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その3
第二章 一周遅れのトップランナー
アメリカ資本の侵略が始まった
グローバルスタンダードという言葉は和製英語だそうだ。
工業などでの世界規準はあっても商売の世界標準などあり得ない。
貿易の自由化、各種規制の緩和、金融ビックバンなど、この数年で産業基盤や金融システムに大きな波が現われた。
世界の潮流に乗り遅れないためにと、合言葉のように使われたグローバルスタンダードという言葉も、よくよく考えてみればアメリカンスタンダードに過ぎないことに気が付く。
ソビエト連邦の崩壊以降、今や国際社会におけるアメリカの優位性は不動のものとなり、アメリカ抜きに世界経済は語れない。
当然、アメリカ資本に有利なように各国の産業基盤や金融システムが変更を強いられる。
我が国においても、金融ビックバンによって外資の力が強くなり、大店法の改定によってアメリカの巨大小売り業資本が日本進出を図り、アメリカの最大の軍事戦略的産業である食糧の自由化を迫ることによって、確たるアメリカの安全保障と発言力を確保しようとしている。
このような大きな流れが、わかってはいるけれど抗し切れないと、ひたすら「将軍様、お慈悲を」と哀願を続けているのが日本政府と日本の大資本のように思えるのだ。
歴史学者によれば鎖国の続いた江戸時代は、世界の歴史の中でも稀な、長期間にわたる平和と、豊かな文化の花開いた時代だとの指摘もある。
出来れば江戸時代のように鎖国をしてもらったほうが、日本企業と日本国民にとっては良いのだが、時代錯誤だと一笑に伏されてしまう。
インターネットが普及した今の高度情報化社会の中では、もう戻ることは出来ない。
国と国との垣根が取り払われ、世界の歴史は同時進行を始めてしまった。
凡人の悲しさで、大きな時代の流れに逆らうことも出来ないが、せめて流れ行く先を見つめて身の処し方を考えざるを得ない。
従業員や自分の家族を抱える経営者にとって、産業構造と需給の変化は死活問題と言えるので、時代の流れと今自分たちが置かれている位置を見極められない経営者は滅びるしかないのだ。
親離れのタイミングを失った日本型借金経営
経営のあり方そのものが転換期を迎えている。
第二次大戦後、急速に復興した日本経済は世界の注目を浴びるに相応しい成長を遂げた。
異論はあるだろうが、経済発展だけを見ると、今、指弾されている日本の官僚機構が果たした役割も大きい。
金融機関を護送船団方式で守り、企業の資本不足を金融融資によって補い、独占禁止法の枠をかいくぐるためにメインバンク制によって緩やかなコンツェルンを形成して主要企業を育ててきた。
金融ビックバンは、私の私見だが、このような国が一体となった日本の産業構造を、アメリカが好ましくないと判断したことに起因する。
アメリカ資本の世界戦略に合致しなくなってきたに過ぎないのだ。
経営のありようもアメリカ型に合わせざるを得ない。
たとえばアメリカならば、事業を始めようとする時、まず出資者を集める。
百万ドルの運転資金が必要で、自分が十万ドルしか持っていなければ、十万ドル出資してくれる人を後九人集める。
儲かれば、当然配当する。
損をしたならサッサと解散してしまう。
借金もするが、日本のように日常資金、運転資金まで借入れに頼ることはほとんどない。
日本では一億円の事業を始めるのに一千万円しかなければ、一千万円でまず会社を設立し、銀行借入れと手形支払いによる実質的な後払いによって、事業を転がそうと考える。
最初から借金経営が前提となっていたのだ。
戦前の財閥が解体されて、これといった資本家層がいなかった状況では、官僚機構主導型の銀行融資という名の資本投下は有効に働いた。
最近の韓国の状況もこれに似ている。
産業育成のための主要な方策として湯水のように財閥へ資金を注ぎ込み、結果として資金が先にあって、後から何に使ったら良いのかを考えるあり様となった。
韓国政府主導型の景気浮揚策は、一時的には高度経済成長をもたらしたが、それも長くは続かなかった。
新規事業として考えられる選択肢などそれほど多くないので、それぞれが競合する産業に先を争って参入し、過当競争と過剰生産の結果、需給のバランスの崩壊と共倒れをもたらしたのだ。
自己資本の充実は何も銀行だけの問題ではない。
銀行依存型の日本型借金経営から一刻も早く脱却することを求められているのは、民間企業である。
それも零細企業ほどキャッシュフロー経営が絶対の条件となっている。
日本型の借入れ金依存型の企業では、倒産の時に多くの悲劇を生み出すことになる。
アメリカンスタンダードの社会では、借入れ金依存型経営は一本の頼りない糸に身を委ねる凧にしか過ぎない。
迎合するつもりはないが、自力を付けるためには大きな波に乗らざるを得ない。
経営者なら自分の理念は横に置いといても、まず生き残りを図らざるを得ない。
欧米の企業のあり方を勉強して、事業形態さえも合わせざるを得ないだろう。
いつかはオピニオンリーダーとしてイニシャティブを握り、自分の理念を実現することを夢見ながらも、今はチャンスを覗うことが唯一自分に出来ることだろうと思う。
日本企業のほとんどが、金融ビックバンの本質を見落とした。
アメリカの主導する新時代の資本主義は、すべての日本企業に、国家という名の保護者との決別を迫っていたのだ。
いる時はあまり有難味を感じることもなく、何もやってもらっていないと思っていた両親でも、ある日突然いなくなると困るのは当たり前である。
日本政府も大手企業には過保護で、出来の悪い弱者とも言える中小企業には冷たかった。
あまり利巧な両親ともいえず、突然、失踪して知らぬ存ぜぬの態度も許せないが、捨てられたからには一人で生きていくしかないだろう。
今、購買力の低下により、消費不況という名の、漆黒の闇のような不況が押し寄せてきている。
需要の減少を目の当たりにしながら、はたして安売り競争だけで現状が打開できるのだろうか。
各企業の対応を、あまりにも安易過ぎると思っているのは私だけだろうか。
そう言えば、金融機関からの借入れの時の『保証人』という制度も日本独特のものだと聞いた。
昔の隣組、連座制の名残りだそうだ。
民間企業の銀行ならともかく、公的機関であるはずの国民金融公庫や保証協会からの借入れに保証人を求められるのは、確かにおかしい。
保証人に資産があるのならば、国民金融公庫や保証協会から借りるのでなく、保証人本人から出資か融資を受ければいいのである。
借り主も保証人の予定者も、その金がないから借りるのだ。
何もかも保証人を取るというのは、もしもの場合の被害者を増やしているだけである。
保証人を取らない代わりに、事業計画をより丹念にチェックして、ずさんな計画なら貸さない、実現性の高い計画なら保証人なしでも融資する。
それぐらいのことは公的機関ならやるべきだと思う。
そのための公的資金融資であるわけだから、人手が足りないなどと甘えたことを言ってないで、しっかりして欲しい。
勝利者なき価格破壊戦争の果てに来るもの
不況に耐え、何とか景気が持ち直すまで頑張ろうと必死の努力を続けている経営者も多い。
競争力を高めるために製造原価や利益率をギリギリのところまで落とす。
そのためにリストラをおこない、骨身をもうこれ以上は削れないほどに削り込む。
安売り攻勢をかけた量販店は、一時的には勝利を収めたかに見えた。
しかしこれも長続きはしなかった。
不景気に対する緊急避難としては、『戦術的』には間違っていなかったのだ。
がしかし、予想をはるかに超える長期不況の下では、勝利者なき泥沼の戦争を自ら招聘したとしか言いようがない。
『戦略的』な状況分析に誤りがあったのだ。
バブル景気の時代には、手数を多く出したほうが勝利を収めた。
クズのような山奥の土地でさえも値上がりを続けた時代だった。
戦場の数がチャンスの数であり、チャンスを一つでも多く掴めば、利益につながったのだ。
時代はコペルニクス的展開を見せた。
自分では出来なかったのに生意気なことを言うようだが、今や、勝てる戦争だけに臨む、負ける戦争はしない。
見栄などかまってはいられない、脱兎のごとく逃げるのも経営判断の内なのだ。
幸いなことに、手を出しさえしなければ『不戦敗』にもならない。
キノコにも食べられるものもあれば毒キノコだってある。
フグだって毒の部分に手を出さなければこんなに美味しいものはない。
事業をやっているものだけが、無理をして常に何かをやろうとする。
そして、ただ一つのビジネスチャンスも見逃すまいと、やっきになって何にでも飛びつく。
ワーカーフォリックならぬ『事業ダボハゼ症候群』に陥っているのではないだろうか。
人は、他人と競争して、精神が高まり過ぎると視野が狭くなる。
目先の競争に勝つことばかりを考えていると、地獄へ向けて突っ走り、有難くない『破綻』というゴールテープを切ることになる。
いったん事業につまずいた後、いろいろな話が飛び込んできたが、金も時間もなくホゾを噛む思いで見送らざるを得ない状況が続いた。
ところが不思議なことに、さらに次から次へとチャンスが飛び込んでくる。
挙句の果てに、「資金がなくて」と言い続けていると、「金はこちらで負担します。リスクも負わせません。知恵と力だけを貸してください」と言った夢のような話も飛び込んで来た。
その時になって初めて気が付いた。
金持ちのところに金が集まるのも、一切無理をせず、間違いないと思ったことさえもシブシブ神輿をあげるので、さらに金が転がり込んでくるのだ。
チャンスの女神には後ろ髪がない。
後から追い駆けるようでは商機は掴めない。ただひたすらチャンスを待ち続ける体力こそが必要だと思う。
これからは、リスクの分散やリスクヘッジだけでなく、過当競争から如何に遠くに身を置くか、そして本当のビジネスチャンスを見極める知恵が、経営者の欠かせぬ素質とさえなったように思う。
そう言えば、昔は手形帳を文房具店で売っていたという話を聞いたことがある。郵便局でも売っていたそうだ。
アメリカに住んでいる友達が、「こっちでは手形なんてないと思うよ」と言っていた。
真偽のほどはそのうち調べて見ようと思うが、手形払いというシステムそのものが可笑しいように思える。
手形で支払うことによって支払いを終えたつもりになり、受け取った側も回収したつもりになる。
私も受け取った手形を割引きに出して現金化した瞬間、その手形が不渡りになって、買い戻すようなことがあるなんて忘れてしまっていた。
借用書か私製紙幣にしか過ぎないような手形に頼るようでは、事業がつまずくのも当然と思える。
私は銀行取引き停止処分の解けた今でも、当座預金口座は開設しないと決めている。
その後引き受けたいくつかの経営も、手形を持たないことを条件にさせてもらっている。
倒産前、手形の決済日が近づくと眠れない日々が続いた。
決済に必要な金額の入金が予定されていても、もしかして入金がズレたらどうしようなどと、胃のシクシク痛む日が続いた。
今では、もし入金がズレて支払い日に払えなくても、その時は取引き先に謝りに行けばよいと覚悟を決めている。
この間、手形決済を乗り越えるために街金に手を出してどうしょうもない状況に陥った例を、イヤと言うほど見てきた。
再建の相談を受けた時には、まず手形払いをなくさせることから始めさせた。
先方の取引き先にも、そのようにしないといつつまずくかわからない、と説明するとほとんどが理解してくれる。
手形を振り出さないことが信用となることもあるのだ。
開き直らなくて戦争が出来るか
いまだにそのままになっている私自身の債権者のことを思い出せば、次の言葉を書くのは本当に胸が締め付けられる。
それでも書かざるを得ないだろう。
『開き直りなさい』。この本で書きたいことのすべてが、この言葉に凝縮される。
あなたが、どのようにすれば立ち直れるのか。
この問いに応えられる答えが『開き直れ』という一言に尽きるのだ。
出来ることと出来ないことを明確に分け、出来ない約束はしない。
無理はしても無茶はしない、このことに尽きる。
事業を始めた瞬間から、あなたは戦場に身を置いている。
努力しました、頑張りました、誠心誠意尽くしました、などの過程は誰も評価しない。
勝ったのか負けたのか、儲けたのか損したのか、結果がすべてなのだ。
努力賞もなければ敢闘賞もない。
勝ち続ける以外にあなたの生き残る道はないのである。
私が取引き先の倒産による連鎖倒産によって危機に陥ったことは先に述べた。
不思議なことに、私の会社の債権者集会と同じ日にその会社の債権者集会が開かれた。
前述したように私のほうは債権者集会で半ば励まされ、事業継続をしていくことで同意を得た。
自分の債権者集会が終わってから、もう一つの債権者集会、私が不渡りを食らった取引き先の債権者集会へ足を運ぶ結果となった。
この会社、A理工の債権者集会は怒号の嵐だった。
答弁のすべてを弁護士がおこない、社長は一言「ご迷惑をお掛けしました」と小さな声で囁いただけだった。
唖然として眺めているうちに終わってしまい、何がなんだかわからなかったが、その後二度とその会社の債権者集会は開かれていない。
何のことはない、誰もが方向性を見い出せないまま、結果としては不満をぶつけただけで、すべてがうやむやになってしまったのだ。
私は債務を確認し、返済計画を提示した。
それさえも遅れに遅れていまだに実現してはいないが、その時の合意は私の胸に重く圧しかかり、計画の遅れはあっても忘れたことはない。
すべての荷物を背負い込んだが、私は後悔していないし、その時に出席して激励の言葉をかけてくれた債権者に今でも感謝している。
それが私の再出発点だったからだ。
今、A理工の社長は過去のすべてを忘れ、新しい事業に邁進している。
成功しているとは言えないが、新宿や渋谷のクラブに夜毎に通っているそうだから、一応立ち直ったと言えるのかもしれない。
当時迷惑をかけた債権者の人たちの存在をも忘れてしまっていれば、心も安らかだと思う。
A理工の社長の進んだ道も、私の主張する『開き直り』と五十歩百歩なのかも知れない。
しかし私は、違うんだと主張し続けるだろう。
『俺たちはは戦場に居るんだ、甘えは許されない。手段を問わず生き残るしかない。しかし自分の行為に対して、永久に責任は逃れられない』
キレイ事だろうか。私はそうは思わない。
企業を作ったのは私だ。そしてあなただ。
自分の作った会社に対し責任を持つのは、子供を産んだ母親と何の違いがあるだろう。
子供のためになら真剣になれる、命も賭けられる。
その思いなくして事業経営は成り立たない。
本当の意味で責任をまっとうするためなら、一時的には強行突破も必要になるだろう。
相手を説得するためには、時にはヤクザなみに、
「冗談じゃない。俺だって所帯張っているんだ。半端じゃねえぞ。その俺が責任持つと言ってんだ」
くらいの啖呵を切って仕事に立ち向かいたいものだ。
※ この原稿を書いてから二、三年立って、『借金は返すな』という内容の本が次々と登場した。違うんじゃない。借りたものを返すのは当たり前だろ。返済計画を立て、最大限努力する。社会人として当然のことなんじゃないだろうか。
時給八百円也、高級クラブからの遠足の日々
倒産後のどん底の時、ビデオなどの商品を主に手掛けた。
書籍などの印刷物と違って製作期間も短く、小さなロットで手掛ければリスクも少ないと判断したからだ。
幸い協力してくれる業者さんもいた。
ビデオの業者さんたちは、利益率が高いのか夜の遊びには金を使う。
新宿、赤坂、渋谷、六本木と飲み歩く。
誘われることも多くなるが、何しろ私には金はない。
「イャア、手持ちがなくて」と断っても、「気にするな、ご馳走するよ」と誘われて断れない。
飲み歩けば夜中の一時、二時になる。
一人何万円もの支払いは取引き先の社長がしてくれるが、最終電車はもうない。
お店ではタクシーを呼んでくれるのだが、「クルマ代がないので貸してください」とまでは言えない。
タクシーに乗って、ワンメーターが上がる前に、「ごめん、もう一軒寄って行くからこの辺でいいよ」と降りることにした。
家までは到底歩いて帰れないので、会社まで歩く。
遠い場所なら二時間、比較的近い新宿からでも一時間ほどかかってしまう。
暖かい季節はまだそれでも我慢出来たが、雨の日や寒い時には本当に堪えた。
雪の日もあったっけ。
会社へ戻って寝袋に潜り込む。
コンクリートの床の上なので身体中痛くなるが、それでも結構寝られたものだ。
普通の日も、交通費をケチって出来るだけ歩くようにした。
電車の場合、三駅程度なら歩いて行った。
倒産前まで持病の胃潰瘍の痛みで青くなっていたことが多かったのだが、いつの間にか治まっている。
どうやら歩き続けたことと、ジタバタしても始まらねえと覚悟を決めて、悩むことが少なくなったせいだろう。
疲れ切っているせいかベッドに入れば、一瞬にして眠ってしまう。
夢を見る暇もなくなった、と同時に、悩む暇もなくなった。
すこしでも現金を稼ぎたい。
働きに出ることも考えたが、高石書房の仕事を優先したい。
そこで相談に乗ってもらったのが、ビデオのアッセンブリ(テープをケースに入れたりパッケージしたりすること)の請負いをやっていた町工場の社長だ。
三人ぐらいの社員を使って夜遅くまで仕事をしていることに目を付けた。
社長の自宅と同じところに工場があるので、社員が帰ってからも一人で機械を動かしていると聞いていた。
「何日手伝えるかわかりませんが働かしてください」
「こっちから頼みてえぐれえだ。でも時給八百円しか払えねえぞ」
と言うことで商談成立。高石書房の仕事を終えてから通い始めた。
最終電車ギリギリの十二時まで働くのだが、立ちっぱなし。
町工場の社長も七十を過ぎているというのにTシャツ一枚になって機械と格闘している。
途中で、お茶にしようと声がかかる。
三十分ほど休憩してまた格闘が始まる。
毎日その場で現金でくれるのだが、「ハイ、休憩の時間を引いて三時間半の分」。
休憩時間の分はチャッカリと引かれてしまう。
一度、どうしても手が足りないと言うので息子にも手伝わせたが、
「お父さん社長だろう。こんな仕事、お父さんはやっちゃ駄目だよ」
と言われてしまった。
あまりにも惨めな姿に映ったのだろう。
それでも結構長い間働かせてもらった。
わずか二、三千円でも現金が入ったのは嬉しかったし、単純作業で汗をかいていると余計な悩みも忘れることが出来た。
それと同時に、町工場の、実労時間分だけのわずかな労賃を払ってもなかなか採算の採れない請負い仕事の厳しさも体験できた。
街金さんコンニチワ。ない袖は振れません
倒産後三年ほど過ぎたある日、一通の内容証明郵便が届いた。
四千三百万円也の債権譲渡通知書だった。
倒産直後、四苦八苦していた時、面倒を見てくれるという印刷会社が現われた。
千葉県にある印刷会社だった。
当時はほかに無理を頼めるところもなく、倒産で迷惑をかけた印刷所には、これ以上の面倒をお願いすることも出来ない。
千葉県の印刷会社の社長の好意に甘えて、次々と仕事を依頼することになった。
最初は順調だったこの印刷会社も、長引く不況には勝てない。
なぜ街金の手に渡ったのか経過は知らないが、積もり積もった私の会社への売掛け債権を、『Kリース』という街金に譲り渡したのだ。
これにはもう一つ、私の失敗がある。
不覚にも『公正証書』を交わしてしまっていたことだ。
「銀行借入れをするのだが、返済計画の材料として公正証書を交わして欲しい。銀行に提出するためだから何とか頼む」
と言われ、不承不承印をついてしまった。
女房には、「だからあれほど止めたのに」と言われても返す言葉もない。
どうしようかと考えているうちに、先方から電話がかかってきた。
こうなれば腹を決めるしかない。
押しかけられては面倒なので、こちらから出向く約束をした。
当日、約束の場所には、大柄で、白髪にパンチパーマをかけたような、いかにもヤーさんふうのKリース社長と、お供のようなちょっと背の高い男がベンツに乗って現われた。
絵に描いたような街金さんの登場だ。
当然のように「まとめて払ってくれ」という。
債務のあることは事実なので、「支払う意思はあるが、今は到底支払える状況ではない」と答えると、それは半ば予想していたのだろう、分割でもいいという。
分割の金額の交渉になったが、こちらから毎月十万円と切り出すと呆れられて、すったもんだの繰り返しになった。
「五千万円近い金額を、毎月十万円ずつで、いったいいつになったら返し終わるのか」
「延滞金だって発生している」とも付け加えられた。
「金利や延滞金は一切払えない。ほかにも一銭も返していない債権者がいっぱいいる」
また掛け合いになる。
「ない袖は振れない。その代わり約束したことは守る」
強引に言い張り、ついに毎月二十万円の返済で押し切った。
この街金の社長とは、この後もいく度か会う機会もあったが、その後に知り合ったKリースのオーナーに、私のことを「インテリヤクザふうの社長だ」と報告していたらしい。
クソ真面目に生きている俺に対して何だとも思ったが、知り合ってみるとこの社長も雇われ社長の身で、人も良さそうだ。
こっちもヤーさんふうと思ったのだから、どっちもどっち。
まあ許してやろう。
この話には後日談がある。
Kリースの社長に出会って二年ほど経ってからKリースのオーナーと出会った。
ある商品の仕入れ先を教えてくれと言うのだ。
オーナーは『中村』と名乗ったが、本名でないことはその後で知った。
商売は不調に終わったが、それから半年後、事件が起きた。
この事件の内容は、少しほとぼりを冷ましてからでないと紹介できないので、『第二幕』に持ち越すが、この事件の対応に追われているうちに、その月の返済が出来なくなってしまったのだ。
これはシマッタと思ったが支払い延期を頼むしかない。
恐る恐る自称『中村さん』に電話を入れた。
第二章後半へとつづく
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