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2006.12.09
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カテゴリ: 日本映画
『ゆれる』

第59回カンヌ映画祭「監督週間」正式出品作品

*YURERU_00.jpg

写真家となった猛(オダギリジョー)は母の一周忌で東京から、兄の稔(香川照之)が家業のガソリン・スタンドを継ぎ、父(伊武雅刀)の世話をしながら暮らす山梨に帰郷する。兄弟2人は幼なじみの智恵子(真木よう子)と近くの渓谷にいく。智恵子は猛に、一緒に東京に行くと言いだす。猛が一人吊り橋を渡った先で花の写真を撮っている頃、吊り橋から智恵子が落ちてしまう。近くにいたのは兄の稔だ。事故か事件か。やがて稔は殺人容疑で逮捕され、裁判となる。稔の語ること、猛の語ること・・・。

新しい作品で、まだ新作劇場公開中の映画なので、詳しい内容を書くことはしません。ここではこの映画の作りに対する感想を書くことにします。

この作品に対する観客評はおおむね良いようで、低い評価を与える人はストーリーのあり方が好きになれないらしい。自分としては良く書かれた脚本で、人間を描いた立派なドラマだと思います。ただ演技と演出と編集が力不足なのが残念でした。

ボクは映画には映画らしいことを求めます。そう言ったからと言って伝統的な映画手法で作れ、と言うわけではもちろんありません。テレビドラマと劇場映画の差は何か。もちろんその境界は曖昧です。それでも違いはやはりある。劇場映画にも色々なものがある。しかしこのようなシリアスな人間ドラマでは、まず半端でない演技を期待します。

この映画は約2時間あります。ゆっくりとしたテンポ自体はかまわない。しかしそれを支えるには役者のしっかりとした演技が必要です。中心となるのは猛と稔、あとは若いガソリンスタンド員と父と検事でしょうか。どの役者もかなりいい演技なのですが、何かが足りない。簡単に言うと、「この状況でこういう心理だ」というのは演技が見せてくれる必要があるのですが、見ている自分はストーリーの展開から人物の心理を知り、それらしい演技をしている役者を見る、とでも言ったらよいでしょうか。方向が逆なわけです。この作品『ゆれる』であれば、兄役も弟役も、微妙な人間の心理を表現しなければならない。そしてそれが観客に感じられるまでに表現するには、人物の心理を役者が自分の中のすべてで自分なりの理解をしなければならない。そしてこのような人物を十分理解するには、この役者たちには十分な実存的体験がない。そういう生き方をしていない。20年くらい前に大島渚監督が言っていました。「今、日本の俳優で映画になる顔がそんなにありますか?。」と。そういうことなのだと思います。あるいは演技を見ていて不十分な状態でOKを出してしまっている、あるいは満足してしまっている演出がそこにはある。

このことは見る側とも関係してくる。観客の、描かれた人物の心理の理解が浅いならば、演技はその程度に浅くても十分なわけだ。しかし演技が深いことは、浅い理解に邪魔になるものではない。むしろ観客に今まで以上に深い人間理解を与える機会となる。そしてそれはこのような映画にとって大切なことだ。



ボクは劇場で初めての映画を見るときや、DVD等でも初めてその作品を見る場合、単なる観客として作品に身を任せようとする。分析的に見るのは2度目以降だ。だからこの『ゆれる』も劇場で1回見ただけなので細部を分析的に記憶してはいない。

憶えていることを書けば、最初の方で古い8ミリ映写機とフィルムの入った箱が出てくる。その箱の中のフィルムの1本の小箱がアップで写り「-----渓谷にて」とかなんとか書かれているのが見える。最後の方でその古い8ミリフィルムを見てオダギリジョーが涙を流すシーンで、これまた小箱の「-----渓谷にて」が写る。こういうのはもっと密やかか、全くなくてもいい。映画では、それは普通に注意して見ている観客が自分で気づくことなのだ。「観客のみなさんいいですか~。これ、これは兄弟が子供の時に-----渓谷に行ったときの8ミリですよ。これ後で関係してきますから、しっかり記憶しておいて下さいね。」「はい、これが冒頭で出てきた8ミリフィルムですね。事件のあったのと同じ渓谷ですね。子供時代の兄弟が写ってますよ。」などといった説明はあってはならないのだ。こんなことをしているから作品の流れや緊張感を薄める結果となり、上映時間も長くなってしまう。

あとは例えば猛が使っているライカM3のダブルストロークです。もちろん猛の演じる若いカメラマンが、いわゆる仕事から離れたときにこのカメラを使っているということは十分あり得ることです。でも見ているにその必然性が感じられない。許される、本来あるべき姿は、猛という人物像を描くのに必要だからであることです。恐らくある意味カッコいいという流行りであるカメラを、非常に安易にオダギリジョーというイケメン俳優に持たせている。同じくカメラマン主演の『欲望/BLOW UP』(アントニオーニ監督1966)で主人公のカメラマンはニコンFを持って出てきますが、これは実にしっかりと、誠実に、作品のための小物となっています。こういうことを安易にやるべきではないと思います。そういうことをしていると、シリアスな映画であるはずが、結局アイドル映画や流行映画に堕してしまいます。

作る立場ではないボクが偉そうに多々文句を並べてきましたが(でもお金を出して見る消費者でもあります)、この作品の基本がとてもよく、かなり出来もいいので、あえて監督へのエールとして書かせていただきました。

『ゆれる』公式HP


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Last updated  2006.12.09 07:10:19
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