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朝から 真っ青な秋空が広かった。気温も 25℃と 爽やかな一日だった。朝8時半に 自宅を出て 京都に向かった。阪急・十三(じゅうそう)駅で 京都行き特急に乗り換えると もう行楽客で超満員であった。NZから来られた大学生のグループに話しかけたら 半数の学生さんは 日本語がとても上手だった。「烏丸駅」から徒歩で まず「六角堂」へお参りした。池坊宗家のお寺で 生け花関係の和服姿の女性で賑わっていた。10時になったので お寺を見下ろす隣のビルに上がった。6月に 新装開店した「グンゼスポーツクラブ・京都 烏丸六角店」に初めて行った。WAYAMA先生ラテン・エアロ 45分16名。満員と言っても 定員20名の 小さなスタジオで 天井も低く 照明のスポットライトが眩しかった。先生は 40才前位の男性であったが いざレッスンが始まると とてもリードが上手く乗せられてしまった。常連さんも高齢者が多かったが 皆さんと一緒に鼻歌まじりで踊った。コリオも 分り易く 三つのパートがスムーズにつながり 最後のクールダウンまで のりのりの振りで盛り上がった。アッと言う間に終わってしまい 大汗タラタラで気持ち良かった。経営不振の店舗を買い取り 改装したようだが 全体に狭く お風呂もなくシャワーだけであった。帰りに 10階のプールも見せて貰ったが 展望風呂のようで 狭かった。「中途半端やなー。」と 言うのが ジメさんの感想である。「烏丸御池駅」から 地下鉄・東西線で 18分 「椥辻(なぎつじ)駅」前の病院へ行った。先月 15日の RFL京都の前に見舞った 会社の同僚 F君が ジメさんの見舞い以降 反応を示すようになって来たと聞いて 嬉しくなって再度見舞った。確かに 顔色も赤みが出て艶もあり 唇も赤かった。両手をつないで 色々と昔話をして質問すると 左右の手を握り締めて答えてくれた。完全に ジメさんの言うことは 識別しているようである。目は見えないというが 眼球の動きは ジメさんの声を追いかけているように見えた。今日は 奥さんと会社の先輩も同席して下さったが 本人の反応スピードが速いと喜んで下さった。30分程 両手をつないで話しかけて「じゃーバイバイ。」と言うと 手首を動かして バイバイをしてくれた。核上神経障害症と言う難病指定を受けて 5年目、咽を切開し 胃ろう 人工肛門を着けて 寝たきりになって 丸2年と聞い。ジメさんが 1991年 肝臓がん手術で 一年半休職して 会社復帰した時 リハビリのため信州・妙高高原の温泉別荘に招待して世話を焼いてくれた親友が 少しでも希望の見えるようになるなら サポートをして恩返しするのは 当然である。また近々 機会を見つけて見舞ってやろうと思っている。また 地下鉄で「烏丸御池駅」まで戻り 三条柳馬場東入るにある「ギャラリー・吉象堂」へ行った。ジメさんの元勤務先の絵画愛好会の皆さん 18名が 明日 9日~14日まで「第8回 いのばんば展」を開かれる。毎年 最終日の打上パーティーに呼んで貰っているが 今年は「リレーフォーライフ岐阜」と重なったので 今日の搬入罫画の作業日にお邪魔して見せて貰った。それぞれに 解説をして貰い拝見したが 一年一年 皆さんの腕が上達されているのがよく分った。メンバーの中にも がんサバイバーが数人おられ「先日の新聞やテレビで RFL京都の様子を見たよ。来年は ぜひ一緒に参加するよ。」と 言って下さった。約1時間 談笑して 超満員の「錦市場」を通って 終点「河原町駅」から 午後5時に自宅へ戻った。明日の予定「エアロビックス & 次男 中国へ帰国」
2012/10/08
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今日は 雲が出てきたが 35℃の暑さが続いている。夕方になって 黒い雲が広がり雷が鳴り出して 6時半からかっきり1時間 激しい夕立が降って止んだ。久々の恵みの雨で 一息ついた。今日は 広島が被爆してから 67年目の原爆の日の式典が行なわれた。ジメさんも 1968年春から 広島に転勤し 5年間を過ごした。ご近所の方や お取引先の中にも 被爆体験者が多くおられ 大変な苦労をされている姿を見た。そして 被爆当時の体験談もよく聴きに行った。原爆資料館の写真も惨いが 体験談の方が はるかに生々しくて 原爆の怖ろしいことを感じた。ある女性のお話は 「父母と家族5人が即死し 小学生の自分一人だけが生き残ったが 家族は黒こげで誰が誰かも分らなかった。自宅の前の電車道に あちこちからトラックで運んで来た死体が積み上げられ 兵隊さんがガソリンをかけて遺体を焼いた。この中に 自分の家族がいる 一緒に死にたいと火の中に飛び込んだが 助けられ死ぬことが出来なかった。今 この原爆の悲惨さを語り継ぎ 若い人たちが二度と戦争はしてはいけないと考えて貰うのが 私が生き残った使命だと思っている。」今日も テレビで式典を見ながら 黙祷を捧げ 息子夫婦と孫に この話を聞かせた。 そして 1971年1月に ジメさんは 甲状腺がんで入院した。当時は がん告知も無かったが 入院した病院が「広島大学原爆放射線医科学研究所」の付属臨床外科であった。退院してから近所の方から聞かされたが「原医研」に入ったら 生きては戻れない あの新婚さんは気の毒だと 奥さんと赤ちゃんの顔も見れなかったと。事実 入院患者は大部分が被爆者であり 入院中にも同室の方が数人亡くなられた。ジメさんも 医師から最初に「被爆経験者ですか?」と聞かれた。原爆の体験は無いが 高校三年の時 リンパ性結核(いわゆる瘰癧)に罹り 神戸の病院で 一週 3回 6ヵ月間の放射線治療を受けたことが 16年後に 甲状腺がんになったことを 退院の時に説明を受けた。広島転勤となって 命拾いしたが チェルノブイリや スリーマイル島の原発事故の後遺症を見ると 福島県で被爆された方や 事故現場の作業員の方々のことが とても心配である。今夜 午後8時~「NHKスペッシャル・黒い雨 67年目の真実」が放送される。1万3千人の被爆者データーが出現、放射線と病気との関係は?、調査をめぐるアメリカの思惑は?ロンドン五輪のテレビは一休みして 見る価値はありそうだ。次男夫婦は 7月から改正された「外国人在留制度」の手続きのため 大阪市北区役所と伊丹市役所へ出かけた。孫は 2階のクーラーの涼しい部屋にこもって 宿題をしている。今夕は「英語塾」がある。お昼前に「グンゼつかしん」へ行った。OHSHIMA先生ラテン・エアロ 50分53名。新しいコリオが始まったので 戸惑った。やはり リズムの取り方が合わず カウントが遅れがちである。先生が目の前に来られ 手本を見せて下さるが 腰のフリフリに気をとられてしまう。必死で着いて行ったので 冷や汗混じりの大汗が吹き出した。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/08/06
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お昼に 一時小雨がパラついて とても蒸し暑い一日だった。今夜半から また激しい雨になるようである。今日は「グンゼ・スポーツつかしん」は 月1回の第二水曜日の定休日であった。午前中に ヨメさんと一緒に 義母の入院見舞いに行った。昨年6月に 介護ホームへ入り 1月末に転院して 早 一年になった。義母は 96才であるが もう自力では 身体を動かすことも出来なくなり 鼻からのチューブで栄養補給して 殆ど眠っているが こちらの呼びかけは分るらしく「ありがとう。」と弱弱しくつぶやいていた。お世話の看護師さんたちに感謝のことばを伝え 15分ほどで病室を出た。この長雨で 庭の樹木も葉が茂ってが 同時に 雑草もよく伸びた。建物の北側 台所から 浴室 玄関までの通路は 飛び石のレンガを置いただけなので 雑草がぼうぼうである。いづれ雑草を抜く作業も出来なくなると考え 病院の帰りに ホームセンターへ寄り 30cm角のレンガ・タイルを 60枚注文した。これを敷き詰めてしまえば 雑草が茂ることも無いだろうと横着なことを考えている。7月より 伊丹市の中心部に「伊丹市立図書館・ことば蔵」がオープンしたので 今日 午後から 初めて行った。猪名野神社の宮前通りの一角に 地下一階地上四階建てのモダンな建物である。オープン書棚で 読書スペースも明るくて広々としていた。同じ町内に住んでおられる 田辺聖子さんと 宮本 輝さんの 特別コーナーもあった。また 二つの自習室は 学生さん達で満員であった。「文芸春秋」を 半分ほど読んで なでしこジャパンのテレビに間に合うよう帰宅した。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/07/11
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朝から しとしとと梅雨が降り続いている。気温も 23℃と肌寒くなった。近畿地区は 今夜半から 雷を伴う大荒れの天候と予報が出ている。注意しましょう。今日は 夏至で 一年の内で昼間の時間が一番長い。近畿では 日の入りから 日の出までの時間は 40%の9.6時間であり これから段々と 夜が長くなる。今日は 先週受けた血液検査の結果を聞くため 朝8時半に阪大病院へ行った。大雨のせいか 院内は静かで 主治医の順番待ちも ジメさん一人であった。9時丁度に 先生が見えて パソコン画面を開いて「はい 数値は全て基準値以内。これならいつでも手術出来るよ。」「次回は 11月22日診察予約。その直前にCT検査やりましょう。」で5分もかからなかった。次の患者さんも見えなかったので 先生は「先週預かったRFL芦屋のチラシとポスターは指示しておいたので 事務局の手続きが済めば 近々掲示されるから。」「RFL芦屋も6回目なんだね。しっかり続けている間は 再発しないようだから 頑張りなさい。全国にも広がって 沢山の方が元気になれば 医療者も喜ぶよ。」と 激励して下さった。先生の白衣の襟に グリーン・リボンのバッチを見つけて「先生 それは何ですか?」と 尋ねたら「臓器移植支援ネットワークのシンボルバッチだよ。」「先日の富山大学病院での 児童の脳死判定臓器移植で注目されて 学会も忙しくしている。」と 現状と今後の問題点をお話して下さった。「先日のは 阪大病院は 女児への心臓移植で まず成功と思うが 消化器外科でも 肝臓 腎臓 すい臓 小腸の移植を希望して登録している患者さんは沢山おられるが 臓器提供が少なく順番が来ないので困っておられる。」「ジメさんが死んだら提供しましょうか?」「ガイドラインでは 心臓は50才以下、肺は70才、腎臓は70才、すい臓は60才、小腸は60才以下ですから 君は 来月で73才になるから まずダメです。君は 兵庫医大に献体登録しているから そっちの方でお役に立てるから いいじゃないか。」と 笑顔で色々と教えて下さった。次の患者さんが見えたので 9時20分に診察室を出て 会計を済ませ スタバでコーヒーを飲み 11時に 自宅に戻った。「社・日本臓器移植ネットワークのHP」を見ると 過去の実績や 待機中の臓器別患者数 手術の出来る病院などが詳しく出ている。また その中の「臓器移植Q&A」は とても分り易く説明されているので ぜひ一度読んで下さい。「グリーン・リボン検定」のクイズに答えて行くと 臓器移植について色々と勉強が出来ます。全問 正解すると「グリーン・リボン・バッチ」が 送られて来るみたいです。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/06/21
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今日は 一日中 雲に覆われて 気温も26℃で 大変蒸し暑い一日だった。今夜半から 天気が崩れ 大荒れになるようだ。午前中に TIP塚口へ行った。EAST先生ベーシック・エアロ1 Walk 40分55名。元気な高齢者で 超満員だった。邪魔をしてはいけないので 最前列右端に立って 自分なりに 正確に大きく動くことを心がけたので 大汗が吹き出して とても気持ち良かった。今日 富山大学病院で 脳死判定を受けた 6才未満の男児の臓器は摘出されて 直ちに 阪大病院初め 三つの病院で 患者に移植された。男児のご家族のコメントを読むと 真に「命のリレー」であり その英断に敬意を表したいと思う。これを機会に 法律に合わせた脳死判定と臓器提供が理解を得て 普及することを願っている。もちろん ジメさんも 健康保険証と 自動車運転免許証の裏面の臓器提供意思表示にサインをしている。「東大病院 組織バンクの 脳死とは」「日本臓器移植ネットワークのHP」の 過去の記録によれば 移植数776に対し 生存数692であり 最近の事例で 病院名も公表されている。一方「日本移植支援協会のHP」の レシピエントの近況には 主として アメリカの病院で移植を受けた方の実績と 現在 待機中の患者さんの情報が出ている。アメリカに渡航して 臓器移植を受ける場合は 約一億円の費用が必要であり 募金活動もされている。ジメさんも つながりがある方 数人の募金活動を手伝ったが 皆さん 元気になって帰国され 今は日常生活をしておられるのは とても嬉しいことである。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/06/15
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台風通過の影響で 青空が広がり 気温も26℃まで上がり暑い一日だった。午前7時過ぎから始まった 金星の太陽面通過を見たが 日食眼鏡を使っても小さくて分らなかった。インターネットで 岡山天文台のライブ中継では とても鮮明に写っていた。お昼過ぎに TIP塚口へ行った。KURICHAN先生アドバンス・エアロ MAX 60分43名。先週は ハワイ旅行で代行だったが 今月の新しいコリオが始まった。初めは とても難しく思ったが 段々と着いて行けるようになる。四つのパート それぞれに特徴があり スタジオ四方向を廻って 元の位置に戻る。最後は連続で がんがん走った。皆さん 余裕の笑顔である。必死で着いて行ったので クールダウンに入った途端 滝のような大汗が吹き出して とても気持ち良かった。「肝がん撲滅フォーラム市民公開講座」主催:日本肝臓学会・阪神肝臓病治療研究会日時:6月16日(土) 13:00-16:00会場:兵庫医科大学 平成記念会館(阪神電車 武庫川駅下車 徒歩5分 TEL 0798-45-6111)講演1:「B型肝炎について」 兵庫医大 齋藤正紀先生 2:「C型肝炎について」 兵庫医大 榎本平之先生 3:「肝癌の治療について」兵庫医大 藤元治朗先生 4:「Q & Aコーナー」受付:申し込み不要 当日会場受付 参加費無料ジメさんが 1991年 初めて肝臓がん手術を受けた頃は 5年後生存率7%と 肝臓がんは がんの中でも一番難しいと言われていた。1997年 2002年と 肝臓がん手術を受けたが 医学の進歩は素晴らしいと実感した。最近では 早期発見すれば 手術をすることも少なく ラジオ波治療や インターフェロン ビリバリン等の化学治療で治る確率が高くなったようです。しかし 肝臓は沈黙の臓器と言われるように 知覚神経がないので 余り痛くならず 痛みを感じた時は 相当 進行している場合が多いのです。最近 B型 C型の肝炎は非常に増えていますので 肝臓がんに進む前に ぜひ検査を受けて見つけて貰って下さい。明日の予定「スポーツクラブ定休日」
2012/06/06
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朝は 良く晴れていたが 正午前後と 午後5時前後に 突然空が黒くなり 激しい雷と 横殴りの強い雨が降った。姫路では 雹が降ったり 和歌山では 竜巻警報も出たようだ。明後日にも 今日のような 異常天候になると予報が出ている。雨が止んだので 午後から TIP塚口へ行った。YUMI先生ベーシック・エアロ2 Walk & Jog 45分17名。雷雨のせいか スタジオは空いていた。今月最終のレッスンで コリオも完成した。最後の通しでは 連続でがんがん動いたので 気持ちの良い大汗をかけた。お風呂を済ませたら また雨が降り出した。自転車の傘は役立たず アッと言う間にずぶ濡れになってしまった。明後日 5月31日は WHO制定の「国際禁煙デー」である。喫煙は がん罹患のリスクが 30%高くなると言われ 各自治体でも 禁煙条例が強化され 公共の場所での喫煙が禁止された。しかし 最近 様子が変である。小宮山厚生労働大臣の「たばこ増税」発言も 反対派に押しつぶされたと思ったら 各自治体の禁煙条例も骨抜きになって来た。一時 全面禁煙となっていた 市役所や駅などの公共の場でも 立派な分煙喫煙所が設置されたり飲食店でも 喫煙席が指定する 逆戻り現象が出ている。また 新聞広告や テレビCMも復活して来た。女子バレーのユニフォームに「JT」のロゴが入り 番組のスポンサーにもなっている。マスコミも お金に弱いのか 喫煙の害についての論調が弱くなってしまっている。たばこは 嗜好品だから個人の自由と言うが 間違いなく「死向品」であり 若い頃から ニコチン中毒漬けになるのは 絶対に止めて欲しい。明後日は 西宮市保健所の呼びかけで 午前9時半 阪急・西宮北口 高松公園から 西宮市役所まで 吸殻拾いをしながら 禁煙を訴えてウォークするイベントに参加する予定である。明日の予定「ヨメさんの退院 & エアロビックス」
2012/05/29
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朝から 良く晴れて 気温も25℃と また暑くなった。今日から 放し飼いであるが 洗濯 掃除 朝食と いつもの通り 手短に片付けた。お昼に TIP塚口へ行った。KOTOMI先生ミドル・エアロ Jog 50分28名。今月 最終週のレッスンとなり コリオも完成した。先週は休んだので 少し戸惑ったが 何とか着いて行けた。最後の連続通しでは 皆で声も揃って 楽しく動き とても気持ちの良い大汗がかけた。先生達のグループは 7月の ラスベガスの世界大会に出場されるが その壮行イベントが 6月17日 新在家・サザンモール六甲で開かれると案内があった。丁度 その日は 石屋川・酒心館ホールでの「RFL芦屋・チャリティーコンサート」があるので 夜は レッスンを受けに行こうと思う。レッスンの後 すばやくシャワーを浴びて すぐ阪神尼崎駅行きのバスに飛び乗り「尼崎商工会議所ホール」へ行った。今日は 長尾クリニック主催の「第9回 生と死を考える市民フォーラム」にがあり 100名の定員に立ち見が出るほどであった。「他では聞けない がん医療の本音と建前」と題して まず「県立西宮病院化学療法センター長 楢原啓之先生」の講演があった。楢原先生は 「広島大学医学部」で 日本で最初のがん専門医講座を開設された教授として有名であるが まだ47才の若さで退官され 県立西宮病院へ来られた。講演に続いて 「長尾クリニック・長尾和宏先生」との 対談形式でのお話があったが 芦屋市民病院時代は 長尾先生が上司だったとのことで「がん患者さん主体のがん医療を目指して」を テーマに 言葉に衣着せぬやり取りで 大変分り易く 笑い声の絶えない対談であった。長尾先生は「日本尊厳死協会」の関西支部長もされているので「リビング・ウィル」についての案内もされた。講演会 終了後 お二人の先生に「リレーフォーライフ芦屋2012」のチラシを渡して協力をお願いしたら 楢原先生は RFL広島に参加したことがあると理解をして下さった。勿論 長尾先生も 以前から仲良くして頂いているので 院内での掲示を了解頂いた。バスで 塚口まで戻り 自転車で自宅に戻った。5月31日(木)は WHO制定の「国際禁煙デー」である。「西宮市保健所所長 ビンビンピンクの 薗 潤先生」から「禁煙ウォーク」の案内があった。当日 午前9時30分 西宮北口の高松公園(県立西宮芸術文化センター前)から 西宮市役所まで 吸殻拾いをしながら 「禁煙」を訴えてウォークをし 12時にゴールする。ジメさんは 参加しますので よろしければ一緒に歩きましょう。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/05/26
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終日 曇りがちで 暖かい一日だった。今日は エアロの鞄を持って 家を出たが ヨメさんの病院付き添いが長引き 結局 TIP塚口には行けなかった。ヨメさんは 5月1日 朝食後 いつも服用している 治療薬8錠の内 高コレステロール剤「リバロ錠」1錠だけ プラ包装のまま飲み込んでしまった。慌てて 大量の水を飲んで トイレで吐き出そうとしたが出なかった。次男が 3才の時 10円玉を飲み込んで 開腹手術と言われたのを拒否して 8日目に 排便で出て来た記憶があったので そのまま 映画を見るため梅田へ出掛けてしまった。それから一週間 毎日 繊維質の多い野菜料理の食事に付き合わされたが 昨日から「どうも まだ胃の中にひっかかっているような気がする。包装の角が当たってチクチク痛い。背中にまで痛みが走る。」「ワーファリン飲んでるから 出血したら止まり難いのでは?」と 気になって仕方が無くなった。今朝 朝食抜きで ホームドクターの診察を受けて 胃のレントゲン撮影をしたが 何の影も写らない。ドクターが製薬メーカーに電話で確認したら「包装のプラスチックは レントゲンには写りません。」とのことで 紹介状を書いて貰った。「近畿中央病院」へ電話したら「救急車で来られますか?」「いいえ 自転車で行きます」 その割には 待合室で 1時間待たされた。消化器内科の女医さんが「何で その日に来なかったのですか?普通のお宅なら 救急車呼ぶのが当然でしょう。」と ジメさんまで叱られた。「最近 認知症のお年寄りに多いのですよね。胃カメラで検査しましょう。」緊張を解くための点滴で 30分待って 胃カメラ検査を受けた結果説明があった。「包装剤は見つかりませんでした。食道も胃壁も 傷や炎症の跡もありません。ただ 胃にポリープが三つほどあるので これは一年後に診て 大きくなっているようなら その時同時切除しましょう。」「包装剤は もう腸の方へ行ったのでしょうか?」「ご心配なら 腹部CT検査しましょう。」と また30分待たされた。CT撮影を済ませて 外来診察室へ戻り 女医さんは モニターを見ながら「やっぱり レントゲンに写らないものは CTでも写ってませんね。便秘すると出ませんので 下剤を処方しましょう。どうしても痛くなって我慢出来ない時は いつでも来なさい。」会計で 12,000円支払ったが 税金の無駄遣いと叱られそうだ。結局 調剤薬局で 30分待ったが その薬剤師さんが 自宅裏の奥さんで「大変ですね。」と慰められたのは 午後2時だった。腹ペコ夫婦は 途中 ファミレスで 昼食しながら「先に ボケたもんが 勝ちやな。」と笑って 午後3時に帰宅した。親切なホームドクターに報告に行ったら「それより 今日の心電図を見たら 狭心症の方が危険ですよ。」と 脅された。ヨメさんは 4月の阪大診察でも「出来るだけ早く処置した方が良い。」と 勧められていたが「夏休みに 孫達の面倒を済ませてから。」と 9月初めの入院を予定していたが「お腹の包装剤で 命落とすことは無いけど 狭心症の方は 命取りになるかも?」と 慌てて阪大病院へ電話して 来週 火曜日の診察予約をしていた。自宅へ戻り PCを開けたら 仙台支店でお世話になった上司が GW前に亡くなったと訃報が入っていた。すぐ 名古屋の奥様にお悔やみの電話を入れたら「一年前に 肺がんが見つかり 78才でした。それまでは病院に行った事も無く 元気でゴルフもたのしんでいたから 寿命ですよ。ジメさんも 楽しんでね。」と 逆に励まされた。にんげん 皆 自然に年を取り 必ず 死ぬことを再認識した一日であった。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/05/07
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朝から 良い天気となり 気温も15℃まで上がった。桜の花も一気に咲き出し 庭の樹木も新芽が吹き出した。今日は スポーツクラブも定休日 孫の忙しい計画にお付き合いした。午前中 ホームワークをしていた孫は 昼食を済ますと 近所の友達と公園で走り回っていたが 昨日 イオンモールで購入した「ベイブレード」が 赤外線のビームが動作しないと困っていた。ジメさんが もう一度 取説を見ながら 電池を入れなおし 動作ボタンを操作しても ダメだった。「みんな 中国製品は すぐ壊れると言うけど 日本の玩具は最初から 壊れているじゃないか?」「バンダイと言っても Made in China だよ。」納得の行かない孫に付き添って イオンへ 現物とレシートを持って行った。レヂのオバちゃんたちも 故障の判定も出来ず 困っていたが 孫は「もう一度 最初からセットするから・・・」と 実演したが 本当に動かない。結局「同じ商品が もう一つだけ在庫があるから 交換します。」と なった。「もし 家へ持って帰って また ダメだと困るので ここで動くかどうか 確認して下さい。」3人のオバちゃんは「こんなん 電池の入れ方も分らないから ボク やって見て・・・」と 乾電池とドライバーを持って来た。孫は「包装 破っていいですか?」と 確認した上で 電池をセットして ボタンを押したら ブレードが くるくると廻った。「有難うございました。」と 嬉しそうにお礼を言って帰って来た。帰り道 孫は「自分の小遣いで 自分で買ったのだから 当然でしょ。でも やっぱり 日本のイオンは 親切だね。中国のお店なら 言い争いになるだけで 絶対 交換なんかしてくれないよ。」やっぱり ちょっと 日本の小学5年生とは 違うようである。一昨日の暴風雨で 孫の通う塾から 中止になったクラスの補習をしますと連絡があり 孫は 夕方に塾へ出掛けた。日曜日に 中国へ帰国するが 前日の土曜日 ぎりぎりまで補習を受けることになった。塾の先生から 夏休みも ぜひ夏期講習を受けて欲しいと 頼まれているようだ。ジメさんは「健やかに生きる権利と 安らかに死ぬ権利を 自分で守る。」と 言う主旨に納得して「日本尊厳死協会」に 夫婦で 年間3,000円の登録料を払っている。昨日 その機関紙「リビング・ウィル4月号」が送付されて来た中に 現在 登録している12.5万人の内 昨年一年間に 死亡退会届を提出された 929人のご遺族に「尊厳死の宣言書(LW)」が生かされたかどうかをお尋ねしたアンケート結果が掲載されていた。(HPにも 一部掲載されています。)LWを「医療側に提示した。」は 約83%と 会員が自分の希望を家族に伝えておき 家族も含めて医療側に積極的に伝える姿勢がうかがえる。また 提示された人の内 90%の方が「最後の医療に生かされた。」と答えておられる。医療側の受容体制も整って来たように思うが 中には 宣言書を提出したら「それでも娘か!」と 医師から罵倒されたケースもあるようだ。にんげん 誰でも必ず死ぬのですから 時間のある内に考えておくのが大事だと思います。ジメさんは 日本尊厳死協会・関西支部長をされている 尼崎市の「長尾クリニック」の長尾和宏院長の「Dr.和の町医者日記」を お気に入り入れて 毎日読んでいます。厚労省や 医師会の協議会の委員もされており 毎日 色々と興味のある記事を書いておられます。最近 日本ブログ村の「医療/医師ブログ」「病院/診療所ブログ」部門で 閲覧数トップをキープされています。他の医療者も 沢山 ブログを書いておられますので 一度 ご覧下さい。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/04/05
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朝から 曇りがちの空であるが また 今夜から雨が降るようだ。気温も 11℃と 暖かくなって来た。ヨーロッパや 北米では 急に 20℃を越える気温が続いており 桜も満開となっているようだ。午前中に TIP塚口へ行った。AKIKO先生ベーシック・エアロ1 Walk 40分58名。金曜日の このクラスに初めて入ったが 超満員で驚いた。先生とお会いするのも 5年ぶりで 少し若返られたように思った。コリオも 基本的ステップで簡単であったので 大きく動いたので いい汗をかけた。午後から 公民館「いたみラスターホール」の登録団体代表者会議に参加した。年度末を迎え 来年度の登録更新と 決算/予算の提出について説明を受けた。3月末で ジメさんは 12年間続けた 英会話サークル「L.E.E.」を退会することになったので 新しく代表を引き受けて下さった Kさんにも 同行して貰って 引継ぎに万全を期した。天国へ行くのも なかなか難しい時代である。96才の義母を見舞いに行くと 鼻に入れたチューブから 栄養液を入れて 何も食べられない。ベッドに横たわったままで 自分では 身動きも出来ない。話しかけても よく分からず すぐ眠ってしまう。入院した時より また細くなったが 肌もつやが出て まだまだ元気である。そんな義母が 同室のおばぁちゃんが 自分より年上で寝たきりであることを ちゃんと知っているので驚いている。補聴器も外しているのに 看護師さんや ご家族の話に聞き耳をたてているのであろう。そして「わたしの方が 元気だから まだまだ長生きするかも・・・」と ぼやいている。入院の時に「胃婁や 人工呼吸器などの延命治療はしないで欲しいと 本人が言っていた。」と 医師に伝えてあるが この先 何年生きるのかは 誰にも分らない。長寿社会と医療の進歩で 逆に 延命治療による 植物状態で生き長らえてる老人が増えており 法律と倫理のはざ間で 天国へ行くのも難しいものである。ジメさんは がんになったおかげで「日本尊厳死協会」に登録し 意志表示カードを持っている。そして その事を 息子達や家族にも よく頼んである。13日の読売新聞の記事で「島根大学病院」が 入院に際し 延命治療を拒否できる意思表示の「事前要望書」を 患者さんから 提出して貰う制度をスタートしたとあった。島根大学病院の中に 「日本尊厳死協会」が 出来たようなものだ。厚生労働省や 全国の病院 医療側に段階的に波及すると思うが 患者・家族も よく勉強しておくべきだと思う。尼崎市の「長尾クリニック・Dr.和の町医者日記」も 参考にして下さい。明日の予定「イージェット 島田妙子さんの講演会」
2012/03/16
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午前中は 曇っていたが 午後から 良い天気となった。朝の気温は 5℃、お昼には 10℃となって 少し暖かくなった。今朝は 8:25 阪大病院外科受付 一番乗りであったが 8:40に 主治医に セカンド・オピニオンに来られた一家があり 30分待ちで 診察となった。診察と言っても 脈を取るわけではなく パソコン・モニターを開いて 一週間前の血液検査結果は 赤点滅は無く 1分で終わった。10年前の今日は 手術の後 まだ入院中であった話になり 先生は「そろそろ 3ヵ月毎の採血から 半年に1回の採血とCT検査にするか?」ジメさん「CT検査は 採血で腫瘍マーカーが動いてからで いいのとちゃいますか?検査料も高いし?」先生「でも器械の割り当ても あるしなぁー」ジメさん「先生のお顔も見たいし 採血は 今まで通り 3月に1回、CT検査は 1年に1回で どうですか?」先生「じゃー それで行きましょう。」で 手打ちとなり 5分で終わった。会計で 470円支払って 入退院用のパーキングに出ると タイミングよく Yさんのマイカーが入って来た。Yさんは 昨年のRFL稲沢と芦屋で 一緒した。抗がん剤治療の中休みと聞いたので 半年振りにお逢いすることになった。高校と中学生の二人のお子さんの 卒業 受験が重なり 話し合いの上 治療を中断されており 春休みが済んだら また再開されるとのことである。おでこのつやもよく コーヒーを飲みながら 笑って話をしていたら 回りからは 二人ともとてもがん患者には見えないねと 楽しい時間であった。今年も 体調を整えて またRFLで逢おうと 固い握手を交わして 千里中央駅まで送って貰い 12時に 自宅へ戻った。入れ替わって ヨメさんが 心臓冠動脈のCT検査が 夕方にあるので 阪大病院へ出掛けて行った。「地球一周の船旅・ピースボート」から 5月から 新しいチャーター船「オーシャン・ドリーム号」の 船内見学会の案内が届いた。4月28日 福岡港4月30日 神戸港5月 2日 名古屋港5月 5日 横浜港入場無料であるが 事前の申し込みが必要です。上記をクリックして ホームページから申し込みして下さい。明日の予定「公民館サークル代表者会議」
2012/03/15
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今日も 良い天気となったが 風は冷たく 最高気温は 5℃であった。本日 天皇陛下は 東大病院で 心臓冠動脈バイパス手術をを受けられたが 順調な経過で ICUへ戻られた。夕刻から 医師団の記者会見が開かれたが その医師の一人が「リハビリをされて 自分で歩いて退院されて 初めて手術は成功なのです。」の言葉は印象に残った。これで陛下も ジメさんと同じ 東大病院卒業生である。暖かくなったら きっとテニス・コートに復帰して下さると期待している。夕方に TIP塚口へ行った。土曜日で スタジオも ジムも超満員であった。今日は トレッド・ミルを少し傾斜を上げて 1時間 5km歩いた。負荷をかけたので ビックリするほど大汗が流れて気持ち良かった。ウォーキングをしていると 隣から「ジメさん カムバック おめでとう」と 声がかかった。「兵庫県禁煙問題研究会」副会長 禁煙漫才ピンピンピンクの薗 潤先生であった。塚口町にお住まいで TIP塚口のメンバーさんだとは聞いていたが ジムでお逢いするのは初めてであった。5月31日の「世界禁煙デー」に 神戸でゼミナーがあると案内を受けた。第2回「近畿中央病院公開講座・乳がんのことをもっと知ってみませんか?」2012年3月3日(土) 午後2時~ (2時間程度)つかぐちライスクホール(阪急・塚口駅前 いかりビル塚口4階)TEL 06-6422-4147当日受付 先着300名・参加無料詳しい演題と講師は 上記を クリックして下さい。明日の予定「トレーニング」
2012/02/18
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今日は 雲の多い一日であった。朝は 冷え込んだが 日中は 気温も上がったが 夕方には 小雨がパラついて来た。鎮痛剤の服用を再開したので すこし肋骨の痛みは和らいだ気がするが 立ち上がる時には 痛みが左足のふくらはぎからつま先まで ビーンと走る時がある。今日は 自治会の消防訓練も休ませて貰い テレビを見たり パソコンを開いたりして おとなしくしていた。夕方に TIP塚口へ お風呂会員で出掛けた。ゆっくりと入浴して サッパリと気分も良くなった。今回は 決して無理をしないで おとなしくしていようと思う。明日の予定「特になし」
2012/01/28
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今朝は 最低気温0℃まで冷え込み 初氷も張った。天気は良くなったが 北風は冷たく 最高気温6℃までしか上がらなかった。日本海側では 大雪が降り続いているようだ。今朝 孫たちは 早くから起きて 荷物をまとめ 朝食をすませて 午前7時半に家を出て 伊丹空港から 北海道・千歳空港に向かった。次男の 久しぶりのレンタカー運転 しかも雪道・凍結路なので 事故の無いことだけを祈っている。今日は スポーツ・クラブは 定休日なので お風呂も行かずに テレビの国会中継をみて 時間を過ごした。ところが ごく普通の姿勢で 電気カーペットのスイッチに手を伸ばした途端 脇腹にコックンと響いた。夕方になると 立ち上がったり 座ったりすると ひび入りの部分に痛みが走り 咳をすると猛烈に痛みを感じるようになった。一昨日から 外していた湿布をまた貼って 腹帯を締めているが 痛みはますますひどくなって来た。今夜は 暖かくして 早めに寝ることにする。明日の予定「整形外科へ?」
2012/01/26
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久しぶりに青空が戻り よい天気となった。気温も お昼には 10℃となり 寒さも和らいだ。昨夜寝る前 11時にお風呂に入ろうと思って 裸になって浴室へ足を踏み入れた途端 足が滑って転倒した。入口の段差の角で 左わき腹を思い切りぶっつけて 倒れこんで起き上がれなかった。物音に驚いたヨメさんが2階から降りて来てくれて起こしてくれたが 痛くて声も出なかった。わき腹の肋骨のところが 赤く腫れて押さえると 飛び上がるほど痛かった。取りあえず 湿布を貼って ベッドに入って寝たが とうとう朝まで眠れなかった。朝一番に 近所の整形外科へ行き レントゲン撮影と診察を受けた。左わき腹の一番下の11番の肋骨に 約2cmのひびが入っているとの診断であった。湿布をして 腹帯で固定して 飲み薬を貰って帰宅した。先生から「頭を打たなかったのは幸いだった。2週間で治るでしょう。エアロは禁止して 1週間はおとなしくして また来なさい。」以前のカルテに 毎日エアロを続けていると書いてあった。今日は 友人と一緒に 「ひゅうごメモリアル・ウォーク」に参加する予定であった。早朝に 電話をしてお断りをした。いつまでも若くて体力もあると思っていても 身体は正直に加齢していることを思い知った。当分 おとなしくして 2週間後には エアロを再開したいと思っている。退屈だったので 所得税申告のための医療費控除の集計整理をした。昨年度は 春のヨメさんの心臓カテーテルの入院と 夏のジメさんの帯状疱疹の入院があったので 二人合わせて 37万円の支払いであった。例年の2倍になったが 何とか医療費の削減に努力しなければならないと思っている。明日の予定「特になし」
2012/01/17
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今日も 雲の多い 寒々とした一日だった。昨夜 就寝前に いつもの通り 歯間ブラシを使っていたら 針金の部分が折れて 左奥歯に挟まったまま 取れなくなってしまった。過去にも 何度かあったが 爪楊枝などで取れたが 昨夜は だめであった。舌に チクチクとひっかかるので このままでは 危なくて寝れないと思った。先に 寝てしまったヨメさんを起こして 懐中電灯で照らして ピンセットで挟んで取って貰った。ヨメさんは 寝入りばなを起こされたので ご機嫌斜めだったが 昔 仙台での大騒ぎのことを話したら「お互いやね。」と 笑って寝てしまった。今から 30年ほど前の 仙台のマンションの夜であった。深夜 寝ているジメさんを ヨメさんが足で蹴飛ばして起こした。ヨメさんは 口を空けたまま 口を指差して 何だか訳の分らぬことをわぁわぁ言っていた。大変痛いようで よだれと涙を一緒に流していた。初めはわからなかったが ジメさんは 人間の顎が外れたのを始めて見た。真夜中であつたので 119番に電話をして どこの病院へ連れて行けば良いか 探して貰った。1時間ほど待って 消防署から電話が来て タクシーを呼んで 柔道整骨師の所へ行った。先生は ヨメさんの背後から 肩に跨って 頭と顎に手を掛けて 顎をぐぃと引き上げたら「カクン」と音がして 顎の間接が元に戻った。「就寝中に 大きなあくびをしたのだと思うよ。」と 先生は笑っておられたが ヨメさんは「眠っている時は あくびしたかどうかも分らないでしょう。」と 泣き笑いしていた。先生は「一度 顎が外れたら くせになる。」と言われたが おかげで たった一回の経験で終わった。その時の ヨメさんの情け無い表情を思い出して 昨夜は しばらく寝付けなかった。お昼前に TIP塚口へ行った。NORI先生ベーシック・エアロ2 Walk & Jog 45分29名。ジメさんは 今年初めて 先生のクラスを受けた。最初は 難しいコリオに間誤付いたが すぐ追いついた。思い切り 大きく動けたので とても気持ちの良い大汗がかけた。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2012/01/15
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今日も 良い天気となり 風も無く 穏やかな一日だった。病院へ行こうと思い 家を出たら 隣家の甥っ子が 丁度 マイカーで出勤するとこだった。「おっちゃん 阪大病院なら 送るよ。」と 便乗させて貰ったら 20分足らずで 7:40に病院に着いてしまった。1時間待って 8:30 外科外来受付 1番だった。9:00に 主治医の診察が始まったが モニターを開いたら 赤点滅があったので驚いた。先生は「コレステロール値 上限220のところが 223で 赤点滅になった。阪大のコンピューターは 正直やな。私なんか もっと高いから 心配いらんよ。CT画像も 問題なし。」と 次回 3月15日 血液検査予約を入れて 5分間で終わった。会計も 待ち時間無しで 470円 支払ってお終いだった。エアロのかばんを持参したが 余りにも早すぎるので モノレール 市バスを乗り継いで 一旦 家に戻った。お昼に TIP塚口へ行った。NORI先生ミドル・エアロ ダイナミックWalk 50分23名。2週目となり 新しいコリオもほぼ完成した。ウォーム・アップだけで 大汗が出て来た。先生が Tシャツを脱いで TOPSになられて 側に来られると ジメさんとしては 張り切らざるを得ない。先生に 負けじと大きく動いたので 滝のような汗が吹きだし とても気持ち良かった。今夜は 「いたみホール」で 「伊丹笹原ライオンズ・クラブ」主催の「陸上自衛隊第3音楽隊 クリスマス・チャリティー・コンサート」に ヨメさんと出掛けた。このコンサートも 今年で 28回目だそうだ。今日も クリスマス・ソング・メドレーから始まり 懐かしいスクリーン・ミュージックの数々を楽しく聴くことが出来た。休憩時間に 募金箱が廻され 今夜は 394,790円が集まり 伊丹市の緑化事業に寄贈された。2007年の第1回リレーフォーライフ芦屋の時に 応援演奏に来て下さって以来 演奏会がある度に連絡を貰って 出掛けて楽しませて貰っている。来年 2月16日に「創立50周年記念演奏会」が 「いたみホール」であるが こちらは入場整理券が抽選なので 当たることを願っている。明日の予定「英会話サークル & ? 」
2011/12/15
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今日で 11月も終わり 明日から師走と言うのに 今日も 温かく 大阪モノレールに乗ったら 窓が開放されていた。そして 万博記念公園の紅葉は 丁度見ごろで色鮮やかであった。しかし 明日は 一転 全国的に真冬並みの大寒波で 冷え込むとの事である。今日は 阪大病院の採血とCT検査の日であった。朝食抜きで 10:30に 採血室に行くと 超満員であった。100人ほど待たされて 採血を終えたら もうCT検査の予約時刻を過ぎていた。事前に 採血が遅れていることを伝えたので CT検査は 3人後回しになっていた。今日のCT検査の時 造影剤の注射されたら いつもに比べて 全身がとても熱く感じた。終了後 担当医師に伝えたら「最近 導入した造影剤の濃度が濃いのが原因と思います。生命には 何ら影響は無いと思います。」「どこかの原発事故の広報官みたいですね。」と 大笑いになった。会計も並んで済んだら もう12:30だった。検査結果は 12月15日の外来診察だが エアロの用意をして 病院へ行く気があるときは まず問題ないだろうと思っている。「もう TIP塚口のMAXは 間に合わない。」と 分かったので 食堂でゆっくりと昼食を済ませた。大阪モノレール「蛍池駅」で 阪急電車に乗り換えて 13:30に TIP塚口に着いた。もう アドバンス・MAXは 最高潮であった。最終回で 皆さん 大変盛り上がっておられた。残念だったが 次のレッスンで汗を流すしか仕方無かった。KURICHAN先生ベーシック・エアロ1 Walk 40分28名。基本ステップだけの 2つのパートは 非常に簡単であった。アライメントを意識して 出来るだけ大きく動いたら 結構大汗が流れた。ストレッチを念入りにして サウナを済ませたら 造影剤が完全に抜けた気がして サッパリした。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/11/30
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今日も 朝から 気持ちの良い秋空が広かった。気温も 25℃と少し暑くなった。夕方から 雲が出て 蒸し暑くなって来た。明日は どうも雨が降るらしい。朝 7:15に家を出て 市バス 大阪モノレールを乗り継いで 8:25に 阪大病院に到着し 8:30の外来受付は 13番だったが 主治医のN助教授の受付は トップであった。珍しく 8:50に診察に呼ばれた。診察と言っても 脈も 血圧も測定する訳はなく パソコン画面を開いて 一昨日の血液検査の結果も 赤点滅なし 先生は「私より 正常だね。」で終わり 後は RFL芦屋の報告 肝がんゼミナーの報告と世間話 そして 12月のCT検査予約をして 8:55に はい終わり。会計に降りると 待ち時間無しで 470円 ATMで支払って 9:00に完了。モノレールと 市バスの接続も 上手く行って 10:00に 自宅に戻った。恐らく 阪大通院の所要時間スピード記録を更新したと思う。今日も 待たされると思い エアロビックのカバンを持参したが 余分なことだった。お昼前に TIP塚口へ行った。NORI先生ミドル・エアロ ダイナミックWalk 50分25名。今月 最終のレッスンで コリオも どんどん進み 完成した。最後の連続通しでは 阪大検査OKだったこともあり とても気分に乗って大きく動けたので 気持ちの良い大汗がかけた。明日の予定「英会話サークル & ? 」
2011/09/29
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今日も 朝から 気持ちの良い秋空が広がった。午後から ヨメさんと一緒に 阪大病院へ行った。大阪モノレールから見る 万博公園の森は 少し紅葉が始まっていた。ジメさんは 明後日の 主治医診察の事前の採血で 待ち時間無しで すぐに済んだ。試験管に 6本 約20cc 採られて 1,060円(一割負担) いつもより少し高いような気がした。ヨメさんは 4月1日に 狭心症のため入院して 血管にステント1本を入れるカテーテル手術から 半年目の受診であった。この間に 主治医のY助教授が 鳥取大学へ栄転されたので 手術をされた若いK先生に担当が替わった。手術の時に 血管を傷つけて 右腕が真っ黒に腫れ上がり 一週間目に救急診察を受けたことも カルテに記録されていたの見て 先生は 申し訳けなさそうなお顔だった。血栓予防の血液サラサラの薬を服用しているので 中国で引越し手伝いで 少し力を入れると 腕や太腿のあちこちに 内出血して青丹が出ると心配していたが もう半年間は薬を続けた上で 判断することになった。また 相変わらず 就寝中に胸が痛むことがあるらしいが 冷たい水を飲むと治まり ニトロを飲むとこまでは至らないので これも暫く様子を見ようと言うことになった。ジメさんと二人で 質問連発したが 若い先生と早く仲良くなって 何でも言える関係を作り上げたいと思うだけで 決してモンスター患者になる気は さらさら無い。予約の時間から 1時間待たされたので 阪急・伊丹駅で 夕飯を食べて 帰宅した。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/09/27
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今日も 一日中 雨が降ったり止んだりの鬱とおしい天気だった。 最高気温は28℃までしか上がらず 肌寒い一日だった。朝食を済ませて 8時に小学校のグランド 自治会役員が集まり テント 机 椅子などの撤収を行なった。一旦 町内自治会館まで運んで 机 椅子などは 水洗して 雑巾で拭い収納した。しかしテントは 濡れたままでは畳むわけには行かず 明日以降 晴れた日に干して乾かしてから 倉庫に仕舞うことにして 10時に終了した。 11時に 自宅を出て 大阪市地下鉄「谷町9丁目」の「大阪国際交流センター」へ行った。今日は アジア太平洋肝がん専門家会議(APPLE)・大阪府・朝日新聞社主催による市民公開講座「肝臓病で命を失わないために」が開かれ 800人近い人が集まられた。ジメさんが 2度目の肝がん手術で 1997年7月 大宮日赤病院から 東大病院肝胆膵外科へ転院した時 手術をして下さった幕内雅敏先生(現在 日本赤十字医療センター院長)が 司会進行と講演をされるので 14年振りにお逢いしたいと事前にお手紙を差し上げておいた。休憩時間に 壇上から降りて来て下さったので「お陰さまで こんなに元気になりました。」とご挨拶したら 「良かった 良かった。」と 握手をして下さった。今日の講師の四人の先生の学術講演は 最新の肝がん治療の情報が中心で とても役立つ情報が多かった。そしてお話の中で 2つのホームページを教えて下さった。日本医療機能評価機構「Minds 医療情報サービス」の「一般向け」⇒「解説」⇒「肝がん」⇒「音声解説」を開くと 分かり易い解説がされていた。また「肝がん治療で 手術と ラジオ波のどちらが有効かを比較検証することを目標とする臨床試験・SURF TRIAL」のホームページも これからの治療法選択には役立ちそうである。今日のゲスト講演には 女優の仁科亜季子さんが「元気な明日のために・がんに負けない。」と題して 自身の体験を交えて 元気・陽気・強気・やる気・勇気を 明るく話された。今年2月に 芦屋ルナ・ホールの市民ゼミナーの時は 受講者が 殆ど女性であったのに比べて 今日は 高齢の男性が多かったので 少し戸惑われていたように思う。最後の四先生と 仁科亜季子さんの5人の パネル・ディスカッションは とても面白かった。司会の朝日新聞編集委員・中村通子さんの 患者の質問を元にした 大阪弁でのつっこみには 先生方も客席も 大笑いであった。しかし 幕内先生は 苦笑しながらも 世界の権威らしい分かり易い説明をされ 最後に 日本が世界から遅れている死後臓器提供の普及の必要性を訴えられて 四時間 途中退席する人もなく 充実した内容の公開講座を終えた。 明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/08/21
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今日も カンカン照りとなって お昼には 34℃となった。2階の和室の温度計は 37℃となり 息苦しいほどであった。7年前 2004年の今日も 大変な猛暑であった。この日 ジメさんが引き起こした 大きな人身事故のことは 今でも忘れることが出来ない。中国から 一時帰国していた 二男の嫁を 軽自動車の後部座席にのせて 尼崎市まで行きクーラーも効かない位の暑い中 やっと戻って来たと いつもの通り 右寄せのウィンカーを入れたとこまでは記憶にあるが 気がついた時は 車内にセーフティーバックの真っ白な煙が充満していた。後部座席から 助手席へ飛び越えて来た嫁は ダッシュボードで顔面を打ち 血まみれになっていた。車が火事になったと思い 慌てて車外に引き出し横に寝せて 自宅に飛び込んで 救急車を呼んで現場に戻ると 道路の反対側の電柱が折れて その前に 近所の身体の不自由なお爺さんが 額から血を流して意識不明であった。気がつくと ジメさんも頭部が切れて血が噴き出していた。警察の取調べで 脳波検査などもしたが 原因不明の瞬間的な失神であった。嫁は 眼底骨折で 約半年、お爺さんは 全身打撲と骨折で 約2年間入院され その後も入退院を繰り返された。ジメさんは 業務上過失傷害で 2ヶ月の免停と 30万円の罰金の処罰を受けた。ソニー損保さんのお陰で 今年の春に 養護ホームの責任者立会いの上 お爺さんとの示談円満解決をして頂きました。本当に ジメさんの不注意で 二人には大変な迷惑をかけたことを後悔している。この猛暑の中 いよいよお盆の帰省ラッシュが始まったが どうか 皆さん 体調管理と安全運転に気をつけて 事故を起こさないようにして頂きたい。これで 鎮痛剤を止めて 二日目になった。今日も 高校野球を見終えてから TIP塚口へお風呂会員で入った。館内は 冷房が充分効かず 工事用の大きな扇風機が あちこちで廻っていた。お風呂も満員で 仕事帰りの人も多かった。明日は さらに暑くなるとの予報だ。今夜は これから 自治会の役員会があり 20日の学区の夏祭りの打ち合わせである。明日の予定「テレビ観戦」
2011/08/10
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朝から 何度も 激しい雷雨が降ったり止んだりしている。時々 日差しが出ると とても蒸し暑くなる1日であった。台風9号は 沖縄県にあり 昨日から 那覇空港は前面閉鎖が続き 夏休みの観光客が足止めされているようだ。昨夜 11時過ぎになって 千葉の長男が出張の前泊でやって来た。会社の先輩が早期退職されて 親戚のお店の新規店を 梅田・北新地で開業されたので寄って来たとお土産を買って来てくれた。「極上ビーフヘレカツサンド専門店 新世界 グリル梵」本店は 昭和12年に 通天閣の路地裏に創業した洋食屋「レストラン二井」で 現在は 北新地と東京・銀座に出店しているそうだ。ビーフカツにからまったソースが独特で とても美味しかったが 夜食には ボリュームがありすぎた。長男は 今朝5時半に 家を出て 大東市と神戸市の得意先を廻って 夜遅く 千葉へ戻ると言う。運動不足で 少しメタボになっていたので 健康管理をしっかりするよう言っておいた。雨が小降りになったので 10;00に「近畿中央病院」の外来診察に行った。ジメさんは 退院してすぐに 皮膚科の医師と ナースステーションの看護師さんにお礼の葉書を出しておいた。「お詫びとお礼は 早ければ早いほど良い。」相田みつをさんの「おかげさん」の葉書である。診察室に呼ばれると 一番に 美人のA医師が「ジメさん、ご丁寧な葉書 嬉しかったよ。」と笑顔で迎えて下さった。「大分 楽になったけど 鎮痛剤が切れると まだ少し頭痛が残っています。」「後 一週間位で 治ると思うので安静を続けてね。8月16日に もう一度診ましょう。」と 鎮痛剤の処方箋と予約表を貰った。6階の西病棟へ上がると 看護師長さんが居られ またそこで色々とお話を聞かせて下さった。「エアロビクスも もう一週間 我慢しなさいよ。」と 釘をさされて失礼した。調剤薬局で鎮痛剤を貰って帰る途中 激しい雨に降られ ずぶ濡れになってしまった。明日の予定「中高ラグビー練習試合応援」
2011/08/05
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今日も 緑の風が爽やかに吹き 気温も上がり 快適な一日だった。気象庁は 今日 沖縄県地方の梅雨が明けたと発表した。平年より 20日間早く 観測史上 最速の梅雨明けだそうである。今朝は 朝食抜きで 11;00に 阪大病院へ行った。2002年の 肝臓がん手術から 5年間は 3ヵ月毎に 血液検査とCT検査を受けているが 今は 3ヵ月毎の血液検査と 6ヵ月毎のCT検査になっている。再発の早期発見のためには仕方ないし 阪大病院の施設維持会員だと諦めている。今日は 30分ほど待たされたが その間に放射線部の若い医師に色々と質問してみた。ジメさんは 過去の大宮日赤でも 東大病院でも エコー検査と血管造影検査(アンギオをした記憶があるが CT検査は 阪大病院の手術以降だと思っている。医師は「CTは 1960年位から実用されているが 脳内出血と脳腫瘍の検査が中心であった。1998年頃から 色々な分野で採用され さらに ヘリカルCTや PETに発展している。」と教えて下さった。ついでに 「現在のCTは イギリスのEMIと言う会社が開発したが その巨大な開発費は 当時 同じ会社に所属していた ビートルズのヒット・アルバムの売り上げで賄われた。ビートルズは 世界中の患者さんの神様でもある。」と 教えて貰った。また 一人の医療者と仲良くなれたので 待たされてもラッキーだった。CT検査費用は 一割負担で 3,010円 お昼までに終わった。お腹も空いていたので 緑の構内を散歩がてら 学生食堂へ行った。院内食堂より 安くて メニューも豊富である。何より 若い医学生に交じって 食べると元気になれる気がする。今日は「タコライス・セット 550円」を食べたが とても美味しかった。同じテーブルの学生さん達が「奔流中国・シルクロードの旅」のパンフを話題にしていたのでジメさんは 2002年 阪大手術の直後に シルクロードへ行ったよと 仲間に入れて貰って 体験談を話して 13;00まで盛り上がった。帰宅して 上記サイトを見たら お金があったら行ってみたい企画が一杯だった。今朝 7;00に ブラジルの叔父さんから 電話とFAXがあった。地球の真裏のブラジルとは 時差12時間なので 今から夜ご飯だそうだ。先週 月曜日に阪大病院の郵便局で投函した「SAL小型包装物」が 今日届いたとの事だった。恐らく 今までの最短記録だと思う。日産と三菱の電気自動車のパンフ、ヤマハの電気スクーター、東芝・パナソニック・三菱の太陽光発電のカタログを見て 大変興味が湧いているとのことだった。でも ブラジルは 現在 自動車の燃料の8割は 大豆から作ったアルコールであり 最近 莫大な地下油田が見つかったので 叔父さんが生きている間には 電気自動車は見れないと笑っていた。20年前に 国家財政が破綻して 国民が膨大な借金を背負い込んだことなど 政府も国民もすっかり忘れてしまっている。日本も 何とかなるよとFAXで慰められた。明日の予定「英会話サークル & ? 」
2011/06/09
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早朝 激しい雷鳴が轟き 目が覚めてしまった。二度寝して 目が覚めると 昨夜の雨も止んで 青空が広がっていた。今日は JR福知山線脱線事故の6回目の慰霊の日であった。例年 事故発生時刻に合わせて 朝から 取材のヘリコプターが飛ぶが 今日は 雷のせいか飛ばなかった。6年経過しても 被害者や遺族の時計は 止まったままである。JR西日本の責任追及も 未だ結論が出ていない。原発事故の東京電力の責任も 同じようにうやむやにしてはいけないと思う。4月5日に来日して 4月12日に 腰椎狭窄神経圧迫除去手術を終えた義兄が 今日夕方の 成田空港発のエア・カナダ便で 帰国することになり 午後1時に 伊丹空港へ見送りに行った。義兄は 足腰の痛みとしびれも取れて 歩行も大丈夫であるが エア・カナダの規則により 先週末に病院の診断書を提出したところ 飛行場内及び機内は 車椅子を使用する条件付きで搭乗許可が出た。もちろん1年に6回位は ファースト・クラスで往復しているので 伊丹の地上職員たちの応対も別格の扱いであった。成田までと 成田からも 最前列の座席を確保し 乗り換えも 特別の車両で運ぶとのこと。カナダの姉にと 「いかなごのくぎ煮」と「夏蜜柑のママレード」も託した。午後1時半になって 握手をして きれいなオネェちゃんに押されて搭乗口に消えた。25日 カナダ時刻の 9;30am、日本時刻では 今夜の深夜 3;00amには カナダへ到着する見込みだ。きっと バンクーバーでは 家族みんなが喜んで待っていることだろう。ジメさんの風邪も 咳も出なくなり 明日には エアロビック復活出来そうである。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/04/25
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天気は回復したが 風は強く 気温も上がらなかった。朝 目が覚めたら 咳も止まっていたので すぐ 伊丹市議会議員選挙の投票に行った。先日の県議会議員選挙の時より 投票の出足が悪いように思った。朝食後 薬を飲んで 今日は 終日 2階に上がって ベッドに入り テレビを見ていた。普段は 昼間は殆どテレビを見ないので プロ野球 ゴルフ 競馬中継を見ても 面白くなく知らない間に 居眠りしていた。鼻水 咳も少なくなったが 腰足の関節がだるくて仕方が無い。もう少しの我慢だと思う。明日の予定「義兄の見送り」
2011/04/24
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今日も 一日中 雨が降り続いた。昨夜 夕食を済ませた頃から 鼻水と咳が激しくなり 昨晩は よく眠ることが出来なかった。熱は無いが 咳が激しく 咽と胸が痛くなったので 朝一番に ホームドクターの診療所へ行った。「先生 インフルエンザの予防接種を受けたのに 風邪引くのですか?」先生は カルテを見て「予防接種は 11月末だから まだ有効期限内だから インフルエンザではないと思うけど・・・」「インフルエンザと 普通の風邪の判断基準は?」「それは 採血して 検査に出しますので 時間と費用がかかります。」結局 普通の風邪と言う事で 皮下注射 1本と 4種の薬を貰って帰宅した。注射の影響で 夕方まで ぐっすり眠ったので 咳は楽になったが まだ鼻水が止まらない。こんな時は 休養が1番だと思うので ブログを書いたら 2階に上がって 眠ることにする。今朝の新聞に「震災復興のビール 金賞受賞」の記事が出た。ジメさんの自宅から近い場所に「酒は白雪 小西酒造」の本社と工場がある。伊丹市は 江戸初期から 銘酒の産地として 栄えた町である。小西酒造も 神戸大震災で壊滅的な被害を受けたが その再建の中で 「新しくベルギー風地ビール(発泡酒)」の研究と生産を立ち上げた。震災から16年、「白雪スノープロンシュ」が ビール業界のアカデミー賞と言われる イギリスの品評会[BIIA]で 最高金賞を獲得した。このビールは 白雪の酒蔵レストラン「長寿蔵」で 売られているので 伊丹市へ来られたら試しに飲んで下さい。インターネット販売もあります。残念ながら ジメさんは アルコールを断って 21年ですので お付き合いは出来ません。 明日の予定「休養」
2011/04/23
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今日も 良い天気となったが 風が強くなり 花吹雪が舞いだした。今日も エアロは休みにして ヨメさんと二人で 大阪日赤病院へ行った。12;00に 病室へ行くと 義兄は いびきをかいてよく寝ていたので 食堂に下りて昼食を済ませた。12;35に ストレッチャーに乗せられて義兄を 6階の手術室の入り口まで見送った。13;00に 手術が始まり 予定では 1時間半から 2時間で終了と聞いていたので デイルームで 新聞と雑誌を読んで 待っていた。少し遅れて 15;30に 呼ばれて 手術室の面談室で 主治医の説明を受けた。「ご安心下さい。手術は 大成功でした。時間が予定よりかかったのは 74才の年齢の割には 骨が大変硬くしっかりしていたので 電気鋸での切開に時間を要した。立会いの先生たちも 鋸の甲高い音に驚かれる位だった。麻酔が覚めたら 病室へ戻します。」と 笑顔で話して下さったので ほっとした。16;00に ベッドに寝た義兄が 個室へ戻って来た。意識もはっきりしており 顔色も赤みを帯びて 笑顔で握手することが出来た。主治医が来られて 「今晩 一晩寝たら 明日朝に 点滴とドレンパイプも抜けて 歩いて病室へ帰って貰うよ。リハビリの様子を見ながら 退院日も相談しまょう。」と 言われた。先生が 部屋から出て行かれると 義兄は 携帯電話で バンクーバーの姉を呼び出した。現地時間は 夜中の1時前で なかなか出て来なかったが 酸素マスクを着けて話せない義兄に代わって ジメさんが手術成功と説明をしたら 姉も「良かった。有難う。」と言葉を詰まらせていた。手術の疲れが どっと出たのか 義兄はいびきをかき出したので 16;30に 病院を出て 自宅に戻った。ジメさんは いつも 手術を受ける側ばかりだったが 家族や知り合いに こんなに心配をして貰っていたのだと 改めて 感謝の気持ちが胸にこみ上げた。予想では 来週一杯のリハビリで 23日までには退院できると思う。今回の入院手術にも 義兄の旧友夫妻がご尽力して下さったが 本当に「病と闘う力 人とのつながり。」だと 再認識した。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/04/12
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朝から よく晴れて ポカポカ陽気となった。庭の樹木に うぐいすが来て よい声で鳴いていた。午前中に TIP塚口へ行った。LISA先生ミドル・エアロ Jog 50分27名。先週は代行が入り 今月初のレッスンであった。新しいコリオは いつもややこしくて難しい。先生は 何度も繰り返して リードされた。三つのパートが完成して 最後の通しの頃に やっと着いて行けるようになった。夢中で着いて行ったので 大汗が流れて気持ち良かった。カナダ・バンクーバーに住む義兄は 腰痛がひどくなり 今年に入って 三度目の来日をして 先週 「大阪赤十字病院」に入院した。明日 手術を受けるので 今日夕方にヨメさんと一緒にお見舞いを兼ねて 主治医の術前説明に同席した。病名は「腰椎狭窄による神経圧迫除去切開手術」であった。骨盤の上にある腰骨5個が腰椎で その上から 首までは脊椎である。腰椎が狭くなって 神経を圧迫して 腰痛や足のしびれを引き起こしているようだ。腰を背中から切開して さらに腰椎の下から4つの骨の曲突骨を電気鋸で切り開き 柱弓を押し広げて 神経の圧迫を解消して 後は接着剤で閉じるとのことである。CT画像を使っての説明は 先日の ヨメさんのカテーテル手術以上に驚いた。大変難しい手術だが 主治医は実績もあるので 心配は要らないとのことであった。明日の手術は 午後から 約2時間、その後 回復室で一晩 うつ伏せで安静にすれば 明後日には ベッドから降りれるようだ。術後のフォロー検査とリハビリをして 10日後には退院できるとのこと。今年の冬には スキーもOKですよの説明に 義兄も「もう まな板の鯉だから 先生にお任せします。」と サインをした。明日は 念のため 病院で付き添いをすることにして 19;00に病院を出た。久しぶりに 病院近くの JR鶴橋駅の「コリア・タウン」の「秋の牛」で 韓国料理を食べたら とても美味しかった。大阪駅に戻り 南側の大丸・梅田店と 北側のJR大阪三越伊勢丹をつなぐ空中回廊橋上駅が開通していたので そこを通って 阪急電車まで歩いた。5月4日に 「OSAKA STATION CITY」が 新装開業するので また暫く賑わうことだろう。しかし、巨大な天井ドームと空中回廊の 耐震設計強度は大丈夫なのだろうか?また 後になって 想定外でしたにならないように願いたいものだ。先日の ウイングス京都「心のバリアフリーコンサート」の模様と片木美穂さんのテレビ取材が明日 12日 火曜日 夜18;15~ 毎日テレビ「VOICE」の中で 放送されますので ご覧下さい。明日の予定「義兄の入院付き添い」
2011/04/11
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