ドえすの株日記 (感謝してます)

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第13話 風雷の軌道

第13話 風雷の軌道

ウラベがどうしてリャンピンを持っていて、かつそのリャンピンをなぜきっていったかってことは、俺の積み上げた戦略という積み木の、いわば頂点。
そこだけ話しても分かりにくいから、一段目のことから話しましょう。
「一段目?」
実はここが一番重要。
麻雀で勝つには、その男の根っこにある原始的な思考の流れを見定めなければいけない。
それが土台。
その土台の上に戦略という積み木を積み上げる。
積み上げ、積み上げ、高みに届けば、ウラベを導くことが出来る。
最終打、リャンピン切りという地獄に。
人は危機に相対(あいたい)した時、その本質が出る。
それを通常の状態、普段の動きの中で測り、見極めなくては。
序盤はその本質を測ることが肝要。
俺が最初オサムをかませていったのも、いわばその探り。
あの時ウラベはオサムを自由に泳がせた。
奴ならオサムと相対した瞬間に、その技量のおおよそは察しがついたはず。
にもかかわらず、奴は見(ケン)に回った。
そのとき、俺はある臭いを嗅いだ気がしていた。
「臭い?」
奴の心の深いところに根ざしている心理の癖、方向性が臭った。
簡単に言えば、奴は危機に相対したとき、たぶん突っ込まず、かといって引かず、立ち止まるタイプの打ち手。
保留の麻雀が奴の本質。
だからオサムをケンした。
様子見ってやつさ。
その傾向は俺が卓に入っても続いた。
俺のボウテン即リーチに対して、やつは慎重にまわしていった。
まわして器用に上がりを取ってはいたが、代わりに大事なものを失っていた。
「大事なもの?」
まわしていった捨て牌と、上がり手をそらすことによって、何が通りそうと感じ、何を押さえに回っているか、そういう癖・傾向・奴の打ち筋が浮かび上がる。
そしてそういう情報が、結局最後に物を言うのが麻雀。
奴が失ったものは自分の情報。
一方俺は完全に伏せた。
南2局の~
8千点払ってでも手牌をを見せなかった。
あの時俺は点棒上ウラベに大きく溝を開けられたが、情報戦という見地からは圧勝していた。
奴は俺に対してなんら具体的な材料を手にしてなかった。
そうしておいて攻めた。
次局まずはスーアンコウオープンリーチ~
ウラベの理論、経験則に全く当てはまらない解析不能の打ち筋。
ウラベはあの時、点棒を拾ったが、俺に対する印象はますますモヤの中。
その不気味な印象は全く消えていない。
しかしリードは、南2局で7万という大差がある。
となれば、逃げに回る。
今度はその逃げを討つ。
偶機の北(ペイ)待ち。
本来 ありえない待ち。
しかも点棒的にも詰め寄られる の3倍満。
この一撃で逆転の射程圏内。

あの時ウラベは平静を装っていたが、内心はかなり動揺していた。
ケツに火がついた終盤、ここからが正念場というのに、相変わらず俺の姿が見えない。
大金の懸かった勝負だというのに、戦っている相手の姿が見えないのだ。
こんな状態のウラベが最後に頼るものといったら、もう理しかない。
長年培ってきた合理的な考え方しか。
しかし、実はその合理性こそ、付け込める隙。
追う俺からすれば、そう心が動くこと、それこそが俺の狙い。
そして迎えた最終局。

この局の最初、ウラベには攻めっ気があった。
が、それはあくまで理によってそう動かされているだけで、勝つという信念によってではない。
そんな攻めっ気など状況によってあっさりひっくり返せる。

ウラベに明らかに見て取れる動揺・ショック。
しかしここではまだ降りない。
俺が積もったらハネ満の目があるからだ。
とはいえ、まっすぐには来ない。
まわす。
リャンピン切り。
これこそ奴の本質。
苦しくなると出る原点の性質。
保留癖。攻めでも守備でもない。
ただその場で立ち止まろうとする心の動き。
これが出るって事は奴が弱い気持ちに流れている証拠。

恐れるものがマンガン直撃のみとなると、もう持ちこたえられない。
次に危険牌を引くと今度はベタ降り。

これもいわば保留の発想。
今局中ではなく次局へ決着を先延ばしする考え。
保留という名の逃げ。
案の定、スーピン以降も現物の連打・ベタ降り。
これでこの局、ウラベの勝ちは消える。
正念場で奴は下がった。
俺が南2局のチョンボの8千点を払ってでも買いたかった後の3巡とは、中切りからドラ現物の六萬、そしてスーピン切りまでのこの3巡のこと。特に9巡目のスーピン。この退却の決断を引き出したかった。
仮にこのとき、やつに攻めっ気が残っていたら、この勝負もどう転ぶか分からなかった。
奴の最終形がこの形なんだから、捨て牌を見れば上がる道は幾らでもあった。
たとえばこんな形の上がりもありえた。
だが、これは蛇足というか埒のあかぬ想像。
なぜなら、そう動けぬよう縛るのが俺の麻雀。

皆言葉を失い聞き入っていた。
その中を静かに流れるアカギの理。
それは、単なる確率ではなかった。
アカギの理。それはウラベの血の流れ・吐く息・吸う息まで聞こえてきそうな相手の心理と抱き合わせで進行していく生きた理そのものだったのだ。

結局このスーピンが分岐点。この後ウラベは100%守勢に回る。
現物の連打・ベタ降り。しかし、考えてみればそれも当然。
俺はこのとき二つ晒してドラを切り出している。
まして、ウラベは自分の分を大きく上回る大金を賭けている。
甘い読みはしない。
ここはテンパイと読む。そうなると危険牌は一切切れない。
現物があるうちは、現物でいく。
しかしその固い考えこそまさに餌食。
あの時、俺はテンパイには程遠い。
しかし、奴はそんなことは想像もしない。
ただ恐れ、命を繋ぐ綱である現物を無意味に消費していく。
そして肝心な終局間際、種が尽きる。
最後の一打という時、現物は尽きた。
結局タンヤオと踏んでいた俺の手は、ただ一度の捨て牌に上がりを絞った。
ハイテイ狙い。しかも単騎待ち。
この待ちは読めない。
すでに奴の読みが効く範疇を越えている。
ならいっそ、今引いた西(シャ)を切り飛ばせばいい。
これこそ偶然の一牌。
罠など存在しようが無い。
だがそれが出来ない。
それほど奴の疑心暗鬼の根は深い。
あの時、奴は手牌全てが危険牌に見えた。
まず今引いてきた西が切れなかった。
ラスヅモは俺のヤマ。
直前の で引かされた西。
故意に掴まされたかも。そう考えたらもう切れない。
続いてハツだが、これも切れない。

そう思える。ウラベには。
しかし罠を打とうとする者には今話した通りそうな理由って物がそっくりそのままこのリャンピンで待つその理由となる。

奴には拭い難くその傾向がある。
身体に染み付いたパターン。

ヤケか。そういう人間でもないな。

元々損得で勝負事などした事などない。
ただ勝った負けたをして、その結果無意味に人が死んだりする。
その方が良い。
その方が博打の本質である理不尽だし、そのふちに近づける。
それが博打の醍醐味だ。

奴の怒りは本当の怒りじゃない。だから目の前にある復讐のチャンスを見送った。
要するにそんなレベルの男。
怒りにさえ損得を絡めてくる通俗性。
あの男は死ぬまで純粋な怒りなんて持てない。
そして本当の勝負なんて生涯出来ない。
俺も、本当の勝負は出来ない。
あんな奴相手には。
あれでは足りない。

アカギが本当に望んでいるもの。
自らの命、破滅さえも賭ける本当の勝負。
アカギがその戦いに出会ったのは、この1年後だった。


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