KAPPAのひとりごと

KAPPAのひとりごと

ヨシの巻(歌う出産記)

 ~「歌う出産」記~ (ヨシの巻)


 2000年7月29日(土)、もうすでに待ちくたびれていた。
 37週の内診から「子宮口が2~3センチ開いてるから、来週 産まれるかもしれないよ」「もう産まれるよ」と
言われていたのに、明け方に陣痛のような収縮があるものの なかなか産まれる様子がない。
内診の後の出血でも「いよいよか…」と思ったけど、いつも肩すかしを 食らった。
前日の検診では、先生から「なにかあったらいつでも連絡して」と言われただけだった。
 そして、翌日は予定日である。

 ダンナ実家で夕食を取り、義妹にも「もう待ちくたびれた」とぼやいた。
 そして家に戻り、テレビを見たりしてから 11時頃にお風呂に入る。

 お風呂から上がる時に、少量の出血。今思えば あれが「おしるし」だったんだろうけど、
前日の内診の刺激で出血したんだとしか思わなかった。
そして、脱衣場へでると、ギューッとお腹が絞られるように痛む。
 ちょっとビックリしたけど痛みはすぐに治まり、11時半からのテレビを見るべく
パジャマを着てリビングへ行く。

 テレビを見ていると、何やら水のようなものが少しずつ下から漏れている感じ…。
トイレに行ってみると、尿でもないような気がする。
…ということは、破水??

 慌てて助産院でもらったパンフレットを出す。産婦人科だと破水で入院することになるのだが、
私がお世話になるところはそうじゃない。
「赤ちゃんの頭がフタをしてくれるから大丈夫」とのことで、フタになりやすいように「蛙のポーズ」をとる。
専門用語で言えば膝胸位。胸を床に付けて 膝を立て、お尻を上げる。

 12時になって、お腹全体に軽い張りがでてきた。10分後に同じ張り…陣痛かな?
 とりあえず、助産院にTelしてみる。すぐに先生がでてきたので状況を説明すると
「まだまだ かかるねぇ…朝になるかな? それまで家で寝てなさい」との返事。

「できるだけ家で普通の生活をするのが大事」という方針なので、 とりあえず布団に横になってみる。
この頃には羊水も殆どもれなくなってきた。陣痛が軽くても、初めてのお産なので緊張する。
お腹が張る度に「ヒ・ヒ・フー」と呼吸をしてみる。そうすると、少し軽くなるような感じ。

 段々と陣痛は強くなってきた。間隔は7~8分。時計は3時を過ぎ、 このまま家にいてもいいのかな?と
少し不安になってくる。
もう一度Telすると、先生は眠そうな声で「朝になるまで頑張りなさい。 それでも同じようなら、
朝になってから こちらに来なさい」と言われた。
 それからも陣痛は段々強くなってくる。それでも間隔はまだ7~8分のまま。
初産婦は5分間隔になってからで大丈夫と言われている。
段々と寝ころんでいるのが辛くなってきた。
赤ちゃんの頭が下の方へグングンと押してくるのがわかるが、いきんじゃダメだと呼吸を整える。
途中、トイレに行きたくなって用を足す。すると、陣痛が楽になる。
でも、それもつかの間のこと、痛みは強くなり、段々呼吸も乱れてくる。 陣痛と陣痛の間も辛い。
 その後はトイレに入り浸りになる。真ん中が開いたところに座ると楽。 でも、陣痛が来ると、腰が浮き上がってくる。
トイレで産んでしまったらどうしよう…と不安になってくる。

 時計を見ると4時半頃。朝が来るまでにはまだ時間があったが、 もう一度連絡する。
状況を説明しようと あれこれ考えていたのに、口から出た言葉は「もう行ってもいいですかぁ?」だけだった。
電話に出たのは助産師のOさん。「それなら一度来て下さい」と言われ、やっと助産院に行くことになる。

 でも、陣痛が辛くて動けない。獣のようにウーウー唸っている。
入院の支度はしてあったが、カバンを持つことも 服に着替えることもできない。
ダンナに 車をマンションの入り口まで回してもらい、どうにかこうにか車に乗り込んで出発する。

 連絡してから1時間後に助産院に到着(…と言っても、車で10分足らずの距離)。
駐車場に入り、玄関から一番近いところに車を止めてもらう。玄関までは2・3メートルほどの距離。
陣痛が弱い時をねらって玄関へ急ぐと、Oさんが一言「あら、元気ねぇ」。
…元気なものか!必死に歩いたんだから…。

 中に入って、診察を受ける。子宮口は全開になっているらしい。
診察台(分娩台にもなるが、まだ平らなベッドの状態だった)に横向きに 寝てお産が始まる。
ダンナは私の前に立ち、私がダンナの腰をつかむ。
「もういきんでいいよ」と言われた時はすごく嬉しかった。

 ここでは陣痛の度に歌を歌う。曲をリクエストしてもいいのだが、 そうでなければ「翼を下さい」になる。
主にサビの前半部分を使うのである。
「この大空に…」から始まって「飛んで行きたいよーー」と歌い、陣痛が続いている間は「よ・よ・よ・よ…」と声を出す。
そして、陣痛が引いていくと「フー、フー、フー」と呼吸を整える。
お産の状況によっては歌う部分が変わることもあるので、常に助産師さんが 一緒に歌ってリードしてくれる。
助産院に来れた安堵感も手伝って、この呼吸法(?)はすごく楽になった。家でウーウー唸っていたのが嘘みたい。
歌っている時も余裕が出てきて、「このお、お、ぞっらぁにぃ~」なんて カラオケでも歌っているかのような
歌い方になっていた。

「椅子に座った方が赤ちゃんが下に降りてきやすいから、座ってみる?」 とOさんに言われ、座ることにする。
椅子…と言っても、座面の真ん中がなく、丁度U字形の便座が椅子になったようなもの。
ダンナに後ろから羽交い締めのような形で身体を支えてもらい、歌で陣痛を乗り切っていく。
でも、歌い方に段々と余裕がなくなってきて、少々がなり立てるような 感じになってくる。
陣痛が来ると、じっと座っていられなくて、腰が浮き上がってくる。

 何度か「頭は見えてきました?」と聞いたような気がする。
そして、やっと頭が出てきたと言われた時、座っているのも少し疲れてきて、もう一度ベッドに横になる。
 頭が見えてきたのは7時半頃。触らせてもらうと、髪の毛が ふさふさしているのがわかる。
会陰切開もしないので、頭が見えてから産まれるまでは、初産の場合 3時間かかると聞いていた。
が、その時に「1時間で産んでやる!」と思った。

 …が、そこから なかなか産まれない。陣痛の時に頭が少し出てくるが、 陣痛が引くと頭も引っ込んでいく。
30歳過ぎた初産だから、出口が固いのはしょうがない。
 安産学級で、「頭が出たり引っ込んだりしているのは、軟産道で 赤ちゃんの頭を舐めている
(動物が子どもを産んだ時に身体を舐めてやる)のと一緒だから、ゆっくり出した方がいい」と聞いていた。
なので、早く出したい!と思ってはいてても、そんなに焦ってはいなかった。

 8時半過ぎ、真打ち・S先生登場。
OさんからS先生に代わり、Oさんは介助にまわる。
それまでもOさんに肛門を押さえてもらっていた(痔の予防?赤ちゃんの誘導?)が、
先生はOさんよりもグッッと強く押さえてくれた。
すると、赤ちゃんの頭が下腹を圧迫して「ウッ…」と声が漏れるくらい辛くなったが、その方が段々と楽になってくる。

 そのうち、睡魔に襲われる。気が付けば寝ているのだ。それも、目覚めた時に熟睡感がある。
でも、ダンナに「どれくらい寝た?」と聞くと「3分くらいかなぁ…」との返事。
陣痛の間に寝てしまうことも聞いていたので、これかぁなんて思った。
確か、モルヒネのような物質が分泌されて眠くなるらしい。

 何度も歌い、赤ちゃんの頭が出たり引っ込んだりを繰り返した。
歌い方はがなり立てる感じがなくなり、テンポよく力強く歌う感じになっている。
「後1回ぐらいで出るよ」と言われた。
が、肝心な所でいきめない。出口がまだ固いのか、引っかかるような気がする。
そうして、何回目かの時に、出口にゴツゴツしたものが通るのを感じた。

 出た…と思ったとたん、「オギャァーーーーー!!」

 2000年7月30日(日) (40週0日)
 午前10時33分、長女「ヨシ」誕生。

 S先生がヨシを抱き上げて見せてくれた時、思わず「ウワァ~~!」と 驚いた声をあげてしまった。
赤ちゃんが産まれた喜びとは対象に、自分のお腹から別の生命が出てきたのが すごく不思議でたまらない。
そして、この子をちゃんと一人前に育てなければいけないと言う責任…自分の生活が180度変わるような気がした。

 へその緒が付いたまま胸の上に置いてもらう。
私は「そうかぁ、そうかぁ、 頑張ったねぇ」と言いながらヨシの身体をなでた。
ずっとずっと泣いているけど、私と目が合ったとたん フッと泣きやんで ニッと笑ったような顔をした。
…もしかして、私に挨拶してくれた?
でも、それも つかの間のことで、ヨシはまたオギャァオギャァと泣きはじめた。
 S先生は「ここか?なかなか出なかったのは」と言いながら、ニョキッと上に伸びた頭をなでた。
産道がトシで固くて狭かったのか、ヨシの頭は長細く、先がとがっている。
 へその緒はダンナが切ってくれた。

 身長47.5センチ、体重 3150g。
 胎脂が多くて、少しぽっちゃり気味。
 その後も よく泣いて親を悩ませる、元気な赤ちゃんだった。





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