ラッコの映画生活

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2007.01.13
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カテゴリ: フランス映画
LA CICATRICE INTERIEURE
Philippe Garrel

01.jpg

この作品、「前衛的な映画か?」と問われれば「まあ・・」と答えますが、「難解な映画か?」と問われれば「いや」と答えます。解釈するような映画ではないと思うからです。戦後生まれのガレル監督自身「自分の父親の世代は映画を観にいって理解しようとしたが、自分の世代は感覚的に映画を観にいく。」と言ってもいるように、この映画も感覚で捉える作品かも知れません。約1時間の中編映画ですが、約20シークエンス、約25カットで、カメラの移動とズームによる3分とか5分の長回し1シーン1カットをつなぎ合わせたものです。

(以下ネタバレ)
物語というものがほとんどないので、ネタバレと言えるかどうかはわかりませんが、逆に何を書いてもネタバレになってしまいます。映画は上の写真の場面でいきなり始まります。ガレル監督の当時の愛人のニコ(モデル・女優・歌手、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌姫)が荒涼とした土地に半寝状態で座っていて、遠くからフィリップ・ガレル監督が近付いてきます。フィリップは彼女を起こして連れて歩き始め、ニコが英語で「何処に連れていくの?」と一言。ここまでで約3分、単一カットです。

02.jpg

画面がかわって上5連写真のシーン。ニコは砂漠らしきところに座っていて、「息ができない、お願い助けて」と号泣していて、フィリップは彼女を引っ張っていこうとしますが動じないので画面左の方へ去っていく。そのフィリップの歩行をカメラはトラヴェリングで追っていく。約3分歩き続け、またニコの右から戻ってくる。フィリップもカメラも実は円を描いていただけなんですね。ニコの周囲が360度にわったって広い何もない荒野(砂漠?)であることが示されます。ここで「♪精神異常の清掃人/幼児に脅かされ/空の揺りかごを石のように硬くする・・・」とニコの歌声がバックに流れます。フィリップがもう1周してまたニコのところに戻ってくると、ニコは立ち上がってフィリップを突き放し、「いなくていいから、あっち行って。一人で何とかするから。」と言い、フィリップを残して去っていきます。

03.jpg

場面がかわって氷上を歩くフィリップと後ろからくるニコ。

04.jpg

映画が始まって約15分のところで鍾乳洞のニコが映り、今度はドイツ語でのモノローグ。ここで画面下部に『LA CICATRICE INTERIEURE』とタイトル文字。映画最後はエンドロールもなく突然終わるので、これが唯一のテロップです(日本語字幕は除く)。

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この映画には対話が一つもありません。あるシーンで一人の人物が言葉を吐くだけで、相手がいてもそれに答えての対話はありません。また言葉もニコの英語と独語、後から出てくる人物の仏語と、バックの英語の歌、色々混ざっています。ガレル監督は最初この映画の公開にあたって、いかなる翻訳字幕も禁止したそうです。

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この後、上写真のような『トリスタンとイゾルデ』を思わせるシーンや、火山から火を持ち帰って地球外の何処かに火をもたらすとか、剣を石で打ってニコに贈るとか、神話的、古代的イメージが続きます。

最初に解釈の不必要を書きましたが、あえて感想的解釈をちょっとしてみます。最初のニコとフィリップの場面、1つ目で出会い一緒に何処かへ行く。しかしどこへとも、どうしてとも分からない。2つ目でフィリップはニコの元を去るものの円を描いてまた戻ってくる。ニコを離れようとしても離れられない。そして3つ目の場面ではニコは「あっちへ行って」と拒否りながらも、フィリップの後を歩いてくる。出会ってしまって、お互いに苦しめ合うだけだけれども、どうしようもなく離れられない「愛?」にある2人の関係を象徴しているように感じました。その辺は同監督の『ギターはもう聞こえない』を見て下さい。

もう一つ感じたのは、この作品の撮影が行われたのは70年、71年(場所はチュニジアとアイスランドだそうです)らしいんですが、68年のフランス五月革命の夢の後を引きずっている感じです。五月革命というのは、基本は教授制の強大さに反対した学生の自治要求という大学制度の問題でしたが、広く旧既成制度に対する労働界、思想界、宗教界、その他各界における反発、自由化への要求という方向に発展していった。そしてそのユートピア的夢は不完全な形で挫折する。そういう精神風土がこの作品のガレルに見られる気がします。だから文明以前あるいは文明の誕生、古代宗教、そういうことへの関心がある気がするんです。

物語を求める観客の方には決してお勧めしません。ただ雰囲気に浸って見られる方にはお勧めです。あとはこの絶対的なる存在感を持ったニコのファンにもお勧めです。




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Last updated  2007.01.13 00:05:44
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