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曹操閣下の食卓
☆キッシンジャー理論
私が学生たちと、牛丼チェーン店に入った時のことである。
「何でも注文しなさい」と言ったら、ある学生は、牛丼とトロロと生卵を注文してしまった。
「これは組み合わせが悪いなあ」ということに、彼が気づいたのは後の祭りであった。
しかたがないので、牛丼から牛肉を引き上げて生卵とまぜ、すき焼卵のようにして、トロロをドンブリの白飯にかけるようにさせた。
学生たちは喜んで言った。
「さすが戦略家の発想は違う。」
私は苦笑した。
「またつまらないもので知恵を使ってしまった。」
こんな簡単な実例で、キッシンジャー博士のリンケージの方法論を思い出すのは適切ではないかもしれない。
が、要するに組み合わせを整理すれば、バラバラに見えるものにも順序や相互作用をうまく演出することができるのである。
その原理は、ニュートンの自然法則のように、あらゆるケースに適用できるのである。
「牛丼」という最初のテーマでは、牛丼に生卵をかけると、トロロが余り、牛丼にトロロをかけると、生卵が余る。
生卵とトロロを一緒にすると、好きな人もいるだろうが、これはあまりいただけない。
そこで「牛丼」を白飯と煮込み牛肉に分割して、それぞれに組み合わせを整理したわけだ。
これと全く同じ形式のブレイク・スルーの方法を、われわれは外交問題に使うことができるし、商取引の営業などにも応用することができる。
戦略的な思考は、あまり大きな仮想実験で勉強するよりも、日常の思考の中に判断力を高めていくことが自分自身の修練になると思う。
これは柳生流や宮本武蔵、山岡鉄舟などの武芸者の奥伝にも説かれており、また臨済禅の開祖・臨済義玄の《臨済録》も日常の思考を活殺自在の場と考えることをすすめている。
休みなく知恵を働かせるという習慣によって、人間は生き方も行動も大きく成長できるという考え方である。
このようにキッシンジャーの方法論で最もユニークなのは、いわば「政治の一般相対性理論」ともいうべき基本的哲学であろう。
「牛丼」という一つの見方にこだわっていると、偉大なブレイク・スルーは生まれないのである。
たとえば、あなたの前にディナー・コースの最後に、バニラ・アイス一玉と熱いコーヒーが運ばれてきたとしよう。
つまり、二者択一の課題である。
ゆっくりとアイスを食べるのを優先すると、コーヒーは冷めてしまう。
ゆっくりと熱いコーヒーを冷ましながら飲んでいると、その間にアイスはとろけてしまう。
どちらをとるか。
ここでアイスクリームをコーヒーに浮かべて、ウィンナ・コーヒーにして楽しんでしまうというリンケージ・オプションが出てくれば、それがブレイク・スルーになるのである。
このリンケージを考えるとき、もちろんウィンナ・コーヒーについて知識を持っている人は良いのだが、そのことは知らなくても独自のセンスで、「こうすればおいしいじゃないか」という想像がつけば、リンケージの問題としては正解だといえる。
広い知識でも、独自のセンスでも、同じ回答が出れば、リンケージとしては成功なのである。
戦略問題で重要なのは、戦略の立案者本人が、知識もセンスも両方を磨いておくことが、よりよいブレイク・スルーを得られる可能性を高めるということである。
限りのある知識だけでは必ず失敗するし、独自のセンスだけで、どこまでもまぐれ当たりで勝ち進めるはずもないのだから、実践の中で両方を鍛錬する以外に道はない。
独自のセンスを鍛えれば、一つの知識を何倍に増幅して解釈することもでき、新たな知識欲もわいてくるものである。
「核兵器はかなりの距離から正確に(ミサイルで)到達させることができるようになるので、主要な核戦略部隊を戦闘地域に進出させる必要はなくなると思われる。さらに重要なことだが、これまで制空権と考えられてきたものを手に入れる唯一の方法は、敵の中距離ミサイルと大陸間ミサイルの大半をやっつけることである。このような作戦は、戦争を限定しようとする試みと調和させることが難しくなるだろう。」
この予測をもとに、キッシンジャーは核兵器が限定戦争の具として使われることにパラドックスを提起した。
それ以前まで、核兵器は爆弾であり、広島や長崎のように爆撃機で搬送されるものだと考えられていたので、制空権が絶対の要件であった。
核爆弾を搭載した爆撃機が敵側の戦闘機に取り巻かれて撃墜されるとしたら核兵器は自爆してしまう。(奇しくも、これが『終戦のローレライ』のテーマになるが)
したがって、核兵器を使用する前に制空権を確立する戦闘があり、核兵器を使用する範囲も全く限定的なものであった。
ところがアイゼンハワー政権で、いわゆる「スプートニク・ショック」以後、核兵器はロケットによって、世界のどこにでも無制限に落下することができるという技術的な可能性が生じてきた。
この新たな現実に、ただちに対応したのがキッシンジャーのような若手研究者だったのである。
それまでキッシンジャーはスプートニク以前の環境で、「先制核攻撃の準備が核抑止力となる」という理論に基づいて、核兵器を装備した米軍部隊を世界各地の米軍基地に展開する政策を支持していた。
スプートニク・ショック後、彼は理論の基礎が崩壊したことを宣言し、米ソともに核兵器が実際には使用できない環境において、通常兵器の範囲内で限定戦争が発生すること、特に米ソ双方の領土を離れた地域で、軍事衝突と紛争が起きることを予測した。
したがって、キッシンジャーは結論として、
「限定戦争能力と通常兵器の軍事力を同時に再建しながら、きわめて重要な軍備管理交渉に乗り出すこと」が国家戦略となるべきことを主張したのである。
この明快なドクトリンが、ケネディ政権の戦略問題研究のために最高の執筆陣をそろえた、1960年の本に書かれていることは本当に新鮮な驚きだ。
われわれは普通、「私は結婚しない」という独身主義者の話を聞くと、オフェーリアのように尼寺に行くようなことは考えない。
むしろ複数の恋人を次々にとりかえるような無責任な遊び人を想像するかも知れない。
国際政治は、まさに反オフェーリア的な世界で、「結婚しない」ということは「結婚相手を限定せず、いろいろな人と交際する」という言葉と同義である。
「核兵器を制限する」という条約は、現在保有されている型番の古い核兵器の数をスクラップするという内容であっても、新型の核兵器を配備したり、核弾頭を搭載する別のミサイル兵器を開発することを制限しない。
契約内容を有利かつ無制限に解釈できるような余地を、それとなく忍び込ませて交渉事をすすめるような方法は、古代ローマ時代からくりかえし行われてきたものであった。
日本では、このような訓練はほとんど正式に行われていない。手形のトラブルに巻き込まれないために、ちょっとしたケース・スタディで勉強する程度であろう。
キッシンジャーがニクソン政権でSALT(大陸間弾道ミサイル制限条約)に付加したABM(大陸間迎撃ミサイル)制限条約は、まさに「結婚はしないが、恋人はどんどんつくる」という定理に基づくものである。
彼はミサイル時代において、「これまで制空権と考えられてきたものを手に入れる唯一の方法は、敵の中距離ミサイルと大陸間ミサイルの大半をやっつけることである」と考えていたが、これは当時、技術的に相当制限があった。
ミサイルの弾道を瞬時に、正確に計算して予測することは、当時のレーダーとレシプロ・コンピューターをつなげても不可能であった。
しかもソ連の領土とアメリカ本土は、北極圏をはさんでサンドイッチの関係にあり、爆撃機が飛べないような極北の環境も飛び越えて、大気圏を突き破る大陸間弾道ミサイルは発射から一時間以内に北米主要都市に到達することが可能であった。
したがって、本格的な核戦争が始まったら、迎撃ミサイルはほとんど役に立たないし、超音速で飛行落下する弾道ミサイルを撃墜する迎撃ミサイルそのものを開発することも不可能であったにちがいない。
さらに半導体の歴史から見ても、高温下で電気特性が変化してしまうゲルマニウム・トランジスタを使っていた当時のアメリカの誘導ミサイル技術は失敗が約束されていたようなものであった。
アメリカがこの分野でようやく成功をおさめることができたのは言うまでもなく、高温でも安定性があるシリコン・トランジスタが量産されるようになったからである。
以上のことを検討すると、どのように考えても、ニクソン政権のキッシンジャーがABM(大陸間迎撃ミサイル)を現実のものと考えていたとは、われわれには信じられない。
しかし、これがキッシンジャーのすごいところで、彼はいわば実在しないABM技術を、堂々と交渉のテーブルにのせることで、これを現実のものにしてしまった。これが「キッシンジャー・トリック」なのである。
「アメリカはABM技術を実戦配備する用意がある」という触れ込みで、ソ連側から譲歩を引き出したのである。
そして条約が締結されると、実際にABMをモスクワ周辺に配備したのはソ連で、アメリカは北米防空司令部(NORRAD)をロッキー山脈の地下に移した。
つまり迎撃ミサイルの保護に頼らなくてもいい場所に司令部を移動することが、迎撃ミサイルの命中に全てを依存するよりも、安全性が高く、予算措置としても安上がりであることが最初からわかっていたからである。
ソ連軍部はこうしてまんまとだまされたのであった。
今日、アメリカは誘導迎撃ミサイルとして、湾岸戦争で有名になったパトリオット・シリーズを実戦配備している。これと日本のGPS(位置確認衛星システム)技術の発達がめざましいことから、日米の技術だけでABMは実現できる水準に達しつつある。
先年、韓国で北朝鮮の潜水艦が座礁して、乗組員が全員自殺するという事件が起きたが、その艦内から日本製のGPS装置が発見され、「技術流出か」と話題になった。しかし、よく調べてみると、そのGPS装置は写真で見ても、かなり大型であった。
そこでわれわれは簡単に事態を理解できた。
今日、最新鋭のGPS装置は腕時計にも組み込まれているし、新型の携帯電話にも使用されている。つまり、ワンチップ型のGPSである。
これを北朝鮮に持ち込んで、軍事利用することは、なるほど容易なことである。しかし、潜水艦の場合には電源が続かない。
またワンチップ型のGPSを軍事用に転用するには、海図などを電子化して、GPSソフトウェアに組み込む必要がある。
北朝鮮には、そうした技術が未だない。
したがって、彼らが取り扱うことができたのは、通常の電力で連続作動する初歩的なカーナビ部品の改造だけだった。
そのことが潜水艦内部の検索で明らかになったとき、韓国のみならず、中国の軍事関係者も北朝鮮軍の実態について、ある種の感慨を禁じえなかったのである。
それでも北朝鮮は、あのように韓国の沿岸まで最新鋭の特殊潜水艦を持ち出して、自分たちの軍事的実力を誇示しようとしたのであった。
現実には、それは前世紀の遺物のようなものだったが。
北朝鮮の人々は、きっと恥をよく忘れる特質があるのだ。
町の道端に行き倒れの餓死者が横たわり、汚ならしい子どもたちがあちこちを走り回り、そんなことを無視していても、どうしようもなく貧しくて衣食も足りない社会環境に育った彼らに、そんなまともなことを要求することはできない。
わが国も、そのような敗戦の混乱の一時期を経験しているのだから。
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