全142件 (142件中 1-50件目)
思うところあって、日記をお引越します。長い間、ありがとうございました。お世話になった皆さんの日記は、これからも楽しみに読ませて頂きます。たくさんの、素晴らしい出会いをいただきました。ありがとうございました。
2005/08/24
コメント(78)
誰かが、誰かに「お詫び」をするとき、正しい「形」はないにしろ、そこには「相手に謝りたい。そして自分に何ができるか考えたい」という想いが、心の底に流れているべきではないか?と思う。ある人(仮にAさん)から、「お詫びを言いたいので、Bさんと話がしたいのです」との申し出があった。「Bさんの連絡先がわからないので、自分の携帯番号を教えて、電話をしてもらって欲しい」ということだった。私はBさんに連絡をとり、電話をして欲しいというAさんの伝言を伝えた。するとBさんは「私の連絡先を教えてもらって構いませんので、Bさんから電話をしてもらうように伝えてください」との返事をされた。そして、その旨Aさんに伝えた訳だけれど、あからさまに、Aさんは不機嫌な声になった。「私から電話するんですか?」「私は善意で言っているんですけど、相手の方には伝わってますかね?」と。もう、わけわからん状態の私。善意だから、何なんだろう。自分から電話することに、何の不都合があるんだろう。そもそも、お詫びを言いたいと思っている人が自分から連絡をすることに、そんなに憤るものなんだろうか。今回のことで言えば、私もお詫びをすべき側の人間なので偉そうなことは何も言えないのだけれど、それでも、やはり「何か違う」と思った。この違和感とこの不快感。どうしてなんだろう、と考えて思ったのはAさんがしたかったのは「お詫び」ではなく「言い訳」ではないか、と感じたからかもしれない、ということ。自分の面子や立場を守るための「お詫び」は、居心地の悪さを生む。「いや、そんなお詫びなんていいんです」と言うしかないような最初から答えが決まっているような「お詫び」はするべきではないと思う。それは、ただの自己満足だと、思う。こうして人のことだと簡単に言えるのだけれどもしかして、私にもそういうところがないだろうか。何か「あの人に、○○したい」と思ったときにはその気持ちの根っこにある「本当の自分の気持ち」をきちんと見つめてから、相手に伝えるようにしようと思う。そんなことを思った、やや不機嫌な今日。
2005/07/02
コメント(2)
人がこの世に生を受けたとき、「おめでとう!」と祝福の言葉を受け取る。人がこの世から旅立つ最期のとき、いったいどんな言葉を受け取ることができるのだろうか。友人のお母さまが亡くなって、葬儀に参列させて頂いた。親族が、故人に花を手向け、お別れの言葉をかけられていたとき。お父さまが、おそらく奥さまの頬を撫でられたあと、「ありがとう…」と深く頭を下げていらっしゃったのを目にした。続く親族の方たちも、口々に「ありがとう」と。。人の命は儚いけれどそれぞれの人が生きてきた人生は、とてつもなく深く重く、かけがえのないものに違いない。私たちは、それを感じ、考え、受け継ぎ、伝えていくことが使命なのかもしれない。私の人生だって、きっと、そう思うほど長くはない。最期のときに、ありがとう、と送ってもらえるような人生を歩いているだろうか。そして、まわりの方たちにも、常にありがとう、と感謝することを忘れずにいたい。かけがえのないたくさんの人たちの人生を、もっと知りたいと思ったし、それを伝えていきたいと思う。私の命の使い方を、きちんと考えて生きていきたい。最後に…私の、かけがえのない友を生んでくださって、ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りいたします。
2005/07/01
コメント(2)
キャンドルナイト開催までの道のりと当日の様子は、後日改めてまとめるとして、とりあえず、当日の写真をいくつかアップします。こんな夜でした。皆さんの穏やかな笑顔が、何より素晴らしかったです。
2005/06/28
コメント(4)
今回のキャンドルナイトは、2年前からずっと企画をあたためてようやく実現した、私にとってはわが子のような愛しい企画でした。そして、その舞台にピタリとはまったのが、遠石八幡宮でした。日本の伝統・文化と、キャンドルの炎の融合を図れないかと、ずっとイメージし続けてきた2年間でした。そして、静かな…、厳粛な…、そして幻想的な空間の中で、様々なことに想いを馳せるそんな時間をもってほしい、というのが大きなテーマでした。想いを形にするのは、難しい。きちんと伝えないと、私の頭の中にあるイメージは誰にも伝わらない。ということが、今回痛いほどわかった、ある意味貴重な経験でした。それでも、「そうじゃない」「こういうイメージで」「これは何のためにやるのか」「どこを目指していくのか」ということを、くどいほど、口にして伝えて、やっと少し伝わる・・・そんな繰り返しでここまで辿り着きました。私、本当に、イヤな奴だったろうな、と思います。必要のないものは、できるだけ、削ぎ落としたかった。これは、単なるお祭りじゃない、メッセージありき、のイベントなのだから。一貫したメッセージを、発信して、発信して、発信して、、、ようやく伝えたいことの何分の一かが伝わる・・そういう地道なことの繰り返しで、やっと想いは伝わっていくのかなと思うのです。だから、私はブレてはいけない。羅針盤にならなくちゃいけない。それだけを、肝に銘じて進めたイベントでした。そして、これからも、そこだけは、外さないようにしたい。そして、このキャンドルナイトは、スタッフはもちろんのことボランティアで手伝ってくださった市民の皆さんや、協力して下さったたくさんの皆さんの想いと行動があったからこそ、実現したんだと思います。これから、このイベントは、皆さんの手で、大きくなっていくことでしょう。静かに心に灯がともるような、そんな会として続いていくことを願います。
2005/06/27
コメント(0)
ぺぶるキャンドルナイト、終了。泣けるほどの、感動と幸せで、胸がいっぱいです…400人にもおよぶ、来場して下さった皆さん。快くお手伝い下さった、スタッフの皆さん。そして、ゆらゆら揺れるキャンドルの炎…夢のような一日が終わり、家に帰って、思い出しては泣けてきています。幸せすぎて。来てくださった皆さんの心に灯はともっただろうか。メッセージは伝わっただろうか。次回への課題はたくさんあるけれど、素晴らしい一日だったと、それだけは自信を持っていえる。そして、素晴らしいスタッフに恵まれて幸せだと、それも自信を持って言える。私は、とてつもなく幸せだと、心から感じた1日が終わる。
2005/06/26
コメント(6)
いよいよ本日、ぺぶるキャンドルナイト。この1月あまり、スタッフとともに、そして一般参加の皆さんとともにコツコツと作り上げてきたものが、ひとつのカタチになる日。朝からあいにくの雨だけれどこれもきっと意味がある。すべてを信じて、任せて、あとは時を待とう。だってやりつくしたもの。大丈夫。すべてはよい方向へ向かうから。今日、私は、暗闇のなかで、何を見るだろう。全身全霊で感じてこようと思う。キャンドルナイトは、こころに灯をともす日。
2005/06/26
コメント(0)
日々の暮らしの中で、あるいは、本や、誰かのブログの中で、心に響く言葉に出会ったときに、1冊のノートに、それを書いています。忘れないために始めたのだけれど、気がつけば、そのノートを開けば、そこには私の価値観や人生観が並んでいるんだと気がつきました。私は、こんな自分でありたいと願ったり、こういうことは許せないと思ったり、こういう場面で涙が出るんだ、とかこういうことを大切に思ってるんだ、とか後から読み返すと、そんなことが見えてきたりします。今日、いろいろ考えるところがあって、そんなときに、ノートを見ていて、目にとまった文章。「こうありたい」と思ったとき、心の内側からこみ上げてくるものがありました。以下、オリア・マウンテン・ドリーマーの言葉。-------------------------------------あなたが何で生計を立てていようと、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、あなたが何で胸を痛めているか、そしてあこがれとの出会いを夢見る勇気を持っているかどうかだあなたが何歳だろうと、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、あなたが愚か者に見えるのも覚悟のうえであえて愛を、夢を、生きるという冒険をもとめるかどうかだあなたの星座が何座だろうと、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、あなたがあなた自身の悲しみの中心に触れたかどうか、そして人生の裏切りによって心を開かれたのかそれとも縮あがり、さらなる苦痛を恐れて心を閉ざしてしまったのかだわたしの苦痛だろうと、あなたの苦痛だろうとかまわない。あなたが苦痛に耐えられるかどうか、そして苦痛を隠したり、薄めたり、とりつくろったりするためにじたばたせずにいられるのかどうか知りたいわたしの喜びだろうと、あなたの喜びだろうとかまわない。あなたが喜びとともにいられるかどうか知りたい。あなたが野生とともに踊り、手足の先まで歓喜に満ちて、わたしたちに用心せよとか、現実的になれとか、人間の限界を思い出せなどと警告せずにいられるかどうか知りたいあなたの話していることがほんとかどうか、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、あなたが他人を落胆させることを恐れずに、自分に正直になれるのかどうか、そして裏切ったと非難されても耐え、自分自身の魂を裏切らずにいられるかどうかだあなたが誠実で、それゆえに信頼できる人間なのかどうか知りたい。きれいでない日常的なもののなかに美を見いだすことができるのかどうか、そして自分の生の源は神の存在にあると言えるのかどうか知りたいあなたが失敗に耐え、湖の縁に立って銀色の月の呼びかけに答えることができるのかどうか知りたいあなたがどこに住んでいようと、どのくらい金を持っていようと、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、悲嘆と絶望の夜のあと、疲れ果て、骨の髄まで打ちのめされて、それでも起きあがり、子供たちのためにせねばならぬことをなしうるかどうかだあなたが何者なのか、どうやってここに来たのか、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、わたしといっしょに炎の中心に立ち、しりごみしないかどうかだどこで、誰といっしょに、何をあなたが学んだか、わたしには興味はない知りたいのはむしろ、ほかのすべてが崩壊したとき、何があなたを内から支えるかだひとりぼっちでも平気かどうか、そして孤独なときの自分をほんとうに好きかどうか知りたい (オリア・マウンテン・ドリーマー)
2005/06/22
コメント(4)
夏至の日の今日。夜20時から22時まで、電気を消して、キャンドルの灯りで過ごしましょう。という呼びかけのもと、100万人のキャンドルナイトイベントが各地で開催されます。山口でも、豆子郎さんで開催されるようです。(26日には、ぺぶる主催でも開催します。会場は遠石八幡宮)もちろん、イベント会場へ行くのもいいし、おうちで、でんきを消して、ゆっくり過ごすのもいいですよね。私は2年前にこのイベントを知ってから、毎年自宅でキャンドルを灯しています。チビたちと「きれいだねー」なんて言いながら、キャンドルを囲んで話をしたり。そのうちに、チビたちは眠ってしまうんですけれどね。マッチ売りの少女ではないけれどロウソクの灯りの向こうには、幸せが見える気がしていました。ゆらゆら揺れる光は、心を安らかにしてくれるようで、私は、離婚して寂しかった頃には、よくキャンドルを灯していました。寒々しい部屋と、トゲトゲした心に、暖かい光が差し込んでくるようで、私はロウソクの灯りが大好きでした。そして、ロウソクの灯を、じーっと見つめるわくわくしたようなドキドキしたようなチビたちの瞳がたまらなく私を勇気付けてくれたのを覚えています。今年の今日は、チビたちは私の母とキャンドルナイトを楽しむことでしょう。私は、26日に行う「ぺぶるキャンドルナイト」のスタッフと一緒です。私に勇気を与えてくれた「キャンドルナイト」を今年は、たくさんの人と共有できることが、たまらなく幸せです。26日まであと少し。私のキャンドルナイトは、まだまだ続きます。
2005/06/21
コメント(4)
誰かに何かを伝えたいことがあるとき。私は、それを口にして伝えてもいいものかどうか、結構悩んでいた。誰かに何かを言われたり、指摘されたりしたとき。私は、「私、何がいけないかしら?」「どうしたらいいかしら?」と考えてしまう傾向があった。伝えたいことを伝えること。自分を否定する前に、自分の想いを伝えること、あるいは、断ること、そういうことが、苦手だった私。その裏にはたぶんいい子でいたい、とかいやな人と思われたくない、とか自分の意見に自信がもてない、とかそんな諸々の、自分中心の軸があったように思う。それは、どうして伝えたいのか、伝えるべきなのか。その先にお互いが目指すゴールは何なのか。何のために伝えるのか。そういうことが、見えるようになって、私は自分の言葉で話せるようになったと思う。「これを言って、もしかすると自分にとってマイナスな事態になってもそれはそれで仕方ない。だって必要なんだもの」と、そう思って勇気を出して、話を切り出すときに、それは、びっくりするほど、あっけなく、相手に受け入れられたりする。それはもう、拍子抜けするくらいに。そんなものなのかもしれない。自分が思う最悪の事態って、案外やって来ないのかもしれないし、最悪の事態がわかっていれば、仮にそうなったとしても受け入れられるのかもしれない。そしてある意味、これまで私がとってきた「イイコチャン」でいるために口を閉ざすという行為は、相手よりも自分を低く評価しているようでもあり、実は、相手を大切にしていない、見下している行為になるのかもしれないと思った。「いい人」でいるよりも「誠実な人」でいたいと、思う。
2005/06/20
コメント(2)
昨日は、KIMIKOさんのウォーキングレッスンに加えて、メイクレッスンも開催。申込多数で、早くも1ヶ月以上前には申込を締め切っていた講座。しかし当日、風邪のため、1名のキャンセルが出た。すかさず、スタッフから「ぜひマツバラさんを変身させて下さい」との声があがり、急遽私も参加?となって、KIMIKOさんにメイクを指導して頂いた。そうだろう。メイクレッスンを主催しているくせに、私ったら、普段本当にナチュラルメイクだもの。(っていうか、化粧下手なんだもの)スタッフがそう言うのも無理はない。私の仕上がりは内緒ということで、最後まで鏡は見せてもらえなったのだけれど他の参加者から、「マツバラさん、別人!」との歓声?を受けて、内心ドキドキ。どんな新しい自分との出会いがあるのか、という期待感と自分のものでない、誰かの手で触れられることの心地よさを感じながら目を閉じて、KIMIKOさんにすべてを委ねる。メイクが終わり、鏡を覗いて、そこにいたのは、別人の私だった。ちょっと大人びた、私がそこにいた。メイクは、自分の内面を表現するものなんだと知った。自分の個性を知って、よさを引き出すことで、輝きは増す。それは、男性も同じだと思う。素敵な人は、自分をよく知っている人だと思う。そして、バランスがいいと思う。私の、私らしさ、魅力を、考えてみたいと思った1日だった。
2005/06/19
コメント(2)
久しぶりの日記。書きたいことはたくさん起きる毎日なのに、書けないでいた2ヶ月間。仕事もプライベートも充実しているしなのに、何かがぽっかりと足りない感じ。なんだか、取り残されていくような(何から?)焦りやとてつもなく孤独なようなせつなさとそんな気持ちが、ふっとよぎってはどうしてだろう?なんて考えたりもした日々でした。自分と向き合う時間だったような気もします。というわけで、再び日記開始。
2005/06/18
コメント(6)
ある先輩の日記に決断という言葉について書かれていた。曰く、決断とは、決心して迷いを断つこと。すごい衝撃だった。そうか!私の決断のイメージは、何かを決めて、そのために何かを断つことだった。だから、決断という言葉には、ものすごい精神的圧迫があるように感じていた。けれど、何かを決めて迷いを絶つという意味からは、潔さや前進や爽快感を感じた。このイメージを持っていれば、決断するときのスタンスが変わってくる気がした。迷わない。決めたら、迷わない。そのとき、そのときで、決め続けていけばいい。そういう潔さが私には必要だ。
2005/04/28
コメント(4)
あるコーチと、今一緒に仕事をさせて頂いています。彼は、私のコーチの仕事仲間でもあって、時々いろんな話をさせて頂いています。彼は私のコーチではないけれど、いろんな言葉を頂きながら、やっぱり彼も私のコーチのひとりだなぁと思ったりします。現在の私のコーチは、とても温かい言葉を持った女性です。私は100%彼女を信頼していて、素直な心と言葉で会話します。私の、彼女のイメージは「大いなる母」というイメージ。ときに冷静に厳しく、ときに優しく温かく、そしていつもそこにあるのは「愛」。誰かの価値基準でなく、誰かと比べるものでなく、私は私の夢に向かって、自分の意志で選んで、自分の足で歩いているという実感を持てるようになりました。一歩、一歩、近づいていく。その爽快感が気持ちいい。未完了のことが溜まっていくのは、すごいストレス。未完了のことを、「やらなくちゃ、やらなくちゃ」と思っているくらいなら「後でやる」と決めた方が気持ちいい。もしくは「やらない」と決めるのもいい。それでも、「やらなくちゃいけない」んだったら、それは「やらなくちゃいけない」んだから「やるしかない」。少しずつ、私の中が整理され、いらないものがそぎ落とされて、スッキリしていく感じ。いろんなことが軽くなる。そして、大切なものだけが残っていく。コーチだけでなく、友人や子どもたちや、たくさんの方からの言葉が私を支えてくれていると感じる。厳しい言葉も、嬉しい言葉も、全部だ。今日は、冒頭に書いたコーチからメールが届き、最後にこう書かれていた。「応援しています」私は支えられている、たくさんの人たちに。そのありがたさに、また勇気をもらった。
2005/04/27
コメント(0)
夕方、携帯に友人からの着信があったことに気づいた。すぐに電話をしてみる。電話口から、弾んだ声が聞こえてくる。「留守電聞いた?」「ううん、着信見てすぐ電話しちゃった」「じゃあ、留守電聞いてまたかけて^^」???と思いつつ、留守番電話センターの番号を押す。そこから聞こえてきた声は、とてもとても嬉しい報告を、誇らしげに、そして照れたように話す、満ち足りた友の声。聞きながら私も胸が熱くなる。そうかぁ。よかったね、ホントよかったね。何度も何度もつぶやいた。その夜、私は近くのコンビニにビールを買いに行った。私はお酒は大好きだけれど、家では全く晩酌をしない。けれど、今日は祝杯をあげたい気持ちだもの!やっぱビールでしょ。こういうお酒はいいね。最高!こういう気持ちも、最高!翌日その友人から届いたメールには、ひとことこう書かれていた。「あの頂(いただき)で会おうぜぇ!」おう!あの頂で、会おうぜぃ!
2005/04/26
コメント(0)
昨年11月に講演をお願いして以来の、平野さんと団長さんの講演会へ参加。主催は、廣島・非凡会!の皆さん。講演を聞きながら、去年のことを思い出していた。3人で過ごした3日間、楽しかったなぁ。笑いっぱなしの3日だった。半年が過ぎ、今こうしてまたお会いできて嬉しかった。平野さんの「『花は観手に咲く』(世阿弥の言葉) 花はお客さまの心に咲く。 お客さまの心にどんなHappy Surpriseを届けることができるか」という言葉が心に残った。「真の花」という言葉についても、話してくださった。これは人間力の花。相手の心に「真の花」を咲かせる。それが私のやりたいことだ。別れ際にHUGをした。お二人から頂いたたくさんのこと、ずっと忘れません。団長さんが言っていた。「不安も怖さも知った大人がハラをくくった時が一番強い」…そう、私も、ハラをくくらなくちゃ。静かで強いパワーをもらった夜でした。
2005/04/23
コメント(0)
夕方からぺぶるスタッフとの打ち合わせ。少し早めに行って、これからのことをいろいろと考えながら待つ。ややあって現れたスタッフのひとり。けれど私と目を合わせない。…どうしたんだろう?…と思っていると、いきなり目を潤ませながら「編集長。私、感動してしまいました。パソコンの前でうるうるしちゃいました。」と言い出した。どうやら、先日かいた「ぺぶる編集長のヒトリゴト」のことらしい。この「ヒトリゴト」を書いた日の朝、私はズーニーさんのあのコラムを読んでいた。「あなたからの理解を待っている人はだれだろう? 今日、それをきちんと言葉にして伝えたなら、 それは、思うより、ずっと素敵な、 相手を生かす、まわりを変える力につながると思う。」この一節がずっと心に残っていて、だから私はその「ヒトリゴト」を書いた。正直な私の気持ちを、そのまま書いた。目の前にいる、そのスタッフのことを書いたものだった。「読みました」と言ってくれた彼女の目を見ると、もしかすると私の言葉は伝わったのかもしれないと思った。私と彼女の間には、とてもあたたかい空気が流れた気がした。彼女を生かす、変える力につながったかどうかはわからないけれど、私は伝えてよかったと思う。「あさっての本番前に、編集長の「ヒトリゴト」を読み返して、 そうして頑張ってきます」彼女は、別れ際にそう言ってくれた。人は、誰かの言葉で傷ついたり、元気になったり、救われたり…。言葉というのは、本当に大きな力を持っている。そのことを、もっと深いところで理解して、大切に言葉を紡いでいけるようになりたいと思う。
2005/04/22
コメント(2)
非凡会で知り合った男性が、事務所を訪ねてきてくださった。「なかなか会えないうちに、賞味期限が今日になっちゃったんだよね」そう言いながら手渡していただいた、京都みやげの「おたべ」。「いえ、大丈夫です! 今日、全部食べちゃいますからっ!」なんて言いながら受け取る。よくよく見れば、その「おたべ」、これまで見たことのない包装。黒と赤のコントラストがとっても渋い、「黒ゴマの生八つ橋」なのでした。コレ、いいね!買いたくなっちゃう。同じものを、ひと味かえて、新たに見せる。なんだか、ヒントをもらった気がした。久々に会った男性は、私の健康のことを随分心配して下さっていた。メールも何度も下さって…。数回しかお会いしたことのない私なのに、覚えていてくださって気にかけてくださって、嬉しかった。こうして私は、いろんな方から元気をもらいながら生きている。本当にありがたい。起業して2年。仕事のほうは順調らしく、穏やかな笑顔で嬉しい。「奥さんにはきっと苦労させてるけれど」とポツリ。でも、その一言があれば、奥さんはきっと大丈夫な気がしますよ。お互いにこれからも頑張りましょうね!と別れる。私はこういう瞬間が、たまらなく幸せだ。「おたべ」はチビと、友人と一緒にいただこう。
2005/04/21
コメント(0)
ヨガ仲間の女性たちと、海の見えるお店でランチタイム。席につくころ、今朝の嵐が嘘のように雲間から太陽がのぞきはじめた。晴れた日には、テラスで食事が気持ちよさそう。(そうだ、今度ひとりできて、テラスでお茶を飲みながら本を読もう!パソコン持ってきたら仕事もできちゃうぞ!)去年、ぺぶるのプチセミナーがきっかけで始めたヨガ。もうすぐ1年になるんだなぁ。先生が1ヶ月インドに修行中なので、みんなヨガのない生活が寂しくなり、誰からともなくランチの話が持ち上がった。気持ちのいい仲間と、気持ちのいい時間。みんなやりたいことがあって、でも肩の力が抜けててとてもいい感じ。着付けを教えている女性が言った。「人って、何かひとつ『テーマ』を持って生まれてくるんだよね。」あれやこれやでなく、大切なことは、たったひとつ。それが何なのか見えなくて、もがいたり凹んだりしながら生きているのが人間なのだろうか。私にとっての、たったのひとつの『テーマ』。少しずつ見えてきた気がするけれど、あと一歩。きっと、次の一歩の向こう側にあるに違いない。
2005/04/20
コメント(0)
何十年ぶりかに、交換日記なんぞをすることにした。きっかけは、今日のズーニーさんのコラム。------もっと言えば、たくさんの人が、「自分への理解の言葉」に飢えている。理解を注いでほしいところに、必要な理解が、「言葉」として注がれない。それが、「寂しさ」となり、それが、つもって、人の判断力をくもらせ、誤解や、すれ違い、摩擦を生んでしまう。それが、また、「寂しさ」の種を増やしていく。------この部分に、とても共感した。私のまわりにいるたくさんの人たちも、「自己肯定感」や「自己重要感」を感じることができずに苦しんでいるように思う。そして、彼、彼女らが求めているのは、まさに「自分への理解の言葉」だと思う。先日の人間関係のマトリックスの話の中で、Y氏も言っていた。自分自身を認めることができない、満たされないと感じている人たちは、自分への深い理解があれば、自分の力で歩き始めることができる、と。人はそれぞれ別々の存在なので、そうそう簡単に理解し合えるものではないかもしれない。それぞれの人には、それぞれの想いがあって、背景があって、これまでの経験がある。それを「わかるよ」なんて軽い言葉にはできないかもしれない。でも、どこか一部分、その人が本当にわかって欲しいと思っている部分を、きちんと理解したいと思う。たったひとつでもいいから。耳を澄まして、心の声を聞いて、小さなひとことを聞き逃さないように。大切に言葉を受け止めたいって思う。そして、ズーニーさんはこうも書いていた。------あなたからの理解を待っている人はだれだろう?今日、それをきちんと言葉にして伝えたなら、それは、思うより、ずっと素敵な、相手を生かす、まわりを変える力につながると思う。------私からの理解を、今一番待っているのは、やはり私のチビたちだろう。彼らに、私の言葉を伝えるために、交換日記を始めてみることにした。日々に楽しかったこと、思ったこと、驚いたこと。そんな日記の中に、いつか、ぽろんと大切な言葉が記されたときに、見落とさないように、日記に綴られた言葉の向こう側をきちんと見ていたいと思う。交換日記をしようと提案したとき、タイシとマサは、かなり乗り気で喜んだ。けれど、カズは「ボクはいい…」とひとこと。それがまた、カズらしいなぁと思いながら、なんとなく微笑ましい。それでも、いつかカズからも日記が届くような気がして、そのときを少し楽しみに待っている私もいる。
2005/04/19
コメント(2)
去年から、月に2回、哲学、易学、風水などについて勉強しています。今日は、先生が風邪でお休みで、代わりにY氏に、人間関係のマトリックスについて教えてもらいました。(文字で説明するのは、ちょっと難しいので、興味のある人は、今度私に会ったときに聞いてくださいね)人はそれぞれの役割を演じているって教えてもらいました。このタイプの人といるときには、こんな自分。このタイプのときには、こんな自分。すべての人が、無意識にやっているらしいけれど、どんなときにも、「自分」がしっかりあって、そこに相手への思いやりがある人は素敵だなぁって思う。『心の平安は、バランスが大切だ』ということを話して下さったのですが、このバランスをとるために、私たちは、ジタバタしたり、悩んだり、元気になったり、踏ん張ったり、ダルダルになったりしています。けれど、無理してバランスをとるのではなくて、肩の力を抜いたところに自然にあるバランスがいいそうです。大切なのは、受け入れることができることだと思う。今を楽しむことや、悲しいと思うことや、ダメなところや、すごいところや、いろんなところを、きちんと見て、「それも私、それもあなた」と思えることだと思う。頑張ったり、落ち込んだり、ミスしたり、こだわったり、いろんな自分があって、いろんな感情があって、それがぜーんぶであなたという人間であり、私という人間。それを心で理解できるようになることって大切だと思う。話はちょっと変わりますが、私は、子どものころから、人のよいところがたくさん見えてしまうタイプでした。もちろん、イヤなところだって見えるんだけれど、それでも、誰にでも、よいところがあるわけだから、私は結局人が好きだと思う。相手に嫌われても、嫌いになれない。昔は、それが卑屈になっているような気がしてイヤだったけれど今は、そんな自分も認めたいと思う。そして私はすぐに人になついてしまう。無防備なくらい(^^;でも、それでいいと思ってる。無防備な私に、無防備に近寄ってきてください。そんな安心できる場所、あったらいいなって思うから。それはあくまでも、依存しあう場所ではなく、それぞれが自分の足で立ちつつ、お互いを認めて、信頼している場所。私にそんな場所を作ってくれた人がいます。だから、今の私が、ここにいる。間違いなく、そうなんだと思う。だから、私も誰かのそんな場所になることがいつかあったらとっても幸せだなって思う。
2005/04/18
コメント(0)
ひさびさに会った友人と下関の角島へ。海の真ん中をまっすぐに走る角島大橋を渡る。前にあみちゃん(妻)さんに教えてもらって、ずっと行ってみたかった場所。天気がよかったので、海の青がとても綺麗。ソフトクリームを買って、食べながら歩く。なんだかデートみたいで、懐かしい感じ(笑)砂浜に降りると、水辺で遊ぶ子どもたちと、仲良く寄り添うカップルと。なんだか、本当に穏やかな幸せな日曜日のカタチがそこにあった。やっぱり、とても懐かしい感じ。帰り道、たまたま携帯に電話をくれた友人が言っていた。「海に行きたくなるときって、浄化されたいときみたいですよ」なーるほど。今日の私は、かなり浄化された気がするもの。ガムシャラに走り続けるばかりじゃなくて、こういう穏やかな時間を大切にしたいなって思った。そして、そのとき隣に大切な人がいてくれたらいいなって思った。今日会った友人から打ち明けられた話に、私も少しせつなくなる。何か力になれることないだろうか。ただただ抱きしめて、背中をトントンしてあげたいような気持ちになった。体のことも心配。一度病院へ行くようにすすめてみよう。。また一緒に海を見に行こう。次はギラギラした太陽がまぶしい夏がいいな。
2005/04/17
コメント(2)
ずっと大切におもっていた友に、心の中で、さようならをした。あなたの未来のために、今の私にできることを。それは、遠くから見守り続けることだけ、なのかもしれない。だから、さようなら。心がキシキシ、言わなくなるまで笑って、笑って、空を見上げよう。
2005/04/16
コメント(2)
近く、東京から友人が遊びにくることになりました。とても愛らしい、可能性無限大感いっぱいの女性。どこへ行こう?何しよう?久しぶりに、思いつくままに、ポツポツと話をしたりしたいね。なので、予定変更。自分のための時間は、そのときに。
2005/04/15
コメント(0)
去年の9月から、私は自分自身にコーチをつけました。3年前から少しずつ勉強していたコーチング。東京や福岡や岡山でのセミナーにも参加して、けれど、ずっと模索状態だった私。その私が「この人!」と思い、連絡をとり、コーチをお願いしたのが9月。とても大切な出会いだったと、そんな想いが更に強くなる今日この頃です。あれから私の中にはいろんな変化がやってきました。そして、友人が私にくれたこんな言葉。「このごろの松原さんは、とてもいい感じですね。コーチングを受けはじめてから、とてもいい感じです。」同じ言葉を、違う友人たちからも受け取ったときに、ああ、私、変わっていくんだな、って思った。そして、変わっている自分にも、自分で気づいてしまいました。何より変わったのは子どもたちかもしれない。私の意識と、子どもたちへかける言葉が変わったから。コーチとのセッションの中で、あることを決めてはじめたこと。それは、子どもたちと話すときに、コーチングの手法を使うことにしたのです。私が口にする言葉。そして、どんな想いで口にしているかを意識した言葉。それが、彼らにぐんぐん伝わり、彼らが変わっていくのを実感した半年間でした。そして、これまで私が漠然と感じていた違和感?無力感?の理由がわかった気がしました。私は、もっとずっと深く、人と関わりたいと思い、何かを共有したいと思い、何かのきっかけを作りたいと思い、そしてその何かを達成することの力になりたいと思い、お互いの信頼関係のもとで、まっすぐに全力でぶつかりあって、泣けるような達成感を、分かち合いたいと思っていたのです。そこにある、最後の一歩を踏み出すための、大きな可能性を私はコーチングに見たような気がしたのです。それは、クライアントにとっての一歩でもあり、コーチにとっての一歩でもある。だから、私はコーチになることを決めました。私らしいコーチングで、あなただけの花を咲かせるきっかけを作りたいと願っています。これまでのコーチングの概念とは違う形になるかもしれませんが私は私らしいコーチになりたいと思います。一歩ずつ、これからも進んでいきます。
2005/04/14
コメント(0)
先週のあたまから39度の熱が3日続いてダウン。さらにパソコンが壊れて、修理へ。(…買って4ヶ月なのに。)そらにさらに、長男が骨折。いや、久々に参りました。食事もまったくとれず、眠り続けた(というか横たわり続けた)3日間。そして、待っていたパソコンのない生活。とりあえず、パソコンはまだ2週間以上戻ってこないことがわかり、どうにも仕事に支障をきたすので、新しくノートを買いました。しかし。いやがおうでも、いろんなことを考えてしまった10日間でした。きっと、私に何かを考えろって言ってる。じっくりいろんなこと考えろって言ってる気がする。
2005/04/13
コメント(4)
本当に久しぶりの日記です。自分自身の今現在のこと、そしてこれからのこと。私のまわりにいる人たちとのこと。嬉しいと思うこと、悲しいと思うこと。悔しいと思うこと、胸が掻きむしられるような焦燥感を感じること。涙がでるようなこと、せつないこと。手に入れたいと思うもの、手放したいと思うもの。やりたいこと、思うようにならないこと。私が幸せと感じること、生きていくこと。たくさんのことを考えて、壊して、また積み上げて…そんな毎日が続いています。こんなちっぽけな私に生まれてきて、ちっぽけな人生を生きています。情けないことばかりで、いやになってしまうこともたくさんです。けれど、そんな私にも、涙がでるほど嬉しいことや幸せなことも、やはりあります。ほんのひと握りのその喜びのために、今日も明日も歩いていくのでしょう。そして、その私の喜びのために、私はまっすぐに全力で生きていきたいと思うのです。できることなら、私の周りの人たちも幸せであって欲しいと願います。まだ会ったことのない人にも、何かが伝わっていけば嬉しいと思います。私はあとどのくらいの時間を生きていくことができるのだろう。時間は過ぎていく。同じ重さの時間が、違う重さで流れていく。3月の広島非凡会で武沢さんが言っていた。「やりたいことは全部やる」そして、非凡会幹事の八納さんに教えてもらった。「本当にやりたいことは、怖いと思うことのむこうにある」私の時間を大切に生きたいと思う。誰かのために。家族のために。そして、何より私自身のために。だから、私が幸せだと感じることを、これからもやっていきたいと思います。そしてそれが誰かの幸せに繋がっていけば、もっともっと幸せです。ずっと、やろうと思って勇気が出なかったこと。ふたつ始めます。
2005/04/01
コメント(6)
風邪、のようです。世界がぐるぐる廻っております。朦朧とした夢の中で、いろんなことを考えている自分に出会いました。いつも封印している、ヨワッチイ自分がふきだしてくる。ガンバレ、自分。もう一眠りしたら、また元気に行こう。
2005/03/14
コメント(6)
「ぺぶる」が、今日で2周年を迎えた。たくさんの方の支えのもと、会員数170名、セミナー、イベントへの参加者はのべ400人を越えた。まだまだ目指す形にはなっていないけれど、ぺぶるというものの存在が少しずつリアルになっているのを感じる。これからも、私はぺぶると一緒に進んでいく。2周年記念の食事会終了後に届いた、スタッフからのメールの言葉に、その想いはさらに大きくなった。来年の今日、私の前に広がっている景色はどんなだろう?と想像してみる。…この、今のイメージを忘れないよう心に刻んでおこうと思う。奇しくも、今日の「がんばれ社長」で『念ずれば花ひらく』という言葉が紹介されていた。以前、私にこの坂村真民氏の著書「念ずれば花開く」を教えて下さったのは、ぺぶるを一緒に盛り立てて下さっている方だった。ここにも偶然が重なる。-----この言葉を広めたのは坂村真民氏だが、念ずるとは、今の心と書く。今の心がすなわち「念」なのだ。念じていることがそのまま花ひらく。ならば、最高の念をもとう。(がんばれ社長!2005年3月3日号より)-----今の私の心がそのまま花ひらくのならば、いつも、いつも、真っ直ぐに、強く願い続けようと思う。あのイメージを。強く。いつも。
2005/03/03
コメント(4)
今日、ふっと、ある出来事を思い出した。半月近く前、友人がゴボウをくれた。なぜ、ゴボウ??と思ったら、ゴボウが腎臓の病気にいいと聞いたからだとか。そういえば、うちのチビが急性腎炎かもしれないって話したんだった。「大丈夫?」って聞いてくれるだけでも、ありがたいことだと思う。それなのに、腎臓にいいからと持って来てくれたゴボウには、いったいどれだけの優しさがこもっているんだろう、、、。ゴボウは、これでもか!というくらい具だくさんの炊き込みご飯にした。チビたちも「美味しい!」と、何度もおかわりしていた。たくさんの愛情がこもっているんだから、美味しいに決まってる。で。何で思い出したかっていうと、今日ふと、食べることをもっと大切にしよう、って思ったから。私たちの、体を、そして心を作るモトなんだから、もっと大切にしたいと思ったんだ。あのゴボウのように。心のこめて料理することを、そして感謝しながら食べることを、もっと大切にしようと思う。
2005/03/02
コメント(0)
髪を切りました。4年間ずっと伸ばしてきた髪を、思い切ってショートに!…と思っていたのですが、勇気が出ず(笑)肩までカットしました。春らしくなって、なんだかいい感じ♪と、ひとりご満悦(^-^)。この4年間に起こった、本当にいろんなことたちが、なんだか、ふっとクリアになった気がしています。ひとつひとつが、しっくりと組み合わさって、とてもシンプルな形になっていくようです。きっと、これからも変わり続けるんでしょうね。私もあなたも、たくさんのものも、人も。けれど、そこにある、変わらない大切なことを、見失わないように、大切に、大切に、勇気を持って進んで行きたいと思います。穏やかな心で、春を迎えられることに、こころから感謝。幸せです。
2005/03/01
コメント(0)
我が家には3人のチビがいる。ということは、もちろん彼らの父親がいる。けれど、彼らは、おそらくほとんど父親の記憶は残っていないだろう、と思う。小さな胸で、いろんなことを感じ、考え、抱えているに違いない。ゆうべ突然メールが届いた。「久しぶりに子どもたちの顔を見たいんだけれど、今晩行っても良い?」と書いてあり、そして深夜に彼はやってきた。眠る子どもたちの顔を、ただ黙って見つめ、そして帰っていった。たった5分間のことだった。
2005/02/14
コメント(6)
今日は防府アスピラートで開催された「やまぐちSOHOセミナー2005」の運営陣y-sohoの理事として参加。また、第2部、3部では、県内SOHOの事例発表としてブースも持たせて頂きました。参加して下さった皆さま、ありがとうございました。ブースでのゼミでは、主に携帯サイトを始めた経緯や現状、あるいは、私が起業した想い、人とのご縁で繋がってきた現在までの話を少しさせて頂きました。あまりに取り留めのない内容だったかな、と反省。もっと皆さんに有益な情報を話すべきでしたかな。それは、次回に活かしつつ、私自身としては本当によい場を与えてもらったと思います。やりたいこと、できたしね。うん、やっぱりやるぞ。凄い話はできないし、凄いテクニックがあるわけでもないけれど、こんな女性がいるということが、誰かのパワーの源になったらいいなと思っています。皆さん、お疲れさま。ありがとうござました。-----そのSOHOセミナーに参加してくれていた、ある男性とセミナー後食事に(^-^)一方的に私は彼の日記を読んでいたけれど、実際に会うのは初めてだし、言葉を交わすのも初めて。なのに、不思議と心が繋がっているような安心感を感じる人でした。(いや、勝手に私が繋がってると思っただけですが(^^;)真っ直ぐなんだよね、すべてが。うん。そして、とっても自然体。その人の書く文章が、私は前からとても好きだったしね。お互いに本屋大好き(読書と言わないところがミソ)人間ということが判明し、一緒に本屋に行く約束をしちゃいましたよ。「ツレ本屋」ですな。本屋で集合「じゃっ、2時間後にココでね!」とそれぞれ別行動~!ってな感じ。じゃあ、別々に行ったらいいようなもんだけど、この意味のない行動がなんとなく嬉しいんだな。そんなこんなで、よい出会いのあった今日に心から感謝。「きっといい出会いになるよ」と繋いでくれたMさん、ありがとね。
2005/02/13
コメント(0)
本と人との出会いが人生を変える、とよく耳にします。これは私も、実感として大きく頷きます。私にも、人生の転機となった本との出会いはいくつもありました。一番最初は高校生の時に読んだデール・カーネギーの「道は開ける」と「人を動かす」だったかな。…いや、小学生の時に読んだ「オズの魔法使い」だったかもしれないな。けれど、出会うだけでは足りませんよね、当たり前だけど…。出会いを活かすのは、自分自身だけ。これまで活かしてこなかった私の猛省も込めて、そう思います。さて、それはさておき。今日は「山口ほんのすすめ」というイベントがありました。NPO読書普及協会理事長の清水克衛氏を招いて、食事&ちょっとだけ講座、みたいな会となりました。本好きな人が集まって、本との出会い、人との出会い、などなどについて語り合いました。その中で、心に残った本、オススメの本を各自紹介してもらったので、その本たちをご紹介しておきます。機会があったら読んでみてはいかがでしょ?1.経営に終わりはない /藤沢 武夫2.僕の生きる道 /橋部 敦子3.六番目の小夜子 /恩田 陸4.リセット /北村 薫5.テンダーラブ /日野原 重明 6.黒字浮上最終指令 /猿谷 雅治7.なぜ会社は変われないのか /柴田 昌治8.会議革命 /齋藤 孝9.質問力 /齋藤 孝10.凡事徹底 /鍵山 秀三郎11.念ずれば花ひらく /坂村 真民12.迷ったときには前に出ろ! /星野 仙一 13.捨てて勝つ /御木 徳近14.ピンチはチャンスだ!人生はドラマだ /清水 英雄 15.コーチングから生まれた熱いビジネスチームをつくる4つのタイプ /鈴木 義幸 16.原因と結果の法則 /ジェームズ アレン 17.あなたの話はなぜ通じないのか /山田ズーニー18.お金でなく人のご縁ででっかく生きろ /中村文昭19.世に棲む日々 /司馬遼太郎20.旅をする木 /星野 道夫21.司馬遼太郎が考えたこと /司馬 遼太郎22.生きがいの創造 /出口 日出麿 23.日暮らし /宮部 みゆき私も、ぜひ読みたい本がいくつかありました。早速本屋へ行ってみます。
2005/02/12
コメント(2)
2/7(月)に続いて、今日も中村さんの講演会を開催しました。今回は、周南enjoyサイト「ぺぶる」編集長としての主催で、20代~30代の女性向けの内容でお話して頂きました。実際、この年代の女性だけの講演は中村さんも初体験ということで、新しい予感にこちらもワクワク♪でした。テーマは「自分らしく輝いて生きる」ということで、女性として、母として、妻として、そして一人の人間として…という視点での内容でした。いつものパワー全開の講演とはちょっと雰囲気も違い、途中中村さんも、なんだかうるうる…の場面もあったり…。心に灯がともるような、静かで暖かなそして力強いメッセージを感じました。そして。中村さんからもらった私自身の課題があります。今はこれに向かって、ただひたむきに進みます。
2005/02/09
コメント(0)
敬愛する中村文昭氏の講演会が終了しました。参加して下さった皆さま、ありがとうございました。何かひとつ、皆さんそれぞれに感じるところがあったなら嬉しく思います。それは、プラスの働きでも、マイナスの働きでもいいと思ったりします。元気が出るのも、ずっしりくるのも、感動するのも、落ち込むのも、すべて、今、必要なことだと思うから。私自身も、いろーんな想いがいっぱい残った講演会でした。でも、これから逃げずに、しっかり受け止めて、地に足つけて歩いていこうと思います。これまでの私は、講演会・セミナーを開くことで、参加者の方から「来てよかった!」「素晴らしかった!」と言われることが嬉しかったように思います。けれど、最近ちょっと違ってきています。講演会は、ただの場。そして、ただの情報やヒントやきっかけが集まっているところ。それに触れた参加者の皆さんが、これから何を感じて、どう思って、どう進んでいって…、ということが私にとっての一番の興味のあるところになってきたのを感じています。そして、ふと思ったのですが。講演会を開いて、、、そしてその後、参加者の方たちをずっとフォローしていけるような、そんな形は作れないのかなぁって。セミナーと、コーチングと、あるいはコンサルティング?そういう流れで、参加者と関わっていけないかなぁ、って。「点」で繋がる関係ではなく、「絆」という名前の「線」で繋がっていけないものかなぁって。だから私は、セミナーの後にみんなから届くメールが嬉しいんだなぁって思いました。ここからが、ホントの始まりだと思うから。今回の講演会が私に残してくれたものは、そんな思いに気づかせてくれたことだったように思います。そして最後に。私に気づきをくれたみなさん、ありがとう。私、またひとつ、手放すものを見つけました。そして、やりたいことも。大切なものも。今日の日も、忘れません。
2005/02/07
コメント(6)
というのがあるのかどうかは知らないけれど。最近の私は、実はアウトプットしたくなーい!症候群だった。言ってみれば、プチひきこもり!?自分の想いを内側に向けて、じっと過ごした1ヶ月だった。「静」の時間だった。そういえば、私が通っているヨガの先生は、今度1週間ほどお寺に修行に行かれるらしい。その間は、一切誰とも口をきいてはいけないんだとか。私も、自分と向き合う時間を少し作って行きたいと思う。そして、そろそろまたアウトプットも少しずつ始めようと思う。
2005/02/03
コメント(8)
非凡会が縁で友達になった女性がいます。彼女は、東京でインタビュアー&ライターさんをしています。彼女は、本当にきらきら輝いているの。それは、女優を目指していたこともあるというほどの、その容姿にあるのかと思っていたけれど、どうも、それは違うみたい。彼女の危ういほどの繊細な感性と、驚くほど素直な心がそうさせているんだなぁと感じます。その彼女から、久しぶりの電話。そして、とても嬉しい報告。自分のことみたいに、嬉しい。あとからあとから、じわじわ幸せな気持ちがこみ上げてきたよ。知り合って数年になるけれど、実際に会ったのは数えるほどの私たち。それでも、ときどきの電話とメールで心が通じ合うのを感じることができる相手っているんだよね。彼女はそんな人のひとりです。彼女が言っていた。「誰かが、「私」よりも先に「私の言葉」に出会うって素敵。それ、やりたい」考えてみたら、ブログってそういうところ大きいね。会ったことのない人たちの言葉や感性や生き方に惹かれて、それから交流が生まれたりしてね。そう思うと、面白い。彼女の言葉たちを紹介できるときが来たら、また書きます。一緒にできることないかな?と思案中。ひとりで、ちょっと、わくわくなのです。
2005/02/02
コメント(0)
最近よく耳にする、この言葉。私は、どうも違和感を感じてしまうことがあります。一番最初に「ツイていると言いましょう」と言われた方の想いの中にはきっと、「大丈夫、大丈夫。自分はツイているんだからと信じていきましょうよ」みたいな気持ちがあったのではないかな、と勝手に想像したりしています。そして、その裏側には、「あぁ、私はツイているな、幸せだな。○○のおかげだ、感謝しよう」という気持ちがあるように思ったりします。けれど「俺ってツイてる!」とか「こんなことがあったよ、やっぱりツイてるー!」という言葉を聞くと、そこにあるのは、ツイてる「自分」がいるだけで、誰かのおかげさま、みたいなものが感じられないというか。それにしても、何で違和感を感じるんだろう。と、考えてみたのですが、思うに、逆境にあって、なお口にすることのできる「ツイている」と浮かれて口にする「ツイている」の違いなのかな、と思ったりします。ツイているのも、ツイていないのも、全部ホントは(神様が)ツイている、んじゃないかなぁ。よいことも悪いことも、きっと必然だと思うので。
2005/02/01
コメント(0)
明日は、ずーっと前からお願いしていて、やっと、やっと実現するセミナーを開催する。このセミナーへの私の想いは、とても深い。心の底から「すばらしい!」と思った数少ないセミナーのひとつだった。だから、山口で開催する。山口の人たちに、ただ「機会」を作りたかった。参加するのもしないのも、その人次第でいいと思う。必要な人が、きっとやってくる、と思っているから。けれど、帰るときにその人がどんな眼をしているか、私には見える気がする。だから、参加して下さる方たちを祝福したいし、感謝したい。私は、私が本当によいと思ったものを伝えていきたいと願っていて、それは、セミナーという形になったり、日記という形になったりしてきた。ただ、伝えたい。それを受け取った人にとって、何かのきっかけになったり、支えになったなら、嬉しいと思っていた。私の、すごく勝手な、一方的な想いでずっとやってきた。たくさんの方に支えられてきた。ありがとう。そして、、、そろそろ立ち位置を変えようと思う。もしかして、何かを手放すことになっても、勇気を持って「WELCOME」で行こう。明日からの私を、生きる。-----今日、事務所に行くと1冊の小冊子とメッセージがあった。ゆっくり読んでみようと思う。ありがとう。とても心強く、嬉しいメッセージももらった。こうして、大切な人が増えていき、大切なものが増えていったとき、私の両手に抱えきれなくならないように、いつも、フリーで、両手を広げていられるように、そんな風でいたいと思う。
2005/01/14
コメント(8)
今日、メールが届いた。-----頑張れ、日本人。頑張れ、おれ。頑張れ、松原さん♪-----こう書かれて終わっていたメール。とても嬉しかった。最近「頑張らなくていい」っていう言葉をよく耳にする。私は、心の病気の人たちと話しをすることがあって、この言葉を私も口にすることが、ある。それは、人には、どんなに頑張ろうとしても「頑張れない」ときがあると思っているから。もしも、いつか「そのとき」が来たら、また歩き始めればいい。そして人には、「頑張れるとき」と、「頑張れないとき」があるとしたならば、「頑張れるとき」の人は、歯をくいしばって「頑張らなくちゃいけない」と思っている。だから「頑張れ」と言って貰えて、私はとても嬉しかった。だって今の私は、頑張れるときだから。これは、とても幸せなことだから。だから、私は頑張るよ。ありがとう。そして、できることならば、「頑張れ♪」と、私もあなたに言いたい。「頑張りすぎないように、楽しみながら」ね。いつかお互いに「頑張ったね、いい人生だったね」と笑い合う日のために、今日も私は、頑張るよ。
2005/01/13
コメント(0)
それは、本当にできないことなのか。できなかったことなのか。前にも言われたこと、だよね。同じこと繰り返してちゃ、いかんじゃん。いろんな言い訳、してるよね。あれがこーだから、あーでこーで。etc…でも、ホントのホントに悪いのは、私のモラル。それが、どんなに情けないことなのか。それが、どれだけ信用を失っていくことなのか。恥を知れ、自分。
2005/01/12
コメント(2)
違う日記を書いていたのだけれど、やっぱりどうしても、書き残しておきたい気がして、日記を書き直し…。ある方が亡くなったという知らせを聞いたのは、午後のことでした。何度かお会いして、お話もさせて頂いたことのある方でした。HPも、ときどき拝見していましたし、新聞でのコラムを目にすることもありました。とても、、凛々しい人だと、いつも思っていました。とても、真っ直ぐな人だというのが、私がもつその人の印象でした。凄く親しかったわけではなく、けれど、もっと話をしたいと思っていた人でした。その彼が亡くなったという知らせに、自分でも驚くほど動揺してしまった自分がいました。ものすごい孤独感が襲ってきて、そして、ものすごい恐怖がやってきました。残された人の悲しみを思うと、胸が苦しい。人が生きるということ。そして、別れがやってくるということ。私は、ぜんぜん、理解できていないんだということを、ぼんやり感じていました。告別式に行くことができませんでした。葬儀の知らせの電話が鳴ったとき、私は打ち合わせをしていて、何もしらずに時間が過ぎていき、、、もう会えない。見送りたかった? わからない…けれど、大切なことを、伝えそびれたようななんともいえない、心もとなさが、残った。ここからでも、伝わっているだろうか。最後に会えなかったけれど、伝わっているだろうか。たくさんの気づきと、勇気を教えていただきました。会えて嬉しかったです。ありがとうございました。私の声が届いていますように。ご冥福をお祈りいたします。
2005/01/11
コメント(0)
自信って、何だろう、と考えた。字のごとく、「自分を信じる」ということなんだろうけれど。信じるのは、自分自身なのか。自分の価値なのか。自分の未来なのか。・・・・・。自信満々に見える人ほど、実は不安なように感じるし、平静に淡々としている人こそ、ゆるぎない自信があるように感じる。自信ある人にとって「自信」なんていうものは、当たり前の、体の一部のようなもので、きっと意識することすらないのかもしれない。そういう私は、しょっちゅう自信を失くす。凹む。けれど、自信を失くすということは、自信があったということなんだと思う。つまりは、自信過剰ということだ(^^;)現実が追いついていない。まだまだ、まだまだ、できることを私は知っている。だって、まだまだできるんだもの。限界は、まだまだ遠い。誰が知らなくても、頑張っていない自分を、私は知っていて、だから、凹むし、自信を失くす。自信が欲しければ、やり尽くすことだ。
2005/01/10
コメント(0)
お客さまのイベント(バザール)のお手伝いの1日。接客販売の経験は、大学の時のバイト以来だろうか。いつもやっている仕事とは、違う分野の、違う仕事。想像するのとやってみるのとでは、大違いだということがよくわかる。びっくりするような発見があったり、思うような動きが取れなかったり、勝手が違うというのは、とても勉強になる。そして、「このアイデア、いただき!」ということが山盛りに起きる。こうして、知らない世界へ踏み込んでみることって、必要だなぁと感じる。
2005/01/08
コメント(2)
無力な自分を思い知らされる時が、ある。というか、常に無力だ、と思う。誰かが苦しんでいるとき、落ち込んでいるとき、大切な人がピンチのとき、、、何か私にできることは!?と心が痛くなるようなとき。。遠いところで、助けて欲しいという声が聞こえたような気がしたとき。。何もできない自分が悲しくなる。情けない。その人の、心の奥深くを想像するだけで、私の言葉たちは軽すぎて、何も言えない、気がしてしまっていた。そして何もできない自分と相手との間に、見えないカベを作って行くのが私の悪い癖。相手の苦しみが大きく、深ければ深いほど、私は悲しくなっていく。なにもできない。そんなとき、こんな言葉を目にした。-------------------------------------「ちっぽけな自分たちの手では どうしようもないことに、 たくさん出合ってしまって、 人間は、祈るということを おぼえていったのだと思います。」たぶん、どんなに立派な人間になったところで、どうしていいかわからないこと、だらけだと思うのです。誰かが正解を知っているなんて、考えないほうがいいです。本気でどうにかしたいことにぶつかったら、その都度、何ができるかわからなくてもまずは祈ることはできます。祈ることをぬきにして、何かをはじめるよりも、何ができるかわからないままに祈っているほうが、やるべきことがわかってくるように、ぼくは思うのです。-------------------------------------ほぼ日に書いてあった糸井さんのメッセージです。スマトラ島沖地震のときに書かれたもの。これを読んで、思いました。祈ることは、できる。いつでも、どこにいても、どんな状況でも、ただ、その人のことを想って、祈ることはできる。そして、祈ることしか、できない、と、思った。その人が、苦しくなくなるよう…心が軽くなるよう…痛くなくなるよう…幸せでいてくれるよう…私の精一杯で、祈る。天から降り注ぐ、満天の星たちのように、私の祈りが、見えない光となって、その人を包んでくれますように。
2005/01/07
コメント(4)
新年が始まって一週間。いつものことながら、時間が過ぎていくのは速い。去年の暮れに、子供服販売をしているお客さま(であり、非凡会の仲間)からの依頼で、オリジナルのカレンダーを作った。 このカレンダーを部屋に飾り、じっと見つめていて思った。「一年って、たったこれだけしかないんだぁ」365日って、こうして見ると、案外すぐ終わってしまいそうだ。たったこれだけの日にちが過ぎていくと、もう2006年がやってくるの!? …ちょっとビビッた。2005年は、一日一日を大切にしよう。そのために、今年は習慣改善だ!年明けに、新事務所への引越しも完了したし、これからは自宅での勤務ではなく、事務所へ出社して仕事をするという生活が始まる。実に10年ぶり!?だ。武沢さんを見習い、早朝にひとり作戦会議をしよう。整理整頓、早寝早起き、時間を守る、本を読む、日記を書く、そういう当たり前のことをきちんとしよう。まずは、習慣改善。「思いの種を蒔き、行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。習慣の種を蒔き、人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を刈り取る スティーブン・R・コヴィー」「心が変われば態度が変わる。態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば人生(運命)が変わる。 アンリ・フレデリク・アミエル」これから私の習慣が変わったとき、どんな運命がやってくるか。ある意味実験だ。ちなみに、先ほどのカレンダー、一部210円で販売されてます。売上げは、地域の児童福祉施設に寄付するそうです。ご希望の方、いらしたらお問合せ下さい。
2005/01/06
コメント(0)
遠石八幡宮に初詣に行った。そろそろゆっくりお参りできるかな、と思って今日にしたけれど、まだまだかなりの人出だった。遠石八幡宮。いろんな想いが入り混じる場所。境内の階段を上りながら、昔あった光景を思い出す。チビたちの呼ぶ声に、現実に戻る。・・そうそう、お参りしなくっちゃ!・・・・いつもそこにあって、変わらないもの。いつでも戻ってこれる場所。ここは、そういう場所なのかもしれない。そして、私は誰かにとっての、そういう場所になりたいと強く願っている気がする。そうなりたくて、ずっとかっこわるく、あがいているのかもしれない。
2005/01/04
コメント(0)
新年あけましておめでとうございます。元旦、初夢。ナント、武沢さんと百式田口さんが、夢に…。それから、友人たち。内容も、なかなか興味深いのです。ヒントがたくさん。いつも夢なんて全然見ない(覚えてない)のに。今年のお正月は、とてもゆっくり過ごしたのがよかったのかな。…思い出してきたけど、3種類くらい夢、みた。悲しいのとかも、あったけど。今年は、楽しみながら前進することにしています。みなさま、どうぞ今年もよろしくお願いします。
2005/01/01
コメント(0)
今年も、素晴らしい1年でした。たくさんの出会いと、優しさにあふれた1年でした。こころから、こころから、感謝。。。ありがとうございました。すべての人に、すべてのものに、すべての出来事に。
2004/12/31
コメント(0)
全142件 (142件中 1-50件目)