僕の生きてた生きてる生きる道

僕の生きてた生きてる生きる道

永野青年(塩狩峠)

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「  塩狩峠  」

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「塩狩峠」からの引用です。一人の青年の最期に何を見ますか?


ここに、生きることを考えてみます。


p354~

一瞬、客車がガクンと止まったような気がした。が、次の瞬間、客車は妙に頼りなくゆっくりと後ずさりを始めた。体に伝わっていた機関車の振動がぷっつりととだえた。と、見る間に、客車は加速度的に速さを増した。いままで後方に流れていた窓の景色がぐんぐん逆に流れていく。


不気味な沈黙が車内をおおった。だがそれは、ほんの数秒だった。


「あっ、汽車が離れた!」 誰かが叫んだ。


さっと車内を恐怖が走った。


「たいへんだ!転覆するぞー!」


その声が、谷底へでも落ちていくような恐怖を誘った。だれもが総立ちになって椅子にしがみついた。。。


・・信夫は事態の重大さを知って、ただちに祈った。どんなことがあっても乗客を救い出さなければならない。いかにすべきか。信夫は生きづまる思いで祈った。その時、デッキにハンドブレーキが¥のあることがひらめいた。信夫はさっと立ち上がった。


「皆さん、落ち着いてください。汽車はすぐに止まります」


壇上で鍛えた声が、車内に凛とひびいた。。


・・興奮で目だけが異様に光っている乗客たちは、食いつくように信夫のほうを見た。だがすでに信夫の姿はドアの外であった。


信夫は飛びつくようにデッキのハンドブレーキに手をかけた。信夫は氷のように冷たいハンドブレーキのハンドルを、力いっぱい回し始めた。。


・・次第に速度がゆるんだ。信夫はさらに全身の力をこめてハンドルを回した。わずか一分とたたぬその作業が、信夫にはひどく長い時間に思われた。額から汗がしたたった。かなり速度がゆるんだ。


信夫はホッと大きく息をついた。もう一息だと思った。だが、どうしたことか、ブレーキはそれ以上はなかなかきかなかった。


信夫は焦燥を感じた。信夫は事務系であった。ハンドブレーキの操作を詳しくは知らない。操作の誤りか、ブレーキの故障か、信夫には判断がつかなかった。とにかく車は完全に停止させなければならない。今見た女子どもたちのおびえた表情が、信夫の胸をよぎった。と思ったと時、信夫は前方50メートルに急勾配のカーブを見た。


信夫はこん身の力をふるってハンドルを回した。だが、なんとしてもそれ以上客車の速度は落ちなかった。みるみるカーブが信夫に迫ってくる。再び暴走すれば、転覆は必至だ。次々に急勾配のカーブがいくつも待っている。


たったいまのこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、信夫はとっさに判断した。一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。


それを振り払うように、信夫は目をつむった。と、次の瞬間、信夫の手はハンドブレーキから離れ、その体は線路を目がけて飛び降りていた。


客車は不気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、遂に完全に停止した。。


・・吉川が客の荷物を受け付けているところに、運輸事務所の山口という友人が駆け込んできた。


「吉川さん!たいへんだ」


「なんだい、弁当でも忘れて来たのか」吉川は冗談を言った。


「吉川さん、驚くなよ。いいか、驚くなよ」


「何だい」


客から受け取った小荷物をぶら下げたまま、吉川は眉をひそめた。山口の顔が真っ青だった。


「あのね、永野さんが・・永野さんが・・・」


「何!永野がどうしたって?」


「死んだ」


「死んだ!?」


吉川がどなるように聞き返した。山口は吉川の肩にしがみついて泣いた。山口は、他の青年会の会員たちと同様に、心から信夫を慕っていた。 


「そんな馬鹿な!」 きょうは信夫とふじ子の結納の日ではないか、死んでたまるかと吉川は思った。。。


・・「犠牲の死です。」 若い青年が叫んだ。


そこで吉川は、人々から事件のあらましを聞かされた。吉川は呆然とした。線路の上に飛び降りた信夫の姿が鮮やかに目に浮かんだ。純白の雪に飛び散った信夫の鮮血を、吉川は見たような気がした。信夫にふさわしい死に方のような気がした。とうの昔に、こんな死を、吉川は知っていたような気がした。。。


・・「主任さん、永野は、ふだんいつも内ポケットに遺言をもっていたはずです。すぐ調べるように連絡してください。」


「ああ、そうだったね。遺言のことも聞いたよ。永野君の血が、ベッタリとにじんでいたそうだ・・」


                   ( 「塩狩峠」三浦綾子 p354~359抜粋 )


*永野さん・・実在の人物でした。本当は長野さんといいます。彼は肌身離さず聖書を持っていました。実は、線路に身を投げたときの血が染み込んでいる聖書の写真を何かで見たことがあります。生きることを考えることは、死ぬことを考えることです。死ぬことを考えることは、今、どうやって生きるかを考えることです。



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