第1話

「ブラジル自然塾」

 2005年1月5日~26日、ブラジルとパラグアイへ出かけた。
 5年ほど前から、ブラジルの子ども達に日本文化を伝える活動をしている若者グループの指南役を頼まれ、これまで、「そば打ち」や「まが玉づくり」などを彼らに指導することでのみ関わってきたが、今回は例年の40日間の日程が3週間と短いこともあり、あまり深く考えもせず「ボクも一度行ってみたいなぁ~」とつぶやいた一言で、知らぬ間に参加メンバーになってしまっていた。
 かなり悩んだものの、行ってみたいという誘惑に負けて参加することにした。ブラジルには、昭和8年に移住した親戚がおり、その末裔が10年ほど前までは入れ替わり立ち替わり日本に出稼ぎに来ていたので、再会したい!という気持ちも強かったのですね。

 さて、「自然塾で何をするか?」 さんざん考えた末、
◎古代米を使った「草木染め」
◎和紙づくり
◎竹笛
 を選んだ。これらはいづれも、材料・道具・技術の面で難問を持ったメニューのため、これまでのブラジル行では実施していなかった。今回は、ボク自身が参加するということで、あえてこの難題に挑戦することにした。

 ブラジルの1月は真夏。学校は夏(冬?)休みなので、この間に、各地でキャンプを実施する。訪ねるのは5ヶ所。参加予定の子どもは約200人。つまりは材料・道具も200人分準備し、飛行機に積めなければならないし、税関もパスできるものでなければならない。これに一番頭を悩ました。それに加えて、ボクのもう一つの目的である、<親戚訪問>のためには、ボクがいないときに他のメンバーが指導できるよう、彼らにやり方を教えておく必要もあった。
 11月末からバタバタと準備をすすめ、年明けて5日、かなりの不安を抱えながら出発の日を迎えたのでした。持って行く装備の総重量は300kg。荷造りはすべてメンバーがやっていた。出発の日に初めてその荷物を見てビックリ。10個の大きな段ボール箱が並んでいた。こんなんで飛行機は大丈夫? 今さらこんな不安を感じてみても仕方がないので、もう何も考えないようにした。
 もう一つの不安は、親戚に出会うためには、メンバーと離れてボク一人で行動する時があること。メンバーと一緒なら、ポルトガル語の分かる者もいるので安心だが、ボクには全く言葉がわからない。再合流する時に、何かのトラブルでもあったらどうやって連絡を取ればいいのか? 電話のかけ方もわからない。向こうの公衆電話は、専用のコインが必要だと聞いているし、、、おまけに、ブラジルの親戚に電話をかけてもつながらない。向こうから手紙で送ってきた番号にかけているのにだ! 何かマイラインみたいな特別な番号があるようだが、それが分からない。ということは、日本で何かあった時、連絡のしようもない。それで、一応、念のため、ブラジルでも使える携帯電話(ワールドウォーカー)をお守りのつもりでレンタルして持って行く。
 ……これがホントに超!役に立つとは、その時は全く考えてもいなかった。

[5日]
 8:00 神戸で他のメンバー9人と合流して出発。薄着しているので寒い!
12:30 伊丹空港発。巨大な段ボール箱をカートに積んだ10人の集団は、異様にし
      か見えない。 
19:45 成田空港発。ここで携帯電話をレンタルする。予定より1時間遅れで出発。

 ニューヨーク経由で24時間ほどかかる。もちろん、エコノミークラス。例の症候群の症状は、4時間ほどすると現れ出す。
 現地時間との時差は、11~12時間、つまり昼夜逆転なので、時差ボケ対策として、ニューヨークまでは、日本時間の夜にも関わらず、必死で眠らないようにし、ニューヨークからはアルコールの助けをかりて爆睡する。

[6~8日]
 8:00 サンパウロ 着(日本時間=6日午後7時)
…サマータイムのため、時差は11時間
 足がパンパンに膨れてクツがきつい!ともかくもブラジルに着いたぁ~~~!
 税関で、予想どおり、荷物がひっかかる。これは当然といえば当然のことだ。
 ブラジル自然塾用に、肥後の守ナイフ40本やノコギリ20本、得体の知れない白い粉(実は、ミョウバン)や赤と黒の生米、どろっとした液体(紙すき用の粘材)の入ったペットボトル、、、 
 こんなものを持ってたら、とてもじゃないけど税関は通らないよ!と、近所に住む日系ブラジル人のお母さんに忠告されてたその通りだった。彼女に頼んでポルトガル語の説明書を作ってもらい持参したが、、、基本的には、英語も通じず、???のうちに???なまま、通してくれた。いまだに何が何だったのかよくわかっていない。

 ともかくも、無事、税関を通過して、出迎えの車に乗り込んでサンパウロ空港を出発。車内で、いきなりビールを差し出された! こちらのビールは、ものすごく冷やして飲む。うかつにつかむと、瞬時に缶ビールは凍り付いてしまう。こんな体験は初めてだ。
 まず、驚いたのは、ものすごい車!車!!車!!! 車の数ではなく、そのスピードと、あちこちにクラッシュして放置されている超大型トラック。
 車窓からみえるスラム街、物売り、落書き、、、刑務所。
 …この刑務所で、3月に大暴動があったとニュースでやってましたねぇ!

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 第一の訪問先に着いてすぐ、お風呂と昼食。なんと五右衛門風呂だぁ~!
 サンパウロは、標高700m程の高地にあり、意外と涼しい。
 お昼のメニューは、
○そうめん
○ヤシの新芽のサラダ
○サラミ
○いなり寿司
○ステーキ
○ビール!
 何とも言えない取り合わせながら、おいしくて完食&完ビール!
……ちなみに、こちらではビール(らしきもの)のことをセルベージャと言い、アルコール度数は6、5度ながら、とても飲みやすい。ホップはあまりきいてなく、穀物でできた発泡酒のようだ。缶入りなら一本40円くらい。 

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★自然塾のMOTOYOママさんのお母さんの親友(ブラジル在住)のお話★

 ブラジルへ行くことが決まってから、MOTOYOママさんが、お母さん(故人)の親友のことを話してくれた。
 かいつまんでいうと、彼女のお母さんの親友(Kさん)が昭和30年頃ブラジルへ嫁がれ、その後、音信不通だったが、20年ほど前、「日本に一時帰国しているから出会いたい」という連絡が入り、再会をはたした。ところが、親友のやつれた姿を見て、お母さんは悲しみにくれたのだそうだ。その時のお母さんは、すでにガンにおかされており、その二年後、親友のことを心配しながら亡くなったのだという。
 MOTOYOママさんもその話しはしょっちゅう聞かされていて、心の片隅から離れることはなかったが、今となっては、はっきりとした住所もわからないから連絡のとりようもない。分かるのは、W・Kさんという名前とブラジルのシアノルテという町に住んでいるらしい、ということだけだった。
 その話しを聞いたボクには、思い当たることが一つあった。
 10年ほど前、たまたま、20人ほどの日系ブラジル人の世話取りをしたことがあり、その中に、シアノルテ在住で、同じ苗字の女性が一人おられたことを思い出したのです。年齢が全く違うが、ひょっとしたらそのKさんの娘か身内かもしれない、と思ったのです。その方なら住所も分かるし、しかも、今回のブラジル行では、シアノルテの隣町マリンガ市にいる親戚を訪ねることにもなっていたので、そこで何らかの情報が得られるかもしれない。そう思ったので、MOTOYOママさんにお手紙を書いて頂き、持参していたのです。

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 昼食をとりながら、早速、Kさんの消息を尋ねてみる。すると、
「あー、Kさんねぇ、確かにシアノルテにおられますよ。息子のヨシカズさんなら、あさってここに来るよ~」と、あっさり言われてビックリ!
 どこに居られるのかもわからなかったKさんが、探すまでもなく、いきなりボクのところへやって来られる! 不思議な世界だぁ~。

 午後は、自然塾の準備をする。夕食は「うどん」と米飯だった。
 日本と違って「水道水」は危険。ここでは、3回ほど濾過装置にかけた水で加熱調理をする。生水は、10リットルくらいのボトルに入った「精製水?」だけを飲用する。コップも使い捨て容器。 

 翌7日はパーティ。こっちの人は、底抜けに陽気な連中ばかりだ!

 そして、8日朝、Kさんの息子ヨシカズさんが来られ、預かっていた手紙をお渡しした。大変驚いておられたが、お母さんもシアノルテで同居され、お元気だそうだ。16日にシアノルテのKさん宅を訪ねることにする。

 それにしても、ここは???な世界だ。
 7日夜のパーティでは、ダンスあり、カラオケあり(しかも演歌やし)、、、ナガブチの「乾杯」を歌う非日系ブラジル人もいるし、、、
 ポルトガル語と日本語がごっちゃごちゃに飛び交っていた。


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