薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
火宵の月 帝国オメガバースファンタジーパラレル二次創作小説:炎の后 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 9
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 1
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
火宵の月 吸血鬼転生オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
火宵の月異世界転生昼ドラファンタジー二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
FLESH&BLOOD 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の騎士 1
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 7
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 1
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
火宵の月 異世界ロマンスファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
火宵の月 昼ドラハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁~愛しの君へ~ 0
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD 帝国ハーレクインロマンスパラレル二次創作小説:炎の紋章 3
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 6
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 6
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
天上の愛地上の恋 異世界転生ファンタジーパラレル二次創作小説:綺羅星の如く 0
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 1
天愛×相棒×名探偵コナン× クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 1
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
天上の愛地上の恋 BLOOD+パラレル二次創作小説:美しき日々〜ファタール〜 0
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天愛 夢小説:千の瞳を持つ女~21世紀の腐女子、19世紀で女官になりました~ 1
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
刀剣乱舞 腐向けエリザベート風パラレル二次創作小説:獅子の后~愛と死の輪舞~ 1
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
YOI×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:氷上に咲く華たち 1
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 2
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天上の愛地上の恋現代昼ドラ人魚転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 2
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
火宵の月 異世界ハーレクインヒストリカルファンタジー二次創作小説:鳥籠の花嫁 0
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
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太田を殺した犯人は、彼と同棲していた女だった。「痴情の縺(もつ)れってやつですか・・その女が、太田さんを殺したのは。」「ええ。わたしはこの仕事をやって長いですが、男と女の間にはいつも事件が起きますね。」「そりゃそうでしょう、男と女は全然違う生き物ですからね。」歳三はそう呟くと、丸岡が持って来てくれたクッキーを頬張った。「丸岡さん、陸の事で色々とお世話になりました。」「息子さんが退院できて良かったですね。」丸岡は黒猫と遊ぶ陸の姿を横目で見ると、リビングから出ていった。「陸、ジュリーと遊んでないで少しは手伝え。」「わかった。」陸はそう言うと、ジュリーをゲージの中に戻した。「ねぇお父さん、今日の夕飯はハンバーグ?」「ああ。お前の退院祝いだから、豪勢にいこうと思ってな。海老フライも後で作ろうな?」「うん!」 千尋が病院から帰宅してリビングに入ると、キッチンの方から良い匂いが漂ってきた。「千尋さん、お帰りなさい!」「陸君、今日の夕飯は?」「海老フライとハンバーグだよ。お父さんが、僕の退院祝いにって作ってくれたんだ!」「よかったですね。」 その日の夜、陸と歳三が作った夕飯を三人で囲んだ。「どう、美味しい?」「ええ。」「さっき丸岡っていう刑事が来て、このマンションで起きた殺人事件の犯人が捕まったってさ。犯人は、太田と暮らしていた女だった。」「あの人が、太田さんを・・」千尋の脳裏に、あの日エレベーターの中で千尋に向かって自分は幸せだと言い張った葉瑠の何処か寂しそうな横顔が甦った。 彼女は、幸せになりたかったのだろうか。刑事の話によると、葉瑠は太田の子を妊娠していて、子どもを生む、生まないで太田と揉めて彼を殺してしまったらしい。『子どもが出来たら、彼は変わってくれると思った。』と、葉瑠はそう供述した。彼女は今、どんな気持ちで居るのだろうか。子どもの父親を手にかけ、殺人犯となってしまった彼女は、この先どう生きるのだろう。「どうしたの、千尋さん?食欲ないの?」「いいえ、何でもありません。」我に返った千尋は、慌てて箸を取り、海老フライを一口齧った。「千尋、この事件のことは早く忘れた方がいいぜ?」「そうですね・・」「嫌な事はさっさと忘れた方がいい。じゃないと、延々と引き摺っちまう。」歳三はそう言うと、グラスの中に入った水を飲んだ。「千尋、乾杯しようか?今日は陸の退院祝いなんだから、パーっとやらねぇとな。」「ええ・・」 歳三は冷蔵庫から冷えたワインを取り出すと、そのコルク栓を素早くワインオープナーで開けた。「いいなぁ、二人ともお酒が飲めて。」「お前ぇも大人になったら飲めるさ。」歳三は千尋と自分のグラスに赤ワインを注いだ後、自分のグラスを持ってそれを高く掲げた。「それじゃぁ、乾杯~!」「乾杯~!」ENDにほんブログ村
May 18, 2014
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「・・子どもが出来たら、あの人は変わってくれると信じていました。」切迫流産で入院した鈴木葉瑠(すずきはる)は、そう言うと丸岡刑事を見た。「・・事件があった日の事を、詳しく話してくれませんか?」「はい・・」事件当日、葉瑠は太田に彼の子を妊娠したことを告げると、彼は突然烈火の如く怒りだし、その辺に置いてある物を片っ端から葉瑠の腹に向かって投げつけたという。「“ガキなんか欲しくない、金はやるから堕ろせ”って・・わたしは彼に産みたいと言いました。赤ちゃんが生まれれば、彼もきっといい父親になってくれるだろうって・・そう思っていたのに・・」命の危険を感じた葉瑠は、キッチンの近くに置いてあった金属製の花瓶で太田の後頭部を殴った。そして、太田は絶命した。「最初、彼は気絶した振りをしたと思っていました。でも、彼は死んでいて・・」葉瑠はそう言葉を切ると、唇を微かに震わせた。「鈴木さん、あなたは罪を償って、人生をやり直してください。」「刑事さん、赤ちゃんはどうなります?わたし、この子を育てたいんです。」葉瑠はそっと下腹を撫でると、丸岡を見た。「刑務所内で出産できますが、赤ちゃんは養護施設で育てられることになるでしょうね。」「そんな・・」「あなたは、殺人を犯したんだ。その罪を一生背負っていかなければなりません。」「わたし、何て馬鹿なことを・・」葉瑠はそう言うと、両手で顔を覆った。 一方、歳三と千尋は、陸の病室へと向かった。「もう大丈夫か、陸?」「うん、大丈夫。ねぇお父さん、僕を襲った犯人は捕まったの?」「ああ。それに、殺人事件の犯人も捕まった。」「ねぇお父さん、ひとつお願いがあるんだけど・・」「何だ?」「猫、飼ってもいい?」「飼ってもいいが、死ぬまで面倒を見られるか?」「見られるよ。」「動物を飼う事は、簡単な事じゃねぇぞ。わかったな?」「うん、わかった。」「陸君、元気そうで良かったですね。」「ああ・・」 病院の帰りに寄ったホームセンターのペットコーナーで、千尋と歳三は猫用のトイレやキャリーバッグ、キャットフードをカートの上に載せた後、レジに並んだ。「猫の名前、どうします?」「それは、陸につけて貰う。飼い主はあいつだからな。それより千尋、マンションの管理組合には話をしたのか?」「ええ。管理人さんは、他の住民達に迷惑を掛けないのなら飼っていいと・・」「そうか。」 一週間後、退院した陸がマンションの部屋に入ると、そこには部屋の新しい住人となった黒猫が彼を出迎えた。「ジュリー!」陸が黒猫の名を呼ぶと、黒猫は嬉しそうに鳴いて陸の足元に擦り寄って来た。「こいつ、メスなのか?」「うん。ねぇお父さん、ジュリーと遊んでいい?」「いいよ。」「やったぁ!」 歳三がキッチンで夕飯の支度をしていると、玄関のインターフォンが鳴った。「はい、どちら様ですか?」『すいません、わたし新宿署の丸岡と申します。少しお時間、頂けますか?』「はい、どうぞ・・」 数分後、部屋に有名洋菓子店の紙袋を提げた丸岡刑事が部屋に入ってきた。「すいません、散らかっていて・・あの、今日は何の用でこちらに・・」「こちらのマンションで起きた殺人事件の、犯人が判りました。」にほんブログ村
May 18, 2014
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「死ねぇ!」歳三の背後で野太い男の声がしたかと思うと、彼の顔を金属バッドが掠めた。「てめぇか、陸を殴ったのは!?」「あのガキ、前から目障りだったんだよ!」黒の目出し帽を被った男はそう叫ぶと、歳三に襲い掛かって来た。 狭い工場内を逃げ惑いながら、歳三は男に反撃する機会を狙っていた。「隠れているのはわかっているんだ、出て来い!」歳三が工場の二階に置いてある資材の陰に隠れていると、男が鉄の階段を上がって来る音が聞こえた。警察に通報しようとした彼が携帯を取りだした時、男が歳三の手から携帯を取り上げた。「見つけたぞ。」そう言って自分に笑みを浮かべる男の手には、バタフライナイフが握られていた。歳三は男の隙を突いて、彼に近くに置いてあったゴミ箱を投げつけた。「畜生、舐めた真似しやがって!」怒気を孕んだ声でそう言った男は、鉄パイプで自分と応戦する歳三の右腕をナイフで切りつけた。男のナイフで右腕を切られた歳三は、痛みに呻いた。「これで、おしまいだ!」男は地面に蹲った歳三に向かって、バタフライナイフを振り下ろそうとした。 だがその時、何処からともなく低い唸り声が聞こえたかと思うと、サッと黒い影が歳三の傍を通り過ぎた後、男が苦悶の悲鳴を上げた。歳三が男の方を見ると、男の顔に一匹の黒猫が覆い被さり、鋭い爪を男の顔に突き立てていた。「この野郎、ぶっ殺してやる!」男がバタフライナイフで猫を刺そうとしたので、歳三は男に体当たりを喰らわした。 バランスを崩した男は、黒猫が顔に覆い被さったまま階段から転げ落ちた。歳三が階段を降りて一階に向かうと、そこには地面にのびて気絶している男と、男の傍で毛繕いをする黒猫の姿があった。「お前のお蔭で助かったよ、ありがとう。」歳三がそう言って黒猫の頭を撫でると、黒猫は嬉しそうに喉を鳴らした。「土方さん、ここに居たのかい!」「江田さん、どうしてここに?」「いやぁ、さっきね、あんたが廃工場に向かっているところを見かけてさ、その後こいつが土方さんを尾行していたから、おかしいなぁって思ってこいつのことをつけていたんだよ。」「こいつが、陸を殴った犯人です。」「こいつはぁ・・金田の倅じゃねぇか!」男から目出し帽を剥ぎ取った江田は、そう叫ぶとポケットから携帯を取り出した。「もしもし、警察ですか?あのねぇ、さっき廃工場で土方陸君を殴った犯人を捕まえたんですが・・」 数分後、陸を鉄パイプで殴った金田紘一は、警察に逮捕された。「よかったねぇ、土方さん。陸君を殴った犯人が捕まって。」「ええ・・」 歳三が陸の自転車に跨って自宅マンションに帰ろうとした時、自転車の前かごに黒猫が飛び乗って来た。「お前ぇは家には連れて行けねぇんだよ、悪いな。」歳三はそう言って黒猫の首根っこを掴もうとすると、黒猫は低く唸って歳三に威嚇した。「わかったよ。」「お帰りなさい、歳三さん。その猫は?」「陸が餌をやっていた野良猫だ。こいつらに餌をやっている時、陸を殴った犯人に襲われそうになったんだ。でも、こいつが俺を助けてくれたんだ。」「命の恩人なのですね、この猫ちゃんは。」千尋がそう言って黒猫を撫でると、黒猫は嬉しそうな声で鳴いた。「なぁ千尋、こいつ飼ってもいいかな?」「どうでしょう・・わたしの一存では決められませんからね・・」「そうだなぁ・・」千尋と歳三がそんな話をしていると、ダイニングテーブルに置かれている千尋の携帯がけたたましく鳴った。『千尋ちゃん、陸君の意識が戻ったよ。』にほんブログ村
May 18, 2014
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「一体何をしているんですか?」「千尋、お帰り。ちょっと調べ物をしていたんだ。」「調べ物?」「ああ。もう終わった。」歳三はそう言うと、ノートパソコンを閉じた。「お風呂、入りますか?風邪をひいてから、もう一週間も入っていないでしょう?」「ああ。身体は洗わなくても平気なんだが、髪がベタついて気持ちが悪くて仕方ねぇんだ。」「そうですか・・じゃぁ寝間着の着替え、後で持って行きますね。」「ああ。」 歳三が浴室に入ったのを確かめた千尋は、歳三が使っていたノートパソコンの蓋を開いた。 スリープモードになっていた画面が解除され、液晶のディスプレイに騎手時代の歳三の写真が表示された。(これは、一体・・)「千尋、シャンプーもうすぐ切れそうだぞ?」「すいません、明日買ってきます。」シャワーを浴びた後、寝室に戻ってきた歳三は、千尋があの業者のHPを見ている事に気づいた。「見ちまったか・・」「一体どういうことなのですか?この会社のHPに、あなたの写真が載っているなんて・・」「実は・・」 歳三は千尋に、マンションのエントランスで見知らぬ青年と言い争いになったことを話した。「その時俺に殴りかかって来たやつが持っていた週刊誌の広告に、俺の写真が載っていたから、広告を出している会社をネットで調べてみたんだよ。」「それで、このサイトに辿り着いたというわけですね?」「ああ。競馬必勝法詐欺って知ってるか?必ず当たるって言って、金を騙し取る・・」「ああ、この前ニュースでやっていましたね。」「どうやら、俺がこの競馬必勝法詐欺をしている会社の広告塔になっているみてぇなんだ。何処から俺の騎手時代の写真がこの会社に渡ったのか、何で俺がこの会社の広告塔になっているのか、わけがわからねぇんだ。」「余り気にしない方がいいですよ。それよりも、まずは風邪を治してください。」「わかったよ。それよりも千尋、陸が誰かに鉄パイプで頭を殴られてお前の職場に運ばれたんだってな?」「ええ。幸い命に別条はありませんでしたが、意識はまだ戻っていません。歳三さんに陸君のことを連絡しようと思っていたんですが、昨日はひっきりなしに急患が来てそれどころではなかったんです。」「陸以外にお前を必要としている患者が居るんだから、別に謝らなくてもいいよ。早く犯人が捕まるといいな。」「ええ。」朝食の卵粥を食べた歳三は、寝間着の上にダウンジャケットを着て寝室から出た。「何処へ行くのですか?」「ちょっと出掛けて来る。」「わかりました。余り遠くに行かないでくださいね?」「わかってるよ、そんなこと。ガキじゃねぇんだから、心配すんな。」歳三はそう言って千尋の頬に素早く唇を落とすと、陸の自転車の鍵を掴んでマンションの部屋から出て行った。 数分後、彼は息子の自転車を廃工場の前に停め、廃工場の中へと入った。歳三が人気のない工場の中を歩いていると、何処からともなく猫の鳴き声が聞こえた。もう帰ろうかと歳三が廃工場から出ようとすると、彼は自分の足元に猫が身体を擦りつけていることに気づいた。「済まねぇなぁ、餌は持って来てねぇんだよ。」歳三がそう言って腰を屈めて猫の頭を撫でた時、彼は誰かが自分の背後に立つ気配を感じた。にほんブログ村
May 18, 2014
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(千尋、遅ぇなぁ・・) 歳三は千尋の帰りが遅いことに苛立ちながら、激しく咳き込んだ後ベッドから起き上がった。熱は昨夜より少し下がったものの、まだ全身がだるくて仕方がない。風邪薬を飲もうとして、冷蔵庫を開けた歳三はポカリスエットのペットボトルがなくなっていることに気づいて舌打ちした。数分後、厚手のダウンコートを着た彼は、財布と携帯を持ってマンションの近くにあるコンビニへと向かった。「土方さんじゃないか、久しぶり!」「どうも・・」コンビニのオーナー・江田に話しかけられ、歳三はそう言うと彼に会釈した。「お宅の陸君、大変だったねぇ。」「陸に、何かあったんですか?」「土方さん、知らないの?陸君、廃工場の野良猫に餌をやっていた時、誰かに鉄パイプで頭を殴られて病院に運ばれたんだよ。」「それ、本当ですか?」「ああ、本当さ!さっき、糸田さんが話していたんだから、間違いないって!それに、救急車を呼んだのも、糸田さんだし・・」「江田さん、教えてくれてありがとうございます。」「いいってことよ。土方さん、まだ本調子じゃないんだから、余り無理しない方がいいぜ?」「わかりました。」 コンビニを出た歳三がポカリスエットとポテトチップスが入ったレジ袋を提げながらマンションのエントランスから中へと入ろうとした時、突然彼の前に一人の青年が現れた。「あんたが、土方歳三だな?」「ああ、そうだが・・俺に何か用か?」歳三がそう言って青年を見ると、彼はいきなり歳三に殴りかかって来た。だが歳三は青年の拳が己の頬に届く前に、青年に足払いをかけた。「てめぇ、何処のどいつだ?」「祖母ちゃんの金を返せ、この泥棒!」「俺はお前ぇの祖母ちゃんなんて知らねぇし、その祖母ちゃんから金を騙し取ったこともねぇよ。」「とぼけんな、こんな広告出してる癖に!」青年はそう言うと、一冊の週刊誌を歳三に向かって投げた後、そのままマンションのエントランスから外へと出ていった。「なんだぁ、あいつ・・」 大理石の床に投げ捨てられた週刊誌を拾い上げた歳三は、そこに載っている広告を見て目を疑った。そこには、“素人でも楽に稼げる、競馬必勝法!”という派手な飾り文字の下に、騎手時代の歳三の写真が添えられていた。(一体何処からこんなもの持ってきやがったんだ?) 部屋に戻った歳三は、寝室に置いてあるノートパソコンを起動させると、広告の下に掲載されている業者をグーグルで検索した。すると、その業者の名とともに、「○○社 詐欺」、「○○社 マルチ」といった言葉が出て来た。 業者のHPにアクセスした歳三は、そこでまたしても騎手時代の自分の写真が載っていることに気づいた。“祖母ちゃんの金を返せ、泥棒!” マンションのエントランスで自分に憎悪の籠った視線を向けてきた青年の言葉が、歳三の脳裏に甦った。「千尋ちゃん、もう帰っていいよ。」「すいません、失礼します。」 夜明け前、病院から漸く帰宅した千尋は、寝室で歳三がノートパソコンで何かをしている事に気づいた。にほんブログ村
May 18, 2014
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「いらっしゃいませ!」「あの、ホットコーヒーください。」「かしこまりました。」駅の地下ビルにあるファストフード店に入った女は、店員から注文したコーヒーを受け取ると、奥のソファ席に腰を下ろした。自分の隣に置いているリュックから手鏡を取りだした女は、あのマンションを出てから初めて自分の顔を見た。 あの日、彼から殴られた顔の右半分の痣はすこしひいているものの、右目の目蓋の上には痛々しい内出血の痕があった。(酷い顔・・)手鏡を化粧ポーチの中に戻した女はコーヒーを飲み終わった後、全財産が入ったリュックを背負うと、そのまま店を後にした。「ありがとうございました!」 店を出た女は、ショルダーバッグから財布を取り出した。今の所持金はあの男が部屋に隠していた金庫の中から奪い取った金と、自分の所持金とあわせて400万ほどある。暫く東京から離れて、実家に帰ってそこで新しい生活を始めるには充分な額だ―女はそう思い、新幹線の切符売り場へと向かった。「先輩、太田のマンションから姿を消した女の素姓がわかりましたよ。」「何!?」「女の名前は鈴木葉瑠(すずきはる)。27歳で、太田とは六本木のダーツバーで知り合ったそうです。」「鈴木葉瑠の実家は何処だ?」「福岡です。それに、太田のマンションの部屋にあった金庫から、300万の現金が消えています。」「今すぐ東京駅に行くぞ!」 東京駅まで車を飛ばしながら、丸岡は太田を殺したのは鈴木葉瑠だとにらんでいた。「畜生、混んでいるな・・」「丁度帰宅ラッシュの時間帯ですからねぇ。」「内田、俺はここで降りる。」「え、ちょっと待って下さいよ、先輩!」運転席でうろたえる後輩刑事を残し、丸岡は素早くシートベルトを外すと、助手席側のドアを開けて外へと出た。 東京駅まで全力疾走した丸岡は、荒い息を吐きながら鈴木葉瑠の姿を探したが、彼女の姿は何処にもなかった。(畜生、遅かったか・・)渋滞に巻き込まれていなければ、鈴木葉瑠を逮捕できたかもしれないのに―丸岡がそう思いながら来た道を戻ろうとした時、彼は登山用のリュックを背負った一人の女性とすれ違った。「すいません、ちょっとお時間よろしいですか?」「はい、何でしょうか?」丸岡に呼び止められ、恐る恐る振り向いたその女性は、右目に眼帯をつけていた。「ちょっとしたアンケートに答えていただけないかと思いまして・・余りお時間は取らせませんから・・」「あの、わたし急いでいるんで・・」女性はそう言うと丸岡に背を向けて歩き出そうとしたが、丸岡が突然彼女の手を掴んだ。「何するんですか、離してください!」「あなた、鈴木葉瑠さんですよね?」丸岡の言葉に、女性はビクリと背を微かに震わせた。「逃げても、罪が重くなるだけですよ?」「わたしは・・わたしは・・」女は身体を小刻みに震わせたかと思うと、その場に蹲(うずくま)った。「どうしました?」「お腹が・・痛い・・」額に脂汗を浮かべながら、女はそう言うと下腹を押さえた。「誰か、救急車!」にほんブログ村
May 18, 2014
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千尋と総司が勤務する病院のERに搬送された陸は一命を取り留めた。「千尋ちゃん、これ飲んだら?」「ありがとうございます・・」集中治療室のガラス窓越しにベッドに寝かされている陸を見ながら、千尋は一体どうしてこんなことになってしまったのか、訳がわからなかった。「土方陸君のご家族の方ですね?」「はい、そうですが・・」千尋が俯いていた顔を上げると、廊下には今朝マンションを訪ねて来た二人組の刑事の姿があった。「陸君はどうやら、近所の廃工場で野良猫に餌をあげていた時に何者かに後頭部を鉄パイプで殴られたようです。」「そうですか・・刑事さん、陸を襲った犯人は捕まりますか?」「廃工場の近くで黒いダウンコートを着た怪しい男を見かけたという通報がありました。ただ、時間帯が夕方なので、人相まではわからなかったと・・」「通報して下さったのは、どなたですか?」「学校の近くで文房具店を営んでいる糸田さんという方です。廃工場で倒れている陸君を見つけて救急車を呼んだのも、糸田さんですよ。」「糸田さんは今どちらに?」「あちらです。」丸岡刑事が手術室前に置かれているソファを指すと、そこには赤いダウンコートを着た中肉中背の男性が座っていた。「すいません、糸田さんですか?わたくし、陸の保護者で荻野千尋と申します。」「糸田です。陸君、大丈夫なの?」「ええ。いつ意識が戻るかわかりませんが、本人の生命力を信じて陸の意識が戻るのを待ちましょう。」「あの子ねぇ、いつも学校の行き帰りには毎日必ず挨拶してくれていたんですよ。礼儀正しい良い子なのに、どうしてあんな目に・・」「さっきあちらの刑事さんから、陸が廃工場で野良猫たちに餌をやっていたって聞きましたが・・」「あぁ、陸君はマンションに住んでいるから、猫が飼えない分廃工場に居る野良猫たちを可愛がってあげているんだって言っていましたよ。」「救急車を呼んでくださってありがとうございます。」「いいえ、わたしは当然の事をしたまでです。じゃぁわたしは、これで失礼します。」「お気を付けてお帰り下さい。」「陸君、早くよくなるといいですね。」屈託のない笑みを千尋に浮かべた糸田は、彼に手を振りながら病院を後にした。「先輩、土方陸殴打事件と、この前の殺人事件が繋がっていると思います?」「まぁ、あらゆる可能性を探っていかないと、二つの事件の解決には繋がらないな。取り敢えず、俺達は二つの事件の目撃者探しをするか。」「そうですね。」 病院を後にした丸岡と内田は土方陸殴打事件現場周辺で目撃者探しをしていたが、収穫はなかった。「丸岡、どうだ?土方陸殴打事件の方で何か進展があったか?」「いいえ。」 出前の蕎麦を啜りながら、丸岡はそう言って同僚の菊内を見た。「土方陸殴打事件で使われた凶器は、現場周辺に置いてあった鉄パイプだったな?」「ええ。土方陸の傍に落ちていた鉄パイプから、彼の血液と毛髪、それに犯人の指紋が検出されました。」「こんな平和な町で、事件が立て続けに起きるとはなぁ・・」「菊さん、岡崎千尋が太田と暮らしていた女の事を話していたでしょう?その女、事件が起きた後失踪したそうです。」「におうな、その女。」「太田から日常的に暴力を振るわれているようでしたし、日頃の恨みが募って殺意に発展したって考えると、太田の同居人だった女が一番怪しいですね。」「後で女の素姓を洗ってみることにするか。」菊内はそう言って持病のヘルニアを抱えた腰を擦って椅子から立ち上がると、刑事課のオフィスから出て行った。にほんブログ村
May 18, 2014
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「千尋ちゃん、今日は夜勤?」「はい。歳三さん、大丈夫かなぁ・・」「土方さんなら大丈夫だって。それに、陸君が居るでしょう?」昼休み、総司と千尋が病院内のベンチに座って昼食を食べていると、千尋の携帯がけたたましく鳴った。「出てもいいよ。」「すいません・・失礼します。」千尋は携帯の液晶画面に、“学校”と表示されていることに気づいた。 いつでも学校と連絡がつくようにと、千尋は自分の携帯の番号とメールアドレスを陸の担任に教えていたが、一度も学校から電話やメールが来た事はなかった。「もしもし、岡崎です。」『岡崎さん、陸君お家に戻っていませんか?』「陸に、何かあったんですか?」『ええ。先程学校から電話がありましてね、文房具屋のご主人が陸君を見かけたようなんです。でも、少し様子が変だったって・・』「陸の様子が変?あの子、クラスの子からいじめられているんでしょうか?」『それはないと思います。陸君、クラスの人気者ですし、塾にも沢山お友達が居ますから・・お忙しいのに、申し訳ありません。』「いえ、こちらこそお忙しいのに、陸の事を教えて下さってありがとうございました。では、失礼致します。」 陸が自宅に帰っていない事を担任から告げられた千尋は、不安になって歳三の携帯に掛けた。『どうした?』「陸、そっちに帰って来ていませんか?」『ああ。どうかしたのか?』「いえ・・」『今日夜勤だろう?余り無理するんじゃねぇぞ?』「ええ・・」携帯を閉じてそれをポケットにしまった千尋は、陸の身を案じた。 一方、学校を出て自転車に跨った陸は、自宅マンションとは逆方向にある廃工場の前で自転車を降り、廃工場の中へと入った。「みんな、ご飯だよ。」陸が暗闇の中でそう叫ぶと、何処からともなく可愛らしい鳴き声とともに50匹もの猫達が一斉に陸の元へとやって来た。陸は斑模様の猫の背を撫でながら、背負っていたリュックを地面に下ろすと、その中から数日前にペットショップで購入した猫缶を開けてその中身を猫達の前に置いた。「そんなに慌てないで。まだまだ沢山餌はあるからね。」餌の取り合いをする猫達にそんな言葉を掛けながら、陸は食事をする猫達を微笑ましそうに見ていた。そんな彼の背後に立った男は、傍に置かれていた鉄パイプで躊躇いなく陸の後頭部を殴打した後、廃工場から立ち去った。「陸君、家に帰ってないの?」「ええ。」「何だったら、僕が夜勤変わってあげようか?看護師長に事情を話せば、わかってもらえるよ。」「わかりました。」 ナースステーションに向かった千尋は、看護師長に陸が行方不明になっていることを話した。「そう・・岡崎さん、あなたは早く家に帰りなさい。陸君、無事に見つかるといいわね。」「すいません・・」「謝らなくてもいいわよ。困った時はお互い様。」「じゃぁ、わたしはこれで失礼します。」 千尋が病院の職員専用出入口から外へと出ようとした時、救急車がサイレンを鳴らしながら病院の前に停まった。「千尋ちゃん、申し訳ないけどこっちに来て手伝って!」「はい、わかりました!」 千尋がERに運ばれた患者を見ると、その患者は行方不明になっていた陸だった。にほんブログ村
May 18, 2014
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「まさか、ここで殺人事件が起きるなんて思いもしませんでした。」 数分後、千尋は部屋を訪ねて来た年配の刑事にコーヒーを出すと、そう言って溜息を吐いた。「先輩、遅くなりました!」「お前、遅いぞ!」千尋がソファに座ろうとした時、ドアが開いてリビングに若い男が入ってきた。「あの、そちらの方は?」「すいません、こいつは内田といって、わたしの相棒です。自己紹介が遅れました、わたしは新宿署の丸岡と申します。」「わたしは岡崎千尋と申します。西田総合病院で看護師をしております。」「そうですか。岡崎さん、殺された太田さんとはどういう関係でした?」「どういう関係と申しますと・・太田さんとは、同じマンションの住民同士で、それ以上の関係ではありませんでした。それにあの人、余りご近所づきあいをされない方でしたから・・」「そうですか。じゃぁ聞きますが、太田さんがご近所の方達と何かトラブルを抱えていたとかは・・」「そうですねぇ、太田さんはルーズな方で、ゴミ出しのルールを守らなくて、良く管理人さんや他の住民の方と揉めていました。それにここのマンションは月2回溝のドブ浚(さら)いを近所の方達と総出でするんですけどね、その行事に一度も太田さんは出なかったんです。せめて一度だけでも参加して下さいとわたしが太田さんに言いましたけど、無視されました。」 二人の刑事達に太田の事を話しながら、千尋は彼が殺される数週間前の事を思い出していた。「馬鹿野郎、俺が頼んだ物と違う物を買ってきやがって!」 その日の朝、千尋が陸と歳三の為に弁当を作っていると、突然太田の怒鳴り声が12階から聞こえた。彼は些細な事で妻によく暴力を振るっていた。千尋達が住んでいるのは15階で、太田夫妻が住む部屋とはかなり離れていたが、彼の怒声はマンションの最上階まで響いていた。「相変わらずうるせぇなぁ、あいつ。朝からいい迷惑だぜ。」「ねぇお父さん、太田さんの奥さん、どうして離婚しないの?毎日旦那さんに殴られて、奥さん平気なのかなぁ?」「さぁなぁ。夫婦の事なんか、ガキのお前ぇにはまだわからねぇよ。」「何だよ、またそうやって僕を子ども扱いして!」「へん、そう言われて悔しいのなら、早く大人になるんだな!」怒声を聞いた後、千尋がゴミ袋を両手に提げながらエレベーターに乗り込むと、そこへ顔の右半分を赤紫色に腫らした太田の妻が乗って来た。「すいません、またお騒がせしちゃって・・」「いいえ。」「うちの人、いつもわたしには優しいんですよ。この前のわたしの誕生日に、ダイヤのネックレスを買ってくれたんです。」「へぇ、そうなんですか・・」「あの人は、わたしが支えないといけないんです。」そう言った太田の妻は、千尋に寂しげな笑みを浮かべながら、一足先にエレベーターから降りていった。「岡崎さん、どうかされましたか?」「いえ・・あんな事があって、太田さんの奥さんは今どうされているのだろうと思いまして・・」「岡崎さん、太田さんは独身ですよ?」「え・・けどわたし、太田さんが奥さんを連れて近所のスーパーで買い物をしているところを何度か見ましたよ?」「それは、本当ですか?」「ええ。それに事件の数週間前に、わたし太田さんの奥さんとエレベーターで会いました。太田さん、奥さんにいつも些細な事で怒鳴り散らして、暴力を振るっていたんですよ。その時奥さんと会った時、彼女顔の右半分に酷い痣をつくって・・」「貴重な情報を教えて下さって、ありがとうございます。我々はこれで失礼致します。」二人の刑事は、コーヒーを一口も飲まずに、リビングから出て行った。にほんブログ村
May 18, 2014
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「行って来ます!」「陸君、お弁当忘れてるよ!」「ありがとう、千尋さん。」「ったく、陸の奴いつも騒がしいなぁ。」陸が出て行った後、寝室から出て来た歳三がそう言って欠伸を噛み殺しながら椅子に座った。「お熱、少し下がったみたいですね?」「ああ。お前ぇの看病のお蔭だ。」歳三は千尋に微笑むと、彼の唇を塞いだ。「やめてください・・」「いいじゃねぇか、誰も見てねぇんだし。」「もう、歳三さんったら・・」千尋は頬を羞恥で赤く染めながら、歳三を見た。歳三と結婚式を挙げ、男同士でありながら夫婦として暮らし始めてから、もう二ヶ月になる。歳三はまるで急に子どもに戻ったかのように、時折千尋に甘えてくる。「なぁ、今日は一日中家に居てくれよ?」「それは出来ません。」「そんな事言うなよぉ。」歳三がそう言って千尋に抱きついていると、マンションのエントランスから来客を告げるチャイムが鳴った。「あなたはお部屋で寝ていてください。」「わかったよ・・ったく、お前ぇ最近冷てぇよなぁ?」歳三は小声で千尋に文句を言いながら、寝室へと引っ込んでいった。 千尋がインターホンの画面の電源を入れると、そこにはスーツ姿の男性が立っていた。「あの、どちら様ですか?」『すいません、わたしこういう者なんですけど・・』男はそう言うと、写真付きの警察手帳を見せた。「刑事さんが、うちに何のご用ですか?」『実はねぇ、数日前にこのマンションの12階に住む太田さんが殺された事件で、このマンションの住民に話を聞いているんですよ。すいませんが、少しお時間いただけないでしょうか?』刑事の言葉を聞いた千尋は、数日前にこのマンションで起きた殺人事件のことを思い出した。 あの日、休みだった千尋がベランダで洗濯物を干していると、突然外が騒がしくなった。「なんだよ、うるせぇなぁ・・」リビングのソファに寝ていた歳三が、そう言って舌打ちしながらベランダに出て外の様子を見ると、マンションのエントランス前には数台のパトカーが停まっていた。「何かあったのでしょうか?」「さぁ。また、酔っ払いが騒いでたんじゃねぇのか?最近、ここら辺でそういうの、多いみたいだぜ?」「そうですか・・」その時、千尋と歳三は住民の誰かが泥酔して騒ぎを起こしたのだろうと思い、そのまま何の気にも留めなかった。 マンション内で殺人事件が発生したことを二人が知ったのは、その日の夕方だった。「まさかここで殺人事件が起きるなんてなぁ・・」「物騒ですね。」「ねぇお父さん、うちにも刑事とか来るのかな?ほら、よくサスペンスドラマであるでしょう、厳つい顔をしたスーツ着たおじさんが、ドア越しに警察手帳ちらつかせたりする・・」「あるんじゃねぇの?まぁ、お前ぇは学校があるから刑事には会えないな!」「何だ、つまんないの!」 インターホン画面越しに刑事の姿を見ながら、千尋は思わず歳三達の会話を思い出して笑ってしまった。『どうしました?』「いえ、何でもありません。少し待って頂けますか?部屋の中が少し散らかっているので、片付けたいんです。」『わかりました。』にほんブログ村
May 18, 2014
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朝、シャワーを浴びているとき、歳三はそっと左の首筋から足首にかけて負った火傷痕を撫でた。 3年前、彼は親友が経営していた牧場で火災に遭い、そこで親友と愛馬を失った。彼には、深い喪失感と醜い火傷痕だけが残った。何度も死のうと思いつめたことがあったが、その度に恋人が励ましてくれた。彼―千尋とは内縁ではあるが、夫婦同然の関係だ。いや、男同士なのだから「夫夫」というべきか。「お父さん~!」「陸、どうしたんだ?」「ねぇ、今度の日曜千尋さんと三人でプール行こう!」「プール?」「うん、懸賞で遊園地の無料招待券当たったんだ!」「そうか・・」歳三はタオルを胸の高さまで巻くと、中学生になる一人息子の陸を見た。「ねえお父さん、やっぱり傷のこと、気になっているの?」「まぁな・・でも、この傷は一生治らないだろうって医者から言われたからもう諦めているよ。」「そんな・・」今まで、何度か皮膚移植手術を試みたことがあった。だが莫大な費用と時間が掛かるため、断念した。「考えてみる・・」「そう。」 リビングに戻った陸が溜息を吐いていると、ベランダで洗濯物を干していた千尋がリビングに入ってきた。「どうしたの、陸君?」「お父さんにプール行こうって誘ったけど、傷のことがあるから、断られそう・・」 その日の夜、千尋は歳三の部屋のドアをノックした。「プールのことですけれど、無理しなくてもいいですから・・」「いや、行くよ。」「本当に、いいのですか?」「ああ。」 週末、遊園地内にあるプールで、歳三は千尋と陸と三人で楽しく遊んでいた。そこへ、5歳くらいの男児を連れた一組の親子連れが彼らのそばを通りかかった。「ママ、どうしてあの人の肌、汚いの?」男児は好奇心を剥き出しにした視線で、歳三の火傷痕を見た。「ゆっ君、そんなに人のことをジロジロと見たら駄目でしょう。」男児の母親はそう言うと、歳三に向かって頭を下げた。「お父さん、今日楽しかったね。」「ああ。なぁ陸、帰る前にジェットコースター乗ろうか?」「うん!」遊園地で一日中遊んだあと、帰宅した歳三は、車をマンションの地下駐車場に停めると溜息を吐いた。「千尋、俺皮膚移植手術を受けようと思うんだ。」「それは、本気ですか?」「ああ。莫大な金と時間が掛かるが、やる前から諦めていちゃぁ終わりだ。」「そうですか・・あなたがそう決めたのなら、わたしは止めません。」千尋はそう言うと、歳三の唇を塞いだ。「ねぇ千尋ちゃん、土方さんが皮膚移植手術を受けるって本当?」「ええ。かなりのお金と時間が掛かりますけど、頑張ってみようって歳三さんが言っていて・・」「そう。これから長い戦いになるだろうけど、頑張ってね。」「はい・・」後書き『わたしの彼は・・』の後日談のようなもの。火事で負った火傷の痕を消すため、皮膚移植手術を受ける決意をした歳三。にほんブログ村
May 1, 2014
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季節は巡り、あっという間に12月となった。クリスマスシーズン真っ只中の12月吉日、歳三と千尋は都内のチャペルで身内や親しい友人達を招き、結婚式を挙げた。男同士なので、婚姻届が出せない事を二人は知っていたが、せめて形だけでもと思い、結婚式を挙げることにしたのだった。「おめでとう、千尋ちゃん。土方さんとお幸せにね。」「ありがとうございます、沖田先輩。」純白のウェディングドレスを纏った千尋は、そう言って総司に微笑んだ。「いいお式だったね、本当に。タキシード姿の土方さんの姿を見て、惚れ直しちゃった?」「ええ。」「千尋さん、お父さんが呼んでるよ!」「はい、今行きます。」ドレスの裾を摘みながら、千尋は総司とともに新婦控室から出て行った。「遅かったな?」「申し訳ありません、沖田先輩と少し話をしていて・・」「土方さん、浮気しないようにね。」「誰がするかよ、そんな事。」歳三はそう言って千尋を自分の方へと引き寄せた。「まったく、お熱いことで。陸君、二人の世界を邪魔しちゃいけないよ?」「わかりました。」総司と陸がチャペルから出て行ったのを見送った歳三は、千尋の方へと向き直りこう言った。「やっと二人きりになれたな?」「ええ・・」歳三と千尋は、互いの唇を重ねた。「なぁ、新婚旅行は何処に行く?」「そうですねぇ、バリ島とか・・」「いいじゃねぇか。」 披露宴の後、ホテルの部屋で千尋と歳三が新婚旅行の計画を立てていると、歳三のスマホが突然鳴った。「もしもし?」「どなたからでしたか?」「昔世話になった近藤さんからだよ。結婚おめでとうってさ。」「そうですか。それよりも、バリ島にはいつ・・」「まぁ、そんなに焦るなよ。ゆっくりと休暇を楽しめばいい。」歳三はそう言うと、千尋の乳首を軽く摘んだ。「おやめください・・」「何言ってんだよ、もう遠慮は要らねぇだろ?」「それはそうですけど・・」「さてと、夜はまだ長いから二人だけで楽しむとするか?」歳三は千尋に微笑むと、彼をベッドの上に押し倒した。―FIN―
Sep 23, 2013
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「お父さん、ピクニック、明日なんでしょう?」「ああ、そうだが・・」「それじゃぁ、そこでプロポーズすればいいじゃん、千尋さんに!」「お前なぁ、そう簡単に言うなよ・・」「このままズルズルと関係を続けてても、いいことないよ?」陸にそう言われた歳三は、思わず言葉に詰まった。「それで、お前は何を考えてるんだ?」「サプライズプロポーズするんなら、僕の考えたプランに従って貰うよ?」陸は悪戯っぽい笑みを浮かべると、一冊の大学ノートを歳三に手渡した。「何だこれ・・」「それくらいしないと、作戦が成功しないよ?」「お前、いつの間に・・」「明日頑張ってね、お父さん。お休み。」(ったく、陸の野郎・・) 陸が寝た後、歳三は彼に悪態を吐きながらノートを片手に陸が考えた“サプライズポロポーズ作戦”の準備へと取りかかった。「これでよしっと・・」完成したシフォンケーキを冷蔵庫の中に入れると、歳三は額の汗を拭った。「おはようございます。」「おはよう・・」「何だか元気ないですね?」「ちょっとあってな・・」朝食のチーズオムレツを食べながら、歳三は千尋にそう言うと陸を睨んだ。陸はしれっとした顔でオレンジジュースを飲みながら、千尋を見た。「ねぇ千尋さん、お弁当はもう作ったの?」「ええ。確か冷蔵庫の中に・・」千尋がそう言って冷蔵庫を開けると、そこには昨夜歳三が作ったシフォンケーキが置いてあった。 そこには生クリームで、“Do you marry me?”と書かれていた。「これ、土方さんが?」「ああ・・驚かせちまって済まねぇ・・」千尋は涙ぐみながら、歳三に抱きついた。「こんなわたしでさえよければ、宜しくお願い致します。」「え、いいのか?」「はい・・」「良かったね、お父さん!」「ああ・・」歳三は千尋を抱きしめると、彼の唇を塞いだ。「お父さん達、いつ結婚式するの?」「おいおい、気が早いぞ?」車で千葉へと向かう途中、歳三は後部座席ではしゃいでいる陸を見てそう言うと苦笑した。「千尋さんのウェディングドレス姿、似合うと思うなぁ。」「わたしも、着てみたくなりました。」「千尋、本気なのか?」「ええ、本気ですよ。」 千尋はそう言うと、歳三にニッコリと笑った。 数日後、歳三と千尋は都内のウェディングサロンへと来ていた。「結婚式、本当に挙げるおつもりですか?」「身内や親しい友人だけ招いて挙げるっていっても、ちゃんとしねぇとな。」歳三はそう言うと、スーツの胸ポケットから有名宝飾店のロゴが入った箱を取り出して開いた。 そこには、光り輝くダイヤモンドの指輪があった。
Sep 23, 2013
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「このたびは、うちの娘がとんでもないことをしてしまって、大変申し訳ないと思っております。」美香の父親は、そう言って床に地面を擦りつけんばかりに千尋の前で土下座した。「お父さん、頭を上げてください。」「いいえ。娘が人様を傷つけたことはとんでもないことです。」美香の父親は土下座したまま喉奥から絞り出すような声でそう言うと、嗚咽した。「岡崎さん、娘は正常な精神状態じゃないんです。だから娘を許してやってくださいな。」「お前、何を言うんだ!?」「だって、この人が全て悪いんじゃありませんか?この人が美香の誤解を招くような行動をするから、あの子は・・」「止さないか!お前はいつもあの子が悪い事をすると、自分の都合の良いように解釈をして事を上手く収めようとするんだな!見苦しいと思わないのか!」「わたしは母親です!」「美香は人を傷つけたのだから、その償いをしなければならない!」「そんな・・」美香の両親が言い争う声を聞きながら、千尋は二人にこう声を掛けた。「お二人のお気持ちはよく解りました。確かに宮島さんに対して誤解を招くような行動をしたかもしれません。しかし、彼女は暴走してしまいました。それは誰の責任でもありません、彼女自身の責任です。」「帰るぞ、岡崎さんともう話すことはない。」「許していただけるんですか、娘を?」「いいえ。」美香の母親は落胆の表情を浮かべると、父親とともに病室から出て行った。事件から2週間が経ち、美香は意識を取り戻し、殺人未遂で警察に逮捕された。暫くマスコミがこの事件をセンセーショナルに報じていたが、やがてほとぼりも冷め、千尋は平穏な日常を取り戻しつつあった。「千尋、今度の週末、どこかに出かけねぇか?」「何処へですか?」「千葉あたりにでも行くか?まだ海水浴の季節じゃねぇが、ピクニック位出来るだろう?」「いいですね。陸君は何と?」「行きたいって言ってた。もう僕たちは家族なんだから、それ位いいでしょうって。」「家族、ですか・・」「なぁに照れてんだよ?」歳三はそう言うと、千尋の頬を軽く抓った。「お弁当は、わたしが作りますね。」「俺も手伝うよ。どうせ暇だからさ。」「そうですか。それじゃぁ豪華なお弁当を作らないといけませんね?」「千尋、俺仕事が決まったんだ。」「そうですか、良かったですね。どちらに決まったんですか?」「スーパーのレジ打ち。30過ぎでやる仕事じゃねぇけど、贅沢は言えねぇよな?」「頑張ってください。」「ああ、わかったよ。」 翌日、歳三は近所のスーパーでレジ打ちのアルバイトを始めた。慣れない仕事ばかりで初日はミスを連発して落ち込んだが、次第に仕事にも慣れてきて、パートのおばちゃんから熱い視線を送られるようになった。「土方さん、彼女居るの?」「いや・・彼女は居ません。その代わり、俺の世話をかいがいしく焼いてくれる恋人が居ますから。」「あらぁ、残念。」「あたし、狙ってたのに!」「まぁ土方さんみたいないい男、放っておく訳ないわよねぇ~!」休憩室でパートのおばちゃんとそんな話をした後、歳三はバイトが終わった後、スーパーで買い物をして帰宅した。「ただいま。」「お帰りなさい。千尋さんは夜勤だよ。」「わかってる。夕飯はもう食べたのか?」「うん。それよりもお父さんに、ひとつ聞きたい事があるんだけど・・」「何だ?」「いつ、千尋さんにプロポーズするの?」陸の言葉を聞いた歳三は、思わず茶を噴き出しそうになった。「プロポーズだぁ!?」「だって二人とも両想いなんでしょう?だったら・・」「おい待て、陸!」
Sep 23, 2013
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一体こんな朝早くに誰だろうと思いながら千尋が床に散らばった服を着てインターフォンの画面を覗き込むと、そこには美香が立っていた。「宮島さん、何の用?もうここには来るなと言ったはず・・」『岡崎先輩、話があるんです。』「わたしはあなたと話すことはありません。さっさと帰りなさい。」千尋はそう言ってインターフォンのスイッチを切った直後、狂ったようにドアが誰かにノックされた。「開けてよ、居るんでしょう!?」千尋は恐怖で引き攣りながら、玄関のほうを見た。マンションのエントランスのチャイムが鳴ったから、てっきり美香はマンションのエントランスに居るのだと思っていたが、違った。恐らく他の住民達とともに、マンションの中へと入ってきて、千尋が住んでいる部屋の番号を見つけたのだ。「もしもし、警察の方ですか?今わたしが住んでいるマンションの前に、不審者が居ます。早く来てください!」『わかりました、あなたの氏名と住所を教えてください。』千尋は警察官に名前とマンションの住所を告げた後、通話を繋いだ状態にして携帯をダイニングテーブルの上に置いた。「あの女、一体何のつもりだ?」「わたしが様子を見てきますから、土方さんはここに居てください。」千尋は歳三にそういうと、護身用に買った金属バットを掴んで玄関先へと向かった。「開けてよ、彼に会わせて!」ドアの向こうで叫んでいる美香の声を聞く限り、彼女が正常の精神状態ではないことは確かだ。千尋はそっとドアチェーンを掛け、そのままドアを開けた。すると、美香が怒りで目を釣りあがらせながら、何か意味不明な言葉を叫んでいた。「中に入れて!」「宮島さん、落ち着いて・・」「よくもあたしを騙したわね、裏切り者!」美香はそう叫んで千尋に向かって唾を飛ばすと、ドアを蹴破って部屋の中へと入ってきた。「何よ・・何なのよこれは!?」リビングに入った彼女は、そう言ってソファに寝ている全裸の歳三と、床に散らばった彼の衣服を見た。「あんた、裏切ったわね!あたしが土方さんと結婚するの知ってたくせに!」「宮島さん、一体何を・・」「裏切り者~!」美香は何か光るものを千尋の頭上に振り翳すと、そのままそれを千尋の腹部に突き立てた。その瞬間、千尋は彼女が握っているナイフの刃が太陽の光に反射して光るのを見た。「殺してやるぅ!」美香は千尋の腹部からナイフを抜き、彼を蹴り飛ばすと、再び千尋に向かって突進した。だがその時、彼女の後頭部を歳三が金属バットを振り翳した。隙を突かれて後頭部を歳三に殴られた美香は、ナイフを床に落としてそのまま気絶した。「千尋、大丈夫か?」「救急車を・・」「わかった。死ぬんじゃねぇぞ!」歳三はキッチンからペーパータオルを数枚持ってくると、それで千尋の傷口を圧迫した。 数分後、救急車で病院に搬送された千尋は、一命を取り留めた。「今回の事で、事情をお聞きしたいのですが、宜しいですか?」「ええ、構いません。」千尋が入院中に、数人の刑事達がそう言って彼の病室に入ってきた。「まだ本調子じゃねぇのに、大丈夫なのか?」「大丈夫です。それよりも刑事さん、宮島さんは?」「彼女は一命を取り留めましたが、まだ意識が戻りません。」「そうですか。土方さん、暫く外に出てくれませんか?」「わかったよ・・」 千尋は今回の事件について事情を刑事達に説明した後、ベッドに横になった。「気分はどう?」「大丈夫です。」「喉が渇いたでしょう?お水、ここに置いておくからね。」「ありがとうございます。」「それよりも宮島さんがあんな事するなんて・・これからどうなるんだろうね?」「それは、わたしにも解りません・・」千尋はそう言って溜息を吐くと、窓の外を見た。 事件から数日後、美香の両親が千尋の元を訪ねてきた。
Sep 23, 2013
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「宮島さん、どうしてここに?」「どうしてって・・この前岡崎さんの家にお邪魔してもいいですかって聞いたじゃないですか?」「確かにそうだけど、わたしはいいとは言っていないよ?昨夜の事もそうだけど・・あなた、少し常識が無いんじゃないの?」「そうですか。じゃぁわたし、帰りますね。」美香は千尋をジロリと睨み付けると、彼を押し退けて玄関先へと向かった。「千尋、宮島さんは?」「彼女なら、さっきお帰りになりました。土方さん、どうして彼女を家に上げたんですか?」「どうしてって・・ロールケーキを持って来たから一緒に食べませんかって言われたんだよ・・」「それならそうと、わたしに連絡してくださらないと困ります!」千尋はそう言って歳三を睨みつけた。「悪かったよ・・」「お願いですから今後わたしに何の相談もなく赤の他人を家に上げるのは止して下さい。」「わかった・・」暫くの間、歳三と千尋の間には険悪な空気が漂っていた。「千尋さん、塾行ってきます。」「行ってらっしゃい、陸君。これ、塾で食べてね。」「ありがとう!」千尋は元気よく玄関から出て行く陸に手を振ると、リビングへと戻った。「土方さん、明日のご予定は?」「予定も何もありゃしねぇよ。」歳三はソファに寝そべりながら、腕に出来た湿疹を掻きむしっていた。「またそんなに掻いて・・薬を塗って下さいって申し上げた筈でしょう?」「薬を塗っても効かねぇから掻いてんじゃねぇか!」湿疹が出来ている箇所を歳三がしつこく掻きむしっていると、そこから血が滲んできた。「千尋、言いたい事があるならはっきり言えよ。まだ昼の事、怒ってんだろ?」「ええ。あなたがわたしに何の連絡も相談もせずに宮島さんを家に上げた事は許されることではありません。ですが、もうそれは過ぎた事です。」「そうか・・悪かったな、ここはお前の家なのに勝手な真似をして。」「いいえ、わたしも言い過ぎました。」洗い物を終えた千尋は、そう言うと歳三の隣に座り、彼の腕を取った。「消毒薬を取ってきます・・」「そんなの、必要ねぇよ。」「化膿したらどうするんですか?」「鈍い奴だな、お前も。」歳三はそう言って苦笑すると、千尋を抱きしめた。「何をなさいます!」「なぁ、俺達は恋人同士じゃないのか?たまにはイチャイチャしようぜ?」「そんな・・」「陸はもう居ねぇんだから、遠慮する事ないだろ?」歳三は千尋の額に唇を落とすと、彼は頬を赤く染めながら歳三の額にキスした。「千尋、起きろ。」「ん・・」 翌朝、千尋がソファから起きると、リビングの床には脱ぎ捨てられた自分と歳三の服が散らばっていた。「シャワーを浴びてきます。」「まだいいじゃねぇか。」歳三はそう言うと、千尋の腕を掴んで自分の方へと引き寄せ、千尋の唇を塞ごうとした。 その時、マンションのエントランスのチャイムが鳴った。
Sep 22, 2013
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「どちら様でしょうか?」『あの・・岡崎さんはまだ帰っていらっしゃらないんですか?』「岡崎はまだ帰っておりませんが?」『そうですか、では失礼致しました。』女性はそう言うと、マンションのエントランスから去っていった。「お父さん、誰だったの?」「さぁな。何だか千尋に用があるみたいだったぞ?」「ふぅん。」 翌朝、千尋が帰宅すると、歳三が朝食を用意して彼を待っていた。「千尋、昨夜お前に客が来てたぞ。」「お客様、ですか?」「ああ。相手は名乗らなかったが・・」「そうですか。」「一体誰だったんだ、昨夜の女?」「一人、心当たりがあります。」そう言った千尋は、険しい表情を浮かべていた。「宮島さん、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」「はい・・」 翌日職場で千尋は美香が一人になった時を見計らって、彼女に声を掛けた。「昨夜、わたしが住んでいるマンションに来ましたよね?」「ええ・・」「行って、何をするつもりだったんですか?」「それは・・」「答えられないの?」「岡崎さん、本当に土方さんの事好きなんですか?」「それはあなたには関係のない事でしょう?」「関係ありますよ。わたし、土方さんの事が好きなんですから。」美香はそう千尋に宣戦布告すると、キッと彼を睨んだ。「わたし、土方さんの事諦めませんから。きっと彼を振り向かせてみますから。」「そう、やってみたら?」「話はそれだけですか?じゃぁわたし、もう行きますね。」美香はそう言って千尋に背を向けて去っていった。「へぇ、宮島さんそんな事言ったんだ?」「ええ・・沖田先輩、彼女の事ご存知なんですか?」「まぁね。っていうか、彼女僕が通っていた高校の後輩だし。」「そうなんですか!?」「あの子、自分が好きになった男が彼女持ちであろうと妻子持ちであろうと関係なく手に入れようとしたからねぇ。魔性の女だよ、あの子は。」「魔性の女・・」「何だか放っておけない、守ってやりたいっていう見た目からは想像もつかないほど、結構エグイことしてるよ、彼女。負けたら駄目だよ?」「負けませんよ、わたしは。」千尋はそう言うと、ぐっと拳を握りしめた。「ただいま帰りました。」「お帰りなさい、千尋さん。」「誰か、お客様が来てるの?」玄関先でハイヒールを見つけた千尋がそう言って陸を見ると、彼は気まずそうな様子でリビングのドアを指した。「あ、どうも先輩、お邪魔してます。」 リビングから美香が出て来て、彼女はそう言って千尋に笑顔を浮かべた。
Sep 22, 2013
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「このパスタ、美味しいね!」「やっぱり千尋と一緒に暮らして良かったな。毎日美味い飯が食えるんだから。」「お父さん、千尋さんに甘えてたら駄目だよ?仕事だってまだ決まってないんだから。」「うるせぇなぁ、わかってるよ・・」歳三は千尋が作ったパスタを食べながら、求人広告に目を通した。 希望していた職種はどれも30歳まで、と年齢制限があり、年齢制限がないのはスーパーのレジ打ちや、ファミリーレストランや居酒屋のアルバイトだけだった。「資格を取らないと駄目だよ、お父さん。」「資格っつったってなぁ・・」「医療事務とかしてみれば?今時資格を持ってないと、就職には不利だよ?」「ったく、てめぇは何時の間に生意気になりやがったんだ?」「お父さんがだらしないから、僕がしっかりしないといけないじゃん。それくらいわかってよね?」陸はそう言うと、食べ終わった食器を流しへと持って行った。「お父さん、前に居た会社ではちゃんと働いていたんでしょう?それなのにどうしてお父さんが真っ先にクビを切られたの?」「さぁな。」「お父さんが派遣されていた会社で、何かトラブルでも起こしたの?」「俺には心当たりがねぇな。」陸にそう嘘を吐くと、歳三は数日前の事を思い出していた。「俺が、クビですか?」「あんたはよく働いてくれるし、年寄りばかりのここでは大いに助かるんだけど・・社長もお前さんをクビにしたくないって言ってんだけどねぇ・・」「どうしてですか?納得が出来ません。」「それがなぁ、前にお前さんとトラブルになった社員、居たろう?あいつ専務の息子さんだったらしいんだよ。そいつが、“素行の悪い清掃員に自分の周囲をうろつかれると困る”って苦情を社長に言ってお前さんを辞めさせろ、辞めさせなければこちらとの契約を打ち切るって言われてよぉ・・」「汚ねぇ野郎だな、そいつ。」「歳、こんなことでクサるんじゃねぇぞ。社長だってお前が邪魔でクビを切ったんじゃない、会社の為なんだよ。うちみたいな零細企業じゃぁ、大企業からの契約を打ち切られたらおしまいなんだよ。わかるだろ?」「わかりました・・」どう見ても不当解雇だが、歳三は事を公にしたくはなかったので、社長から退職金を貰って会社を辞めた。「お父さんが会社クビになったの、契約先の会社の偉い人が色々とあること無い事吹き込んだんでしょう?契約打ち切るとか何とか言って。」陸は洗い終った食器を食器棚に置くと、そう言って歳三を見た。「しょうがねぇだろう、社長だって色々と・・」「卑怯だよね、お父さんをクビにしないと契約打ち切るって脅した人。いつかきっと罰が当たるよ。」「陸・・」「お父さん、僕は大丈夫だから。だから僕の事は何も心配しないで、お仕事見つけてね?」「陸、済まねぇなぁ。」歳三はそう言うと、溜息を吐いた。(息子に就職の事を心配されるたぁ、情けねぇ・・) テーブルの上に求人広告を広げながら歳三が溜息を吐いていると、突然玄関先でチャイムが鳴った。千尋は今日、夜勤だから家には帰ってこない筈だ。一体誰だろうかと歳三はそう思いながらインターフォンを覗きこむと、マンションのエントランスには見知らぬ女性が立っていた。『すいません、岡崎さんのお宅はこちらですか?』
Sep 22, 2013
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「良かったねぇ、土方さんと一緒に暮らすことになって。引っ越しの準備はどうなの、進んでるの?」「もう済みました。昨日土方さんの家に行って、彼の荷物を段ボールに詰めたのですが、土方さんの家の荷物は少なくて助かります。」「陸君の部屋はどうするの?」「丁度一部屋空いていますから、大丈夫です。」「今日は夜勤なんでしょう?ご飯、大丈夫なの?」「昨日から下ごしらえをして、今朝早くに夕飯を作って冷蔵庫に入れてあります。」「土方さんは幸せ者だよねぇ、こんなにいい奥さんが居てさ。」「奥さんだなんて・・やめてください。」 昼休み、総司と一緒にランチを食べながら、千尋は彼にそうからかわれて頬を赤く染めた。「そういえば、土方さんは清掃会社でまだ働いているの?」「それが・・人員削減でクビを切られてしまったそうで・・新しい職場を探しているみたいなんですが、なかなか見つからないみたいで・・」「そうなんだ。でもさぁ、おかしくない?人員削減とはいえ、若い土方さんが真っ先にクビを切られるなんて。」総司がそう言ってコーヒーを一口飲んでいると、一人の看護師・宮島美香が彼らの方へとやって来た。「ここ、いいですか?」「いいけど。君、僕達に何か用?」「あの・・岡崎さんは、土方さんと暮らしていらっしゃるんですよね?」「ええ、そうですけど・・それが何か?」千尋がそう言って美香を見ると、彼女は一枚の封筒を千尋の前に差し出した。「これは?」「土方さんに渡しておいてください。」「申し訳ありませんが、これは受け取れません。」「君、土方さんの事好きなの?残念でした、土方さんには千尋ちゃんていう恋人が居るんだよ。」総司がそう言ってニヤリと笑いながら美香を見ると、彼女は顔を真っ赤にして食堂から出て行った。「あの子には気を付けた方がいいよ。」「何か、あるんですか?」「あの子、何ていうか・・人の物でも欲しくなっちゃう子なんだよね。」「え・・」「もうお昼休み終わるから、行こうか?」「はい・・」 千尋がナースステーションへと戻ると、看護師長がミーティングを開いていた。「すいません、遅れました。」「岡崎さん、宮島さんと312号室に行って来て。」「わかりました。」医療器具とノートパソコンを載せたカートを押しながら、千尋が美香と廊下を歩いていると、彼女はチラリと彼を見た。「何かわたしに用ですか?」「本当に、岡崎さんは土方さんと暮らしているんですよね?」「そうですよ。それがあなたに何か関係が?」「今度、岡崎さんの家に遊びに行ってもいいですか?」「急にそんな事を言われても困ります。それよりも宮島さん、最近ケアレスミスが多いようですけど、気をつけてくださいね?」「わかりました・・」美香は千尋に注意され少しムッとした顔をした後、312号室へと入っていった。「失礼します~」「おお美香ちゃん、また来てくれたの?」312号室に入院している下山寛治は、そう言って読んでいた本から顔を上げて美香に微笑んだ。
Sep 22, 2013
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「何でしょうか、お話って?」「一緒に暮さねぇか?」「え?」突然歳三からそう言われた千尋は、目を丸くしながら彼を見た。「今まで俺ん家と家を往復するの、迷惑なんじゃないかってあいつ言うんだよ。一緒に暮らしたら、その手間が省けるんじゃないかと思ってな。」「暫く、考えさせてください。」「そうだよな・・驚かせてごめんな。」「いえ・・」そう言った千尋は、嬉しさで顔を赤く染めていた。「え~、それってプロポーズじゃん!」「沖田先輩、からかわないでください・・」「それで?千尋ちゃんはどう返事をするつもりなの?」「まだ、迷っています・・」「迷わないでいいんじゃないの?土方さんと千尋ちゃん、お似合いのカップルなんだし。」 昼休み、千尋が総司に歳三に一緒に暮らさないかと言われた事を話したら、彼はニヤニヤしながらそう言った。「でも・・」「男同士だから躊躇ってるの、一緒に暮らすこと?」「それもありますけど、陸君がどう思っているのか・・」「陸君が、千尋ちゃんと暮らしたいって言ってるんでしょう?だったらいいじゃない。まぁ、そんなに真剣に悩まなくてもいいと思うよ!」「先輩、他人事みたいに・・」「だって他人事だもん。」総司はそう言うと、千尋の肩を叩いた。「土方さんすいません、急に来てしまって・・」「いや、いいんだ。俺があんな事を急に言い出して、お前を驚かせちまったし・・」「いいですよ、一緒に暮らしても。」「え?」「陸君と土方さんと、三人で暮らしたいんです。」「本当に、いいのか?」「ええ。ふつつかなわたしですが、宜しくお願い致します。」「こ、こちらこそ・・」歳三が慌てて姿勢を正して千尋に向かって頭を下げた時、陸が帰って来た。「お父さん、何してるの?」「陸、千尋が・・」「もしかして、千尋さんと一緒に暮らせるの?」「あぁ。」「やったぁ~!千尋さん、これから宜しくお願いしますね!」「こちらこそ、宜しくお願い致します。」「ねぇお父さん、今日は何処か食べに行こうよ!僕、お寿司がいいな!」「そうか。じゃぁ行くか!」 数分後、回転寿司屋で千尋と歳三、陸はささやかな食事会を開いた。「じゃぁ、千尋さんが家族の一員になったことに、乾杯!」「乾杯!」「ねぇお父さん、千尋さんが住んでるマンションには、いつ引っ越すの?」「あのなぁ、すぐに引っ越しなんて出来るもんじゃねぇんだぞ?」「でも・・」「陸君、引っ越しの時はわたしも手伝うからね。」「何だか、恥ずかしいなぁ・・」歳三はそう言って照れ臭そうな顔をすると、頭を掻いた。
Sep 21, 2013
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京子達の願いも虚しく、そのまま理紗子は息を引き取った。「理紗子が亡くなったって、本当ですか?」 千尋から連絡を受け、病院へと陸とともに向かった歳三は、そこで理紗子の両親と再会した。「ええ。こんなことで、あなたに嘘を吐いてどうなるというの?」「そうですか・・お悔やみ申し上げます。」「歳三さん、こんなお願いは厚かましいとお思いでしょうけど、喪主をお願いできるかしら?」「俺に、ですか?」「お義母さん、わたしが喪主を務めます。土方さんと理紗子は夫婦だったとはいえ、もう縁が切れたんですから、わたしが喪主を務めるのが・・」「そうね。わたし、もう頭が混乱していて、何をしたらいいのかわからないのよ・・」京子はそう言うと、目頭をハンカチで押さえた。「陸君、この際だから一緒に暮らさない?」「でも、僕はお父さんと暮らすことにしましたから。」「あなた、由紀ちゃんのことが可哀想だとは思わないの?」「僕は・・」「お義母さん、止めてください!」理紗子の葬儀の準備に追われている中、京子が陸に自分達の元へと戻らないかと詰め寄っているのを見た東弁護士は、慌てて二人の間に割って入った。「どうしてよ?この子は高岡家の跡取りですよ。一緒に暮らすというのが筋というものでしょう。」「理紗子は陸君の親権を手放したんですよ!彼はあなた方のエゴを満たす道具ではありません!」「東さん・・」「陸君、君はお父さん達の所に戻りなさい。」 翌日、高岡家の菩提寺で、理紗子の葬儀がしめやかに行われた。「ねぇ、由紀ちゃんはこれからどうするのかしら?」「東さんが育てるんじゃないの?」「でも、陸君は?」「あの子は、父親と一緒に暮らしているらしいわよ?」「でも、高岡家の跡取りはあの子しかいないし・・」親戚が自分達のことを噂しているのを聞いた陸は、俯いて数珠を握り締めた。「心配するな、俺が居る。」「お父さん・・」歳三はそっと息子の肩を叩くと、ゆっくりと立ちあがった。「皆さんに、聞いて貰いたいことがあります。陸は高岡家に戻ることはありません。彼が成人するまで、わたしが育てますのでどうぞご心配なく!」「そうなると高岡家は誰が継ぐの?」「それはわたしの知ったことではありません。それではわたし達は、これで失礼致します。」歳三は陸の手を引くと、寺から出て行った。「ねぇお父さん、本当に僕、向こうの家に戻らなくてもいいの?」「いいんだよ、俺はお前の息子なんだから。」「お父さん、千尋さんと三人で暮らすの?」「何でそうなるんだよ?」「だって、今のままだと千尋さんにも迷惑がかかるじゃない。一緒に暮らした方がいいと思うんだ。」「そうだなぁ・・」 数日後、歳三は千尋に大切な話があるといって駅前のファストフード店へと呼びだした。
Sep 21, 2013
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「一体わたしに何の用ですか?陸君のことなら・・」「いや、そうじゃない。」そう言うと東弁護士は、千尋の腕を掴んでいた手を離した。「何処か話せるところはあるか?」「ええ。」 数分後、千尋は母親が経営しているスナックへと東弁護士を連れて来た。「ここは?」「母が経営しているスナックです。」「あらいらっしゃい、この方は?」さなえは興味津々な様子で東弁護士を見た後、二人をソファ席へと案内した。「お飲み物は?」「ホットコーヒーをお願いします。」「わかりました。うちは豆を挽いて淹れるものだから、少し時間がかかるわよ?」「構いません。」「そう。」さなえは千尋に目配せすると、店の厨房へと向かった。「それで、ご用件は?」「理紗子は、土方さんとヨリを戻す気があるのか?」「それをわたしに聞いてどうするのですか?わたしは何も知りません。」「そうか。君は陸君と親しいそうだな?」「ええ。理紗子さんがお昼にわたしに会いに来て、陸君に会うのを止して欲しいと彼女から言われました。陸君の居場所は、自分だけであって欲しいと。」「自分から捨てておいて、今更息子が惜しくなったのか。」東弁護士は吐き捨てるかのような口調でそう言うと、グラスに入れられた水を一杯飲んだ。「理紗子さん、ご出産されたようですね。おめでとうございます。」「ありがとう。土方さんに是非うちに遊びに来てくれるよう伝えておいてくれ。」「そのようなことは、ご自分で土方さんにお伝えください。」「君なら、そう言うと思ったよ。」「東さん、この際はっきりと申し上げておきますが、わたしはあなたと理紗子さんの生活を邪魔するつもりはありません。それだけは、ご理解していただきたいのです。」「わかった。理紗子にも伝えておこう。」東弁護士はそう言った時、彼のスマホが鳴った。「もしもし、わたしだ。何だって!?」「どうかなさいましたか?」「理紗子が事故に遭ったらしい。すぐに病院に向かう。」「そうですか・・」「君も来てくれ。」「わたしは・・」「千尋、お代は結構だから、行ってあげなさい。」「母さん・・」「お母様、少しの間息子さんをお借りいたしますが、宜しいですね?」「ええ。」半ば強引に東弁護士によってスナックから連れ出され、理紗子が搬送された病院へと向かった千尋は、そこで理紗子の両親と再会した。「東さん、どうしてこの子を連れて来たの?」「お義母さん、理紗子さんの容態は?」「かなり危険な状態ですって。あの子、交差点でトラックと正面衝突したのよ。相手の方は軽傷で済んだけど・・」理紗子の母・京子はそう言葉を切った途端、顔を歪ませて嗚咽した。「お義母さん、理紗子はきっと助かります、大丈夫です。」
Sep 21, 2013
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歌舞伎町にある雑居ビルで火災が発生し、緊急救命室に次々と負傷者が運び込まれ、院内は瞬く間に戦場と化した。「千尋ちゃん、あっちの患者さんを診て!」「わかりました!」総司の指示を受け、千尋は足に火傷を負った少女の元へと駆け寄った。「大丈夫だよ、もうすぐ先生来るからね。」「岡崎君、ここはわたしがするから、君は患者さんのご家族についてやりなさい。」「わかりました。」真島教授に頭を下げると、千尋は患者達の家族が集まっているレクリエーションルームへと向かった。「ねぇ、うちの息子は大丈夫なんですか?」「うちの子は?」「助かるんですよね!?」「皆さん、落ち着いて下さい。皆さんのご家族は必ず助かります。その為にわたし達スタッフが最善を尽くしています。どうか、落ち着いてください。」「どうして、こんなことに・・」患者達の家族の一人である女性は、そう言って泣き崩れた。 数時間後、千尋がICUの前に向かうと、そこには総司の姿があった。ガラス窓の向こうには、たまたま火災が起きた雑居ビルにあるクラブで遊んでいた19歳の少年がベッドに寝かせられていた。彼は全身の70%に火傷を負い、意識不明の重体だった。「先輩、この子は・・」「先生からは、もう駄目かもしれないって言われたよ・・運ばれて来た時、心肺停止状態だったからね。しかも、その状態が発見されるまで30分以上も経ってたから・・」「そんな・・」「この子のご両親には、僕が説明するよ。君には酷だろうけど。」「お願いします・・」 数分後、泣き叫ぶ少年の母親の声が、レクリエーションルームから聞こえた。「ねぇ千尋ちゃん、これから飲みに行かない?」「はい・・」 病院を出た千尋と総司は、都内にあるバーへと向かった。「何でこんな時に飲むんだって、患者さんのご家族からは非難されるだろうけど、飲まないとやってられないよ。」「そうですよね・・辛い事があると・・」「昔ね、知り合いになったドクターがこう言ってたよ。“患者さんやそのご家族の気持ちに寄り添い過ぎると、こっちまでおかしくなってしまう”ってね・・患者さん達の気持ちに寄り添う事も大切だけど、自分を大事にしないとちゃんと仕事が出来ないよ?」「肝に銘じます。」「そう、じゃぁここは僕の奢りで!」総司はそう言ってニッコリと千尋に微笑むと、バーテンダーにカクテルを注文した。「それじゃぁ、僕こっちだから。」「先輩、今日はご馳走様でした。」「いいんだよ、お礼なんて。それじゃぁ、また明日ね!」 駅前で総司と別れた千尋が改札口へと向かおうとした時、誰かが彼の腕を掴んだ。「やっと捕まえた。」「東さん・・」
Sep 21, 2013
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「理紗子さんはわたしに、陸君に近づいて欲しくないと・・余り親しくならないで欲しいというようなことを言っていました。」「多分それ、嫉妬してるんだよ、君に。陸君、君と一緒に居る時は嬉しそうな顔をしているもんね。理紗子さんにとっては、それが悔しくて堪らないんじゃないかな?」「そんなものなんでしょうか、母親って?」「まぁ・・理紗子さんは特別だけど、男の子の母親って、自分以外の人に関心がいったら嫌なものなんじゃないの?僕が昔担当していた病室の男の子、入院するまで母親にべったりだったんだけど、入院して院内学級に通うようになってからは友達が出来て、それを嬉しそうに母親に話したら、彼女拗ねちゃったんだよ。」「え、そんな事が・・」「あるんだよ。よくお昼のドラマで嫁姑戦争みたいなシーンがあるでしょう?息子にとって一番出会う異性は母親しかいないし、母親は息子が可愛くて仕方がない。だからその息子が自分以外の人に関心を寄せるのが気に食わない・・」「うちの母は、余り家庭に関心がありませんでした。彼女は“母親”よりも、“女”で居たかった。だからわたしが3歳の時、浮気相手と家を出たんです。」「そうなの・・じゃぁ、千尋ちゃんとお兄さんは、父子家庭で育ったんだ?」「ええ。父は仕事が忙しくても、必ず幼稚園にわたしを迎えに来てくれました。ご飯もお弁当も、毎日作ってくれました。」「子煩悩なお父さんだったんだ。うちとは大違いだなぁ。」「沖田先輩のお父さんは、どんな方なんですか?」「どんな方って言われてもねぇ・・一緒に過ごした時間が少ないから、何とも言えないね。」総司はそう言って溜息を吐くと、前髪を鬱陶しげに掻きあげた。「僕の両親、僕が7歳の時に離婚しちゃってさ。それ以来全然会ってないんだ。今何処で何をしているのかも、わからない。」「そうなんですか・・すいません。」「謝らなくていいよ。それよりもお昼、まだだっけ?」「ええ。さっきカフェで食べ損ねちゃいました。」「そう。それじゃ売店で適当に何か買って食べようか?時間ないし。」「そうですね。」 病院内にある売店でサンドイッチとコーヒーを買った千尋は、総司とともに中庭にあるガーデンテラスへと向かった。「この病院は、前に居た病院とは違って患者さんにとっても、スタッフにとっても良い環境が整っているよね。やっぱり院長が良いからかな?」「そうですね。上の人間が良くないと、全部良くないですものね。」「そういえばあの変態院長、今どうしているのか気にならない?」「ええ、まぁ・・」「あいつ、病院が閉鎖された後歌舞伎町で店開いたんだって。」「そうなんですか・・」「まぁ僕達にとっては関係のないことだよね。」総司がそう言って笑った時、救急車のサイレンが近づいてくることに千尋は気づいた。「そろそろ戻ろうか?」「はい。」 二人がナースステーションへと戻ると、丁度緊急救命室に一人の重症患者が運ばれてきたところだった。「どんな状態ですか?」「有毒ガスを吸い込んで意識不明の状態です。」「一体何があったんですか?」「歌舞伎町にある雑居ビルで火災が発生したんです。重症患者は、今後増える予定かと。」「そうですか・・」千尋がそう言ってストレッチャーに乗せられた患者を見ると、その患者は千尋が前に働いていた病院の元院長・雅信だった。
Sep 21, 2013
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「昨夜はごめんなさいね、あんな時間に電話かけちゃって。」「いえ・・」 翌日、昼休みに千尋は理紗子に呼び出されて病院近くのカフェに来ていた。「あの、お話というのは?」「あなた、土方とは一緒に暮らしているの?」「いいえ。彼には彼の生活がありますから、お互いのプライバシーを尊重し、一緒に暮らすことはしません。」「でも、時々食事を作りに行ったり、陸に勉強を教えているそうじゃないの?」「何が言いたいんですか、理紗子さん?」「正直に言うと、もう陸とは会ってほしくないのよ。」「何故ですか?」「だって陸は、わたしの大切な息子だもの。息子にとって一番の居場所は、わたしであって欲しいの。」理紗子の言葉を聞き、千尋は耳を疑った。一体彼女は何をしたいのだろう―そんなことを彼が思っていると、首に提げたPHSが鳴った。「岡崎です。」『千尋ちゃん、今大丈夫?すぐに小児科病棟の方に来てくれないかな?』「はい、わかりました・・」総司からの連絡を受け、また麗空(れあ)が病室で暴れたのではないかと千尋は思った。「誰から?」「職場の先輩からです。すいませんが、もう行っても宜しいですか?」「ええ、構わないわよ。」「では、失礼致します。」千尋は理紗子に頭を下げると、カフェから出て行った。「沖田先輩、どうしました?」「千尋ちゃん、先程麗空ちゃんのお母さんが見えてね、麗空ちゃんを返せって言ってるんだよ。」「そうですか・・」きっと亮子は麗空を取り返しに来ると予想していたが、こんなにも早く来るとは―千尋はそう思いながら深呼吸すると、総司とともに亮子が居るレクリエーションルームへと入った。「あんた、麗空をうちに返して、今すぐ!」「落ち着いて下さい。麗空ちゃんはまだ予断を許さない状態にあります。彼女の腎機能は著しく低下していて・・」「嘘を吐くんやなか!あんたはうちから麗空を取り上げる為に、そんな嘘を吐いてうちを・・」「いいえ、嘘ではありません、本当です。何なら、担当医の方をお呼び致しましょうか?」 亮子は一方的に千尋に噛みついてばかり居るので埒が明かず、彼は麗空の担当医・真島教授をレクリエーションルームに呼ぶ事にした。「あなたが、麗空のお母さんですか?」「先生、うちの子連れ帰ってもよかろうね?」「それは出来ません。あなたの娘さんは、長期の入院が必要な状態なんですよ。」「そんな・・」「後はわたしが彼女に娘さんの病状を説明するから、君達はもう仕事に戻りなさい。」「わかりました。ではこれで失礼致します。」千尋は真島教授に頭を下げると、総司とともにレクリエーションルームから出て行った。「あの人が、麗空ちゃんのお母さん?」「ええ。義姉が麗空ちゃんをあんな風にしてしまったのは、“太った方が可愛い”という間違った考えを母親から植えつけられて育った所為なのです。」「そう・・色々と大変だね。それよりも千尋ちゃん、土方さんの元奥さんと何を話してたの?」
Sep 21, 2013
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「なぁ陸、お前何か俺に隠してることあるだろう?」「え、ないよそんなこと!」「目が泳いでるのにか?もしかして、またお前・・」「いじめられていないよ、僕。学校でも塾でも、新しい友達出来たし・・」「じゃぁ何でそんなシケた面してんだ?」「お母さん、赤ちゃん産んだんだよね?」「ああ、そうだが・・」歳三はそう言って陸の方を見ると、彼は涙を堪えているかのように俯いていた。「僕、お母さんから捨てられちゃったのかな?」「そんな事ねぇよ。あいつにとっては、お前は可愛い子どもだよ。だから、妹を恨むな。父親は違うけど、これから仲良くしてやれよ。」「わかった。あのねお父さん、今日学校で、こんなプリントを貰ったんだ。」そう言って陸が歳三に渡したプリントには、保健体育の授業の一環として、両親に自分が生まれるまでのことを聞いてみようという内容が書かれていた。「僕、どうしたらいいのかわからないんだ。お父さん、僕を中絶するようにお母さんに迫ったことがあるんでしょ?」「何でお前が、そんな事・・」「お母さんが昔話してくれたんだ。向こうのお祖父ちゃんが、お父さんがお母さんと結婚したのは財産目当てだと思い込んで、僕がお腹の中に居る事がわかって・・」「陸、それは誤解だ。俺は確かに、お前の母さんがお前を妊娠したって告げられて驚いたよ。だがな、父親としての自覚が湧かなかったから、酷い事を言っちまったんだ。」「父親としての自覚って?」「男の女の身体って、全然違うだろ?それに、考え方も。女は妊娠したら、腹も膨らんで子どもが生まれて来るまで母親としての自覚をもう持っているんだよ。だが男はな、女を妊娠させて、それが自分の子どもかどうかわからねぇんだ。女が自分以外の男と浮気してんじゃねぇかと・・」「お父さん、親になるのって難しいんだね?」「ああ。子どもを育てるのには金と時間が沢山かかるんだ。赤ん坊と今まで接したことがない奴が、親も親戚も、友達も居ない場所で、一人で子育てすることになったら、どうなると思う?」「多分・・虐待すると思う。だって赤ちゃんの事何も解らないし、泣いたらどうしたらいいのか解らないじゃん。」「なぁ陸、子どもを虐待したり殺したりする親はごく一部の人間だ。誰だって自分の子は可愛いに決まってる。」「じゃぁ、お父さんとお母さんは何処で知り合ったの?」「合コンかなぁ。その時俺はまだ19でな、変に粋がってたガキだった。お前のお母さんは世間知らずのお嬢様で、レースで俺の雄姿を見て一目惚れしたんだそうだ。」「それで、二人は付き合う事になったの?」「ああ。お前のお母さんが妊娠したって告げられた時、正直俺は戸惑ったよ。まだ若かったからな。だが、お前が生まれた時は嬉しかったよ。ああ、これが俺の子どもなんだって思うと・・」「そうなんだ。じゃぁ僕、要らない子じゃなかったんだ・・」陸はそう言うと、涙を流した。「陸、お前は要らない子じゃない。俺にも、理紗子にとっても大切な存在なんだ、それを忘れるんじゃねぇぞ。」「うん・・」 千尋は帰宅すると、リビングのソファに腰を下ろして溜息を吐いた。病院の駐車場で自分に声を掛けて来た男は、恐らく理紗子が雇った探偵だろう。今更彼女は何故探偵を雇い、自分の素行調査をしようとしているのだろうか。その理由が判らず、千尋は暫くソファで考え込んでいた。その時、テーブルに置いていた携帯がけたたましく鳴った。「もしもし、どちら様ですか?」『お久しぶりね、千尋さん。』“非通知”で掛かって来た電話の主は、理紗子だった。
Sep 21, 2013
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「お疲れ様でした。」「お疲れ~」 仕事を終えた千尋は同僚達に挨拶した後、職員専用出入口から病院の外へと出ると、病院の駐車場をうろついている不審な男に気づいた。「君だよね?」「何ですか、あなたは?」「君、有名騎手だった土方さんの恋人なんだって?」男の言葉を聞いた千尋は、彼がどういう類の男なのかがわかった。「何も申し上げることはありません、そこをどいてください。」「ねぇ、君は土方さんと一緒に暮らしているの?」男を無視して、千尋は病院の正面玄関前に停まっているタクシーに乗り込んだ。「お客さん、どちらまで?」運転手に千尋は自分のマンションの住所を告げると、運転手はチラリとタクシーへと迫って来る男を見た後、病院の敷地内から出た。『すいません、逃げられました。』「役立たずね、あなたって!さっさと追いなさい!」『わかりました。』 探偵からの報告を受けた歳三の元妻・理紗子は、舌打ちすると携帯を閉じた。「どうしてあの子を・・岡崎君の調査を探偵に依頼してるんだ?」「だってあの子、あたしと歳三が離婚したから、彼と一緒に暮らしているかもしれないじゃない。」「理紗子、もう彼の事は諦めたんじゃないのか?僕達は再婚して、子どもが生まれたんだから・・」「そうだけど、陸のことが気になるからあの子のことを調べているのよ。陸があの子に懐いたら、わたしの居場所がなくなるじゃないの。」「理紗子、お前は・・」東弁護士が何か言おうとした時、ベビーベッドに寝ていた由紀(ゆき)が空腹を訴えて泣きだした。「おっぱいが欲しいのね?」理紗子はそう言うと、可愛い娘を抱き上げて寝室へと移動した。「すっかり由紀に夢中だね。」「でもわたしにとっては、陸も由紀も自分のお腹を痛めて産んだ子なの。それに由紀は陸にとっては妹なのよ?やっぱり兄妹仲良く暮らした方がいいんじゃないかって・・」「それはわたしも思っているよ、理紗子。だが陸君はわたし達より土方さんと暮らすことを選んだ。あの子はね、もうわたし達と一緒に暮らしたくはないと思うんだよ。」「どうしてそんな事が言えるの?」「理紗子、君はさっき陸も由紀もお腹を痛めて産んだ子どもだと言ったが、陸は・・あの子はわたし達と暮らしていた頃、いつもわたし達の顔色を窺っていただろう?」「それは・・」「君が原因だよ、理紗子。君はわたしとの再婚を急ぎたい余りに、陸君に土方さんの所へは行くな、行ったら殺してやると脅していただろう?そんなやり方で、あの子が君の元に・・」「それはもう過ぎたことでしょう!」理紗子がそうヒステリックに叫ぶと、眠っていた由紀が驚いて泣き出した。「ごめんねぇ、びっくりさせちゃったねぇ。」由紀をあやしながら寝室から出て行く理紗子の姿を見ながら、東弁護士は深い溜息を吐いた。(一体どうして、君は陸君に執着するんだ?)もしかしたら理紗子は、歳三とまたヨリを戻そうとしているのではないのだろうか―東弁護士の中に、理紗子への疑念が生まれ始めていた。「お父さん、お帰りなさい。」「ただいま。」 歳三がケーキを片手に帰宅すると、陸が嬉しそうに玄関先へと飛んできた。「うわぁ、ケーキだ!」「後で食べような。」 夕飯の後、陸と一緒にケーキを食べながら、歳三は彼の様子が少しおかしいことに気づいた。
Sep 21, 2013
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「あんた、あたしかられあを取り上げる気ね!?」「あなた方が彼女にしていることはネグレクト、立派な虐待です。彼女の健康を損ね、養育を放棄したことについてはもう児童相談所に連絡してあります。もし離婚となったら、親権は兄に渡ります。」 今にも自分をタクシーから引き摺り下ろし暴行を加えようとせんばかりの亮子を前に、千尋は毅然とした態度で彼女に事実を話した。「出して下さい。」「ちょっと、待ちなさいよ!」亮子は千尋が乗っているタクシーを追い掛けようとしたが、肥満体なので少し走っただけでも息切れがした。「亮子、どうしたとね?」「お母さん・・あいつが、うちかられあを奪おうとする~!」玄関先で騒ぎを聞きつけた美津子が家から飛び出すと、亮子が泣きながら自分に抱きついて来た。「聡史さんも千尋ちゃんも困ったもんやねぇ。家庭内の揉め事なのに大袈裟にして・・」「お母さんどうしよう~、れあが・・」「心配せんでよか。お父さんとお母さんが何とかしちゃるけんね。」娘の頭を撫でながら、美津子は彼女を安心させるように優しくそう言うと、そのまま彼女と共に家の中へと入っていった。 熊本駅でタクシーを降りた千尋は、そのまま東京行きの新幹線に乗った。「済まないな、千尋。こんなにおおごとになるとは思いもしなかったんだ。」「仕方がないよ。お義母さんとお義姉さんの意識が変わらない限り、麗空ちゃんは一生あのままになってたかもしれないよ。少し酷だけど、こうするしかないんだよ。」新大阪に着いた頃、千尋の隣に座っていた聡史は済まなそうに弟に向かって頭を下げた。「でもな千尋、もし亮子達が麗空を取り戻しにお前のマンションに乗り込んできたらどうする?」「その時はまた考えるよ。」千尋はそう言うと、背もたれに身体を預けた。「ご迷惑をお掛けしました。」「千尋ちゃん、大変だったね。」 一週間ぶりに千尋が出勤すると、総司が彼の方へと駆け寄ってきた。「お兄さん夫婦は、今どうなってるの?」「まだ進展がありませんが・・近い内に離婚するかもしれないと、電話がかかってきました。あの、麗空ちゃんの様子は?」「ああ、あの子なら・・」総司が麗空の様子を千尋に報告しようとした時、小児科の看護師が二人の元に駆け寄ってきた。「大変です、あの子また暴れて手がつけられません!」「え、またなの!?これで何回目?」総司は半ば呆れたような顔をしながら、小児科病棟へと向かった。「いや~、おうち帰る!」 麗空の病室に入った千尋は、そこで暴れて手当たり次第に物を掴んで看護師に投げつける姪の姿を見た。「麗空ちゃん、落ち着いて。」「いや~!」暴れる麗空を宥めようとした千尋だったが、彼女は憎々しげに千尋を睨み付けると、彼の腕を噛んだ。「おじちゃんきらい~、ママに会いたい!」「麗空ちゃん、悪い子にしてたらママに会えないよ!」「いやぁ~、ママに会いたい、ママ~!」何とか三人かがりで麗空をベッドに寝かせると、彼女は次第に落ち着きを取り戻し、寝息を立てて眠ってしまった。「大丈夫、千尋ちゃん?」「ええ。」 くっきりと腕に残る麗空の歯形を見て、彼女を傷つけたのは自分なのだと千尋は罪の意識を抱いた。にほんブログ村
Apr 9, 2013
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姪・麗空(れあ)が緊急入院したことにより、千尋は彼女の看病で当分仕事を休まなければならなくなったので、職場に連絡した。『そう。早く姪っ子さん、よくなるといいわね。』「すいません・・」『こっちは心配しないでね。』「それでは、失礼致します。」病院の廊下に置いてある公衆電話の受話器を置くと、千尋は兄夫婦と亮子の両親が集まっている多目的室へと入った。「千尋ちゃん、話って何ね?」 千尋が部屋に入ると、泣き腫らした目で自分を睨む亮子の背中を擦りながら、美津子はそう言って彼を見た。「麗空ちゃんの容態ですが、余り思わしくないようです。腎機能が低下して、最悪の場合人工透析になるかもしれないと・・」「なんね、麗空をあんなふうにしたのはうちらが悪いと言いたいんね!?」「お義母さん、お義姉さん、落ち着いて聞いて下さい。麗空ちゃんは2歳児の標準体重よりも遥かに上回っている体重でしたし、コレステロール値も成人並みの高さです。このままだと、彼女は死ぬかもしれません。」千尋の言葉を聞いた美津子と亮子が息を呑み、驚愕の表情を浮かべた。「暫く麗空ちゃんをわたしに預からせていただけないでしょうか?食生活の改善をしなければ彼女の命はありません。」「あんた、もっともらしいこと言うようやけど、うちかられあを取り上げるつもりやろ?」亮子はそう言うと、持っていたペットボトルを千尋に投げつけた。「やっぱりあんたは信用できん!れあはうちが育てる!」「落ち着けよ、亮子!千尋は・・」「あんた、どっちの味方なん?うちと弟と、どっちが大事なんよ!」「今そういう話をすべきじゃないだろう!俺達の娘の事を話してるんだ!」興奮した聡史はそう言うと椅子から立ち上がった。「お前達親子を見ていると、どうして麗空が病気になったのかがわかるよ!いつも出前やファストフードの料理ばかり食べて、コンビニやスーパーで山ほど菓子を買って来ては間食して・・それで健康を損なわない方が異常だよ!」「聡史さん、うちの方針に口を出さんで!あんたは太ってる方が幸せやと言うのがわからんの?」「お義母さん、それは間違った考えです!その考えで麗空が将来結婚して子供を産んだらどうなります?間違った考えを正さないと!」「うちの何が間違っとると!?」「そうよ、あんたはうちらのやり方を否定すると?」すっかり興奮状態にある亮子はそう叫ぶと、聡史の頬を平手で打った。打たれた勢いで、彼の身体は壁際まで吹っ飛んだ。「もう離婚よ、あんたとは!れあは絶対に渡さんからね!」「亮子、この人らの言う事聞いたらいかん!」「待って下さい、二人とも!」ちゃんと美津子達と話をしたかったのだが、話をするどころか彼女達は聞く耳を持たずに部屋から出て行ってしまった。「千尋、どうすればいいんだ?もうあの人達は手に負えないよ・・」「仕方ないですね。こうなったら強硬手段を取るしかありません。」千尋は話し合いが決裂した時に考えていた計画を聡史に話した。「それでは、お願い致します。」「わかりました。」麗空の転院手続きを済ませると、病院を出た千尋はその足で亮子の実家へと向かった。「あんた、今更何の用ね?」「荷物を取りに来ただけですから、お気づかなく。」千尋は自分に食ってかかろうとする亮子を無視して、麗空の部屋へと向かった。スーツケースに彼女のお気に入りの絵本やおもちゃ、着替えなどを詰め込み終えた彼は、家の前に待たせてあったタクシーに乗り込んだ。「熊本駅まで。」タクシーが発車しようとした時、亮子が鬼のような形相を浮かべて窓を叩いてきた。「あんた、麗空を何処へやったと!?」「麗空ちゃんなら、東京の病院に転院させました。」にほんブログ村
Apr 9, 2013
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「こげなことになるまで、放っておくとは何事ね!」 病院に連れられた麗空の様子を見た医師は、亮子と聡史に向かって怒鳴った。「先生ぇ、うちの子そんなに悪いんですか?」「悪いもなにも、死にかけとる寸前よ!どげんしてあんな風に太らせたとね?」「特別な事は何もしとりません。あの子フライドチキン好きやから、毎日おやつにそれ与えてあげとることしか・・」「お宅の子は、腎機能が低下しとる!病院に連れて来るのが遅かったら、死んどったよ!」「そんな・・」初めて我が子の重篤な状態を知った亮子は、その場で泣き崩れた。「うち、あの子が食べている姿好きで、お菓子とかあげてたのに。それなのに、こげなことになるなんて・・」「亮子、だから言ったんだよ。麗空にお菓子やフライドキチンばかり与え過ぎて太るの、あの子が気にするからやめろって・・」「子どもが太っとるのが何が悪いと?痩せとる子は貧乏くさく見えるんよ!太とっとる方が可愛く見えるの!」「お母さん、あんた勘違いしとるよ!もう時代は違うとよ!こげな状態になる前に、病院に連れてくればよかったと!」「うちは何も悪くないもん、あの子の為にしとったんやから~!」亮子の雄たけびのような泣き声が、廊下に居る千尋達にまで聞こえた。「お義母さん、どうして麗空ちゃんを一度も病院に連れて行ってあげなかったんですか?」「あの子は太っとる方が可愛いんよ。それにうちはおかしな物をあの子に食べさせとらんし・・」「けど、あの子は現に死にかけてるじゃないですか。兄から聞きましたが、高カロリーなおやつばかり与えて、野菜を食べさせてないそうじゃないですか?」「料理するのが面倒くさいし、今の時代少しお金を出せば美味しい物が食べられるんよ?別に手間を掛けんでも・・」美津子との噛みあわない会話に、千尋は次第に苛立ってきた。 兄が結婚してから一度も熊本に行ったことがなかったが、東京に来た兄が一度も亮子の手料理を味わったことがないと愚痴を吐いていたのを思い出した。「お願いですから、もうピザやファストフード中心の生活はやめて、もっと野菜中心の生活を・・」「千尋ちゃん、看護師やからって偉そうにうちらに指示せんといてよ。」診察室から出て来た亮子がそう言って千尋に詰め寄り、ジロリと彼を睨みつけた。「あん子はうちの子なんよ。あんたにあれやこれや指図される覚えはなか。」「千尋は麗空の為を思って来たんだぞ!それなのにそんな言い方ないだろ!」「千尋ちゃん、うちのこと見下して馬鹿にしとるやろ!?頭が悪くて図体がデカイだけで、家事も碌に出来ん女って!看護師になったからって、うちに勝ったと思わんでよ!」亮子は足音を床に鳴り響かせながら、病院を後にした。「ごめんなぁ、千尋。折角来てくれたのに亮子が酷い事を言って・・」「兄ちゃん、俺義姉さんの事一度も見下したり馬鹿になんかしたりしてないよ?それなのに、どうして義姉さんはあんなこと・・」「あいつ、看護師になるのが子どもの頃の夢だったんだよ。でも勉強ができなくて挫折して・・学歴コンプレックスがあるんじゃないかな?」「それであんな事を?でも、その事と麗空ちゃんの事は関係ないんじゃない?お義母さんとも話をしたんだけど、何か会話が噛み合わないっていうか・・」「お義母さん、痩せていることで亡くなったお姑さんからいびられてて、“太った子の方が可愛い”って思いこむようになってしまって、その考え方が亮子にも受け継がれて・・」「まさに負の連鎖だね。これ、兄ちゃん達三人の問題じゃないよ。俺達家族の問題だ。」「ああ、そうだな・・とことん話し合わないと。」聡史はそう言うと、飲み終えたコーヒーの紙コップを握り潰した。にほんブログ村
Apr 8, 2013
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「あらぁ千尋ちゃん、いらっしゃ~い!」 田圃(たんぼ)の真ん中にある聡史の妻・亮子の実家前で、彼女は満面の笑みを浮かべながら千尋を迎えた。てっきり彼女から罵倒されるものだと思っていた千尋は少し拍子抜けた様子で彼女を見た。「お久しぶりです、義姉さん・・」「今日はねぇ、千尋ちゃんが来るからピザ取ったのよ!さ、上がって!」半ば強引に亮子に家の中へと連れて行かれた千尋は、広間に集まった彼女の親戚達がビールを片手にピザを食べているのを見て絶句した。「義姉さん、わたしは麗空ちゃんのことが心配で来たんですけど・・」「ああ、あの子なら母さんが抱いてきてくれるわ。さ、千尋ちゃん。ここどうぞ!」「はい・・」千尋は少し気まずそうに親戚達の中へと座ると、両隣の女性達がいきなり彼に話しかけて来た。「千尋ちゃん、相変わらず美人やねぇ。」「まだ結婚しとらんとね?」「いい相手おらんかったらうちらが見つけちゃるよ?」「いえ、結構ですから・・」「そげなこと言わんと。」「千尋ちゃん、まだ22やろ?女は若く結婚した方がよかよ。健康なうちに跡取りば産まんと。」「そうたい、あの子は結婚が遅かったけんねぇ・・」彼女達のマシンガントークから逃げ出した千尋は、そそくさと広間から出て行ってトイレへと向かった。「あら千尋ちゃん、久しぶりやねぇ。」「お久しぶりです。あの、麗空(れあ)ちゃんは?」「ああ、あの子は今奥の部屋で寝とるから、今起こして来るね。」亮子の母・美津子とともに千尋は、麗空の部屋に入った。可愛らしいキャラクター物の毛布に包まった彼女は、苦しそうに呼吸していた。「れあ、千尋おばちゃんが来てくれたよ。れあ?」美津子が麗空の身体を揺さ振っても、彼女はなかなか起きようとはしない。「れあ?」美津子が毛布を剥がすと、シーツの下から悪臭が漂ってきた。麗空は、失禁していた。「れあ、どうしたと?」「麗空ちゃん、聞こえる?」千尋が麗空の方へと駆け寄ると、彼女は突然激しく白目を剥いて痙攣し始めた。「誰か、救急車!」「千尋ちゃん、れあが死ぬ!助けて~!」「どうした千尋、何があったんだ?」娘の様子を見に来た聡史は、娘が痙攣を起こしている姿を見て血相を変えて彼女を抱き上げた。「いつからこんな状態なんだ!」「わからんよ、さっき部屋に来たら寝とるから起こさんようにしようと思うて・・でも急に痙攣して・・」美津子がパニックに陥ってる中、亮子がクッキーの箱片手に部屋に入って来た。「どうしたの、お母さん?」「亮子、あんた娘がこないなっとるのに、呑気に菓子食うとる場合ね!」美津子に怒鳴られ、亮子は夫に抱かれている娘の姿を見るなり悲鳴を上げた。「ねぇ、うちの子どうしたの?ねぇ!」亮子のゴリアテのような逞しい両手で首を掴まれた千尋は危うく窒息しそうになったが、聡史が彼女を突き飛ばした。「やめろ、まずは麗空を病院に連れて行くのが先やろうが!」泣き叫ぶ亮子と美津子とともに車の後部座席へと乗り込むと、四人は麗空を病院へと連れて行った。にほんブログ村
Apr 8, 2013
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帰宅した後、歳三は参考書や問題集を広げて勉強を始めたが、20年もブランクがあると、さっぱり訳が判らなかった。勉強嫌いということもあってか、理数系科目は絶望的だった。「あ~、わからねぇなぁ・・」「どうしたの、お父さん?」「陸・・この問題、どうだ?」「ああ、これならこの公式を当てはめたらいいんだよ。やってみて。」「わかった・・」陸に教えられた通りに問題を解くと、先程解けないと思っていた問題が嘘のようにすらすらと解けた。「あ~あ、情けねぇなぁ。中学の問題がわからねぇ親父なんて・・」「卑屈にならないでよ、お父さん。僕は中学受験を目指して塾に行ってたから、わかるんだよ。誰だって苦手なものがあるんだから。」「お前ぇは俺に頭の出来が似なくて良かったなぁ。」「勉強だけが出来ていいなんて、もう古いよ。それよりもお父さん、千尋さんとは喧嘩でもしたの?」「別に。どうしてそんなことを聞くんだ?」「だって、お似合いだから、二人とも。」「馬鹿野郎、早く寝ろ!」歳三が照れ臭そうな表情を浮かべながらそう怒鳴ると、陸はそそくさと寝室へと向かった。 翌朝、千尋が朝食を食べていると、携帯が鳴った。「もしもし、兄ちゃん?」『千尋・・済まないが一度こっちに来てくれないか?』「いつ?」『昨夜、お前に言われた事を嫁さんに伝えたら、あいつ怒りだしてさぁ。千尋さんに言いたい事があるから連れて来いって聞かないんだよ。』「そう、わかった。」丁度、千尋は有給休暇を取っていたので、三泊程度の荷物をスーツケースに纏めた。東京駅で土産を買い、千尋は鹿児島中央行きの新幹線に乗った。閑散期なので、自由席はガラガラだった。千尋は空いている窓側の席に腰を下ろすと、網棚にスーツケースを上げた。バッグから文庫本を取り出して読み始めた時、コンパートメントのドアが開いて一人の男性が入って来た。スーツ姿で、いかにもビジネスマン風の男性は、他に空席があるというのに千尋の隣にわざわざ座ってきた。「ここ、いいですか?」「ええ、構いませんが・・」少し戸惑いながらも、千尋はそう頷いて読書へと戻った。 新大阪駅でその男性は降りていったが、降り際にチラリと千尋の方を見て微笑んだ。(何だ、あの人?)男性の態度に小首を傾げながらも、千尋は熊本駅まで読書を楽しんだ。「千尋、来てくれてありがとう!」「兄ちゃん、義姉さんは?」「あいつなら家でお前を待ってるよ。」熊本駅で千尋を出迎えてくれた聡史は、車のトランクにスーツケースを詰め込んで運転席に座ってエンジンを掛けて車を発進させると、そう言って溜息を吐いた。「義姉さんの気に障るようなこと、言ったのかな?」「あいつは被害妄想が強くてなぁ。最近麗空(れあ)のことで、お義父さん達から色々と言われているんだ。」「そうなの。」 市街地を抜け、聡史が運転する車は、次第に長閑(のどか)な田園地帯へと入っていった。にほんブログ村
Apr 8, 2013
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「おはようございます。」「おはようさん。身体の調子はどうだ?」「はい。」「歳、少し話さねぇか?」「ええ。」 週明け、歳三が事務所に出勤すると、篠塚が彼を手招きして更衣室へと彼を連れて行った。「何ですか?」「お前ぇ、中卒だって言ってたろ?実はなぁ、お前ぇにこれ渡そうと思ってな。」篠塚が歳三に渡したのは、使い古された参考書と問題集だった。「これは?」「俺のだ。もう資格取っちまったから、要らねぇんだ。」「資格って?」「大検・・もう呼び名は変わったか。今は高等学校卒業程度認定試験ていうんだったな。一度、受けてみても損はねぇぞ?」「・・考えてみます。」篠塚に手渡された問題集が入った紙袋をロッカーにしまいながら、歳三は彼とともに更衣室から出て事務所へと戻った。「今日は余り仕事はねぇだろうなぁ。」「どうしてです?」「実はなぁ、この会社さぁ、近々本社が合併するって話があんだよ。」「合併、ですか・・」「今、何処も大変だろ?うちらみたいな中小企業は大変なんだよ。俺達はここで毎日頑張って働いているけど、いつ仕事がなくなるかわからねぇんだよ。」「そうそう。ここをクビになったら、生きていられないよ。」篠塚の話に、隣に座っていた女性が相槌を打った。「だから俺らは今まで以上に働かなきゃなんねぇ。会社がなくまっちまう前に。」「そうですね。」「さ、暗い話はもうやめだ!」篠塚はにっこりと笑うと、大声で演歌を歌い始めた。はじめは暗く沈んでいた車内だったが、篠塚の歌声を聴いた従業員達は次々と彼の後に続いて歌い始めた。それを傍目に見ながら、彼は会社のムードメーカーなのだなと歳三は思った。篠塚は何かと周りに気を配り、新人の歳三に対して親切にしてくれる。彼が居てこそ、歳三は会社から追い出されずに済んだのだ。「あの・・土方さんですか?」「はい、そうですが。」いつものように歳三がロビーの掃除をしていると、彼の前に一人の女子社員がやって来た。「あの、これ受け取ってください!」女子社員がそう叫んで歳三に手渡したのは、ラブレターだった。「は・・」「じゃぁ、これで!」羞恥から赤面した彼女は、そそくさとその場から走り去っていった。「なんだぁ、隅に置けねぇなぁ。」「篠塚さん・・」「まぁ、お前ぇみてぇな色男、女が放っておく筈ねぇもんなぁ。」篠塚は羨ましそうな顔をしながら、歳三の腹を肘で突いた。「お疲れ様です。」「ああ、気をつけてな!」まだ体調が万全ではない歳三は、早退する事になった。帰りのバスに揺られながら、彼は篠塚から渡された数学の参考書に目を通して見た。ページのところどころに、手垢がついており、篠塚が使いこんでいることが一目で判った。(まぁ、やってみるしかねぇか。)にほんブログ村
Apr 8, 2013
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そこに映っていた麗空(れあ)は、全身に脂肪が付き、着ている服が今にもはきちれんばかりになっていた。愛らしい顔にも脂肪が覆われ、顔と首の境目がつかなかった。そして、彼女の肌は異常なほど浅黒かった。「兄ちゃん、これ駄目だよ。ちゃんと病院に連れて行かないと!」「俺だってそうしたいよ。けど嫁が聞く耳を持たないんだ。」「麗空ちゃんをこんな状態まで放っておくなんて、どういうつもりなの!?普通に太ってるってレベルじゃないよ!」姪っ子の異常な太り方にショックを受けた千尋は、兄を思わず詰ってしまった。「そうだよなぁ。そういえばあいつ、お絵描き教室の友達から“臭い”って言われて泣きながら帰ってきたことがあったんだ。」「今、麗空ちゃんはどうしてるの?」「幼稚園を休ませてるよ。最近部屋に引き籠って顔を見せてくれないんだ。」「兄ちゃん、近いうちに熊本に行くからね。それまでに、義姉さんに麗空ちゃんを病院に連れて行くように説得して。麗空ちゃんの命を守れるのは兄ちゃん達しかいないんだからね!」「ああ、わかったよ・・」聡史は溜息を吐くと、コーヒーを飲んだ。「今日は朝早くに来て済まなかったな。」「いいんだよ。じゃぁ、またね。」「ああ。」 玄関先で聡史を見送った千尋は、歳三の様子を見に寝室へと入った。「くそ、痒くて堪らねぇ!」ベッドの上で歳三は背中を掻きむしり、そこからは血が出ていた。「駄目ですよ、掻いちゃ!」「じゃぁどうすりゃいいんだよ!」「すぐに着替えて、わたしと病院に行きましょう。」 数分後、千尋は歳三を連れて病院へと行くと、その日に限って皮膚科は混んでいた。「畜生、いつまで待たせやがんだ!」「お静かに。」歳三は苛立ったかのように、左腕や背中を掻きむしった。「土方さん。」歳三が診察室に入れたのは、10分後のことだった。「これは自家感作性皮膚炎(じかかんさせいひふえん)ですね。」「先生、治りますか?」「ええ。根気良く治療していけば、大丈夫ですよ。塗り薬を途中で止めたといいますが・・」「塗っても余り利かなかったんで。」「途中で薬を止めたら駄目ですよ。余りストレスを溜めない生活をしてくださいね。」「わかりました・・」診察室から出た歳三は、不機嫌そうな表情を浮かべて待合室の長椅子に腰を下ろした。「ったく、いつまで塗ってりゃ治るんだ?」「根気良く薬を塗れば治るって、先生がおっしゃってたでしょう?」「わかったよ・・」歳三はネクタイをゆるめながら首元を掻こうとしたが、千尋に止められた。「今日お仕事は?」「休みだよ。迷惑掛けて済まなかったな。」歳三は千尋に頭を下げると、病院から出て行った。「ただいま。」「お父さん、お帰り。朝ご飯は?」「向こうで食べて来たよ。陸、お父さん部屋で休んでいるから、セールスの人が来たら居留守使えよ。」「うん、わかった。」「じゃぁお休み。」 歳三は和室で布団の上に倒れ込むと、それを頭から被って目を閉じた。にほんブログ村
Apr 6, 2013
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「兄ちゃん、落ち着いて!」「落ち着いていられるか!よくも俺の可愛い弟に手を出しやがって!」「おい、誤解してんじゃねぇよ!俺はこいつに指一本も触れてねぇって!」リビングで聡史にクッションで殴られながら、歳三はそう言って彼を見た。「じゃぁ、どうしてそんな格好をしてるんだ!?」「それは・・」二人が言い争っているのを黙って見ていた千尋は、つかつかと彼らの間に割って入ると、こう言った。「コーヒー、いかがです?」「千尋、どういうことだ?何でお前が知らない男を部屋に連れ込んでるんだ?」「昨夜、土方さんがバーで酔い潰れて、部屋で介抱してたんです。だから・・」「そうか。土方さん、いきなり怒鳴って悪かったな。」「いいよ。」コーヒーを飲みながら、歳三は左腕を掻いた。「土方さん、また左腕痒いんですか?」「ああ。ここんところ最近、痒くて仕方がねぇんだ。」「駄目ですよ、掻いちゃ。」「左腕だけじゃなくって、背中も痒くて堪らねぇんだよ。」「ちょっとTシャツを脱いでください。」歳三がTシャツを脱ぐと、彼の上半身には赤い発疹が広がっていた。「一体どうしたんですか?この前はこんなのはなかったのに。」「ああ。最近忙しくて病院に行く暇がなかったんだ。薬を塗るのを止めたらまた酷くなって・・」「それを早く言って下さい!ちゃんと薬を塗るようにと言っておいたでしょう!」「面倒くせぇんだよ!」千尋と歳三が言い争っていると、聡史は軽く咳払いして彼らを見た。「とにかく一度、病院に行ってください。」「こんなの、寝ときゃ何とかなる。コーヒー、ご馳走さん。」歳三は乱暴にコーヒーカップをテーブルに置くと、寝室へと戻っていってしまった。「彼は頑固だね。千尋、土方さんとは知り合いなのか?」「うん。前働いていた病院で会ったんだ。奥さんと離婚して息子さんと二人暮らしだよ。」「じゃぁ、息子さんに連絡した方がいいだろう。今頃心配しているだろうから。」「わかった。」千尋が陸の携帯に掛けると、数回のコール音の後に彼が出た。「陸君、お父さん今わたしのマンションに居るから。」『すいません。お父さん、身体が辛いのに仕事が忙しくて病院に行く暇がないんです。』「大丈夫、病院にちゃんと連れて行くから。うん、わかった。じゃぁね。」陸との通話を終え、子機を置くと、聡史が溜息を吐いて千尋を見た。「どうしたの?」「いやぁ・・千尋は子ども相手でもちゃんと話を聞くんだなぁと思って。俺も見習いたいよ。」「何か、あったの?」「ああ。娘がな・・麗空(れあ)がお絵描き教室に行きたくないって言いだしたんだよ。」兄夫婦には2歳になる娘・麗空が居るが、千尋は彼女が生まれた時の写メールしか見た事がない。「麗空ちゃん、何か嫌な事でもあったんじゃないの?」「そうかもしれないな。あいつ、太ってることを気にしてるんだ。俺もあの子の太り方は異常だと思って、一度嫁と話し合ったんだが、“このくらいの年頃の子は、コロコロ太ってる方が可愛いのよ”って聞く耳を持たないんだ。」聡史はそう言うと、千尋に最近の娘の写真を見せた。 携帯に映っている麗空は、“コロコロと太っている”というレベルではなかった。「兄ちゃん、これ本当に、麗空ちゃんなの?」「ああ。」にほんブログ村
Apr 6, 2013
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「う~、痛てぇ・・」 カーテンの隙間から射し込んで来る朝日に照らされて、歳三は二日酔いで痛む頭を左手で押さえながら、ゆっくりとベッドから起き上がった。(ここはぁ、何処だ?)周りを見る限り、ここは自分が住むアパートではない事は確かだ。では、ここは一体・・「やっと起きたんですね。」 不意にドアが開き、千尋が寝室に入って来た。「おい、何で俺が・・」「昨夜、あなたがバーで酔い潰れているのを見兼ねて、タクシーでわたしの部屋に連れて来ました。一体何があったんですか、あんなに飲むなんて?」「確か、職場で飲み会があったのは覚えてるんだが・・それからは、全く思い出せねぇんだ。」「そうですか。はい、どうぞ。」千尋は歳三に水を差し出すと、寝室から出て行った。 リビングに戻った千尋は、昨夜歳三が玄関先で吐いた吐瀉物の後始末をしていた。余り広範囲に吐いていなかったので、消臭剤を拭きつけた上で新聞紙で簡単に拭きとることができたが、問題は寝室に居る歳三が泥酔した時の記憶を何も覚えていないということである。一体彼は何故あんなに前後不覚になるまで酔っ払ってしまったのか。それに彼は私服ではなく、スーツを着ていた。職場の飲み会であるならば、もっとラフな格好をする筈だ。もしかして彼は、誰かに会う為にあのバーに居たのではないか―千尋がそう思いながらキッチンで朝食を作っていると、リビングの電話がけたたましく鳴った。「もしもし、岡崎です。」『もしもし、千尋か?』電話を掛けてきたのは、兄の聡史だった。「どうしたの、兄ちゃん。」『実はなぁ、今日トマトの品評会で東京に居るんだ。今からお前のところに行ってもいいか?』「えっ!」千尋は驚きの余り、子機をフライパンの中に落とすところだった。『もしもし、千尋、聞いてるのか?』「うん、聞いてるけど・・突然どうしてうちに?」今聡史が来られると、歳三と鉢合わせしてしまう。千尋は何とかして彼との会話を引き延ばし、適当な言い訳を作って断ろうと決めた。『いやぁ、少し話したい事があってな。』「それ、ホテルでしちゃ駄目?」『構わないんだが・・実はもう、お前のマンションの前に来てるんだよ。』「ええ~!」千尋がそう叫んだのと同時に、マンションのインターフォン画面に聡史の顔が映った。「おい、どうしたんだ?」寝室のドアが開き、下着姿の歳三が頭を掻きながらリビングに現れたのを見た千尋は、慌てて彼を寝室へと戻らせようとした。「すいません、ちょっと向こうに居てもらえませんか?」「何でだよ、俺ぁ腹減ってるんだ。」「実は、兄が・・」歳三を寝室へと押し返そうとした時、不意に玄関のドアが開いた。「おお~い千尋、居るのか?」そう言ってリビングのドアを開けた聡史の目に入って来たのは、Tシャツに浅葱色のトランクス姿の見知らぬ男がソファで寝ている姿だった。「千尋、そいつは誰だ?」「兄ちゃん、これには深いわけがあって・・」千尋はもうこれ以上、兄にごまかせないと思い、深呼吸した後兄にこう言った。「実はこの人と今、付き合ってるんだ。」弟から衝撃的な言葉を告げられた聡史は、一瞬目を丸くしたと思うと、歳三に掴みかかった。にほんブログ村
Apr 5, 2013
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「あの子の容態は?」「意識はまだ戻りません。それよりも、もっと守君に注意を払ってあげればよかった・・」 数日前、守が手首を切って自殺を図り、ICU(集中治療室)に移された。一命は取り留めたものの、彼の意識はまだ戻っていない。「自分を責めたら駄目だ、岡崎君。起きてしまったことを悔いるよりも、彼の快復を祈ろう。」「はい、わかりました。」石崎教授に励まされ、千尋がICUから出て行くと、廊下には何故か東弁護士の姿があった。「やぁ、久しぶりだね。」「東さん、一体ここに何の用ですか?」「石岡守君と話がしたいんだが・・」「彼の意識はまだ戻っておりません。それに一体、彼に何の話があるというのですか?」「話というのは、石岡琴が掛けた生命保険金のことでね。彼女は2億もの保険金を守君に残して死んだ。」「そんなに・・」東弁護士から琴の保険金の額を聞いて千尋が驚愕の表情を浮かべると、彼は何処か嬉しそうな顔をして千尋の顔を覗きこんだ。「岡崎さん、その2億という大金を、手に入れてはみたくないかい?」「どういう意味でしょうか?」「知っての通り、石岡守君には亡くなった母親以外、肉親が居ない。彼はまだ未成年で、後見人が必要な年だ。そこでだ、君が守君の後見人になったらどうだろう?」「意味が判りません。一体わたしが守君の後見人となったところで、あなたが何を企んでいるのかは知りませんけど、お断りいたします。」「そうですか。それは残念です。」東弁護士はそう言って千尋に背を向けると、エレベーターへと乗り込んでいった。「あの弁護士、そんなこと君に言ったわけ?」「ええ。あの人は何を考えているのかが判らないから、不気味で仕方ありません。」 仕事終わり、総司と入った駅前の居酒屋で、そう言いながら千尋はビールを飲んだ。「東って奴は、土方さんの元奥さん側の人なんでしょう?千尋ちゃんに接触してくるってことは、何かよからぬことを企んでいるんじゃない?」総司はそう言って千尋を見ると、フライドポテトを頼んだ。「それじゃぁ、また。」「うん、またねぇ。」 駅前で総司と別れた千尋が改札の中へと入ろうとした時、バッグの中に入れてあった携帯が鳴った。「もしもし?」『すいません、岡崎千尋さんですか?』通話口の向こうで、騒がしい音楽が聞こえていた。「あの、どちらさまでしょうか?」『実はですね・・』 数分後、千尋が最寄駅から三駅も離れた場所にあるバーに入ると、そこのカウンターには酔い潰れた歳三がグラスを握り締めながら突っ伏したまま動かなかった。「もうすぐ閉店なんですが、なかなか起きてくれなくて・・」「土方さん、起きて下さい。」千尋が歳三の肩を揺すると、彼は低い呻き声とともに千尋を見て抱きついた。「すいません、タクシーをお願い致します。」タクシーまで店に残っていた従業員に歳三の身体を支えて貰いながら、千尋は彼を乗せた後、タクシーに乗り込んだ。自宅の場所を告げると、運転手はちらりと酔い潰れた歳三を見ながら、タクシーを発車させた。「そっちのお客さん、今にも吐きそうな顔してるから、これ使ってね。」「すいません・・」運転手からエチケット袋を受け取った千尋は、今にも吐きそうな顔をしている歳三の口にそれを押し当てた。にほんブログ村
Apr 5, 2013
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「なんかさぁ~、あの沖田って奴、ウザくない?」「そうそう、いちいち文句言ってさぁ。」「それに岡崎って奴もさぁ、ネチネチ注意してばかりで、まるで意地悪な姑みたい!」「うちらは腰掛けでするんだから、別に覚えなくてもいいじゃんねぇ?」「そうそう、イケメンドクターゲットする為に婚活してんだからぁ~」 カフェテリアで愚痴を吐いている実習生達の姿を見つけた総司と千尋は、鬼のような形相を浮かべながら彼女達の元に現れた。「君達がそういうつもりで実習に来てるとは知らなかったよ。」「お、沖田先輩・・」「あの、これは・・」「今の会話、全部録音したから。もう君達、来なくていいよ。」総司は氷のような冷たい視線を彼女達に送ると、ICレコーダーを取り出した。「あの、どういう意味ですか?」「言葉通りだよ。君たちみたいに遊び半分で職場に来て貰ったら迷惑なんだよね。いい、この病院の看護師として働いている限り、患者さんからはこの病院のマイナスイメージが君達の所為で植えつけられるんだよ?」「でも、わたしたちは実習生で・・」「そんなもん、関係ないんだよ。大体君達、研修医の先生に色々とおかしなことを吹き込んでたようだけど?」「仕事を教えてくれないって・・それはあなた達がいつまでたっても指示に従わず、独断でしてミスをするからでしょう?実習に出るのなら、ある程度の知識と技術がある筈ですが?」「だってえ、難しくて・・」「難しいだと?あのな、お前らが今いる場所は本物の病院なの。幼稚園のお医者さんごっことはわけが違うんだよ!」彼女達の身勝手すぎる言い分にいい加減腹が立った千尋は、そう大声で怒鳴りつけると、一人が泣いた。「まぁまぁ、そんなにいじめなくても・・」「はぁ、何言ってんの?俺達はこいつらに注意しただけ。あんたもさぁ、いつまで経っても点滴上手く打てないだろ!しかも巡回中あくびばっかりしてんなよ!」二人と実習生達との間に割って入った岡村に対して、千尋がそう彼に怒鳴ると彼は顔を真っ赤にしてモゴモゴと何かを言った。「なに、言いたい事あるならはっきり言え!」「・・それ、看護師の仕事だから・・」「そんな意識で実習に来たんなら、てめぇも辞めちまえ!」いつの間にか騒がしかったカフェテリアは水を打ったかのように静まり返り、実習生の啜り泣く声だけが聞こえた。「あの、ちょっといいですか?」「何?」千尋がそう言って実習生の一人を見ると、“松村”というネームプレートを付けた彼女はさっと椅子から立ち上がった。「先輩達のおっしゃることは、間違っていないと思います。わたし達、今まで不真面目な態度を取ってしまって、それが先輩達に不快な思いをさせたのなら、謝ります。」「形だけの謝罪なら、何度でも出来るよ。それよりも、同じミスをしないこと。わかった?」「はい。」「じゃぁ僕達はこれで失礼するよ。行こうか、千尋ちゃん?」「はい。」総司と千尋がカフェテリアを後にしようとした時、啜り泣いていた実習生がいきなり椅子から立ち上がってこう叫んだ。「こんなの不公平よ、何であたし達が怒られなきゃいけないの!」「ちょっと、やめなよ。」「そうよ、先輩達の話、聞いてなかったの?」「だって一方的に怒られただけじゃん。」「君、名前は?」総司はくるりと実習生の方を振り向くと、彼女の前に立った。「野々下といいます。あの、幼稚園から高校まで学芸会の主役を務めて・・」「あのさぁ、君さっき“不公平”だって言ったよね?僕達は理路整然とどうして僕達が君達を怒るのか、説明して怒ったでしょう?その話を聞いてたの?」「聞いてましたけど、納得できません!」「如何して納得できないの?ミスをしたら謝る、それが社会人としての基本だよ。」「でも、ちゃんとやってるのに・・」「ちゃんとやってるって言われてもね、君達の仕事ぶりを毎日チェックしてると、カルテの誤字脱字や点滴を打つ際のケアレスミスが多いよ。君、それをちゃんと自覚してるの?それとも、自分達が理不尽な目に遭って嫌だって思ってる?」総司の言葉に、野々下は俯いて何も言わない。「この事は看護師長と、あなた方が在籍する看護専門学校に報告いたします。ただ謝ってはい終わりという訳にはいきませんので。」千尋がそう彼女達に言い放って総司と共にカフェテリアから出て行くと、背後で彼女達の悲鳴が聞こえた。「そうと決めたら即行動だね。」「ええ。」 ナースステーションへと戻った二人は、看護師長にカフェテリアでの一件の事、その上実習生達の目に余る態度を報告した。「わかりました。この病院に毎年来ているあの学校の実習生達はいい仕事ぶりをしていると評判だったけれど、今年度の実習生達がそんなに酷いとは思いもしませんでした。彼女達にこれ以上居て貰っては、病院のイメージダウンに繋がります。学校側からはわたしが説明します。」二人の話を聞いた看護師長はそう言うと、学校へと連絡を入れた。 翌週、千尋と総司が出勤すると、同僚の看護師である三村が彼らの方へと駆け寄ってきた。「実習生達、実習打ち切られたって本当なの?」「ええ。余りにも態度が酷いので、看護師長に抗議しました。」「まぁ、打ち切られて当然だけどね、あの子達。でももし親御さんたちが怒鳴りこんできたらどうするの?」「あの子達は幼稚園児ではなく、善悪の判断がつける大人です。親に泣きごとを言わないでしょう。」三村の言葉を千尋は一蹴した。「石岡さん、入りますよ~?」千尋が守の様子を見に病室に入ると、彼は剃刀で手首を切って力なくベッドに横たわっていた。にほんブログ村
Apr 5, 2013
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琴が交差点で事故を起こしたことは、瞬く間にその日の夕方のニュース番組で流れた。 マスコミはいつの間に調べたのか、琴が自分に多額の生命保険を掛けていたこと、そしてその受取人は息子の守にしていたことなどを取り上げ、彼女の死は自殺ではないかという、“自殺説”が浮上した。「自分の命を犠牲にしてまで我が子を守ろうとする母親・・その姿に感動する以外他にはありません。」とある有名評論家の一人が、今回の事故についてそういうコメントをした途端、“金の亡者”というマイナスイメージが一転し、“慈母”というイメージ像が琴に定着しつつあった。だがマスコミがどんなに綺麗事を並べていても、それはあくまで憶測でしかなかった。 その事を、ネットユーザー達は敏感に感じ取り、琴の“裏の顔”をネット上に暴露し始めた。“石岡琴は、中学時代に気に入らない上級生・下級生を毎日呼び出しては暴行を加えていた。”“取り巻き達に窃盗を指示し、彼らに濡れ衣を着せた。”“気に入らない同級生の女を暴行するよう手下に命じ、写真をばら撒くと脅迫した上で、毎月30万円ほど脅し取った。”掲示板上には琴のレディース時代の写真がアップされ、彼女の過去の悪行が暴露された。“死んで当然。”“自業自得。”“巻き込まれたトラックの運転手カワイソス。”ネット上では、琴に対するありとあらゆる罵倒の言葉が並んでいた。それを見ながら、守は勢いよくノートパソコンの蓋を閉めた。「ったく、他人の悪口が広まるのがネットの悪いところだよね。」総司は携帯であるサイトの掲示板を見ると、そう言って溜息を吐いた。「まぁ、こちらが直接被害を被っていなければ、いいんじゃないでしょうか?」「そりゃそうだけどねぇ、風評被害ってやつがそろそろ出始めてるんじゃない?」総司はそう言うと、チラリとナースステーションの隅で談笑している看護実習生達を見た。 彼女らはここが職場であるということも忘れて、まるで喫茶店で女子会でも開いているかのようにぎゃぁぎゃぁとかしましい。「君達、カルテの整理と、巡回は終わったの?」「すいませぇん~、もう終わりましたぁ。」「終わったら終わったで、報告してください。勝手に休憩に入られては困ります!」千尋が厳しい口調で実習生達にそう言い放つと、彼らは亀のように首を竦めてナースステーションから出て行った。「全く、なんなのあの子達?ここは保育所じゃないんだよ。」カルテを叩きつけるかのようにカウンターの上に置くと、総司は溜息を吐いた。「この季節になると、緊張感というものを忘れているんじゃないんですか、彼女達?こっちが注意しても聞かないし。」千尋は看護実習生達の何処か仕事を舐めているような態度に、腹が立っていた。「あ~あ、ストレス溜まるったらありゃしないよ。」「暫くの辛抱ですよ、先輩。」総司と千尋がそう話している時、ナースステーションに一人の研修医がやって来た。彼は岡村といって、K医大から来た学生だった。「あの、実習生達を先輩達がいじめてるって本当ですか?」「はぁ!?君さぁ、彼女達に何を吹き込まれたわけ?」総司の眦がつり上がり、彼はキッと岡村を睨んだ。「仕事を碌に教えてくれないって、彼女達愚痴をこぼしてましたよ?」「・・ちょっと君、彼女達の所に案内してくれる?」総司はグイッと岡村の肩を掴むと、千尋について来るよう目配せした。にほんブログ村
Apr 5, 2013
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「君、会長に何て失礼な口の利き方を!」老人の傍らに控えていたスーツ姿の男が声を荒げて歳三を見たが、老人は彼を手で制した。「すまないな、仕事の邪魔をして。昼休みに、この店に来なさい。」老人は一枚のメモを歳三に手渡すと、颯爽とエレベーターに乗り込んでいった。(何だぁ、変な爺だな・・)「おお~い、歳!トイレ掃除頼むわ!」「ああ、今行くよ!」老人の正体が何者なのかを知るのは、今ではない。仕事に集中しなくては。 昼休み、老人に指定された店に行くと、そこは高級フレンチの店だった。当然店内にはジャケットやワンピースで着飾っている紳士淑女が多く、作業服姿の歳三は浮いて見えた。(ったく、嫌がらせかよ・・)「すまん、待たせたな。」老人が歳三の座るテーブルの前に座ったのは、数分後の事だった。「なぁ爺さんよぉ、どうしてこんな店を待ち合わせに指定したんだ?前もって連絡してくれれば、俺だって恥をかかずに済んだ筈だぜ?」「そんな事ができなかったから、君を呼び留めたんだよ。ああ、自己紹介が遅れたな。俺はこういう者だ。」老人はそう言うと、上等な牛革の財布から、一枚の名刺を取り出した。そこには、『AZUMAグループ代表取締役 東京一郎』と達筆な字で書かれていた。(東・・もしかして・・)「済まないが、君の事は少し調べさせて貰ったよ。」東京一郎はそう言うと、グラスの水を一口飲んだ。「爺さん、お宅の倅と俺の嫁だった女はもうすぐ再婚する。それに嫁の腹にはてめぇの孫が居る。この期に及んで何だって俺を調べようとすんだ?どっかの低俗なゴシップ記事を信じてやがるのか?」「いや、あんなものは信じておらん。だがな、あの記事の所為で会社の株は下がり、息子の業務にも支障をきたしていてな。それに理紗子さんは心労で入院しておる。」「俺の所為だとでも言いたいのか?俺が、あんな軽薄で股も頭のねじも緩い女に引っ掛かったからとでも?」「酷い言い草だ。かつての交際相手をそれほどまでに貶(けな)すとは。しかし君と会って、あの女のことを君が微塵も愛していないことは良く解ったよ。」「それは有り難ぇな。もういいだろう?」歳三が腰を椅子から浮かそうとした時、京一郎が彼の手を掴んだ。「まぁ座ってくれ。俺が何とかしてやる。だから君は何も気にすることなく、陸君と暮らしたまえ。さてと、ここはステーキが絶品だそうだ。沢山食え。」「じゃぁ、お言葉に甘えさせていただくぜ。」京一郎とは気が合うなと思いながら、歳三は彼に微笑んだ。「千尋ちゃん、どうしたの?」「これ、本当なんでしょうか?」「嘘に決まってるじゃない。それよりもマスコミが病院の前に車をバンバン停めるもんだから、迷惑千万だよ。」「そうですよね。患者さんにとってもストレスになりますし。そういえば、守君はどうですか?」「ああ、あの子ね・・週刊誌の記事を読んでショックを受けたみたいで、塞ぎこんじゃったんだ。食事にも全く手をつけないで。」総司はそう言って溜息を吐くと、少しのびてしまったラーメンを勢いよく啜った。「千尋ちゃん、402号室の患者さんの様子見てきてくれるかなぁ?僕小児科に用事あるんだよね。」「わかりました。」 昼休みの後、千尋はナースステーションから出ると、402号室へと向かった。そこには、石岡守が入院していた。「石岡さん、入りますよ~?」千尋がドアをノックしたが、中から返事が返ってこなかった。「失礼します。」千尋が病室のドアを開けると、そこにはシーツに包まって寝ている守の姿があった。ベッドの傍らには、手づかずの昼食が置かれていた。「また、食べていなかったんですね。一口だけでも食べないと・・」「どうせ、死んでもいいんだよ、僕は。僕がいる所為で、みんな迷惑してるんだから。」どこか投げやりな口調で守はそう言いながら、まだあどけなさが残る顔を千尋に向けた。「守君、そんなことはないよ。」「じゃぁどうして、母さんはあんな事をしたの?あの人は自己顕示欲が高くて周りの迷惑を顧みない最低な女だけど、僕にとっては良い母親だった。でも今回の事で、もうあの人の事を母親だと思わない。」そう言った守の顔は、何かを決意したかのような表情を浮かべていた。「僕は未成年で、後見人が必要だということはわかっているけれど、僕は母親とは縁を切る。」「守君、冷静になって考えよう。今君は感情的になってるだけで・・」「あなたに何が判るんですか!?親から愛されて育ったあなたに、僕の気持ちがわかって堪るか!」憎しみに満ちた目で守は千尋を睨み付けると、昼食のトレイを薙ぎ払った。「守、あんた母さんのこと、そんなふうに思ってたの?」「母さん・・」守が息を呑んで入口に立ち尽くしている琴を見ると、彼女は持っていたハンドバッグで息子を殴った。「あんたの為にあたしはどれだけ必死になって働いたと思ってんのよぉ!この親不孝者~!」「石岡さん、落ち着いてください!」「あんたなんか息子じゃない、こっちから捨ててやるわよ!」頭に血が上った琴は、そう金切り声で叫ぶと病室から出て行った。今まで息子の為を思って頑張ってきたというのに、全て無駄になってしまった。どれもこれも、全て歳三の所為だ―激しい怒りは、琴から冷静な判断力を失ってしまった。そして彼女はいつしか運転している車が反対車線を逆走していることに気づいた時は、もう遅かった。 一台の10トントラックは、一瞬の内に琴が乗っていた軽自動車を鉄屑と化し、勢い余って電柱に衝突した。にほんブログ村
Apr 4, 2013
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「ありがとうございましたぁ~!」 千尋と喧嘩別れしてから数日が経ち、歳三は弁当屋で今日最後となる客を店から送り出していた。「土方さん、もうあがっていいよ。息子さん、待ってるんでしょう?」「すいません。それじゃぁ、後片付け宜しくお願いしますね。帰る時にゴミ出しておきます。」「ええ、お疲れ様!」パートの山本さんに挨拶をすると、汚れた制服をきちんと畳んでエコバッグの中に入れて店を出て、ゴミ袋を抱えながらゴミ置き場へと向かった。「土方さん、ここで働いてるんすね。」「またてめぇか。」歳三がジロリと金田を睨み付けると、彼は悪びれもせずにニヤニヤと笑いながら歳三を見た。「一体俺にまとわりついて何が楽しいんだ?それよりも女優Kの熱愛疑惑を追っかけた方が金になるんじゃねぇのか?」「うちの社の企画で、“昔の有名人は今”っていうのがありまして・・」「ふん、いつまでもそういうことをしていて飽きねぇな。もう俺は何も話すことはねぇよ。」こいつと話すだけ時間の無駄だと思った歳三は、彼に背を向けて立ち去ろうとした。「あなたの元カノの琴さん、あなたと復縁したいそうですね?」「あいつとはもう昔に別れた。それだけのことだ。」歳三は一度も金田の事を振り返らずに、自転車に跨って店の駐車場から出て行った。「ったく、つれないなぁ・・」金田はそう呟くと、歳三に貼りつくのを辞めて、彼の元カノ・琴に貼りつくことにした。「あらぁ、あたしに何の用?」「すいませんね、突然お店に来てしまって。以前お付き合いしていた歳三さんのことについて、あなたにインタビューしたいんですが・・」「いいところに来たわねぇ、あんた。あたしあいつに色々と言いたい事があるのよ。もしあんたで良ければ、聞かせてあげるわよ。」琴は金田のグラスにウィスキーを注ぐと、嫣然とした笑みを彼に向けた。 翌朝、歳三が清掃会社の事務所に入ると、何やら従業員達が集まっていた。「おはようございます。」「歳、これ本当なのか?」篠塚がそう言って歳三に見せたのは、今日発売の週刊宝石だった。そこには、“元有名騎手・Hに捨てられたホステス独占インタビュー”という見出しが躍っていた。歳三が週刊宝石を開くと、見開き2ページに琴のインタビュー記事が載っていた。彼女の写真にはモザイクが掛けられておらず、堂々と実名も書かれていた。「こんなのは嘘ですよ。」「そりゃぁ、そうだよな。でもよぉ、一度こんな記事載ると、それが本当だって信じる奴が居るんだよな。」篠塚は感慨深げにそう言うと、週刊誌をゴミ箱に捨てた。 いつもは取引先へと向かうバスは従業員達が雑談して騒がしいのに、今日に限って通夜のように静まり返り、誰一人として口を開かなかった。気まずい空気のまま歳三がいつものようにビルの清掃を開始していると、以前自分に言いがかりをつけてきた蔵内がエレベーターから降りて来た。「おはようございます。」「まだ居たのか、君。迷惑を掛けない内に辞めたらどうだ?」「それは俺が決めることで、あんたが決める事じゃありませんよ。」「何だと、清掃員の分際でわたしに口答えするつもりか!」「へっ、リストラ候補の癖に何を言っていやがる。人事のオッサンらはお前ぇを煙たがってるようだぜ?嘘吐いてんならあいつらに聞いてみな。」蔵内は怒りで顔を赤くさせ、歳三を殴ろうとしたが、彼の背後に立っている人物に気づいたのか、慌てて廊下の角へと消えていった。「君が、土方歳三君かね?」「何だい、あんた。」歳三は着流し姿の老人をジロリと睨んだ。にほんブログ村
Apr 4, 2013
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「今日岡崎君に頼んであなたに来て頂いたのは他でもない、石岡守君・・あなたの息子さんのことです。」「先生、お言葉だが、その守ってガキは俺の子じゃねぇかもしれねぇぜ?琴が他の男と出来た子どもを俺に押し付ける為に、嘘を吐いてるんじゃ・・」「それは、ある検査をすればわかるでしょう。今はDNAを鑑定する技術は日々進化しております。あなたがそんなに疑われるのなら、一度検査してみてはいかがですか?」「先生、俺はまどろっこしいのは大嫌いでね。言いたい事があるならはっきり言ってくれませんか?」歳三は少し苛々しながら、スーツの胸ポケットに入れてあった煙草を取り出そうとした。「実は、石岡守君は再生不良性貧血という病気に罹(かか)っています。その病気を治すのは骨髄移植だけです。これだけ言えば、わたしが何故あなたをここへ呼んだのかが理解できる筈です。」「つまり、守に骨髄を移植させたいが為に、琴は俺にしつこく付纏ったとでも?関係を強要するような行為も、全て死に掛けたあいつの息子の為だと?」紫紺の瞳を微かに怒りでぎらつかせながら、歳三は石崎教授を見た。「言っとくが、もしあいつが俺の息子だとしても、俺はあいつを助ける気はねぇ。」「土方さん、それは・・」「琴とはもう終わったんだ。俺は陸と壊れかけた絆を取り戻す為に必死なんだよ!それなのにあいつとあいつのガキの面倒を見るなんざお断りだ!」歳三はそう叫ぶと、荒々しくドアを閉めて研究室から出て行ってしまった。「土方さん、待って下さい!」「うるせぇ、ついてくんな!」千尋が慌てて歳三を追いかけると、彼は邪険に千尋の手を払いのけた。「どうして守君を邪険にするんです?あの子だって、あなたの血を分けた・・」「あいつは琴が勝手に産んだガキだ!俺は産んでくれと一言も頼んじゃいねぇぞ!あいつはきっと金欲しさにガキを産んだんだ、そうに決まってる!」「そんな筈は・・」「お願いだから、事情を知らない奴は黙っててくれねぇか?こっちの苦労もわかりもせずにお節介を焼く奴は嫌いなんだよ!」歳三の言葉に千尋は無言で彼に背を向けて立ち去っていった。「あ~あ、千尋ちゃん今頃泣いてるかもしれませんねぇ?」ガラガラというカートの騒がしい音がしたかと思うと、歳三の前に仕事中の総司が現れた。「うるせぇな、お前ぇには関係ねぇだろ。」「おおありなんですよね、それが。あなたの元カノの所為で、僕今住んでるアパートを追い出されそうなんですよ?彼女があることないこと大家さんに吹き込んだから。」「何で俺にそんなこと言うんだよ?」「一度くらい会ってあげてもいいんじゃないですか?確かに受け入れられないのはわかりますけどね、あの子も土方さんの子でもあるんですよ。」「わかったような口を利くんじゃねぇよ!」「あんたね、一度素直になったらどうなのさ!?何でそんなに無理に強がって人を傷つけるようなことばっかり言うの!?」「人に弱味を見せて何の得があるっていうんだ?舐められるだけだろうが!」歳三はそう言って苛立ち紛れに壁を拳で殴った。「そういうのって、格好悪いんですよ。自分を強く見せる為に他人を平気で傷つけるようなやり方、もう古いんです。いい加減大人なんだから、気づいてくれないと困るんですよね、わかります?」総司は少し呆れたような顔をして歳三を見ると、カートを押して彼の前から去っていった。「何だってんだよ、畜生・・」 一人廊下に取り残された歳三は、そう呟くと煙草を吸いに屋上へと向かっていった。千尋に騙し討ちされた、と歳三ははじめそう思ったが、彼はひとえに守と自分を会わせたかっただけかもしれない。それなのに自分は一方的に彼に怒りをぶつけて傷つけてしまった。謝るなら早い方がいいと思った歳三は千尋の携帯に掛けたが、電源を切っているのか繋がらなかった。「クソ・・」歳三が煙草をもう一本吸おうとしたが、切れてしまっていることに気づいて空箱を握り潰してゴミ箱へと放った。「土方さん、お久しぶりですね。」もう病院を出ようと思った歳三がエレベーターを待っていると、突然一人の男に声を掛けられた。ジーンズとシャツというラフな格好に首からカメラを提げている彼の名を、歳三はすっかり忘れてしまった。「あんた、誰だ?」「よしてくださいよぉ、週刊宝石の金田ですよ。」人の良さそうな笑みを浮かべた男は、そう言って歳三に名刺を渡した。「記者さんが俺に何の用だ?言っとくが、あんたらを喜ばせるようなネタはないぜ。」「まぁそう言わずに。連絡をお待ちしておりますよ、それじゃ。」金田は馴れ馴れしく歳三の肩を叩くと、エレベーターへと乗り込んだ。「ただいま。」「お帰りなさい。今日はおめかしして千尋さんとデートでもしてたの?」「何でそうなるんだよ?」「だってお似合いじゃない、お父さんと千尋さん。」夕食後、陸の言葉を聞いた歳三はコーヒーを噴き出しそうになった。「デートどころか、下らねぇことで喧嘩しちまったんだよ。俺が悪いんだが。」「謝ればいいじゃん。」「簡単に言うけどなぁ、大人になるとそれができねぇんだよ。」「ふ~ん。」陸は歳三の言葉に納得がいかない様子で、漫画雑誌を持って和室へと入っていってしまった。(ったく、何言い訳してんだか・・)にほんブログ村
Apr 3, 2013
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「行って来ます。」「おう、気をつけて行けよ。」 塾へと向かう陸に声を掛けた歳三は、彼が乗った自転車が角を曲がって見えなくなるまで見送ると、溜息を吐きながらアパートの中へと戻っていった。 今日は弁当屋も清掃員の仕事も休みなので、久しぶりにテレビを観ながら家でゆっくりしよう―歳三は流しで食器を洗いながらそう思っていると、ちゃぶ台の前に置いてある携帯が鳴った。「もしもし?」『土方さん、お久しぶりです。岡崎です。』千尋の声を休日に聞いて、歳三は少しドキッとしてしまった。一体休日の朝に、千尋が自分にこうして電話を掛けて来るのはどういう意味があるのだろうか。『土方さん、もしかしてまた体調が悪いんですか?』すぐに返事をしない歳三の体調が思わしくないと疑ったのだろう、千尋の声のトーンが少し高くなった。「体調の方は大丈夫だ。それよりも、日曜の朝に電話をくれるなんてどうしたんだ?」『実はあなたに、会っていただきたい方が居るんです。』「琴のことなら、もう俺は・・」『いいえ、彼女と会うつもりはありません。大変申し訳ないのですが、お電話ではできない話なので、新宿公園で10時に待ってます。』「わかった。」歳三はちらりとデジタルの置時計を見ると、まだ約束の時間には充分間に合う。 千尋との通話を終えると、歳三は洗面所で伸び始めた髭を剃り、クローゼットから一張羅のスーツとシャツを取り出すと、素早く部屋着からそれに着替えた。「ごめん、待ったか?」「いいえ。」 待ち合わせ場所にやってきた千尋は、春らしいピンクのニットにブルージーンズという出で立ちだった。「良くお似合いですね、そのスーツ。」「だろ?陸がわざわざ選んでくれたんだぜ。全く、あいつはぁいいセンスしてる。」そう言いながら嬉しそうに息子の自慢をする歳三の横顔を見て、千尋は今守の事を告げるのは今しかないと思った。「土方さん、これからわたしと一緒に病院に来て下さいませんか?」「病院に?お前、今日は休みじゃ・・」「ええ、ですがあなたに会わせなけれならない人は、そこに居るんです。」はじめ千尋の言葉を理解するのに時間が掛かった歳三だったが、彼が何を言おうとしているのかがわかった。「・・わかった、行こう。」「ありがとうございます。」 新宿からバスで隅田川沿いの病院へと向かった二人は、がん患者専門病棟へと向かった。「俺に会わせたいやつってのは、本当にここに居るんだろうな?」「ええ。もうすぐこちらに到着するそうです。教授!」千尋がそう言って廊下の向こうへとやって来る男に手を振ったのを見て、歳三は背後を振り向いた。そこにはいつぞやのイタリアンブランドスーツ男と同じスーツを纏った男が、笑顔で千尋に手を振りかえしながら、こちらへと近づいて来た。「教授、紹介いたします。こちらが土方歳三さんです。土方さん、こちらはがん研究のエキスパートである石崎教授です。」「初めまして、石崎です。土方さん、立ち話もなんですから、わたしの研究室へどうぞ。」「え、ええ・・」歳三は若干戸惑い気味に千尋を見ながらも、彼と共に石崎教授の研究室へと向かった。「ほう、なるほどね・・」三人が廊下の向こうへと消えていくのを、ある人物が見ていた。にほんブログ村
Apr 3, 2013
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「名家のお嬢様が、こんな低学歴でしがないあたしに何のご用かしら?」「少し、あなたとお話がしたいのよ。」「ふん、あんたまであたしを馬鹿にしてるのね。」普通に挨拶しただけなのに、琴は理紗子に対して激しい敵意をぶつけてきた。「それで、話って何よ?」 駅前のコーヒーショップに入った二人は窓際の席に落ち着くと、琴はそう口火を切った後、店員にコーヒーを注文して理紗子を睨んだ。「土方のことよ。あなた、もう彼とは別れたのにしつこく付き纏っているんですって?」「ええ、誰から聞いたの、その話?ああ、言わなくてもわかるわ。あの岡崎って看護師からでしょう?」琴はそう言うと、気分を落ち着かせる為に冷たい水を一気に飲んだ。「もう土方に付き纏うのは止めて。彼は新しい人生を歩み始めているのよ。だからあなたには・・」「身をひいて欲しいって言ってる訳?残念だけど、あたしはあんたに何を言われようが歳を諦めないわ。あんたは新しい旦那と一緒になるんだから、あんたこそ歳のこととやかく言うの止めたら?それともなに、あんたまだあいつに未練があんの?」「いいえ、そんな事は思ってはいないわ。」「ふん、じゃぁこうしてあたしと話すなんて時間の無駄じゃないの。あたしはあんたと違って忙しいのよ、おわかり?」琴が椅子から腰を浮かそうとした時、店員がコーヒーを運んできた。彼女は椅子に座り直すと、コーヒーを一口飲んでこう言った。「歳とセックスして子どもを孕んだからって、良い気になるんじゃないよ!あんただって新しい旦那の前で股開いたからガキが出来たんだろうが!」「まぁ・・」余りにもあけすけで、下劣極まりない琴の言葉に、理紗子は絶句するしかなかった。 彼女が何かを言い返そうとする前に、琴は勢いよく自分のコーヒー代を叩きつけると、店から出て行ってしまった。「どうだった、彼女とちゃんと話は出来たか?」「いいえ。あの様子じゃ無理よ。話どころか、彼女わたしに敵意を持ってるわ。」 東弁護士が所有する赤坂のマンションの一室で、帰宅した理紗子はそう言うと溜息を吐いてソファに腰を下ろした。「それはそうだろうさ。全く、身重の君にどうしてこんなことを任せるんだろうか・・父は一体何を考えてるんだ?」「渡英するまでの辛抱よ。子どもの戸籍はもうクリアできたでしょうし、後はあの女を始末するだけだって、お義父様が」「君に精神的な負担をかけさせてしまって、申し訳ないと思ってるよ。」「いいのよ、あなたの為・・生まれて来る子どもの為ですもの。」理紗子はそう言うと、少し膨らみ始めた下腹をそっと擦った。「お疲れ様です。」「お疲れ~」 定時に仕事が終わり、歳三は事務所が入ったビルから出てアパートへと向かっていると、その途中にある公園から背広姿の男が出て来て彼の前に立ち塞がった。「土方歳三さん、ですね?」「ああ、そうだが・・あんたは?」「すいませんが、少しお話がしたいので、向こうに来て貰えませんか?」男はそう言うと、近くに停めてあるハイヤーを指した。「済まねぇが、家にガキ待たせてんだ。話は今度にしてくれねぇか?」「わかりました。」男は少し残念そうな顔をすると、そのまま公園から出て行った。(一体何だったんだ、あいつは・・)「お父さん、焦げてるよ!」「お、済まねぇな。」公園で会った男のことが気になり、歳三は危うくハンバーグを焦がしてしまうところだった。にほんブログ村
Apr 2, 2013
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「石岡守君は、先天性の再生不良性貧血で、5歳の時からこの病院で入院している。」石崎教授は、そう言うとコーヒーを一口飲んだ。「あの子の病状は、どの位悪いのですか?」「詳しくは言えないが・・かなり悪い事は確かだ。このままだと今年の冬は越せないかもしれない。」「そんなに悪いのですか・・」教授の口から、琴の息子・守の容態を聞いた千尋は絶句した。そして、彼女が何故歳三に認知を迫っていたのかがわかった。再生不良性貧血の治療法として、骨髄移植と臍帯血移植(さいたいけついしょく)があるが、骨髄移植のドナーは親兄弟でも白血球の型(HLA)が一致するのが難しいという。赤の他人ならば、尚更だ。「守君は、骨髄移植を・・」「受けようと言っているが、“赤の他人の骨髄液でうちの息子が死んだらどう責任を取ってくれるんだ”と、お母さんが反対してね。現在は抗癌剤治療で症状を抑えているが、いつまでもつかどうか・・」「やはり、骨髄移植しか守君が助かる方法はないと?」「そういうことになるね。岡崎君、守君の父親を一度わたしに会わせてくれないか?無理を言うようで申し訳ないが・・」「いいえ、構いません。」歳三に早い内に守の事を話さなければと思いながら、千尋は教授の部屋から辞して仕事へと戻った。 一方、琴は歳三が帰って来るのを彼のアパートの前で待ちながら煙草を吸っていた。あれから彼は、一度も自分と会ってくれない。もう愛想を尽かされてしまったのだろうか。琴は溜息を吐くと、昔の幸せだった日々を思い出した。歳三とはベストカップルとして、高校時代では有名になった。あの頃の自分は今みたいに肌のくすみや皺などを気にしない、透き通った綺麗な肌を持っていて、イケメンの彼氏とは毎週末デートしてセックスしていた。そんな甘い日々の終わりが訪れたのは、高校卒業間近に歳三が競馬学校へと行くと琴に告げた時だった。彼がプロの騎手になると決めた以上、今まで自分と毎日会えなくなると知った琴は、“行かないで”と彼に縋った。“歳はあたしと夢、どっちを取るつもりなの?騎手になっても、有名になれる訳ないじゃない!”一方的に別れを告げられ、泣き叫ぶ琴に対して、歳三は無言で彼女の前から立ち去っていった。歳三の子を妊娠したと判ったのは、それから数ヵ月後の事だった。家族から中絶を勧められたが、琴は出産すると決めていた。しかし経済力が皆無の学生の身で、子を産み育てることは容易ではなかった。その上、病弱な守の病院代がかさみ、それを払う為に琴は一時期消費者金融から借金を繰り返すようになった。夜の世界で働き始めて借金を完済した後も、守の治療費の為にキャバクラ嬢を辞めることはなかった。全ては息子の、守の為だったのだ。 突然雲が曇り始めたかと思うと、雷鳴が轟くとともに土砂降りの雨が降って来た。「あなた、そんなところで濡れてしまうわよ?」そう言って琴の頭上にブランド物の傘を差しだしたのは、歳三の元妻・理紗子だった。にほんブログ村
Apr 2, 2013
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「あんた、ちょっと顔貸してくんない?」 危機が去ったかと思ったら、翌朝千尋が出勤しようとマンションから出て行くところを待ち伏せしていた琴が、そう言って彼の腕を掴んだ。「あなたとは、お話しすることはありません。」「何よ、あんたあたしのこと馬鹿にしてんの?ねぇ、そうなんでしょ?」「そんなつもりは・・」「ほら、馬鹿にしてんじゃない!あたしが子持ちのキャバ嬢だからって馬鹿にしてんだろ!?顔を見ればわかんだよ!」琴は突然声を荒げて千尋の髪を掴むと、エントランスのガラスに彼の顔面を打ちつけた。突然のことで、千尋は彼女から逃げられなかった。激痛に呻き、ぎゅっと目を閉じた千尋を見て琴は満足そうな笑みを口元に浮かべた。「あんた、あたしをコケにしたら許さないからね、わかった?」琴は千尋の頭上でけたたましい笑い声を上げると、マンションから去っていった。「大丈夫ですか!?」マンションのロビーから一部始終を見ていた管理人が飛んできて、千尋の顔を見た。力任せに強化ガラスに顔を打ち付けられ、その顔の左半分には痛々しい痣が出来つつあった。「すぐに冷やさないと。警察に通報しますか?」「いえ、いいです。」こんな顔を歳三に見られたくはなかったし、また通報したら琴に何をされるかわかったものではない。結局千尋は顔をアイスノンで冷やしながら、いつもより早めに出勤した。「千尋ちゃん、どうしたのその顔!?」 更衣室で着替えていると、総司が目ざとく千尋の痣に気づいた。「ちょっと、色々とあって・・」「もしかして、あの人にやられたの?」「あの、先輩は琴さんのことを知ってるんですか?」「知ってるも何も・・昨夜あの女から電話が来たんだよ。土方さんを隠していたらお前も容赦しないって。あの女、異常だよ。」「そんな事が・・」昨夜琴が自分達だけでなく総司にも一方的に恫喝したことを知り、今朝のこともあって千尋は警察に通報すればよかったと臍(ほぞ)を噛んだ。「岡崎さん、今すぐ402号室に来て頂戴!」「師長、どうしたんですか?」二人がナースステーションに向かうと、看護師長が顔を蒼褪めながら千尋の方へと駆け寄ってきた。「あなたが患者さんに投薬ミスしたんじゃないかって、ご家族の方が言ってるのよ!あなた、そんなことは・・」「してません、投薬ミスだなんて!ちゃんと薬剤の確認もしましたし、点滴だってミスのないように打ちました!」まさに、青天の霹靂とはこの事だった。「とにかく、沖田さん、あなたも来て頂戴。」「わかりました。千尋ちゃん、行こう。」「はい・・」一体何がどうなっているのかわからず、千尋は402号室の患者のところへと向かった。「このヤブ医者、あたしの子をどうしてくれるのよ~!」「落ち着いてください、お母さん!」「うるさい、これが落ち着いていられるか~!早くミスしたクソ野郎を呼んで来い!」病室に近づくにつれて聞こえてくる金切り声に、千尋はそれが誰のものなのかわかった。「失礼します。岡崎さんを連れてきました。」「入りなさい。」「失礼いたします。」千尋が病室に入ると、そこには半狂乱となって担当医師に掴みかかり、ありとあらゆる汚い言葉で彼を罵倒する琴の姿があった。彼女の傍らでは、点滴を打たれ、力なくベッドに横たわる少年の姿があった。「てめぇ、うちの子を殺す気か!」琴の視線が医師から千尋へと移り、彼女は電光石火の動きで千尋に掴みかかってきた。「このクソったれ、殺してやる~!」「落ち着いてください!」「うるせぇ、離せ~離せよ~!」数分も経たない内に数人の警備員達が琴を取り押さえ、半ば強引に彼女を病室へと連れ出した。「大丈夫、千尋ちゃん?」「ええ、何とか・・」「岡崎君、少しわたしの研究室で話をしようか?」「わかりました。」総司と師長の視線を感じながら千尋が病室から出ると、廊下には琴の姿はなかった。「取り敢えず、これを飲んで落ち着きなさい。」「ありがとうございます。」教授からカモミールティーを受け取った千尋がそれを一口飲んだのを見た彼は、彼の前に置いてある椅子に腰を下ろすと、一枚のカルテを千尋の前に置いた。「これは?」「さっきの患者さん・・石岡守(まもる)君のカルテだ。」千尋がそのカルテを見ると、琴の息子・守が患っている病名が大きく書かれていた。“再生不良性貧血”にほんブログ村
Apr 1, 2013
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『ちょっとぉ、あんたあたしから逃げられるとでも思ってるわけぇ!?』千尋の通報を受けた警察官が琴を連行するまで、彼女はマンションのエントランスで暴れていた。彼女が警察に連行されるまで、陸は歳三の胸に顔を押しつけ、声を殺しながら泣いていた。「陸、もうあいつはどっかへ行っちまった。」「本当?もう来ない?」「ああ。だから安心しろ。」安堵の表情を浮かべた陸が漸く歳三から離れると、彼の涙と鼻水で濡れたシャツを歳三は素早くキッチンマットで拭いた。「今夜はこちらに泊まられては如何です?あの人がアパートに来るかもしれませんし。」「そうだな。陸、そうするか?」「うん・・」「じゃぁ、向こうでお布団の用意をしてきますね。」千尋はそう言ってリビングから出ると、全く使われていない客用の寝室へと向かった。 上京した際、兄の聡史から“いい物件を見つけた”との連絡を受け、契約したのがこのマンションの部屋だった。一人暮らしだというのに客用の寝室があるのは無駄だと抗議する彼に対して、兄はこう答えた。『万が一のことを考えないと駄目だろ?』その“万が一のこと”が起きて、この寝室の出番が来るとは当時自分も兄も思わなかっただろう。「先に風呂、入っていいか?」「どうぞ、お構いなく。」歳三が陸とともに浴室へと消えていくのを見た千尋は、リビングのソファに腰を下ろして深い溜息を吐いた。 歳三の元妻・理紗子と会うのも嫌だったが、あの琴とかいう女が自分の所に押しかけて来たのはもっと嫌だった。理紗子は歳三と一時期は揉めたものの、陸の親権を彼に渡して新しいパートナーである東弁護士と再婚しようとしているし、向こうにも未練がない筈だった。 だが琴は違う。この前、自分の元にわざわざやって来て宣戦布告してきたのを見ると、彼女はまだ歳三に対して未練があると思ってもよさそうだった。今回は琴を退けたが、次はいつ来るのかが判らないし、向こうが何を考えているのかもわからない。一体彼女は何がしたいのだろうか―そう千尋は思いながらも、ついうとうとしてしまい、ソファに横になって目を閉じた。「風呂、上がったぞ。」歳三がバスタオルで濡れた髪を拭きながら浴室から出て来ると、やけに静かだったのでリビングに彼が入ると、千尋はソファでいつの間にか寝てしまっていた。一瞬彼を起こそうかと思った歳三だったが、余りにも千尋が気持ちよさそうに眠っているのを見て、やめた。彼を起こす代わりに、そっと近くにあった毛布を彼に被せると、歳三は浴室へと戻った。「あれ、千尋さんは?」「ああ、あいつは疲れて寝てるようだから、寝かせてやろう。」 一方、歳と陸が住むアパートの前では、案の定琴が二人の事を待ち伏せていたが、彼らが一向に現れないことに苛立って、アパートを後にした。(歳、あたしから逃げられると思ったら大間違いなんだからね!)にほんブログ村
Apr 1, 2013
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「やっぱり、来てくれたのね。」「ああ・・」 結局、歳三は琴が泊まるホテルの部屋へと向かうと、彼女は嫣然とした笑みを歳三に浮かべ、彼を部屋の中へと引き入れた。「話って何だ?」「子どものことよ。あなたは、あの子を認知してくれるの?」「なぁ、俺達はもう終わったんだ。それに、俺には息子が居る。今まで構ってやれなかった分、あいつの為に生きたいんだ。悪ぃが・・」「ふぅん、それがあなたの答えなのね、歳?」琴はそう言ってバスローブの胸元をはだけさせると、歳三の前に跪いた。「あたしを抱いて。」「やめろ!」琴の突然の行動に驚いた歳三は、思わず彼女の顔面に蹴りを入れてしまった。「あたしはあんたのことを諦めないわ。それと・・あたしから逃げられると思ったら大間違いだからね!」部屋から出て行く歳三の背に、琴は罵声を浴びせた。「お父さん、早く~!」「わかったよ、そんなに手ぇ引っ張るなって。」 数日後、千尋は歳三達と富士急ハイランドへと向かった。大型連休初日なので、園内は家族連れやカップルなどで混雑しており、人気アトラクションには長蛇の列ができていた。「なぁ、腹減ったから何処かで休憩しねぇか?」「そうですね。絶叫マシンには一通り乗りましたし。」三人がハンバーガーショップで昼食を取りに店に入ると、そこには東弁護士と理紗子の姿があった。「あら、お久しぶりね。」「お、おう・・」「こんにちは・・」互いに気まずそうな様子で挨拶をしながら、彼らはそそくさと空いている席へと向かった。「じゃぁ、俺注文してくるわ。」「わかりました。」歳三が注文カウンターの行列に加わったのを見計らったかのように、理紗子が千尋の前に腰を下ろした。「千尋さん、すっかり土方と親密な関係になったのね。」「理紗子さん・・」「わたし、あなたのことを恨んでもいないし、怒ってもいないわ。けれど、あなた達のことを認めるつもりはないってこと、覚えておいてね。」理紗子はそう言うと、東弁護士の元へと戻っていった。「気にしない方が良いよ、あんなの。」「そうだね・・」陸に励まされ、千尋は理紗子に傷つけられた心が少し癒された。「さてと、もうホテルに戻って風呂でも入るか?」「そうだね。日帰りじゃなくてよかった。きっと今頃高速、混んでるよ。」「ああ。」 園内を出て駐車場へと向かう道すがら、千尋は東弁護士達がハイヤーから降りて来た老人と親しげな様子で話をしていることに気づいた。「どうした、行くぞ?」「ええ。」(あの人、何処かで見た事がある・・)「彼の様子は、どうだったかね?」「最近付き合いだした恋人と、上手くやっているようですわ。あと、陸とも仲が良さそうだったし。」東京へと戻るハイヤーの中で、理紗子は将来の舅となる代議士・東浩一郎に歳三達の様子を報告していた。「理紗子さん、これからもあの男から目を離さんでくれよ。君とっては別れた旦那に付纏うのは嫌かもしれないが・・」「とんでもない。もう縁は切れてしまったけれど、あの人はわたしにとって特別な存在ですから。」「そうか。ならいい。」浩一郎はそう言うと、窓の外の風景へと目をやった。 山梨で楽しい時間を過ごした数日後、歳三の誕生パーティーが千尋の自宅マンションで開かれた。「お父さん、誕生日おめでとう!」「ありがとう、陸。何だか照れ臭いなぁ。」頭に折り紙で出来た冠を被った歳三は、照れ臭そうに笑った。「これ、お口に合うかどうかわかりませんけど・・」「おっ、美味そうじゃねぇか。」手作りのケーキを見た歳三は、嬉しそうに顔を輝かせた。「どうですか?レシピ通りに作ったんですが。」「美味いな。」「それと、これ・・気に入ってくださるかどうか。」そう言って千尋が包装紙に包まれた箱を歳三に手渡すと、彼は嬉しそうにそれを丁寧に外した。 箱の中に入っていたのは、男物のネックレスだった。「これ、俺が前に欲しいって言ってたやつじゃねぇか?覚えててくれたのか?」「ええ。」「どうだ、似合うか?」「よくお似合いです。」「よかったね、お父さん。」穏やかな時間のまま、ささやかなパーティーは終わろうとしていた。しかし―『歳、居るんでしょぉ~!』チャイムの音が室内に鳴り響き、酒に酔ったと思われる琴の声が聞こえた。「絶対に開けるなよ。」「わかりました。」狂ったようなチャイム音が外から聞こえる中、千尋は警察に通報した。「もしもし、警察ですか?不審者がマンションの前で暴れています、すぐに来てください!」にほんブログ村
Mar 30, 2013
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5月の大型連休前、歳三はいつものように弁当屋で働いていると、店に水商売風の大きなサングラスをかけた女が入ってきた。「いらっしゃいませ。」「久しぶりね、歳。あたしのこと、もう忘れちゃった?」女はそう言ってサングラスを外すと、歳三に微笑んだ。「一体俺に何しに来たんだ?もうお前ぇとは別れた筈だぜ?」「あんたはそういうつもりでも、あたしはそうはいかないのよねぇ。だって、あたしあんたの子を一人で育ててるんだから。」「何だと・・?」 休憩時間中に歳三は女を連れ出し、近くの喫茶店で彼女の口から衝撃的な事実を告げられ絶句した。「嘘つくんじゃねぇ。あん時の子は流産したって・・」「あれは嘘よ。本当は出産して、実家の籍に入れたの。あんたに責任取ってもらうつもりだったんだけど、他に孕ませた女と結婚したから、仕方なくあたしが諦めたのよ。」「お前・・何の目的で俺の前に現れたんだ?」「お金が欲しいから、こうしてあんたに会いに来たのよ。もしかしてあんた、あの女との間に出来た息子のことだけ考えて、あたしの子を無視するわけじゃないわよねぇ?」女は煙草を吸うと、その煙を歳三に吹きかけた。「ねぇ歳、あたしの言うことちゃんと聞いてくれたらもう二度とあんたの前には現れないわ。」「てめぇって奴は・・」歳三が女を睨みつけると、彼女は悠然とした様子でコーヒーを飲んでいた。「今夜、空いてるわよね?よかったらここに来て頂戴。話はそこでしましょう?」「ふざけんじゃねぇ、お前ぇなんかと寝るつもりはねぇ!」歳三は自分のコーヒー代だけ払うと、喫茶店から出て行った。「ったく、ケチなのは相変わらずよね・・」琴は冷めかけたコーヒーを飲みながら溜息を吐いていると、喫茶店に入ってきた東弁護士の姿を見つけた。「あら、誰かと思ったら東先生じゃありませんか?奇遇ですわね。」「何だ、君か。昼間からこんなところで何をしていたんだ?」「人と会っていたんですの。先生は?」「土方さんとここで待ち合わせしていた筈なんだが・・彼を知らないか?」「ああ、歳ならいまさっき出て行きましたわ。わたしでよければ、そのお話聞かせていただけるかしら?」琴は嫣然とした笑みを、東弁護士に向けた。「ただいま・・」「お帰りなさい、お父さん。」 歳三が帰宅すると、陸が千尋の作った夕飯を冷蔵庫から出しているところだった。「ねぇお父さん、ゴールデンウィークはどうするの?」「たまには休みを取って、遊園地でも行くか?ああ、お前ぇはそんな年じゃねぇよなぁ?」「遊園地、大好きだよ!お父さんと一緒なら、何処でもいいよ!」「お、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。」歳三はそう言って陸の頭を撫でた。「身体の方はもう大丈夫なの?発作は出てない?」「ああ。それよりも明日早いんだろ?飯食ったら風呂入って寝ろよ。」「わかった。」 夕飯を食べた後、歳三は食器を洗いながら昼間喫茶店で琴が言ったことを思い出していた。“もしかしてあんた、あの女との間に出来た息子のことだけ考えて、あたしの子を無視するわけじゃないわよねぇ?”琴とは短い間に付き合っていたが、歳三が騎手となることを知った彼女は次第に歳三と距離を置き始め、自然消滅というかたちで別れた。別れてからは、一度も会っていない。別れ話を持ち出された時、琴は自分の子を妊娠していると告げた。だがその頃経済力がなく、妻子を養えるほどの収入がなかった歳三は、琴に対して“産んでくれ”とは言えなかった。その事を彼女は気づいたのだろう、“子どもは流産した”と言って歳三に別れを告げた。その流産したはずの子どもが生きている。年齢を考えれば、陸とは腹違いの兄姉になる筈だ。(琴は本当に、あん時の子を産んだのか?)琴が告げた衝撃的な事実に、歳三はその夜一睡も出来なかった。「千尋ちゃん、おはよう。」「おはようございます・・」「ひどい肌荒れしてるけど、何かあった?」「ええ、実は・・」 翌日の昼休み、千尋は歳三の元恋人が自宅マンションに訪れたこと、彼女が歳三との子どもを産んだことを総司に話した。千尋の話を聞いた彼は低い声で唸った後、こう言った。「その話、嘘じゃないかもね。」にほんブログ村
Mar 30, 2013
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「怪我、してねぇか?」「ええ。顔を殴られて少し腫れてますが、大したことはありません。」高校生達が警察に連行された後、千尋はおしぼりで顔を冷やしながら歳三を見た。「あいつら、この辺りでカツアゲやらかしたりしてるワルらしい。後で、被害届出しにいくか。」「ええ。」「向こうの親が色々と言ってくるだろうが、そんなことは無視しろよ。こっちは被害者なんだから。」 ファミレスの事件から数日が経ち、勤務中の千尋に来客が来ていると内線から連絡を受け彼がナースステーションへと向かうと、そこには50代位の夫婦が待合室の長椅子に座っていた。「お忙しいところ、申し訳ありません。この度は息子があなたに怪我をさせてしまいまして・・」「いえ、お気にならさず。大した怪我ではありませんから。」「あの、このような場所でお話しするのは憚(はばか)られることですが、被害届を取り下げては貰いませんでしょうか?」歳三の危惧していたことが起きたなと、千尋は思った。「大変誠に申し訳ないのですが、被害届は取り下げません。わたしは無抵抗の状態で一方的に殴られた被害者なのですから。被害届を出すのは当然です。」「そんな・・あの子は来年受験なんですよ?暴行の前科がついたら、息子の将来にキズがついてしまうんです。あなたそれでもいいとおっしゃるの!?」「ええ、事を有耶無耶にするよりもいいと思います。息子さんは罪を償うべきです。もう仕事には戻らないといけないので、失礼。」背後であの高校生の母親と思しき女性が何か喚いていたが、千尋は無視して仕事に戻った。「大丈夫、千尋ちゃん?」「ええ。」「それよりも、土方さんとの関係は上手くいってるの?」「えっ・・」「知らないとでも思ってるの?僕、知ってるんだよ。君が土方さんの“通い妻”をしていること。」「沖田先輩、どうしてそれを・・」「だってこの前、見ちゃったんだもん。千尋ちゃんが土方さんの住むアパートに入って行くのを。」世間は案外と狭いものだなと、千尋はそう思いながら臍(ほぞ)を噛んだ。「昼休み、色々と聞かせてね?」「沖田先輩・・」総司に肩を叩かれ、彼から逃げられないと思った千尋は溜息を吐いた。昼休み、千尋は総司とともに食券を買い、カフェの中へと入った。「それで?もう土方さんとはセックスしたの?」「先輩っ・・」余りにも直截的な総司の言葉に、千尋は飲んでいたコーヒーを噴き出してしまった。「何、そんなに恥ずかしがって?満更でもないじゃない。」「そんな関係じゃありません!」「ふぅん、そうなの。つまんないなぁ。」総司はそう言うと、パスタをフォークで巻いてそれを口に放り込んだ。「土方さんとは、良い友人同士として付き合っています。」「でも、ただの友達だったら、わざわざご飯作りに行ったりするかなぁ?それに、土方さんの息子さんにも懐かれてるんでしょう?」「ええ、確かに・・」「あ、今度の連休、土方さんの誕生日じゃない?手作りのケーキでも作って行ったら?喜ぶと思うなぁ。」「そうでしょうか・・」「そうだよぉ、だってもう土方さんの胃袋を掴んだのも同然なんでしょう?この際一気に攻め落とすしかないって!」「先輩、楽しそうですね?」「うん、楽しいよ。僕全然責任ないからね!」総司はそう言うと、大声で笑った。 総司のアドバイス通り、千尋は駅前の書店で菓子作りのレシピ本を購入した。帰宅してその本を開くと、色とりどりのフルーツに彩られた様々な種類のケーキの写真が載ってあった。(これだと、土方さんでも食べられますね。)甘さ控えめのチョコレートケーキを作りながら、千尋は歳三の喜ぶ顔を思い浮かべていた。「これでよしっと。」完成したケーキを冷蔵庫に千尋が入れた時、部屋のインターホンが鳴った。「はい、どなたですか?」『あなたね、歳の“通い妻”っていうのは?』インターフォンの画面に映ったのは、いかにも水商売風の女性だった。「どなたですか?」『とにかく開けて中に入れてよ。あんたと話がしたいのよ。』「はぁ・・」 部屋に入って来た女は、千尋を睨みつけながらソファに座った。「あの、あなたはどちら様ですか?」「あたし?あたしはこういう者よ。」女はそう言うと、千尋に名刺を手渡した。そこには銀座の高級クラブの名前が書かれてあった。「琴さん、とおっしゃられるんですね。今回はどのようなご用件でこちらに?」「あんた、歳に気があるんだってね?あいつはあたしの男なんだから、手を出さないでよね。」女―琴は、灰皿に煙草の吸殻を押しつけてソファから立ち上がると、赤い口紅をひいた口端を上げて千尋を見てこう言った。「それに、あたし歳との間に子どもが居るのよ。あんたの出る幕ではないのよ、おわかり?」(土方さんに、子どもが・・) 謎の恋敵の登場と、彼女と歳三との間に子どもが居るという衝撃的な事実を知り、千尋は女が立ち去った後も呆然とリビングに立ち尽くしていた。にほんブログ村
Mar 30, 2013
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