近代民主主義のカルトな過去


個人の独立性が損なわれるという実態を見ると、カルトには、民主主義、近代市民社会とはまったく異質な傾向が目立ちます。

しかし、わたしたちが馴れ親しんでいる民主社会も、その誕生の頃に遡れば、カルトな一面が見えます。

明治の啓蒙家は西欧の各種人権思想を紹介し、いまでいう基本的人権を『天賦人権論』と呼びました。
福沢諭吉の『学問のススメ』では、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、といえり。されど…」と、天賦人権論を引用しながら、
これにつづけて、実証的な「学問」をしない人をバカにしています。(^^;

当時の人権思想も「天」や「造物主」に寄り掛かるところはいまどきのカルトと大差はないようです。
また、いくら自由を唱えても迷信に隷属するような人達には意味がありませんでした。

遅れて近代化を目指した国々では英仏の事情に明るい人々が先頭に立って祖国を強めるべく改革をすすめようとしましたが、東欧の東端、ロシアでは専制的な体制の下で「ナロードニキ」の運動が起きました。

この結社は「人民の中へ」という標語の下、都市中産知識人が農村部に散って啓蒙活動する、というものでしたが、政府の弾圧に抗して鉄の規律を守るために秘密結社として組織され、脱退の自由を認めず、加盟にあたっては秘教的儀式を執り行ったそうです。

前近代の末期のこととはいえ、こういうカルトな組織が「社会変革のために」組織されたことが、のちのち影響しました。ロシアの革命諸党派にこのやり方が受け継がれ、東アジアにも持ち込まれたのです。

いっぽう、、清朝中興の祖・康熙帝の時代、民間信仰の外被をまとって「反清復明」を目指す秘密結社が蠢いていましたが、これは漢人の王朝を回復しようとする民族運動の一種でした。
この伝統は「革命同盟会」に受け継がれ、民国革命(辛亥革命)を経て、周辺諸民族にも影響しました。

朝鮮の独立運動は、これらの影響下で「近代化」とは程遠い異質な要素を多く抱え込んで、今日に到るわけですが、
わが国も、神話的な天皇観・国家観を抱え込んでいて、同じく、近代化とは異質な要素に引きずられる傾向をはらんでいます。

ビョーキになるのは、彼ら、いわゆる破壊的カルト集団に限らないということです。


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: