ちょっと本を作っています

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後編

下町のタイムマシーン
両国・千夜一夜物語(第一話後編)




えっ、オレも行くの。何しに?

「あんた、行って来てよ。十年後」

突然、恵美が言い出した。

「えっ、何で? マサルの話じゃ、ドクターには会えなかったんだろ」

「いいの、いいの、ドクターはそのうち帰ってくるよ」

「それよりサー、十年後の私たちのお店を見てきてよ」

「どんなになっているか心配だし、それにー」

「ん、なに」

「私が太っていたなんてマサルが言うから、そんなことないって確かめてきてよ」


そうか、それを確かめたかったんだ。

いい年して、どうでもいいじゃん、そんなこと。

「大丈夫かな。ホントーに戻って来れるかな」

「大丈夫よ。マサルは戻って来れたんだから」

「じゃあ、自分で行って来たら」

「ダメよ。入れ替わっちゃうんでしょ。それまでの自分と」

「見れないじゃん、それまでの自分を」

「それに、いくら私が太っていなかったって言っても、みんな信用しないでしょ」

この期に及んで、いったい何を考えているやら。

能天気なんだから。


「少しぐらいは、私の言うことも聞きなさいよ」

恵美の声が急に尖がった。

あーぁ、これ以上は恵美には逆らえない。

そんなこんなで、オレはタイムマシーンに押し込まれた。

「すぐ戻してよ。すぐにだよ」

「分かってるって。十年後の私を見てくるだけでいいんだから」

「旅行なんて行かなくていいからね」

「毛頭の芸者なんか呼んだら、ただじゃおかないから」

真一の読むアルファベットや数字を打ち込んでいるうちに、スーッと気が遠くなった。


あれ、オレは水を撒いている。

店の横の、プランターの草花に水をやっていた。

「いつまでサボってんのよー」

店のほうから恵美の声が聞こえる。

「もう水撒きはいいわよ。墨田マンションへビールワンケース届けてきて」

ひょいと、恵美が顔を出した。

アレー、太っていないよ。

それどころか、十年前よりスマートになっている。

えーっと、今は何月ごろかな。

この暑さじゃ7月か8月か。

たぶん年は2015年だろう。


「マサルはどうしている?」

「どうしているって、何が?」

「あいつ交通事故に遭ったんだろ?」

「え、いつ?」

「いつって、お前……」

どうもマサルの話と違う。

「マサルが交通事故に遭うわけないでしょ。交通安全で4回も表彰されているのに」

「今も、緑だっけ、黄色いオバサンだっけ。やっているわよ。この時間なら」

えっマサル、性転換でもしたのかと思ったら、違った。

小学生の通学路に立っている、黄色い旗をもった保護者のことだった。

恵美の話によると、十年ほど前から、両国小学校の近くに立っているらしい。


「朝だけじゃないんだからね。帰りもだからね。大したもんよ」

「頭は悪いのに、4回よ。4回も感謝状をもらったんだからね」

「ほら見てよ。うちなんて1枚も貼ってない。淋しいもんよ」

店の壁を見ながら恵美はまくしたてた。


「良一はどうした? それに配達は俊輔の仕事だろ」

「なに言ってんのよ。良一は会社でしょ。俊輔はアメリカ留学中」

えー、マサルの話だとオレの店は息子の良一がやっているって言っていた。

それに、高校生になった孫の俊輔が配達を手伝っているって。

どうもおかしいと思いながらホンダシティの荷台にビールを積み込んでいたら……。


あれ、もう戻って来ちゃった。十年前に。

三十分もいなかったよ、十年後の世界に。

でも、何でマサルの話と違うのかなー、十年後の世界が。


マサルの話とオレの話。だいぶ違うよね。

「何で?」「聞き違えたんじゃないの」ってもめていた。

「いいの、いいの。私がデブでないことさえ分かれば」

恵美だけは勝手に納得している。

ほかのことなんて、どうでもいいみたい。

「もめていてもしょうがないよ。行ってみようよ、ボクらも」

敬三が真一に話しかけた。


「えっ、ボクも? 一人で行ってよ。ボクは明日から大切な出張が……」

抵抗する真一の腕をつかんで、敬三がタイムマシーンに乗り込んだ。

なんとか二人ぐらいは入れるスペースなんだ。

「えーと。もし離れ離れになった時のために、待ち合わせ場所、決めとこうよ」

「回向院がいいな。鼠小僧次郎吉の墓の前」

「あそこなら大して人も来ないし」

「いいよ、でもすぐに戻してよね」

「出張の準備まだなんだ。頼むよね」

真っ青になっている真一を無視して、敬三がキーを叩き始めた。



真一の十年後

「社長。起きてくださいよ。着きましたよ」

大きなクルマの後部座席で目が醒めた。

助手席から三十代中頃の男が声をかけている。

「ここは、どこ」

ちょっと上ずった声が出てしまった。

「いやだなー、時差ぼけですか」

「うちの会社ですよ。戻って来たんです」


この助手席の男、見覚えがある。

二年前にボクのプロジェクトチームに配属された男だ。

十年前の二年前だから、十二年前か。

ちょっと年を取ったけど、まだまだいい男だ。

「みんな待っていますよ。二時から会議を招集してありますからね」

「社長がパリから戻ったら、後はやるっきゃないって、みんな張り切っていますよ」

えー、ボクが社長なの。

それにこのビル、スゲーや。

超々、高層ビルじゃないか。


「今日の会議の議題は?」

「エーっとですね。ヨーロッパの市場占有率拡大のための戦略課題についてです」

「社長のご提案を、みんな首を長くして待っていますよ」

ボクに出来るわけがないよ。

ヨーロッパなんて行ったこともない。

だいたい何の仕事をやっているのボクの会社は?

でも、十年後のボクは、世界中を飛び回っているんだ。

凄いよ、コレ。


「今日の会議はだな。ボクからは何も言わずに、みんなの意見を聞かせてもらう」

「先入観を持ってもらっては、斬新な戦術・戦略は出てこない」

「なに、思いつきでいいんだ。空想でもいい。世間話をするつもりでいい」

「今日はブレーンストーミングに切り替える」

「もちろん、無礼講だ」


やっと終わった。クタクタだ。

会議中、一言も言わずに水ばかり飲んでいた。

それに、出席者の半分がインターネットテレビを使っての海外駐在員だ。

だったら最初から、全員自分のパソコンを使って参加すればいいものを。

やっぱり同席しないと会議をした気分になれないのかな。


「社長。お車を回しておきました」

「さすがに社長は大胆ですね。お茶汲みの女の子の意見まで聞こうとするんですから」

「久しぶりの日本ですから、真っ直ぐご自宅へお送りすれば宜しいんでしょうか」

「ああー、両国ね」

「えっ、両国ですか。白金台のご自宅へは?」

なになに。ボクは白金台に住んでいるの。

じゃーボクの奥さんはシロガネーゼだ。


「いやいや、両国でいいんだ」

「ちょっと人と待ち合わせをしているから回向院まで」

「お待ちしております」という運転手を帰して、回向院に入った。

いやー、冷や汗ものの会議だった。

これで会社が、おかしくならなければいいんだけど。



ちょっとだけ、敬三

鼠小僧の墓石を削って持っているとツキが回ってくると言われている。

だから、本物の墓石を削られてはたまらないから、回向院では削り用の墓石を用意している。

墓石の前に、別の墓石があるのだ。


鼠小僧次郎吉の墓の前に、敬三が立っていた。

おりしも敬三は、その墓石を削っていた。

すでに夕闇が迫っている。

クルマの騒音は響いているが、敬三と鼠小僧の墓石の周りだけは、異次元のようだ。

「どうした」と声を掛けると、「おう」と振り返った。

なぜか、元気がない。


「オレ、死にたいよ。オレってこんなにダメな男だったのかね」

「なにやってもダメみたい」

「十年後なんて来なきゃよかった」

「マサルに聞いていたとおりだったよ。失業中なんだオレ」

「もう三年以上だよ、職のないのが」

「リストラにあったんだって。それからズーっと無職」

「今年から年金は受け取れるんだけど、家にいられるとウザイって女房が言うんだ」

「今日は一日、安田庭園で鯉にエサをやっていた」

「でもあそこ、四時半には追い出されるだろ。それから今まで行くとこがなくって」


なに、十年後のボクって、友だちが困っているのに放っておいたのか。

自分が社長で、友だちが職を探しているってのに。

急に、十年後の自分が嫌いになった。


「正助たちを誘って、飲みに行こうよ。久しぶりに鍋がいいな」

「大丈夫だって。ボクの会社で働けば」

「任せとけって。悪いようにはしないよ」

「盛一がいいな。すぐそこだし、あそこの地鶏鍋が無性に食いたくなった」

「それにあそこ、綺麗なお姉さんがいたろー」

「十年たったらどうなっているか……」

そこで、フーっと意識が途絶えた。



やって来たドクター

何か違うんだよ。話が。

太った恵美がいたり、太っていなかったり。

オレが息子に仕事を奪われていたり、息子は会社勤めをしていたり。

マサルが交通事故で瀕死の重症を負っていたり、交通安全で表彰されていたり。

だいぶ話が違うよね。


真一だってそうだよ。

大会社の社長になっているなんて、マサルの話では出てこなかった。

敬三の失業中は同じだけど、定年退職とリストラの違いがある。

「いいじゃないの、そんなこと」って恵美は言うけど、何か気になる。

「オレ、ウソは言っていないよ。何かおかしいよ、やっぱり」

マサルが大声をあげた、その時だった。


「やっぱり、みんな来てくれたんだね」

ギョっと、一斉にみんなが振り返ると……。

そうなんだ。白衣を着たドクターが立っていた。

「どうしていたんだよー、オマエ」

敬三が泣きそうな声を絞り出した。

「おい、大丈夫だよな。足は付いているな」

マサルが駆け寄って、白衣の裾を持ち上げた。


「あー、大丈夫だよ。ピンピンしている。みんなより十歳年は取ったけど」

訳の分からないことを言いながら、ドクターが歩み寄ってきた。

確かにちょっと、疲れ果てたような顔をしていた。

「どこへ行っていたんだよ。今まで十年後の世界に行っていたのか?」

「うん、十年後の世界ってのは、そのとおりだけど。行っていたってのとは違うな」

「ボクは十年後の世界から来たんだよ」


「なに、それー」って恵美は大声をあげた。

でも、マサルは薄々気が付いていたみたい。

マサルが十年後の世界で会ったドクターの老けぐあいだったんだ。

目の前にいるドクターは。



変わりゆく明日

ドクターはいつものように、親指で鼻をこすりながら聞いてきた。

「マサル、十年後へ行ってきたんだろ?」

「行ったよ。行った。お前を探しに行ったんだ」

「でも十年後のお前しかいなくて」

「オレたちも行ったよ。十年後」

「どこに隠れていたんだよ。ドクターは」


「ボクはいたよ。でも最初からいなかったんだ」

「なにそれ?」

「十年前のボクは、十年後には行っていないんだ」

「最初から、十年後のボクだけがいたんだ」


「もー、ドクターの話って、いつも禅問答みたいなんだから」

「頭の悪いマサルや正助にも分かるように言ってよ」

おいおい、じゃー恵美は分かっているのかよ。


「五人とも行ったんだね。十年後へ」

「で、一緒に行ったの? それとも別々?」

「オレと真一は一緒だったけど、マサルと正助は別々」

と、敬三が答えた。

「あれ、恵美は行かなかったの」

「当たり前でしょ。帰って来れなくなったらどうすんのさ」

アレッ、じゃあオレを何で行かしたんだよ。

帰って来なくてもいいと思っていたのかよ。


「じゃあ、みんなは分かったと思うんだ」

「十年後に誰かが行くたびに、未来が変わったろ」

「すべては現在、そう、今のこの瞬間が出発点なんだ」

「だから十年後の未来を見て、戻ってきた時に、未来が変わる」

「うーん、なんとはなしに分かるような気もするけど」

マサルが口をはさんだ。


「オレ、交通事故だけは注意しないといけないなって思ったもん」

「恵美だって、オレの話を聞いて、ダイエットしようと思ったんじゃないの」

「まあーね。でも別に私はムリしなくてもスレンダーだけど」

「ねっ。未来を見たことによって、未来が変わっちゃうんだよ」

「でも十年後のボクは、それに気付かなかった」

「おまけに、未来へ行かずに過去へ来てしまったんだ」

「それにね。タイムマシーンで移動したほうの人間が、その時代の自分と入れ替わってしまうんだ」


「画面を上書きしたら元の画像が消えちゃったようなもんだよ」

「何度も戻ろうとしたんだけど、戻るたびにどんどん変わってしまうんだ」

「仕方なしに、そのつど十年前に戻ったらサ、そのたびに研究室が爆発してしまって」

「微妙なクスリの調合をしていたからね。ちょうど今の年代は」

「だから、三度試みて、三度爆発させちゃった」

「何の研究をしていたんだよ。大学で」

「んーとね、毛生え薬だよ。マサルのための。それに敬三もだいぶ薄くなってきたし」

「じゃー、爆発したのは毛生え薬? マサルの頭の上で爆発させたらよかったんじゃない」

またまた恵美は余計なことをいう。


「もう戻れないんだよ、同じ未来へ」

しんみりと、ドクターが言葉を続けた。

「だから覚悟を決めたんだ。十年前の今から始めようって」

「その前に、せめてここにいるみんなにだけは、分かってもらいたくてさ」

「口で言っても信じないだろ。実際、体験しなくっちゃ」

「それで、オレたちに十年後を見させたのか」


「まあ、それもいいか。オレたち腐れ縁だもんな」

「ドクターが十歳年上になっただけだろ」

「年寄りは労わらなくっちゃね」

「そいで、おまえ、今はどこへ行っていたんだよ。オレたちが大騒ぎしている時にさ」

「十年後にサヨナラしに行っていたんだ。十年後にもう一度会おうって」


「ねえ、このタイムマシーン、どうする」

「置いとけよ、ここに。オレたちの記念碑だ。でももう、誰にも使わせないからね」

マサルが青いビニールシートで覆い始めた。

「オレたちだけの秘密だよ。隅田川の決闘と同じだ」



それからどうした

三年後、真一はベンチャービジネスを立ち上げた。

資金は、今まで彼が働いていた会社が出資した。

その、医療器械と介護用品を扱う真一の事業は順調みたいだ。

すでに株式上場の話まで持ち上がっている。


ドクターは大学を辞めて、真一の会社の主任研究員になっている。

戸籍上の年齢ではまだまだ大学に残れるのだが、真一が強引に呼び寄せた。

「ムリすんなよ、オジイちゃん」

「ここで自分の好きなことをやってりゃいいんだから」

ドクターの研究は斬新なものばかりだ。

そりゃそうだね。幾つもの未来を見てきたんだから。


真一は敬三も呼び寄せようと説得している。

でも敬三は、ウンとは言わない。

「今のまま、やれるだけはやるよ。リストラなんて必要のない会社にしてみせる」

人が変わったように働く敬三は、いつのまにか常務に昇進した。

敬三の会社もリストラどころか求人に追われている。


マサルは相変わらずコンビ二で働いている。

それと、通学路で、黄色い旗を持って立っている。

まだ感謝状はもらっていないけどね。

髪の毛はさらに風化し続けている。


えっ、オレと恵美。

変わり映えしないよね。オレたちは。

変わったことと言えば、毎朝恵美が隅田川沿いでウーキングを始めたことぐらいかな。

それと息子が会社勤めを始めた。

「一度、世間を見て来い」って、オレが勧めたんだ。

今はビールメーカーに勤めている。


今なにかをやれば、未来は変わる。

決まった未来なんてどこにもない。

今、この瞬間の延長線上に、未来があるんだ。

さあ、配達に行ってこよう。

両国のご隠居さんのところへ、ビールワンケースっと。



千夜一夜の一夜目は、まずはおしまい。先が長いよね。  両国の隠居


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