列伝 松下幸之助


社会主義とは無関係、といえる。
たしかに、階級矛盾や疎外には関心が無いらしい。

しかし、天理教に入っている販売店のおやじに誘われて、天理市の建設のありさまを見て、信者たちの自発的な寄付と労働に目を見張った。

そして、
「われわれ産業人の使命も、水道の水のように物資を無尽蔵たらしめ、いかに貴重な物でも、量を多く生産し、無代にひとしい価格で世間に提供することや。 これによって貧乏を追放し、人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設する。 これが松下電器の真使命じゃ」
とぶちあげる。

昭和7年「水道哲学」を闡明したわけだ。純情な従業員たちは感激した。

こうして、地上に理想社会を築く、という運動の一環として大量生産が推進される。しかも、マルクスがいう資本主義的な「商品」ではなく、顧客の為になる、という目標を追求した。

むしろ、「全国の電化が祖国の社会主義建設を実現する」と唱えたスターリンのほうが電機メーカーの社長に見える。

日本は最も成功した社会主義国、ともいわれるが、業界を行政指導する中央官庁の功績ではなく、こういう経営者の下で可能になったのである。

振り返れば、
改良ソケットを発案し、独立したのは大正6年。
猪飼野(鶴橋)の借家で創業したのだった。

角型ランプを売り出すとき、商標を考えていて、新聞に「インターナショナル」という外来語があるのを、ロシア革命のことばやろか、と辞書を引き、
つぎに、「ナショナル」を引いて見て、これや、これやがな、と思ったという。

戦後、労働組合が出来て、社会党左派の加藤勘十が大会に招かれた。
ここに社主・幸之助も乗り込んで発言を求め、「真理はひとつ」と訴えて組合員から大拍手を受ける。加藤は、他の組合では社長は出席せず、代理も吊るし上げているのにと、驚き、その晩わざわざ自宅を訪ねて、感想を述べたという。

昭和26年渡米し、社会・企業の仕組みの違いに驚く。個人の才能を最大限引き出し活用するように作られているということに。
「民主主義ちゅうのは繁栄主義や、日本も真の民主主義になれば必ず繁栄する」と。
(…もういちど、やりなおしたいような。。)

昭和31年の発表会で「松下電器5ヵ年計画」を発表し、生産・販売を年率30%増加させると。
(ちなみに1956年は北朝鮮の「千里馬運動」が始まった年でもあったが。)
これは大幅に超過達成した。

昭和41年の元旦。飛行機の中で、
「… 午(うま)の年の元旦、午年生まれの僕を乗せた飛行機が空を飛んでいるのです。天馬(てんば)空(くう)を行く。…」
…と、大いに気を良くしたという。

<出典:「天馬の歌 松下幸之助」神坂次郎・著 新潮社・平成9年5月刊>


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