一日一冊読書日記

2025.01.21
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カテゴリ: 自己啓発

人生に、上下も勝ち負けもありません。 焦りや不安がどうでもよくなる「老子の言葉」 (日経ビジネス人文庫) [ 野村総一郎 ]

【はじめに】
思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方
 はじめまして。野村総一郎と申します。
 詳しい経歴は「おわりに」にゆずりますが、ごく簡単に話しますと、私は精神科医として45年間、延べ10万人以上の患者さんと向き合ってきました。そのなかには、
あの人はズルくて要領がいいのに、自分は不器用で損ばかりしている
友人たちは充実した生活を送っていて妬(ねた)ましい
 といった思いを抱えた人たちがたくさんいました。
 そうした悩みや不安の根本的な原因はいったいどこにあるのでしょう?
 大きな原因のひとつは「いつも他人と比べてしまっている」ところにあると私は考えています。「他人と自分」の関係に悩み、過分に苦しめられているのです。
 この悩みに対して、とても有効な方法がひとつあります。
 それは「ジャッジフリー」という思考を取り入れること。
 「ジャッジフリー」ってどういうこと? と思われる方も多いでしょう。
 「ジャッジ」とは「判定する」「判断を下す」という意味の言葉。
 さらに言うなら「何が正しいのかを決める」という意味合いを含んでいます。
 この「ジャッジすることを意識的にやめる」のが「ジャッジフリー」の思考です。
 じつは私たちはさまざまな局面で「ジャッジ」をほとんど無意識にしています。
 優劣をつけ、勝ち負けを意識し、上に見たり下に見たりしているのです。
お金がある人は幸せ。ない人は不幸。
顔がいい人は幸せ。そうでない人は不幸。
仕事で評価されている人は偉い。されていない人はダメ。
友人が多い人は素敵。少ない人は寂しい。
話が上手な人はかっこいい。口べたな人はかっこ悪い。
 数え上げればキリがないほど、世の中は「ジャッジ」に溢れています。精神科のクリニックにも、こうした「ジャッジ」に苦しんでいる人がたくさん訪れます。
 そんなとき私は患者さんたちに「自分で勝手に優劣をつけてしまっているだけではありませんか?」と問いかけ、「その行為をしている事実」をまず理解してもらうよう努めます。
 そして「ジャッジしないことの大切さ」をていねいにお話ししていきます。
 「ジャッジフリー」はじつは私の造語なのですが、よくストレスのない生活を「ストレスフリー」と言うでしょう。そのストレスを生み出している原因のひとつが「ジャッジ」です。ですから、ストレスフリーを目指すなら、まず「ジャッジフリー」から始めてみてほしいのです。
 ただ、この考え方自体は私のオリジナルではありません。
 じつはこれ、古代中国の思想家・老子(ろうし)のメッセージなのです。
 老子と聞くと「名前くらいは知ってるけど、何をした人だっけ……」という方も多いのではないでしょうか。
 諸説ありますが、老子は紀元前8世紀頃の中国、春秋戦国時代と呼ばれる動乱期に活躍したと言われる思想家です。しかし、その出生も、実在したかどうかさえ謎に包まれている、とても神秘的な存在です。
 そんな不思議な人物の言葉が2500年の時を超え、国をも超えて、今なお多くの人の心に影響を与え続けている。
 考えてみるととてもすごいことです。
 それだけ各時代の人たちが「これをまとめて後世に伝えなければ!」と強い思いを持ち、継承してきたわけです。ある意味「真理」である証拠とも言えるでしょう。
 では、老子はどのような言葉やメッセージを残しているのでしょうか。
 たとえば、こんな一節があります。
琭琭(ろくろく)として玉の如(ごと)く、珞珞(らくらく)として石の如きを欲せず。
[現代語訳]
 ダイヤモンドのような存在になったらなったで、それもいい。石ころのような存在になったのなら、それもまたいい。
 それが自然の姿なら、受け入れて、ただ生きていくだけ。
 そもそも「何かになりたい」「なりたくない」ではなく、自然のままでいいじゃないか。ダイヤモンドと石ころに優劣をつけて、ジャッジしたりはしないよ、というスタンスを老子は説いています。
 老子に言わせれば、世の中にある物事についていちいち「よい、悪い」「偉い、偉くない」「すごい、すごくない」とジャッジすること自体がおかしいというわけです。
 これを老子は「無為(むい)」という概念で説明しています。
 どんな存在でも自然のままにいれば、ただそれだけでいい。わざとらしいことをせず、自然に振る舞えということ。これこそ「ジャッジフリー」の思想です。
● 精神科医として現場で感じた「老子哲学」の効果
 私は精神科医ですから、カウンセリングをしたり、薬を処方したりするなど医療的対処で、これまで多くの患者さんと向き合ってきました。しかし、ときにそうしたアプローチより「老子の教え」が効くことがありました。
 ある日、患者さんにポロッと老子の言葉を話したところ、泣き出してしまったのです。
 ここで言う「効く」とは、その人に生きる希望を与えたり、自らの環境や境遇の捉え方を変える大きな気づきを与えたりすることです。
 もちろん私も最初から「老子の言葉がうつ病に効くだろう」と思っていたわけではありません。患者さんと向き合っている過程で、私が好んで読んでいた老子の言葉をたまたま紹介したら、それがすごく心に刺さり、実際に症状がよくなっていく人がいる。そんなケースを何度も経験することになったのです。
 こうした現場体験を積み重ねていくと「老子の言葉が『心に効く』合理的な理由があるのではないか」と考えずにはいられません。
 近年の精神療法では、認知行動療法、対人関係療法に代表される西洋由来の技法が重要視され、その効果が広く認められています。
 もちろん、その価値は揺るぎませんが、一方で西洋的な精神療法が先進的であればあるほど「それに適応しにくい」と感じるケースも出てきます。
 考えてみれば当然の話で、そもそもヨーロッパやアメリカと日本やアジアを比べれば、文化や価値観、思想などさまざまな違いがあります。
 西洋はどちらかというと合理的で、父性的。かつてオバマ元大統領が強くメッセージした「CHANGE」のように「変わらなければならない」という思想が強いでしょう。一方、東洋のほうは母性的な「なんとかなるさ」といった思想が強く、ある意味では「甘え」を許し、肯定してくれる。そんなイメージがあります。一概には言えませんが、こうした傾向があるように私は感じます。
 ここ何十年かのうちに、日本人の文化や価値観はかなり欧米化し、ライフスタイルも欧米に近づいたのは事実でしょう。
 しかし、根底には日本人ならではの感じ方や考え方がありますし、西洋の文化、文明とは異なる「東洋の価値観や思想」が当然あるわけです。
 「心」の領域を扱う精神医療において、やはりそこを見過ごすことはできません。
 意義や効果が証明されている西洋由来の医療にも、やはり「日本らしいカスタマイズ」や「東洋思想に見合ったアプローチ」がどうしたって必要なのです。
 そのアプローチのひとつとして期待されるのが老子哲学。私はそう捉えています。
● 元気なときの孔子、いまいちなときの老子
 老子が活躍した古代中国の春秋戦国時代はまさに動乱期。さまざまな価値観、思想が噴出した時代でもありました。
 その時代を代表する思想家が孔子(こうし)と老子です。
 似たような名前ですが、考え方は正反対と言ってもいいくらい違っています。
 ふたりを対比した表現に「上り坂の儒家(じゅか)、下り坂の老荘(ろうそう)」という言葉があるほどです。
 「儒家」とは儒教、孔子の教えであり、「老荘」とは老子哲学のこと。
 「老荘」の「老」とは老子のことで、「荘」は同じく古代中国の思想家「荘子(そうし)」を指します。荘子は老子哲学を継承しているので、広い意味で「老荘=老子哲学」と言って差し支えないと思います。
 孔子の教え、すなわち『論語』は社会のなかで生きる術(すべ)を書いたものです。礼儀を重んじ、自らを厳しく戒めるような思想です。
 一方、老子はそんな社会の外側に立って「まあまあ、それでいいじゃないか」という考え方なのです。
 ですから、人生が上り坂でイケイケのとき、物事がうまく運んでいるときは孔子の教えに従って、厳しめに自らを律していくとよい。
 しかし、人生が下り坂でいまいち元気がない。そんなふうに行き詰まっているときは、老子特有の「ゆるさ」や「自由気ままさ」に寄り添ってみてはどうか。
 それが「上り坂の儒家、下り坂の老荘」の意味でしょう。
 もし今、あなたの人生が上り坂の時期だとしたら、今すぐ本書を閉じ、『論語』を読み始めることをおすすめします。
 一方、もうひとつ元気がない、今の境遇をなんとかしたいと悩み、苦しんでいるとしたら、ぜひ本書の続きを読み進めてみてください。
● 悩める人が陥りやすい「4つの心的傾向」
 そもそも人はどんな種類の「心の問題」を抱えてしまうのでしょうか。
 よく見られる心の傾向は次の4つに分類することができます。ちなみに、これはうつ病の心理特性を表したものです。
自分は弱い=劣等意識
自分は損をしている=被害者意識
自分は完璧であるべきだがむずかしい=完璧主義
自分のペースにこだわる=執着主義
 これを踏まえて、老子哲学の要諦を私なりにまとめてみると、おもしろいくらいこ れらの心的傾向に対応していることがわかります。
①劣等意識
 「自分は弱い」「ダメな人間だ」「あの人はすごいのに、自分には何もとりえがない」というのはとてもよくある心的傾向です。こうした劣等意識は、自分の内側に向けられた感情と表現することができるでしょう。
 しかし、老子は「強い者が勝つ、弱い者が負けるというのは思い込み」、そんな思想を語っています。優劣の発想そのものが「思い込み」と老子は捉えているのです。
②被害者意識
 「あいつはズルくて要領がいいから得をするが、自分はいつも割を食っている」といった、いわゆる被害者意識は自分の外側に向けられた感情と表現できます。①の劣等意識と②の被害者意識を同時に持っている人もけっこう多いと思います。
 しかし、いずれにしても老子はさまざまな言葉のなかで「多くを望まなくていい」というメッセージを発しています。損得勘定による被害者意識は「知らず知らずのうちに多くを望んでいる自分自身が生み出している」のかもしれません。無意識に多くを望んでしまっている人にとって、とても大切なメッセージではないでしょうか。
③完璧主義
 「自分は完璧でなければならない」「こう、あらねばならない」という完璧主義もよくある傾向のひとつです。
 「完璧を求めること」自体は、必ずしも悪いわけではありません。その向上心がいいほうへ向かえば、仕事や生活のクオリティを高めることもあるでしょう。
 ただしそれが自分を追い詰めてしまう、となると問題が起こってきます。
 その結果として「自分はダメな人間だ」という①の劣等意識につながることももちろんあります。
 しかし、老子は「所詮、価値は相対的なもの。絶対的な価値基準など存在しない」と説いています。完全無欠の「完璧なもの」などあり得ない。完璧につくられた作品も時代や場所が変われば、その価値はあっさりと変わってしまいます。そんな「不確かな完璧」を追い求めるなんてナンセンス。そんな真理を老子は教えてくれます。
④執着主義
 ③の完璧主義と似ているようで、少し違う心的傾向に「執着主義」「こだわり主義」があります。
 自分の考えや価値観に固執するあまり、自分と異なる考え方を受け入れることができない。その結果、孤立してしまったり、人間関係のトラブル、ストレスを抱えてしまったりするパターンです。
 しかし老子は「自然のまま、流れに任せて生きるのがいい」と語ります。
 「こだわりを持ってもいいし、持たなくてもいい」「孤独になってもいいし、多くの人と関わってもいい」。そんなことに右往左往するのではなく、ただ自然のままに生きていけばいい。
 「こだわりを持つな!」「もっと他人を受け入れよう!」と言わないところがじつに老子らしいところ。まさにジャッジフリーを感じさせる思想ではないでしょうか。
 いずれにしても、まず「自分はどういう心的傾向を持っているのか」を知るだけでも、何かしらの対処をする一助になります。そういう意味でも、この4つを覚えておくのはいいと思います。
 私は精神科医として、4つの心的傾向を(極端に)持つ人たちと日々向き合ってきましたが、こうした人たちにも「老子哲学」が何かしらのきっかけとなり、気づきを与える可能性があると現場を通して強く感じてきました。
 老子哲学は、ある意味では「弱さを承認する思想」ですから、「甘えを認める哲学」と取られかねないところがあるのも事実です。
 でも、それならそれで、ときにはいいじゃないですか。
 今という、いささか窮屈な時代を生きるには老荘思想のような、ちょっと肩の力を抜いて「抜け道をひょうひょうと進んでいく」ような心持ちがむしろ武器になるとすら思うのです。そんな伸びやかな「老子の世界」を少しでも味わってみてください。
 最後に、本書は2019年に刊行した『人生に、上下も勝ち負けもありません』(文響社)を文庫化したものです。時代に合わせて新たな項目を入れ込み、再構成をしています。SNS(交流サイト)などの普及もあり他者と自分を比較する局面が増え、さらに窮屈さを増した今、老子の教えがいっそう必要とされるに違いありません。
 多くの方の「心の処方箋」となることができれば著者として望外の喜びです。
野村総一郎





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最終更新日  2025.01.21 00:00:23
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