でぃじぃ~の日々

でぃじぃ~の日々

まるちゃんが生まれる時

17日、日記を更新した後晩ご飯を食べてお風呂に入る準備をしている時に破水。
ニョロニョロ出たのですぐ分かりました。
すぐに病院に電話すると入院セットを持って来て下さいとのこと。
車に乗りながら手が震えている事に気付く。不安で半ベソ状態。
20時病院到着。内診で破水が確定され子宮口はまだ開いてないそうだ…。
マイリスをうち、促進剤で誘発するか聞かれたのですが18日の昼まで自然に陣痛が来るのを待つ事にしました。

 18日朝4時頃から不規則な陣痛がはじまり6時頃にはなんとなく間隔が付いて来ました。
NSTをつけてお腹の張りもお産の準備を始めた模様。子宮口1cm。
それから朝食を完食後。痛みの感覚を記録し続けました。
その頃の痛みは顔をゆがめれば我慢出来る程度なので自分で記録しました。それが昼まで続き昼食も完食。助産婦さんに「ご飯食べれるんならお産はまだまだじゃね。」と言われショックを受けました。
その後生理痛のひどい感じに、だんだん骨盤を無理やり押し広げられる重たい痛みが加わりました。

 18:30子宮口は、まだ3cmでした。
それから更に辛くなりました。
ずっと母が痛みにに合わせて背中をさすってくれていました。
痛みの継続時間が長く間隔も短くなり、吐き気まで…。
もう、絶対子どもは産みたくない~!と思ってしまいました。
終わりの見えない辛くて長い道程としか思えなくて、今まで出産をしてきた友達を更にすごいな~と崇高するのでした…。
自分の弱さっていうかあきらめそうな情けない自分を責めてみたり…。
(まぁ諦めたところでどうにもならないんだけどもねぇ…(>_<)思考回路はもうすでにショートしており、旦那君が来てくれるって聞いても「あっ、そ」て感じ。
それより早くもうこの痛みから開放させて~!多分終わりが見えないんじゃなくて、産んでしまわなきゃ終わらないって分かってたから前向きになれなかったのかな?
なんで「もうすぐ会えるから頑張らなきゃ!」っと切り換えられ無かったのかな?

 21:30子宮口6cmだったけど、産道がかなり柔らかくなってるとの事で分娩台に乗せてもらえました。
助産婦さんは「今日中に産まれるじゃろう」と分娩室に立ち会った妹に言っていたそう。分娩台に張付けられると背中をさすってもらうことも出来ないから痛みいきみの逃し方は呼吸法といきむしかありません。
でも自分が今息を吸ってるか吐いてるかも分からなくなっおりうなってばかりでした。でも不思議な事で眠気も出て来るのです。
いきむ途中でぼんやりしてしまい居眠り運転みたいにハッと我に帰るのです。

 22:55旦那君が到着。妹と立ち会いを交代してすぐに先生のおでまし。
先生が来てから「いきみたくなったら言ってネ。」と言われ速攻いきみました。「上手上手よ~。」と言葉に乗せられて3回目のいきみで何か出た感じがした途端オギャ~と大きな泣き声が分娩室を響き渡りました。
23時22分その瞬間今までの痛みから開放されすごい幸せな気分になりました。笑顔がもどり涙が出て来ました。
へその緒がついたまま抱かせてもらいました。旦那君も感動でうるうる。2930g女の子。ガッツ石松顔ではありませんでした。
それから後産、会陰切開の縫合と痛そうな処置は進んだのですが陣痛に比べたら屁の河童。私の腕の中にいる丸ちゃんに夢中になりました。
カンガルーケアですぐにおっぱいをあげました。


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