自然弁証法


自然界の諸物は本来備わっている性質に従って存する。人間は自然界に働き掛けるだけではなく、人間同士で働き掛け合って人間をも改造し、
自然のままの類人猿とみずからとを異なるものとした。

という見解。

中世以来のキリスト教的世界観(宇宙観・人間観)とは対立すると考えられている。

西洋の哲学には古代ギリシャのタレスやデモクリトス以来の唯物論があり、ルネッサンスを通じて発展し、フランス百科全書派を経て、マルクス、エンゲルスの自然観に到る。

人間社会を客観視して人為や主観を超えた法則を見出すこと、固定化させて見るのではなく絶えず運動し変化する性質に着目するところに意義がある。

ところが、西洋の神はゾロアスター教の影響の下で善・正義と一体視されるため、学問の障害になりがちだった。この結果、唯物論者が先に自然弁証法に辿り着いた。

一方、浄土門の仏教や神の超越性を強調するキリスト教宗派は、絶対者を世俗の善悪・道徳の上に置くため、人間界を客観視する余地が生じた。

ここから、絶対者への信仰を背景とする自然弁証法も成り立つに到っている。

※ 以下の「柳田國男」「清沢満之」の稿は、阿満利麿著「日本人はなぜ無宗教なのか」1996年筑摩書房刊を参考にしています。同氏は清沢を賞賛する立場であり、柳田に対する評価は私とは異なっていることにご留意下さい。


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