ラッコの映画生活

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2008.04.12
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カテゴリ: フランス映画
MILOU EN MAI
LouisMalle
107min
(所有VHS)

milou_0.jpg

ルイ・マルという監督には興味があるのだけれど、日本版ビデオも上の写真と同じジャケットで、表には 忘れていたやさしさを見つけてください 、裏には 自然を愛するミルと都会からの闖入者たちが奏でる "田園ラプソディ" とコピーがある。そして解説には 『さよなら子供たち』で世界中を涙させた名匠ルイ・マルが、美しい自然に上質のエスプリを効かせ、人々をやさしく包み込む円熟期の傑作 とある。マルという人は人間をもっとシニカルに辛辣に描くという印象なのでちょっと違和感を持ったまま見ないでいた。見てわかったのは、表面的にはそういう体裁をとっていて、一つのシーンさえなかったらそういう映画として見ることも可能だったろう。しかしそのシーン、一見なんてことないシーンなのだけれど、これがある以上はそんなにオメデタくこの作品を見ているわけには行かない。

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ボルドーよりまだ少し南、スペインとの国境にも近い内陸のジェール県の田園の中の大きなお屋敷。そこには六十くらいの独り身のミルー(以下 ミル ミルー と書かせていただきます)が、老齢の母親と暮らしている。冒頭には蜜蜂の飼育のシーンが、途中には川での巧みなエクルヴィス(食用にする小さなザリガニ)捕りのシーンがあるように、自然の中での生活を楽しんでいる。がある日母親が死に、一族の者たちが葬儀と遺産分配のために屋敷にやってくる。ミルー(ミッシェル・ピコリ)の娘カミーユ(ミュウ・ミュウ)は夫ポールと3人の子供連れ、死んだ妹の娘クレールは同性愛の相手らしき若いバレリーナのマリー=ロールと一緒に、『ル・モンド』紙のロンドン駐在員の弟ジョルジュはイギリス人の恋人と同伴で、ポールは医者で忙しく一時屋敷を去ってしまうが、通いの家政婦アデル、公証人でカミーユの愛人ダニエル、ジョルジュの息子とヒッチハイクの彼を乗せて来たトラックの運転手グリマルディ、そんな人々が集まってくる。

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時は1968年5月で、学生運動から始まった紛争は労働運動をも巻き込み、あらゆる分野でのスト、商店も閉まり、フランスは麻痺状態にあった。五月革命とも日本で呼ばれるこの出来事、フランス語では単に "Mai 68"(68年5月)と言う。タイトルにある mai (五月)とはまさにこの5月なのだ。

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もちろんこの五月闘争は映画の背景になっている。ジョルジュは『ル・モンド』紙の記者だから当然のこと事態の進展に強い関心を持ってラジオを聞いているし、その若い息子ピエール=アランは実際に闘争に参加してきていて、暴力的警官隊に警棒で殴られたアザを誇らし気に見せる。もちろん食卓での話題にもなるわけだけれど、ここに集まった人々は基本がすべてブルジョワ階級の一族だ。中ではカミーユがいちばん保守的。しかしそうした背景以上に五月闘争はこの映画の根幹をも成している。学生や労働者の闘争は結局大きな成果を上げられずに挫折するわけだが、それはしっかりと根付いた資本主義的経済構造は簡単には変わらないということであり、また闘争してきたことを自慢するピエール=アランが象徴するように、闘争に参加した学生の多くは結局大小のブルジョワの子弟であり、革命思想は流行とまでは言わないまでも、社会の歪みに対する不満の爆発であり、革命思想よりもその幻想であったとも言える。そしてミルーという人物設定は、その信条をミルー主義とでも呼ぶなら、ミルー主義と革命の物語なのである。

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ミルーはこの屋敷と領地での今の生活を死ぬまで続けたいと思っているが、弟や娘や姪はすべて売って現金にしたいと思っている。公証人ダニエルが、ミルー、ジョルジュ、死んだ娘の継承者としてマリー=ロールの3人に均等分配するという、死んだヴューザック夫人の遺言を伝える。補足の遺書を開封すると生涯最後の日々の良き友であったアデルに 1/4 を遺贈するとあった。つまりは4者で四等分だ。ミルーの希望は叶いそうもない。娘と姪とアデルは既に動産の分配を始める始末だ。しかし外の世界は紛争で混乱していて、葬儀屋もストで埋葬もできない。そのまま遺体を放置するわけにもいかず、敷地内に埋葬することに決める。墓を掘るのはもう年老いた下男か庭師だ。フランスの5月は気持ちの良い季節。そんな中敷地内でみんなで草上の昼食だ。御馳走を食べ、ワインを飲み、人々の気持ちがほぐれる。まさにミルー主義の謳歌と言ってもよい。夜は屋敷で楽しく乱痴気騒ぎ。ところが突然そこに友人の企業家夫婦が労働者に工場を占拠され、ソ連軍がフランス国境の近くまで迫っていると逃げ込んでくるのだが・・・。

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さて冒頭に書いた問題のシーン。下男がやや苦しそうに埋葬のための墓穴を掘っている。それに気付きもせずにその後ろを散策してゆく人々。たしか暗くなってからのシーンがもう一つあって、やはり人々は下男には無関心だが下男はまだ掘り続けている。その映像は、単に敷地内に死んだ母親を埋めることにしたということの喚起ではなく、労働する人と、それに無関心で享楽する人々の対比を強調するものだ。ミルーという人物設定は優しい好人物なのだけれど、実は何もしない人でもある。娘たちが希望するように土地・屋敷を売れば、企業による開発がなされるわけで、それに反対するミルーに観客が自己同化をすれば美しい物語ではあっても、それは持てるブルジョワの贅沢でもある。

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監督のマル自身68年5月闘争に参加したけれど、彼ももともと砂糖企業家の大金持ちの息子だった。そんな彼が68年5月を振り返った物語なのだと思う。しかしそれは自己批判であるよりも、そういう自分の立場を甘やかすようなものに感じられ、ナチズムを扱った『ルシアンの青春』や『さよなら子供たち』とは違い、何か生温さ、歯切れの悪さを感じた。冒頭に引用したコピーや解説の線で見れば心暖まりもする物語で、そういう見方をするのも良いけれど、上述したような(例えば墓掘り下男など)そうではない面があることを見落とすべきではないと思う。付記しておくと、ミルーになついている孫娘フランソワーズという子供の視点、ミルーと母親との親密な関係など、ルイ・マルの映画にお馴染みの要素がここにもあった。

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Last updated  2008.04.14 00:17:07
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