薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
火宵の月 帝国オメガバースファンタジーパラレル二次創作小説:炎の后 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 9
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 1
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
火宵の月 吸血鬼転生オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
火宵の月異世界転生昼ドラファンタジー二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
FLESH&BLOOD 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の騎士 1
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 7
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 1
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
火宵の月 異世界ロマンスファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
火宵の月 昼ドラハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁~愛しの君へ~ 0
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD 帝国ハーレクインロマンスパラレル二次創作小説:炎の紋章 3
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 6
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 6
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
天上の愛地上の恋 異世界転生ファンタジーパラレル二次創作小説:綺羅星の如く 0
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 1
天愛×相棒×名探偵コナン× クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 1
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
天上の愛地上の恋 BLOOD+パラレル二次創作小説:美しき日々〜ファタール〜 0
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天愛 夢小説:千の瞳を持つ女~21世紀の腐女子、19世紀で女官になりました~ 1
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
刀剣乱舞 腐向けエリザベート風パラレル二次創作小説:獅子の后~愛と死の輪舞~ 1
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
YOI×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:氷上に咲く華たち 1
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 2
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天上の愛地上の恋現代昼ドラ人魚転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 2
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
火宵の月 異世界ハーレクインヒストリカルファンタジー二次創作小説:鳥籠の花嫁 0
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
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(良い天気やなぁ・・) 佐々木敏明の自殺がマスコミによって大きく取り上げられたその日の朝、陽千代は京都市内にある霊園へと向かっていた。 今まで両親の墓参りをしておらず、彼らの命を奪った犯人が自殺し、無事事件が解決したのを区切りに、陽千代は彼らが眠る墓へと初めて訪れたのだった。「お父さん、お母さん、今まで来んと堪忍え。」 墓の前で手を合わせ、両親に向かって線香を上げた陽千代は、そう言って彼らに語りかけた。「うちのことは何も心配せんでええよ。うちはもう、一人やないから。」 墓参りを終えた陽千代が坂を下っていると、入口の方から坂を上がって来る一人の青年の姿を見た。何処か見覚えがあるような気がしたのだが、何故か思い出せない。陽千代はそっと青年に会釈すると、彼も会釈を返してくれた。二人が擦れ違おうとした時、青年が突然陽千代の手を掴んで自分の方へと引き寄せた。「やっと見つけた・・」耳元で陽千代にそう囁いた青年は、口端を上げた。「あなたは・・」「思い出してくれた?」青年―佐々木孝輔は、そう言うと陽千代を睨んだ。「どうして、うちが此処に居ると・・」「君なら、此処に来ると思っていたんだ。」孝輔は陽千代の腹に深々とナイフを突き刺した。「君の所為で、僕達一家は滅茶苦茶だ。父と弟が自殺したのは、全部君と君の両親の所為だ!」「そんなん、逆恨みもええところどす・・うちは何も・・」「してないって言えるの?人の人生を滅茶苦茶にしておいて、良く言うよね!」孝輔は憎しみに歪んだ顔で、陽千代を睨みつけた。「おい、そこで何してるんや!」管理人と思しき初老の男性が二人の元へと駆け寄ってきた。孝輔は舌打ちすると、陽千代の腹からナイフを引き抜いた。「あんた、しっかりせぇ!」管理人に身体を揺さ振られながら、陽千代は薄れゆく意識の中、自分に向かって微笑む亡き両親の姿を見た。(お父さん、お母さん・・)もう自分の苦しみも、悲しみも終わった。あとはもう、彼らの元へと旅立つだけだ―陽千代がそっと目を開くと、そこには晴れ渡り澄み切った冬の空が広がっていた。「お前の所為だ、お前が悪いんだ~!」誰かが怒鳴る声を聞きながら、陽千代は再び目を閉じた。 数ヶ月後、孝輔は精神病院の閉鎖病棟の中で、ブツブツと独りごとを言っていた。「あいつが悪いんだ・・全て、あいつの所為だ・・」孝輔は苛立つ気持ちを抑える為に、強く爪を噛んだ。ENDにほんブログ村
Jun 8, 2013
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「一体何を・・言っているんだ?」「とぼけるのもいい加減にしてくれよ、父さん!あんたの所為で会社を解雇されて、弟は自殺した!あんたが15年前に馬鹿な真似をしたから!」「馬鹿な真似だと!?ああしなければ、弟はあの時死んでいた筈なんだぞ!」「あんたが人を殺した金で自分の命が助かった事を知って、絶望したんだよ!」孝輔はそう言うと、弟の遺書をガラス越しに敏明の前に突き付けた。そこには、他人の命を奪った金で今まで生きながらえていることを知った時、もう生きていく気力がなくなったと書かれていた。「お前達の為、お前達の為ってあんたは言うけど、僕達は一度もあんたに感謝したことはない。寧ろ、憎んでいたよ。」「孝輔・・」「いつも仕事で家を留守にして、母さんや僕達がどんなに寂しかったか・・その上、外に女まで作って好き勝手し放題していたあんたのことを、母さんは死ぬまで見捨てなかった。本当は別れたかったんだろうよ!」「そんな、そんな筈はない・・」「母さんが死んだ日の朝、こんなものを見つけたよ。」孝輔はそう言うと、ショルダーバッグから母の日記帳を取り出した。「ここには、あんたに愛されなかった母さんの悔しさや怒りが綴られていたよ!結局あんたは、自分だけが可愛いだけの“裸の王様”だったんだ!」「孝輔・・」「もうあんたとは縁を切る。殺人犯の息子としてこれから世間から後ろ指さされて一生を送るなんて御免だ!」 孝輔は言いたい事を言うと、面会室から出て行った。(わたしは・・間違っていたのか?) 独房に戻った敏明は、今まで自分が築き上げて来た人生が全て偽物であったことに漸く気づき、深い絶望に沈んだ。今までがむしゃらに、会社を大きくすることだけを思って働いてきた。その結果、家庭を全く顧みなかったが、妻は自分のことをわかってくれていると思い込んでいた。だがそれは、自分の独り善がりの考えでしかなかったのだ。 周囲から賞賛され、華やかな表舞台に立っていた自分は、その裏で大勢の人間から憎まれていた。今まで、自分はそれに気づかなかったのだ。(わたしは、何て愚かだったのだ・・) 15年前、息子の命を救う為だけに他人の命を奪った。だがその息子は自ら命を絶った。そしてもう一人の息子からは絶縁を言い渡され、自分にはもう家族も何もかもなくなった。このまま、暗く湿った独房で残りの人生を送るのか―そんな屈辱を味わうのは、我慢できなかった。 翌朝、独房を巡回中の看守が、敏明が中でぐったりとした様子である事に気づいて独房に入ると、既に彼は息絶えていた。ドアノブには、細くねじったトレーナーの袖が結ばれていた。『今朝9時ごろ、SASAKIグループ元代表取締役、佐々木敏明氏が独房で自殺しているのを巡回中の看守が発見しました。佐々木氏は、15年前の殺人事件と、今月13日に殺害された警察官の事件に関与している疑いがあり・・』父が独房内で自殺したというニュースを孝輔が知ったのは、朝食を取りに行った牛丼屋でのことだった。唯一の肉親が死んだというのに、孝輔の心には何の感情も湧いてこなかった。寧ろ、彼が死んでくれてよかったと思った。(あの人が死んでも、苦しみは終わらない・・) 牛丼を食べ終えた孝輔は、レジで会計を済ませると、ある場所へと向かった。にほんブログ村
Jun 8, 2013
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私物が入った段ボール箱を抱えながら、孝輔は行くあてもなく街を彷徨(さまよ)った。これから何処に行けばいいのだろう。家は完全にマスコミに包囲されているし、親族もアテにならない。先の事を考えるよりも、今は入院している弟・陽斗(ひろと)がどうしているのか気になった孝輔は、彼が入院している病院へと向かった。 タクシーに揺られて数十分後、孝輔が病院へと向かうと、駐車場辺りに野次馬が出来ていることに気づいた彼は、嫌な予感がしてタクシーから降りた。「どうしたんですか?」「さっきね、屋上から入院している患者さんが自殺したんだってさ。何でも、この病院から追い出されるとかなんとか・・」「すいません、通してください。」嫌な予感が当たっていませんように―そう思いながら、孝輔は野次馬を押し退けながら前へと進んだ。だが、そこにはアスファルトの地面に叩きつけられ、絶命している弟の姿があった。「陽斗・・」 自分だけならまだしも、弟が自ら命を絶つ理由が何処にあるのか。父親が犯した罪の所為で、息子である自分達が社会的に制裁され、抹殺されなければならないのか。そんな事があってはならない、それなのに―「しっかりしろ、陽斗!」孝輔は陽斗が死んでいるとわかっていながら、彼の遺体に取り縋り、必死に彼に声を掛け続けた。「どうして、こんなことに!お願いだ、目を開けてくれ!お願いだから!」誰かが病院スタッフを呼んだらしく、医師と看護師が陽斗の遺体から孝輔を引きはがした。「離せ、離せよ~!」 一方、警察の取り調べ室では、敏明は完全黙秘を貫いていた。「黙っていないでハッキリ言ったらどうだ?」「・・わたしは何もしていない、これは陰謀だ!」「ふざけるな、あんたが殺人を犯したという証拠はちゃんと残っているんだぞ!いつまでとぼけるつもりだ!」「一体誰だ、わたしを殺人犯に仕立て上げたのは!?そいつを今すぐここに連れて来い、八つ裂きにしてやる!」「いい加減にしろ!」苛々がピークに達した刑事は、そう言うと敏明の頬を平手で殴った。「わたしにこんな事をしてタダで済むと思っているのか!?」「黙れ!」その時、取調室のドアが開いて、一人の刑事が敏明の取り調べをしている刑事の耳に何かを囁いた。「どうした、何かあったのか?」「よぉく聞け。さっき病院で、入院していたお前の息子が死んだ。何でも病院側から退去を迫られて、自殺したそうだ。」「陽斗が、自殺だと・・そんな事はない!わたしの息子が、そんな下らない理由で自殺なんかする筈がない!」「下らない理由?元はといえばあんたの身勝手さ故にお前の息子達は今生き地獄を味わっているんだ、それを少しは自覚したらどうだ!?」「そんな・・陽斗が・・」 他人の命に手をかけてまで、その命を敏明が救った陽斗は、父を責めずに自ら命を絶った。 数日後、孝輔が陽斗の遺書を携(たずさ)え敏明の面会に来た。「元気だったか、孝輔?」「よくもそんな事が平気で言えるね?こっちはあんたの所為で大変だっていうのに。」にほんブログ村
Jun 8, 2013
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政財界の大物・佐々木敏明が殺人容疑で逮捕されてから、瞬く間に彼の家族構成や自宅の住所などがインターネット上の巨大掲示板に書き込まれ、彼の家族は“正義の英雄”気どりのネットユーザー達によって、個人情報を暴露され、その上マスコミによる過熱報道によって次第に精神的に追い詰められていった。(一体どうして、こんなことになったんだ?) 孝輔はオフィスで父に対して悪辣に満ちた記事を掲載している週刊誌を読みながら、父が何故殺人という凶行に走ってしまったのかわからなかった。「佐々木さん、4番に課長からお電話です。」「わかりました。」内線の4番を孝輔がプッシュし、受話器を耳に当てると、課長の冷淡な声が孝輔の耳を刺した。『すまないけど、今日限りで会社を辞めて貰えないかな?』「どうしてですか?」『さっき、上層部向けにファックスが送られてきてね。殺人者の身内をいつまでも会社に置いておけば、莫大な損害を及ぼすかもしれないからと、そこには書かれてあった。』殺人者の身内―その言葉を聞いた孝輔は、怒りで血が沸騰するのを感じた。「待って下さい、僕は何の関係もないじゃないですか!それなのにどうして・・」『とにかく、人事部長と話し合って君を本日付で解雇する事にしたから。退職金はないから、そのつもりで。』「もしもし、課長!?」孝輔は上司に抗議しようと椅子から立ち上がって周囲を見渡したが、彼の姿は何処にもなかった。「まさか、殺人犯の息子と働いていたなんてねぇ・・」「これからどうするのかしら?」「さぁ・・課長のやり方も酷いと思うけど・・犯罪者が身内に居ると、会社のイメージがねぇ・・」私物を段ボール箱に詰めている孝輔を見ながら、近くに居た社員達がひそひそとそんな囁きを交わしていた。彼女達は、興味本位で噂話に興じているのだろう。よくニュースで極悪非道な犯罪者の親族が地域から迫害を受けて引っ越しせざるおえなくなったという事を良く聞いていたが、まさかそれが自分の身に起こる事だなんて、思いもしなかった。「皆さん、短い間でしたがお世話になりました。」孝輔はそう言って同僚達に向かって深々と頭を下げたが、誰一人として彼を見る者はいなかった。「佐々木さん。」 孝輔がエレベーターに乗り込んだ時、一人の社員が彼に声を掛けて来た。確か、吉光(よしみつ)という名だったか。「これから大変ですね。頑張ってくださいね。」「あ、ありがとう・・」励ましの言葉だと受け止めた孝輔は、そう言って彼女に微笑むと、彼女は不快そうに鼻を鳴らして彼に冷たく言い放った。「まぁ、あなたを雇ってくれる会社なんて、何処にもありませんけどねぇ。だって犯罪者が身内に居て、それが同僚だなんて、想像しただけで吐き気がするもん。」 頭から氷水を浴びせられたかのように、孝輔は全身が急激に冷えてゆく気がした。「言いたいことはそれだけです。再就職頑張ってくださ~い!」吉光は右手でピースを作ると、孝輔に背を向けて去っていった。(どうして僕が・・こんな目に遭うんだ!)にほんブログ村
Jun 8, 2013
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USBメモリを内田の上司がノートパソコンに挿すと、ある動画が再生された。それは、二人の男が向かい合って椅子に座り、トレンチコートを着た男がスーツ姿の男にインタビューをしているものだった。『あんたが、松本さんたちを殺したんやな?』『ああそうだ、これで満足したか?』スーツ姿の男はテーブルに置いてあったグラスにピッチャーから水を注いだ一瞬だけ顔が見えた。「これは・・確か佐々木敏明社長じゃないですか?SASAKIグループ代表取締役の。」「ああ・・」内田達は食い入るように動画を観た。『あいつは・・松本は、わたしを破滅させようとしていた!わたしの息子を殺そうとしていたんだ!』『せやからと言うて、殺したらあきまへんわ。』『こんなのを撮ってどうするつもりだ?まさか、ネットに公開するつもりじゃないだろうな?』『さぁ、わかりまへんなぁ。パソコンには余り詳しくないさかい。』『貴様ぁ、何処までわたしを愚弄する気だ!』スーツ姿の男―もとい、SASAKIグループ代表取締役・佐々木敏明はおもむろに椅子から立ち上がると、トレンチコートの男を殴った。『わたしを殺したところで、あんたが捕まらへんという保障は何処にもないで、諦めろ!』『黙れ!』激昂した佐々木氏は、男に苛烈な暴行を加えた。『お前なんかに破滅させられて堪るものか!』佐々木氏はそう男に怒鳴ると、部屋のドアを蹴破って出て行った。 動画はまだ続いており、佐々木氏に変わって入って来た若い男が、床に蹲って動かないトレンチコートの男に暴行を加えた。『連れて行け。』『は、はい・・』数人の男達がトレンチコートの男の遺体を部屋から引き摺りだすところで、動画は終わっていた。「どうします、これを報道局に回しますか?」「ああ。だが、先ずは局長に相談しよう。念のために、バックアップを取っておけ。」「わかりました。」内田はそう言ってノートパソコンからUSBメモリを抜くと、上司が武者震いしているのが見えた。 数日後、内田達は東光テレビ局長・旭一郎に動画を見せた。「これはれっきとした犯罪の証拠だ。黙って見逃す訳にはいかない。」「ええ。早速報道局に持って行きます。」「そうしてくれ。」『番組の途中ですが、緊急ニュースです。15年前に京都で起きた資産家夫妻強盗殺人事件について、SASAKIグループ代表取締役の佐々木敏明氏が先程警察に身柄を拘束されました。佐々木氏の車のトランクから、13日未明に山科で殺害された京都府警左京警察署所属の田辺亮輔警部補の血痕が発見され、佐々木氏は田辺氏の殺害にも関与している疑いがあり・・』 京都では、陽千代が菊江とともに彼女の部屋で佐々木氏が逮捕されたというニュースを聞いていた。「これで、おっちゃんは浮かばれるわ。」「そうやな。お天道さまは、何でもお見通しやさかい。」菊江はそう呟くと、美味そうに茶を啜った。「こんなものは出鱈目だ、わたしは何もしていない!」 警察に身柄を拘束された敏明は、15年前の事件の証拠と、田辺殺害の証拠を眼前に突き付けられても、声高に己の無実を主張した。「これは冤罪だ、わたしを誰かが陥れようとしているに違いない!」にほんブログ村
Jun 7, 2013
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番組の取材最終日を控えた前夜、陽千代は内田に話があるといって、彼を祇園の寿司屋に呼び出した。「お話というのは、何でしょうか?」「実は、うちにはある秘密があるんどす。」陽千代はそう言うと、USBメモリを内田に渡した。「うちは今まで、性別を偽ってきました。それは、ある目的の為どす。」「目的、とは?」「15年前の今日、うちの両親は何者かに殺されました。家の金庫から六千万の現金が消えて、強盗殺人事件として扱われたんどすけど、未だ犯人は捕まっておりまへん。うちは美作のおかあさんに引き取られて、今まで祇園町に生きる芸妓として生きてきました。それは、犯人を探す為どした。」「そうでしたか・・」「そのUSBメモリに、事件の真相と、誰がうちの両親を殺したのか全て書かれています。どうか、これを世間に公表してください。」「僕一人では決められませんが・・」「そうどすか。内田はんの立場もわかりますさかい、無理強いはしまへん。」「今日は秘密を明かしてくださって、ありがとうございます。」「いいえ。ここの寿司屋は鮪(まぐろ)が美味しいんどす。」「そうですか。では、おひとつ頂きます。」「どうぞ。大将、鮪の中トロお願いします。」「へい、わかりました。」 翌朝、陽千代が身支度を済ませて一階に降りると、内田が菊江と何やら話をしていた。「そうどすか、陽千代がそないなことを・・」「ええ、僕としては放送したいのは山々なんですが、これは僕一人だけが決断することではありませんので、少しお時間を頂けないでしょうか?」「へぇ、わかりました。」「では、最後の取材に入らせて貰います。最終日となる今日は、芸妓としての心意気を陽千代さんに語って貰うシーンを撮る予定です。陽千代さんは、もう起きていらっしゃいますか?」「へぇ、うちならもう起きてますえ。」内田が菊江の部屋から出て来るのを見計らって、陽千代は彼に声を掛けた。「例の件については、後日連絡いたします。最終日となりますが、宜しくお願い致します。」「こちらこそ、宜しゅうお頼申します。」最終日の取材は滞りなく終わり、内田達スタッフはその日の内に東京に戻ることとなった。「また、東京にお呼びする事になります。その日まで、お元気で。」「へぇ、内田はんこそ、お元気で。」京都駅で、陽千代は新幹線のデッキに立つ内田を見送った。“まもなくのぞみ、東京行きが発車致します。危険ですので、内側の白線までお下がりください。”新幹線の扉が閉まり、内田の姿が見えなくなるまで、陽千代は彼に手を振った。 東京に戻った内田は、早速テレビ局に向かい、上司にUSBメモリを見せた。「これは?」「祇園の陽千代さんから預かって来ました。15年前、京都で起きた資産家夫妻殺人事件の真相がここに入っています。」内田がそう言って上司に切り出すと、彼は低い声で唸った後、内田にこう言った。「わかった。すぐに中身を確認しよう。」「ありがとうございます。」上司はすぐさま、ノートパソコンにUSBメモリを挿し、その中身を確かめた。そこには、信じられないものが入っていた。にほんブログ村
Jun 7, 2013
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番組の撮影は、東京から戻ってすぐ行われた。「何や、カメラがあると緊張してしまうわぁ。」「おかあさんまで、そないな事言うて・・いつもと同じようにしてください。」「せやけどなぁ・・」菊江はそう言うと、照れ臭そうな顔を支度部屋から出て行った。「いつもお化粧はご自分でなさるんですか?」「へぇ。モデルさんや女優さんは、メイクさんにして貰いますやろ?せやけど、うちらは自分で化粧して慣れるしかないんどす。」「髪は、鬘を使うんですよね?」「へぇ。鬘やと、いろんな髪型に出来るからどす。地毛で髪を結うんは舞妓の時だけどす。」陽千代は取材を受けながらも、いつもと変わらずにお座敷に出た。「陽千代はん、人気者どすなぁ。」「いいえ、そないなことあらしまへん。」カメラの前でも、陽千代は客に対していつものように愛想よく接した。「今日はほんまに、お疲れさんどした。」「いいえ、こちらこそ取材を引き受けてくださってありがとうございました。また明日も、宜しくお願い致します。」「へぇ。ほな、うちはこれで。」「では、失礼致します。」スタッフ達と巽橋の前で別れると、陽千代は一人で置屋へと戻っていった。その途中、一台の黒塗りのハイヤーが、陽千代の進路を塞ぐかのように急停止した。「危ないどすやろ!」「エライすいまへんなぁ、祇園の陽千代はんどすか?」「へぇ、そうどすけど。どちらはんどすか?」「わたしはこういう者どす。」ハイヤーの中から一人の男性が出て来て、陽千代に名刺を差し出した。そこには“衆議院議員 山永輝義 第一秘書 西山義範(にしやまよしのり)”と印刷されていた。「山永先生の秘書の方どしたか・・何のご用どすか?」「先生が陽千代はんに話がしたい言うて、車の中で待っております。来てくれはりませんか?」「申し訳ありまへんけど、お断り致します。先生にはまた日を改めて伺いますとお伝えください。」そう言って陽千代が山永代議士の秘書・西山に頭を下げて彼の脇を通り過ぎると、西山が陽千代の腕を掴んだ。「すいまへんけど、すぐ来てくれないとうちの立場もあるんで・・」西山はスタンガンを陽千代の前でチラつかせながら、無理矢理ハイヤーに乗せた。「うちの秘書が手荒な真似をしてすまなかったね。」「山永先生、これは一体どういうことどす?」「実はね、ある人から頼まれて、ここに来たんだ。」「うちにテレビの取材を受けんよう、佐々木社長から頼まれはったんどすか?」「まぁ、そうだけど・・」「すいまへんけど、うちは真実を明らかにしようと思ってます。たとえ山永先生や佐々木社長が止めはっても、無駄どす。」 陽千代はそう言って山永を睨み付けると、リムジンから降りた。「さすが、祇園一と謳われた芸妓だけありますわ、山永先生を前にして、根性据わってはる。」「陽千代さんの説得に失敗したことは、佐々木君に報告しないとね。まぁ、奴がどうなろうが、こっちには知ったこっちゃないがね。」「同じ大学の後輩に対して、冷た過ぎるんと違います?」「今まであいつには甘い汁を充分吸わせてやったんだ。わたしはもうここで手を引くことにするよ。」「そら良い決断を下しましたな、先生。犯罪者と手を組んだりしたら後々厄介な事になりますさかいな。」「まぁ、あいつはどのみち終わるだろうよ。」山永は口端を上げて笑うと、運転手に車を出すよう命じた。にほんブログ村
Jun 7, 2013
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「年末年始の忙しくなる時に、取材を引き受けてくださってありがとうございます。」 東京駅から降りて、陽千代はテレビ局で番組のプロデューサー・内田と打ち合わせをしていた。「いいえ、京都の為になるんやったら、お安いご用どす。」「そうですか。では早速で申し訳ないのですが、今夜パーティーがホテル・アカシアであるのですが、出席して頂きませんか?」「わかりました。パーティーに出るんもうちらの仕事ですさかい。」陽千代がそう言って内田に微笑むと、彼は安堵の溜息を吐いた。「いやぁ、急に番組のメインキャスターの方が、急用が出来たと言ってパーティーの出席をキャンセルしてきたんで・・」「そないな事があったんどすか。」「申し訳ないです、番組の打ち合わせの為に来て頂いたのに、まるでホステスのような仕事をさせてしまうことになるだなんて・・」「そんなに謝らんといてください。パーティーは何時からどすか?」「打ち合わせが終わるのが6時なので、終わった後にすぐ局を出たら8時のパーティーに間に合います。」「そうどすか。ほな、打ち合わせをはよ進めまひょ。」 内田との打ち合わせを済ませた陽千代は、彼と共にテレビ局を出て、パーティー会場であるホテル・アカシアへと向かった。「あなたが、祇園町の陽千代さんですか?初めまして、番組のディレクターを務めます、石川と申します。」「どうも、陽千代どす。宜しゅうお頼申します。」「一緒に京都の良い所を盛り上げていきましょう。」「へぇ。」石川と固く握手を交わした陽千代の姿を、敏明の第一秘書・明田が見ていた。「何、陽千代がテレビ局のディレクターとプロデューサーと一緒に来ている?」「はい。どうされますか、社長?」「どうするもなにも、彼らは正式な招待を受けたゲストだ。無下にする訳にはいかんよ。」 この場で陽千代と再び会う事になろうとは、何という運命の悪戯だろうかと思ったが、敏明は気を取り直して陽千代の元へと挨拶に向かった。「佐々木社長、どうも御無沙汰しております。」「陽千代さん、またあなたと会えるとは思わなかったよ。どうしてここに?」「今度、東光テレビのドキュメンタリー番組で取材を受けることになったんどす。」「そうか、頑張ってくれよ。」「おおきに。ほな、また後で。」陽千代はそう言って去り際に、敏明の手に小さく折り畳んだメモをさりげなく握らせた。「社長、どうされたんですか?」「いや、何でもない・・」メモには、“うちはもう、全てを知ってます。パーティーが終わった後、27階のバーでお待ちしております。”と書かれていた。「わたしも、参りましょうか?」「いや、いい。これはわたしと陽千代・・いや、松本陽太郎と二人だけで決着をつけることだ。お前達は手を出さないでいい。」「わかりました・・それでは、失礼致します。」(来たければ来るがいい、わたしは何も恐れはせん。) パーティーは夜10時に終わり、陽千代に指定されたバーへと敏明が向かうと、奥のカウンター席に陽千代は座って彼を待っていた。「来てくれはると思いました。」「このメモは、一体どういうつもりで書いたんだね?」「15年前の事件の真相を、うちはもう知ってしまったんどす。」「それで?世間にでも公表するつもりなのか?」「うちはそのつもりで、番組の取材をお受けしたんどす。もうあなたに逃げ場はありまへん。」陽千代は勝ち誇った笑みを敏明に浮かべると、バーから出て行った。にほんブログ村
Jun 7, 2013
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当時、敏明は父親の代から引き継いだ会社を大きくしようと観光や建設業などに手を伸ばしたが、業績は伸びるどころか悪化の一途を辿っていった。 その上、敏明は幼い次男の陽斗に重度の心臓病がわかり、彼を助ける為には海外で移植手術を受けなければならないという衝撃的な事実を医師から宣告された。その費用は六千万もするといい、当然のことながらそんな大金を敏明が用意できる筈がなかった。 そこで敏明は恥を忍んで、松本家に金を借りに行ったのだった。だが―「六千万なんて大金、あんたに貸せる訳ないやろ!?」敏明の頼みを、松本はにべもなく断った。「お願いだ、返すから・・」「あんたに返すあてが何処にあるんや?会社が倒産しかけてるのに、六千万全額返せるなんて信じられるか!」息子の移植費用に必要なのだとどんなに敏明が松本に訴えても、彼は頑なに金を貸すことを拒んだ。その時、松本の一人息子・陽太郎がやって来た。陽斗と少ししか年が違わない彼のあどけない笑みを見て、敏明は松本に土下座した。「あなたにもお子さんが居るんでしょう?そしたらわたしの気持ちが解る筈だ!」「あんたに今六千万貸したかて、返ってくる保障がないやろ!さぁ、はよ去(い)んどくれやす!」玄関先から追い出された敏明は、松本に対して激しい殺意を抱いた。(もう・・殺すしかない!) 辺りが暗くなったのを見計らって、敏明は松本家の勝手口から中へと侵入し、すぐさま金庫が置いてある夫婦の寝室へと向かった。寝ているだろうと思っていた松本夫妻は、まだ起きていた。「お、お前は・・」「あんた、警察に通報するわ!」松本の妻が電話へと手を伸ばそうとした時、敏明は彼女の胸に深々とナイフを突き刺していた。「ひぃぃ、人殺し!」「お前が、お前が悪いんだ!」敏明は、憎しみに籠った目で松本を睨み付けると、彼に馬乗りとなって何度もナイフでその胸を突き刺した。 完全に二人が息絶えたのを確認した敏明は、金庫の中から六千万の現金が入った封筒を上着の内ポケットにねじ込むと、そのまま寝室から出て行こうとした。だが、その姿を松本の一人息子・陽太郎に見られてしまった。奪った六千万で陽斗の命は助かり、会社も倒産の危機を免れた。だが15年間、敏明は松本夫妻の命を奪ってしまったという罪悪感に囚われていた。しかし自分が犯した罪を世間に公表すれば、二人の息子達の輝かしい未来が永遠に閉ざされてしまう。このまま無事に逃げおおせる為には、陽太郎―もとい陽千代には消えて貰うしかなかった。 田辺の時と、同じように。(わたしは何も悪くない、悪いのは、金を貸さなかった松本の方だ!)「社長、もうすぐ品川に着きます。」「そうか。」いつしか外の風景は雄大な富士山から、高層ビル群へと変化していた。「今夜のパーティーが楽しみですね。」「ああ。」 このまま、警察に捕まる訳にはいかない―そう思いながら、敏明は新幹線から品川駅のホームへと降り立った。にほんブログ村
Jun 6, 2013
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「待ちなはれ!」 陽千代が男を漸く捕まえたのは、グリーン車前のデッキだった。彼はハンドバッグの口を開け、乱暴に中を探っていた。「おい、あれを何処へやった!?」「ああ、あれやったらうちは持ってまへんえ。」「何だと?」「あんな犯罪の証拠となるもんは、もう警察に届けました。」陽千代の言葉を聞いた男は悔しそうに歯噛みすると、陽千代にハンドバッグを突き返してグリーン車の中へと入っていった。(何やあの人、何処かで見た事あるなぁ・・佐々木はんの秘書の、明田はんやないの。)何故明田が自分からメモリースティックを奪おうとしたのか、陽千代は訳が判らなかった。「陽千代から例のものは奪ったか?」「それが・・もう警察に届けたと言うんです!」「遅かったか!」佐々木敏明はそう言うと、舌打ちした。 田辺刑事に15年前の事件の事について聞かれたのは、三週間前のことだった。「これ、あんたでっしゃろ?」突然自宅にやって来た田辺刑事は、そう言って敏明に一枚の写真を見せた。それは、銀座の高級クラブで被害者と敏明と一緒に映っていたものだった。「何や、殺されはった松本はんとは面識がない言うてはりましたのに、この写真ではなんや、親密にしてはるそうやないですか?」「それは・・」「松本はんの家から消えた六千万の行方、あんたならわかってはるんやないんどすか?」「一体何のつもりでそんな事をわたしに言うんだ?」「どうしてって・・あんたならその行方を知ってはるでしょう?息子の移植費用に充てはったんやから。」「いい加減なことを言うな!」怒りの余り、敏明は机の上に置いてあったコーヒーカップを壁に投げつけた。家政婦が壁に砕け散ったコーヒーカップの破片を避けながら悲鳴を上げて居間から出て行った。「図星どしたな。松本さんをどうして殺しはったんどすか?」「あいつが悪いんだ、なかなか金を貸してくれないから!」「うちも孫がおりますさかい、あんたの気持ちはようわかります。けど、息子の移植費用欲しさに松本さん夫婦を殺すのはやり過ぎと違いますか?」「あぁするしか、他に方法がなかったんだ!」「へぇ、そうどすか。それは自白やと受け取ってええんどすな?」そう言った田辺刑事は、スーツの胸ポケットからICレコーダーを取り出した。「今のは全部録音させて貰いました。ほな、失礼します。」「待て、それをどうするつもりだ!」「うちの職業、忘れて貰っては困りますわ。」自分に向けてニヤリと笑った田辺刑事の顔が、敏明には狡猾なヒヒのように見えた。あのICレコーダーは、田辺を殺した時にはなかった。もしあれが発見されたら、自分が今まで築き上げて来た地位や名誉が一瞬の内に消えてしまう。田辺刑事が万が一の事を考えて、レコーダーの録音データをコピーして何処かに保存しているとしたら、あのメモリーチップしかない。(何としてでも、あれを明るみにしてはならない・・)「社長、わたし達にお任せ下さい。」「いいか、しくじるなよ?絶対にだ!」怒りに震えた顔で、敏明は窓の外に映る富士山を眺めた。 15年前の事件の日が、脳裏に鮮やかに甦ってきた。にほんブログ村
Jun 6, 2013
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「あんたも言うようになったやないの、陽千代。うちなぁ、あんたが誰か知ってるんえ?」 交渉が決裂したことが判った途端、毬千代の顔からお淑やかな芸妓の顔が消え、醜い本性が露わになった。「へぇ、うちが誰か知ってはるんやったら、なおさらあれは渡せまへん。」「あんたなぁ、極龍会敵に回したらエライ事になるんえ?さっさと渡しよし!」高圧的な口調で毬千代はそう叫ぶと、陽千代の手を爪で引っ掻いた。陽千代は痛みに顔を顰めたが、悲鳴は上げなかった。その代わりに、陽千代は憎しみを込めて毬千代を睨みつけた。「うちな、あんたの事が昔から嫌いやったんや!すまし顔して、うちは善良な人間やて言うような態度して・・虫酸が走ってたんえ!」「へぇ、そうどすか。まさか毬千代はんが、ヤクザの情人になるやんて信じられへんわ。」「黙りよし!楡崎はんは、いつかうちと籍入れてくれはる言うたんや!うちはあの人の為なら、鬼にでも蛇にでもなるわ!」恋する女の執念というものは凄まじいものだと、陽千代は思った。 心底惚れた相手の為ならば、毬千代は悪事に手を染めることに対しての躊躇いや罪悪感などは一切持たない。だから陽千代に恐喝まがいの恫喝をしているのだ。だが、彼女に屈するものかと思った陽千代は、口端を上げて笑うと、衝撃的な事実を毬千代に告げた。「あんたなぁ、楡崎って奴に騙されてるんや。あの男にはちゃんとした奥さんが居てはるんえ?」「嘘や、そんなの!」「嘘やあらへん、うちこの間楡崎が綺麗な奥さん連れて歩いてたん、見たんや。」「うちの気持ち知ってて、あの男騙してたんや、うちの事・・許さへん!」毬千代は地の底から響くかのような低い声でそう呟くと、部屋から飛び出していった。「姉さん・・」「もうあの人の事は放っておきよし。それよりも陽菜ちゃん、警察に連絡してくれへん?」「へぇ。」直接メモリースティックを持って警察署へと出向こうとしたが、いつ何処であの女の仲間が見張っているとも限らないので、陽千代は田辺の同僚に直接美作に来て貰い、彼と一緒に警察署に行く事にした。「陽千代はん、どないしはりました?」「実は、田辺はんの書斎からこないなもんが見つかったんどす。」陽千代はそう言うと、田辺の同僚刑事にメモリースティックが入ったペンダントを手渡した。「うち、怖くして仕方がないんどす・・田辺はんのような目に遭うんやないかって思うたら、夜も眠られやしまへんどした。」「そうどすか。ほな、詳しい話は署で聞きまひょ。」「へぇ、わかりました。」 数分後、警察署で陽千代は刑事に、田辺が15年前の事件の真相を知っていること、その所為で極龍会関係者に惨殺された事を話した。「そうどすか・・それよりも陽千代はん、よくこれを届けてくれはりましたな。これで、田辺はんも浮かばれると思いますわ。」「へぇ、うちもそう思ってます。どうか早う、真犯人を捕まえておくれやす。」「田辺はんの仇は、みんなで討ちますさかい。」 数日後、陽千代はドキュメンタリー番組の打ち合わせの為、新幹線で東京へと向かっていた。事件の捜査の事が気掛かりだったが、それは警察に任せておくべきだろうと考えた陽千代は、東京に着くまで休んでおこうと思い、そっと目を閉じた。 彼が異変に気づいたのは、名古屋駅を過ぎてから間もないことだった。ウトウトしかけていた彼が目を覚ますと、膝の上に置かれてあったハンドバッグがなくなっていた。 誰かに盗まれた―そう思った陽千代が周囲を見渡すと、慌ただしく隣の車両へと移動する男の姿を捉え、慌てて彼を追いかけた。にほんブログ村
Jun 6, 2013
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「まだ例のもんは見つからへんのか!」 大阪市北区にある高級マンションの一室で、ゴルフクラブを振り回しながら一人の男が例の女に向かって怒鳴っていた。「すいません、まだ・・」「全く、お前に任せた俺があほやったわ!」男は女の言葉を聞くなり舌打ちし、彼女の頬を平手で張った。「お願いです、許して下さい!」「じゃかあしい、お前みたいな年増婆を今まで食わせてやったんは、利用価値があったからや!もうお前は用済みじゃ、さっさとここから出ていけ!」「そんな・・」女は縋るような目で男を見たが、彼は自分の腰にしがみつく女を鬱陶しげに蹴った。「聞こえへんかったんか、婆!」女は一瞬屈辱に顔を歪ませたが、何も言わずに部屋から出て行った。「あんた、さっきのは酷いんやない?」奥の方で彼らの会話を聞いていた和服姿の女がそう言って男にしなだれかかると、彼は彼女に笑みを浮かべた。「あんな女、拾ったんが間違いやったわ。銀座のホステスやと聞いてたから少しは使い物になるかと思うたけど、東京の女はプライドが高いだけで使い物にならんわ。」「酷い事言うんやなぁ、あんたの為にこのマンション買うたんは、彼女やないの。」和服姿の女はそっと男に己の腕を回すと、彼の頬にキスをした。その時、月光が女の顔を照らした。「毬千代、お前の助けが必要や。俺の頼み、聞いてくれるか?」「何を言うてんの。あんたとうちの仲やないの。」和服姿の女―毬千代は、そう言うと極龍会幹部・楡崎修に再び微笑んだ。「姉さん、大変どす!」「どないしたん、陽菜ちゃん?そないな大声出して?」「さっき菊屋の毬菊ちゃんから聞いたんどすけど・・毬千代はん、帰ってきはったんどす。」「毬千代はんが?」「へぇ・・何や、姉さんに会いたいと言うて、おかあさんと部屋で待ってます。」「そうか。」 行方知れずだった毬千代が突然祇園町に帰ってきたことに不審を抱きつつも、陽千代は彼女に会う事にした。「いやぁ、久しぶりやねぇ、陽千代はん。」「毬千代はん、一体今まで何処へ行かはったんどすか?うちら、心配で堪りませんでしたえ?」「心配させて堪忍え、陽千代はん。少し実家でトラブルがあってなぁ、無事に解決したから帰ってきたんや。」そう言った毬千代はニコニコと笑った。「そうどすか。」「ほな、うちは組合長さんに会うて来るさかい。」菊江はさっと座布団から立ち上がると、部屋から出て行った。「毬千代はん、姿を消していた本当の理由、うちに教えてくれまへんか?」「・・鋭いなぁ、陽千代はんは。うちが嘘吐いてんの、いつからわかってたん?」「部屋に入った時からどす。いつもは身だしなみをきっちりと整えてはるのに、何や今日の毬千代はんは随分ラフな格好やさかい、おかしいなと思うてたんどす。」「お世話になっている置屋さんにご挨拶するのに、ジーンズはなかったなぁ。うちとしたことが、うっかり気ぃ抜いてしもうたわ。」毬千代はそう言うと大声で笑った。そして彼女は、陽千代を睨みつけたかと思うと、陽千代の手を掴んだ。「あんた、例のモノ持ってるんやろ?」「例のモノって、田辺はんのメモリースティックのことどすか?あれなら、ここにはありまへんけど?」「うちはなぁ、それを渡さんと命が危ないんや。同期の誼で、あれをうちに譲ってくれへん?」「そないなこと、出来しまへん。あれは田辺はんから託された、大事な物やさかい。」陽千代はそう言うと、毬千代を睨みつけた。にほんブログ村
Jun 6, 2013
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数日後、京都市内で田辺の告別式がしめやかに行われた。告別式には彼と生前親交のあった祇園町の芸舞妓らや警察関係者が参列し、彼の冥福を祈った。「陽千代さん、本当にありがとう。わたしと母一人ではどうなっていたことか・・」「いいえ、うちは当然のことをしたまでどす。」 告別式の後、感謝の言葉を述べた美紀に対して、陽千代はそう答えた。 するとまた、あの絡みつくような視線を感じて陽千代が周囲を見渡すと、告別式会場から少し離れた所に、数日前陽千代に声を掛けて来た女の姿があった。彼女は連れと思しき長身の男とおり、男は威圧的な視線を陽千代に向けていた。「美紀さん、ちょっと失礼します。」陽千代はそう言って美紀に断ると、女達の方へと向かった。「うちに何かご用どすか?」「あんた、アレ持ってるんでしょ?」女はそう言うと、陽千代の前に右手を突き出した。「アレとは、何どすか?」「とぼけんじゃないわよ、あんた!」「どないしたんえ、陽千代はん?」睨み合う女と陽千代の前に、菊屋の女将が現れた。「何でもありまへんえ、おかあさん。」「そうか。それよりもどなたはんどすか?」「あたしは、この女に用があるのよ!」「何の話かわかりまへんけど、人前で大声出すやなんて、えらい品がないお人どすなぁ。」「もう、行くわよ!」女はそう言うと、陽千代達に背を向けて去っていった。「おおきに。あの人、数日前にもうちのことつけまわしてたんどす。」「何や香水の匂いプンプンさせてえらい下品な人やなぁ。」「へぇ。あのメイクからして、水商売の人やと思いますけど、祇園であないな人は見かけやしまへん。」「陽千代はん、何か困ったらうちに言いよし。」「へぇ、そうさせてもらいます。ほな、失礼します。」陽千代は菊屋の女将に頭を下げると、告別式場へと戻った。 初七日の法要が終わった後、陽千代は再び田辺家へと訪れた。「陽千代はん、忙しい中来てくれはって、おおきに。」「耀子さん、身体の調子はどうどすか?何や、昨日倒れはったって美紀さんからメール貰って驚きましたけど・・」「ただの過労どす。病院で点滴打ったら良うなりました。今、お茶淹れてきますさかい、そこで待っておくれやす。」「へぇ。」 田辺家の居間で陽千代が耀子を待っていると、玄関のベルが鳴った。「耀子さん、お客さんどすさかい、うちが出ます。」「おおきに。」(こないな朝早くに、誰やろか?) 陽千代がそう思いながら玄関先へと向かうと、すりガラスの玄関扉越しに見えたのは、女と思しき小さなシルエットだった。「どなたはんどすか?」陽千代が玄関先から呼びかけても、相手は無言のままそこに立っていた。「警察呼びますえ?」「ふざけんじゃないわよ、もう!」突如相手は金切り声を上げると、その場から去っていった。「どないしたん?」「不審者がさっき、この家をうろついてました。」「いやぁ、最近物騒やからなぁ。戸締りに気ぃつけな。」にほんブログ村
Jun 5, 2013
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メモリースティックには、事件の真相についての田辺の考察が文書として纏められていた。 事件関係者のアリバイや、自分の両親に対して深い恨みを抱いている者が居るかどうかなど、松本夫婦周辺の対人関係が事細かに書き込まれていた。その中に、真犯人と思しきある人物の名が書かれてあった。 全てのファイルを見た陽千代がメモリースティックをパソコンから取り出そうとした時、不意に視線を感じて窓の外を見た。 するとそこには、水商売風の女がしきりとこちらを見ていることに気づいた。何だか気味が悪くなり、陽千代は女の視線を避けるようにカーテンを乱暴に閉めた。「美紀さん、これ持って帰ってもよろしおすか?」「ええ、どうぞ。父はきっと、あなたにそれを渡したかったから、あんなメールを送ったんだと思います。」 一階に降りた陽千代はメモリースティックの事を美紀に話すと、彼女はそう言って微笑んだ。「これも、どうぞ受け取ってください。」そう言って美紀が差し出したのは、カメオのペンダントだった。「父が、あなたに衿替えのお祝いとして渡しそびれたものだと思います。」「おおきに。」美紀からペンダントを受け取った陽千代は、ペンダントの底が取り外しできることに気づいた。「ほな、うちはこれで。」「タクシー呼びましょうか?ここから美作さんまでは遠いでしょう?」「いいえ、大丈夫どす。また来ますさかい。」「そうですか・・本当に、来て下さってありがとうございます。」美紀は深々と陽千代に頭を下げると、耀子が休んでいる寝室へと向かった。「ちょっとあんた、顔貸してよ。」 田辺家から陽千代が出た数分後、あの女が陽千代の前にやって来た。「どなたさんどすか?」「顔貸せって言ってるのよ。」「すいまへんけど、初対面の相手とはお茶したらあかんとおかあさんから言われてますねん。うちと話したいんなら、置屋を通しておくれやす。」「おかあさんって・・あんた、小学生なの?お茶くらいいいでしょ?」陽千代は女の誘いをきっぱりと断ったにも関わらず、彼女はしつこく食い下がって来た。彼女の狙いは、田辺が遺したメモリースティックだとにらんだ陽千代は、深呼吸して大声で叫んだ。「火事や、誰か来てぇ~!」「火事やて?」「いやぁ~、何処が火事なん?」陽千代が火事だと叫んだ瞬間、数軒の民家から住民達が通りに出て来た。「あんた、覚えておきなさいよ!」女は舌打ちすると、陽千代から離れていった。「すいまへん、お騒がせしてしもうて。変な女に絡まれてましてん・・」「何や、火事やなかったんかいな。」住民達は陽千代が事情を説明すると、安堵の表情を浮かべて家の中へと戻っていった。「ただいま帰りましたぁ。」「お帰りやす。田辺はんの所に手伝いに行ってきたんやて?」「へぇ。おかあさんに今、見せたいものがあるんやけど・・」「そうか。ほな、部屋に来てくれへんか?」「へぇ。」 菊江の部屋に入った陽千代は、彼女のノートパソコンを起動させると、メモリースティックをそこに挿し込んだ。「田辺はんは、事件の真相に近づきすぎて殺されたかもしれへんなぁ。」「そうどすなぁ・・」「あんた、気ぃつけよし。田辺はんを殺した後、次は犯人があんたを狙うかもしれへんえ。」にほんブログ村
Jun 5, 2013
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田辺亮輔の遺体は、山科の山奥で発見された。 遺体の爪には、犯人と争った時に引っ掻いたと思われる組織片がついており、顔は本人であることが判明出来ぬ程酷く殴られていた。財布や携帯電話が現場からなくなっていないことから、物盗りではなく怨恨による犯行であると、尚斗はにらんだ。「まさか、田辺さんがこんなことになるなんて・・」「こないな寂しい場所で死んでいくやなんて・・どれ程無念やったか・・」田辺の相棒である刑事がそう言ってハンカチで目頭を押さえると、田辺の遺体に向かって合掌した。「早う犯人を捕まえんと、田辺はんが浮かばれまへん。」「そうですね。ご家族の方には・・」「もう連絡しました。あと、陽千代はんにも連絡しときました。赤の他人どすけど、田辺はんにとっては実の子も同然やったんで。」「ご苦労さまでした。あとはわたしがやりますから。」「へぇ。」田辺の遺体は現場から運び出され、警察の霊安室で彼の遺族と対面した。彼の妻と娘夫婦は変わり果てた夫と父の姿を目にして涙を流し、その声は霊安室の外まで響いた。 陽千代は霊安室に入ろうとしたが、田辺の家族が去るまで外で待つことにした。「陽ちゃん、来てくれたんか?」田辺の妻・耀子はそう言うと、陽千代を泣き腫らした目で見た。「この度は、ご愁傷様どした。おっちゃんには、いつも良くしてくれはったさかい、おっちゃんが死んでびっくりして・・」「そやなぁ、うちかて、まだ信じられへん。今朝家から出て行った時は元気やったのに・・」「耀子さん、気をしっかり持っておくれやす。うちも手伝いますさかい。」「おおきに、陽ちゃん。あんたが居てくれはってホンマに助かるわ。」暫くの間、耀子と陽千代は、互いに抱き合って田辺の死を悼んだ。 田辺の死を悲しむ時間もなく、すぐさま通夜と告別式の準備に陽千代と耀子は慌ただしく追われることとなった。「お母さん、少し休んだら?あとはわたしがやっておくから・・」「そうか。ほな頼むわ。」田辺夫妻の長女・美紀(みき)がそう言って耀子に声を掛けると、彼女は疲れ切った表情を浮かべながら寝室へと消えていった。「陽千代さん、手伝ってくださってありがとうございます。」「いいえ、うちはおっちゃんへの恩返しのつもりでやってますさかい。それよりも、おっちゃんからうちのおかあさんにこないなメールが来たんどすけど・・」陽千代はそう言うと、菊江が転送してくれた田辺からのメールを美紀に見せた。「父が、こんなメールを?」「へぇ。おっちゃんは、うちの両親が殺された15年前の事件を追ってました。こないなメールを送ってきたんは、何か真相を掴んだのやないかとうちは思うてはるんどす。」「父の書斎は二階にあたって突き当たりにあります。誰も手を触れていませんから、ご安心ください。」「おおきに。」美紀に深々と頭を下げると、陽千代は田辺の書斎へと入った。 そこには15年前の事件の資料が所狭しと書棚に並べられており、陽千代はその資料が纏められているスクラップ・ブックを開いた。 自分の両親が血まみれになった遺体写真を目にした陽千代は激しい吐き気を催したが、ハンカチで口元を押さえてページを捲った。何の収穫もなかったかと思いながら陽千代が書棚にスクラップ・ブックを戻そうとした時、何かが床に落ちる音がした。それは、メモリースティックだった。この中に、事件に関する重要な手掛かりがあるのかもしれない―そう思った陽千代は、メモリースティックをパソコンに挿し込んだ。にほんブログ村
Jun 5, 2013
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「ほな、うちはこれで。」「陽千代(はるちよ)はん、今日は来てくれておおきに。」 陽千代は菊屋を後にすると、まっすぐ美作へと戻った。「姉さん、何処行かはったんどすか?」「菊屋さんや。毬千代さんのことが心配やったさかい。」「そうどすかぁ。それよりも姉さん、さっき電話がありましたえ。」「電話?誰からやの?」「何でも、東京のテレビ局からやそうどす。ドキュメンタリー番組の取材やて。」「そうか。」お座敷へと向かう陽菜(はるな)を見送った陽千代は、彼女から教えて貰ったテレビ局の番号に掛けてみると、すぐに繋がった。「美作の陽千代と申しますぅ。わざわざお電話くださって、おおきに。」『すいませんね、これから忙しい時だというのに。実は、陽千代さんに密着取材をさせていただきたいなと思いまして・・』「密着取材、どすか?」『ええ。“働く女性”というテーマで週1回放送しているのですが、今週の放送では京の花街で働く女性というタイトルで、是非とも陽千代さんに・・』「わかりました。おかあさんと相談してみますさかい、ちょっとお時間おくれやす。」『良いお返事をお待ちしております。』「ほな、これで失礼致します。」 テレビ局との通話を終えた陽千代は、すぐさま菊江の部屋へと向かった。「おかあさん、今宜しおすか?」「どないしたん?」「実はさっき、東京のテレビ局から電話があって、ドキュメンタリー番組に出て欲しい言わはりまして・・」「出たらええわ。あのドキュメンタリー番組はちゃんとした番組やさかい、祇園の宣伝にもなるえ。」「ほな、先方からは取材を受けると連絡しときます。」陽千代がそう言って菊江の部屋から出て行こうとすると、彼女は何かを思い出したかのように、陽千代の手を掴んだ。「陽千代、あんた事件の事で田辺はんから何を聞いてないか?」「いいえ、聞いてまへんけど・・どないしたんどすか?」「実はなぁ、うちの携帯にさっき田辺はんからこないなメールが届いたんや。」「見せておくれやす。」菊江の携帯で田辺からのメールを見た陽千代は、そこに書かれている文面に驚きと恐怖を隠せなかった。“誰かが陽ちゃんを狙うとる、用心せぇ。”「誰かが狙うとるて・・物騒なメールやさかい、田辺はんの携帯にすぐに掛けたんやけど、繋がらへんのや。」「ほんまどすか?」もしかしたら、田辺の身に何かが起こったのかもしれない―陽千代は妙な胸騒ぎを覚えた。 その夜、お座敷が終わった後陽千代は何度も田辺の携帯に掛けたが、一向に繋がらなかった。ただ単に携帯の電源を切っていて、それに彼が気づいていないかもしれない―そう思いながら、陽千代は悪い事を考えるのは止めて寝た。しかし、陽千代の悪い予感は的中した。「もしもし、美作どす。陽千代やったら居てはりますけど・・へぇ、そうどすか・・」「どないしはりましたん、おかあさん?」「陽千代ちゃん、さっき警察から電話があってな・・山科で田辺はんの遺体が見つかったて・・」「おっちゃんの遺体が?」 菊江から田辺の死を告げられ、陽千代はその場でショックの余り気絶した。にほんブログ村
Jun 5, 2013
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陽千代(はるちよ)が退院してお座敷に復帰したのは、一週間後のことだった。「陽千代さん、もう身体の方は大丈夫なんか?」「へぇ、お蔭さんで。今回の事で皆さんにご迷惑お掛けしてしもうて、申し訳ないと思うてます。」「そんなに気にせんでええわ。」陽千代の先輩格に当たる芸妓・鶴千代はそう言ってニッコリと笑った。「それよりも聞いたか、佐々木様の次男坊、婚約破棄されたそうや。」「陽斗(ひろと)様が?何やこの間お見かけした時は婚約者の方と仲良いご様子どしたけど・・何かあったんどすか?」「何でもなぁ、陽斗様が癲癇(てんかん)を発症してしもうて、その所為で婚約者の紗弥佳(さやか)はんが子どもに遺伝するんやないかて疑うて・・ほんで、一方的に婚約破棄っちゅう形になったらしいわ。」「エライ酷い話どすなぁ。癲癇は遺伝せぇへんて、ちゃんと明らかになってるのに・・」「そうや。紗弥佳はんは自分勝手なお人やさかい、他人への思いやりが欠けているんと違う?」鶴千代が紗弥佳に対して毒を吐くと、陽千代はクスリと笑った。「まぁ、そやなぁ。お客様の悪口は、よう言えやしまへんけど・・人それぞれやさかいなぁ。」「そうやな。さ、お座敷に行きまひょ。」「へぇ。」 女中に案内され、陽千代と鶴千代はお座敷で京舞を披露した。「やっぱり、陽千代はんと鶴千代はんの舞は天下一品やなぁ。」「おおきに。暫くお座敷に穴を空けてしもうたさかい、上手く舞えるかどうか心配やったんどす。」「何を言うんや。」「陽千代さんの舞は、いつ見ても艶やかで、うち見惚れてしまうわぁ。」鶴千代はそう言いながら陽千代を見た。「陽千代さん、これから色々とマスコミが煩いやろうけど、貝のように黙って口を閉ざしといたら、誰もちょっかい出さんくなるえ。」「肝に銘じます。それよりも鶴千代さん姉さん、何か毬千代さん姉さんのことで聞いてませんやろか?」「ああ、最近見てへんわねぇ。おかあさんに聞いてみよか?」「そうしておくれると助かるんどすけど、うちが直接おかあさんに聞いてみます。」「その方がええなぁ。ほな、うちはこれで。」 数日後、陽千代は毬千代の事を聞きに、置屋・菊屋へと向かった。「おかあさん、お久しぶりどす。」「いやぁ陽千代ちゃん、もう身体は大丈夫なんか?」「へぇ、お蔭さまで。それよりも、毬千代さん姉さん、最近お座敷を休みがちやと聞いてはりますけど、何かあったんどすか?」「実はなぁ、毬千代は里に帰ってしもうたんや。」「里へ?」「ここは人目があるさかい、奥で話すわ。」「そうどすか。ほな、上がらせて貰います。」 奥にある女将の部屋に陽千代が入ると、彼女は何処か深刻そうな表情を浮かべながら座布団の上に腰を下ろした。「実はなぁ、突然毬千代が里に帰る言うてきたんや。」「それはいつのことどすか?」「東京行きが決まった時のことや。何や毬千代、何処か切羽詰まったかのような顔してはったわ。」「そうどすか・・毬千代はんは、今何処に居てはるんどすか?」「それが、うちにもわからへんのや。」 女将の言葉を聞いた陽千代は、毬千代が深刻な事情を抱えていることをこの時初めて知ったのだった。にほんブログ村
May 28, 2013
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「悠ちゃん、もう準備は出来たの?」 山崎悠太はすっかり片付いた自室を眺めていると、下から母・美里の声が聞こえた。今年でもう26になろうという息子を、彼女はいつまで経っても“悠ちゃん”と呼ぶ。「母さん、その呼び方は止めてくれって言っているだろ?」うんざりした口調で美里にそう言いながら悠太がリビングに入ると、そこには一人の青年が美里と向かい合った形で椅子に座っていた。「失礼ですが、あなたは?」「初めまして、わたしはこういう者です。」そう言うと青年は、悠太に一枚の名刺を手渡した。「警視庁警視正・・刑事さんが我が家に何のご用でしょうか?」「15年前の事件について、あなたのお母様にお聞きしたい事がございまして・・宜しいでしょうか?」「わたくしは構いませんわ。一体何をお聞きになりたいのかしら?」優雅な仕草で前髪を掻きあげた美里は、何処か好色な視線を尚斗に送った。「あなたが15年前、松本賢哉さんと不倫関係にあったのは事実ですか?」「ええ。向こうには奥様がおりましたけれど、誘ったのは向こうの方ですわ。」「そうですか。それでは、あなたは不倫関係を清算する為に賢哉さんとその妻、百合子さんを殺害したのではありませんか?」「そんな、殺人を犯すなんてとんでもない!わたくしはそんな恐ろしい事はしませんわ。」「そうですか。殺人を犯さなくても、他人の家庭を破壊することはできるのですね。」尚斗の嫌味を聞き、美里が僅かに顔を顰(しか)めたのを見た悠太は少し爽快な気分になった。「あの二人が殺された事を知ったのはテレビのニュースですわ。わたくし、もう驚いてしまって・・」「そうですか。賢哉さんを恨んでいる人間に心当たりはありませんか?」「さぁ、それはお答えできませんわ。何せ、賢哉さんは色々と遊び好きな方でしたもの。ギャンブルでご両親には内緒で、多額の借金を作っていらしていたようですし・・」「そうですか。悠太さんは、陽千代さんと親しいようですね?」突然尚斗に話を振られ、悠太は少しうろたえてしまった。「ええ・・先週彼女にプロポーズしましたが、振られてしまいました。」「そうですか。それよりも、これからどちらへ?」「仕事でNYへ。暫く日本には戻って来ないつもりです。あの・・陽千代さんは元気ですか?」「ええ。少し入院していましたけれど、元気でしたよ。」「そうですか・・彼女に宜しくお伝えしてください。」「わかりました。それではわたしはこれで。」「お待ちください、せめて朝食を頂いてからでも・・」「忙しいので。」美里からの誘いを断った尚斗は、山崎家を後にした。「悠ちゃん、暫く日本には戻って来ないってどういうことなの?」「仕事に集中したいんだ。」「ママのことをどう思っているの?こんな広い家にわたし一人じゃ心細いのよ。」「だったら、引越(ひっこ)せばいいじゃないか?ネットで探せば、いくらでも安いマンションが見つかるよ。」「そんな・・あなた、最近ママに冷たくなったわね。もしかして、失恋した所為なの?」「もう行くよ。」「悠ちゃん、待ってよ~!」背後で泣き喚く母を無視して、悠太は自宅前に待たせていたタクシーへと乗り込んだ。「関西国際空港までお願いします。」にほんブログ村
May 28, 2013
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「噂とは、一体・・」「何や、賢哉はんが浮気をしてはる、いうもんどす。何でも最近帰りが遅いんで、外に女作ってるんと違うかて・・」「それで、夫の浮気を百合子さんは確かめたんですか?」「浮気してたんは事実どした。しかも、相手の女にはやや子が居たんどす。」「子どもが?」「それ聞いた時、うちびっくりしましたわ。賢哉さんは百合子に一目ぼれして、あちらのご両親の反対を押し切って結婚したさかいなぁ。それやのに陽ちゃんが生まれてからは、外の女を妊娠させてたやなんて・・百合子は相手の女の家に突撃して、その女と取っ組み合いの喧嘩して警察沙汰になったんどす。」「それは・・お辛いでしょうね、百合子さんは。」「へぇ。ホンマに可哀想なんは陽ちゃんどす。賢哉さんは陽ちゃんのことよう可愛がってはったけど、松本家の跡取りやから向こうのご両親も大層可愛がってはりました。もし陽ちゃんが女の子やったら、邪魔者扱いされてたかもしれまへん。」「そうですか・・」「久木はん、お子さんは?」「いえ、恥ずかしながら未だに独身でして・・」「百合子は陽ちゃんを連れて賢哉さんと離婚して、松本の家を出る言うてました。うちはあの子に、感情的になったらあかんて釘を刺して帰ったんどす。その夜、あないな事に・・」「菊江さん、百合子さんと賢哉さんを殺した犯人は、賢哉さんの浮気相手の女だと思いませんか?」「それはありまへん。相手の女は賢哉さんから多額の小切手を渡されて、もう二度と会わへんことを約束して京都から出て行きはったそうどす。」「念の為、その女の氏名を教えていただきませんか?」「へぇ・・確か相手の女の名前は、山崎美里いうてました。」「ありがとうございました。それでは、わたしはこれで失礼致します。」「また、お越しやす。」そう言って微笑む菊江から、尚斗に対する敵意は完全に消えていた。「今日、久木はんいう方とお話したえ。」「久木はんと?何を話したんどす、おかあさん?」退院した陽千代は、そう言うと菊江を見た。「事件当時にあんたのお母さんと会うて、色々と話したことを久木はんに話したんや。あんなぁ陽ちゃん・・」「うちの両親は、離婚寸前やったってもう知ってるえ、おかあさん。事件の夜、二人が殺される数時間前に、二人が言い争う声を聞いたさかい。」「陽ちゃん・・」 陽千代の脳裏に、15年前両親が殺される数時間前に激しく口論していた声を聞いた時のことが突然浮かんだ。防音性の高い壁に隔てられ、彼らの会話はよく聞こえなかったが、離婚する時に自分の親権をどちらが取るのかを言い争っていたことは確かだった。『あなたには、あの女が居るじゃない!でもわたしには、陽太郎しかいないの!』『陽太郎はうちの大事な跡取りや!お前にあの子を立派に育てられることが出来るんか!?』『少なくとも、あなたのような男に育てられるよりマシだと思うわ!』両親が激しくいがみ合い、罵り合う姿を想像しながら、陽太郎は耳を塞いで涙を流した。自分の所為で、両親は喧嘩しているんだ―離婚の危機に両親が瀕しているのを、陽太郎は何処か自分の責任のように感じていたのだった。「あんたは何も悪くない。悪いのはあんたのお父さんや。せやから、もう自分を責めるのはやめよし。」「おかあさん・・」 菊江に肩を叩かれ、陽千代はその時自分が泣いていることに気づいた。にほんブログ村
May 28, 2013
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「お前、今日陽千代さんに15年前の事件の事を根掘り葉掘り聞いたんだってな?」「どうしてそれを・・」「美作の女将から、苦情の電話が来てな。怪我人に事前の都合を聞きもせずに勝手な真似をしたって、随分お怒りのご様子だったぞ?」父から菊江の事を聞いた尚斗は、思わず舌打ちしてしまった。「お言葉ですがお父さん、こっちだって沢山事件を抱えているんです。早期解決を望む為には、関係者の都合よりも当時の事件の詳しい状況を把握した方が・・」「焦るな、尚斗。お前が早く事件を解決したい気持ちは解るが、ただ事件を解決するだけが警察の仕事じゃないとわたしは思っているんだよ。」「では、どうしろと?ただ時間が過ぎるのを黙って見ていろと言うのですか?」「そうじゃない。もっと人の気持ちを慮(おもんばか)って行動しろと言っているんだ。」「お父さん・・」尚久はそう言うと、さっとソファから立ち上がりエレベーターホールへと向かった。 ホテルから自宅マンションへの帰り道、尚斗は悔しさの余り爪を噛んでいた。(僕のやり方が間違っているっていいたいんですか、お父さん!?) 尚斗には二人の兄が居り、彼は幼い頃から優秀な彼らとありとあらゆる事について周囲から比較されて育った。それは成人しても同じで、二人の兄達に負けぬよう、必死に尚斗は脇目も振らずに出世街道を駆けあがって来た。自分のやり方は決して間違っていないと尚斗は自負しているし、人の気持ちを慮るような捜査をしていては、事件解決までの時間がかかる。父のアドバイスなど不要だ。「あら、また来はったん?」「すいません、何度も伺ってしまって。昨日はそちらのご都合も考えずに無礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした。」 翌日、美作にやって来た尚斗は、開口一番にそう言うと菊江に向かって深々と頭を下げた。「うちこそ、すんまへんどした。今日は手が空いているさかい、お部屋へどうぞ。」昨日の冷淡な態度とは打って変わって、菊江はにこやかな笑みを浮かべながら彼を玄関先で出迎えたかと思うと、奥の部屋へと彼を案内した。「それで、15年前の事件の事を聞きたいどすやろ?」「はい・・差し支えなければ、陽太郎さんの事をお聞きしてもよろしいでしょうか?」「へぇ。少し冷たいぶぶ(お茶)でも飲んでここで待っとくれやす。」「は、はぁ・・」菊江の態度がガラリと変わったので、裏で彼女が何か企んでいるのではないのかと、尚斗は要らぬ勘繰りをしてしまうのだった。「お待たせしました。これ、陽ちゃんのアルバムどす。」「拝見致します。」「どうぞ。」菊江から陽太郎のアルバムを受け取った尚斗は、まず彼の幼少期のページを開いた。その1ページ目には、産まれたばかりの陽太郎が笑顔の両親と写っている写真があった。「この赤ん坊抱いてはる人が、うちの妹で陽ちゃんのお母はん、百合子はんどす。そしてこの人が、陽ちゃんのお父はん、賢哉はんどす。」「幸せそうな家族写真ですね。」「まぁ、まだこの頃は幸せやったかもしれまへん。あんな事件が起こるまでは・・」菊江はそう言葉を切ると、ハンカチで目元を押さえた。「すいまへん、事件の事を思い出すとどうしても泣きそうになるんどす。」「辛いお気持ちはわかりますが、事件の事を話してくださいませんか?」「へぇ・・」 菊江は尚斗に心を開いたのか、彼の言葉に静かに頷いた後、静かに事件の事を彼に話し始めた。「百合子と事件の日のお昼に、ご飯を食べに行きましてなぁ、そこで義兄(にい)さん・・賢哉はんの噂を耳にしたんどす。」「噂、ですか?」にほんブログ村
May 28, 2013
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「すいまへんなぁ、こないな格好でお迎えしてしもうて。何や事前にご連絡してくれはったら、身支度ができたんやけど。」「すいません、急を要するものでして。」 田辺刑事と懇意にしている“陽ちゃん”こと、祇園の芸妓・陽千代―松本陽太郎は、さらりと嫌味を言いながら久木を見た。「15年前の事件のことやったら、うちはよう覚えてません。まだ子どもやったさかい。」「ですが、あなたはあの事件で唯一の目撃者で、被害者遺族でしょう?何か思い出したことはありませんか?あったら、ちょっとだけでも教えて下さいませんか?」「そないな事言われても、子どもの頃のことはよう覚えてまへん。すいまへんけど、少し頭が痛なってきたんで休んでもよろしおすか?」「・・すいません、また来ます。」「またお越しやす。」 昨夜田辺と彼の書斎で話した久木は事件について陽太郎に尋ねたが、無駄足に終わった。「久木警視正、奇遇どすなぁ。」「田辺君、どうしてここに?」「どうしてって、陽千代さんの見舞いに決まってますがな。ほな、うちはこれで。」何処か余裕綽々とした態度を取りながら悠然とした足取りでゆっくりと陽千代の病室に入って行く田辺の後を、久木は密かにつけた。「いやぁ、うちの好きなステラおばさんのクッキーやないの。」「一昨日、孫の顔を見に泉ヶ丘に行ってきたんや。陽ちゃん、ここん店のチョコチップクッキー好きやろ?」「おおきに。それよりもさっき、久木さんいう方がお見えになったんやけど、何や急に来たからかなわんわぁ。」「そうか。どうせ事件について話せと言うてきたんやろ?」「へぇ。けど、何も話さへんかったわ。おっちゃん、クッキーおおきに。」「はよ体力つけて元気になってな。」「へぇ。」自分の時とは対照的に、陽千代は田辺に向かって笑顔を浮かべていた。この差は一体何なんだ―一種の不快感で胃がムカムカするのを感じながら、久木は病院を後にした。「まぁ、突然来はって事件のこと聞きたいやなんて・・うち今忙しいんどす、後にしてくれまへんか?」 病院から、祇園の置屋・美作を訪ねた久木に応対した菊江は、陽千代と同じ態度を彼に取った。「あの・・」「へぇ、何どすか?」「いいえ。では、また日を改めて伺います。」「そうどすか。何やったら今日みたいに連絡もせんと来てくれはったら困りますさかい、うちの都合も考えてくださはったらええんどすけど。」満面の笑みを浮かべた菊江は、陽千代と同様久木にチクリと嫌味を言った後、そそくさと奥の部屋へと引っ込んでいってしまった。(何なんだ、一体?僕の何処に問題があるというんだ?)菊江と陽千代に拒絶され、事件について重要な証言が全く得られなかった久木は、駅前のバールでワインを飲みながら煙草を吸っていた。スマホに着信があったのは、その時だった。「はい、久木です。」『尚斗、今何処だ?』「JR京都駅前にあるバールで飲んでますよ。一体何のご用ですか?」『実はな、お前に話したいことがあるんだ。』「わかりました。」 数分後、タクシーで尚斗が二条城近くにある京都国際ホテルのロビーに入ると、彼に気づいた父・尚久は彼に手を振った。「済まないな、急に呼び出して。」「話とは何ですか?」「実はな、お前に会わせたい人が居るんだよ。」「お父さん、縁談ならお断りした筈ですよ?」「まぁ、最後まで聞け。」 腰を浮かしてソファから立ち上がろうとする息子の肩を掴んで、尚久は彼を無理矢理ソファに座らせた。にほんブログ村
May 27, 2013
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「何や、誰やと思うたら久木警視正やないですか?俺に何かご用ですか?」田辺が厭味ったらしい口調で青年にそう言うと、彼は神経質そうに中央の眼鏡のフレームを押し上げた。 彼は田辺の上司で、名を久木尚斗といった。 曾祖父の代から続く警察官僚一家出身で、彼自身もキャリアの警察官僚としてこの警察署に勤務している。といっても、彼の署長としての任期は残りわずかであり、この警察署の署長を経た後は警視庁か警察庁の官僚となるエリートコースが用意されている。 交番勤務からこの警察署で25年余り、叩きあげでやってきたノンキャリアである田辺とは待遇が天地ほどの差である。「君は何故、15年前の事件を追っているんだ?」「そら、俺が初めて担当した事件やさかい、気になってしゃぁないんですわ。」そう言って田辺はコーヒーを一口飲むと、パソコンのマウスを慣れない手つきでクリックした。すると画面上に、15年前の事件を報じた新聞記事が表示された。「今は何でもかんでもデジタルですなぁ。何やこの間、息子んところでブルー・レイっちゅうやつを見たんですわ。お父さんもそろそろ買うたらどうやて言われたけど、こないなもんもよう使いこなせませんわ。」「君の与太話に付き合っている暇はないんだ、田辺君。」「へぇ、そうでっか。ほな、俺はこれで失礼しますわ。何や画面ばっかり見てたら頭痛くなってきたんで。」「おい、まだ話は終わっていない・・」久木の言葉を途中で遮るかのように、そそくさと田辺は部屋から出て行った。「先輩、今のは不味いんと違いますか?」「不味いことあるかいな。あんな若造に馴れ馴れしく“君”付けで呼ばれてみぃ、虫酸が走ってしゃぁないわ。」自分よりも一年後輩の同僚刑事・西田にそう言われ、田辺はそう毒づいた。「けど、署長怒らせたらどっかに飛ばされまっせ。」「ふん、親の七光りで入った奴に何の権力もあるかいな。それよりも西田、何処か行くんか?」「はい、実はさっき、孫が生まれたんですわ。」「へぇ、それはめでたいな。どっちやったんや?」「女の子です。何や娘がもう子ども産んだなんて信じられまへん。」「あんまり毎日顔見せんとき。たまにやったらいいけど、向こうも気を遣うさかいな。あとな、育児のやり方も俺らの世代とは全然違うさかい、余り口出さんとき。」「わかりました。お祖父ちゃんの先輩やさかい、為になりますわ。」「孫は可愛いもんや。ただ、甘やかしすぎたらあかんわ。」そう言って四人の孫を思いながら後輩と話す田辺の頬が自然と弛(ゆる)んだ。「ただいまぁ。」「お帰りなさい。最近あんた帰り遅いなぁ。何かあったん?」帰宅した田辺を、彼の妻である静江が出迎えた。「いやなぁ、15年前の事件の事を色々と調べてたんや。」「そうですか。あんたにとって、あの事件は特別なものやからなぁ。そういえば陽ちゃん、元気にしてはる?」「実はなぁ、今入院してるんや。余り騒ぎ立てんでくれって言われてるんや。」「そうかぁ、じゃぁお見舞いに行くのは落ち着いてからにしよか。」「そうした方がええ。それよりも静江、誰か来てるんかいな?」「それが・・」「お邪魔してます、田辺さん。」 涼やかな声が居間から聞こえたかと思うと、すっと襖が開いて久木警視正が現れた。「まぁ、気ぃつきませんでしたわ、堪忍な。」「いえ、お構いなく。それよりも田辺さん、あなたにお聞きしたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」「あんたもしつこい人やなぁ。ま、俺の書斎で良ければどうぞ。」「では、失礼致します。」 田辺は渋々と、久木警視正を書斎へと招き入れた。「そんで、俺に聞きたいことって何ですやろ?」「さっき君が奥さんと話していた、“陽ちゃん”という人物についてだ。」にほんブログ村
May 27, 2013
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三度陽千代(はるちよ)が目を開けると、そこには菊江と田辺刑事、そして陽菜(はるな)が病室に集まっていた。「姉さん、無事で良かった!」陽菜はそう言うなり、陽千代に抱きついて大声で泣き出した。「陽菜ちゃん、心配掛けてすまんかったなぁ。」「謝らんでええ。それよりも、あんたが無事でよかった。」「おかあさん、何でうちは病院に?」「あんたのことを助けてくれはったんは、田辺はんや。」菊江はそう言うと、田辺に向かって深々と頭を下げた。「おおきに、田辺はん。うちの陽千代を助けてくだはって、ほんまおおきに。」「頭を上げてください、菊江はん。俺は当然の事をしたまでのことや。それよりも菊江はん、陽千代と二人きりにさせてくれはりませんやろうか?」「へぇ。陽菜ちゃん、行くえ。」「へぇ、おかあさん。ほな田辺はん、これでうちらは失礼します。」空気を察した菊江と陽菜は田辺に向かって深々と一礼すると、病室から出て行った。「陽千代、お前を監禁してた男は自殺した。こんな遺書を残してな。」「遺書、どすか?」「そうや。」田辺刑事から渡された優の遺書に目を通した陽千代は、それを読み終わると近くに置いてあった屑箱を掴み、胃の中の物を全て吐き出した。「大丈夫か?」「へぇ・・」 吐き気を催す程に、優の遺書は強烈な内容だった。そこには陽千代と愛を交わした瞬間に感じたこと、彼への密かな想いなどが便箋7枚にわたって書かれており、結びにはこんな一文が書かれてあった。“これで、陽千代の魂は永遠に僕のものだ。”「今はゆっくり休んだ方がええ。」「わかりました。おかあさん達には・・」「この事は黙っておくさかい、今は眠り。」「へぇ・・」 病室から出た田辺刑事は、その足で警察署へと向かった。「田辺はん、お帰りやす。」年若い部下の一人が、そう言って田辺に頭を下げた。「陽千代さんの容態はどうでした?」「まだ体調は万全やない。暫くはそっとしてやってくれんか?」「わかりました。それよりも田辺はんに聞いておきたいことがあるんですけど・・」「何や?」「陽千代さんとは、どんな関係どすか?」「お前が邪推するような関係やないことは、確かや。陽千代は、俺にとっては親戚の子みたいなもんや。」「そうどすか。そういや、15年前の事件はもうじき時効どすなぁ。」「今は時効を廃止されたんや。事件の犯人が時効寸前になって現れるかもしれん。今まで息を潜めて来て、やっと自由になれる思うてな。」田辺は、そう言ってコーヒーを一口飲むと、後輩刑事を見た。「これから気を引き締めんといかん時期や。くれぐれも油断したらあかんで。」「わかりました。俺は何をすれば?」「15年前の事件の資料にもう一遍目を通せ。見逃しているところがある筈や。」「はい!」威勢のいい返事をした彼は、素早く椅子から立ち上がり、資料室へと向かっていった。「田辺さん、まだあの事件を調べているんですか?」「何や、誰かと思うたらお前か。」田辺がそう言って背後を振り向くと、濃紺の制服を纏った青年が渋面を自分に浮かべていることに気づいた。にほんブログ村
May 26, 2013
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ここに連れて来られてから、何時間経った頃だろうか。 目隠しをされ、ヘッドフォンから大音量の音楽を強制的に聞かされている状態では、周囲の状況が全く把握できない。外へ出ようとも、ベッドに両手足を縛りつけられて身動きもままならない。優は、一体自分に何をする気なのだろうか。もしかして、自分をここで殺そうとしているのではないか―陽千代がそう思った時、寝室のドアが開いた。「目が覚めた?」「優・・」寝室に姿を現した優は、満面の笑みを浮かべていた。「食事だよ。少し栄養を取らないと傷の治りが遅くなるからね。」彼はそう言うと、己が傷つけた陽千代の背中に軽く口付けた。「わたしに・・触るな。」「いつまで、そんな威勢のいいことが言えるのかな?」まるで獲物を仕留めんとする獰猛(どうもう)な肉食獣のように、優は黄金色の双眸を陽千代に向けた。「大丈夫、君を殺したりはしないよ。僕はここで、君と気が済むまでセックスしたいんだ。」「狂っている!」「言ったでしょう、僕は君の事を愛しているんだって。だから僕の言う事聞いてよ、ね?」陽千代の言葉は、何ひとつ優には届かない。一体どうすればよいのか―陽千代は自分に微笑む優を見ながら、深い溜息を吐いた。「・・はぁ、キツイね。でも嬉しいよ、こういうことをするのが、僕と初めてなんて。」「やめろ・・」優は己の男根を陽千代の秘所に深く埋めながら、そう嘆息すると陽千代の細い腰を掴んで激しく腰を振った。 焼けた火箸で内臓を掻きまわされるような感覚に襲われ、陽千代は激しい吐き気を催したが、優に弱みを見せてなるものかと固く唇を引き結んで声を出さなかった。「強情だね・・これはどう?」少し苛立ったような口調でそう言った優は、深く陽千代の中を穿った。「痛ぁ・・」「もう駄目、中に出してあげるよ・・」優は今まで以上に激しく腰を振ると、陽千代の中に欲望を吐き出した。「ねぇ、どうして素直になれないの?」「うるさい・・」「僕の事を愛してくれるだけでいいんだ。一度だけでもいいんだ・・」「誰がお前のような変態を愛するものか!」「そう・・やっぱり君も、僕を拒むんだね?」優は虚ろな目で陽千代を見つめたかと思うと、ベッドのサイドテーブルに置かれたバタフライナイフを掴んだ。「ここで君を殺して、僕も死ぬよ。」「好きにしろ・・」陽千代はそう言うと、そっと目を閉じた。“陽ちゃん。”脳裏に、自分に向かって優しく微笑む亡き母の姿が浮かんだ。彼女に近づこうとした陽千代だったが、彼女は何故か自分を拒んだ。“あんたはまだここに来たらあかん。”久しぶりに会えたのに、何故そんな酷いことを言うのだと、陽千代は母を恨みながら再び目を閉じた。「陽ちゃん、大丈夫か?」「おかあさん・・」にほんブログ村
May 26, 2013
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「気がついた?良く眠っていたから起こすの可哀想だと思って、ここまで連れて来ちゃった。」 涼やかな声が頭上から響いてきて、陽千代(はるちよ)がゆっくりと俯いていた顔を上げると、そこには料亭に居た青年が薄ら笑いを浮かべながら陽千代を見ていた。「ここはね、かつて僕の祖父が所有していた山荘なんだ。けどね、ある人物にお金を騙し取られて何もかも失った末、唯一の財産であったここで猟銃自殺を遂げた。君が今、ここで座っている所でね。」青年はそう言うと、陽千代を見た。「何でうちを、ここへ連れてきたんどすか?」「まだわからない?僕が君をあの料亭に呼び出した理由が。」青年は腰を低く屈めると、陽千代の頬をそっと撫でた。「初めて君と会ったのは、小学校の入学式だったな。同じ男子の制服をきているっていうのに、男装した女の子が居るんじゃないかって思ってしまったよ。」「あの、うちに何でそないな話を?」「君のことを、ずぅっと見ていたんだよ、僕は。陽千代・・いや、松本陽太郎。」青年に本名を呼ばれ、陽千代はビクリと身を震わせた。「君の両親は、15年前に誰かに殺されたことを知っているよ。当時は新聞やテレビのワイドショーで大騒ぎになっていたからねぇ。でも僕は正直、ざまぁみろって思ってたんだ。」青年の手が陽千代の首に伸びたかと思うと、それをきつく絞め始めた。陽千代は酸素を求めて激しく暴れたが、青年は陽千代の身体を押さえつけた。「陽太郎、僕だよ・・山岡優(やまおかすぐる)。覚えてない?」青年の言葉を聞いた陽千代は、青年と会ったのが初めてではないことを思い出した。 小学校の入学式、緊張と不安で押しつぶされそうになっている自分に話しかけて来てくれたのが、優だった。「優・・どうして?」「久しぶりだね、陽太郎。まさか君が、祇園で芸妓になっているとはね。」「お前は一体何の目的があってここに・・」「君を連れて来たかって?それはね・・君を僕のものにする為だよ。」優はニヤリと笑うと、陽千代の唇を塞いだ。「わたしに触れるな!」「どうして?君は誰に操立てしているの?君を親代わりに育ててくれた置屋の女将さん?それとも、あの佐々木っておじさん?」蝋燭(ろうそく)の仄かな明かりで、優の端正な美貌がゾッとするほど美しく見えた。淡褐色の瞳が月光を受けて黄金色に輝き、嗜虐的な光を放ちながら彼は陽千代の身体を縛める縄をバタフライナイフで素早く切り落とすと、陽千代の身体を床に押さえつけ、着物の裾を割った。「やめろ・・」「震えちゃって、可愛いね、陽太郎。いつもはお高くとまっている君でも、僕の前ではそんな顔をするんだ?」優はクスクスと笑うと、陽千代の身体を素早く反転させて着物を乱暴に剥いだ。「綺麗な肌だね・・まるで汚れのない雪のようだ・・」ウットリした表情を浮かべながら、勝はバタフライナイフを握り締め、その刃先を躊躇いなく陽千代の背に振り下ろした。 全身に激痛が走り、陽千代は悲鳴を上げようとするのを必死に堪えて唇を噛み締めた。そこから血が滲んでくるのを感じながら、陽千代は静かに目を閉じた。「おやすみ、陽太郎・・まだ時間はたっぷりあるからね。」 狂気に満ちた笑みを口元に湛えながら、優は陽千代の血が滲んだ背にそっと指を這わせた。「これで君は、僕のものだよ・・」にほんブログ村
May 26, 2013
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翌朝、菊江は陽千代(はるちよ)を自室に呼び出すと、一冊の週刊誌を彼に見せた。「これは一体どういう事なんや?うちにわかるように説明しぃ!」その記事の見出しには、敏明と陽千代とのツーショット写真が飾り、記事のタイトルには、“大物資産家S氏と、祇園の名妓・Yとの熱愛発覚か!?”というセンセーショナルな文字が踊っていた。「誤解どす、おかあさん。うちはこんなんに書かれているようなことはしてまへん。」「そうか。じゃぁ、この記事に書かれてあることは事実無根なんやな?」「へぇ、そうどす。こんなんは全部嘘どす。うちは潔白どす!」菊江は陽千代の言葉を聞いて、記事が出鱈目(でたらめ)であることを認めてくれたが、一旦週刊誌に取り上げられたことで、陽千代と佐々木氏とのセックス・スキャンダルを世間の人々は“事実”だと捉えてしまう者が多かった。それは、花街でも同じことだった。「あ、陽千代さんや。」「面の皮が厚おすなぁ。」「週刊誌にあないに書かれて、恥ずかしゅうて表に出られへんのが普通やないの?」「祇園の面汚しやわ、ホンマに。」通りで他の置屋の芸舞妓とすれ違う度に、陽千代は彼女達からそんな陰口を叩かれた。だが、陽千代は毅然とした態度で今までと普通どおりにお座敷に出ていた。そんな中、彼の身に思わぬ災難が襲い掛かる。「陽千代、今からお座敷え。」「へぇ、そうどすか。ほな、行ってきます。」昼間からお座敷があるだなんて変だなと一瞬陽千代は思ったが、仕事なのだからと割り切って指定された場所へと向かった。「やぁ、来たんだね。」「陽千代どす、呼んできてくださっておおきに。」「まぁ、そんなところに突っ立ってないでここに座りなよ、ね?」いかにもエリートといった雰囲気を持った青年が、そう言って空いた座布団を叩いた。「お客はん、困ります。うちはホステスと違いますさかい。」「はぁ、何言ってんの?お宅ら芸者は、客に侍る仕事なんでしょ?」「・・失礼します。」激しい怒りで胃がカッとなった陽千代は、初めて客に背を向けて部屋から出て行こうとした。だが彼が襖に手を掛けようとした時、陽千代の首筋にスタンガンが押し当てられた。 50万ボルトの電撃を受け、陽千代は気絶した。「ったく、手間かけさせやがって・・」失神した陽千代の身体をひょいと軽々しく肩に担いだ青年は、料亭の裏口から外へと出て行った。「菊江さん、大変どす!」「どないしたん、そないな顔して?」「陽千代はんが、誰かに誘拐されはった!」「警察呼んでおくれやす!」菊江がそう言って携帯で警察に通報しようとしたが、料亭・いしざきの女将は彼女を止めた。「止しなはれ、菊江さん。今ここで大きな騒ぎを起こしたら、あんたや陽千代さんが何て言われるか・・」「うちは何て言われても構わへん!陽千代の身に何かあったら、うちはあの子を殺してうちも死ぬ!」 一方、陽千代は山奥の廃屋で目覚めた。にほんブログ村
May 26, 2013
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「ただいま帰りましたぁ。」「陽千代、お帰り。疲れたやろ?」 無事東京での仕事を終え、帰宅した陽千代を、菊江はそう言って労った。「もうすぐクリスマスやなぁ、今年はどないするん?」「そうやなぁ、一人でテレビでも観て過ごそうか。」カレンダーを見つめながら、陽千代はそう言って茶を一口飲んだ。「あと2週間で、あんたの両親の・・」「言わんといておくれやす、おかあさん。」「堪忍え。」毎年、この季節になると、陽千代は両親が殺された日のことを否応なしに思い出してしまう。 自分に対して沢山の愛情を注いでくれた両親の変わり果てた姿は、15年の歳月を経ても脳裏に焼き付いている。「犯人は、まだ捕まってないんやろ?」「へぇ。田辺のおっちゃんが頑張ってくれはりますけど・・時効が廃止されたて聞いたけど、ほんまに犯人が捕まるんやろうか?」「田辺さん達に任せておけばええ。それよりもこれから忙しくなるさかい、無理せんとき。」「へぇ、ほなうちこれで休ませて貰います。」「お休み。」 菊江の部屋から出て、二階の自室に入った陽千代は溜息を吐きながら鏡台の前に腰を下ろした。コットンの上に化粧落としの液体を垂らしてそれで顔を撫ぜるようにマッサージすると、何だかスッキリしたような気がした。シニョンに結いあげていた髪を下ろして布団に横たわった陽千代は、ふと悠太のことを想った。彼のプロポーズを断り、別れてしまったというのに、急に彼の事を恋しく想った。(山崎様は、今年のクリスマスは誰と過ごすんやろか?)もう縁が切れてしまった人に未練を抱いても仕方がない―陽千代はそう割り切ることにして、ゆっくりと目を閉じて眠った。「陽千代さん姉さん、こんばんわぁ。」「毬菊ちゃん、こんばんわぁ。毬千代さん、お加減はどうえ?」「それが、余り良くないようなんどす。おかあさんも心配しはって、病院行きよし言わはるんどすけど、姉さんは嫌や言うてるんどす。」「そうかぁ、姉さんに余り無理せんようにと伝えてや。」「へぇ。ほな、失礼します。」 毬菊と八坂神社の前で別れた陽千代は、タクシーで二条城近くのホテルへと向かった。そこでは、SASAKIグループ創立100周年記念パーティーが盛大に開かれており、陽千代はその宴席に招かれ京舞を披露した。「佐々木様、この度は招待してくださっておおきに。」「陽千代さん、よく来てくれたね。後で込み入った話をしたいんだが、時間あるかな?」「へぇ・・」陽千代は、何処か敏明が浮かない顔をしていることに気づいた。「パーティーが終わってから、わたしの部屋に来てくれないだろうか?」「へぇ。」彼から部屋番号が書かれたメモを渡された陽千代は、そっとそれを籠の中にしまった。 数時間後、敏明の部屋を陽千代が訪ねると、彼は酷く酔っていた。「佐々木様、こないに飲んでどないしはったんどす?」「下の息子の事を思うと、飲まずにはいられないんだよ・・」「今、お水持ってきますさかい。」「待って、行かないでくれ!」敏明はおもむろに椅子から立ち上がったが、酔っている所為で足が縺(もつ)れてしまい、陽千代に抱きつくような形で身体を預けてしまった。 その決定的瞬間を、パパラッチの望遠カメラが捉えていた。にほんブログ村
May 22, 2013
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「どうやら、ご子息は癲癇(てんかん)の発作を起こされたようです。」「癲癇、ですか・・」 佐々木敏明は、搬送先の病院で医師から陽斗(ひろと)の容態を聞いた後項垂れた。「先生、息子の病気は治るんでしょうか?」「完治は難しいですが、薬で症状を抑えることができます。」「そうですか・・」医師から癲癇のことについて説明を受けた後、敏明が沈んだ表情を浮かべながら診察室から出ると、孝輔が彼の元へと駆けつけて来た。「父さん、陽斗は?」「今薬を投与されて眠っている。それよりも、大事な話があるんだ。」「大事な話?」「ああ、実は・・」 孝輔が陽斗の病室に行くと、彼はゆっくりとベッドから起き上がるところだった。「兄さん・・」「まだ、無理するな。」「うん・・僕、どうしちゃったの?」「癲癇の発作を起こしたんだ。薬で症状を抑えることができるから、安心しろ。」「そうなんだ。ねぇ、僕が病院に運ばれた時、誰か家に来てた?」「いいや。」紗弥佳が連絡もせずに家に押しかけて来た事を、孝輔は陽斗には話さなかった。「じゃぁ、また来るな。」「忙しいんだから、余り無理しないでよ。」「わかった。」 病院から出た孝輔がスマホの電源を入れると、そこには紗弥佳から40件も着信が入っていた。『孝輔さん、陽斗さんは大丈夫なの?』「陽斗なら、暫く入院することになったよ。」『暫くってどの位?』「2ヶ月くらいかな?」『じゃぁ、一緒にイヴを過ごせないじゃない!』弟の身体よりも、自分の予定が狂ったことに対して怒る紗弥佳の声を聞いた孝輔は、若干彼女に対して憎悪を抱いた。「もう切るよ。」『ちょっと、待って・・』スマホの電源を切り、車を運転していても、孝輔の耳朶には紗弥佳のヒステリックな声がこびりついて離れなかった。「姉さん、明日で終わりどすなぁ。」「そうやなぁ。あっという間の四日間やったなぁ。」三日目の昼、デパート内にあるカフェで昼食を取りながら陽千代(はるちよ)と毬菊がそう話していると、一人の男性が二人のテーブルへとやって来た。「ここ、いいかな?」「へぇ、構いまへんけど・・どなたはんどすか?」「すいません、僕はこういう者です。」そう言って男性が陽千代に一枚の名刺を渡した。そこには、“新報社 社会部記者 山本覚(やまもとのぼる)”と印刷されていた。「記者さんどすか。うちらに何の用どすか?」「実は今度、祇園の方へ取材に行く事になりまして。出来れば、芸舞妓さん行きつけのお店を教えて欲しいなぁと・・」「うちらは構いまへんけど、おかあさんの許しを得んと・・なぁ、姉さん?」「そうやなぁ。組合長さんの許しも得んといかんし。すいまへんけど、お力になれるかどうかわかりまへんな。」「そうですか。それじゃぁ、名刺に書いてあるメールアドレスにご連絡ください。」「わかりました。」「じゃぁ、失礼します。」 山本記者はそう言って二人に頭を下げると、そそくさとカフェから出て行った。にほんブログ村
May 22, 2013
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「これ、使いなはれ。」陽千代(はるちよ)がそう言ってメイドに一枚のハンカチを差し出した。「いいんですか?」「構いまへん。差し上げますさかい。お怪我はありまへんか?」「はい、大丈夫です。」「ちょっと、何でそんな人に構うのよ!この人は、わたしの着物を汚したのよ!?」「そうどすけど、わざとやないでしょう?それなのに、ヒステリックに大声で喚き立てて・・お里が知れますえ?」「何よ、わたしが悪いっていうの!?」「紗弥佳、いい加減にしないか!お客様の前で恥ずかしいと思わんのか!」洋輔に叱責され、紗弥佳は漸く騒ぎ立てるのを止めた。彼女は屈辱に満ちた顔をしながら、陽千代を睨みつけた。「よくもわたしに恥をかかせたわね、覚えてなさい!」紗弥佳はわざと陽千代の肩にぶつかると、会場から去っていった。「姪が大変失礼なことをしてしまい、申し訳ない。」「いえ、気にしてまへん。ほな、うちはこれで失礼します。」「明田君、彼女を・・」「一人で帰れますさかい、タクシーお願いします。」「かしこまりました。」 パーティーから帰った紗弥佳が怒り狂った様子でリビングに入って来るのを見た前田家の家政婦・早苗(さなえ)は思わずキッチンから出て、彼女に声を掛けた。「お嬢様、大丈夫ですか?」「大丈夫じゃないわよ!お水頂戴!」「はい、わかりました・・」「今夜は楽しいパーティーになる筈だったのに、あの女の所為で台無しよ!」「あの女、と申しますと?」「祇園の芸妓で、陽千代って女よ!このわたしに向かって暴言を吐いたのよ、あの女は!」紗弥佳の幼少期から前田家に仕えている早苗は、一旦彼女がヒステリーを起こすと誰の手にもつけられないほど暴れることを知っていたので、ただ黙って紗弥佳に水を渡した。「あの女、いつか痛い目に遭わせてやるんだから!」「お嬢様、お風呂はどうなさいますか?」「シャワーでも浴びて寝るわ!」紗弥佳はさっとソファから立ち上がると、リビングから出て行った。「また紗弥佳お嬢様はご機嫌斜めなの?」「ええ。困ったもんだわ。いつになったらお嬢様のヒステリーは治られるのかしら?」「そんな事、ご本人しかわからないじゃないの。陽斗様がお気の毒だわ。」「その陽斗様とも、お嬢様は最近上手くいっていないらしいのよ。まぁ、原因が何なのか想像できるけど。」早苗はそう言うと、洗い終った皿を布巾で拭いた。 翌日、パーティーの件で怒りが収まらぬ紗弥佳は、佐々木家を朝早くに訪ねた。「紗弥佳様、こんな朝早くから何のご用です?」「陽斗さんは何処?彼に会いたいの!」「陽斗様でしたら、お部屋でまだお休みに・・」「わたしが会いに来たと、陽斗さんに伝えて頂戴!」「はい、かしこまりました・・」苦虫を噛み潰すかのような表情を浮かべながら、明田は陽斗の部屋がある二階へと上がった。「陽斗様、紗弥佳様がお見えになりました。」何度もノックをしても、中から返事がしないことに訝しがった明田が部屋の鍵を開けて中に入ると、ベッドの上で陽斗が意識を失って倒れていた。「誰か救急車を頼む!」 数分後、救急車がけたたましいサイレンを鳴らしながら佐々木邸の前に到着した。にほんブログ村
May 22, 2013
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「舞妓(まいこ)さんの髪って地毛で結ってるんでしょ?陽千代(はるちよ)さんの髪もそうなの?」「いいえ、うちら芸妓は鬘(かつら)を被るんどす。舞妓が地毛で髪を結うても、途中で髪文字(かもじ)ゆうもんを付けたして結いあげるんどす。」「それって、エクステみたいなもの?」「まぁ、そうどすね。舞妓の髪型には色々あって、芸妓に衿替えする前の舞妓は、先笄(さっこう)ゆう髪型を結います。子どもから大人へと成長する証いうもんと思えばよろしおす。」「へぇ、そうなんだ!勉強になったよ。」「おおきに。」嬉しそうに陽千代と話す孝輔の姿を見ながら、紗弥佳はシャンパンを飲んだ。本来ならば彼はこの場に欠席している婚約者の陽斗(ひろと)に変わって自分をエスコートする立場であるというのに、彼は完全にその役目を放棄していた。「孝輔さん、向こうに伯父様がいらしているわよ。」「そうか、今行くよ。それじゃぁ、陽千代さん、またね。」「へぇ・・」「ぐずぐずしないで頂戴!」紗弥佳は名残惜しそうに陽千代を見つめる孝輔の腕を掴むと、大股で伯父の方へと歩いていった。「伯父様、お久しぶりです。」「紗弥佳ちゃん、随分見ない間に大きくなったねぇ?」 紗弥佳が孝輔と共に伯父の洋輔に挨拶すると、彼は嬉しそうに目を細めながら自分の姿を見た。「孝輔君、久しぶりに帰国した感想はどうだね?」「長年アメリカに居たので、余り良くわかりません。少しずつ、慣れていきたいと思います。」「そうか。それよりも孝輔君、今は一人なのか?」「ええ。仕事が忙しくて、恋愛とは無縁です。」「それは寂しいことだな。男は身を固めてこそ一人前になるんだ。結婚は早くした方が良い。まぁその点、紗弥佳ちゃんは心配ないだろうが。」「嫌だわ、伯父様ったら。」そう言って伯父の言葉を受けて笑った紗弥佳ではあったが、突然パーティーをキャンセルした陽斗に対しての怒りが収まらないでいた。「パーティーを欠席するって、どういうことなの!?」「ちょっと、体調が悪いんだ。」「あなた、自分のお兄様のパーティーに出席しないつもりなの?何処までも自分勝手な人なのね!」 数時間前、陽斗からパーティーを欠席する事を聞いた紗弥佳は一方的に彼を責め立てた。その所為で、紗弥佳はちっともパーティーを楽しめなかった。もうそろそろ帰ろうかと思った時、彼女は一人のメイドとぶつかった。グラスが割れる派手な音が会場に響き、周囲に居た客達が何事かと紗弥佳達の方を見た。「何よ、危ないじゃないの!」「申し訳ありません・・」「どうしてくれるのよ、これ!この着物がいくらなのか、あなた知っているの!?」「どうかなさいましたか、紗弥佳様?」「どうしたもこうしたもないわよ!何でこんな役立たずを雇っているの、この家は!」「申し訳ありません、紗弥佳様。わたくしに免じてこの者をどうか許してやってはいただけませんでしょうか?」「着物を弁償してくれるなら、許してあげるわ。2000万、さっさと払ってちょうだい!」「そんな大金をすぐにはご用意できません。」「じゃぁ、訴えてやるわ!」 紗弥佳が大声で明田とメイドを恫喝(どうかつ)していると、陽千代がすっとメイドの方へと歩いていくところを孝輔は見た。にほんブログ村
May 22, 2013
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「あら、陽千代(はるちよ)さん。お久しぶりね。」 自販機でペットボトルのお茶を買った陽千代がその場から立ち去ろうとした時、背後から声を掛けられた。振り向くと、そこには陽斗と腕を組んで立っている紗弥佳の姿があった。「紗弥佳はん、お久しぶりどす。」「東京には、お仕事でいらっしゃったの?」「へぇ。紗弥佳はんは、陽斗はんとデートどすか?」「そうよ。ところで陽千代さん、今夜のパーティー、ご出席なさるのよねぇ?」「そのつもりどすけど・・」「そう、ならいいわ。またお会いできるのを楽しみにしているわね。それじゃ。」何処か嫉妬を滲ませた口調で紗弥佳はそう言うと、陽斗とともにエレベーターに乗り込んでいってしまった。「姉さん、どないしはりました?」「さっき、紗弥佳はんに会うたんやけど・・何や、ツンケンしてはったわ。」「その方、姉さんにライバル心燃やしてはるんと違いますか?姉さん、魅力的やさかい。」「何あほなこと言うてんの。毬菊ちゃん、うちこれから用事があるさかい、一人でホテルに帰ってくれるか?」「へぇ。靖男さんに連絡しときます。」毬菊はそう言うと、籠から携帯を取り出した。「ほな、姉さんまた明日。」「またな。」 数分後、デパートの前で毬菊と別れた陽千代は、佐々木敏明の第一秘書・明田が運転するリムジンに乗り込んだ。「何処行くんどす?」「社長のご自宅です。」「そうどすか。明田はん、何でうちが佐々木様に呼ばれたんどすか?」「あなた、確か以前山崎悠太さんとお付き合いしておられましたよね?」「へぇ、そうどすけど・・それが何か?」「実は山崎様と孝輔様は大学の同期生なんですよ。それで、山崎様からあなたの話を聞いて、孝輔様が是非あなたにお会いしたいとおっしゃったので、こうしてあなたをパーティーにご招待したのですよ。」「そうどすか。」「もうすぐ社長のご自宅に着きますから、降りる準備をなさってください。」 田園調布にある佐々木敏明の自宅は、時代劇に出て来るかのような古風な武家屋敷と、コロニアル様式の瀟洒(しょうしゃ)な洋館であった。明田によると、洋館は明治時代末期に建てられたのだという。「パーティー会場は洋館の方です。女中が案内いたしますので、暫しお待ちを。」「わかりました。」 洋館に入った陽千代は、ライトアップされた中庭で談笑している盛装した男女の中に、振袖姿の紗弥佳が居ることに気づいた。「紗弥佳はん。」「あら、来たのね。相変わらずお綺麗だこと。」「おおきに。紗弥佳はんも、似合うてますえ。」「あら、そうかしら?これ、加賀友禅の伊東先生の作品なのよ。」高価な着物だと言わんばかりに胸を反らして自分に威張る紗弥佳を見て、この時毬菊の言葉が真実だということに陽千代は気づいた。「紗弥佳ちゃん、久しぶりだね。」「あら、孝輔さん。」紗弥佳がタキシード姿の青年の方へと駆け寄るのを見て、陽千代は軽く青年に会釈した。「初めまして、美作の陽千代いいます。パーティーに招待してくだはっておおきに。」「君が陽千代かぁ。何度か悠太に写真を見せて貰ったことがあるけど、実物の方が綺麗だなぁ。」「おおきに。」陽千代から花名刺を受け取った孝輔は、紗弥佳の事を完全に無視していた。にほんブログ村
May 21, 2013
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宿泊先のホテルへと向かうタクシーの中で、陽千代(ひろちよ)は現在建設中のスカイツリーを車窓から眺めていた。「あないなもんがいつの間にか建ってたんやなぁ。」「テレビや雑誌でよう取り上げてたけど、実物を見ると何や危なっかしく見えるなぁ。」陽千代がそう言うと、タクシーの運転手が二人の方を向いた。「お客さん、京都から来たの?」「いやぁ、何でわかるんどすか?」「言葉遣いで、何となくね。それに東京駅から来る人って言ったら、京都か大阪からのお客さんかなぁって思って。」「そうどすか。京都は今朝寒かったんやけど、東京は少し暖かいなぁ。」「先週は3月上旬並みの暖かさだと思ったら、今週に入ってまた寒くなったんで、参りますよ。」「この季節、風邪やインフルエンザに気をつけなあきまへんえ。うちこの前、インフルエンザで倒れてしもうたさかい。」「そうですかぁ、お互いに気をつけましょう。」タクシーの運転手と楽しく談笑した陽千代は、靖男(やすお)とともにホテルの前でタクシーを降りた。「ほな、身体にお気をつけて。」「ゆっくりしていってくださいね。」「ええ人どしたなぁ、姉さん。」「そやなぁ。タクシーの運転手さん言うんは、ストレス溜まるお仕事やて聞いてるわ。」「客商売は、そんなもんどす。お客様が一番やと考えなあきまへん。」「そらそうや。この前陽菜ちゃんがお客様の悪口言うてたから、注意したんえ。お客様の悪口言うたらあかんて。」「陽菜は幸せ者や。姉さんみたいな頼りがいのある先輩がおって。」「毬菊(まりぎく)ちゃん、もう着いてるんやろうか?」 二人がホテルのロビーへと足を踏み入れると、そこには黒紋付の振袖を着た毬菊の姿があった。「陽千代姉さん、この度はご迷惑かけてすいまへんどした。」「そないな事気にせんでええ。それよりも四日間、宜しくな。」「へぇ。」ロビーで盛装した舞妓と芸妓の姿は珍しいのか、宿泊客達が時折二人の方をチラチラと見ながらエレベーターへと乗り込んでいった。「二人とも、荷物はうちが預かりますさかい、デパートの方へ行ってください。」「わかりました。ほな毬菊ちゃん、行きまひょ。」「へぇ。」 数分後、タクシーで物産展会場となる丸岡デパートに着いた陽千代と毬菊は、そこで物産展の担当者・石山と会った。「美作(みまさか)の陽千代どす。今日から四日間、宜しゅうお頼申します。」「矢作(やはぎ)の毬菊どす。宜しゅうお頼申します。」「初めまして、石田と申します。今回はお忙しいところ、わざわざお越しくださってありがとうございます。それでは、日程についてですが・・」石田の説明を受けた後、二人は特設ステージで京舞を披露することになった。「何や、緊張して来ました。」「いつものようにしたらええ。さぁ、行くえ。」「へぇ。」 一方、陽斗はたまたま京都物産展が開催されている丸岡デパートに紗弥佳と来ていた。「ねぇ、特設ステージで京舞披露だって。見に行きましょうよ!」「わかったよ・・」“仲直りの証”として数分前に高級ブランドのバッグを陽斗に買って貰った紗弥佳はそう言うなり彼の腕を掴んで特設ステージへと向かった。「わぁ、綺麗・・」少し退屈している様子の陽斗を無視して、紗弥佳は目を輝かせながら二人の京舞に魅入っていた。「姉さん、お疲れ様どした。」「毬菊ちゃんも、お疲れさん。喉乾いたさかい、ジュース買ってくるな。」にほんブログ村
May 21, 2013
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「新幹線に乗って東京行くんは、中学の修学旅行の時以来やろうか?」「そうどすなぁ。うちも京都から一歩も外に出たことがありまへん。」靖男と陽千代が車窓から流れる風景を眺めながらそう話していると、また携帯が鳴った。「また来たわ。一体誰なんやろうか?」「あんまりしつこいようやったら、電源切っといた方がええと違いますか?」「そうやね。」陽千代は籠から携帯を取り出すと、電源ボタンを長押しして再び籠の中にそれをしまった。「姉さん、くれぐれも単独行動はせんといてください。もしかしたら、あの無言電話の犯人が姉さんを狙ってるかもしれまへん。」「随分昔のことやないの。もう犯人は諦めてるんと違う?」陽千代はそう言って笑いながら、籠の中から陽菜から借りた文庫本を取り出した。「それ、ドラマ化になったやつでっしゃろ?」「靖男さん、知ってはるん?何や、うちだけ仲間外れにされたみたいで、悔しいわぁ。」「そんなに拗ねんといてください、姉さん。」 新幹線が新横浜駅を過ぎた頃、隣に誰かが腰を下ろす気配がしたので、陽千代は読んでいた文庫本から顔を上げた。そこには、トレンチコートを羽織ったスーツ姿の男が座っていた。「すいまへん、ここはうちの連れの席どすけど。」「知っています。あなた、美作の陽千代さんですよね?」「へぇ、そうどすけど、うちに何か?」「すいません、わたしはこういう者です。」そう言った男は、一枚の名刺を陽千代に渡した。そこには、“SASAKIグループ 代表取締役第一秘書 明田”と印刷されていた。「佐々木様の秘書の方が、どうしはったんどすか?」「実は、あなたに東京行きをあなたの女将に頼んだのは、社長なのです。」佐々木敏明の秘書・明田はそう言うと、陽千代を見た。「本日、長男の孝輔様がNYからご帰国される予定だということは、既にご存知ですよね?」「へぇ。“一力”のお座敷で、聞きましたえ。それがうちと何か関係あるんどすか?」「ええ。デパートの京舞披露の時間が終わったら、ホテルには戻らずにこの場所へおいでください。では、わたしはこれで。」靖男がトイレから戻ったことを見た明田は、そっと陽千代の手に一枚のメモを握らせると、隣の車両へと移動していった。「姉さん、あの男・・」「佐々木様の秘書やそうや。うちに佐々木様が話があるて、さっきこれをうちに渡しに来てくれはったわ。」「へぇ、そうどすか。途中までうちが送りますわ。」「頼むわ、靖男さん。」 一方、隣の車両へと移動した佐々木敏明の第一秘書・明田は、相棒の第二秘書・山岡が座っている席の隣に腰を下ろした。「陽千代とは話せたか?」「ああ。それよりも、15年前の事件の事をしつこく追っている刑事が居るらしい。さっきトイレに立った時に見たんだが、後ろの座席に座っていたのを確認した。」「くそ、しつこい野郎だ。まだ社長を犯人だと決めつけていやがるのか。」山岡はそう言って舌打ちすると、ペットボトルの緑茶を飲んだ。「心配するな。あの資産家夫妻を殺したのは社長じゃない事くらい、わかってるだろ?秘書の俺達が社長を信じなくてどうする?」「そうだな、お前の言う通りだ。」「そろそろ東京に着くから、降りる準備をしないとな。」 新幹線は品川駅を過ぎ、東京駅のホームへと到着した。「姉さん、足元に気ぃつけて。」「靖男さん、うちの分の荷物持ってくれはって、おおきに。」「こんなもん、お安いご用どす。」 新幹線から降りた陽千代と靖男は、タクシーで宿泊先のホテルへと向かった。にほんブログ村
May 21, 2013
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「姉さん、助けておくれやす。」「どないしたん、陽菜(はるな)ちゃん?そないな顔して?」 お座敷から陽千代(はるちよ)が戻ると、陽菜が今にも泣きそうな顔をして数学の教科書片手に駆け寄ってきた。陽菜は京都市内の高校に通う現役女子高生で、お座敷に出る時は土日だけと決まっていた。「もうすぐ期末テストが近いいうのに、この問題が解らへんのどす。」「そうか、少し見せてみ。」「へぇ。」陽菜から数学の教科書を受け取った陽千代は、近くに置いてあった大学ノートを広げてすらすらと問題を解いていった。「この方程式を、この問題のnに当てはめればええだけや。」「おおきに、姉さん。」「こんなの大したことあらへんえ。それよりも陽菜ちゃん、テスト頑張ってな。」「へぇ。何でクリスマス前にテストなんかあるんやろか?」陽菜はそうぶつくさ言いながら、教科書を開いた。「今日はうち暇やから、勉強見てあげるえ。」「おおきに、頼みます。」 その日は一晩中、陽千代は陽菜の家庭教師となって彼女に勉強を教えた。「さてと、今日はもう遅いさかい、寝よか。」「へぇ。姉さん、勉強見てくれはっておおきに。」「あんまり無理せんとき、おやすみ。」 陽菜の部屋を出た陽千代が自室に戻ると、机の上に置いていた携帯が鳴った。(誰やろか?)携帯を開いて液晶画面を見ると、そこには“非通知”と表示されていた。いたずら電話だろうと思い、陽千代は携帯をそのままにしておいた。「陽千代、東京に行ってくれへんか?」「東京に、どすか?」「今東京のデパートで京都物産展がやってるやろ?あれでな、昼に2回ほど京舞を舞って欲しいて向こうから言われたんや。」「へぇ、そうどすか。確か、東京に行かはるんは、毬千代さんやった筈や・・」「それがなぁ、急に都合悪くなった言うて来たんえ。あんたは毬千代と親しいし、毬菊ちゃんとも顔見知りやさかい、頼むわ。」「わかりました。」「ホテルの手配はもう済んであるさかいな。」菊江は少し申し訳そうな顔をしたが、陽千代は彼女に笑顔を浮かべた。「気ぃつけて行ってきます。」こうして、陽千代は仕事で上京することになった。「姉さん、ホテルの部屋は毬菊とは別々のようでっせ。」「そうか。」 JR京都駅へと向かうタクシーの中で、靖男から宿泊先のホテルの部屋割を聞いて陽千代は安堵した。もし毬菊と同じ部屋だったら、自分の正体が露見してしまうおそれがあるからだった。「靖男さん、昨夜うちの携帯に非通知着信がかかってきたんやけど・・」「またどすか?犯人が誰かわからへん限り、気をつけた方がええ。」「そうやな。」 タクシーから降りた二人はスーツケースを引きながら、新幹線乗り場へと向かった。「あいつが、陽千代か?」「はい、間違いありません。隣の男は置屋の男衆(おとこし)です。」「いいか、気づかれないように二人を尾行するんだぞ。」「わかってます。」 二人から離れた所で、スーツの上にトレンチコートを羽織っている二人組の男がそんな会話を交わしていた。にほんブログ村
May 21, 2013
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「極龍会(きょくりゅうかい)いうんは、昔から関西で幅を利かせてきたヤクザ者や。水商売をはじめ、飲食業や建設業と、幅広い事業を手掛けてる経済派や。その極龍会が、今度祇園でガールズバーを出すっちゅう話を小耳に挟んだんや。」「ガールズバーって、何どすの?」「女の子に酒注がせて、接待させるっちゅう店のことや。スナックと大層変わらへんけど、中には中高生の女の子集めて、下着姿や水着姿で接客させたとかいう話を聞いたことがあるわ。」「そないな店祇園に出されたら、うちらが誤解されるやないですか!」「そや。祇園甲部の組合会長さんをはじめ、宮川町や上七軒の組合長さんらもガールズバー出店に反対してはるわ。花街の格式と伝統を汚す行為は断じて許したらあかん言うてな。まぁ、出店は一時見送りになっとるようやけど、どうなるかわからんわ。」「それを聞いて安心しました。そんで、宮島さんの消息はわかったんどすか?」「それがなぁ、その宮島っちゅう男は極龍会の下っ端として色々と阿漕(あこぎ)なことしてるって噂やそうや。」「阿漕なことて・・」「まぁ、年寄り相手に電話掛けて騙したりしてる“オレオレ詐欺”や。カタギの商売よりも儲かるんやろうな。」「宮島さんがそないな事に手を染めるやなんて、信じられまへん。何や極龍会に弱味でも握られてるんと違いますか?」「今回の事件で殺された宮島の息子・・遼がな、極龍会の若様相手に事故起こしたらしいんや。そんで多額の治療費を請求して、悪事の片棒を宮島に担がせたっちゅう話や。」「いやぁ、まるでハイエナのような連中やわぁ。」「陽ちゃん、あんた若様の事を怒らせたって、ホンマか?」「へえ。」「若様は血の気が多くて、道端で肩ぶつかっただけでも相手を半殺しにするような奴や。あんたに馬鹿にされて恥かかされたて、若様はあんたを恨んでるで。」「逆恨みもええところやわ。大体、あの子がうちらのことを売春婦呼ばわりするさかい、ホンマのことを言うただけや。」「とにかく気ぃつけぇや。お座敷の行き帰りは必ず誰かに送り迎えして貰うようにしぃ。」「わかったわ、おっちゃん。」「ほな、俺は署に戻るさかい。今度夕食でも奢るわ。」田辺刑事は、そう言うと伝票を持ってカフェから出て行った。 カフェから出てモール内を歩くと、クリスマスシーズンの真っ最中でモール内には家族連れやカップルの姿が目立った。仲睦まじい様子で歩くカップルの姿を横目で見ながら、ふと陽千代(はるちよ)は悠太との別れを思い出し、胸がチクリと痛んだ。去年のクリスマスは、悠太に高級フレンチレストランでディナーを楽しんだが、今年は一人で過ごすことになりそうだ―そう思いながら陽千代がモール内にある書店へと足を踏み入れると、そこでお座敷で会った佐々木陽斗の婚約者・前田紗弥佳(まえださやか)の姿を見かけた。彼女に声を掛けようとした時、紗弥佳の元へ見知らぬ男が駆け寄ってくるのが見えたので、咄嗟に陽千代は書棚の陰に隠れた。「ごめん、待った?」「ううん、今来たとこ。」嬉しそうに男にそう言った紗弥佳は、彼と腕を組んで書店から出て行った。「姉さん、どないしはりました?何やボーっとしてはりますけど・・」「あぁ、ちょっと考え事してただけや。それよりも陽菜(はるな)ちゃん、頼んでた本うちが取りに行ったわ。」「すいまへん、おおきに。このシリーズ、新刊が出た途端にすぐに売り切れてしまうさかい、出版社のHPで新刊情報見つけて予約しといたんどす。」「へぇ、そんなに面白いんか?」「何やったら、うち全巻持ってますさかい、貸しますえ?」「おおきに。」 紗弥佳が婚約者以外の男と会っていることを、陽千代は誰にも言わなかった。にほんブログ村
May 20, 2013
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「ねぇ、どうして昨夜来なかったの?あたし待ってたんだから!」 陽斗(はると)が大学の廊下を歩いていると、紗弥佳(さやか)がそう言うなり彼の頬を平手で叩いた。「昨夜は急な用事があって、行けなかったんだ。」「嘘、だったらどうしてあたしのスマホ、着信拒否にしたの!?」一方的に自分を責め立てる紗弥佳に対して、陽斗は彼女の手を掴んで人気のない校舎裏へと連れて行った。「何よ!」「紗弥佳、昨夜の事は謝るよ。けど、公共の場でヒステリーを起こすのはやめてくれないか?」「何よ、あたしが悪いっていうの!約束先に破ったの、そっちじゃない!」紗弥佳は陽斗を睨み付けると、彼に背を向けて去っていった。「陽斗、今夜いけるか?」「無理だよ。紗弥佳と揉めたからさ、少し大人しくしとかないと。」「婚約者のご機嫌取りも大変だよな。一体あいつの何処を気に入って婚約したんだよ?」「親同士が決めたんだから、仕方ないだろ?」 昼休み、学食でラーメンを食べている陽斗が同じ学科の石田と喋っていると、紗弥佳が学食に現れた。「陽斗、一体何の話をしてるの?」「別に。昨夜の埋め合わせはちゃんとするから・・」「じゃぁランチ奢ってよ。」「今食べてるだろ。」「こんな貧乏くさいものが好きだなんて、あなた本当に変わってるわね。」「文句言いに来たんならさっさとうちに帰れよ。」「何よ、ケチ!」 紗弥佳は舌打ちすると、ヒールを鳴らしながら学食から出て行った。「全く、お嬢様ってのはこれだから嫌だよな。“男は女に食事を奢って貰って当然”ってカンジでさ。何様のつもりなんだか。」「結婚したら大変だな。色々と調べるんじゃないか?」「いくら親父の会社があいつの親父さんから資金援助を受けているからといって、俺まであいつの言いなりになることはないだろ?」「それは言えてるな。」「それじゃ、俺はもうこれで。」「じゃぁ、また明日!」 大学を出た陽斗は、バイクでバイト先であるファストフード店へと向かった。「こんにちは。」「陽斗、久しぶりだな。」バイト仲間の卓也がそう言って陽斗に微笑むと、彼の肩を叩いた。「例のお嬢様とはどうなってるんだ?」「別に。」「まだ寝てないのか?」「結婚前なのに、セックスする訳ないだろ?」「お前、奥手だなぁ。今どき結婚前のカップルがセックスなしでいられるかよ。」卓也はけらけらと笑いながら、煙草を咥え、それに火をつけた。 一方、JR京都駅近くにあるイオンモール内のカフェで、陽千代は田辺刑事と数年振りに会っていた。「久しぶりやなぁ、陽ちゃん。インフルエンザで倒れたて聞いてたけど・・もう大丈夫なんか?」「へぇ、お蔭さまで。それよりも今朝、大阪のマンションで宮島っちゅう人が殺されたて・・」「ああ。確かあいつの父ちゃん、陽ちゃん家の庭師してたんと違うか?」「へぇ、名前でピンと来たんどす。会うたんは一度きりどすけど・・」「そうか。じゃぁ宮島悟が今何をしてるんか知らんのやな?」「へぇ・・」「陽ちゃん、あんたこの前極龍会(きょくりゅうかい)の幹部に呼び出されてホテルオークラに行ったやろ?」「おっちゃん、何で知ってはるん?」「刑事を舐めて貰っては困るわ。」 田辺刑事はそう言うと、カフェオレを一口飲んだ。にほんブログ村
May 20, 2013
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「インフルエンザどすな。暫く様子を見た方がよさそうや。」「おおきに。」 部屋の中で菊江と応診に来た医者との会話を聞きながら、陽千代はゆっくりと目を開けた。「気ぃついたか?」「おかあさん・・心配かけて、すいまへんどした。」「あんたは働き過ぎたんや。暫くの間、ゆっくり休み。」「へぇ・・」頭が割れるように痛い。陽千代は顔をしかめると、再び目を閉じた。「あら、今日は陽千代さん、いらっしゃらないのね?」「へぇ。陽千代さん姉さんは、急病で倒られはったんどす。」「そうなの。」 陽菜が陽千代が急病に倒れたことを紗弥佳に告げると、彼女は何処か嬉しそうな顔をしていた。「あのう、今夜はお客様お一人どすか?」「いいえ、人と待ち合わせしているのよ。もうすぐ着く頃だと思うけど・・」紗弥佳はバッグの中からスマホを取り出し、陽斗の番号に掛けた。“現在お掛けになった番号は、お客様のご都合により・・”(着信拒否って何よ!そんなにわたしに会いたくないの!?)「どないしはりました?」「もう帰るわ。陽千代さんにくれぐれもお大事にってお伝えしておいて。それと、体調管理も出来ないようじゃ芸妓失格だと。」「へ、へぇ・・」陽菜は敵意に満ちた紗弥佳の言葉を聞いて絶句したが、すぐに彼女に笑顔を浮かべて部屋から送り出した。「紗弥佳さん、そないな事をうちに?」「へぇ。何やあの人、姉さんのこと一方的に嫌ってはるというか、ライバル心剥き出しやったわ。」「お客様の悪口言うもんやないって、いつも言い聞かせてるやろ?」「すいまへん、でもうち、あの人のことあんまり好きやないです。」 お座敷が終わった後、陽菜は紗弥佳の伝言を陽千代に伝えると、そう言って溜息を吐いた。「どんな人でも、うちらにとってはお客様や。それを忘れたらあかんえ。」「へぇ。ほな、うちはこれで。」陽菜が部屋から出て行った後、陽千代はゆっくりと布団から起き上がった。「あんた、もうご飯食べられるんか?」「へぇ。お粥くらいなら。」「そうか、じゃぁ今から用意するさかい、テレビでも観て待っててな。」「へぇ。」 陽千代がテレビをつけると、丁度朝のニュースがやっている時間帯だった。『今朝8時半ごろ、大阪市北区にあるマンションで、住民である男性が刺殺体で発見されました。男性の氏名は、会社員の宮島遼さん・・』 亡くなった男性の名を聞いた途端、陽千代の脳裏にある記憶が浮かんできた。それは、両親が殺される1年前の冬に、庭師の宮島悟と自宅であった日のものだった。『陽太郎坊ちゃん、お久しぶりです。』 暫く姿を見せなかった宮島に対してその理由を聞くと、体調不良で休んでいたと彼は答えていたが、彼の目は少し泳いでいた。「どないしたん、陽千代?」「何でもありまへん。」 陽千代はそう言うと、テレビの電源を切った。にほんブログ村
May 20, 2013
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悠太と巽橋で別れた陽千代は、その足で「一力(いちりき)」へと向かった。「一力」は、『忠臣蔵』で有名な大石内蔵助(おおいしくらのすけ)や新選組の近藤勇、西郷隆盛や大久保利通が通ったことで知られている格式高い料亭である。「陽千代さん姉さん、こんばんわぁ。」「毬菊(まりぎく)ちゃんやないの。風邪はもう大丈夫なんか?」「へぇ、お蔭さんで。」一力の暖簾を陽千代がくぐると、そこには同じ祇園甲部の舞妓・毬菊の姿があった。毬菊は妹舞妓である陽菜(はるな)と同期で、彼女の姉芸妓である毬千代とも親しかった。「これからお座敷どすか?」「そうや。毬千代さんはどないしたん?」「毬千代さん姉さんは、何や用事があるみたいで・・」「そうか。ほな、またな。」毬菊と玄関前で別れた陽千代は、佐々木敏明が居る部屋へと女中に案内された。「こんばんわぁ。」「陽千代、久しぶりだな。」「佐々木様、ご贔屓にしてくださっておおきに。陽斗様はどないしはりました?」「あいつは東京に戻ったよ。お座敷遊びが出来るようになったが、まだ学生だからな。」「へぇ、そうどすか。」「こんばんわぁ、失礼しますぅ。」 襖が開き、地方の芸妓が入って来た。「最近、孝輔(こうすけ)から連絡があってな。年が明けたらNYから戻ってくるみたいなんだ。」「へぇ、そうどすか。10年振りの親子再会どすなぁ。」 敏明の長男・孝輔はNYのコロンビア大学に留学し、就職も向こうでしていたので、日本に殆ど帰ってくることはなかった。「ああ、10年振りに会うから、少し緊張しているよ。お前達にも紹介しよう。」「おおきに。」「さ、今夜は無礼講だ!」 外に出た陽千代は、悠太との別れを思い出し、また涙ぐみそうになった。「寒おすなぁ。」「せやなぁ、今夜は積もるそうえ。」馴染みの料亭の女将とそう話していると、急に陽千代は眩暈に襲われた。「陽千代さん、どないしたん?」「何でもあらしまへん。」「そうか。これから忙しくなるさかい、風邪ひかんようにせな。」女将はそう言って陽千代を心配そうに見ると、料亭の中へと戻っていった。「ただいま戻りました。」「お帰り。お風呂沸いてるさかい、入りよし。」「へぇ。」陽千代は着物から浴衣へと着替えると、足早に一階の奥にある風呂場へと向かった。まだ夜の10時半なので、置屋には陽千代の他には誰も居ない。脱衣所で浴衣を脱いで全裸になった陽千代は、そっと湯船に浸かった。 湯に浸かった瞬間、凝り固まった筋肉が徐々に解れていくような気がして、陽千代はそっと目を閉じた。湯に浸かったままうたたねしてしまった所為なのか、今朝起きると陽千代は身体のだるさを感じ、朝食を殆ど残してしまった。「どないしたん、陽千代?」「何や、寒気がするんどす・・」陽千代は茶を淹れようと立ち上がった瞬間、激しい眩暈に襲われその場に倒れてしまった。にほんブログ村
May 20, 2013
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「山崎様からのプロポーズ、お断りしはったんどすか?」「そうや。山崎様のうちに対する想いは本物やった。けど、その想いにうちは真剣に答えてお断りしたんや。」「そうどすか。そんで、山崎様の方は納得されはったんどすか?」「さぁ、山崎様は始終だんまりやったから、山崎様がどう思うてはるのかわからへんかったわ。」 その日の夜、靖男に着付けをして貰いながら、陽千代は今朝の悠太との会話を思い出していた。『すいまへんけど、うちは山崎様とは結婚できまへん。』『君なら、そう言うんじゃないかと思っていたよ・・』悠太はそう言って俯くと、コーヒーを飲んだ。『山崎様ならおわかりやと思いますが、芸妓は全てのお客様のものやさかい、結婚したら引退せなあきません。』『それは知ってる。陽千代、君がどんな事情を抱えているのか知らないけれど、僕は君の事を世界中の誰よりも愛しているんだ。』『そないなこと言うてくれはって、おおきに。けど、山崎様とは結婚できしまへん。』陽千代がそう言って悠太を見ると、彼は俯いて何も言わなかった。居たたまれずに、陽千代はその場から立ち去ったのだった。「姉さん、よう頑張りましたな。山崎様は姉さんに心底惚れてはったんどすなぁ。」靖男はしみじみとした口調でそう言うと、陽千代の帯を締めた。「出来ましたえ、姉さん。」「おおきに、靖さん。ほな、行って来ます。」「お気張りやす。」 靖男に見送られながら、支度部屋から出て行った陽千代が一階へと降りると、悠太が菊江の部屋から飛び出してくるところだった。「陽千代!」悠太は陽千代の姿を見つけるなり、陽千代の手を掴んで外へと飛び出していってしまった。「山崎様、あきまへん!戻っておくれやす!」背後で聞こえる菊江の声を無視し、悠太は陽千代の手を引っ張って巽橋へと向かった。「どないしはったんどす、山崎様?」「憶えてる?初めてここで君と会った日の事を?」「へぇ・・」「あの頃、まだ僕は大学生だった。新歓コンパで酔い潰れた僕を、ここで君が優しく介抱してくれたよね?」「そないな事もありましたなぁ。」「あの頃から、君の事がずっと好きだったよ。」悠太はそう言うと、陽千代の手を握った。「今までありがとう、そしてさよなら。」「山崎様・・」悠太の口付けを、陽千代は拒まなかった。雪が舞い散る中、二人は別れの接吻を交わした。「君の事はいつまでも忘れないよ。さようなら、陽千代。」「今まで・・うちの事ご贔屓にしてくださっておおきに。」「じゃぁ、もう行くよ。」自分に背を向け去っていく悠太の姿が見えなくなるまで、陽千代はいつまでも彼を見送っていた。「さいなら、山崎様・・」陽千代はそう呟くと、涙を流した。「陽千代、どないしたん?」「何でもあらしまへん、おかあさん。」 菊江は、置屋に戻ってきた陽千代の目が少し赤く腫れていることに気づいた。「お茶屋さんの方にはうちが連絡したさかい、行きよし。」「へぇ。」 夜の花見小路を歩きながら、陽千代は冬の寒さに身を震わせた。にほんブログ村
May 19, 2013
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男と陽千代を乗せたエレベーターは、ゆっくりと上昇していった。「今日お前をここへ呼びだしたんは、お前に会わせたい人が居るからや。」「会わせたい人、どすか?」男の言葉に小首を傾げた陽千代は、何だか嫌な予感がした。「はじめに言うとくけどな、俺から逃げられると思ったら大間違いや。」男はスーツの内ポケットからバタフライナイフを取り出すと、それを陽千代の背に押しつけた。「若、連れてきました。」「おう、そうか。」 17階の展望レストランでは、朝食バイキングに来ていた宿泊客達で賑わっていた。その隅にあるテーブルを陣取っているのは、まだ20歳そこそこの若者だった。「若、紹介します。これが祇園甲部の芸妓・陽千代です。陽千代、うちの組の若や、挨拶せぇ。」「どうも、初めまして。陽千代どす。」「へぇ、いい女やないか。」若者はぞんざいな口調でそう言って男を見た後、足を組んだ。「ほんで、うちをこないな所に呼びだしたんは何のご用で?」「お前、幾ら積めば俺のものになってくれるんや?」若者はそう言うと、サングラスを外した。白いジャージ姿に金髪の彼は、何処か粋がっているように見えた。「すいまへんけど、うちらは売春婦やあらしまへん。」「芸者なんて、枕営業があってなんぼのもんやろ?いくら積めば俺のものになれるんか聞いてんのや!」若者は少々苛立ったように、椅子の下で陽千代の脛を蹴った。「すいまへんけど、うちら芸妓は芸を売っても身は売らへんのどす。そないなこともわからんと、うちに声を掛けたやなんてちゃんちゃらおかしい話どすなぁ?」「何やとこのアマ!」「生憎、うちはあなたのようなお子様を相手にしている時間はないんどす。ほな、これで失礼します。」いきり立つ若者を前に、陽千代は毅然とした態度を取ると、そそくさとレストランから出て行った。(あんなんが若様やなんて・・何や品もなにもないお子様やないの。) 陽千代はフッと笑いながらエレベーターホールでエレベーターを待っていると、エレベーターが一基やって来るところだった。「陽千代じゃないか?」「山崎様、奇遇どすな。ここへは何のご用で?」「ちょっと会議があってね。それよりも陽千代、ちょっと時間あるかな?」「へぇ。」数分後、悠太に連れられホテル内のカフェに入った陽千代は、彼からとんでもないことを聞かされた。「実は来年の3月に、NYに行く事になったんだ。」「へぇ、そら急な話どすなぁ。」「ああ。色々と仕事の引き継ぎもあって忙しくて、これから君に会えないと思うんだ。」悠太はそう言って、四角い箱を陽千代の前に差し出すと、箱を開けた。そこには、ダイヤモンドの指輪が入っていた。「陽千代、僕と一緒にNYへ来てくれないか?」「山崎様・・」“姉さんがその気やないんやったら、お断りした方がええ。” 陽千代の脳裏に、靖男の言葉が浮かんだ。「山崎様、うちは・・」にほんブログ村
May 19, 2013
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高級スーツを着こなし、髪をオールバックに纏めている男の名は、経済界の寵児と謳われる青年実業家・山崎悠太といった。悠太は陽千代を舞妓時代から贔屓にしており、芸妓となった今でもこうして美作を訪ねては結婚を迫って来るので、陽千代は彼の事が少し苦手だった。「また会えましたね、陽千代さん。」「山崎様、ご無沙汰してますぅ。」陽千代はそう言って悠太に微笑んだが、悠太は陽千代の腰を掴んで自分の方へと引き寄せた。「何をしはりますの、やめておくれやす!」「その様子だと、まだあなたから色良い返事は貰えないようですね。」悠太は落胆したような表情を浮かべると、陽千代の唇を塞いだ。陽千代は彼の頬を平手で打ち、部屋がある二階へと駆けあがっていった。 部屋の襖を閉めると、陽千代はそっと唇に手を触れると、そこにはまだ悠太の唇の感触が残っていた。(何で、あないな事で・・)悠太が自分に熱烈なアプローチをしかけてくるのは、今に始まった事ではないというのに、ただ彼にキスされただけで陽千代はおかしくなってしまいそうだった。「陽千代さん姉さん、入りまっせ。」襖の向こうから、男衆(おとこし)の靖男の声が聞こえて来た。男衆とは、芸舞妓の着付けを行うプロの職人の事で、着付けの他に芸舞妓達の身の回りの世話などをする仕事である。靖男は「美作」の先代女将の頃から親しくしている男衆の一人で、菊江と同様、陽千代の正体を知っている数少ない人間の一人である。「顔を赤こうして、どないしはりました?」「何でもないわ。」「また山崎様に口説かれでもしたんでっしゃろ?」慣れた手つきで靖男が太鼓帯を解いてそう言うと、陽千代を見た。「うちをご贔屓にしてはるお客様の中で、うちが男やと知ってはる方は一人もおらへん。山崎様かてそうや。」「せやけど、山崎様に変な期待を抱かせるんは、少し酷と違いますか?姉さんがその気やないんやったら、お断りした方がええ。」「そやな。この際はっきりさせといた方がいいかもしれん・・」陽千代はそう言うと、溜息を吐いた。 数日後の朝、陽千代は長い黒髪をシニョンに結いあげ、落ち着いた紺色に扇の柄が入った着物に袖を通すと、肩に赤いショールを羽織って部屋から出た。「陽千代、何処かへ出掛けるんか?」「へぇ。お客さんから急に会いたい言われましてん。」「そうか。何処へ行くんや?」「京都ホテルオークラどす。すぐに戻りますさかい。」「気ぃつけてな。」 玄関先で菊江に送り出された陽千代は花見小路を抜けて祇園から出てすぐの交差点でタクシーを拾った。「京都ホテルオークラまでお願いします。」「へぇ。」まだ通勤ラッシュの時間帯ではないので、京都ホテルオークラがある四条河原町界隈の道路は空いていて、すぐに着いた。「おおきに。」タクシーの代金を運転手に払い、陽千代はタクシーから降りてホテルのロビーへと入った。「早かったな。朝飯はまだ食うてへんか?」「お話とはなんどす?」ロビーで謎の男と対峙した陽千代がそう言って彼を睨み付けると、彼はゆっくりとソファから立ち上がり、エレベーターホールへと向かった。陽千代は慌てて彼の後を追い、エレベーターに乗り込んだ。「話なら、朝飯でも食いながらでも出来るやろ。」「そうどすけど・・」「ほな、行こか。」男はそう言ってニヤリと笑うと、17階のボタンを押した。にほんブログ村
May 19, 2013
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陽太郎が舞妓・陽千代(はるちよ)としてお座敷に出るようになった頃、「美作」に田辺刑事がやって来たことがあった。「陽ちゃん、この人見たことあるか?」田辺刑事はそう言うと、一枚の写真を陽太郎に見せた。そこには、眼鏡を掛けた神経質そうな青年が映っていた。「うち、見た事あります。事件当日の昼、お父さんと言い争ってはった方どす。」「ほんまか?」「へぇ・・よぉ憶えてへんのどすけど、何や六千万用立ててくれへんかって、その人は頼んでました。」両親を殺した犯人は写真に映っている青年かもしれないと思うと、陽太郎の手がぶるぶると緊張と怒りで震えだした。「そうか。実はな、写真に映っている奴の名は佐々木敏明いうて、事件当時は結婚して二番目の子どもが生まれた頃やそうや。けどな、その子には生まれつき心臓に欠陥があって、海外で移植手術せなあかんかったそうや。」「そうどすか・・今、その人は何してはりますのん?」「SASAKIグループて聞いたことあるやろ、陽ちゃん。今、佐々木はそのグループの代表取締役や。」「へぇ・・」「まだ確証はないんやけど、陽ちゃんの両親を殺したんは佐々木やないかと俺は睨んでる。」「おおきに、おっちゃん。」「ほな、俺はこれで。陽ちゃん、久しぶりに会うたら綺麗になってびっくりしたわ。」「おおきに。」 自分の両親を殺したのは、佐々木敏明かもしれない―そんな疑念を抱いた陽千代は、いざ本人と会っても、事件の事を聞き出せないでいた。「陽千代さん、何処かで会ったことがあるんじゃないの、僕達?」陽千代が我に返ると、陽斗(ひろと)がそう言って自分を見ていた。「また何を言いはりますの。陽斗さんとお会いしたんは、ここが初めてどす。」「でも・・」「陽斗さん、またそんな事を言っているの?」紗弥佳が少し不機嫌そうな顔をして陽斗を睨んだ。「ほな、またご贔屓に。」「ああ、今夜は楽しかったよ、ありがとう。」 陽千代と陽菜が料亭を出て置屋へと戻る道すがら、陽千代は誰かに突然腕を掴まれ、路地裏へと連れ込まれた。「静かにせぇ。」「離しておくれやす!」「お前が騒がんかったら、何も悪いことはせぇへん。」そう言って陽千代に下卑た笑みを浮かべたのは、料亭の入口でぶつかった男だった。「うちに何か用どすか?」「お前、美作の陽千代やろ?今度、俺に付き合え。」男は一方的にそう言うと、陽千代の手に小さく折り畳んだメモ用紙を握らせた。「明後日、メモに書かれた所で待ってるから、来い。話はそれだけや。」「お断りします!」「強情な女や。まぁええ、そっちの方が落とし甲斐があるわ。」男は口端を歪めて笑うと、細い路地の奥へと消えていった。「姉さん、大丈夫どしたか?」「大丈夫や。それよりもはよ帰ろ。」「へぇ・・」 置屋へと二人が戻ると、玄関先に男物の革靴が置かれてあることに陽千代は気づいた。「お客様やろか?」「さぁな。」陽千代が玄関で草履を脱いで自分の部屋へと向かおうとした時、菊江の部屋の襖が突然開き、一人の男が陽千代の前に姿を現した。にほんブログ村
May 19, 2013
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「こんばんわぁ、陽千代(はるちよ)どすぅ~」「陽菜(はるな)どすぅ~」 12月は“師走(しわす)”と呼ばれるように、慌ただしい。 それは花街も例外ではなく、五花街の芸舞妓達はパーティーやお座敷に毎晩引っ張りだこの状態だった。陽太郎こと陽千代は、妹舞妓の陽菜とともに贔屓の料亭へと向かっていた。「姉さん、大丈夫どすか?」「大丈夫や。」忙しさにかまけて自分の身体を蔑ろにしてしまった所為か、今朝少し熱っぽかった。「今夜はほんまに寒おすなぁ。」陽菜はそう言うと、寒さで身を震わせた。ここのところ京都の気温は氷点下になる事が多く、その日の夜も例外ではなかった。白い息を吐きながら二人が料亭へと到着した時、入口で陽千代は一人の男とぶつかった。「すいまへん。」「何や、気ぃつけろ!」高級スーツを纏った男はいかにも羽振りがよさそうだったが、粗野で乱暴な口調からしてカタギの者ではないことを陽千代は一目でわかった。「堪忍え。」陽千代は男に頭を下げると、陽菜の手をひいてその場から去った。「ええ女や・・」男はそう呟くと、陽千代の顔を見て舌なめずりして料亭から出て行った。「ねぇ、お座敷遊びで何をなさるんですか?初めてのことだからちょっと緊張しちゃって・・」「紗弥佳さん、大丈夫だから何も心配する事はない。ドンと構えていなさい。」「はい、お義父様・・」「陽斗(ひろと)がこのような場所に遊びに来ることは今後あるだろうが、まぁ気にせんでくれ。男の甲斐性と思ってくれればいい。」陽斗の父でSASAKIグループ代表取締役・佐々木敏明(ささきとしあき)は、そう言って豪快に笑うと酒を飲んだ。「こんばんわぁ、陽千代どす。」「陽菜どす、宜しゅうお頼申します。」襖が開き、部屋に入って来たのは、南座で見かけた芸妓だった。「あなた、昼間の・・」「陽斗、陽千代を知っているのか?」「いえ・・」「いやぁ、お客さん陽斗はんとおっしゃるんどすか?」「ええ・・あの、昼間南座でお会いしましたよね?」「さぁ、何のことどすやろか?」「え、だって・・」「うち、陽千代いいます。お客さんは陽斗はん。同じ“陽”が付く者同士が会うた記念に、乾杯しましょ。」「あ、はい・・」陽斗はすっかり陽千代のペースに乗せられ、猪口に注がれた酒を飲んだ。「あの、お座敷遊びって何をするんですか?はじめてのことだから、わからなくて。」「そうどすか。ほな、ご挨拶代わりに舞わせて頂きます。」陽千代はそう言って地方(じかた)でお座敷に来ている他の置屋の芸妓に目配せすると、彼女は祇園小唄を奏で始めた。「いやぁ、良い舞だったよ、ありがとう。」「おおきに。」敏明に拍手を送られ、陽千代は深々と彼らに向かって頭を下げた。憎悪に歪んだ顔を彼に見せない為に。にほんブログ村
May 18, 2013
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「あんたもそろそろ衿替えの時期を迎えたな、陽ちゃん。」「へぇ・・」「そんでな、あんたいつまでこの世界に居りたいん?」「そう聞かれると思うてました。うちは、まだこの世界から退くことは考えてません。」「そうか。」菊江はそう言うと、日本茶を一口飲んだ。「そういえばこの前、田辺さんにお会いしたえ。」「田辺のおっちゃんに?」「市場で偶然会うたんよ。あんたの事話したらえらい喜んでたえ。」「そうどすか。」 両親が殺された事件を担当している田辺刑事は、事件後よく手土産を持参しては「美作」に遊びに来てくれたり、勉強を教えてくれたりと、陽太郎にとっては父親のような存在だった。「田辺さん、お元気どしたか?」「元気そうやったで。これ、陽ちゃんにどうぞて。」菊江がそう言って陽太郎の前に置いた紙袋の中には、彼が好きなクッキーが入っていた。「いやぁ、おっちゃんうちが好きなお菓子憶えててくれはったんや~」「お茶淹れてくるさかい、ゆっくりしとき。」「へぇ。」 菊江が部屋から出て行った後、部屋に置いてあった電話がけたたましく鳴った。「もしもし、美作どす。」受話器を取り、相手が話すのを待っていた陽太郎だったが、相手は黙ったままだった。「もしもし、どちらはんどすか?」陽太郎が相手のことを尋ねようとした時、突然電話が切れた。「どないしたん?」「さっき電話があったんやけど・・何や無言電話やったみたいで・・」「嫌やわ、いたずらやろか?」菊江はそう言って顔をしかめると、部屋の襖を閉めた。 無言電話がかかってきてから数日後のこと、陽太郎はお座敷帰りに誰かにつけられていることに気づいた。なるべく平然とした様子で置屋に戻ったが、彼の顔は恐怖で蒼褪めていた。「どないしたん?」「誰かにつけられて・・」「近頃は何かと物騒やさかい、気ぃつけんと。」「へぇ・・」この頃祇園甲部では、芸舞妓が何者かにナイフで切りつけられるといった通り魔事件が起きていた。 事件の犯人はすぐに捕まったが、無言電話は続いた。「警察に届けた方がいいんと違いますか?」「せやけど、大事になったら祇園町にも影響があるえ。」「そうどすけど・・何かあったら遅いし・・」無言電話に悩まされ、陽太郎は不眠症気味となりお座敷で倒れてしまった。「少し休んだ方がええわ。身体が資本やさかいな。」「へぇ・・」無言電話の犯人は、結局わからなかった。「・・姉さん、陽千代さん姉さん!」陽菜(はるな)に肩を揺すられ、陽太郎はいつの間にか眠ってしまっていたことに気づいた。「いやぁ、寝てしもうた。」「最近姉さんお座敷に引っ張りだこやさかい、疲れが溜まってたんと違います?」 陽菜はそう言って心配そうに姉芸妓の顔を覗きこんだ。にほんブログ村
May 18, 2013
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2010年12月1日、京都・南座。 この日、SASAKIグループの御曹司・佐々木陽斗(ささきひろと)は、婚約者の前田紗弥佳(まえださやか)とともに毎年12月に南座で行われる「吉例顔見世興行(きちれいかおみせこうぎょう)」の昼の部を鑑賞していた。「歌舞伎なんて、初めて見たわ。陽斗さんはわかるの?」「まぁね。」上演前に購入したプログラムを読みながら、陽斗はふと桟敷席(さじきせき)の方へと目をやった。そこには、華やかに着飾った芸舞妓達が座っていた。 毎年12月になると、祇園甲部(ぎおんこうぶ)・祇園東(ぎおんひがし)・先斗町(ぼんとちょう)・宮川町(みやがわちょう)・上七軒(かみしちけん)の五花街の芸舞妓達がこの興行を鑑賞する「花街総見(かがいそうけん)」と呼ばれる恒例行事があり、どうやら自分達は運よくたまたま舞台を観に来ていた芸舞妓達を拝めたようだった。「ねぇ、綺麗な人達ね。まるでお人形さんみたい。」紗弥佳が少しはしゃぎながら陽斗にしなだれかかると、近くに座っていた着物姿のご婦人が軽く咳払いをした。「紗弥佳、今は歌舞伎に集中しよう。」「わかったわ。」少し不満げな様子でありながらも、紗弥佳は陽斗から離れ、舞台の方を見た。陽斗はご婦人に軽く頭を下げ、舞台の方へと視線を移そうとした時、桟敷席に座っていた一人の芸妓と目が合った。 切れ長の涼やかな黒い双眸で彼女はじっと陽斗を見た後、フッと彼に優しく微笑んで視線を外した。「姉さん、どないしはりました?」「何でもないわ。それより陽菜(はるな)ちゃん、お座敷にはもう慣れたか?」 一方、桟敷席では陽斗に微笑んだ芸妓が、妹舞妓に向かってそう優しく話しかけていた。「へぇ。でもお客さんの前に出ると、手が震えて・・」「まだお店出しして一月も経ってないんやから、仕方ないわ。」「陽千代(はるちよ)さん姉さんは、お店だしの時緊張しはりました?」「さぁ、昔のことやから全然憶えてへんなぁ・・」そう言って芸妓―陽千代は舞台を見つめながら、昔の事を思い出していた。 両親を何者かに殺され、遠縁の伯母にあたる菊江に引き取られた後、祇園甲部の舞妓として陽太郎が舞妓として正式なデビューである“お店出し”をしたのは彼が15歳の誕生日を迎えた春の日のことであった。「陽ちゃん、おめでとうさん。」「おおきに、おかあさん。」黒紋付の振袖に身を包み、お店出しの三日間の間だけにつける鼈甲の櫛と簪を挿した陽太郎は、感慨深げに鏡を見つめていた。「妓名はどないする?霧千代さん姉さんから一文字取って、“霧乃”はどうや?」「おかあさん、親から貰うた名前を大事にしたいんどす。陽太郎から一文字取って、“陽千代(はるちよ)”はどうですやろ?」「ええ名前や、それにしよ。」 今までの一年間、修行中の“仕込み”としてお姉さん舞妓達のお座敷に上がっていた陽太郎だったが、正式に舞妓となってはじめてお座敷に上がる初めての夜、彼は緊張のあまり手が震えて徳利(とっくり)を畳の上に倒しそうになった。「すいまへん。」「舞妓としてはじめてのお座敷やさかい、気にすることあらへん。」「へぇ・・」何年かの歳月が経ち、舞妓から芸妓へと衿替(えりか)えすることになった陽太郎は、菊江に引き取られてから初めて彼女の部屋に呼ばれた。にほんブログ村
May 18, 2013
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1995年12月21日、京都。「お願いします、何とか六千万、都合がつきませんでしょうか?」「しつこい人やな、あんたも。そんな大金をあんたに貸せる訳ないやないか。わかったのなら、帰ってくれんか?」その日、陽太郎(ようたろう)はコンクールで大賞を取った作文を父に見せようと彼の書斎に入ろうとした時、中から誰かが父と言い争う声が聞こえた。「お父さん、どないしたん?」「陽太郎、どないしたんや?」「あんな、コンクールで僕、大賞とったんやで。」「そうか、そらよかったなぁ。」その時はじめて、陽太郎は父の前で俯いて立っている青年の姿に気づいた。「お父さん、お客様?」「お前には関係のない事や。」父はそう言ってニッコリと自分に微笑んだが、その笑顔は何処か怖かった。「あなたにもお子さんが居るんでしょう?そしたらわたしの気持ちが解る筈だ!」「あんたに今六千万貸したかて、返ってくる保障がないやろ!さぁ、はよ去(い)んどくれやす!」陽太郎は父が他人に向かって怒鳴っている姿を初めて見た。「お父さん、あの人困ってはるんやったらお金貸したげたらええのに。」「お金はな、むやみに人を貸すものと違う。陽太郎、お前にはその事を一番わかって欲しいんや。」父はそう言うと、書斎から出て行った。その日の夕食は、いつものように家族で楽しく食卓を囲み、陽太郎は作文を両親の前で読み上げた。「ほんま、陽太郎はええ子やなぁ。」「陽太郎、大きくなったら何になりたいんや?」「まだわからへん。」「そうか。まぁ焦ることはあらへん、じっくり決めたらええわ。」父はそう言って自分に微笑むと、優しく頭を撫でてくれた。思えばこの日の夜が、両親と最後に過ごした穏やかで優しい時間だったのかもしれない。 妙な物音に気づいたのは、夜中の1時半ごろだった。トイレに行きたくてベッドから起きて部屋に出て、トイレに向かおうと両親の寝室の前を通り過ぎようとした時、誰かがそこから駆けだしていったのを見た。「お父さん、お母さん?」両親の誰かがトイレに立ったのだと思い、彼らの寝室に入った途端、血の臭いが鼻をついた。部屋の中が暗かったので電気を点けると、両親がベッドの上で血まみれになって息絶えている姿を見た。「こりゃ、酷くやられたな・・」「何でもこの家の8歳の一人息子が、両親の死体を見たそうや。」 数分後、左京区に住む資産家夫妻が何者かに殺害されたという通報を受け、警察が現場に駆け付けると、犯行現場である主寝室は血の海だった。刑事の田辺亮輔(たなべりょうすけ)は一旦現場を出て目撃者であるこの家の長男・陽太郎に話を聞こうと彼の姿を探すと、彼は廊下の突き当たりで俯いて泣いていた。「お父さん、お母さん・・」「何も心配することあらへん、おっちゃんがお前のお父ちゃんとお母ちゃんを殺した奴を捕まえてやるさかい。」亮輔はそう言うと、陽太郎を抱き締めた。 事件から数日後、陽太郎は祇園の置屋「美作(みまさか)」の女将・菊江(きくえ)に引き取られた。にほんブログ村
May 18, 2013
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