった。
そこは、彼女の“研究室”だった。
「王妃様・・」
「“例の物”は出来た?」
「はい、こちらに。」
白い布で口元を覆った王妃の部下は、そう言うとエリーゼに、“ある物”を手渡した。
「そう。」
“ある物”とは、飲んだ者の記憶の一部を失くすという薬だった。
「これを、どなたに飲ませるのですか?」
「それは、あなたが知らなくてもいい事よ。」
「はい・・」
エリーゼ王妃は、薬が入った壜を持ち、“研究室”を後にした。
(あの子の為に、あの海賊は消さなければ。)
そんな王妃の思いを知る由もなく、海斗はジェフリーを見送りに、港へと来ていた。
「ジェフリー!」
「カイト、来てくれたのか。」
「うん。」
「これを、お前に。」
「ありがとう、大切にする!」
ジェフリーの船が出航した後、海斗は彼から贈られたペリドットのペンダントを握り締めた。
「カイト様、お帰りなさいませ。」
「ただいま。」
「王妃様がお呼びですよ。」
「わかった。」
海斗がエリーゼ王妃の部屋のドアをノックすると、中から悲鳴が聞こえて来た。
「お母様!?」
エリーゼは、血溜りの中で倒れていた。
「逃げなさい・・」
「しっかりして、お母様!」
海斗がエリーゼに駆け寄ろうとした時、彼女は何者かに後頭部を殴られ、気絶した。
「顔は見られていないだろうな?」
「あぁ。」
エリーゼを殺害し、海斗を殴った賊達は、気絶した海斗を抱え、王宮を出た。
王宮の中庭には、死体の山が築かれていた。
「可哀想に、目が覚めたらもうお姫様じゃなくなっているなんてな。」
「あぁ・・」
「どうした?俺達は、敵を倒したんだぞ、そんな浮かない顔をするな。」
仲間の男にそう言われても、ユリウスは自分達がやっている事が、“革命”ではないと、思うようになった。
「ん・・」
海斗が目を開けると、そこは母の寝室ではなく、見慣れない小屋の中だった。
(ここは、何処?)
海斗が辺りを見渡すと、小屋の中には数人の男達の姿があった。
その中の一人と、彼女は目が合ってしまった。
「どうする、顔を見られちまった!」
「そう騒ぐな、いい物がある。」
そう言ってもう一人の男が服の中から取り出したのは、緑の液体が入っている壜だった。
「それは?」
「王妃の寝室で見つけた。何でも、飲んだ者の記憶の一部を消す薬らしい。」
「へぇ・・」
「娘を押さえろ。」
「嫌だ!」
男達に押さえつけられ、海斗はエリーゼ王妃が作った薬を飲まされ、意識を失った。
「こいつをどうする?」
「何処かの娼館へ売り飛ばしてやろう。」
「それはいいな。」
男達はそう言った後、海斗を馬車に乗せ、小屋から去った。
同じ頃、ジェフリーは長い航海を終え、母国の港へと帰って来た。
しかし―
「何だと、国王一家が処刑された!?」
「あぁ。王都の近くに住んでいた俺のダチが言うには、陛下や王妃様だけではなく、7歳の王子まで皆殺しにされたそうだよ。」
「カイト皇女様は!?」
「行方知れずだそうだ。」
(カイト・・)
ジェフリーは血眼になって海斗を捜したが、国王一家が処刑されて5年経っても、彼女の消息を掴む事は出来なかった。
そんな中、ジェフリーはある噂を聞いた。
それは、処刑を免れた皇女が、娼館で働いているというものだった。
噂の真相を確める為、ジェフリーは皇女が居るという娼館へと向かった。
「いらっしゃい!あら船長、お久し振りですわね。今夜はどの娘をご所望で?」
娼館の女将・エミリーはそう言ってジェフリーを出迎えた。
「ここにカイトという赤毛の娘は居るか?」
「えぇ、居ましたけど・・昨日、貴族の旦那に引き取られました。」
「どこの旦那だ?」
「それは、誰にも話すなと言われまして・・」
「クソ!」
怒りの余り、ジェフリーは壁を殴った。
(カイト・・)
「気が付いたかね?」
「あの、ここは・・」
「美しい赤毛だ。」
王政派の貴族はそう言った後、海斗の赤毛を撫でた。
「安心しておくれ。ここに居れば、君は安全だ。」
貴族はヤギのような顎鬚を指先で弄り、海斗にマリウスと名乗った。
「カイト様、お食事を持って参りました。」
「ありがとう・・」
虚ろな瞳で部屋の外を窓から見つめている海斗の脳裏に、突如恐ろしい光景が浮かんで来た。
“逃げなさい・・”
血溜りの中で呻く女性を助けようとした海斗だったが、その前に女性の胸に賊が刃を突き立てた。
「嫌ぁ~!」
「カイト様、落ち着いて下さい!」
突然暴れ出した海斗をマリウスは落ち着かせようとしたが、やがて彼女は床に倒れたまま、意識を失った。
「旦那様、どうかなさいましたか?」
「医者を呼んで来い!」
「はい。」

マリウスの屋敷から遠く離れた沿岸部の街にある広場で、ある女が今まさに処刑される所だった。

だが、彼女の首に斧が振り落とされる寸前に、予想外の出来事が起きた。

「この処刑は中止だ!」
獄吏の声を聞いた人々は、一斉に騒ぎ始めた。
―ありえない!
―この女の首を刎ねる所が見たかったのに!
「静粛に!」
処刑広場から馬車に乗せられ、女は牢獄へと戻された。
「一体、何が起こったの?」
「国王一家が処刑されました。」
「では、わたくしは自由の身という事?」
太陽の光を受け、女の淡褐色の瞳が黄金色に輝いた。
「ええ、そうなりますね。」
「神に感謝を!」
女はそう叫ぶと、わざとらしく胸の前で十字を切った。
数時間後、彼女は自由の身になった。
迎えの馬車に乗り、彼女はある場所へと向かった。
そこは、彼女が生まれ育った家だった。
「あなたは・・」
「あの人に伝えなさい、わたしは地獄から舞い戻ったと。」
慌てふためるメイドを玄関ホールに残すと、彼女は居間に入った。
「お、お前・・」
「処刑された筈・・」
「いいえ、わたしは戻って来ました。」
女はそう言うと、怒りで顔を染める男を見た。
「疲れたので、部屋で休ませて頂きます。」
「勝手にしろ!」
居間から出て、女は二階の自室に入った。
「ラウル様、お茶が入りました。」
「ありがとう。」
「これから、どうなさいますか?」
「それをわたしに聞くの?わたしは、これから何をするのかわかっている癖に。」
「では、これで失礼します。」
メイドがラウルの部屋から出ると、一人の男に声を掛けられた。
「彼女、部屋に居るかい?」
「はい。ラウル様に何かご用ですか?」
「いや、聞いただけだ。」
「はぁ・・」
(変な人ね。)
「カイト様のご容態は?」
「落ち着いておられます。しかし、ひとつだけ問題があります。」
「問題だと?」
「はい。どうやらカイト様は、厄介な薬を飲まされたようです。」
「厄介な薬?」
「はい。それは、飲んだ者の記憶の一部をなくすものだそうです。」
「カイト様の記憶は、戻るのか?」
「それは、わかりません。」
「そうか・・」
マリウスは、海斗の記憶が戻るまで、自分の命を代えても彼女を守ろうと誓った。
その日の夜、海斗は寝返りを打ちながら悪夢にうなされていた。
「カイト様、どうかなさいましたか?」
「大丈夫・・」
「また、あの夢を見たのですね?」
「何で、俺ばっかりこんな夢を見るんだろう?」
「何か大切な事を忘れていらっしゃるのでは?きっと悪夢は、その事を思い出す為の儀式なのでしょう。さぁ、ゆっくりお休みなさいませ。」
「うん・・」
海斗の寝室を後にしたメイドのヘレナは、階下から変な物音がしている事に気づいた。
(何かしら?)
ヘレナがそんな事を思いながら物音がする厨房の扉を開けようとした時、彼女はナイフを首に突き立てられ、絶命した。
(うるさいな・・)
急に外が騒がしくなり、海斗が寝室から出ると、マリウスが彼女に向かって何かを叫んでいた。
「お逃げ下さい!」
マリウスは、賊に首をナイフで掻き切られ、絶命した。
「ひぃっ!」
「居たぞ!」
「捕えろ!」
海斗は頭から毛布を被せられ、簀巻きにされて馬車の荷台へと放り込まれた。
「やはり、あの方の予言は当たったな。」
「あぁ。」
「聖女様の元へ、彼女をお連れしろ。」
激しく揺れる馬車の中で、海斗は男達の会話に時折出て来る“聖女様”が気になった。
一体、“聖女様”は何者なのだろうか―海斗はそう思いながらも、深い眠りの底へと落ちていった。
「そう、始末したのね。」
ラウルは自分が雇った男達から自分宛に届いた手紙に目を通した後、それを暖炉の中へと投げ捨てた。
「ラウル様・・」
「教会へ行くわ。支度を手伝って。」
「はい・・」
あの赤毛の皇女が生きているとわかれば、厄介事に巻き込まれてしまう事は火を見るよりも明らかだった。
(早く、あの娘を始末しなければ。)
ラウルは、鏡の前で己の姿を見た。
わざわざパリから取り寄せただけあって、喪服は今流行りの、華美ではないが気品に満ちたデザインだった。
(さて、宝石はどうしようか・・)
王都から少し離れた所に、その聖堂はあった。
「聖女様!」
「聖女様がいらっしゃったぞ!」
人々は、銀髪をなびかせた少女が聖堂の前に現れると、歓喜の声を次々と上げた。
「ありがたや、ありがたや。」
「聖女様のお陰で、この国は安泰じゃ。」
人々がそう話す声を聞きながら、銀髪の少女―アリシアは悦に入っていた。
(漸く、この時が来た!)
何も無い寒村に生まれ、日々家畜の世話と年老いた祖父母の世話に明け暮れていた貧しい生活から抜け出せたのは、村に疫病が発生し、その特効薬を作り出した時だった。
その薬で、祖父母をはじめ村人達の命を救ったアリシアは、聖女として崇められる存在となった。
だが、それだけで満足するアリシアではなかった。
(わたしは、金持ちになるの!)
「聖女様、お客様です。」
「通して。」
「失礼致します、聖女様。」
「ラウル様、処刑されたのではなかったの?」
「いいえ、わたくしを善良なる神がお救いしてくださったのです。」
「まぁ・・」
アリシアは、柳眉を微かに歪めたが、軽く咳払いをした後笑顔を浮かべた。
「ラウル様、二人きりの女子会でもいかがです?色々と、積もる話をしたいですし。」
「ええ。」
紅茶を飲みながら、アリシアはラウルが耳につけている黒曜石の耳飾りに気づいた。
「素敵な耳飾りですね。」
「まぁ、ありがとう。本当は、ダイヤモンドをつけたかったのだけれど、家族が許してくれなくてね。」
「どうして?」
「だって、わたしは死んだ身ですもの。」
「そう・・」
アリシアは、長方形の箱をラウルに手渡した。
「これは?」
「わたくしからの、贈り物ですわ。」
ラウルが箱を開けると、そこにはダイヤモンドの耳飾りと首飾りが入っていた。
「ありがたく、頂きますわ。」
「喜んで下さって、嬉しいわ。」
二人だけの女子会は、和やかな雰囲気で終わった。
「では、また。」
「ええ。」
 ラウルが部屋から出た後、アリシアは大きな溜息を吐いて長椅子の上に腰を下ろした。
「疲れた。」
「あの耳飾りと首飾り、ラウル様に差し上げてよろしかったのですか?」
「えぇ。あれには、強力な呪いが掛かっているのよ。」
「呪い、ですか?」
「それを身に着けた者が死ぬ呪いよ。」
「まぁ・・」
「さてと、少し休むわ。」
「わかりました。」
アリシアの侍女・メアリーは、寝室に入っていく主の姿を見送った。
(さてと、わたしも少し休もうかしら。)
メアリーは主の部屋から出た後、少し休んだら職探しをしようと決めた。
一方、海斗を拉致した男達は、王都へと向かっていた。
「聖女様は、本当に俺達を雇ってくれると思うのか?」
「何だ、いきなり。大丈夫、心配すんなって!」
「だがなぁ・・」
男達はそんな事を話していると、海斗は彼らに見つからぬよう、夜の森の中へと消えていった。
暫くしたら、彼らは自分が居ない事に気づくだろう。
その前に、遠くまで逃げなければ―海斗がそんな事を思いながら走っていると、彼女は小石に躓き、そのまま川へと転落してしまった。
激流に流されながら、海斗は必死に息をしようと激しく川の中で藻掻いた。
その時、誰かが自分を岸まで引き上げてくれた。
「おい、大丈夫か?」
「う・・」
(ジェフリー・・)
海斗は、見知らぬ男の腕の中で恋人の事を想いながら意識を失った。
その一時間前、ハンクは水を汲みに川へ来ていた。
木桶を水で満たした後、彼が村へと戻ろうとした時、上流から一人の娘が流れて来ている事に気づいた。
ハンクは咄嗟に娘の長い赤毛を掴み、その華奢な身体ごと彼女を岸まで引き上げた。
「おい、大丈夫か!?」
娘は自分の言葉に反応したが、その後意識を失った。
このまま彼女を置いておく訳にはいかない―ハンクは娘を背負うと、村へと向かった。
「ハンク、お帰り。その子はどうしたんだい?」
「川の上流から流れて来たんだ。母さん、何か温かい物を作ってくれない?」
「丁度、玉葱のスープがあるわ。ハンク、エリザの部屋にその子を寝かせなさい。」
「うん、わかった。」
海斗が逃げた事を知った男達は怒り狂ったが、彼らは海斗が川に身を投げたのだろうと思い、王都へと向かった。
「ん・・」
「気が付いたかい?ここは、ボルト村だ。君が川の上流から流れて来たから、僕が家まで運んだんだ。」
「ありがとう・・ございます。」
「君、お腹空いてない?母さんが台所で玉葱のスープを作っているから、食べるといいよ。」
「わかった・・」

海斗はベッドから起き上がろうとしたが、身体が鉛のように重くて、動かなかった。

「聖女様、大変です!」
「どうしたの、そんなに騒いで?」
「あの娘が、消えました!」
「見つけ次第、始末なさい。」
「はい・・」
侍女が下がった後、アリシアは溜息を吐いた。
「聖女様も、お忙しいのですね。」
「ええ、毎日忙しくて休む暇がありませんの。なのでラウル様、事前にご連絡して下されば助かるのですが・・」
「あら、申し訳ありませんでした。次からは気を付けますわ。」
(どうせ、口先だけでしょう。この人、信用出来ないわ。)
「アリシア様も、“あの娘”を捜していらっしゃるのでしょう?」
「“あの娘”?」
「ユリアス皇国皇女・カイト様ですわ。貧しい農村育ちのアリシア様はご存知ないかもしれませんが、カイト様が生きていらっしゃると、面倒な事に巻き込まれてしまうのでは?」
「どういう意味ですの、それ?」
「あなたには、一番教えておきたい事がありますの。カイト様がもし生きていたら、王権派が革命の女神として彼女を祀り上げ、目障りなあの連中を叩き潰す事でしょう。」
「あぁ、国王一家を処刑したあの連中・・革命家と名乗っている奴等ね。あの人達、頭がおかしいわ。」
「そう、頭がおかしい人間が一人で支離滅裂な事を嘆いても、誰も相手にしてくれない。でも、それが集団なら?彼らは、国王一家を処刑するだけはなく、王権派の貴族達を次々と処刑しているわ。この国は今、滅びようとしている。この国を救う為に、わたくし達、手を組まない事?」
「まぁ、わたしはあなたの事が嫌いなのに、何故そんな提案をなさるの?」
「あなたは、金持ちになりたいのでしょう?ならば、この国の王になった方がいいわ。その為には、後ろ盾が必要よ。」
「この国の王に、わたしが・・」
「生まれた環境で全てが決まるなんて、馬鹿げているわ。金持ちになるのなら、国の頂点に立てばいい。」
アリシアを利用するだけ利用して、彼女が国王となったあかつきには、彼女を殺して自分が王位に就こうと企んでいた。
「わかったわ。」
「これから、宜しくね。」
「ええ。」
アリシアは、ラウルの狡猾な企みを知らずに、彼女と手を組んでしまった。
(さて、この小娘をどう利用かしら?考えるだけで、楽しいわ!)
一方、ボルト村に暮らす親子に保護された海斗は、村で家畜の世話をしながら少しずつ健康を取り戻していった。
「カイト、ご飯が出来たわよ!」
「今行きます!」
海斗はブラックベリーを摘み終えると、家の中へと入った。
「まぁ、沢山とれたのね。後でジャムにしましょう。」
「はい。」
ハンクの母・レイチェルは、海斗に家事全般を教えてくれた。
(俺の母さんとは、大違いだ。あの人はいつも、怒ってばかりだった。)
海斗の記憶の中に居る母は、いつも自分に怒ってばかりだった。
―あの子に礼儀作法を教えるのは無駄よ。
―王妃様、カイト様は花嫁学校に入学されたら落ち着かれますわ。
―駄目よ、あの子は。
ある日、遠乗りから帰った海斗は、偶々王妃と女官の会話を聞いてしまった。
―あの子を、孤児院から引き取るのではなかったわ。
その時、自分が王妃と血が繋がっていない事を知ってしまった海斗は、自室に数日間引き籠もってしまった。
王妃が、いつも自分に冷たいのは、自分が実の子ではないからだ。
(じゃぁ、俺の本当の親は何処に居るんだ?)
そんな事を思いながら、海斗はレイチェルと共にブラックベリージャムを作っていた。
「どうしたの?」
「何でもないです。昔の事を少し思い出してしまって・・」
「そう。あなたを助けた時、このペンダントが、川の近くに落ちていたの。あなたの物じゃないかしら?」
そう言ってレイチェルは、ハンカチに包まれたペリドットのペンダントを海斗に手渡した。
“カイト。”
海斗の脳裏に、美しい金髪を靡かせた“誰か”の顔が浮かんだ。
あと少しで思い出せるのに、“誰か”の顔が鮮明になろうとしている時、海斗は酷い頭痛に襲われ、その場に蹲った。
「どうしたの?」
「頭が・・」
「また、“発作”が起きたのね?部屋で休んで。」
「すいません、ご迷惑ばかりお掛けしてしまって・・」
「いいのよ。具合が悪い時は無理しないで休みなさい。」
「はい・・」
海斗は台所から出て、部屋に入るとベッドに横になった。
少し頭痛が治まり、彼女が部屋を見渡すと、ベッドの横には可愛いテディベアが置かれていた。
その右足の裏には、『エリザ、5歳の誕生日おめでとう。』と刺繍されていた。
「レイチェルさん・・」
「もう、大丈夫なの?」
「はい。レイチェルさん、今俺が使っていた部屋には、昔誰か居たのですか?」
「ええ。娘が居たの、生きていれば丁度あなたと同じ年位になっていたかしらね。」
レイチェルは針仕事をしながら、海斗にエリザの話をした。
エリザは美しい赤毛をしていて、よく笑う明るい娘だった。
だが、彼女は疫病に倒れ、5歳でこの世から去ってしまった。
「ハンクに抱かれたあなたを見た時、わたしはあの子が帰って来たと思ってしまったの。」
「レイチェルさん・・」
「あなたさえ良ければ、ずっとここに居て欲しいけれど、それはわたしのわがままよね、ごめんなさい。」
レイチェルは溜息を吐くと、針仕事の手を止めた。
「これは?」
「今度のバザーで出すタペストリーなの。」
「うわぁ、綺麗・・」
海斗は、美しい刺繍が施されたタペストリーを見て、思わず溜息を吐いた。
「そうだ、今度の日曜、教会のバザーにあなたもいらっしゃいよ。こんな山奥に引き籠もって暮らしているよりも、人と会った方が気晴らしになるわよ。」
「わかりました。」
日曜日、海斗はレイチェル達と共に村の教会のバザーにやって来た。
そこには、様々な物が売られていた。
 海斗が一際目を奪われたのは、サファイアとルビーのティアラだった。
「これは・・」
「あぁ、これは王妃様のティアラさ。」
「おいくらですか?」
「そうだなぁ・・3ポンドでどうだい?」
「3ポンド・・」
今の海斗にとって、それは途轍もない大金だった。
諦めようとしたその時、海斗の隣に立っていた男が、ティアラの代金を払った。
「毎度あり!」
「あの、いいんですか?」
「いいんだ。このティアラは、お前のものだからな。」
そう言った男は、翠の瞳で優しく海斗を見つめた。
「カイト、こんな所に居たのか、帰るぞ!」
「うん。」
(カイト・・カイトだと!?)
教会から去っていく海斗の姿を見た男は、彼女の名を聞いた途端、堪らず彼女の後を追った。
「待ってくれ!」
「え?」
海斗は突然謎の男に腕を掴まれ、その痛みで顔を顰めた。
「何ですか?」
「やはり、あなた様は、カイト様ですね!わたしです、結婚式にあなたに逃げられた花婿です!」
「あ・・」
男の言葉を聞いて、海斗は彼が誰なのかを思い出した。
艶やかな黒髪をオールバックにし、美しい翠の瞳で自分を見つめてくれたサンティリャーナ子爵の息子。
「ヴィンセント・・」
「生きてらしたのですね、良かった!」
「あなたは、どうしてここへ?」
「カイト、こちらの方は、あなたのお知り合いなの?」
「はい。」
「ここは人目があるから、わたし達の家で話しましょうか?」
「はい・・」
教会を後にした海斗と、彼女の夫になる筈だった男・ビセンテは、レイチェル達の家へと向かった。
「俺は、小麦粉を買って来るよ。」
「わたしは今から、鶏小屋に行って来るわ。」
レイチェルとハンクが気を利かせて海斗とビセンテを二人きりにさせてくれた後、海斗はビセンテと向かい合う形で椅子に座った。
「無事で良かった。国王一家が処刑されたと知って、わたしはあなたが亡くなったと思い、気が狂いそうになりました。ですが、生きていて良かったです。」
「ヴィンセント・・」
「今まで何処で何をしていたのですか?」
「実は・・」
海斗は、謎の男達に追われている事をビセンテに話した。
「そうですか。ラウル=デ=トレドという女はご存知ですか?」
「いいえ。」
海斗は、レイチェルが淹れてくれたカモミールティーを一口飲むと、目を閉じた。
「どうかされたのですか?」
「ごめんなさい、何かを思い出そうとすると、頭痛がして・・」
「これをどうぞ。ある薬に効く解毒剤です。」
「ありがとう・・」
海斗はビセンテの手から薬が入った小瓶を受け取り、その中に入っていた液体をカモミールティーに注いで飲んだ。
すると、今まで自分の脳裏に浮かんでいた“誰か”の顔が、鮮明になって来た。
「ジェフリー・・」
「カイト様・・」
 ビセンテは、海斗の手を握った。
「わたしでは、駄目なのですか?」
「え・・」
「わたしは、あの海賊よりもあなたを幸せに出来る自信があります!」
「急にそんな事を言われても・・」
海斗がビセンテの言葉を聞いて戸惑っていると、鶏小屋の方からレイチェルの悲鳴が聞こえた。
「レイチェルさん、どうしたの!?」
「カイト、逃げて!」
レイチェルがそう叫んだ瞬間、彼女の背後に立っていた賊が彼女の頸動脈に短剣を突き立て、それを躊躇いなく引き抜いた。
鮮血が飛び散り、絶命したレイチェルを目の当たりにした海斗は我を失い、テーブルの上に置いてあったパン切り包丁で賊の喉笛を切り裂いた。
(あの素早くて正確な突きは・・)
「母さん、しっかりして、母さん!」
「ハンクさん・・」
レイチェルの遺体を抱き締めながら嗚咽するハンクの額を、賊の仲間が撃ち抜いた。
「見つけたぞ、赤毛だ!」
「殺せ!」
ビセンテは電光石火の如く腰に帯びていた長剣を抜くと、それで賊達を殺した。
「ここに居ては危険です!」

彼は海斗の手を取ると、惨劇の舞台と化した家を後にした。

「そう、取り逃がしたのね。」
「後少しでしたが、サンティリャーナが・・」
「サンティリャーナ?今、サンティリャーナといった?」
「はい・・ご存知なのですか?」
「知っているも何も、サンティリャーナといえばこの国には知らない者は居ない程の大貴族よ。」
「何故、そのような方が・・」
「少し厄介な事になりそうね。」
ラウルはそう呟くと、爪を噛んだ。
「ラウル様?」
「ヤンをここへ呼びなさい。」
「はい・・」
女官が部屋から下がった後、アリシアが彼女と入れ違いに部屋へ入って来た。
「ラウル様、大変ですわ!」
「まぁ、そんなに慌ててどうなさったの?」
「“あいつ”が来るわ!」
「“あいつ”?」
「見つけたぞ、アリシア!」
アリシアがラウルの背に隠れた直後、一人の男が部屋に入って来た。
「どなた?勝手に人の部屋に入って来るなんて、無作法な方ね。」
「うるせぇ、女!」
男はそう言ってナイフを取り出すと、ラウルに突進した。
 だが、ラウルは素早く男を投げ飛ばして気絶させた。
「大丈夫でしたか?」
「ありがとうございます・・」
「強くおなりなさい、アリシア様。」
「わかりました!」
その日からアリシアは、ラウルに指導されながら護身術を身につけた。
「ラウル様は何故、強いのですか?」
「わたしは、家族から疎まれていたの。だから、必死で護身術を学んだわ。」
ラウルはそう言いながら、子供の頃の事を思い出していた。
「出て行け、お前なんて私の娘じゃない!」
「お母様、ごめんなさい!お願いだから中に入れて!」
土砂降りの雨の中、ラウルは些細な事で母親の怒りを買い、屋敷から締め出された。
ラウルは、両親と兄、姉の五人家族だった。
優秀な兄や姉と比べて、ラウルは病弱で勉強も運動も駄目だった。
その所為で、両親や兄達から蔑ろにされて来た。
ラウルは、家族から蔑ろにされて来たのは、自分の所為だと思い込んでいた。
しかし、彼らは自分達のストレスをラウルにぶつけているだけだった。
その事を知ったラウルは、強くなろうと決めた。
護身術の教師から、“教える事は何もない”と褒められるまで、ラウルは護身術にのめり込んだ。
「わたしの場合は、“誰よりも強くなりたい”―その一心で強くなったの。自分を変えられるのは、環境でも人でもない、自分自身よ。」
「はい・・」
ラウルに指導され、アリシアは強くなった。
「あなたには、教える事は何もないわ。」
「ありがとうございます、ラウル様。」
「護身術の授業は終わったけれど、まだまだあなたには色々と教えなければならない事がありますわね。」
ラウルはそう言うと、アリシアを抱き締めながら口端を上げて笑った。
(この娘をこれからどう利用しようかしら・・)
そんな仄暗いラウルの企みなど知らず、アリシアはラウルに懐いていった。
一方、賊に命を狙われている海斗とビセンテは、ボルト村を離れ、森の中で野営していた。
「カイト様、寒くないですか?」
「うん・・」
海斗が、ビセンテが張ってくれた天幕の中に入ると、そこは暖かくて居心地が良かった。
長距離を移動した所為か、海斗はそのまま眠りの海の中へと沈んでいった。
―カイト・・
何処かで、自分を呼ぶ声がする。
―きっと、俺達は・・
「カイト、起きろ!」
「ん・・」
海斗が恐る恐る目を開けると、そこには自分の手を握るビセンテの姿があった。
「どうしたの?」
「ここを離れる事になりました。」
「わかった・・」
海斗とビセンテは森から離れ、川へと向かった。
「この川は海へと繋がっています。」
「海へ・・」
「さぁ、参りましょう。」
ボートに乗り込んだビセンテは、そう言って岸に居る海斗に向かって手を伸ばした。
その手を、海斗はしっかりと握り締めた。
森に囲まれた川をビセンテと共にボートで下っていると、海斗は水面に“何か”の影を見たような気がした。
(気の所為かな?)
「どうかされましたか?」
「ううん・・」
「この川には、魔物が棲んでいたそうです。」
「へぇ・・じゃぁ、さっき俺が見た影は・・」
「大丈夫です。何があってもカイト様はわたしがお守りしますから。」
「そう・・」
二人がボートで森を抜けると、やがて彼らの前には美しい海が広がっていた。
潮風に頬を撫でられながら海斗が目を閉じていると、突然ボートが大きく揺れた。
「クソ、見つかったか!」
「どうかしたの?」
「カイト様、どうやらわたし達は“追手”に見つかってしまったようです。」
「“追手”?」
海斗がそう言った時、水面に大きな影が現れた。
「見つけたぁ~」
何処か間延びした声と共に、水面から一匹の人魚が顔を出した。
金と銀の瞳を輝かせながら、その人魚は口を大きく開け、鋭い歯をまるで威嚇するかのように海斗に見せつけた。
「ねぇ~、こいつ喰っていいの?」
「やめろ、勝手な事をするな。」
「え~」
オッドアイの人魚を窘めたのは、赤髪の人魚だった。
「“あの方”の元へ連れて行くと、約束しただろう、リーネ。」
「チェッ、わかったよ。」
オッドアイの人魚は舌打ちすると、海斗の髪を掴んで彼女を水中へと引き摺り込もうとしたが、海斗は首に提げていた護身用の短剣を抜くと、躊躇いなくその刃先を髪に当てた。
「カイト様・・」
「俺は死んだという事にして。」
「へぇ~、自分が取引できると思っているの?取引をしたいのなら、対価を貰わないとね。」
「対価は、俺の髪。」
「この髪、高く売れそうだし、わかった、取引成立ね。」
「リーネ!」
「じゃあ、またねぇ。」
二匹の人魚は、海斗達の前から去っていった。
「よろしいのですか、人魚達にあんな・・」
「いいんだ。自分の髪を差し出せば、彼らの雇い主の元に・・」
「上手くいくといいのですが・・」
「大丈夫、人魚は必ず約束を守るから。」
「まるで、人魚を知っているかのようなお言葉ですね。」
「昔、王宮の図書館で人魚の本を読んだんだ。」
「そう、ですか・・」
ビセンテは海斗の話を聞いてそうは言ったが、納得していないような顔をしていた。
海斗は、ジェフリーにも、誰にも話していない“約束”があった。

それは、海斗が人魚だという事。

―ねぇお父様、どうしてわたしは誰にも似ていないの?

幼い頃、いつものように父の膝上に座りながら、海斗はそう彼に尋ねた。
すると、彼は少し渋面を浮かべた後、海斗にこう告げた。

「カイト、お前は人魚なんだよ。」
「人魚?」
「そうだ、お前は人魚なんだ。カイト、この事は誰にも話してはいけないよ。」
「どうして?」
「それは・・」
父は、海斗が何故人魚でありながら人間として生きているのかを、最期まで教えてくれなかった。
「カイト様?」
「何でもない、少し疲れただけ。」
海斗はそう言うと、目を閉じた。
「娘はどうしたの?」
「これしか、持ってこられなかった。」
海斗を襲った人魚は、そう言うとラウルに海斗の髪を手渡した。
「そう。これは、ご褒美よ。」
「ありがとうございます。」
金貨が詰まった袋を半ばひったくるようにラウルから受け取ったオッドアイの人魚は、そのまま海の中へと消えていった。
「まさか、ラウル様が人魚とお知り合いだったとは知りませんでしたわ。」
「彼らは、利用価値がある。アリシア様、海を見るのは初めてでしょう?」
「はい。」
「狭い世界から抜け出して、広い世界を知ればあなたは強くなれる。」
ラウルはそう言うと、アリシアの肩を抱いた。
「ここに、カイトが居るのか?」
「あぁ。数日前、この村の教会で行われたバザーで、前王妃のティアラを海斗が購入したらしい。そして、あいつも・・」
「あいつ?」
「カイトが結婚する筈だったサンティリャーナ侯爵のご子息だ。」
「教会に行ってみよう、何か手掛かりが掴めるかもしれん。」
「あぁ。」
ジェフリー達がボルト村の教会へと向かうと、そこでは村人の葬儀が行われていた。
「ようこそいらっしゃいました。」
「すいません、葬儀の最中だというのに・・亡くなられたのは、どなたです?」
「村の外れに住んでいた、ハンクとレイチェルという親子です。賊に殺され、一緒に暮らしていた娘も行方知れずになりました。」
「親子と一緒に暮らしていた娘は、どんな容姿をしていましたか?」
「燃えるような、美しい赤毛の娘でした。」
「赤毛の、娘・・」
ジェフリーの脳裏に、自分に微笑んでいる海斗の姿が浮かんだ。
海斗は、確かにこの村に居たのだ。
そして―
(あと一歩だというのに・・)
もっと早く、この村に来ていたら。
もっと・・
「ジェフリー。」
「カイトはもう、ここには居ない。行くぞ。」
「何処へ?」
「海へ。」
カイトは、海に居る。
ジェフリーはその直感を信じ、川をボートで下り海へと向かった。
グローリア号へと向かったジェフリーは、そこで水夫長のルーファスと一人の青年が揉めている事に気づいた。
「おかしら、お帰りなさい!」
「ルーファス、そいつは?」
「こいつ、いきなり水夫見習いにして欲しいとか言いやがって・・」
「ふぅん、お前、名は?」
「リーネ!」


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