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2022年04月10日

報徳記を読む　現代語訳　第一集　報徳記巻の１【４】先生小田原侯の委任を受け野州桜町に至る

カテゴリ：結跏趺坐

２０２２年４月１０日

報徳記を読む　現代語訳　第一集　報徳記巻の１【４】先生小田原侯の委任を受け野州桜町に至る
　先生は先に小田原侯の委任を受けてから、つらつら考えるに、「桜町の領地が廃衰しているのはほとんど亡村に等しい。風俗がくずれ不健全になり、心がねじけて悪賢くよこしまな民が多い。だからどんなに知恵を働かせたはかりごとに優れた者であっても容易にこれを化することができない。昔、大禹〔だいう・中国古代の聖王で夏王朝の創始者〕が有苗（ゆうびょう）を征服するのに武略知計をもってしないで、ただ至誠のみで感化させた。一の誠心（まごころ）をもって我が身命をなげうって、この民を安らかにいたわれば、どうして再興しないことがあろうか。そうして憂慮すべきことがここに一つある。私は極貧の家に生れ、孤児（みなしご）となり、一家が廃亡したのを興し、父母・祖先の霊を安らかにしようと欲し、昼となく夜となく心力を尽してきた。その始め、一俵の米を種として、ついに廃家を挙げ、祖先の田畑を取り戻し、少しは親や祖先への供養を行い菩提を弔う道を立てることができた。意外にも、（大久保忠真）侯に知られ、宇津家の領地を旧復せよとの命をこうむらんとは思いも寄らなかった。今、忠を尽そうとすれば必ずこの家を破り不孝に陥いるのではないか、孝を全（まっと）うしようとすれば君命を廃し忠義を全うすることができない。古今二つながら全うすることが難かしいことを憂えるのももっともである」と、胸をなでて黙慮することやや久しかった。きっぱりとして言った。
「ああ、何をか憂え、何をか惑（まど）おう。元来、忠孝は一道であって二道あるのではない。人が至孝である時、忠は自から、その中にある。至忠（しちゅう）である時は孝もまたその中に存する。君命を得ない時は一家を興し、祖先の祭祀を永く存するをもって孝とする。一度君の知遇（ちぐう）を得て、百姓を安らかにせよとの命を受けるにいたっては、この民を安らかにすることをもって孝としよう。もし仁君の命を廃し、たとえ億万の財産を積んで、一家の繁栄をもって十分な祭祀（さいき）を尽したとしても、父祖の霊は必ず不孝の子とすることは明らかである。わずかな一家を廃し、万民の疾苦（しっく）を除き、上は君の心を安らかにし、下は百姓の営なみを安らかにできれば、父祖の本来の望みを果たすこと、これにまさることがあろうか。一家を全くしようとする時は、万家（ばんか）を廃し、万家を全くしようとして一家を廃する。どうしてこれが同じに論ぜられようか。私の心は既に決まった」と。
　ただちに祖先の墓に詣って、合掌して告げるに前の言葉をもってし、家に帰って妻にこのように言った。「今、名君が上におわして私のような愚かな者を棄てず、廃村を興し、多くの民を安らかにする事を命じられた。これを辞する事すでに三年に及ぶけれども、君はこれを許されない。止む事をえずその命を受けた。このような大業は、平常の行いで成就することができるものではない。このため一家を廃し、相続の道を捨て、身命をなげうってつとめ励もうと思う。しかしながらこれは婦女子の理解する所ではない。私とともに千辛万苦を尽し、君名を辱しめないことを思うならば、ともに野州（栃木県）に赴（おもむ）こう。もしいつもと同じ心を懐いて、艱難辛苦（かんなんしんく）をいやに思う心があれば、今、速やかに去るがよい。」
　妻は言った。「あなたはなんということをおっしゃるのですか。そもそも女子は一度嫁に行く時は二度と帰る道はありません。これをもって世間では「嫁（か）す」を「帰る」となしているのではありませんか。生家を一歩出る時にあたって、私の心はすでに決しています。あなたが水や火を踏まれるのであればともに踏みましょう。まして君命を受けて大業を成そうとすればなおさらです。これは私にとって幸いではありませんか。身を捨てて艱難辛苦に甘んずることなど、どうして言うに足りましょう。栄達や利益に走ったり、気楽に楽しむことを願うのは、君命がなかったとしても欲しない所です。あなたは決して心配することはありません。ともにともに野州におもむきましょう」と言う。
　先生は笑って言った。「お前の言うとおりだ。」
　ここにおいてことごとく田畑や家財を売り払っていくらかの代価を得た。一人子どもがいて弥太郎（後の二宮尊行）といった。年はわずかに三歳、これをたずさえて故郷を去り、東海道から江戸に出て、道程五十里、数日で野州芳賀郡（はがぐん）桜町に到着した。時に文政五年（実際には文政六年）である。
　始めて行く日、物井村を去ること一里余に谷田貝（やたがい）というところがある。名主のなにがしという者たち二、三人が谷田貝駅に迎え、地にひざまずいて声をやわらげ、喜んだ顔色で先生にこのように言った。「あなた様は小田原侯から委任の命を受けられて、破れ村の民を安らかにいたわろうとして、はるかにこの地に来られると聞きました。村民が喜ぶことは、赤子（あかご）が父母にまみえるようです。そこで私たちは、ずっと前からここに出て、あなた様が来られるのを待つこと久しくしておりました。遠路を歩いてこられ、そのお疲れは察するに余りあります。今後ただ願う所は慈愛を与えてくださることだけです。今少しそのお疲れをお慰めするため、少しばかりお酒とお肴（さかな）を用意いたしました」という。先生は喜んださまで言われた。「あなたたちの厚意は感謝するに余りある。君命もだしがたく、自分の愚かさを顧みないで、この地にやってきた。早く桜町に至ろうとする心だけで、途中の遅れを憂慮している。あなたが心を労する必要はない」と。

先生は言われた。「およそ口先だけで機嫌（きげん）をとろうと先にやってくるのは、必ず心のよこしまな人である。実直・清潔のものは呼んでも、たやすくは来ない。彼等は上（かみ）を欺き、下（しも）を貪り、自分の利益になるように一生懸命にはかる悪者である。私が到着することを聞いて、その罪があらわれることを恐れ、表面に実意を飾って人をあざむき、裏に私意を働かせようというはかりごとである。君命を受けてこの土地に来る者が数人いたが、皆、彼等の弁舌が巧みでねじけていることにあざむかれ、これを第一の善人と思って、到着した日から万事これと共に計画してきた。このために事はますます破れ、善人はこれを怨んで、悪人は自分の利益になるように専念した。どうして衰廃を興すことができよう。私はこのような表の飾りを取らないで、かれらの心の奥底を察したのです。あえて彼を退けるのでもなく、またかれらの術中に陥いることなく、善悪を明らかに弁別（べんべつ）して善を挙げて、よくできない者を憐れむという政治を広くゆきわたらせようとするのです。」と。
　ある人は大変に先生のくもりのない鏡のような知恵を感嘆した。

・第２集、第３集は絶版ですが、第1集で読書会等で輪読などされたい読書会等がありましたら、寄贈した図書館の本（「報徳記を読む」シリーズ）の奥付の連絡先が載っていますので、ご連絡ください。

令和４年２月26日現在
「報徳記を読む」第一巻全ルビ付原文、現代語訳、参考資料　（2014年3月発行）
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