薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
火宵の月 帝国オメガバースファンタジーパラレル二次創作小説:炎の后 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 9
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 1
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
火宵の月 吸血鬼転生オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
火宵の月異世界転生昼ドラファンタジー二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
FLESH&BLOOD 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の騎士 1
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 7
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 1
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
火宵の月 異世界ロマンスファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
火宵の月 昼ドラハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁~愛しの君へ~ 0
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD 帝国ハーレクインロマンスパラレル二次創作小説:炎の紋章 3
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 6
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 6
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
天上の愛地上の恋 異世界転生ファンタジーパラレル二次創作小説:綺羅星の如く 0
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 1
天愛×相棒×名探偵コナン× クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 1
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
天上の愛地上の恋 BLOOD+パラレル二次創作小説:美しき日々〜ファタール〜 0
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天愛 夢小説:千の瞳を持つ女~21世紀の腐女子、19世紀で女官になりました~ 1
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
刀剣乱舞 腐向けエリザベート風パラレル二次創作小説:獅子の后~愛と死の輪舞~ 1
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
YOI×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:氷上に咲く華たち 1
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 2
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天上の愛地上の恋現代昼ドラ人魚転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 2
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
火宵の月 異世界ハーレクインヒストリカルファンタジー二次創作小説:鳥籠の花嫁 0
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
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※BGMとともにお楽しみください。 2013(平成25)年12月、長崎。「土方さん、今日はお天気がいいですね。」長崎市内にある老人ホームで、118歳となった歳三は、部屋の窓から紺碧の海を眺めていた。鴎(かもめ)の鳴き声を遠くで聞きながら、歳三はサイドテーブルの上に置かれている千尋の簪を手に取った。「それは、奥様の簪ですか?」「もうあいつが亡くなってから66年にもなるが、この年になるとあいつが恋しくて堪らなくてねぇ・・」「今日は少し温かいですし、散歩に行きましょうか?」歳三はベッドから降りると、介護士に身体を支えられながら杖をついて部屋から出て中庭へと向かった。「ここから見る長崎の街は絶景だねぇ。」「そうですねぇ。」歳三はふと、窓ガラスに映る自分の姿を見た。若い頃とは違い、張りと艶があった肌は皺だらけになり、白内障に罹った両目は徐々に視力を失いつつあった。だが歳三は、中庭のバルコニーから美しい長崎の街を眺めながら、幸せだった頃の事を思い出していた。「山田さん、ちょっと~」「暫くここで待っていてくださいね。」冷たい北風が自分の頬を撫でるのを感じた歳三は、そっと目を閉じた。―あなた何処からか誰かが自分を呼ぶ声が聞こえ、歳三が目を開けると、そこには病で死んだはずの千尋が自分の前に立っていた。―あなた、わたくしとともに参りましょう。千尋は歳三にそう言うと彼に優しく微笑んだ。―子供達のことをわたくしの分まで育ててくださって、有難うございました。「千尋、やっと迎えに来てくれたんだなぁ。」歳三は千尋の手を握ると、椅子から立ち上がった。海の向こうには、信子たちや篤俊、遼太や総司が笑顔で歳三と千尋に向かって手を振っていた。「みんな、すぐ行くよ。」歳三の魂は、千尋とともに天から射す光の中へと消えていった。『7日午後3時頃、医師で作家だった土方歳三さんが長崎市内の老人ホームで老衰のため亡くなりました。118歳でした。』 歳三の葬儀は浦上天主堂で執り行われ、200人余りの参列者たちは歳三の冥福を祈った。「お父様は漸く、お母様と会えたのねぇ・・」 91歳になった凛子は、真新しい歳三の墓に赤い薔薇の花束を供えると、真冬の青く澄み切った空を見上げた。―了―にほんブログ村
May 13, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様(何だ、これは・・) 原爆が投下され、命からがら今泉とともに彼の自宅から外へと出た歳三は、目の前に広がっている光景に目を疑った。先ほどまで人や車が通り、賑わっていた街は、跡形もなく消えていた。代わりに広がっているのは、膨大な瓦礫の山だった。「土方さん、ここを離れましょう。」「ええ・・」 今泉とともに、廃墟と化した街を歩きながら、歳三は道端で黒こげになって倒れている男とも女とも判らぬ遺体を見つけ、絶句した。「すいまっしぇん・・」突然背後で声がして、歳三が振り向くと、そこには顔が半分溶けている女性が立っていた。恐怖のあまり歳三は女性から一歩後ずさると、彼女はか細い声でこう言った。「水、水を・・」歳三は近くにあった消火防水槽から柄杓で水を汲むと、その女性に水を飲ませてやった。女性は歳三に頭を下げると、眠るように亡くなった。その後、建物の陰からゾロゾロと全身が焼けただれた男や女、子供達が水を求めに歳三たちの元へとやって来た。今泉と二人で歳三は被爆者たちに水をやっていたが、やがて二人で捌ききれなくなり、消防団の男達に協力を仰いで彼らに末期の水を与えた。「今泉さん、ちょっと浦上に行ってきます。」「わかりました。」歳三は斎藤のことが気になって、彼が勤務している浦上病院へと向かった。長い坂の上にあった浦上病院は、跡形もなく消えていた。「斎藤、居ないのか!?」瓦礫を掻き分けながら、歳三が斎藤を呼んでいると、見覚えのある懐中時計が自分の目の前に転がっていることに気付いた。 それは、歳三が斎藤に時尾との結婚祝いとして贈ったものだった。「斎藤・・」歳三がその懐中時計を拾い上げると、時計の針は原爆が投下された午前11時2分で止まっていた。歳三は激しく嗚咽しながら、懐中時計を握り締め坂を下った。千尋と歳三が再会したのは、長崎に原爆が投下されてから6日後の事だった。そこで彼は、千尋から櫻子と顕人が死んだことを知らされた。「あなた、申し訳ありません・・二人を守ることができませんでした・・」「お前たちが無事なら、それでいい・・」歳三はそう言うと、やつれた千尋を抱き締めた。日本は戦争に負けた。空襲で何もかもが焼け、人々は毎日生き抜くことで精一杯だった。「母様、お腹空いたよ~!」「ご飯~!」「二人とも、我慢なさい。」家を失った歳三たちは、急ごしらえで作ったバラックで暮らすことになった。夏は中が蒸し風呂のように暑くなり、冬は冬で隙間風が吹きすさんで快適とは程遠い住環境だったが、雨風をしのげる家があるだけでもましだった。凛子は体調を崩して寝込んでいる千尋に代わり、家事や弟たちの世話をしていた。「済まないわね、凛子。あなたには辛い思いばかりさせてしまって・・」「お母様、謝らないで。」 千尋の体調は回復するどころか、ますます悪化の一途を辿った。歳三が千尋を病院に連れていくと、彼女が白血病に罹っていることがわかった。「今すぐ入院してください。」「わたくし、最期は畳の上で・・家族の元で死にたいのです。」千尋はそう言うと、医師に入院させないでくれと懇願した。1947(昭和22)年2月14日、千尋は歳三たちに看取られ、35年の生涯に幕を閉じた。 千尋の死後、歳三は独身を貫き凛子たちを男手ひとつで育て上げた。にほんブログ村
May 13, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「千尋ちゃん、そろそろおやつにしないかい?」「はい、わかりました。」千尋が二階で洗濯物を干し終わり、一階へ降りようとしたとき、空が急にピカッと光ったような気がした。(どうしたのかしら・・雷?)激しい閃光と揺れが千尋を襲い、彼女は二階の物干し場で気を失ってしまった。「う・・」「千尋ちゃん、早く来ておくれ!」「姐さん、どうしたの・・」千尋が崩れ落ちた『いすず』の二階の物干し場から外へと出て、菊千代の元へと向かうと、櫻子と顕人の姿が見当たらないことに気付いた。「姐さん、櫻子と顕人は?」「あたしが気付いた時には、二人とも中庭から消えていたんだよ!」「そんな・・」千尋がそう言って菊千代を見ると、彼女は額から血を流していた。「姐さん、血が出ています。」「こんなの、ただのかすり傷さ。気にしないでおくれ。」菊千代がハンカチで額を押さえたとき、崩れ落ちた『いすず』の一階部分から、櫻子と顕人の泣き叫ぶ声が聞こえた。「櫻子、顕人、今すぐお母様が助けてあげますからね!」千尋は二人が閉じ込められている瓦礫をどけようとしたが、それはビクともしなかった。「姐さん、手伝ってください!」「わかった!」菊千代と千尋が瓦礫を退けようとしていると、そこへ工場への勤務を終えた凛子が帰ってきた。「お母様、どうしたの?」「凛子、あなたも手伝って!中に櫻子と顕人が居るの!」「わかったわ!」千尋達は瓦礫を退けて櫻子と顕人を助け出そうとしたが、女三人の力で二人の体を圧迫している瓦礫を退かすことはできなかった。「誰か助けてください、子供が家の中に閉じ込められているんです!」「僕も手伝いましょう。」郵便配達夫が千尋達に加わり、櫻子と顕人を瓦礫の中から救出しようとしたが、彼は家が炎に包まれていることに気付き、千尋達を家から遠ざけた。「奥さん、もう駄目だ。家に火がついている!」「そんな・・あの子達はまだ小さいんです!お願いですからどうか助けてください!」「もう無理です、これ以上ここに居たらあなた達も火災に巻き込まれてしまう!」 家の中から、櫻子と顕人が恐怖で泣き叫ぶ声が聞こえた。千尋は何としてでも二人を助け出そうと、炎に包まれている家へと向かおうとした。だが彼女は、寸でのところで郵便配達夫に止められた。「離して、離してください!」「お母様、もう諦めてください!」「いやよ、いや~!」千尋達の目の前で、五歳の櫻子と四歳の顕人は、炎に包まれながら死んだ。「櫻子、顕人、助けられなくてごめんねぇ、お母様を許して・・」千尋は、何度も亡くなった我が子に向かって助けられなかったことを詫びて泣き崩れた。 やがて焦土と化した長崎の街に、黒い雨が降り注いだ。にほんブログ村
May 13, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 1945(昭和20)年8月9日、長崎。 長崎港に停泊した船から降りた歳三は、二年ぶりに祖国の土を踏んで溜息を吐いた。彼が提げている旅行鞄の中には、櫻子と顕人への土産が詰まっていた。歳三は港からゆっくり離れると、自宅がある丸山町へと向かった。「凛子、これから工場に行くのよね?」「ええ。お母様は?」「わたしは洗濯物を干してくるわ。気を付けて行ってらっしゃい。」「行って参ります。」自宅を出た凛子は、勤労奉仕先の軍需工場へと向かった。「凛子ちゃん、おはよう。」「おはよう、咲子ちゃん。」「この前貸していた本、後で返すね。」「わかった。」工場の前で親友の咲子と会った凛子は、彼女とともに工場の中へと入っていった。「ねぇ、今日うちに来ない?咲子ちゃんに貸そうと思っている本があるの。」「本当?」「こら、そこ手が止まっておるぞ!」「すいません・・」工場の監督に怒鳴られ、凛子と咲子はくすくすと笑いながら作業に戻った。「おかあさま、ごほん読んで~!」「櫻子、今お母様は忙しいの。ご本なら後で読んであげるから、顕ちゃんと積み木で遊んでいなさい。」「いや、ごほん読んで!」いつも聞き分けが良い櫻子は、この日に限って千尋に我が儘を言って彼女を困らせた。「さくらちゃん、おにわであそぼう。」顕人はそう言うと、櫻子の手をひいて中庭に出て行った。「何だか、顕ちゃんの方がお兄ちゃんみたいだねえ。」「ええ。今日の櫻子は何処かおかしいわねぇ。」「きっとお父さんが帰って来るから、そわそわしているんじゃないかねぇ?」「そうでしょうか・・」 千尋は『いすず』の二階で洗濯物を干し、蝉の声に耳を澄ませながら歳三が帰って来るのを今か今かと待っていた。 午前10時30分、工場で凛子は咲子とともに早めの昼食を取っていた。「あ~、疲れた。あの監督、わたしにだけ辛く当たるから、嫌いだわ。」「駄目よ咲子さん、そんな事を言ったら。」「ねぇ、今日凛子さんのお父様が帰って来られるんですってね?」「ええ。お父様と会うのは二年ぶりなのよ。」「そう。いつお帰りになられるの?」「11時には帰るって、昨日うちに電報が届いたわ。」「お父様と会ったら、何を話すつもりなの?」「それはまだ決めていないわ。」凛子はそう言うと、工場の壁に掛けてある時計を見た。「土方さん、土方さんやなかですか!」「あなたは、確か今泉さんでしたよね?お久しぶりです、お元気にしていましたか?」「ええ。満州からお帰りになったのですねぇ。ちょっとうちでお茶でも飲んでいきませんか?お時間は取らせませんから。」「わかりました。」歳三が『いすず』の近くにある時計屋の前を通りかかると、店の奥から店主の今泉が出てきた。「すいませんねぇ、今お客様に出す茶菓子がないものでして・・」「いえいえ、お気遣いなく。今泉さん、息子さんからお便りは来ましたか?」「いいえ。倅がここに元気な姿で帰って来る方が、手紙よりも嬉しいですよ。」「そうですか・・」「土方さんも、二年ぶりに満州から帰ってこられて嬉しいでしょう?」「ええ。」「すいませんねぇ、お時間は取らせないと言っておきながら、もう30分も話してしまいました。」今泉はそう言うと、壁に掛けてある時計を見た。時計の針は、午前11時を指していた。にほんブログ村
May 13, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 1945(昭和20)年8月2日、長崎。「ねぇお母様、お父様はいつ帰って来るの?」「9日に帰ってきますよ。」子供達は2年ぶりに歳三が自分たちの元に帰って来ることを知り、毎日歳三が帰って来る日を指折り数えながら待っていた。「凛子、女学校はどうなの?」「普通の勉強をする時間より、工場で兵器を作ったりしている時間の方が多いわ。それに、好きな本を一冊も読めないのよ。」凛子はそう言って溜息を吐いた。「そんなことを言うものではありませんよ。」「お母様、さっき婦人会の斎田さんがうちから出て行くのを見たけれど・・あの人からまた嫌な事を言われたの?」「あなたが気にするようなことではありませんよ。それよりも凛子、そろそろあなたの嫁ぎ先のことを考えなければね・・」「止してよお母様、結婚なんてわたしまだ考えていないわ。」「そうだったわね。」千尋はそう言って笑うと、針仕事を再開した。「何だかこの町も随分と寂しくなってしまったわね。わたしがこの町に来た頃は、通りが活気に満ち溢れていたのに・・」「戦争中だから仕方がないわ。うちだけではなく、大きな置屋や女郎屋も営業停止になって、いつ再開できるのかわからないし・・」「映画館は開いているけれど、戦争を題材にした映画ばかりが上映されているから、あまり観に行きたくないわ。」「凛子、夕飯の支度を手伝って。」「わかりました、お母様。その前に玄関前の水撒きをしてきます。」 凛子が『いすず』の暖簾をくぐって外に出ると、真夏の陽光が凛子の白い柔肌を突き刺した。「暑い・・」凛子はハンカチで額の汗を拭いながら、玄関前の水撒きをした。「凛子ちゃん、元気そうだね。」「あら、斎藤の小父(おじ)様、お久しぶりでございます。」「千尋さんは中に居るのかい?」「ええ。今呼んできましょうか?」「そうしてくれないか、少し千尋さんと話したいことがあるんだ。」「わかりました。」 数分後、千尋は奥の部屋で斎藤と向かい合って座っていた。「斎藤さん、お話とは何でしょうか?」「千尋さん、3月に東京で大規模な空襲があったことはご存知ですよね?」「ええ、それが何か?」「実は、その空襲で土方さんのお姉さんの、信子さんがお亡くなりになりました。」「え・・そんな・・歳三さんはそのことを・・」「わたしが、電報で土方さんに知らせました。千尋さん、ここから先の話は、決して外には口外しないでください。」「はい・・」斎藤はそっと中庭に面した襖を閉めると、千尋の隣に座った。「実は、米軍が密かに新型兵器を開発しているという噂があります。」「新型兵器?」「ええ。何でも、それを日本の主要都市の上空に投下すれば、あっという間に日本が滅びてしまうという恐ろしい爆弾です。」「まぁ・・その情報は、確かなのですか?」「ええ。」8月6日、斎藤が言っていた“米軍の新型兵器”が、広島市上空で炸裂した。「恐ろしいわね、お母様。」「凛子、もしわたしに何かあったら、弟たちのことを宜しく頼むわよ。」「わかりました。」にほんブログ村
May 12, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「凛子、どうして泣いているの?」「あの人が、わたしの熊ちゃんを取った!」凛子から、彼女が大事にしているテディベアを陸子に奪われたことを知った千尋は、彼女が居る母屋の台所へと向かった。「あら千尋さん、何の用ね?」「陸子さん、うちの娘からテディベアを取り上げたでしょう?あれはあの子の父親があの子の為に贈った大切な物なんです、さっさと返してください!」「まぁ、あなたそんな口をきいていいの?」陸子はそう言うと、口端を上げて笑った。千尋はそんな彼女を睨みつけ、陸子と幹朗が使っている部屋に入った。「ちょっと、勝手に入らないでよ!」凛子のテディベアは、壁際に置かれていた。「これは返してもらいますよ、陸子さん。」「こんな非常時に縫いぐるみを持っているなんて、非常識だと思わないの!?」「あなた、何の恨みがあって凛子にこんな仕打ちをなさるんですか?わたしに言いたいことがあれば、わたしに言えばよろしいじゃありませんか!それなのに、娘にこんな仕打ちをするなんて許せません!」「うるさい、あんたにあたしの気持ちがわかるの!?大体何よ、いきなりこの家に転がり込んで、好き放題して!」陸子はそう千尋に叫ぶと、彼女を突きと飛ばして母屋から出て行った。「千尋お嬢様、大丈夫ですか?」「ええ。睦っちゃん、もうこの家には居られないわ。」「そんなことをおっしゃらないでくださいませ、お嬢様。」「このままあの人たちと一緒に居ると、凛子たちが可哀想だわ。ごめんなさいね、あなたの好意を無駄にしてしまって・・」「お嬢様・・」 陸子と激しく口論した次の日、千尋は子供達を連れて長崎の自宅に戻った。「千尋ちゃん、お帰り。」「ただいま戻りました、姐さん。わたくしたちが留守にしている間、何か変わったことはありませんでしたか?」「何もないよ。ああそうだ、歳三さんから手紙が来ているよ。」「まぁ、有難うございます。」「なんて書いてあるんだい?」「歳三さん、再来年あたりにまた帰国するそうです。」「へぇ、それは本当かい!?」「はい。」「二年なんてあっという間だねぇ。そのころには、あんたの腹の子も生まれているだろうし。」「姐さん、そのことなんですが・・」千尋は菊千代に、疎開先で流産したことを話した。「そうかい・・そのこと、歳三さんには伝えるのかい?」「ええ。隠し通せるものではありませんから・・」長崎に戻ったその日の夜、千尋は歳三へ手紙を書いた。“あなたに、お知らせしないといけないことがあります。実は疎開先の家で、わたくしは慣れない農作業に従事し、その無理が祟って流産してしまいました。あなたには大変申し訳なく思っております・・” 千尋からの手紙を読んだ歳三は、溜息を吐いてそれを封筒の中に戻した。「どうしたんだい、土方君、溜息なんて吐いて?」「ああ、ちょっとな・・」「わかった。」 診察室から出て自室に戻った歳三は、ベッドに寝転がりながら何度も千尋の手紙を読み返した。もし自分に魔法が使えるのだとしたら、今すぐ千尋の元に飛んでいって、彼女を慰めてやりたい―歳三はそんなことを思いながら、ゆっくりと目を閉じた。にほんブログ村
May 12, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「残念ですが・・」睦が呼んだ医者は、千尋を診察した後、彼女にお腹の子が流産したことを告げた。「わたくしが、身体を労わらなかったから・・」「流産の原因は、胎児の発育不全によるものが多いのです。どうか、気を落とさないでください。それと、暫くは安静にしていてください。」「わかりました。」医者が離れから出て行った後、千尋はそっと下腹を撫でた。ほんの数時間前まで、そこには歳三との愛の結晶が宿っていた。だが、今はその子はもうどこにも居ない。失ってしまったのだ。「睦さん、お母様は暫くお外には出てこられないの?」「ええ。凛子お嬢様、お母様のことを気遣ってさしあげてくださいね。」「わかったわ。」 千尋が流産したことを睦から聞いた凛子は、母の代わりに家の仕事を頑張ろうと思った。「睦さん、千尋さんはいつまで離れで休んでいるの?」「義姉さん、お嬢様は流産されて辛いのです。暫くそっとしておいてあげてくださいませんか?」「まったく、あの人はいつまで自分がお客様扱いされると思っているのかしらね?」「義姉さん、それはあんまりではありませんか!千尋お嬢様は流産されたのですよ!」「それが何!?睦さん、あなたは兄嫁のわたしよりもあの人の肩をもつというの!?」「やめないか、二人とも、子供達の前で!」陸子は悔しそうに唇を噛みながら、無言で居間から出て行ってしまった。「睦、陸子の気持ちもわかってやってくれ。あいつは、子供が出来ないことを気に病んでいるんだ。」「兄さん、それはわかっています。ですが、言ってはならないことがあります。」睦はそう言って幹朗を睨みつけると、凛子たちの手をひいて居間から出て行った。「ねぇ睦さん、あの人は赤ちゃんが出来ないからお母様に辛く当たるの?」「それはわたくしにはわかりませんよ。凛子お嬢様、くれぐれもこのことは千尋お嬢様には内緒にしてくださいね。」「わかったわ・・」年頃の凛子は、睦や兄夫婦の会話を聞き、自分達がこの家にとって招からざる客だということを知った。「ねぇお母様、いつ長崎に帰るの?」「凛子、何故急にそんなことを聞くの?」「このままここに居たら、おかしくなっちゃうわ。早くこんな家から出て、長崎のお家に帰りましょうよ。」「わがままを言ってはなりませんよ、凛子。睦ちゃんに悪いでしょう?」「でも・・」 疎開先での辛い日々を耐え忍びながら、凛子は満州に居る父からの手紙が来るのを待っていた。だがいつまで経っても父から手紙が来ることはなかった。(お父様は、お仕事が忙しくてわたくしたちの事を忘れてしまったのかしら?)父から贈られたテディベアをリュックから取り出してそれを眺めながら凛子がそんなことを思っていると、部屋に陸子が入ってきた。「まぁ、そんな物を今まで隠し持っていたのね、早くわたしに寄越しなさい!」「いやよ、これはお父様からいただいたものなの!」「子供のくせに、口答えするつもりなの!」陸子はそう言って凛子からテディベアを取り上げると部屋から出て行ってしまった。にほんブログ村
May 12, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「義姉さん、千尋お嬢様は身重なんですよ。それなのに慣れない農作業をさせるなんて、あんまりです。」「睦さん、あの人たちは客としてこの家に暮らしているのかしら?」「それは・・」「暫くうちに世話になるつもりだったら、家の仕事を少しでも手伝ってもらわないと困るのよ。そう千尋お嬢様にも言っておいて頂戴ね。」陸子はそう言って睦を睨みつけると、そのまま畑に行ってしまった。「お母様、大丈夫?」「ええ・・凛子、お前も畑に行きなさい。」「でも・・」「わたしは少し休んだから大丈夫だから。」「わかりました・・」 凛子が畑に戻ると、草刈りをしていた陸子がうつむいていた顔を上げ、凛子を睨んだ。「遅いわよ、今まで何をしていたの?」「すいません・・」「さっさと草刈りをして頂戴。色々とまだ沢山やることがあるんだからね。」慣れない農作業に悪戦苦闘した凛子は、千尋が居る離れに入ると、そこでは幹朗と千尋が何かを話していた。「あんた、いつまでここに居るつもりね?」「それはわかりません。」「言っておくけど、長くここに住み着かれると迷惑なんだよ。ここに居たければ、家の仕事を手伝ってくれないと困るんだ。」「わかりました。」「まったく、本当にわかっているんだか・・」幹朗はそう言って舌打ちすると、そのまま離れから出て行った。「お母様、あの人から嫌なことを言われたの?」「凛子、畑での仕事は終わったの?」「うん・・お母様、あの人嫌いだわ。なんだか錐(きり)みたいな人だもの。」「目上の人を、そんな風に言ってはいけませんよ。」 その後も、陸子は何かと身重の千尋に辛く当たった。千尋は慣れない農作業に悪戦苦闘しながら、睦たちの家族と子供達の食事を毎日作った。その無理が祟ったのか、千尋は床に臥せることが多くなった。「お嬢様、大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫よ・・」「妊婦だからって甘えないでね、千尋さん。」「すいません・・」千尋はなぜ自分に陸子が辛く当たるのかがわからず、いつしか千尋は陸子に対して苦手意識を持ってしまった。「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」「ええ。どうしたの睦っちゃん、こんな夜中に?」「義姉さんのことですけれど、義姉さんは兄と結婚して10年経ちますが、なかなか子供が授からないんです。」「そう。」「お嬢様たちがこの家に暮らし始めて、凛子ちゃん達を見て義姉さんは何故自分に子供が授からないのかという悔しさを感じていたに違いありません。だから、その分お嬢様に対して辛い仕打ちをなさるんです。どうか、義姉さんのことはわたくしに免じて許してやってくださいませんか?」「わかったわ。睦っちゃんも辛いわねぇ、わたくしとお兄様達の間で板挟みになって・・」千尋はそう言うと、泣きじゃくる睦の肩をそっと叩いた。「睦っちゃん、明日も早いでしょう?もう休んだからどうかしら。」「はい、わかりました。」 翌朝、千尋が布団から起き上がろうとしたとき、彼女は突然激しい腹痛に襲われ悲鳴を上げた。「お母様、どうなさったの?」「凛子、睦っちゃんを呼んで頂戴・・」「睦さん、お母様の様子が変なの!」凛子に連れられ、睦が離れの部屋に入ると、千尋は蒼褪めた顔をしながら睦を見た。「睦っちゃん、お医者様を呼んで・・」にほんブログ村
May 12, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「睦、千尋さんよう来たねぇ!お風呂沸いとるから、早く入りなさい!」「すいません、先にお風呂いただきます。」千尋達は、睦の実家にある風呂で汗と垢を流した。「千尋お嬢様、狭いところで申し訳ありません。」「そんな、謝るのはこちらの方よ。」夕飯の後、千尋は睦にそう言って彼女に頭を下げた。「あなた達が苦しいときに、突然押しかけてしてしまって申し訳ないわね。」「いいえ・・それよりも千尋お嬢様、凛子ちゃん達はどちらに?」「あの子達なら離れで休んでいるわ。」「そりゃぁ、今日は汽車の中でずっと立ちっぱなしでしたもの、凛子ちゃん達はかなり疲れていることでしょうね。」 睦が離れの部屋に入ると、そこには仲良く布団を並べて寝ている凛子たちの姿があった。「睦、あんたに話があるんやけど・・」母に呼び出され、睦は母屋に戻った。「話って何ね、母ちゃん?」「実はねぇ、幹朗たちが今度ここに帰って来るんよ。」「幹朗兄ちゃんが?東京に居るんやなかと?」「それがねぇ、向こうも空襲が激しくなって、こっちに帰って来ることにしたって、今日電報が届いたんよ。」「そう・・」「あんたの奉公先のお嬢様にも、そう言っておいてくれんかねぇ?」「わかった。」離れに戻った睦は、千尋に兄夫婦が東京から疎開してくることを告げた。「そう、睦っちゃんのお兄様も、こちらにお帰りになられるのね。」「申し訳ありません、千尋お嬢様。」「今は何処も危ないのだから、文句は言えないわ。」 週末、睦の兄である幹朗とその妻・陸子が東京から帰ってきた。「幹朗、よう来たねぇ。」「ただいま、母ちゃん。離れにお客様が来とると、睦から聞いたけど・・」「睦の奉公先のお嬢様が、長崎から疎開してきたと。仲良うしてねぇ。」「わかった・・」千尋達が幹朗たちと顔を合わせたのは、その日の夜のことだった。「あんたが、睦の奉公先のお嬢様ね?」「初めまして、千尋と申します。暫くお世話になります。」「あんた、長崎で何しとったね?」「芸者をしておりました。」「ふぅん、そうね・・」幹朗はそう言って千尋を品定めするかのような目で見ると、陸子の手をひいて居間から出て行った。「お嬢様、兄が失礼な態度を取ってしまって・・」「謝らないで、睦っちゃん。」「お嬢様、もうお休みになってくださいませ。」「わかったわ。」翌朝、千尋が布団の中で微睡んでいると、離れに陸子が入ってきた。「千尋さん、起きて頂戴。」「陸子さん、おはようございます。」「あんた、この家に世話になっとるのやから、家のことを手伝って貰わんとねぇ。」「あの、わたくしは何をすればよろしいでしょうか?」「それじゃぁ、あたしと一緒に畑に出てくれんかねぇ。」「はい・・」 炎天下の畑で慣れない農作業をしていた千尋は、暑さで気を失ってしまった。「お嬢様、しっかりなさってください。」「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって・・」「まったく、こんな調子じゃぁ先が思いやられるわ。」陸子はそう言って布団の中で寝ている千尋を睨むと、離れから出て行った。にほんブログ村
May 11, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「お父様は、いつまで日本にいらっしゃるの?」「それはわからねぇな。軍から何の連絡もないし、暫くお前達と一緒に居られると思う。」歳三がそう言って凛子を見ると、彼女は両目に涙を溜めながら歳三を見た。「わたし、下の弟たちの為に泣かないことにしたの。でも、お父様の顔を見たら、なんだか安心してしまって・・」「済まなかったな、凛子。お前には俺が留守の間、色々と辛い思いをさせちまったな・・」歳三は自分の胸に顔を埋めて泣きじゃくる凛子の頭をやさしく撫でた。「お父様、もうどこにも行かないで・・」「わかったよ、俺はどこにも行かないよ。」歳三がそう言って凛子の背を擦っていた時、千尋が一通の手紙を持って縁側にやってきた。「あなた、軍の方からお手紙が届いております。」「そうか・・」歳三が軍からの手紙に目を通すと、そこには一週間後に満州へ帰還せよという旨が書かれていた。「お手紙にはなんと?」「一週間後に、満州へ帰還しろだとさ・・千尋、子供達のことを宜しく頼む。」「わかりました。」「お父様、また満州に行っちゃうの?」「ああ。済まないな、凛子。」「いやよ、行かないで!」「凛子、わがままを言ってはなりませんよ。」「でも・・」「凛子、今度も必ずここに戻ってくるから、それまで弟たちの面倒を見るんだぞ、わかったな?」「はい、わかりました・・」凛子は泣きじゃくりながら、歳三と指を切った。「お母様は、寂しくないの?」「寂しいわよ、とても。でもね、お父様と約束したのよ。」「約束?」「ええ。お父様が家を留守にしている間、あなた達のことをちゃんと立派に育て上げますってお父様と約束したの。」「そう・・ねぇお母様、お腹の赤ちゃんはいつ生まれてくるの?」「今年の暮れ辺りに生まれてくると思うわ。それまで凛子、色々とお母様のことを手伝ってくれる?」「ええ。」 空襲は日ごとに激しさを増し、千尋達が住む長崎の空にもB29の爆音が轟くようになった。「ごめんください。」「はい、どちら様でしょうか?」「わたくし、土方家で女中をしている睦と申しますが・・千尋さまはご在宅でいらっしゃいますか?」「あら睦ちゃん、いらっしゃい。わざわざ東京まで来てくれてありがとう。」 東京にいる睦が長崎を訪ねてきたのは、夏の暑い盛りのことだった。「どうしたの、睦っちゃんがここに来るなんて?」「千尋お嬢様、今朝旦那様からお手紙を預かりました。」「まぁ、土方のお義父様から?」千尋は睦から篤俊の手紙を受け取り、それに目を通した。そこには、長崎を離れて睦の実家がある佐賀に疎開して欲しいと書かれていた。「佐賀に疎開することは以前から考えていたことだけれど、凛子たちの学校のことがあるから、迷っていたのよ。」「長崎も危ないですから、疎開は早くした方がいいと思います。」「そうね、そうするわ。」 1942年8月、千尋達は長崎から睦の実家がある佐賀に疎開することになった。「お母様、これ持っていってもいい?」「いいわよ。」長崎の家を出る際、凛子は父から贈られたテディベアをリュックの中に入れ、それを背負って千尋達とともに佐賀へと向かった。 6時間も汽車に揺られ、疲労困憊した千尋達が睦の実家に着いたのはその日の夜のことだった。にほんブログ村
May 11, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「まぁ、凛子が初潮を迎えた?それは本当ですか?」「ああ。千尋、俺はこういったことは苦手だから、お前に任す。」「わかりました。凛子ももう大人の仲間入りですわね。」「ちょっと父親としては複雑だな。あいつもじきに嫁入りするのかと思うと・・」「まぁ、そんなことはまだまだ先の話ですわ。それよりもあなた、朝ご飯できましたから先に頂いてください。」「わかった。」千尋が歳三の茶碗に味噌汁を入れようとしたとき、彼女は激しい吐き気に襲われてその場に蹲った。「大丈夫か、千尋?」「急に吐き気がして・・」「もしかして、できちまったのか?」「そうかもしれません。」「お前、櫻子を妊娠した時味噌汁の匂いが苦手になっただろう?また女かもしれねぇな。」「そんな、まだ判りませんわ、そんなこと。」「とにかく、一緒に病院に行こう。」「はい、わかりました。」 朝食の後、千尋は歳三とともに浦上病院に向かった。「おめでとうございます、ご懐妊されていますよ。」「そうですか。あの先生、赤ちゃんの性別は判りますか?うちの人は、女の子だろうと言ってきかないんです。」「それはまだわかりませんね。今は流産しやすい時期ですから、あまり無理をしないでくださいね。」「わかりました。」 病院から帰宅した千尋は、子供達を居間に集めた。「お母様、お話ってなぁに?」「みんな、よく聞きなさい。お母様のお腹には、今赤ちゃんが居るのよ。」「赤ちゃんが居るの?」「そうよ。」千尋から妊娠したことを告げられた凛子の脳裏に、あの日の夜に見た光景が浮かんだ。「凛子、どうした?気分が悪いのか?」「ええ・・わたし、部屋で休んでくるわ。」凛子はそう言って立ち上がると、居間から出て行ってしまった。「どうしたんだ、あいつ。」「凛子もお年頃なんですよ。わたくしが見てきます。」 千尋が子供部屋に入ると、凛子は部屋の隅で膝を抱えて泣いていた。「どうしたの、凛子?」「お母様、わたし見てしまったの。お母様が裸でお父様の上に乗っているのを。はじめ、二人が何をしているのかがわからなかったけれど、お母様が妊娠したって聞いたとき、二人があの日の夜に何をしていたのかがわかって・・」「まぁ、凛子、見てしまったのね。」千尋は凛子が自分達とのセックスを見てしまったことを知り、ショックと驚きで狼狽えた。 年頃の娘が隣の部屋で寝ているというのに、歳三とセックスをしてしまった己の配慮のなさを、千尋は恥じた。「ごめんなさいね、凛子。あなたが隣の部屋で寝ているというのに、お父様と・・」「お母様は、お父様のことを愛していらっしゃるから、あんなことをなさったのでしょう?」「ええ、そうよ。お母様はお父様のことを愛しているから、裸でお父様と抱き合ったのよ。でも、凛子が嫌だというのなら、もうやめるわ。」 子供部屋から出た千尋は、居間で味噌汁を啜っている歳三の前に座った。「凛子はどうだ、落ち着いたか?」「ええ。あなた、あの子はわたしとあなたがアレをしているところを見てしまったみたいなの。」「そうか、だからあいつ、千尋が妊娠したことを聞いて少し様子が変だったんだな・・」「ええ。あなた、わたくし凛子ちゃんからそのことを聞いて自分が恥ずかしいと思いました。」「俺も、恥ずかしいよ。千尋、これからは凛子の事を気遣ってやろう。」「ええ、そうしましょう。」にほんブログ村
May 10, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 一週間後、歳三は鎖骨の怪我が治り、病院を退院することになった。「歳三さん、お帰りなさい。」「菊千代さん、長い間留守にしてしまって申し訳ありませんでした。」「謝らないでおくれよ。」玄関先で歳三と千尋を出迎えた菊千代は、そう言うと歳三が持っていた旅行鞄を彼から受け取った。「お父様、お帰りなさい!」「父様、お帰りなさい!」バタバタという慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、双子達と凛子が歳三たちの前に現れた。「凛子、ただいま。お前達、母さんの言う事をちゃんと聞いて良い子にしていたか?」「はい。」「父様、お土産は?」「二人とも済まないが、お土産は買ってきていないんだ。」「え~!」「二人とも、お父様が靴を脱げないでしょう?ちょっと脇へお退きなさい。」 およそ二年ぶりに帰国した歳三が奥の部屋に入ると、そこには三歳の櫻子(さくらこ)と二歳の顕人(あきと)が積み木で仲よく遊んでいるところだった。「櫻子、顕人、ただいま。」歳三の声を聞いた二人は積み木遊びをやめ、暫くじっと歳三を見ていたが、見知らぬ人間が家に入ってきたのだと思った二人は、突然泣き出した。「二人とも、怖くはありませんよ。あなた達のお父様が帰ってこられたのだから、ご挨拶なさい。」千尋は櫻子と顕人をあやしながら、そう言って歳三の方を見た。「俺が満州に行ったとき、櫻子はまだ赤ん坊だったし、顕人は生まれてもいなかったんだ。二人が俺を見て怯えるのも無理ないだろうよ。」「申し訳ありません・・」 その日の夜、歳三は千尋達と久しぶりに家族団欒(かぞくだんらん)の時を過ごした。「あなたが戦地から漸くお帰りになってきたというのに、ご馳走も作れずに申し訳ありませんでした。」「俺はご馳走なんか食いたくねぇ。食いてぇのは、お前ぇだ。」歳三はそう言うと、着物の懐から手を入れ、千尋の乳房をまさぐった。「いけません、子供達が起きてしまいます。」「この二年間、ずっとお前ぇのことばかりを考えてきたんだ。」「わたくしもです、あなた。」千尋は歳三の唇を塞ぐと、歳三は千尋を畳の上に押し倒した。 深夜、凛子がトイレに行って弟たちが寝ている部屋へと戻ろうとしたとき、彼女は両親が寝ている部屋の前を通りかかると、中からくぐもった父の呻き声が聞こえてきた。どうしたのだろうかと凛子が障子に穴を開けて部屋の中を覗くと、そこには裸で睦み合う両親の姿があった。千尋は豊満な乳房を揺らしながら、父の上に跨って激しく腰を上下に振っていた。その光景を見た凛子は、ショックを受けて逃げるように弟たちの部屋へと戻った。「おはよう、龍太郎。凛子はどうした?」「凛子姉ちゃんなら、まだ部屋で寝ています。」「そうか。」歳三はそう言うと、子供部屋へと向かった。凛子は、布団の中で包まって眠っていた。「凛子、もう朝だぞ。起きろ。」「いや。」「わがまま言うな、早く起きろ。」歳三は強引に凛子の布団を剥ぐと、凛子が寝ていた場所に血のような赤黒い染みが広がっていた。「お父様、昨夜から血が止まらないの。わたし、このまま死んじゃうの?」「凛子、大丈夫だ。お前は大人の仲間入りをしたんだよ。」にほんブログ村
May 10, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様『千尋、元気にしているか?近々、日本に帰国することになった。漸くお前達と会えることが嬉しくて堪らねぇ 愛をこめて、歳三』(歳三様が、わたくしたちの元に帰ってくる!)歳三からの手紙を読んだ千尋は、彼が帰国することを知り思わず嬉し涙を流した。「お母様、どうして泣いているの?」「凛子、お父様がわたくしたちの元に帰ってきますよ。」「本当?」「ええ、本当ですよ。」「いつ帰ってくるの?」「凛子たちがいい子にしていたら、帰ってきますよ。」子供達が寝た後、千尋は菊千代たちに歳三の手紙を見せた。「そうかい、やっと歳三さんが帰ってくるんだねぇ。」「ええ。」「千尋ちゃん、明日の朝も早いんだからもう寝な。」「わかりました、お休みなさい。」 翌朝、千尋が台所に立って朝食の支度をしていると、勝手口の戸を誰かがノックした。「どちら様ですか?」「すいません、土方千尋さんあてに電報がございます。」「まぁ、朝早くから有難うございます。」郵便配達夫から電報を受け取った千尋は、歳三が今日帰国したことを知った。「あら、千尋ちゃん出かけるのかい?」「ええ。歳三さんのお見舞いに行ってきます。」「お見舞い?歳三さん何処か悪いのかい?」「ええ。じゃぁ姐さん、後のことは宜しくお願いいたします。」「気を付けて行っておいで。」 『いすず』を出た千尋が、歳三が入院している浦上病院に向かうと、そこには腕を三角巾で吊った烏丸神父の姿があった。「神父様、お久しぶりです。その腕の怪我、どうなさったのですか?」「土方さん、こちらこそご無沙汰しております。腕の怪我のことはお構いなく。それよりも、土方さんはどうしてこちらにいらしたのですか?」「実は、戦地に居る夫が帰国してこちらの病院に入院している事を電報で知りまして・・」「そうですか。では、わたしはこれで失礼致します。」待合室で烏丸神父と別れた千尋は、二階にある歳三の病室へと向かった。「あなた、いらっしゃいますか?」「千尋、入れ。」「失礼致します。」千尋が病室に入ると、ベッドの上で読書をしていた歳三が本から顔を上げて彼女を見た。「あなた、入院したと聞いて驚いてしまいましたわ。」「大した怪我じゃねぇよ。少し鎖骨にヒビが入っただけだ。千尋、久しぶりだな。」「ええ。あなた、お帰りなさいませ。」「ただいま。」歳三は本を閉じ、ベッドから降りると千尋を抱き締めた。「少し痩せましたね。」「ああ、色々とあったからな。千尋、子供達は元気にしているか?」「ええ。先ほど、烏丸神父様にお会いしました。彼は腕を怪我したようで、三角巾で腕を吊っていました。」「もしかすると、愛国主義者の過激派グループから神父様は暴行を受けたのかもしれねぇな。耶蘇教徒が政府から改宗を要求されたり、教会が焼き討ちに遭ったりしているからな。」「物騒な世の中になりましたね。信教の自由は、何処へ行ってしまったのでしょう。」にほんブログ村
May 9, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「もしもし、そうですか・・今回のお話はなかったことに・・わかりました、わざわざご連絡いただいて有難うございました。」きよはそう言って受話器を置くと、台所に向かった。「千尋、さっき濱岡様からお電話があって、縁談を白紙に戻したいって言ってきたよ。」「そうですか・・」「縁談のことがあっても、うちへの資金援助はするとおっしゃっていたよ。」「女将さん、本当にお力になれずに申し訳ありません。」「謝らなくてもいいよ。斎田さんからはあたしが言っておくから。」「わかりました、宜しくお願いいたします。」「それじゃぁ、あたしは会合に行ってくるから、留守番頼んだよ。」「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」 玄関先できよを見送った千尋は、台所に戻って洗い物を済ませた。彼女が居間で新聞を読んでいると、玄関の戸が開く音がした。「ただいま・・」「凛子、その顔どうしたの?」玄関先で凛子を迎えた千尋は、彼女の顔が泥で汚れていることに気付いた。「お母様、わたしは非国民なの?」「誰が、あなたにそんなことを言ったの?」「吉田さん・・あの子、わたしが耶蘇教徒だから非国民だって・・」「まぁ・・」千尋は凛子の顔の泥を手拭いで拭うと、彼女を奥の部屋に連れて行って寝かせた。「千尋ちゃん、帰ったよ。」「お帰りなさい、姐さん。」「あら、凛子ちゃん帰ってきたんだね?」「ええ。姐さん、凛子のことなのですけれど・・」千尋は買い出しから戻ってきた菊千代に、凛子が学校で級友から非国民と呼ばれたことを話した。「まぁ、なんてこった。その吉田とかいう相手の子、こっちに来たのかい?」「いいえ。わたくし、今から相手の親御さんに会ってみようと思います。」「あんた一人だと不安だろう?あたしも行くよ。」「いいえ、そういう訳にはいきません。女将さんは会合に出かけていて夜まで戻りませんから、姐さんはどうか凛子のことを見てやってください、お願いします。」「わかった。」「では、行って参ります。」 千尋が凛子の同級生・吉田の家を訪ねると、玄関先に母親と思しき女性がやってきた。「娘によると、お宅の娘さんがうちの娘の顔に泥を塗りつけたとか・・」「あら、そんなことはうちの子はしておりませんよ。それよりも土方さん、このご時世に耶蘇教を信仰するなんて正気ではありませんよ。さっさと改宗なさったらいかがです?」吉田夫人はそう言って千尋を睨むと、廊下の奥に消えた。「これで失礼いたします。」 吉田家を後にした千尋は、そのまま帰宅した。「ただいま帰りました。」「どうだった、向こうの親とちゃんと話し合いができたかい?」「いいえ。向こうはうちの子はそんなことをしていないとの一点張りで・・まるでこちらが悪いように言われて、悔しいです。」千尋はそう言うと、俯いて唇を噛んだ。 真珠湾奇襲からはじまった太平洋戦争の戦況は、年を追うごとにつれて戦局は徐々に悪化の一途を辿っていた。国民達の生活から娯楽が消え、小学校は国民学校と名称を変えられて毎日子供達は軍事教育を受け、来るべき本土決戦に向けて米兵に見立てた藁人形を竹槍で突く訓練をした。 丸山町に居る芸者達も、毎日軍需工場で兵器の製造に勤しんでいた。食糧は不足し、配給制となった。そんな中、千尋の元に満州に居る歳三から手紙が届いた。にほんブログ村
May 9, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「今、うちが大変なことは知っているだろう?」「ええ。それが、この縁談とどう関係あるのですか?」「実はね、縁談相手の方が、うちの置屋が営業停止になっている間、資金援助したいって言って来てくださってね・・」「まぁ、それは嬉しいことではありませんか。」千尋がそう言ってきよを見ると、彼女は少しばつの悪そうな顔をして千尋を見た。「でもね、タダで援助するという訳ではないんだよ。相手の方は、条件をひとつ呑んでくれればいいとだけおっしゃってね・・」「それが、わたくしと結婚することですか?」「そうなんだよ・・歳三さんが戦地で頑張っているときに、あんたを歳三さんと離縁させて、他の男と結婚なんてさせたくないんだよ。でも、そうしないとうちが潰れてしまうんだよ。」「そうですか・・女将さん、一度相手の方とお会いすると斎田さんにお伝えしてください。」「わかった。千尋、あんたには辛い思いをさせちまって、本当に済まないね。」「わたくしにとって女将さんは、実の母親のような存在です。母親が困っているときに、娘のわたくしが何もしない訳には参りません。」千尋はそう言うと、自分に詫びるきよの手を握った。「お母様、婦人会のおばさんが言っていた人と、いつ会うの?」「明後日よ。凛子、どうして急にそんなことを聞くの?」「お母様は、お父様のことが嫌いになったの?」凛子は、自分の髪を乾かしてくれている千尋を見てそう言うと、彼女は首を横に振った。「いいえ、わたくしは決してあなたのお父様のことを嫌いになったのではないわ。一度その方とお会いするだけなのよ。」「そう・・ねぇお母様、わたし二人もお父様は要らないわ。」凛子の言葉を聞いた千尋は、何も言わずに義理の娘を抱き締めた。 数日後、千尋はきよとともに、縁談相手との待ち合わせ場所であるホテルに向かった。「相手の方は、まだお着きではないようですね?」「そうだねぇ、約束の時間はもう過ぎちまったのに、一体どうしてしまったんだろうかねぇ?」きよがそう言ってホテルのロビーに置いてある柱時計を見たとき、ホテルの前に一台の車が停まり、そこから背広姿の長身の男性と、羽織袴姿の安田が降りてきた。彼らは千尋たちの姿に気付くと、彼女たちに向かって手を振った。「すいません、道が混んでいて、遅くなってしまいました。」「安田さん、本日はどうぞ宜しくお願いいたします。」「千尋さん、こちらは濱岡進(はまおかすすむ)さん。濱岡さん、こちらは土方千尋さん。」「初めまして、土方千尋です。」「濱岡進です。お写真を拝見しましたが、お写真よりも実物の方がお綺麗ですね。」「まぁ、御冗談を・・」「さぁ、ここで立ち話もなんですから、向こうでゆっくりとお話をしましょう。」「はい・・」 ホテルで見合いを終えた千尋は、濱岡とともに丸山町を歩いた。「土方さん、お子さんは?」「五人おります。末の子はまだ二歳になったばかりです。」「そうですか・・ご主人は、満州に赴任されていると安田さんからお聞きしました。満州では色々と物騒だそうですが・・」「主人なら心配いりません。」「土方さん、あなたの置屋への資金援助と引き換えに、わたしとの結婚を強要させるなんて卑怯な事をしてしまって申し訳ありません。」「そんな、濱岡様・・わたくしは・・」「土方さん・・いえ、千尋さん、どうか僕と結婚してくださいませんか?」「それは出来ません。わたくしの夫は、土方歳三ただ一人です。」「あなたの口から、その言葉が聞けてよかった。これで、あなたのことを潔く諦められます。」にほんブログ村
May 9, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「安田様、わたくしに何かご用でしょうか?」「実はあなたに、縁談がありましてなぁ。」安田と名乗った男は、そう言うと千尋の前に封筒を置いた。「相手は、満州で手広く事業をなさっておられる方でしてなぁ、千尋さんのことをお話したら、是非お会いしたいと・・」「わたくしは、夫が居る身ですよ?」「千尋さん、いつ何時ご主人が戦死されるかもしれませんよ?ご主人亡き後、女手一つでお子さんを育て上げるのは・・」「安田様、主人は必ずわたくしたちの元に帰ってきます。ですから、この縁談は断ってくださいませ。」「わかりました。では、わたしはこれで。」千尋の言葉を聞いた安田は憮然とした表情を浮かべながら、縁談相手の釣書が入った封筒を掴んで客間から出て行った。「あら、安田さんはもうお帰りかい?」「ええ。姐さん、安田様はわたくしに縁談を持ってきました。」「縁談を?あの人、正気かねぇ?」「ちゃんとお断りしましたが、一体誰が安田さんに縁談を持ってくるよう頼んだのでしょう・・」「うちの女将さんじゃないことは確かだね。何処かのお節介な輩が、余計なことをしたんだろうさ。まぁ、気にしないことだね。」「ええ・・それじゃぁ、わたくしは夕飯の支度をして参ります。」 千尋が夕飯の支度をしに台所に入ると、流しの前できよがぶつぶつと何かを呟いていた。「どうかなさったのですか、女将さん?」「ちょっと考え事をしていてね。千尋、今日は何か出前でも取ろうかね?あんた東京から帰ってきたばかりだから、疲れているだろう?」「わかりました。何を召し上がりますか?」「あっさりしたものがいいね。」 その日の夜、千尋が子供達と夕飯のきつね蕎麦を啜っていると、玄関の戸を誰かが叩く音がした。「ごめんくださぁい。」「はい、只今参ります。」千尋が玄関先に向かうと、そこには割烹着姿の女性が立っていた。「あの、どちら様でしょうか?」「あんたが、土方千尋さんかい?」「はい、そうですが・・あなた様は?」「あたしは、婦人会の会長をしている斎田というものです。千尋さん、あんた安田さんからの縁談を断ったんだってね?」「はい、それが何か?」「あんたの亭主が戦地に行っていることを、先方は承知の上であんたと結婚したいと言っているんだ。どうだね、一回だけでもその方と会ってくれないかねぇ?」「そんな・・」「こんなことを言ったら酷だけど、あんたの亭主が無事に戦地から帰ってくる保障なんてどこにもないんだから。」婦人会会長・斎田は一方的に千尋にそう言うと、そのまま千尋に背を向けて去っていった。「千尋、誰が来たんだい?」「婦人会会長の、斎田様です。」「もしかして、あんたに縁談を持ってきたのが、斎田さんだったのかい?」「ええ。一回だけでも相手の方と会って欲しいとおっしゃられて・・」「どうしよう、困ったねぇ・・斎田さんが持ってきた縁談だったら、断れないねぇ。」「女将さん、それは一体どういう意味ですか?」にほんブログ村
May 8, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「千尋、ここにはいつまで滞在するのだ?」「来週の月曜まで滞在致します。」「そうか。久しぶりにこっちに帰って来たのだから、子ども達とゆっくりしていきなさい。」「はい、お義父様。」「千尋お嬢様、満州の歳三様からお荷物が届いております。」「有難う、睦ちゃん。」睦から荷物を受け取った千尋は、包みを解いて中身を箱から取り出した。 箱には、双子達が前から欲しがっていたブリキの玩具や、凛子の髪を飾る色とりどりの美しいリボンが入っていた。「お母様、このリボン、お父様からのお土産なの?」「ええ。凛子、良く似合っているわ。失くさないようにするのですよ。」「わかりました!」「お母様、勝次郎と向こうで遊んでもいいですか?」「いいですよ。余り遠くには行ってはいけませんよ、わかりましたね?」「わかりました、お母様!」龍太郎と勝次郎はブリキの玩具を掴むと、そのまま居間の窓を開けて中庭へと出て行った。「あの子達は、実の姉弟のように仲が良いな。千尋、お前も色々と苦労しただろう?」「ええ。凛子ちゃんは、はじめわたくしに対して心を開こうとはしませんでした・・でも、根気良く凛子ちゃんがわたくしに心を開くまで待っていたら、凛子ちゃんの方からわたくしに話しかけてくれました。」「無理に相手の心を開こうとしても、逆効果だ。千尋、歳三が留守の間、子ども達のことを頼んだぞ。」「わかりました、お義父様。」 千尋は母屋の居間から出ると、かつて自分が住んでいた離れに入った。壁に掛けられている月琴が入った袋にそっと触れると、千尋は袋から月琴を取り出して弾き始めた。月琴を弾いている間、千尋の脳裏に、歳三とここで過ごした幸せな日々の事が浮かんできた。『千尋。』 何処からか歳三の声が聞こえて来て千尋が顔を上げると、彼女の前に自分に向かって優しく微笑む歳三の姿があった。「あなた!」千尋が歳三に抱きつこうとした時、歳三は突然煙のように掻き消えてしまった。(わたくしは、一体どうしてしまったのかしら?歳三様の幻を見るなんて・・)千尋は月琴を抱きながら、涙を流した。「千尋お嬢様、どうなさいました?」「睦っちゃん、何でもないわ。」「まぁ、それはお嬢様の月琴ですよね?」「ええ。急に弾いてみたくなって、さっき弾いていたの。そしたら、歳三様の幻を見てしまって・・」「千尋お嬢様、辛い事を一人で抱え込まないでくださいませ。どうか、その苦しみや悲しみをわたくしにも分けてくださいませ。」「有難う、睦っちゃん。その気持ちだけで、嬉しいわ。」千尋はそう言うと、睦に微笑んだ。「わたくし、決めたわ。子ども達の前では決して、涙を流さないわ。もし歳三様が戦地でお亡くなりになっても、子ども達はわたくしの手で立派に育てます。」 東京に一週間滞在した後、千尋は子供達を連れて長崎に戻った。「女将さん、只今戻りました。」「お帰り、千尋。あんたにお客様が来ているよ。」「わたくしに、お客様ですか?」 千尋が『いすず』の客間に入ると、そこには背広姿の男が座って茶を飲んでいた。「初めまして、土方千尋と申します。あの、あなた様は・・」「わたしは、安田と申します。」にほんブログ村
May 7, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様1942(昭和17)年3月、東京。「お義父(とう)様、随分御無沙汰しております。」「千尋、よく来たな。」千尋は子供たちを連れて、東京の土方本家に帰省した。「まぁ、綺麗なお雛様ですわね。」「非常時にこんな物を飾って非国民呼ばわりされそうだが、季節の行事はちゃんと祝いたいんだ。」和室に飾られた美しい雛人形を見つめながら、篤俊はそう言うと溜息を吐いた。「お義父様、この前歳三様からこんなお手紙が届きました。」千尋はそう言うと、篤俊に歳三の手紙を見せた。「千尋、歳三は常に死と隣り合わせで生きているのだ。このような手紙をお前に送ったのは、もう覚悟を決めているからだろう。」「わたくし、歳三様には無事に戦地から帰って来て欲しいのです。」「わたしも、そう思っているよ。あいつが居る中国戦線は、戦況が悪化の一途を辿っている。」「祈ることしか、できないのでしょうか?遠い戦地に居る歳三様に、わたくしは何もすることができないなんて、悔しいです・・」千尋はそう言って俯くと、ハンカチで涙を拭った。「千尋、そう落ち込むな。あいつは必ず、元気な姿でお前たちの元に帰ってくる。だからお前は、歳三を信じてやりなさい。」「わかりました。」「さてと、湿っぽい話はこの辺にして、桃の節句の祝いをするか。」篤俊は、そう言うと椅子から立ち上がった。「睦っちゃん、わたしも手伝うわ。」「まぁ千尋お嬢様、折角帰っていらしたばかりなのですから、お部屋でゆっくりと休んでいてください。」「睦っちゃん、わたくしのことをお嬢様と呼ぶのは止めて頂戴。」「何をおっしゃいます、わたしにとって、千尋お嬢様はお嬢様です。」「ふふ、昔から睦っちゃんは変わっていないのね?」「そういうお嬢様こそ。」台所で睦と千尋がちらし寿司を作っていると、勝手口の戸を誰かが叩く音がした。「わたくしが参ります。」睦がそう言って勝手口の戸を開けると、そこには外套姿の青年が立っていた。「どちら様ですか?」「突然お訪ねして申し訳ありません。わたくし、長谷川と申します。土方篤俊さまはご在宅でいらっしゃいますか?」「旦那様でしたら、ダイニングに居ります。わたくしがご案内致します。」睦が長谷川を篤俊が居るダイニングルームへと案内している間、千尋は台所で桃の節句のご馳走を作っていた。「旦那様、お客様がお見えです。」「土方さん、長谷川です、お久しぶりです。」長谷川がそう言って帽子を脱いで篤俊に頭を下げると、篤俊は少し不機嫌そうな表情を浮かべた。「わたしと会うのなら、事前に電話や手紙で約束を取り付けるべきだろう?そういった手順を踏まずに、直接自宅に訪ねるなんて、失礼だとは思わないかね?」「失礼なことをしているのは重々承知しております。ですが、火急の用で貴殿にどうしても会わねばならなければ・・」「まぁ、いい。それで、わたしに何か用かね?」「はい。実は、わたくしが経営している海運会社が3年連続赤字でして・・このままだと会社が倒産してしまいます。そこで、資金援助をお願いできないかと・・」「長谷川君、仕事の話は今ここですべきではない。明日、会社に訪ねに来てくれ給え。」「わかりました、ではわたしはこれで失礼致します。」「睦、お客様を玄関までお送りしなさい。」「かしこまりました、旦那様。」睦が長谷川を玄関ホールまで送ると、長谷川はじっと彼女を見た。「あの、わたくしに何か用ですか?」「君、何処かで僕と会った?」「いいえ。なぜ急にそのような事をおっしゃるのですか?」「変な事を言ってしまって申し訳ない。それでは、僕はこれで。」にほんブログ村
May 7, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様馬賊たちの一人がそう叫ぶと、槍の穂先を歳三に向けた。だが歳三は身体を素早く反転させ、シャベルの先で馬賊の喉元を突いた。歳三の攻撃を喰らった馬賊は、激しく咳込みながら身体を折り曲げてえづきはじめた。『何をしている、相手は一人だ、やっちまえ!』リーダー格の男の言葉を聞いた馬賊たちは一斉に歳三の方へと突進してきた。 入隊した時、あの忌々しい上官がシャベルは白兵戦の中で銃剣よりも有効な武器になると言っていたのを思い出した歳三は、敵の攻撃を軽く受け流しながら彼らの急所をシャベルの柄や先端で打ち据えた。『畜生、こいつ・・』『落ち着け、あいつだって疲れているだろうさ。その隙を狙って一気にかかれば・・』リーダー格の男が仲間達とそんなことを話していると、突然平原に一発の銃声が響いた。『お頭ぁ!』佐々木青年が放った銃弾は、リーダー格の男の額に命中した。「土方さん、加勢に来ました!」「佐々木・・」『な、なんだ!?』『畜生、向こうに日本軍が・・』馬賊たちの慌てふためいた声を聞いた歳三が、平原の向こうを見ると、そこには銃剣で武装した百騎ほどの日本軍が馬賊たちの中に突っ込んでいくところだった。「突撃~!」広大な平原に喇叭(らっぱ)の音が鳴り響き、辺りは銃声と男達の怒号と断末魔の叫び声がこだました。「土方さん、大丈夫ですか?」「ああ。ちょっと肩をやられたけどな・・」歳三はそう言うと、激痛が走る右肩を押さえた。「立てますか?」「ああ・・」「官舎まで、お送りします。」「ありがとう・・」佐々木青年の腰につかまった歳三は、痛みに呻きながら額から脂汗を流した。「ここが、痛むのですか?」「そうです・・」 佐々木青年とともに官舎に戻った歳三は、すぐさま医務室で右肩の傷を軍医に診て貰った。「右肩の骨に、ヒビがはいっていますね。暫く、安静にしていた方がいいでしょう。」「そうですか・・」馬賊との戦いで右肩を負傷した歳三は、一ヶ月ほど部屋で安静することになった。安静といっても、風呂とトイレ以外は一日中ベッドで寝ていろと言われても、素直に寝られるわけがなく、歳三は時折ベッドから起きては、千尋や子供達への手紙を認(したた)めていた。『千尋、手紙の返事を書くのが遅れてすまない。今、俺は関東軍で兵士として働いている。もし、俺が死んだら・・その時は千尋、俺の帰りを待たずに、再婚してくれ。子供達のことを、よろしく頼む。心より愛をこめて、歳三』(あなた・・) 満州に居る夫から届いた手紙を読んだ後、千尋は涙を流しながらその手紙を胸に抱いた。「どうしたの、お母様?」「凛子ちゃん、暫くお母さんを一人にしておやり。」(わたくしも、会いたいです・・歳三様・・だから、生きてわたくしたちの元に帰って来てください・・)千尋は、髪に挿している紅珊瑚の簪にそっと触れると、戦地に居る夫に想いを馳せた。にほんブログ村
May 6, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「土方、聞いたぜ。君、入隊早々上官に楯突いたんだってな?」夕飯を取るために食堂に入った歳三の前に、林田が現れた。「別に楯突いてなんざいねぇよ。」「君のそういう、人を食ったような態度が周りを苛立たせるんだよね。」林田はフンと鼻を鳴らすと、歳三に背を向けて食堂から出て行った。「土方先生、お怪我の方は大丈夫ですか?」「ああ、こんなもん唾つけとけば治るさ。」上官から殴られた歳三の右頬は、赤紫色のあざができていた。「それにしても、あの上官は酷いですよね。土方さんを、西洋かぶれの医者だとはなから決めつけて、変な言いがかりをつけるなんて。」「まぁ、西洋かぶれは嘘じゃねぇから、仕方ねぇよ。」歳三はそう言って苦笑すると、ジャガイモのスープを一口飲んだ。 翌朝、歳三は上官から塹壕掘りを命じられた。「何処に塹壕を掘ればいいんですか?」「そんなの、行けばわかる。」「わかりました。」歳三が上官とともに向かった場所は、豊かな緑が広がる平原だった。「ここに全部、塹壕を掘れ。頼んだぞ。」口元に嗜虐的な笑みを浮かべながら上官は歳三にそう言うと、馬の尻に鞭を当てて官舎へと戻っていってしまった。(ったく、幼稚な嫌がらせをしやがって・・)歳三はそう上官に心の中で毒づきながら、シャベルを握り締め、塹壕を掘り始めた。「上官殿、土方さんのお姿が見えませんが・・」「ああ、あいつなら塹壕掘りを命じてある。」「塹壕掘り、ですか?」「まぁ、あいつは体力に自信があると言っていたから、すぐに終わるだろう。」上官の歳三に対するあからさまで幼稚な嫌がらせに、佐々木青年は絶句した。「・・ふぅ、やっと終わったぜ。」シャベルを地面に突き刺した歳三は、夕日に照らされている完成した塹壕を見てそう言って溜息を吐いた。彼が官舎に戻ろうと歩き出だしたとき、背後で何十頭もの馬の蹄がまるで雷鳴のように轟き、徐々に自分の方へと近づいてくるのを感じた。あっという間に、歳三を取り囲むようにして、五十騎もの集団が彼の前に現れた。『貴様、ここはわれらの土地だ。』集団の中で一際背が高い男がすっと歳三の前に現れると、彼はそう言って馬上から歳三を睨みつけた。彼らの顔を見れば、自分達の縄張りを荒らした歳三を無傷のまま帰す訳にはいかないだろう。『落ち着いてくれ、これは・・』『黙れ!』男は乗馬用の鞭を振り上げ、歳三の顔を打とうとした。だが、男の鞭を歳三は寸でのところでシャベルの柄で防いだ。『野郎、やりやがったな!』にほんブログ村
May 6, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方君、君に手紙が届いているよ。」「有難うございます、宮田さん。」宮田から手紙を受け取った歳三は、自分の部屋に戻って封筒の封を切り、便箋を封筒から取り出した。『旦那様、お元気ですか?昨日朝、天主堂に愛国主義者たちが押し寄せ、天主堂を一方的に封鎖しました。彼らが言うには、神道だけが日本国の宗教で、耶蘇教は鬼畜どもが信仰する宗教であるから、その耶蘇教の信徒どもは非国民だと・・』千尋からの手紙には、浦上天主堂が封鎖されたことや、『いすず』をはじめとする芸者の置屋や料亭が営業停止となったことなどが書かれていた。「土方君、失礼するよ。」「ちょっと待ってくれ。」歳三は千尋の手紙を引き出しの中にしまうと、林田を部屋に入れた。「こんな朝っぱらから、一体何の用だ、林田?」「土方君、確か君は旧教徒だったよね?」「ああ、そうだが・・それが、どうかしたか?」「さっき山浦さんから、この非常時に耶蘇教を信仰している者は直ちに改宗せよというお達しが出てね。それで、君はどうするつもりなんだい?」「信仰は捨てねぇ。」「へぇ、そうかい。困ったことにならなければいいけどねぇ・・」林田はそう言って歳三をちらりと見た後、部屋から出て行った。「土方先生、おはようございます。」「おはよう。」「林田先生、土方先生の部屋に来ましたよね?一体林田先生と何を話されたのですか?」「実はな・・」歳三は、雄介に林田から改宗を迫られたことを話した。「そんなことを・・」「まぁ、このご時世じゃぁ仕方がねぇことだろうと思うけれど、俺は信仰を捨てるつもりはねぇ。」「そうですか。」「さっき、長崎に居る妻から手紙が届いたんだが・・浦上天主堂が封鎖になって、丸山町の芸者の置屋や料亭が営業停止になったらしい。」「そうですか・・戦争はいつ終わるのでしょうか?」「それはわからねぇよ。すべては神のご意思のみ、だ・・」歳三はそう言うと、部屋の窓から雲ひとつない青空を見つめた。 一月後、歳三は軍隊に入隊することになった。「全員、整列!」歳三は他の兵士たちとともに、上官の前に整列した。馬上に居る上官は、歳三を睨みつけたかと思うと、彼は歳三の前で馬から降りた。「貴様か、西洋かぶれの医者というのは?」「俺に何か用でしょうか?」「何だ、その口の利き方は!」上官はそう歳三に怒鳴ると、彼の頬を平手で打った。「貴様、宮田さんに寵愛されているからっていい気になるなよ!」地面に倒れた歳三に向かって上官はそう怒鳴ると、彼に向かって唾を吐いた。「大丈夫ですか、土方さん?」「こんなの、どうってことねぇよ。」歳三はそう言って立ち上がると、上官に殴られた頬を擦った。にほんブログ村
May 5, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「土方先生、少しお顔の色が悪いですよ?」「そうか?」食堂で歳三が珈琲を飲んでいると、松本雄介が彼の隣に座った。「先ほど、宮田さんが土方先生を入隊させることを聞きましたよ。大丈夫なのですか?」「大丈夫じゃねぇよ。まさかこの俺が、戦場で兵士として戦うとはな。」「林田先生は、どうやら土方先生を厄介払いしたそうですね。」「あいつは、まだあのことを根に持っていやがるようだな?」「ええ。林田先生のような方と同じ空気を吸っているだけでも嫌になります。」雄介はそう吐き捨てるような口調で言うと、珈琲を一口飲んだ。「あいつは上に媚び諂(へつら)うことだけは上手いな。どうせ俺を兵士として戦場に向かわせるよう進言したのも、あいつだろうよ。」歳三がそう言って雄介を見ると、食堂に林田が入ってきた。「おや、これは土方先生に松本君ではありませんか?」「何かいいことでもあったのですか、林田先生?」「別に。」「土方先生を戦場に送り出すとは、林田先生はなかなかおやりになりますねぇ・・」「君、何が言いたいんだ?」林田の頬が、少し怒りで引き攣(つ)った。「別に僕は何も言っていませんよ。」「そうか・・では、僕はこれで失礼するよ。」林田が食堂から出て行き、雄介は溜息を吐いて椅子に座った。「一体あの人は何を考えているのやら・・」「さぁな。余り、奴と関わらないほうがいい。」「そうします。」 その日の夜、歳三が自分の部屋で寛いでいると、誰かがドアをノックした。「誰だ?」「土方先生、佐々木です。」「入れ。」「失礼致します。」部屋に入ってきたのは、関東軍に入隊して二ヶ月も経たない初年兵の佐々木という青年だった。「どうした、こんな夜中に?」「土方先生、これを見てください。」佐々木はそう言うなり、着ていたシャツを脱ぎ上半身裸になった。彼の背には、刀傷だと思われる無数の切り傷があった。「これは、どうしたんだ?」「上官に口答えをしたら、軍刀で斬りつけられました。」「酷いな・・消毒はしたのか?」「はい。わたしの怪我は大したものではありませんが、わたしの仲間達は上官たちから酷い制裁を受けています。わたしの隣室で寝起きしている青田という兵士は、上官に激しいビンタを喰らって両耳の鼓膜が破裂しました。」佐々木青年から、初年兵に対する上官たちの暴行・制裁が日常的に行われていることを知り、歳三は絶句した。「なぜ、俺にこんな話をしたんだ?」「土方先生は、来月から入隊なさるのでしょう?」「ああ・・どこでそれを聞いた?」「宮田様からです。土方先生、上官たちは土方先生が宮田様のご寵愛を受けていることを知り、どう土方先生を苛め抜いてやろうかと画策しております。どうか、上官たちに気をつけてください。」「わかった。」佐々木青年は歳三に頭を下げると、部屋から出て行った。 翌朝、歳三は起床ラッパの音で目が覚めた。「おはようございます、土方先生。」「おはよう、松本君。昨夜は良く眠れたかい?」「ええ。」にほんブログ村
May 5, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「どうしたんだい、その顔?」「天主堂で、変な男達が入ってきて・・彼らの一人に殴られました。」「ちょっと奥の部屋で待っておいておくれ。」千尋は子供達と奥の部屋に入ると、凛子が千尋の赤く腫れた頬をそっと触った。「お母様、大丈夫?」「大丈夫よ。」「ねぇ、どうしてあの人達、教会を閉鎖しちゃったの?」「それはお母様にもわからないわ。」「あの人、神父さまにも暴力を振るっていたわ。」「あんな人達を、まともに相手をしてはなりませんよ、わかったわね?」「わかりました。」「千尋ちゃん、大丈夫かい?」「ええ。」「もしかして、あんた天主堂の前で演説している連中にやられたのかい?」「はい。彼らは、天主堂を閉鎖しました。神父さまは、彼らのことを自称愛国主義者だとおっしゃっていました。」「そんな連中、相手にしちゃいけないよ。こっちが何を言ったって、向こうは聞こうとしないんだから。」「わかりました、姐さん。」「子供達は、何かされなかったかい?」「ええ。」菊千代から氷水に浸した布巾を頬に当てながら千尋がそう言うと、台所の窓硝子が割れる音がした。「わたくし、見て参ります。」 千尋が台所に向かうと、そこには紙に包まれた石が台所の床に転がっていた。彼女がその紙を開くと、紙には赤いインクで、“非国民”と書かれていた。「酷いね、こりゃぁ。警察に訴えようか?」「いえ、いいです。それよりも夕飯の支度をしないと・・女将さんは、今どちらに?」「会合があるからって、さっき『あさぎ』に出掛けていったよ。もうそろそろ帰って来る頃だと思うけど・・」菊千代がそう言って玄関の方を見ると、玄関の戸が開いてきよが家の中に入ってきた。「女将さん、お帰りなさいませ。」「まったく、冗談じゃないよ!」「どうかなさったんですか、女将さん?」「さっき会合に出席したんだけれどね、この非常時にお座敷に芸者を呼んで遊ぶなどもってのほかだ、今すぐ置屋を閉鎖しろっていう通達が来たんだよ!」「まぁ、それは本当ですか?」「ああ。暫く置屋は閉じないといけないから、これからどうすべきか考えないといけないねぇ・・」「突然そんな事を言われても、あたし達はどう稼げばいいんだい?」「食べ盛りの子ども達がいるのに・・」「二人とも、そんな顔をしなさんな。戦争が終われば置屋を再開すればいいだけのことだ。閉じている間は、野良仕事でもなんでもしてやるさ!」きよはそう言って千尋と菊千代の肩を叩くと、そのまま自分の部屋に入った。「女将さんもああ言っていることだし、夕飯の支度でもしようかね?」「そうですね。」 満州の関東軍本部では、志願入隊した初年兵達の訓練が連日行われていた。「貴様ら、もっと気合いを入れんか!」「鍛え方がなっとらん!」上官たちは何かにつけ、初年兵達にそう難癖をつけては暴力を振るっていた。「土方君、おはよう。」「おはようございます、宮田さん。」「君に、ひとつお願いしたい事があるのだが・・」「何でしょうか?」「最近軍も人手不足で困っているんだ。君も、我が軍に入隊してくれないだろうか?」「宮田さん、それは俺に兵士になれということですか?」「ああ、そうだ。」にほんブログ村
May 5, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 日本の真珠湾奇襲に対して連合国軍は日本に宣戦布告し、太平洋戦争が開戦した。はじめ日本軍は連合国軍に対して勝利を収めていたが、戦争が長引くにつれ日本軍は徐々に窮地に追い込まれることとなった。だが新聞や放送局各社はその事実を伏せ、連日日本軍が連合国軍に勝利をしているという偽りの情報を国民達に配信していた。「日本はこの調子で、アメリカをやっつけてくれるんだろうねぇ。」「ええ・・」千尋は『いすず』の居間で菊千代とともに日本軍の勝利を報じる朝刊の記事を読んでいた。「姐さん、これから子供たちと一緒に朝の礼拝に行って参ります。」「気を付けて行っておいで。」「行って参ります。」 子供たちの手をひきながら千尋が『いすず』の玄関から外に出て浦上天主堂へと向かうと、天主堂の前には国防服姿の男達が演説をしていた。「日本国の宗教は、神道だけだ!耶蘇教(キリスト教)は、鬼畜どもの宗教だ!」「そうだ、そうだ!」男達の演説に聞き入る市民達の目は、爛々と輝いていた。その異様な雰囲気を感じた子供たちは怯えて千尋の背に隠れてしまった。「表が何やら騒がしいようですね?」「おはようございます、神父様。」千尋たちが天主堂の中に入ると、東京の神学校を卒業し、二ヶ月前浦上天主堂に赴任してきた烏丸(からすま)神父が彼女たちにそう話しかけてきた。「ええ。あの人達は一体、何者なのでしょうか?」「自称愛国主義者の団体ですよ。彼らは戦争が始まった途端、信徒たちの家に石を投げ込んだり、中庭にごみを捨てたりとやりたい放題ですよ。」「まぁ、酷い・・わたくし達は、何も悪いことをしていないというのに・・」千尋がそう言って俯くと、天主堂の扉が軍靴で蹴破られ、中に天主堂の前で演説をしていた男達とともに、彼らの考えに賛同する人々が押し入ってきた。「何ですか、あなた方は?ここは神の家ですよ!」「貴様ら、日本が非常時だというのに、鬼畜どもの宗教を信仰して恥ずかしくないのか!?」先ほど天主堂の前で演説をしていた国防服姿の男は、天主堂の隅で固まっている信徒たちを睨みつけた。「ここは神聖な場所です、あなた方が勝手に立ち入れるような場所ではありません!」「貴様、我々に刃向うというのか!?」坊主頭の男はそう言うと、烏丸神父の頬を拳で殴った。神父が殴られるのを見た信徒たちは悲鳴を上げ、千尋は床に倒れた烏丸神父を助け起こした。「神父様、大丈夫ですか?」「ええ・・」「本日をもって、この天主堂は閉鎖する!」「そんな、あんまりです!」千尋がそう言って男達に抗議すると、坊主頭の男が彼女の胸倉を掴み、彼女の頬を平手で打った。「お母様を苛めるな!」龍太郎は千尋を守るため、彼女と男との間に割って入った。「この餓鬼、お前も痛い目に遭いたいのか!?」「子供には手を出さないでください、お願いします。」千尋は龍太郎を殴ろうとする男から我が子を守るため、龍太郎の上に覆い被さった。「ふん、わかればいいんだ。おい、行くぞ!」 男達が天主堂から去っていき、千尋はハンカチで烏丸神父の鼻血を拭った。「私のことはどうぞお構いなく。」「ですが・・」「今日はもうお帰りください。」「わかりました・・」 千尋たちが『いすず』に戻ると、奥から菊千代が出てきて千尋の赤く腫れた頬を見て悲鳴を上げた。にほんブログ村
May 5, 2014
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ライン素材提供:ひまわりの小部屋様1941(昭和20)年12月8日。歳三が林田とともに戦地へ派遣されてから一年が過ぎた。戦地での勤務は過酷そのもので、弾丸が飛び交う戦場で歳三たちは毎日衛生兵とともに負傷者の治療に当たった。(もうすぐ、クリスマスだな・・)歳三は壁に掛けられたカレンダーを見てそう思うと、長崎に残してきた妻子のことを想い溜息を吐いた。昨年のクリスマスは、家族と一緒に過ごせなかった。そして、今年のクリスマスも、歳三は一人で過ごすことになる。 未だに宮田から歳三に帰国命令は出ていない。それほど戦況が悪化しているということなのだろうか。「土方先生、宮田さんがお呼びです。」「わかった。」歳三はそう言うと、椅子から立ち上がって部屋から出た。「宮田さん、俺に話というのは・・」「君の帰国のことだが・・今年も取りやめになった。本当に済まない。」「いいえ・・」宮田にはそう言いながらも、歳三は落胆の表情を隠せなかった。「もうすぐクリスマスだな。君は今年も一人でクリスマスを過ごすのかね?」「ええ。」「今夜、関東軍でパーティーがある。君は是非出席して貰いたい。」「わかりました。」 その日の夜、新京市内のホテルで開かれた関東軍のパーティーで歳三が宮田達と談笑していると、そこへ一人の兵士が何やら慌てふためいた様子で大広間に入ってきた。「どうした?」「ラジオを、ラジオをおつけください!」「誰か、ラジオをつけろ!」ラジオのスイッチが入れられ、臨時ニュースを告げるチャイムの音が大広間に響くと、それまで談笑していた兵士たちが一斉に黙り込み、ラジオの方を見た。『臨時ニュースを申し上げます・・』ラジオから流れてきたのは、日本軍が8日未明にハワイの真珠湾にて奇襲攻撃を行ったというニュースだった。「天皇陛下、万歳!」ラジオの臨時ニュースが終わった後、兵士たちの誰かがそう叫んだ。「天皇陛下、万歳!」「大日本帝国、万歳!」兵士たちは一斉に万歳三唱し、中には涙を流す者も居た。この日、日本軍はハワイ・真珠湾沖に停泊している米戦艦・オクラホマを攻撃し、沈没させた。太平洋戦争の開戦の火蓋が、こうして切って落とされたのである。「万歳、万歳!」「大日本帝国万歳!」長崎では、旭日旗を象った提灯を持った市民たちが万歳三唱しながら街を行進し、市民達は老若男女問わず旭日旗を振りながら開戦の報せを受け歓喜に震えていた。「やはり、戦争が始まってしまいましたか・・」「これから日本は、どうなってしまうんだろうね?」一馬は診療所でラジオの臨時ニュースを聴きながら、これから日本はどうなってしまうのだろうかという一抹の不安を抱きながら、溜息を吐いた。にほんブログ村
May 4, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「土方君、君を正式に戦地へ派遣することが決まったよ。」「それは・・」「残念だが、君の帰国は取りやめになった。」「わかりました。」 漸く帰国の日を迎えた歳三は、宮田から戦地へ自分が派遣されること、そして帰国が取りやめになったことを聞き、溜息を吐いた。「君には、済まないと思っているよ。」「そうですか・・」「戦地へは、君と林田君が派遣されることになっている。」「林田が・・」「これからは彼と協力してやってくれ。」「わかりました。」関東軍本部を後にした歳三は、その足で診療所へと向かった。「土方君、土御門君から聞いたよ。戦地に行くんだってね?」「ああ。」「気を付けてね。」「わかっているよ。俺はまだ死なねぇから、安心しろ。」 その日の夜、歳三と林田の壮行会が、新京市内のホテルで開かれた。「戦地へ赴く土方君と林田君の健闘を祈って、乾杯!」「乾杯!」歳三は挨拶を済ませて部屋に戻ろうと思っていたが、招待客たちが次々と歳三に話しかけてきて、なかなか部屋に戻ることができなかった。「土方君、ちょっと・・」「すいません、失礼します。」大鳥に手招きされ、歳三は招待客に背を向けて大広間から出て行った。「どうした、大鳥さん?」「君にお客様だよ。」「俺に客?」「ああ。」大鳥はそう言うと、ロビーの方を指した。「土方様、今晩は。」「おや、誰かと思えば飯沼美紀さんではありませんか?あまりにもお綺麗なのでどちらのお嬢様なのかと思いましたよ。」「まぁ、お世辞でも嬉しいわ。」華やかなドレスを纏った美紀は、そう言うと鈴を転がすような声で笑った。「美紀さん、こちらにいらしていたのですね?おや、こちらの方は?」歳三と美紀の前に、漆黒の燕尾服姿の青年がやってきた。「土方様、こちら医学生の松本雄介様よ。松本様、こちらの方は土方歳三様よ。」「初めまして、土方先生。お会いできて光栄です。」「こちらこそ。松本君は、美紀さんとはどのような関係なのですか?」「それはお察しください。土方先生、戦地へ行かれるそうですね?」「ええ。」「戦地では馬賊が暗躍していると噂で聞きました。それと、あまり軍の人間を信用しないほうがいいですよ。」「それは、一体どういう意味でしょうか?」「それは・・」「土方様、わたくし達はこれで失礼いたします。」美紀はそう言うと、松本の腕を強くひいて歳三に背を向けて去っていった。「美紀さん、さっきのは一体どういうつもりなのですか?」「土方様は、いずれ戦地に派遣されるのですよ?そんな方に、おかしなことを吹き込まないでくださいな。」「美紀さん、あなたもしかして・・」松本がそう言って美紀を見ると、彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。「わたくし、土方様のことが心配で堪らないの!もしあの方が、戦地で命を落されるのだろうかと思うと・・」「あなたは、お優しい方なのですね。」松本は、泣きじゃくる美紀の肩をそっと抱いた。「いつまで、こんな穏やかな時が続くのかしら?」「さぁ、それはわかりません・・すべては、神様がお決めになることです。」「そうですわね・・」 一方、長崎では千尋が満州から届いた荷物を解いていた。「その荷物、お父様からなの?」「ええ。みんなのお土産も入っていますから、お夕食をいただいた後みんなで見ましょうね。」「はい、お母様!」にほんブログ村
May 4, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「林田さん、どうしてあなたがここに?」「土御門君、君もここに来たということは、もしや風邪で倒れた土方の名代かい?」「それは・・」「おや、二人とも揃ったようだね。」廊下で林田と一馬が睨みあっていると、二人の前に宮田が現れた。「宮田さん、土方は風邪で倒れてしまって、わたくしが名代で参りました。」「さっき土方君から電報が届いたよ。さてと、こんなところで立ち話をするのもなんだから、部屋に入ろうじゃないか?」「わかりました。」 宮田の部屋に入った林田と一馬は、彼が淹れてくれた紅茶を飲みながら、宮田が自分たちに話を切り出すのを待っていた。「宮田さん、お話というのは何でしょうか?」「土方君が、戦地に派遣されることが正式に決まったよ。」「そうですか・・宮田さん、土方先生は下のお子さんがまだ産まれたばかりです。どうか・・」「君が言いたいことはわかるがね、もうこれは決定したことなのだよ。一度決定したことを覆すことなど不可能だ。」「宮田さん・・」落胆の表情を浮かべた一馬とは対照的に、林田は嬉しそうな顔をしていた。「宮田殿、戦地ではあなた方の力となれるよう、頑張ります!」「君達には、期待しているよ。」 関東軍本部を後にした一馬は、その足で歳三が泊まっているホテルへと向かった。「土方先生、大丈夫ですか?」「ああ。薬飲んだら少しはよくなった。」そう言って歳三は一馬に笑みを浮かべたが、まだ彼は熱に魘(うな)されていたようで、呼吸が荒かった。「一馬君は、寒さには慣れているのか?」「ええ。どちらかというと、わたしは夏の暑さに弱くて・・夏はよく、体調を崩して養父母に心配をかけていました。」「そうか・・そういやぁ、遼太も夏になると学校を休みがちになっていたなぁ。やっぱり、双子っていうのは同じ事が起きるものなんだなぁ・・」「まぁ、そうでしょうね。土方先生、葛根湯でもおいれしましょうか?」「ああ、悪いな・・」昼過ぎになると、午前中晴れていた天気が急に荒れ始め、冷気を含んだ風が窓硝子を叩いた。「一馬君、もう帰ったほうがいいんじゃないか?」「いえ、暫くここにいます。」「そうか・・帰るときは声をかけてくれ。」「わかりました。」歳三は激しく咳込みながら、ベッドのサイドテーブルに置いてある封筒を手に取った。それは、11月に三男・顕人(あきと)を出産した千尋からの手紙だった。『旦那様、顕人が産まれてから一ヶ月になりますが、毎日が忙しく、一日があっという間に過ぎてゆきます。満州の冬は厳しいものだと聞いております。お風邪を召されたら、無理をせずにゆっくりとお休みになってくださいね。千尋』手紙に同封されていた顕人の写真を眺めながら、歳三はそっと写真に写る我が子の顔を撫でた。「顕人ちゃんというのですか?」「ああ。早く、千尋たちに会いてぇなぁ・・」「きっと会えますよ。」 12月14日、歳三は半年間の任期を終え、帰国する日を迎えた。(やっと、日本に・・千尋たちの元に帰れる!)だが、運命は残酷だった。にほんブログ村
May 3, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 1940(昭和20)年12月、新京。満州へ来てから半年が経ち、歳三は初めて満州で冬を迎えた。満州の冬は長崎のそれとは比べものにならないほど厳しく、歳三は朝起きると骨まで凍えてしまいそうな寒さに毎日襲われていた。「おはようございます、土方先生。」「おはよう・・」「大丈夫ですか?」出勤してきた歳三の声が少し嗄(か)れていることに気付いた一馬がそう彼に声をかけると、歳三は激しく咳込んだ。「風邪をお召しになったのですか?」「そうかもしれねぇなぁ。」「余り無理をなさらないでくださいね。」「わかってるよ・・」「土方君、これから滑りに行かないかい?」「正気かよ、大鳥さん!?こんなくそ寒い中でスケートなんか出来るかよ!」「そんな事言わないで、行こうよ!」「おい、ちょっと待って・・」大鳥に半ば強引に診療所から連れ出され、歳三は新京市内にあるスケートリンクの上に立っていた。「ったく、何で俺がこんなところに・・」「土方君、早く~!」「うるせぇなぁ、すぐ行くよ!」歳三は溜息を吐くと、スケート靴を履いて大鳥の元へと滑っていった。「土方さん、お久しぶりです。」「沖田さん・・お久しぶりです。」「スケートの方は如何です?」「実は、もう現役を引退しようと思いまして・・戦況が悪化して、スケートに打ち込めるような状況ではなくなっていますからね。」「そうですか・・それは残念だな、沖田さんの美しい舞を氷上で見ることができないなんて。」「戦争が終わったら、またスケートを再開しますよ。楽しみは後にとっておいたほうがいいものです。」「そうですね。」「それじゃぁ、僕はこれで。」総司はそう言って歳三と大鳥に向かって手を振ると、そのままスケートリンクの端の方へと滑っていってしまった。「なぁ大鳥さん、もう帰ろうぜ?」「わかった。」スケートリンクから診療所に戻った歳三と大鳥が事務室に入ると、そこには関東軍の軍服を着た一人の青年がソファに座っていた。「土方先生、お客様です。」「初めまして土方様。わたくしは、西岡拓馬と申します。」「俺に何か用か?」「宮田さんから先ほど伝言を預かって参りました。明朝7時に、関東軍本部においでくださるようにとのことです。」「わかった。」 翌朝、歳三は激しく咳込みながらベッドから起き上がったが、熱で頭がフラフラして苦しかった。「土方先生、どうなさったのですか?」「土御門君、俺の代わりに関東部本部に行ってくれねぇか?」「わかりました。」 一馬が歳三の代わりに関東軍本部に向かうと、そこには林田の姿があった。にほんブログ村
May 3, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「宮田さん、これは一体どういう事なんですか!?」 関東軍本部に行った歳三は、そう言うと先程自分の元に届いた電報を宮田に突き付けた。そこには、歳三が本日付をもって軍属医師に任ずるという一文が書かれていた。「これはもう、決定したことなのだ。」「わたしは先日、お断りしましたよね?それなのに、何故・・」「君ほど才能のある医者を、診察所に置いておくよりもいいと思ってね。」「宮田さん、もしかして誰かに変な事を吹き込まれたんじゃありませんか?」「君、滅多な事を言うものではないよ?」宮田はそう言うと、眼鏡のフレーム越しに歳三を鋭い眼光で睨みつけた。「すいません・・」「これから、色々と忙しくなるが、宜しく頼む。」「はい、わかりました・・こちらこそ、宜しくお願い致します。」意気消沈した様子で診療所に戻ってきた歳三の姿を見た一馬は、嫌な予感がして彼の元へと駆け寄った。「どうなさったんですか、土方先生?」「宮田さんは、俺を本日付で軍属医師に任じた・・これはもう、決定事項だそうだ。」「そんな・・」「土方君、それは本当かい?」「ああ。漸く診療所での仕事に慣れたと思ってきたのに、まさかこんな事になるなんて・・」「土方君、今日はホテルに戻って休んでくれ。後のことは、僕達がやるから。」「頼む、大鳥さん。」歳三はそう言って自分の机の上に置いてある鞄を掴むと、事務室から出て行った。「土方様、お手紙が届いております。」「有難う。」 ホテルのロビーでフロント係から千尋の手紙を受け取った歳三は、部屋に入ると封筒の封を切って中身を取り出した。“旦那様、お元気にしておられますか?わたくし達は、元気で過ごしております。双子達はいつもやんちゃばかりして、姐さんや女将さん達を困らせてばかりいます。旦那様が居なくなって、あの子達はきっと寂しいのだと思います。お腹の子は順調に育っております。クリスマスまでには、戻って来てくださいね、千尋”歳三は何度も千尋の手紙を読み返しながら、涙を流した。彼女はこれから自分が戦地へ赴く事など知らず、自分の帰りを子ども達と一緒に待っているのだ。(済まねぇ、千尋・・俺は当分、お前達の元には帰れそうにねぇ・・)歳三の涙は、千尋の流麗な文字の上にぽたぽたと落ちていった。「林田先生、お話があります。」「何だい、僕に話って?」「林田先生、あなたまさか土方先生を戦地へ行かせたい為に、宮田さんに変な事を吹き込んだんじゃぁないでしょうね?」「僕がそんな事をすると思うかい?」「いいえ・・ただ、林田先生と土方先生は犬猿の仲だと大鳥先生がおっしゃっておられたのを聞きまして・・」「土御門君、何でもかんでも人を疑うのは良くないよ?」林田はそう言うと、一馬の肩を軽く叩いて彼に背を向けて廊下を去っていった。にほんブログ村
May 2, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「一度遼太に会った?どこで会ったんだ?」「兄が吉原で男娼をしているという噂を聞いて、兄が働いている遊郭に一度行って、そこで嵯峨太夫として活躍している兄と会いました。兄は最初、わたしが誰だかわからなかったようでした。」「そりゃあそうだよな。でも、一馬君は遼太に気付いたんだろう?」「ええ。養父母に兄の写真を一度見せてもらったことがありましたから・・兄は、わたしが自分とお揃いのロザリオを見た瞬間、涙を流しながらわたしを抱き締めてくれました。」一馬はそう言うと、涙を堪えるように天を仰ぎ見た。「遊郭で兄がどんな暮らしをしているのか、わたしは彼と会った瞬間わかりました・・兄の頬は、白粉を塗っても痩せこけているのがわかりましたから・・」「遼太は、労咳を患っていたんだ。しかも、俺と再会した時はもう手の施しようがない状態だった。」「そうでしたか・・土方さん、兄は苦しまずに逝けましたか?」一馬の言葉を聞いた歳三は、一瞬息に詰まった。彼の脳裏に、遼太が亡くなったあの日の夜の光景が甦ってきた。遼太は、想い人を庇って彼の命を狙う刺客に殺された。その事実を一馬にどう告げようかどうか歳三は暫く迷った後、彼に嘘を吐いた。「ああ、苦しまずに逝ったよ。」「そうですか・・」「一馬君、これから君はどうするつもりなんだい?」「それは、どういう意味ですか?」「今日、関東軍参謀の宮田さんから、戦地に来てくれないかと誘われた。」「そのお話を、土方先生はお受けするおつもりなのですか?」「いや・・暫く時間をくれと宮田さんに言ったよ。そしたら、彼は一週間待つと・・」「日中戦争が始まってから8年も経ちますが、戦況は良くなるどころか悪化の一途を辿っています。そのような時期に戦地へ赴くのは、無駄死にするようなものです。」「そうだな。俺には、妻と三人の子供が居る。それに冬頃には、四人目も生まれる予定だ。生まれてくる赤ん坊の顔を見ずに死ぬのは、嫌だ。」 一週間後、歳三は関東軍本部に行き、宮田の誘いを断った。「そうか、君がそう決めたのならば、わたしは君に戦地へ行けと無理強いはしない。」「有難うございます、宮田さん。それでは、俺はこれで失礼いたします。」歳三が宮田の部屋から出たとき、彼は廊下で林田と擦れ違った。「林田、お前関東軍に何の用だ?」「そんなの、君には関係のないことだろう。」林田はそう言うと、歳三を睨んで宮田の部屋へと消えていった。「ほう、君は土方君とは医学校時代の同期か・・」「ええ。宮田殿、彼と一体何をお話ししていたのですか?」「彼に我々とともに戦地に来てくれないかと誘ったが、家族の為にそれは断りたいと言ってきてね。」「そうですか・・土方ほどの有能な医者が、戦地にいれば宮田さん達のお仕事も多少は捗るでしょうなぁ・・」「何が言いたいのだね、林田君?」「宮田さん、土方は必ずお国の為に役に立つ男です。彼が宮田さんの誘いを断ったのは、自分がお国の為に戦地へ向かうことをおおっぴらに話すのが恥ずかしいからなのですよ。」「ほう、そうか・・」林田の言葉を聞いた宮田は、そう言うと目を細めた。「土方先生、関東軍から電報です。」「有難う。」 翌朝、歳三は診療所の事務室で関東軍から自分宛に届いた電報に目を通した。「土方先生、どちらへ?」「関東軍本部に行ってくる。一馬君、俺が留守の間、患者さんの診察をしてくれないか?」「わかりました。」にほんブログ村
May 2, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様「閣下、土方歳三をお連れ致しました。」「入れ。」「失礼いたします。」男とともに歳三が部屋に入ると、窓の前に置かれている椅子に、一人の男が座っていた。男は中肉中背で、眼鏡をかけていて髪を七三に分けていた。「初めまして、土方君。急に君を呼び立ててしまってすまないね。わたしは関東軍参謀の、宮田恵一だ。」「関東軍のお偉いさんが、俺に何の用だ?」「貴様、口を慎まんか!閣下は・・」「済まないが、土方君と二人きりにしてくれないかな?」「わかりました。」歳三の隣に立っていた真一文字男は、じろりと彼を睨みつけると部屋から出て行った。「俺を何でここに呼んだ?」「実は、君の実家が所有している鉱山を、我々に譲ってくれないだろうかと君に頼むために、部下に命じて君をここへ連れてきたんだよ。」「まず人に頼み事をするときは、自分から出向くのが礼儀ってものじゃねぇのか?」歳三がそう言って宮田を睨むと、彼は溜息を吐いた後一枚の書類を彼に手渡した。「これは?」「ウルムチで炭鉱を作る計画が今進められていてね、この書類はその事業計画書だ。」「そんな重要な書類を、俺に見せてもいいのか?」「構わんよ。君の実家である土方財閥は、もし自分の会社が所有する炭鉱で落盤事故が起きても、何処かの誰かさんのように秘書に責任を押し付けてソ連へ逃げるような輩は居ないだろうからね。」宮田は遠回しに二週間前で起きた落盤事故の、樽崎興産の杜撰な対応をそう皮肉ると、椅子に座って机の上に置かれているマグカップを手に取り、珈琲を一口飲んだ。「お褒めにあずかり、光栄です。それで宮田さん、俺は一体何をすればいいんですか?」「今後戦況はますます悪化の一途を辿るだろう。土方君、我々とともに戦地へ来てくれないか?」「それは、俺に一介の兵士として戦えということですか?」「いや、そうじゃない。君のように外国語に堪能で腕が立つ外科医は満州中捜してもなかなか見つからない。」「少し考えさせてください・・」「わかった。一週間待とう。」「では、俺はこれで失礼します。」関東軍本部を後にした歳三は、そのまま健康診断が行われている小学校へと向かった。「土方先生、今までどちらに?」「ちょっと関東軍に呼び出されてな、関東軍本部にさっきまで居たんだ。健康診断は?」「まだ始まっておりません。準備の方を宜しくお願いいたします。」「わかった。」 小学校の健康診断は、思いの外時間が掛かった。歳三たちが担当したのは、三年生の児童達約300人余りだったが、彼らは廊下を走り回ったり私語をしたりと、やりたい放題だった。「ったく、ガキの相手は疲れるな・・」漸く最後の一人の診断を終えた歳三は溜息を吐くと、首に提げている聴診器を鞄の中にしまった。「先生、今夜お時間ありませんか?」「ああ、あるが・・」「今夜先生に一杯付き合って欲しいのです。兄のことも、聞きたいので・・」「わかった。」 その日の夜、一馬に案内され、歳三は新京駅に近いバーで彼と飲んだ。「実はわたし、あなたに嘘を吐いてしまいました。」「嘘?」「昨日わたしは兄とは一度も会えなかったと申しましたが、実は兄が死ぬ前に、一度会っているんです。」にほんブログ村
May 1, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 ベッドサイドに置かれている電話がけたたましく鳴り、歳三は呻きながら受話器を手に取ってそれを耳にあてた。『土方様、お客様がロビーにお見えです。』「わかった、今行く・・」歳三は二日酔いで痛む頭を擦りながら、素早く身支度を終えて部屋から出てロビーへと向かった。「あなたが、土方先生ですね?」「遼太・・遼太なのか?」ロビーのソファから立ち上がった青年は、苦界に身を堕ち、自分の腕の中で息を引き取った親友・土御門遼太と瓜二つの顔をしていた。「いいえ、わたしは遼太の双子の弟の、一馬と申します。」「遼太に、弟が居たのか・・知らなかったな。」「わたくしは生まれてすぐに北実篤家に養子に出されましたから、実家である土御門家の没落を北実篤の養父母から聞いて驚きました。」土御門一馬と歳三に名乗ったその青年は、そう言って溜息を吐いた。「そうか・・あんたにそんな事情があったなんて、知らなかった。」「兄の遼太が廓に売られて、嵯峨太夫として名を遺したことは存じておりましたが、生きている内に兄と再会できなくて残念です。ですが、こうして兄の恩人である土方先生とお会いできて、光栄です。」「俺もだ。それで、俺に何か用か?」「大鳥さんから、早く診療所に土方さんを呼んで来いと言われまして・・」「そうか、済まねぇな。それじゃぁ、行こうか?」「ええ。」 歳三が一馬とともに診療所へと戻ると、事務室から大鳥が出てきた。「随分と遅い出勤だったね、土方君?どうせ君のことだから、部屋で酔い潰れていたんだろう?」「済まねぇ、大鳥さん。」「謝るくらいなら、こういう事は二度として欲しくないな。」大鳥はそう言って歳三を睨むと、事務室の中へと戻っていった。「鈴田さん、今日は小学校の健康診断があるんだろう?」「ええ。昼の2時に行う予定ですから、まだ時間はたっぷりあります。」「そうか・・じゃぁ、昼飯を食う前にこれを片付けないと・・」歳三は自分の前に山積みにされている書類の山を見て、溜息を吐いた。「先生、お昼はどうなさいますか?」「適当に済ませる。」「そうですか。それではわたくしはこれで失礼いたします。」鈴田が他の看護婦たちとともに診療所から出て行き、診療所の事務室には歳三一人だけとなった。「あ~、やっと終わったぁ。」書類仕事を終えた歳三は、凝り固まった筋肉を解すように右腕を大きく回した。その時、誰かが診療所の戸を激しく叩く音がした。「はいはい、今行きますよ。」歳三がそう言いながら診療所の戸を開くと、関東軍の軍服を着た数人の男たちが診療所に入ってきた。「何だ、てめぇら!」「君が、土方歳三か?」「そうだが・・あんたら、一体何者だ?」「失礼、突然で済まないが、我々とともに来て欲しい。」「はぁ!?」有無を言わさず、歳三は男達に無理矢理車に乗せられた。「なぁ、一体何処に行くんだ?」「それは、着いたらわかる。」「それじゃぁ、答えになってねぇだろうが!」 やがて歳三たちを乗せた車は、関東軍本部の正門を抜けて建物の前で停まった。「お足もとにお気をつけてください。」男達とともに車から降りた歳三は、建物の中へと入った。「なぁ、ここまで来て俺を呼んだのがどこのどいつなのか、教えてはくれねぇのか?」「じきにわかります。」歳三の隣に立っている男はそう言うと、口を真一文字に結んだまま廊下の奥にある部屋のドアをノックした。にほんブログ村
May 1, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様『お母さん、落ち着いて下さい。我々が現場に駆け付けた時、息子さんはもう・・』『言い訳なんて聞きたくない!お前達が息子を殺したんだろう!』女性はそう叫ぶと歳三を睨みつけた後、彼の髪を両手で鷲掴みにした。『息子を返せ、この人殺し!』『お母さん、落ち着いて下さい!』歳三は女性に顔を殴られ、そのまま気を失った。「土方君、大丈夫かい?」「ああ。さっきの人は?」「もう帰って貰ったよ。さっき入った情報なんだが、落盤事故の犠牲者の遺体がまた現場から発見されたよ。」「そうか・・」「落盤事故からもう一週間が経ったけれど・・まだまだ犠牲者が増えそうだね。」「樽崎興産は、事故のことについて何て言っているんだ?」「社長は新山一人に事故の説明を遺族達にするよう押し付けて、彼はソ連に向かったよ。全く、自分が経営する炭鉱で事故が起きたっていうのに、無責任だよ。」「ああ、そうだな・・俺の親父なら、事故後の対応を他人任せにせずに、現場に足を運ぶだろうよ。」歳三はそう言うと、診察室に置いてあるベッドから起き上がった。「今夜、落盤事故の犠牲者たちの合同葬儀があるんだが、君も行くかい?」「ああ・・」 その日の夜、落盤事故の犠牲者たちの合同葬儀が、新京市内の葬祭場で行われた。 樽崎興産の炭鉱で働いていた坑夫達は、朝鮮人や中国人が多く、犠牲者たちは20代から50代の、朝鮮人坑夫だった。喪服に身を包んだ歳三達が葬祭場に入ると、中には白い喪服姿の遺族達や、彼らの親族達が泣き叫ぶ声がこだましていた。『息子はもうすぐ結婚する予定だったのよ、それなのにどうしてこんな事に~!』『あぁ、悔しくて堪らないわ、息子と夫は日本人に殺されたのよ!』遺族達の怨嗟の声を聞きながら、歳三達は献花台に花を供え、犠牲者たちの冥福を祈った。歳三が葬祭場を後にしようとした時、乳飲み子を抱いて呆然と天を仰ぎ見ている白い喪服を着た若い未亡人が、葬祭場の隅に座っていた。その未亡人の姿と、千尋の姿が重なった。もし自分が不慮の事故で死んだら、千尋や子ども達は一体どうなってしまうのだろうか。あの未亡人のように、呆然と天を仰ぎ見ながら、夫の死が現実であることを受け止めようとしないのだろうか。「土方君、行くよ。」「わかった・・」葬祭場から出た歳三は、ホテルの部屋に戻って一人で酒を浴びるように飲んだ。「出ないなぁ・・」「大鳥先生、どうされました?」「土方君、電話に出ないんだよ。ホテルの部屋で寝ているのかなぁ?」「わたしが行きましょうか?」「済まないね、土御門君。君だってここに来て色々と忙しいのに。」「いいえ。土方先生には、兄の事で色々とお世話になりましたから、そのお礼を言いにいきたいんです。」大鳥の前に立っている青年は、そう言うと屈託のない笑みを大鳥に浮かべた。「すぐに戻って来ます。」「わかった、気を付けてね。」にほんブログ村
Apr 30, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様 落盤事故の犠牲者たちの遺体は、近くにある小学校の体育館に安置された。坑夫達の生存を信じていた家族達は、変わり果てた姿となった夫や父親、息子達の姿を見て涙を流し、中には悲しみの余り気絶する者もいた。『どうしてうちの息子がこんな目に~!』『一体これはどういうことなんだ、ちゃんと説明しろ!』『うちの息子は何故死んだんだ!』一家の稼ぎ手を失った家族達は、事故の対応に追われている新山に詰め寄った。「事故については、原因を只今究明しているところでして・・」『息子を返せ~!』『この人殺し!』額の汗をハンカチで時折拭いながら、新山は遺族達にそう説明したが、彼らの怒りは収まらず、新山に向かって石を投げつける者も居た。『お前達の所為で息子は死んだんだ!』『うちの人を返せ!』『父さんを返してよ、人殺し!』遺体安置所となった体育館は、遺族達の怒号や泣き叫ぶ声が響いた。診療所では、落盤事故の負傷者達を歳三達が治療していた。「何とか落ち着きましたね、先生。」「ああ・・」額の汗を白衣の袖口で乱暴に拭いながら、歳三は溜息を吐いた。「これからどうなるのでしょうね、樽崎興産は?」「さぁな。百人も犠牲者が出たんだから、責任追及は逃れられないだろう。」「そうでしょうね。」「土方君、一段落してお茶でも淹れようか?」「頼む、大鳥さん。」診察室から歳三が出て来ると、待合室には患者の家族が長椅子で互いの身を寄せ合うようにして座っていた。『先生、うちの息子は!?』『安心してください、息子さんはもう大丈夫ですよ。』左足が痛いと歳三に訴えていた青年の母親は、歳三の言葉を聞くと安堵の表情を浮かべた。『先生、ありがとうございます!』『今は薬で眠っています。数日もすれば退院できるでしょう。』『ありがとうございます。』青年の母親は、何度も歳三に向かって頭を下げると、診療所から出て行った。 診療所の奥にある病室に入った歳三は、落盤事故の生存者たちは皆暗い表情を浮かべていることに気づいた。彼らは、坑道の出入口近くに居て辛うじて落盤事故発生時に坑道から外へと逃げ出せた。だが、彼らの同僚達は薄暗いトンネルの中で命を落とした。「土方先生、お茶がはいりました。」「ああ、有難う。」「今回の事故は、悲惨なものでしたね。」病室から出た鈴田は、そう言うと溜息を吐いて歳三を見た。「これから、生存者達の精神状態に気を配ってくれ。同じ現場に居ながら、どうして亡くなった仲間達を助けられなかったんだって、自責の念にかられる奴が今後出て来るだろうから・・」「わかりました。」 歳三が鈴田とともに事務室に戻ると、そこには髪を振り乱しながら一人の女性が大声で泣き喚いていた。『どうしてうちの息子を助けられなかったんだ、この人殺し!』彼女は、落盤事故で亡くなった青年の母親だった。にほんブログ村
Apr 30, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 歳三と鈴田が自転車で落盤事故があった炭鉱に向かうと、事務所の前には、負傷者が担架に寝かせられていた。「一体何が起きたんですか!?」「突然坑道が崩れて・・中にまだ人が居るんです!」事務所の前に寝かせられている負傷者を診察していた歳三は、事務所に黒塗りの車が入ってきたのを見た。「社長!」「おい、一体何があった?」「落盤事故が発生しました。負傷者の数はまだ正確に把握できておりません。」「落盤事故だと!?」車から降りて来た樽崎興産社長・雄一郎は、そう言うと秘書を睨んだ。「ソ連の会社との取引を控えているというのに、よくも落盤事故を起こしてくれたな!この事故の所為で我が社の信用が落ちたらどうする!?」「申し訳ありません、社長・・」「事故の事は、まだ誰にも嗅ぎつけられていないだろうな?」「ええ。」「この事は誰にも口外するな、わかったな?」「わかりました・・」「樽崎社長、それは一体どういう意味ですか?」「何だ、貴様?」「わたしは土方歳三といいます。」「土方・・貴様が、あの土方の義理の倅か。診療所に新しい医者が赴任してきたという話を聞いたが・・まさか、土方の倅だったとは。」雄一郎はそう言うと、歳三を睨んだ。「あなたのお嬢さんが、先程診療所にいらしてわたしにサンドイッチを差し入れてくださいました。お嬢さんに、わたしの方から宜しくと伝えておいてください。」「わかった、伝えておこう。土方君、まさかうちの娘を嫁に貰おうなどということは考えていないだろうね?」「いいえ。わたしには日本に残してきた妻子がおりますので、そのような事は考えておりません、ご安心ください。」「そうか・・」「土方先生、来て下さい!」「では仕事に戻りますので、失礼致します。」歳三はそう言って樽崎に頭を下げ、彼に背を向けて患者の元へと戻った。「中には何人くらいの方が残っているのですか?」「そうですね・・まだ百人ほど中に取り残されています。俺は入口の近くに居て助かったんですが、他の皆は奥の方に居て・・」「これから、負傷者が増えそうですね。土方先生、一旦診療所に戻って、薬や包帯を補充しておきます。」「鈴田さん、宜しくお願いします。」炭鉱を出た鈴田の背中を見送った後、歳三は再び負傷者の治療にあたった。「何処か痛いところはありませんか?」『足が、足が痛い・・』朝鮮人の坑夫は、そう言うと左足に走る激痛で顔を顰めた。『もうすぐ消毒しますので、我慢してくださいね。』『中に居る人達は、無事なのか?』『それはまだわかりませんが、皆さんが無事であるよう祈っています。』歳三が坑夫と炭鉱の中に取り残された生存者の事を話していると、坑夫達の家族が事務所に押しかけてきた。「一体どうなっているんですか!」「二ヶ月前も事故を起こしたばかりじゃないですか!それなのに、また事故が起こるなんて・・この会社は、一体どういう管理をしているんですか!?」「皆さん、落ち着いて下さい!炭鉱の中に取り残されている皆さんのご家族は、必ず救出いたしますから・・」 落盤事故から数日後、歳三は炭鉱の中に取り残された百人余りの坑夫達が全員死亡したという報せを樽崎の秘書・新山から聞いて絶句した。にほんブログ村
Apr 30, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「女将さん、ラーメンご馳走様でした。」「ありがとうございます。」「この店を始めたのは、いつからですか?」「そうですねぇ、8年前からです。主人と満州に移住してすぐのことで、その頃はまだラーメン作りではド素人で・・」「色々とご苦労されたのですね?」「ええ。でも主人と二人三脚で、今まで頑張って来ました。」『紅龍』の女将・美華子はそう言うと、カウンター席に腰を下ろした。「ご主人は今日、どちらに?」「主人なら、家で休んでおります。最近腰痛が酷くて、店にはわたし一人しか出ておりません。」「そうですか・・また、食べに行きますね。」「ええ、お待ちしております。」『紅龍』から出て診療所に戻った歳三は、待合室で数人の女性達が自分の方を見ている事に気づいた。「何か、わたしにご用ですか?」「土方歳三様ですわよね?」「ええ、土方はわたしですが、あなたは?」「初めまして。わたくし、樽崎由美子と申します。」振袖姿の女性はそう歳三に自己紹介すると、彼に風呂敷包を手渡した。「あの、これは?」「お昼、まだ頂いていないだろうと思いまして・・わたくしからの差し入れです。」「まぁ、わざわざ有難うございます。」歳三はそう言って由美子から風呂敷包を受け取ると、彼女は嬉しそうな顔をして友人達を見た。「それじゃぁ、わたくしはこれで。」「差し入れ、ありがとうございました。」 事務室に入り、自分の席に座った歳三は、由美子から渡された風呂敷包を解いた。藤製のバスケットに入れられたサンドイッチを見た歳三は、ふと長崎に残してきた千尋達のことを想った。「まぁ、美味しそうなサンドイッチですね。」「鈴田さん、おひとついかがですか?」「宜しいのかしら?」「ええ。お昼はもう済ませて来ましたから。」「それじゃぁ、遠慮なく頂きます。」鈴田はそう言うと、バスケットの中からサンドイッチを一個取り出してそれを一口頬張った。「美味しいですわね。このサンドイッチ。どなたがお作りになったの?」「樽崎由美子様という方がさっき待合室にいらして、わたしにサンドイッチを差し入れてくださいました。」「樽崎由美子様というと・・樽崎興産の社長のお嬢様ですわ。」「鈴田さん、彼女の事をご存知なんですか?」「ええ。樽崎さんといえば、満州や上海に大きな工場を持っていらっしゃる資産家の方ですよ。確か、土方先生のご実家も資産家でしたわよね?」「ええ・・北海道と九州に炭鉱を所有しております。」「そうですか。それでは、樽崎さんと土方さんは、商売敵ということになりますね。」「そうなりますね。」歳三が鈴田とそんな事を話していると、突然外から天が崩れ落ちるような轟音が響いた。「何だ!?」「土方先生、炭鉱で落盤事故が発生しました!」「怪我人は?」「詳しい状況はわかりません。」「そうか。鈴田さん、一緒に炭鉱までついてきてくれないか?」「わかりました。」にほんブログ村
Apr 30, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「今日はあんたの所為で、朝からついてねぇ。」「それはこっちの台詞だよ。」自転車とぶつかった際についた顔の傷の上に絆創膏を貼りながら、大鳥はそう言って溜息を吐いた。「林田、来るかな?」「さぁね。」「大鳥先生、林田先生は今日お休みを取られるそうです。」「そうか。」看護婦から林田が欠勤する事を聞いた大鳥は、電話の受話器を置いて歳三の方に向き直った。「さっきの電話、聞いたかい?」「ああ。林田の奴、逃げやがったな。」「土方君、今度林田先生と会っても、彼と喧嘩しないようにね。」「わかったよ。」「大鳥先生、失礼致します。」看護婦の鈴田が事務室に入ってきたので、大鳥は彼女に歳三の事を紹介した。「鈴田さん、こちらは今日からここで働く事になった土方歳三先生。土方君、看護婦の鈴田君だ。」「どうも。」「初めまして、鈴田です。昨夜は大変でしたね?」「鈴田さん、あの中国人達はただ診療所に講義をしに来ただけです。」「その事はわたくし達も解っております。林田先生の対応が不味かった所為で、彼らは激昂した結果、あのような行動を・・」「林田は、今日休みを取っているが・・一体奴はどうするつもりなんだ?」「さぁ、それはわかりません。それよりも土方先生、間もなく開院の時間となりますから、準備の方を宜しくお願いしますね。」「わかりました。」 歳三はそう言うと、白衣をスーツの上に羽織った。「土方先生、もうすぐお昼ですよ。」「そうか・・それにしても、疲れたなぁ・・いつも、こんなふうに忙しいのか?」「いいえ。ただ、今日は何かと立てこんでいて忙しいだけです。」鈴田はそう言うと、歳三の前に茶を置いた。「どうぞ。」「ありがとう。」歳三は茶を一口飲みながら、自転車とぶつかった時に痛めた左手を擦った。「大丈夫ですか?」「こんなのかすり傷だ、大したことねぇよ。」「消毒します。」「いや、いい。自分でする。」救急箱から消毒薬を取り出した歳三は、左手にそれを浸したガーゼを押し当てた。「お昼、何にします?」「何処か近くで美味しい店はあるか?」「ええ。ここから出て右に曲がった所に、美味しいラーメン屋がありますよ。」「そうか、ありがとう。」脱いだ白衣をコート掛けの上に掛けると、歳三は事務室から出て行った。「ここか・・」 診療所から出た歳三は、鈴田から教えて貰ったラーメン屋『紅龍』に入った。「いらっしゃい!」「すいません、お勧めのラーメンを教えて下さいませんか?」「うちは味噌ラーメンが名物なんですよ。」「それじゃぁ、味噌ラーメンひとつお願いします。」「はいよ!味噌一丁~!」「味噌一丁~!」割烹着姿に姉さん被りをした女将は、歳三に笑顔を浮かべると厨房の奥に消えた。「味噌ラーメン、どうぞ。」「有難うございます。」『紅龍』の味噌ラーメンは、美味かった。にほんブログ村
Apr 29, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「何するんだ!」「てめぇさっき、この診療所は日本人専用だとぬかしやがったな?」「僕は事実を言ったまでのことだ、それの何が悪い!」「てめぇ、また痛い目に遭わねぇとわからねぇのか!」歳三が再び拳で林田の頬を殴ろうとしたとき、大鳥が慌てて二人の間に割って入った。「土方君、暴力はだめだ!」「畜生、放せ!」「いい加減にしたまえ!」大鳥は暴れる歳三の頬を平手で打った。「今日はホテルに戻って、頭を冷やしたほうがいい。林田君、君も家に帰りたまえ。」「大鳥さん、土方を庇うおつもりですか?僕は、被害者なんですよ!」「そんなことはわかっている。詳しい話は明日、君と診療所の看護婦たちから聞こう。」「わかりました・・」歳三に殴られた頬を擦りながら、林田はわざと歳三の肩にぶつかって診察所から出て行った。「大鳥さん、済まねぇ・・つい、カッとなっちまって・・」「赴任初日から、散々な目に遭ったね。土方君、今夜は一杯付き合って貰うよ?」「わかったよ・・」その日の夜、大鳥とともに歳三は新京の駅にほど近い飲み屋で彼と飲んだ。「ったく、林田の野郎、ふざけやがって!明日会ったらタダじゃおかねえ!」「土方君、飲みすぎだよ・・」「うっせぇ、あんたが誘ったんだろう?今更ケチってるんじゃねぇよ!」ビール一杯ですっかり泥酔してしまった歳三は、大鳥に向かって管を巻きながら、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。「あ~あ、もう・・土方君、起きて。」「う~」大鳥は酔い潰れた歳三を店員に協力して貰いながら彼をタクシーに乗せ、ホテルまで送った。「土方君、起きて、朝だよ~!」「うるせぇなぁ、もう少し寝かせろよ。」 二日酔いで痛む頭を擦りながら、歳三がホテルのベッドでそう言って寝返りを打つと、自分の目の前に大鳥の顔が現れ、彼は思わず悲鳴を上げてベッドから転げ落ちてしまった。「そんなに驚くことないじゃないか?」「あんた、何処から入ってきたんだ?」「何処からって・・昨夜君が酔い潰れたから、ここまで僕が店から部屋まで運んできたんだよ?」「そうか。今、何時だ?」「もう9時過ぎだよ。」「へぇ・・って、もう遅刻じゃねぇか!」歳三はそう叫ぶと、ベッドから飛び起きてクローゼットの中からスーツとワイシャツを取り出した。「あんた、何で早く起こしてくれなかったんだ!」「だって君、何度も起きてって言ったのに全然起きなかったじゃないか!」「なんだよ、俺の所為だっていうのかよ!?」診療所へと向かう途中、大鳥とそんなくだらない会話を交わしていると、歳三は自分に向かって突っ込んでくる自転車に気付いた。「土方君、危ない!」歳三は咄嗟に自転車を避けようとしたが、間に合わなかった。「大鳥先生、おはようございます。」「おはよう。」「あの、その顔の傷はどうなさったんですか?」「ちょっと急いでいるときに自転車とぶつかっちゃってね。大したことないから気にしなくていいよ。」「わかりました・・あの、今日から新しい先生がいらっしゃると聞いたのですが・・」「ああ、彼ならもうすぐ来る筈だ。」大鳥がそう言って診療所の正面玄関を見ると、派手な音を立てながら歳三が診療所に入ってきた。にほんブログ村
Apr 29, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「一体あそこで何が起こっているんだ?」「そんなの、知るか!」新京市内のホテルに泊まった歳三と大鳥は、ホテルのティーサロンで紅茶を飲みながら、診療所の状況がわからず混乱していた。「なぁ大鳥さん、怪我の方は大丈夫か?」「ああ。」「大鳥さん、土方さん、こちらにいらしていたのですか。」「島田君、久しぶりだね。さっき診療所に行ってきたんだが、中の様子が全くわからなかったよ。一体あそこで何があったんだい?」「詳しいことはよく解りませんが、看護婦たちの話によると、日本人の医者が事故で大怪我をした中国人の子供の治療を断ったことが、今回の騒動の原因だというんです。その医者は、その子供の親に、ここは日本人専用の診療所だから他所をあたってくれと言ったそうです。そしたら、その子供の親は激怒して、その医者を殴ったそうです。」「子供の治療を拒否した医者の名前は判るか?」「ええ、確か林田という方だと・・」「あいつか・・」歳三の脳裏に、東京の医学校時代に何かと衝突した林田の顔が浮かんだ。「これからどうしますか、大鳥さん。」「もう一度、診療所に行ってみよう。」「俺が行く。あんたは頭に怪我をしているんだから、部屋で休んでいろ。」「わかった。」その日の夜、ホテルで夕食を取った歳三は、再び診療所へと向かった。 昼間は若干人の気配がした診療所であったが、夜になると明かりが消え、人の声すらも中から聞こえなかった。歳三はそっと裏口のドアから診療所の中に入ると、待合室から男の怒声が聞こえた。「ここは日本人専用の診療所なんだ、お前たちが気軽に入れるような所じゃないんだ、出ていけ!」『なんだと!』『日本人は、俺たちに死ねっていうのか?』日本人と思しき白衣の男は、角材で武装している数人の男達に取り囲まれていた。「林田。」歳三が白衣の男に背後から声をかけると、男の背中が震え、彼はゆっくりと歳三に振り向いた。「土方、お前どうしてここに・・」「俺も今日からここで働く予定だったんだよ。おい、お前ぇ事故で怪我をした子供の治療を拒否したって本当か?」「ああ。」「その子供は今、何処にいる?」『うちの息子は、こいつの所為で死んだんだ!』少年の亡骸を抱えた父親と思しき男が、そう中国語で叫んで林田を睨んだ。『なぁ、あんたの気持ちはよくわかる。でもな、暴力で訴えても何の意味もねぇだろう?一旦、ここは退いてくれないか?』歳三はそういうと、男を見た。『そうだな。おい、一旦退くぞ。』『あっさりと引き下がるのか!?俺は嫌だね!』『俺の言うことがきけねぇのか!』少年の父親から睨まれた男は、バツの悪そうな顔をして角材を待合室の床に置くと、そのまま診療所の正面玄関から出ていった。男の仲間たちも、ぞろぞろと診療所から出ていった。『騒ぎを起こして、済まなかった。』少年の父親は息子の遺体を抱いたままそう言って歳三に頭を下げると、仲間の後を追って正面玄関から出ていった。「土方、助かったよ。一時はどうなることかと・・」「この、馬鹿野郎が!」歳三はそう林田に怒鳴ると、彼の頬を拳で殴った。にほんブログ村
Apr 29, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 翌朝、歳三がホテル内にあるカフェで朝食を取っていると、そこへ大鳥がやってきた。「おはよう、土方君。昨夜は良く眠れたかい?」「まぁな。あんたと一杯付き合わなくて正解だったぜ。」歳三はそういうと、珈琲を一口飲んだ。「いやだなぁ、その言い方だとまるでいつも僕が君に無理やり酒を飲ませているように聞こえるじゃないか?」「事実だろう?東京の医学校を卒業した日の夜、俺の口に一升瓶を押し込んだのはどこの誰だったっけな?」「そんな・・まだ昔のことを根に持っているの?」「昔話はさておき、大鳥さん、あんたこんな朝っぱらから俺に何か用か?」「察しが良くて助かるよ、土方君。ここ、いいかな?」大鳥はそう言うと、歳三の前に置いてある椅子に座った。「満州の診療所のことなんだが、ある問題が発生してしまってね・・」「ある問題?」「こんな場所で声を大にして言えるようなことではないのだけれど、診療所に現地の中国人達が診療所を占拠したと、そこの診療所で働いている看護婦から今朝、電報を受け取ったんだ。」「それで、あんたはどうするつもりなんだ?」「電報だけじゃ状況がわからないから、さっそく満州に向かおうかと思っているんだ。」「俺も行く。」 朝食を終えた歳三は部屋に戻って手早く荷物を纏めると、ホテルをチェックアウトして大鳥とともに駅へと向かった。「一等切符、二枚。」窓口で汽車の切符を購入した歳三と大鳥は、満州行きの特急『満鉄号』に乗り込んだ。「何か飲み物でも買ってこようか?」「いや、いい。それよりも俺にあまり話しかけないでくれ。」「わかった。」 二人を乗せた『満鉄号』は、汽笛を鳴らしながら上海駅のホームから発車した。北上する特急の窓からは、広大な草原と地平線が見えた。「土方君、次の駅で降りるよ。」「わかった・・」新京駅で汽車から降りた歳三は、大鳥とともに中国人たちが占拠している診療所へと向かった。『日本人たちの横暴を許すな!』『日本人たちを叩きのめせ!』診療所の前には中国語で日本政府を批判した檄文やスローガンが書かれた横断幕が掲げられていた。「おい、誰かいねぇのか?」「誰もいないんじゃないのかな?」「そうか?さっき窓の方で人影みたいなやつを見たぞ?」歳三がそう言って窓の方を見ようとしたとき、窓ガラスが割れて火炎瓶が彼の足元に落ちた。「土方君、危ない!」大鳥が歳三の体を押しのけたのと、火炎瓶が炸裂したのはほぼ同時だった。「大鳥さん、大丈夫か?」「ああ・・」大鳥は額から流れる血をハンカチで押さえながら、火炎瓶が飛んできた窓の方を見た。そこには、誰も居なかった。「すぐにここから離れよう。」にほんブログ村
Apr 29, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方君、遅かったね。」「ああ・・」「ねぇ、疲れたから少しあそこでお茶でも飲まない?」大鳥と中国茶の店に入った歳三は、そこで路地裏で見た少女が給仕係として働いているのを見た。「どうかしたの、土方君?」「いや、何でもねぇよ。」「いらっしゃいませ。」チャイナドレスの裾を翻しながら、件の少女が歳三達の元へとやって来た。「この店のお勧めは何かな?」「そうですねぇ、茉莉花茶(ジャスミン茶)がお勧めですよ。香りも味も楽しめますから。」「ねぇ、君は日本語を話せるの?」「ええ。そちらの方は、お客様のお連れの方ですか?」「そうだけど・・彼がどうかしたの?」「いえ、先程からわたくしの顔をじっと見ていらっしゃるので・・どうしたのかなぁと思いまして・・」少女はそう言うと、大鳥の隣に座っている歳三を見た。「あんた、さっき路地裏でチンピラを倒していただろう?」「ああ、あれですか・・あれは、チンピラから金を巻き上げられそうになったので、反撃したまでのことです。」「あの時使っていた薙刀はどうした?」「薙刀なら、自分の部屋に置いております。あんな物騒な物、お店には置けませんからね。自己紹介が遅れました、わたくし山寺碧と申します。」「土方歳三だ。それで、こっちの奴が俺の友人の、大鳥圭介だ。」「土方様に、大鳥様ですね。以後お見知りおきを。」少女―山寺碧は、歳三に向かって右手を差し出した。「こちらこそ、宜しく。」歳三は碧と握手を交わした後、自分達のテーブルに運ばれてきた茉莉花茶を一口飲んだ。「美味いな。それに、香りがいい。」「そうでしょう?他にも色々と種類がありますが、この店では茉莉花茶が一番人気なのですよ。」「へぇ・・あんた、何処に住んでいるんだ?」「このお店の二階に住んでおります。ちょっと訳ありで、店主の方にお世話になっているのです。」「そうか・・」「お二人は、観光で上海にいらしたのですか?」「まぁな。明日は、満州に仕事で行かなきゃならねぇから、ここで暫くゆっくりしていられねぇな。」「それは残念ですね。上海を訪れる機会がありましたら、またいらしてくださいね。」「ああ、わかった。」「そのロケット、素敵ですね。どなたからのプレゼントですか?」碧はそう言うと、歳三が首に提げているプラチナのロケットを指した。「妻からの贈り物です。」「まぁ、土方様はご結婚されているのですね・・あなたみたいな良い殿方を、放っておく女性など居ませんものね。」「よく言われる。」「土方君、そろそろ行こうか?」「ありがとうございました、またのお越しをお待ち申し上げております。」碧は店から出て行った歳三達を見送ると、店の奥へと戻った。「さっきの子、良い子だったね。」「ああ。わけありで店の二階で寝起きしているっていうのが気になるが・・」「土方君、今日は一杯付き合ってくれないか?」「遠慮しておく。」歳三は大鳥からの酒の誘いを断ると、ホテルの前で彼と別れた。にほんブログ村
Apr 29, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「さっき、ホテルのロビーで飯沼の野郎に会ったぜ。」「へぇ・・」「あいつ、何を考えているのかさっぱりわからねぇ。甲府の事もあるし、あいつには用心した方がいいな。」「そうだね。満州へは、いつ発つの?」「明日朝一番の汽車に乗って行く。それまで、部屋で疲れを取ろうと・・」「だったら、僕が上海を案内するよ。」「あんたも色々と忙しいんじゃねぇのか?」「大丈夫、僕は暇だから。ねぇ土方君、暇なら僕の買い物に付き合ってくれないかな?」大鳥はそう言うと、歳三に微笑んだ。「なぁ大鳥さん、あんたまだ買うつもりなのか?」「うん、子ども達に色々と土産を買わないといけないし・・あ、これもいいな!」 上海の繁華街・南京路にある百貨店で、歳三は大鳥が買った紙袋を両手に提げながら溜息を吐いた。(買い物に付き合ってくれって言われてついてきたら・・体のいい荷物番を押し付けられただけじゃねぇか!)こんなことなら、ホテルの部屋で休んで居れば良かった―そんな事を思いながら歳三が溜息を吐いていると、突然少女の悲鳴が百貨店と通りを挟んだ所で聞こえた。「どうしたんだい、土方君?」「大鳥さん、これ頼むぜ!」大鳥に紙袋を押し付けると、歳三は悲鳴が聞こえた路地裏へと向かった。「金出しな、そうしたら悪いようにはしねぇから。」「嫌です、あなた方に出すお金など一銭もありません!」「何だとこのアマ、痛い目に遭わされてぇのか!」 路地裏へ歳三が駆けつけると、そこにはいかにも柄が悪そうな数人の男達に絡まれている少女の姿があった。歳三が彼らの間に割って入ろうとした時、男達の一人が少女に向かって拳を振り上げようとしていた。だが次の瞬間、その男の身体は宙を舞い、変な音を立てながら地面に倒れた。「てめぇ、何しやがる!」「それはこっちの台詞だよ、これ以上痛い目に遭いたくなかったらさっさと俺の前から消えるんだね!」「てめぇ、ふざけやがって!」仲間を少女に倒された男達が、彼女に向かって拳を振り上げようとしたが、少女は間髪いれずに壁に立てかけている薙刀を手に取り、彼らに応戦した。「そんな危ない物振り回したら怪我するぜ、お嬢ちゃん?」「そうかな?」少女はそう言って口元に不敵な笑みを浮かべると、二人の男達の脛を薙刀の柄で打った。「畜生、ふざけやがって!」「返り討ちにしてやらぁ!」男達が大きく拳を振り上げた時、その隙を狙った少女は彼らの後頭部を薙刀の柄で打った。男達は悲鳴もあげずに、そのまま地面に倒れて動かなくなった。「ふん、ただ威勢の良いだけのチンピラが、この俺様に勝てると思っているのか?」少女は倒れている男達に向かって唾を吐くと、薙刀を肩に担いで路地裏から去っていった。にほんブログ村
Apr 29, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様(あ~、疲れた。)一週間の船旅を終えて上海に着いた歳三は、そう思いながら旅行鞄を抱えて“白鳥号”から降りた。「土方歳三様ですね?」「はい、そうですが・・あなたは?」「わたくしは大鳥様から頼まれてあなたをお迎えに上がりました、島田と申します。どうぞ、お車にお乗りください。」「はい・・」歳三は島田が運転する車で、上海市内にあるホテルへと向かった。「土方様は、上海は初めてですか?」「ええ。それにしても上海は騒がしい街ですね。」「そうでしょう。ここは英国やフランス、アメリカなどの列強国の租界がひしめき合っている魔都ですからね。それに、上海マフィアの抗争も最近激化していますから、決して夜道の一人歩きはしないようにしてくださいね。」「わかりました。あの、島田さんは大鳥さんとはお付き合いがあるのですか?」「ええ。彼とは、色々とお付き合いがありましてね、今は大鳥家の運転手をしています。」「そうですか・・」「さあ、ホテルに着きましたよ。」「ありがとうございます、島田さん。」宿泊先のホテルのロビーで歳三が寛いでいると、そこへ飯沼一家が通りかかった。「おや奇遇ですな、土方さん。あなたもこのホテルにお泊りに?」「ええ。美紀さんの姿を見かけませんね。彼女はどちらに?」「ああ、彼女なら一足先に満州に行きました。医学生の彼と一緒にね。」「ほう。美紀さんも隅には置けませんな。」「ええ、本当に。」飯沼はそう言って口元に笑みを浮かべたが、目は全く笑っていなかった。「それでは、わたしはこれで。」ロビーでチェックインを済ませ、部屋に入った歳三は溜息を吐いてベッドに寝転んだ。歳三が仮眠を取ろうと目を閉じようとした時、ベッドの傍に置いてある電話が鳴った。『土方様、ロビーにお客様がお見えです。』「わかりました、すぐ行きます。」部屋から出て歳三がロビーに向かうと、ソファには大鳥の姿があった。「土方君、久しぶりだね。」「何だ、客ってのはあんたか。」「そんな事言わなくてもいいじゃないか。」「俺は今朝、上海に着いたばかりで部屋で休みてぇんだ。用件なら手短に頼むぜ。」「わかった。満州で僕が医学生の育成に力を入れていることは知っているよね?」「ああ。」「その仕事を、君にも手伝ってほしいんだ。」「はぁ!?」大鳥の言葉に驚いた歳三は、拍子ぬけた声を出してしまった。「大鳥さん、今のは冗談だよな?」「冗談じゃないよ。」「あんたは俺に、半年間医学生のお守をしろっていうのか?」歳三はコーヒーカップをソーサーの上に置くと、そう言って自分の前に座っている大鳥を睨んだ。「そんなに怒らないでよ、土方君。」「怒るも何も・・そういう事は前もって説明してくれよ!」「済まない、ついうっかりしていて忘れてしまったよ。」大鳥はそう言うと、舌を出した。「しっかりしてくれよ、大鳥さん・・」にほんブログ村
Apr 28, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様(飯沼には確か、息子と娘が居たな・・)「土方様、どうかなさいまして?」「いいえ・・美紀さんとおっしゃいましたね?わたしに何かご用でしょうか?」「ええ。土方様も、満州に行かれるのでしょう?」「そうですが・・もしかして、あなたも?」「はい。父の仕事の都合で、向こうの女学校に転校する事になりましたの。」「それは大変ですね。」「そうでもありませんわ。」「美紀、ここに居たのか。」デッキの出入口から声がして、歳三と美紀が振り向くと、そこには黒の燕尾服姿の青年が立っていた。「お兄様、こちらの方は・・」「あなたが、土方歳三さんですね。」青年はそう言うと、歳三を見た。「初めまして、飯沼隆一と申します。父から、あなたのお話は良く聞いておりますよ。」「そうですか・・」「美紀、お父様が中でお待ちだ。」「わかりました。それでは土方様、御機嫌よう。」隆一は美紀の背を押すと、そのままデッキから去っていった。「美紀、何故あの男に話しかけたりしたんだ?」「別にいいではありませんか。」「良くない。あいつは、お父様の商売敵なんだぞ。気軽にあいつに声を掛けたりするな、わかったな?」「わかりました・・」「お父様には、お前が土方と会ったことは秘密にしておく。」隆一はそう言うと、少し不貞腐れたような顔をしている妹を見た。「美紀、そんな顔をするな。」「わかりました。」 大広間に隆一とともに戻った美紀は、父の傍に一人の青年が立っている事に気づいた。「おう美紀、ここに居たのか。」「お父様、そちらの方は?」「ああ。こちらの方は、松本雄介さんだ。松本さん、わたしの娘の、美紀だ。」「初めまして。」「初めまして・・」「飯沼さんは、何故満州に?」「関東軍の仕事を手伝う為に、満州へ行くんだ。松本君は、何故満州に?」「向こうの診療所で働く為です。」「ほう・・では松本君は、医者の卵か何かかね?」「ええ。昨年東京の医学校を卒業したばかりの駆けだしですが、わたしは自分で出来る限りの事をしようと思っております。」「いい志だ。隆一、お前も松本君を少しは見習ったらどうだ?」「お父様・・」「松本様、わたくしと少しあちらでお話しませんこと?」「ええ、わかりました。」松本青年の手を取り、美紀が大広間から出て行くのを見た飯沼は、溜息を吐いて隆一の方に向き直った。「隆一、お前はいつまで親の脛を齧るつもりなんだ?」「お父様、そういう言い方はないでしょう。僕だって懸命に努力して・・」「口先だけでは何とでも言える。お前が賭博で作った借金の肩代わりをするのは、これで最後だ、わかったな?」飯沼はそう言うと、隆一に千円分の小切手を渡した。「すいません、お父様・・」「おや土方さん、あなたもこの船に乗っていらしたのですね?」「飯沼さん、お久しぶりです。」「土方さんも、満州の診療所でお働きになられるのですか?」「ええ、まぁ・・」「そういえば、先程医学生の松本君とお会いしましたよ。」「そうですか。ではわたしは部屋に戻りますので、これで失礼します。」歳三は飯沼に背を向け、大広間から出て行った。にほんブログ村
Apr 28, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 六月、とうとう歳三が満州へと発つ日が来た。「あなた、お気を付けて行ってらっしゃいませ。」「ああ、行って来る。千尋、余り無理をするんじゃねぇぞ。」「わかりました。」港で歳三を見送りに来た千尋は、彼にロケットを手渡した。「この中に、写真館で撮った写真と、ピクニックの時に撮った写真が入っております。」「ありがとう。」「お父様、毎日お手紙を書くから、必ず返事を頂戴ね。」「わかったよ、凛子。」「満州から帰って来る時、沢山お土産買って来てね!」「ああ。龍太郎、勝次郎、家の中で男はお前達二人だけなんだから、しっかりと母さん達の事を守るんだぞ、いいな?」「わかったよ、父さん。」「女将さん、千尋達の事を宜しくお願い致します。」「あんたも、向こうで病気になるんじゃないよ。」やがて、出航を告げる鐘の音が港中に響いた。「じゃぁ、もう行くわ。」「あなた、これ船の中で食べてください。」千尋はそう言うと、藤製のバスケットを歳三に手渡した。「有難う、後で食べる。千尋、行って来る。」「どうか、お元気で・・」歳三は千尋達に背を向けると、上海行きの船に乗り込んだ。「お父様、行ってらっしゃい~!」「歳三さん、気を付けてねぇ~!」一等船室のデッキの上で歳三は千尋達に手を振ると、そのままバスケットと荷物を抱えて船室へと入っていった。 歳三の船室は、まるでホテルのスイートルームのような豪華な内装が施され、ベッドや調度品に至るまで全て一流の職人の手で作られた高級品ばかりだった。「土方様、失礼致します。」「はい。」「キャプテンの森井と申します。この度は“白鳥号”にご乗船頂きありがとうございます。午後7時にウェルカムパーティーを開催いたしますので、是非ご出席してくださいませ。」「わかった。」「それでは、失礼致します。」“白鳥号”キャプテン・森井が船室から出て行った後、歳三は船室の窓から美しい水平線を眺めながら、千尋が自分の為に作ってくれたサンドイッチを頬張った。 その日の夜、“白鳥号”の第一等船室の大広間でウェルカムパーティーが開かれた。仕事柄こういった華やかな場には何度も出ている歳三だったが、騒がしい場所は未だに苦手だ。歳三は人で溢れ返っている大広間から出て、人気がないデッキに出た。冷たい潮風が時折自分の頬を撫でるのを感じ、歳三は溜息を吐いてアスコットタイを緩めた。「そんな所で、何をなさっているのかしら?」「そういうあなたこそ、このような所で何をなさっておられるのです?」歳三はそう言うと、自分に話しかけて来た華族の令嬢と思しき女学生に声を掛けた。「別に。あなた、もしかして土方歳三様ではなくて?」「何故、俺の名を知っている?」「兄からあなたの事は色々と聞いておりますわ。」「兄?」「初めまして、わたくし飯沼美紀と申します。以後お見知りおきを。」「飯沼・・」女学生の口から飯沼の名を聞き、歳三の脳裏に甲府で会ったあのいけすかない男の顔が浮かんだ。にほんブログ村
Apr 27, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「あなた、本当に満州に行ってしまうのですね?」「ああ。」子ども達が寝静まった後、千尋は縁側で歳三と座りながら、溜息を吐いた。「そんなに溜息を吐くと、幸せが逃げるぞ?」「でも・・」「大丈夫だ、半年で帰ってこられるだろうから、腹の子が産まれるまで身体を大事にしろよ。」歳三はそう言うと、まだ膨らんでいない千尋の下腹を帯の上からそっと撫でた。「はい。まだ櫻子が一歳になったばかりですのに、また妊娠するなんて・・」「何も恥ずかしがるような事じゃねぇだろう?」「ええ、そうですけれど・・」「千尋、今度はどっちかな?」「さぁ、わたくしは五体満足に産まれて来るのならどちらでもいいですわ。」「そうか。悪阻の方はどうだ?」「双子を妊娠した時と比べて、酷くはありません。ただ、食事の支度をするのが億劫で・・」「女将さん達に、妊娠の事は言ったか?」「ええ。お腹の子が産まれるまで、姐さん達が食事当番をしてくださるそうです。」「そりゃぁ有り難てぇじゃねぇか。どんどん甘えておけ。」歳三はそう言って千尋に優しく微笑むと、自分の羽織を彼女に掛けた。「そろそろ冷えるから、中に戻ろうか?」「ええ。」 一週間後、歳三は写真館で撮った写真を眺めながら溜息を吐いた。「それ、この前撮ったやつかい?」「ええ。」「半年間も千尋ちゃんと離ればなれだと、何かと不安だろう?」「出来れば満州には行きたくはなかったのですが、どうしてもと大鳥さんから頼まれて、断れなかったんです。」「あんたが留守の間、千尋ちゃんの事はあたしらがしっかり面倒見てやるから心配しないで満州に行っておいで。」菊千代はそう言うと、歳三を励ますように彼の肩を叩いた。「お母様、明日の遠足のお弁当にはサンドイッチを作って下さらない?」「わかったわ。パンに挟む具は何がいい?」「卵とハムがいいわ。」「明日の遠足の用意、ちゃんと出来たの?」「ええ。」「今夜は早く寝ないといけませんよ。」「お休みなさい、お母様。」「お休み、凛子。」 台所で千尋は凛子の遠足に持って行くサンドイッチを作りながら、作業の手を止め、まだ膨らんでいない下腹をそっと撫でた。この子が産まれる頃には、歳三は自分達の元に戻って来てくれるだろうか。「どうしたんだい、千尋ちゃん?」「いえ、何でもありません・・」「歳三さんの事が、そんなに心配かい?」「はい。半年間もうちを留守にするなんて、一度もなかったので・・向こうで何かあったらどうしようかと心配で・・」「大丈夫だよ、きっと歳三さんはあんた達の元に元気な姿で帰ってくるよ。さてと、あたしも凛子ちゃんのお弁当作るのを手伝おうかね?」「まぁ、ありがとうございます。」 翌日、遠足から帰った凛子は千尋に笑顔を浮かべながら彼女に抱きついて来た。「サンドイッチ美味しかったわ、ありがとうお母様。」「そう。遠足は楽しかった?」「ええ。今度お父様と五人で行きたいわ。」「天気が良い日に五人でピクニックに行きましょうね。お弁当はお母様が作るわ。」 数日後、千尋達は長崎市郊外にある公園でピクニックへと向かった。「美味そうなサンドイッチだなぁ。全部お前ぇが作ったのか?」「ええ。お味の方はいかがですか?」「美味い。」「みんなで写真を撮ろうかねぇ、ピクニックの記念に。」「いいですね。」にほんブログ村
Apr 27, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「今日は良い洗濯日和だねぇ。」「ええ。姐さん、今日お座敷はお休みですか?」「うん。ここのところ働き過ぎだから、たまには休まないと身体を壊しちまう。」『いすず』の裏庭で洗濯物を干しながら、千尋と菊千代がそんな話をしていると、勝手口の戸を誰かが叩く音がした。「すいません、誰か居ませんか!」「はい、今参ります。」洗濯物が入った籠を物干し竿の近くに置いた千尋が勝手口の戸を開けると、そこには軍服姿の青年が立っていた。「どちら様でしょうか?」「わたくし、仁科恭介と申します。土方歳三様はご在宅でしょうか?」「ええ、主人なら奥の部屋で休んでおりますわ。今呼んで参りますので、少々お待ち下さいませ。」歳三はそう言って青年に背を向けると、歳三が居る奥の部屋へと戻った。「あなた、お客様がお見えになりましたよ。」「俺に客?」「ええ・・仁科恭介様とおっしゃる方が、勝手口でお待ちです。」「わかった、すぐ行く。」歳三は口端に垂れた涎を袖口で拭うと、勝手口へと向かった。「お前ぇが、仁科か?俺に一体何の用だ?」「土方様、満州に居る大鳥様からこれを預かって参りました。」青年はそう言うと、歳三に一通の手紙を手渡した。「わざわざご苦労なこった。中で茶でも飲んでいくか?」「いいえ、それには及びません。わたくしはこれで失礼致します。」青年―仁科恭介はそう言って歳三に頭を下げると、彼に背を向けて去っていった。「あなた、そのお手紙は?」「大鳥さんからだ。」「まぁ、そうですか・・」部屋に戻った歳三は、ペーパーナイフで便箋の封を切り、中に入っていた手紙を取り出した。「大鳥様は、何と?」「満州の診療所が人手不足で、ぜひとも俺に満州へ来て欲しいってさ。」「まぁ、それは大変ですわね。どうなさるおつもりで?」「そんな事は、これから考える。」「そうですか・・」「ねぇ千尋ちゃん、最近浮かない顔をしているけれど、どうしたんだい?」「数日前、大鳥さんからお手紙が来て・・歳三様に、満州に来てほしいと・・」「大丈夫だよ、歳三さんはあんたや子ども達を置いて満州に行く筈がないじゃないか。」「そうですね・・」菊千代にそう励まされ、千尋は歳三が満州に行かないだろうと思い、少し安心した。だが―「満州に行くって・・それは、本当ですか?」「ああ。ずっと向こうに居る訳じゃねぇ。半年か一年くらいだ。」「まぁ、そんなに・・」「千尋、そんな顔をするな。俺が留守の間、子ども達の事を宜しく頼む。」「わかりました・・出発は何時ですか?」「六月だ。まだ時間があるから、子ども達には俺から話しておく。」 その日の夜、歳三は子ども達を部屋に集め、満州に行く事を話した。「お父様に、暫く会えなくなるの?」「ああ。凛子、お前はこの中で一番年上なんだから、弟達や妹の世話をちゃんとするんだぞ?」「わかりました・・」「龍太郎、勝次郎、お母様の事をちゃんと聞くんだぞ、いいな?」「はい、わかりました。」「半年なんてあっという間だからな。」歳三はそう言うと、今にも泣き出しそうな顔をしている娘達の頭を優しく撫でた。にほんブログ村
Apr 26, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 1940(昭和15)年4月、長崎。櫻子が満一歳の誕生日を迎え、『いすず』では彼女の誕生祝いの宴が開かれた。「櫻子ちゃん、結構大きくなったねぇ。」「ええ。大きな怪我や病気をひとつもしないで良かったと思っております。」千尋はそう言って晴れ着姿の櫻子を抱きながら笑った。「ねぇお父様、写真館にはまだ行かないの?」「夕飯を食べてから行くよ。」「やったぁ!」 夕食を『いすず』で済ませた千尋と歳三は、子ども達を連れて丸山町にある写真館へと向かった。「はい、皆さん笑ってください~」「お父様、もう帰ろうよ。」「凛子ちゃん、後少しで終わるから辛抱してね。」「ねぇ、今日撮った写真はいつ出来あがるの?」「一週間後には出来あがるのですって。」「へぇ、そうなんだ。」写真館を出た千尋は、自分の隣を歩く凛子と手を繋ぎながら丸山町を歩いた。「凛子ちゃん、明日からまた学校が始まるわね。お勉強の方はどう、頑張っているの?」「うん。お母様、今度遠足があるからお弁当作ってくれる?」「わかったわ。凛子ちゃんが大好きなおかずを一杯入れてあげるから、楽しみにしていてね。」 歳三と再婚してから一年が過ぎ、千尋は継子である凛子を実の娘以上に可愛がった。凛子も、火事で母と姉を失った心の悲しみを、千尋の優しさで癒され、彼女を実の母親のように慕っていた。「凛子の奴、すっかりお前ぇに懐いているな。」「そうでしょうか?」「一年前、あいつをここに連れて来た時は、余りお前と話すどころか、目を合わそうともしなかったな・・」「ええ。でも凛子ちゃんはすっかり明るくなって、いつも学校から帰ると真っ先にわたしに学校の話をして、櫻子の面倒を見てくれるんですよ。」「下に弟妹が居ると、自然と面倒を見るようになるものなんだなぁ。」歳三はそう言うと、多摩に居る兄や姉達の事を想った。「大鳥さんから、お手紙は届きましたか?」「ああ。満州の診療所は、移住してきた日本人の患者達で連日賑わっていて、毎日目が回るような忙しさだとさ。あの人どこか抜けているところがあるから、満州行きが決まった時、大丈夫だろうかと思ったが・・うまくやってそうで良かったよ。」「そうですね・・時尾さん、暫く店を閉めて、実家にお帰りになるそうですよ。」「そうか。まぁ初めての出産に備えて実家に戻るんだから、仕方ねぇよな。」歳三は紙巻き煙草を咥えると、それに火を付けた。「まぁ、禁煙されたのではなかったのですか?」「まぁな・・ここのところ最近忙しくて・・」「責任ある役職に就かれると、色々と気苦労が絶えませんものね。」千尋はそう言うと、座卓から立ち上がった。「何処に行くんだ?」「お茶を淹れて参ります。煙草よりはいい薬になるでしょう。」「ったく、お前ぇには敵わねぇよ・・」千尋の言葉を聞いた歳三は苦笑し、まだ火がついた煙草の吸殻を灰皿に押し付けた。 縁側から時折部屋に射しこんで来る春の日差しを受け、歳三はいつの間にか壁に凭れて眠ってしまった。「あらら・・これじゃぁお茶を淹れても無駄になりましたわね。」千尋はそう言ってクスクスと笑いながら、寝ている夫の上に羽織を掛けた。にほんブログ村
Apr 26, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「お母様、お父様がお帰りになられたの?」「ええ。みんな、お父様がお風呂から上がられるまで、お父様の鞄に触れてはいけませんよ。」「はぁい。」 風呂から歳三が上がると、奥の部屋で凛子と双子達が言い争う声が聞こえた。「勝手にお父様の鞄開けちゃ駄目だってお母様から言われたでしょう?」「だって中におみやげが入っているかもしれないじゃないか!」「別にちょっとくらい開けたっていいだろう!」「駄目なものは駄目なの!」「お前ら、何騒いでいるんだ?」 奥の部屋に歳三が入ると、そこには自分の旅行鞄を双子達から守ろうとする凛子の姿があった。「お父様、この子達が勝手にお父様の鞄を開けようとしていたの。」「何でお前らは、俺の鞄を勝手に開けようとしたんだ?」「おみやげが入っているかもしれないって、龍兄ちゃんが言ったから・・」「おい勝次郎、先にそう言いだしたのはお前だろう?」「二人とも、喧嘩をするのは止めろ。土産なら買ってきたぞ。」歳三は溜息を吐いて双子達を見た後、旅行鞄を開けて中身を取り出した。「お父様、ありがとう!」「ねぇ、これからこのベーゴマで遊んでもいい?」「夕飯が終わってから遊べ、わかったな?」「はぁい。」歳三が土産にくれたベーゴマを嬉しそうに双子達が眺めている姿を、凛子は羨ましそうな目で見つけた。「お父様、わたしにお土産は?」「ちゃんとお前にも、買って来たぞ。」歳三は旅行鞄から、赤いリボンが掛かった袋を取り出した。「これ、わたしが前から欲しかったテディベアだ!お父様、ありがとう!」「大事にするんだぞ。」「うん!」袋から真新しいテディベアを取り出した凛子は、笑顔を浮かべながらそれを抱き締めた。「みんな、お夕飯が出来ましたよ。」「お母様、お父様が僕達にベーゴマ買って来てくれたんだ!」「まぁ、それは良かったわね。後で仲良く二人で遊ぶのですよ。歳三様、この一週間色々とお疲れだったでしょう?」「まぁな。それよりもこっちでは何か変わった事はあったか?」「ああ、そういえば天草の病院で歳三様がお世話になった増谷先生からお手紙が届いておりますわ。」「そうか、後で読むとしよう。」「子ども達にお土産を買って来てくださって、有難うございます。」「お前にも土産を買って来たぞ。」「まぁ・・そんな・・」歳三は旅行鞄から長方形の箱を取り出すと、その蓋を開けた。 そこには、大粒の真珠のネックレスが入っていた。「こんな高価な物、頂けません。」「お前には、いつも綺麗でいて欲しいんだ。」歳三は真珠のネックレスを千尋の首に掛けながらそう言うと、彼女の頬にキスした。「どうだ?」「素敵ですわ・・ありがとう。」「なぁ、そろそろ俺の事を名前で呼ぶのは止めてくれねぇか?」「では何とあなたをお呼びすれば宜しいの?」「“あなた”って呼んでくれ。」「わかりました・・あなた。」千尋は歳三に微笑むと、彼の唇を塞いだ。「どうした?お前から俺にキスをするなんて、珍しいな?」「わたくしからのお礼です。」にほんブログ村
Apr 26, 2014
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「あら、よくわたくしに気づいたのね。嬉しいわ。」そう言うと薄紫のドレスを纏った女性―伊東は、嬉しそうに歳三に向かって笑った。「何故、そのような恰好をされているのです?」「わたくしの趣味ですわ。土方様、一曲わたくしと踊って下さらない?」「わかりました・・」「それじゃぁ、行きましょうか?」歳三は渋々伊東の手を取ると、彼と踊りの輪に加わった。「みんながわたくし達の方を見ているわ。」「それはそうでしょう。」「満州行きの話、あなたが嫌ならばわたくしもうしつこくお願いしませんわ。」「それは有り難い。」「まぁ、あなたの代わりといっては何ですけれど、大鳥さんに満州に行って貰おうかしら?」「大鳥さんに?」「ええ。あの方も腕利きの外科医だし、語学も堪能ですもの。それに面倒見がいいから、きっと医学生達の育成にも力を入れてくださることでしょう。」伊東はそう言うと、歳三に向かって不敵な笑みを浮かべた。(こいつ・・一体何を考えていやがる?)「あら、もうダンスの時間が終わってしまったわ。それでは土方様、御機嫌よう。」「あなたとのダンスは、楽しかったです。」「まぁ、ありがとう。」伊東がパーティー会場から出て行くのを見た歳三は、壁に凭れかかって溜息を吐いた。「土方さん、大丈夫ですか?」「まぁな。それよりも斎藤、昨日内海とホテルのティールームで話をしたんだが・・」「その話はまた後にしましょう。」「そうだな。」パーティーは3時間後に終了し、斎藤は歳三を自分の部屋に招き入れた。「伊東とどんな関係にあるのかを、内海は何か言っていましたか?」「いや・・ただ奴とは付き合いが長いとだけ言っていた。」「そうですか。先程伊東と何を話されましたか?」「満州に行くのは、大鳥さんになるそうだ。」「大鳥さんが・・」「ああ。何だか俺の面倒な事をあの人に押し付けるようなかたちになっちまって、ちょっとあの人に申し訳ないと思っているんだ・・」「ご自分をお責めにならないでください、土方さん。」「内海の話によると、満州の治安は悪化の一途を辿っていて、満州に移住してきた日本人と現地の中国人達との間で諍いが絶えないそうだ。」歳三はそう言ってソファの上に腰を下ろすと、ネクタイを緩めて溜息を吐いた。「これから、どうなるのでしょうね・・」「さぁな。ただ、戦争にならねぇよう願うだけだ・・」「明日で、学会が終わりますね。」「ああ。長い一週間だったな。」「ええ、本当に。」 一週間後、歳三は横浜港から長崎行きの船に乗り、帰路についた。「ただいま。」「歳三様、お帰りなさいませ。東京はどうでしたか?」「別に。それよりも風呂に浸かりてぇんだが・・」「もうお湯は沸かしておりますから、どうぞ。」 玄関先で歳三の旅行鞄を受け取った千尋は、それを持って子ども達が待つ奥の部屋に入った。にほんブログ村
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