この映画は2つの要素を上手く一つの物語に盛り込んでいると思うのだけれど、それがとても巧みです。主人公のドーンという中学1年生なのかな、その少女の物語。ドーンは dawn で、「夜が明ける、明るくなる、始まる、わかり始める」っていう意味ですね。まだ大人でもなければもう子供ではない。その大人へ向けての夜明け前ってところでしょうか。このドーンは学校でも家でも身の置きどころがない。学校ではブスって言われて、遊び系の少女たちにも、賢いインテリ志向の生徒にも、不良系の子たちにも、どこにも属さない存在。家に帰れば両親と兄マークと妹ミッシーがいる。妹はピンク色のチュチュ着ていつもバレエ踊って回っているまだ子供。兄マークは何をやるのも、例えばバンドを始めたのも教科外の活動として内申書に書いてもらって大学進学に有利になるため。つまり一つの大人の社会のあり方に既に統合されてしまっている。途中で描かれる同級生ブランドンとのロマンスもどきにしても、まだ子供の世界の2人。一線は越えられず、二人の間の障壁は金網で象徴されている。一緒にではないが、二人ともそれぞれ別の理由からNYへの家出を敢行する(ドーンは戻る)。映画の最後はディズニーランドに向かうバスの中の彼女が描かれる。ディズニーランドはもちろん子供の世界の象徴だ。バスの中でみんな一緒に、ドーンも含めて歌っているのだけれど、最後には他の子供たちの子供的歌声ではなく、より声楽的な声で歌う彼女の歌声だけが聞こえる。これから来るべきドーンの大人への世界の幕開けを暗示しているのだろう。